わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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初対面と一期一会そして萩原流行

1.昨日はいい天気だった。生後4ヶ月を過ぎ、ようやく首がすわってきた次女と、わたしの母93歳が初対面した。年の歳92歳、二人でゴロンと横になって対面していた。二人とも嬉しそうで、良かった。次女は、なんとなく母と似ているのだ。よーく母を見つめていたな、。

わたしは母を「おばあちゃん」とか「おふくろ」とか呼んだことがない。「お母さん」とも呼ばず、、いつも「かあさん」と呼ぶ。「かあさん」という響きが好きなのだ。

帰りしな、その母がこう言った、、
「本当に、今のここが、、一期一会だね」と。

2.先日、俳優の萩原流行さんがバイク事故でなくなった。享年62歳。事故死の経緯を検索すると、こうあった。
 東京都杉並区の青梅街道で22日、俳優の萩原流行(ながれ)(本名・萩原光男)さん(62)が死亡した事故で、警視庁交通捜査課は23日、萩原さんのオートバイが転倒後、高井戸署の護送車に接触していたと発表した。同課は護送車を運転していた男性警部補(55)らから自動車運転処罰法違反(過失致死)容疑で事情を聴いている。
同課によると現場は片側3車線の直線。一番左側の車線を進行していた護送車が、駐車車両を避けようと中央に車線変更した後、中央車線後方を走っていた萩原さんのオートバイが何らかの原因で転倒して護送車に接触。萩原さんは右側の車線に投げ出され、後続の乗用車にひかれたとみられる。萩原さんが護送車を避けようとして転倒した可能性については「捜査中」としている。
護送車には運転手の警部補と署員2人、容疑者1人の計4人が乗っていた。警部補は「車線変更後、ドンと何かが転倒するような音が聞こえた。バイクに当たった感覚はなかった」と話しているという。【林奈緒美】


3月15日に青梅街道沿いを43km歩いたが、事故現場はその最初10kmの途中の何処か、だろう。

萩原さんは長く、うつ病をかかえられていたという。事故後、ご家族の方が淡々と語られている様を見ていて、さぞかし、うつ病との闘いは、ご本人にとっても、ご家族にとっても、大変だったのではないか、と推察した。

3.わたしのサラリーマン生活は20年ほどだったが、その通勤手段の大部分はバイクだった。電車が嫌いで、雨の日以外はバイクを使った。ダメ社員を自認していた。会社の帰りに危ない思いしたことが何度かある。転倒したが後続車がなかったのと、気づいて停止してくれたので、助かった、、

なので、萩原流行さんの事故死は他人事ではない。私の場合は、間一髪、紙一重の差で助かった、、巡り合わせといってしまえばそれまでの話だが、、きっと、何か意味はあるのだろう。瞬間の出来事には、きっと意味がある



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