わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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長谷川等伯のこと

1.絵師 長谷川等伯の新たな水墨画が見つかった。
以下、日経の記事をコピペ。
「安土桃山から江戸初期に活躍した絵師、長谷川等伯が描いたとみられる水墨画の屏風絵2点が見つかり、京都造形芸術大(京都市)が20日発表した。「猿猴(えんこう)図」と「松竹図」で、ともに2曲屏風で縦162.4センチ、横241.2センチ。等伯の代表作と極めて似ており、専門家は等伯作の可能性が高いとみている。」

2.安部龍太郎という作家は「等伯」という小説で直木賞をとった。安部さんは、法華経や日蓮について、植木雅俊という在野の研究者と対話して得た知識を、小説に反映させたようだ。私は、その植木雅俊さんと何度かメールのやりとりをしたことがある。松林図屏風は法華経が反映されているな、というのが、私の理解だった。

3.「安部龍太郎 植木雅俊」で検索したところ、次の記事があった。
現役時代の最終盤のころと記憶するから昨年のことだったか。仕事を通じて知り合ったある大学の教授と懇談している際に、その方が僧職も兼務されていることを知った。それをきっかけに、仏教談義となった。やり取りの最終段階で、彼は植木雅俊『仏教、本当の教え』が凄く分かり易くて面白い、と推薦された。この時とほぼ相前後して、日経新聞の文化欄に作家の安部龍太郎氏が、自作『等伯』についての執筆余話の中で、植木雅俊氏のことに触れていたのを発見した。法華経に関する部分(長谷川等伯は法華経の信者)は彼の指南に負うところが大きいと知った。仏教、なかんずく法華経に造詣の深い人として頭に焼き付いた。

いらいこの人を注目するに至っている。インド思想、仏教思想論やサンスクリット語をかの中村元先生のもとで学んだ後、男性として初めて御茶ノ水女子大で人文科学博士号を取得。5年ほど前には、『梵漢和対照・現代語訳 法華経』上下二巻を完成され、毎日出版文化賞を得られた。朝夕法華経の最重要部分を読誦してはいるものの全貌を抑えたとは言い難い私などにとって驚異としか言いようがない凄い人である。これまで『仏教のなかの男女観』などあれこれ著作が世に出ているのに知らなかった。中村先生亡きあと、数少ない本格的な法華経研究者だろう。

通常の給与生活者としての仕事の傍らの研究・翻訳作業で、深夜までの作業の連続は30年に及んだという。恐らく今は30歳前後とみられる娘さんが、高校生の時に「私は、生まれてからこの方ずっと、父親というものは、仕事から帰ってくると勉強するのが当たり前だと思ってきました」との作文を書いたことを紹介している。奥さんや義父に漢訳の書下ろしやコンピュ―ターへの入力作業を手伝ってもらったことなど、家族総出の姿が涙ぐましく微笑ましい。この人の人物像に迫るには『思想としての法華経』の序章を読むに限る。学問というものにどう迫るか、自分の頭で考えるということはどのようにすればいいかが分かってくる。法華経とは何なのかということーそれは前掲の『法華経』下の末尾にある解説が手引きとなるーとは別に、若い人たちがそれぞれの道に進むに当たり、参考になる実践法がそこはかとなくくみ取れる。

さて、21世紀の世界に生きる人間の進むべき方途が、仏教に明かされているとの指摘は特に目新しくはない。ただ、前回見た梅原猛氏に代表されるように、西洋哲学及びそれと表裏一体のキリスト教への必要以上の遠慮やら敵愾心が相俟って、一般的には共有されるに至ってていない。植木氏の出発点は、仏教の教えが間違って捉えられているのではないかとの問題意識だった。「北枕」の例(私たちの世代は親から縁起が悪いとして教えられた)など文化的誤解の幾つかをあげ、いかに仏教の本質理解を妨げているかを示す。確かに、信仰の対象としての仏教を取り巻く事態は霧の中であるという他ない。相当な知識人であっても、こと仏教に関しては(宗教全般にいえることだろうが、特に)疎い人が殆どだ。西洋哲学に強い関心を持つ学者が、私との会話の中で、法華経なるものは、現実とはかけ離れた荒唐無稽なおとぎ話的なものの羅列だと思えてならないと言っていた。残念ながら思想、哲学としての仏教、法華経は殆どと言っていいほど人口に膾炙していないのである。

こうした状況を前に、植木氏は「思想としてとらえ直した時、新たな意味と価値が見いだされる」として、文明の衝突が危惧される今日、「『法華経』の止揚の論理、寛容の思想がもっと注目されていい」と強調する。ほぼ50年に亘って法華経、なかんずく日蓮仏法を実践してきた私にとって、我が意を得たりと、共感する。同時になまかじりの身には‘’日暮れて道遠し‘’を実感せざるをえない。様々な意味で覚醒もさせられる刺激的な「植木ワールド」の展開に心ときめく思いがする。

『仏教、本当の教え』は、副題に「インド、中国、日本の理解と誤解」とあるように、比較文化論に主力が注がれており、決して押しつけがましくない。ただ、私にはむしろそれが物足りなく思われる。例えば、日本の仏教といっても間口は滅法広い。この書では、親鸞や道元、日蓮の漢訳仏典の読み替えという興味深いテーマに触れているものの、それぞれの宗派の比較などには頁をさいていない。日蓮の思想に関しては、「日蓮が言うのは、今現在という瞬間に、生命の本源としての無作の仏の生命をひらき、智慧を輝かせる。そこに、瞬間が永遠に開かれる」とか、「仏教が志向したのは、<永遠の今>である現在の瞬間であり、そこに無作の仏の命をいかに開き、顕現するかということだったということを日蓮は主張しているのであろう」などといった時間論に触れるに留まっている。『思想としての法華経』にしても同様だ。ぜひ、この次には日蓮仏法の意味するところに迫ってもらいたい。(2013・11・25)


4.さらに安部龍太郎さんの毎日新聞の寄稿があった。

「30年前のインド体験と等伯の世界」

等伯を書く上でもっとも苦労したのは、法華経との関係をどうとらえるかということだった。

等伯が生まれた奥村家も、養子に行った長谷川家も熱心な日蓮宗の信徒である。寺や檀家の求めに応じて仏画を描く絵仏師だった。等伯も若い頃に日蓮上人像や十二天像などを描いて、今も北陸地方の寺などに相伝されている。

京都に出てからも日蓮宗本法寺に寄宿し、日堯上人像や巨大な仏涅槃図に取り組んでいる。縦十メートル、横六メートルの涅槃図の裏には、日蓮上人から始まる後継者たちの系譜と、家族や親族の名が書き込んであり、等伯の並々ならぬ信仰の深さをうかがうことができる。

等伯の画業も、人生の苦難を乗り切る強さも、信仰に支えられていた。それゆえこのことを深く理解しなければ、等伯の画業の真実に迫ることはできない。

そう思って法華経の勉強を始めたが、これがとてつもなく難しい。岩波文庫版を読もうとしたが、用語、用法が難しくて何を書いてあるかさっぱり分からなかった。

どうしたものかと頭を抱え、旧知の文化部記者に法華経に詳しい人を紹介してほしいと泣きついた。すると彼は、「それならうってつけの人がいます」と言って、植木雅俊さんを紹介してくれた。

植木さんは四十歳の時に、法華経を理解するにはサンスクリット(梵語)を勉強しなければ駄目だと一念発起し、十年間の語学勉強の上に八年間の翻訳期間を重ね、五年前に『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(岩波書店)を上梓された。

これは第六十二回毎日出版文化賞に輝いた労作で、まるで演劇の台本のように面白く読むことができる。

なるほど古代インドの人々は、こんな問題意識をもってブッダの哲学と向き合っていたのかと、感激したり驚いたりしながら読み進めるうちに、ここに描かれている世界はかつて体験したことがあると思い当たった。

今から三十年前、深い悩みと苦しみを抱えてインドを旅した時のことだ。

人力車夫(リクシャワーラー)や物売り、物乞いにつきまとわれながら旅をつづけ、ブッダガヤの埃っぽい道を歩いていた時、頭の殻が割れたように忽然と分かったことがある。

人間は在りのままで尊い、人間の生き方んび善悪優劣はない、ということだ。そして全宇宙につながっている充実感とえも言われぬ歓喜が突き上げてきた。

(何だろう。この感覚は)

それを突き止めたくて、帰国後にインド関係の本を読みあさった。そうしてヒンドゥ世界が梵我一如と輪廻の思想を基本として成り立ち、ブッダがそれを母胎として新しい世界観を確立したことが分かった。

(それなら仏典にもボクがインドで感じたことと同じことが書かれているはずだ)

そう思っていくつかの経典に当たったが、難解な漢訳言葉にはばまれて目的を果たすことができなかった。

その探し求めていた世界が、植木さんが訳した『法華経』の中にきらびやかに広がっていた。
そして等伯の「松林図屏風」も、そうした世界観に裏打ちされて成立したことが、ぼんやりと分かり始めたのだった。(安部龍太郎は『等伯』で第148回直木賞)
『毎日新聞』2013年01月24日(木)付・夕刊。


5.等伯は宮沢賢治に通底する。また、等伯の幽玄な松林図屏風をみると、いつも「こころはさながら絵師のごとく」という華厳経の言葉が思い浮かぶ。



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Comment

植木先生、ありがとうございます。
編集
植木先生、コメントをくださり、ありがとうございます。
実は、昨日から『仏教、本当の教え』を読み始めたところで、
とても驚きました。不思議な感じがいたしました。

『仏教、本当の教え』は、まだ途中ですが、「心の師」のこと.
「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」の訳に、
深く感動いたしました。

少しずつ、買い求め、座右におきたいと思います。

私事で恐縮ですが、
2010年5月に大腸がんステージ3bになったり
2014年12月に第二子、次女が生まれ、いろいろなことが起きていて
すっかり、植木先生にお会いする機会を失っておりました。
大腸がんは5年目で、幸い、転移はありません。

植木先生のご講演があるようでしたら、
是非、受講したいと思っております。

重ねて、ありがとうございました。


2015年04月25日(Sat) 12:58
久しぶりです
編集
久しぶりに、貴ブログを拝見しました。
安部龍太郎さんと私のことを書いてくださってありがとうございます。
『梵漢和対照・現代語訳 法華経』上下(岩波書店、2008年)を出版した後は、『梵漢和対照・現代語訳 維摩経』(岩波書店、2011年)に続き、『仏教、本当の教え』(中公新書、2011年)、『思想としての法華経』(岩波書店、2012年)、『仏教学者 中村元――求道のことばと思想』(角川選書、2014年)、を出版したのに続き、『梵漢和対照・現代語訳 法華経』の現代語訳だけを取り出して、日本語として読みやすい文章に改めた『サンスクリット原典現代語訳 法華経』上下(岩波書店、2015年)を出版しました。
2015年04月24日(Fri) 23:18












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