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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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車の運転は、、

沖縄の首里城が全焼してしまった。
魔の仕業か、何か因縁がある気がする。早速復旧を言い出した沖縄県知事にも、違和感がある。いささか拙速ではないか、責任の所在と原因究明が先だろう。

今年はパリのノートルダム寺院も火災にみまわれた。

外国人技能実習生監理団体の車を、頻繁に乗るようになって分かったが、、

車の運転は、わたしの場合、明らかに自律神経を痛める。目の奥が疲れる。
自転車のスピードは、ランニングのスピードの延長に留まり、目に疲労感はないが、、車のスピードはそうはいかない。
運転は時間認識が変容するのではないか。

マイカーなど要らない。まして高級車など、ステータスのような魅力を感じない。
軽自動車で十分だ。今、団体のダイハツのキャロルに乗っているが、ゴーカートみたいで、愉快だ。

うまく言えないが、カラダの分子レベルで、アインシュタインの相対性理論があてはまるような気がする。

突拍子もないが、UFOをドライブする知的生命体は、その身体は相当疲れるのではないか?と想像してしまう。

さらにうまく言えないが、一定のスピードを超えて運転すると、人は「車の内部空間を通じて、時間の中に入って行くのではないか?その状況は『持続』を求められるが、同乗者には『持続』はない」と。
多分、電車の運転手にも持続がやって来るが、私達乗客には持続はなく、車内という空間があるだけだ。リニア新幹線が開通したら、この現象はさらに如実になる。

持続とは時間の本性のこと。最近、ベルグソンを再読しているので、そんな思いがよぎるのだ。


さて、疲労感を生じないようにするには、どうしたらいいか?
深呼吸し、軽く体操してから乗る。焦らないこと。直前の黄色信号は慎重に、とか。

このブログは、ほとんど訪れる人がおられなくなったが、それで、、いいのだ。

今日で65歳になりました

1.今日は朝から晴天で心地よい。でまずはブログからはじめよう。

今朝、いつもと同じように、次女を自転車の後部座席に乗せ、ミニ薬研坂を登って、左側の木造2階建ての2階ベランダを見上げたところ、左隅の縁に座ってこちらを見ている「ベランダ猫」のび太に遭遇できた。
久々のお目見えで、やぁ元気だったか?と親子二人で歓声を上げて、手を振った。のび太はとてもいいポーズをしていた。なので、いったん家に戻り、スマホをもって駆けつけてみたものの、もうのび太は家の中に入ってしまって後の祭り。「スマホを持っていたら、よかったじゃない」と次女。やや残念。

2.たまたま、昨日で50日出勤した監理団体から休日を貰ったが、、本日で、わたしは65歳になった。これからはフルの国民年金も支給されることになる。支給繰下げなど、しない。

法的には、前期高齢者のカテゴリーに入ったわけだが、実感がない。
でも、たしかに自律神経は疲れている。

でも、二つの大病を乗りこえ、二人の娘を持て、まぁ、よく生きてきたな、、と。

長女が学校に行く前、
「今日は誕生日だね」と言ってくれた。
その言葉だけで、十分だ。
もののプレゼントより言葉のそれで、
十分なのだ。

3.今しがたまで、
外国人実習生の作文コンクール、
優秀作品をいくつか読んでみたが、、
感動した。どの国の人も、
いい心根を持たれているな、
と感心した。

監理組合で実習生に、
わたしが教えることは、
ココロ、カラダ、オカネを軸に話している。その中で、ココロの話が難しい。
わたしとしては、
レジリエンスを伝えたいのだが、
彼らの腹にどれだけ落ちるか、
こころもとない。

そこで、前述の作文を教材にしようと、
今、決めた。

4.昔少し読んだだけで、
図書館に返してしまった
「禅とバイク」(ハヤカワ文庫から『禅とバイク修理技術』という、売れなさそうなタイトルで出ている。)
を再び、借りて読むことにしたい。

人類学者、長谷川眞理子さんが
この本をこう紹介していた。
これは、一言で言えば文学的な哲学入門のような本だ。
中年の男が小学生くらいの息子と一緒に、アメリカの荒野をバイクで、旅行する。
彼らの過去の人生の追憶などが断片的に語られる中、人生や自然や世界について、ソクラテス、パスカル、ポアンカレなど、主流の西欧哲学者たちが何を言っていたか、それがどういう意味なのかが、この男のバイク運転中の孤独な思索として分析される。東洋哲学と禅も出てくる。
さしはさまれるアメリカの美しい自然の描写と、男と息子の関係も、物語に起伏をつけている。私はそれまで、さまざまな哲学者の思索全体を俯瞰したりしたことはなかった。哲学の思考の全体に触れたのは、これが最初だった。
この本は何度も読み返した。捨てがたい思い出の本である

いかにハヤカワ文庫、その邦訳のタイトルに違和感があるか、、お気づきいただけるだろう。

なのために再読するのか、、それは
自分の思考をカタチにしたいからだ。
その方法として、まずは、
この本のマネから始めてみよう、、
そう思った次第。
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2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
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