折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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自己に会う難しさ

平成2年ころの新聞記事の切り抜きが出てきた。たぶん日経新聞だろうが日付は不明だ。自分がC型肝炎にかかったころの新聞記事に違いない。掲題の、哲学者下村寅太郎(1902〜1999)が語ったことを、とっておいたのだ。以下そのまま載せることに。

下村寅太郎の名は知っていたが、その本は読んだことがなかった。それなのに、なぜか切り抜き、、残したいと思ったのか、記憶はない。でも、て今、このテーマは身近な問題として、感じていて、合点がいくのだ。

自分と出会う

今は「自分と出会う」といわれるが、私どもの青少年時代には(「明治は遠くなりにけり」というその「明治」だが)「立志」といわれたものに当たるであろうか。

「立志」には「立志出世」の匂いがあったが、今いう「自分に会う」にはいささか内面性がある。しかし、十年後にはどういう言い方が登場するだろうか。

私の青年時代にーー今もって青年のつもりだがーー数理哲学の勉強から始めた。特別に数学が得意であったわけではない。自分のセンチメンタリズムに腹を立てて、それの克服ための「苦行」としてであった。苦行のための勉強とは奇妙な仕わざだが、青年の理想主義とでもいうべきものであろう。

青年時代は誰でも理想主義者である。無鉄砲の理想主義は青年の心情であり、信条でもある。その理想主義は挫折したり霧消したりするのが常例であるが、動機に嘘はない。苦業をあえてすることは情熱であり、情熱に成敗利鈍に悔いなしの歓喜がある

「数学者」に対する憧憬は今なお残存する。もっともその数学は、当世の専門化した形式的な数学ではなく、数学的神秘主義にもつながる古典的数学である。天才的な数学者の伝記は、今なお魅力があって愛読する。学問は、専門的になると香気を失いやすくなる。

学問が自分に出会う門になったのは、良師に恵まれたことによる。

「自分に会う」とは、自分が未だ必ずしも自分自身でないことによる。奇妙なことだが、事実である。毎日、起床すると顔を洗う。鏡に顔がうつっているが、自分に会っているとは思わない。たまに見つめることがあっても、いつも「嫌なやつ」と思うだけである。

これは自分と会っていながら、会っていないことである。自分は外にいるのではなく、自分の中にしかいない。言いふるされた足下を見るということにすぎない。しかし、それにもかかわらず、この自己に会うことは至難の業といわれるのである。

「億劫(おっこう)相別れて
而(しか)も須臾(しゅゆ)も離れず、
尽日(じんじつ)相対して而も
刹那(せつな)も対せず」
という有名な古語がある。
これは大変なことなのである。しかし、実際には日常不断に経験している事実である。

我々は眼でものを見ながら、見る時、眼を意識しない。聞く時、耳で聞きながら耳を意識しない。考える時、言葉で考えるのだが、言葉を意識しない。我々は日本語で思惟しながら、日本語を意識しない。話でも文章でも必ずしも主語を必要としない。省略しながら、省略に気づかない

アメリカの日本文学の専門家として有名なヴィリエル氏が、田辺元博士の有名な論文「死を忘れるな(メメント・モリ)」を英訳した時、「主語を探す」ことに最も苦労した、と告白したのに驚いた。田辺博士は論理的思惟の厳格で著名な日本の哲学者で、我々の読み慣れた論文であるが、主語を探した経験は殆どない。西洋人が読むとこれに苦心せねばならぬのである。

日本語で読む我々は、日本語を意識しない。これは、毎日自分の顔を見ながら、自分に会っていないのと同様である。

西田幾多郎先生の原稿は清書されたように奇麗である。添削も消し字もない。いつかこのことを先生に言ったら、「わしの論文は一本勝負だ」と言われた。

以上。およそ30年前、「自分と出会う」という言葉が取りざたされていたっけかな、、

少し前だか、「自分探し」という言葉がよく言われた気がする。そういえば、2歳4ヶ月になる次女は「ジブン、ジブン」をよく口にする。 長女はときどき自分の名を、話し言葉の中で、主語にする、、私の子どもの頃には、そういう子はいなかった。あっ、テーマとはそれて行くな。。

このブログにしても、「自分に出会う」ための時間をかけた「仕掛け」なのかも、しれない。
今はわからなくても、10年後、20年後に出会ったことに気づく、、そういうこともありえるだろう。あぁ、そう思ったら合点がいくことが、、

直腸がん手術後の2010年5月27日の夜明け前に、私は、自分に出会っていた、のかもしれないのだ。まったく上手く言葉できないが、深刻な手術の後だっただけに、幽体離脱のような体験ではなかったが、、

不思議な感覚に遭遇した。しいて言えば、離脱ではなく逆で、少し、身体の奥に入るというか、、建物で言えば半地下のようなところような、身体の下というか、自分が沈んでいる自分がいるのだ。そして猛烈な閉所恐怖症に見舞われ、呼吸が一気に苦しくなった。

それは「なんだかんだ、俺って、このくりかえしだったなぁ」という、忸怩たる思いに似た、ネガティブな心象風景だった。

その日を「5.27」と、ひとり名付けることにしよう。名付けることで、ひとは自分に出会うのではないか?


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