わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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わがワークシフトとライフシフトのこと

以下はコピペのメモである

「ワークシフト」の著者リンダ・グラットンの分析、論理的提言

個人個人が未来の世界でニーズが高まりそうなジャンルと職種を選び、高度な専門知識と技術を身につけることが不可欠。

ただし、高度な専門技能を習得するには1万時間という膨大な時間を要するという説もあり、仕事で時間に追われている限り、なかなか身につくものではない。

独立してミニ起業家になるといった選択

大量消費社会に終止符が打たれるかもしれないのだ.

仕事の世界には3種類の『資本』が必要とされる。明るい未来を切り開くためには、これを『シフト』させなければいけないというのが本書の提言だ。

まず第一に「知的資本」のシフト。
昔は幅広い分野の知識と技能をもつゼネラリスト的な人材が評価されたが、グローバル化が進展した未来では、同程度の能力をもつ人が世界中に大勢いるため、専門分野の技能を深め、自分を差別化しなければいけない。これが「第一のシフト」である。

第二が「人間関係資本」のシフト。
職場の人間関係がなくなり、孤独が深まっていく未来の世界では、生活に喜びを与えてくれる深い人間関係や、多様な情報や発想に触れる広く浅い人間関係など人的ネットワークを意識的に築いていかなければいけない。こうした人とのつながりによってイノベーションを成し遂げる姿勢。これが「第二のシフト」となる。

第三は「情緒的資本」のシフト。
古い仕事観では「仕事」とは単にお金を稼ぐことを意味していたが、前述のアメリカ人夫婦(バングラディシュでボランティア)のように、どのような職業人生を送りたいかを真剣に考え、情熱を持って何かを生み出す生活に転換すること。これが「第三のシフト」だ。


2.さらに、リンダ・グラットンは「ライフシフト」を書いた。以下もコピペ

今回のテーマは「100年時代の人生戦略」である。
これからを生きる私たちは、長寿化の進行により、100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすこととなる。新しい人生の節目と転機が出現し、「教育→仕事→引退」という人生から、「マルチステージ」の人生へと様変わりする。それに伴い、引退後の資金問題にとどまらず、スキル、健康、人間関係といった「見えない資産」をどう育んでいくかという問題に直面するというのが著者の見方だ。ロールモデルもほとんど存在しない中で、新しい生き方の実験が活発になることは間違いない。また、生涯を通じて「変身」を続ける覚悟が問われると言ってもよい。

今後どんな時代が訪れ、どんな生き方を模索すればいいのか。その際、どのような有形、無形の資産が重要性を増すのか、どんな人間関係を築いていけばいいのか。企業や政府が取り組むべき課題は何か。本書は、こういったテーマと向き合うための手がかりを、豊富な「人生のケーススタディー」とともに与えてくれる。読み進めるにつれ、「自分は何を大切に生きているのか」「何を人生の土台にしたいのか」と自問せずにはいられないだろう。
これまでの成長至上主義から脱却し、自分らしい人生の道筋を描くための羅針盤として、何度もお読みいただきたい。 (松尾 美里)


3.さて、62歳の私はどうとらえるか。現在、下流老人のカテゴリーに入るのだろうが、病気を克服し、働く意志は十分ある。子どもは小さいのが二人。家内は連日、怒りっぱなしだ。病気は過去のこと、考慮など微塵もない。さてさて、、

この先、死ぬまで、健康を保ち、ずっと変容し、生成し続けること、、西荻窪の安藤久蔵さんが、目指すモデルだ。安藤さん106歳になられたはず、、どうしておられるだろうか、、

4.1980年から約3年間働いた、新橋にあった中小企業は、2013年5月に倒産していた。原因はおおよそ見当がつく。そこに居続けていたら、還暦間近までいることになり、いっそう悲惨だった、、ことだろう。その頃の人の顔が浮かぶ、みなさん健在だろうか、、

一生同じ会社にいるなんて、いよいよ、昭和の共同幻想になるだろう。

乾癬、貞永式目その他雑感

1.今年はまだ四分の一を過ぎただけだが、今年の流行語大賞に「忖度(そんたく)」がノミネートされるのではないかな。もしかすると、民間もそうだが、中央官庁のような権力の集中する環境においては一段と、安倍首相をはじめ上司に気に入られたいと、忖度すること、そのことこそが、犯罪や逸脱に走らせる大きな原因なのではないか?と素朴に思えた。

それにしても100万円の寄付行為の有無がこれほど真っ向から対立することなんて、あるのだろうか、安倍さんの選挙区外であり、刑事訴追になるわけないわけで、「藪の中」には何もない。野党が安倍さんの道義的責任の追及に、躍起になっているだけだ。

2.ハーボニーを飲み終えたのが2016年2月8日で、1年以上経過したが、ここに来て体重が67kgと3kgくらい重くなっている。原因はまず、肝臓の正常化によると考えているが、歩かなくなっているから運動不足にも、あるだろう。。

胴回りにぜい肉ついている。還暦をすぎ、やたら体重が減ることは好ましいことではないとわかっている。65kgくらいがいい。

年をあけた頃から、やや乾癬が目立つ。体重の増加と少し関係があるのでは、と思っている。ヘパリン類似物質というクリームは、やはり塗らないといけないな。

3.長女は小学5年が終業し、4月から最終学年になる。担任の田代先生も、どうやら代わる感じがする。たぶん当初採用された品川区か、戻るのではないかと思う。その方がご自宅から近くなるだろうし、ご自分の子どもの、保育園の送り迎えがラクになるにちがいないと推察。

4.2歳の次女は、ずいぶん言葉を覚えてきた。「なんだこれ~」「じぶん、じぶん」「アンパンマン、書く~」「はんぶんこ」「あーさいよ(うるさいよ)」、、、今家でのお気に入りは、勉強用の椅子に乗り、回転させることだ。目が回るのがおもしろいらしい。

5.今、本は鎌倉時代の華厳宗の明恵という僧侶について、読んでいる。心理学者の河合隼雄が書いた「明恵、夢を生きる」が、おもしろいのだ。

明恵は清僧だった。それは死に際でわかる。その立ち居振る舞いが美しい。こうだ、、
「今ハ臥シヤスムベシ、ソノ期近ヅキタリト覚ユ、カキオコスベカラズ」と言い、右脇臥に臥した。

弟子の定真が「ソノ期スデニ近ヅキ給ヘリト見ユ」と告げると、目を見開いて 「其ノ事ミナ存知スルナリ、又年来習学シテ 思惟観察セシトコロノ法門 コトゴトクミナ心ニ浮ビテ 一事モワスレザルナリ」と言って目を閉じた。

弟子の喜海が枕元近くによってくると、かすかな声で明恵は「我、戒ヲ護る中ヨリ来ル」と告げた。これが最期の言葉だった。そうして

「其ノ後ソノ形チ 歓喜ヲヨソヲイ タチマチニ顕ハレ、 微咲ヲ含メルガゴトクシテ エンゼントシテ寂滅ス、春秋六十埃 、同廿一日夜、禅堂院ノ後ニ葬斂(そうれん)ス、ソノ間 形色 アヘテアラタマラズ、眠レルヨソヲヒニ コトナラズ、又十八日の夕方ヨリ異香恒ニ匂フ、諸人多ク嗅グ、葬斂ノ後両三日の間、異香猶ヲウセズ」


明恵は命懸けで、多くの人、とりわけ多くの女性たちをを助けた。法華経の行者でなくても、現象として、成仏相は疑いないだろう。陰徳あれば陽報ありの人生。

新鮮だったこと、貞永式目をつくった執権、北条泰時は明恵を、人格的に、心服していたことだ。貞永式目は「ただただ道理をあらわしたのだ」と北条泰時は、北条重時宛への手紙に書いている。くわしくはこうだ、、

多くの裁判事件で同じような訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし、身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目である。京都辺りでは『ものも知らぬあずまえびすどもが何を言うか』と笑う人があるかも知れないし、またその規準としてはすでに立派な律令があるではないかと反問されるかもしれない。しかし、田舎では律令の法に通じている者など万人に一人もいないのが実情である。こんな状態なのに律令の規定を適用して処罰したりするのは、まるで獣を罠にかけるようなものだ。この『式目』は漢字も知らぬこうした地方武士のために作られた法律であり、従者は主人に忠を尽くし、子は親に孝をつくすように、人の心の正直を尊び、曲がったのを捨てて、土民が安心して暮らせるように、というごく平凡な『道理』に基づいたものなのだ。

山本七平は貞永式目は日本的革命のエッセンスなのだと指摘している。世界的に見ても希な法制だったとし、思想的バックボーンに明恵がいたと山本七平は見切っている。実に新鮮。

明恵は、日蓮が10歳になったときに亡くなったが、二人には通底するものがあったと、わたしはみている。明恵が親鸞のように90歳まで生きていたなら、二人はきっと対面していたはず、、華厳は深淵であり、日蓮はさまざま引用されておられる。もし対面していたたら、にぎやかに、華厳対法華の、深くかつ真剣な宗論を交わしていたと思う。

これはわたしの勝手な史観だが、道理の一端である貞永式目が日蓮を法難から守ったのだとみる。
竜ノ口で、日蓮が首をはねられる法的根拠なぞ、貞永式目にはなっかったのだ。弟子の四条金吾に書いた「仏法は道理」という日蓮の言葉と、北条泰時の「道理」は響きあうものがある。明恵と北条泰時と日蓮という系譜はあるように、感じる次第。

やっぱしハイファイセットはいい

「知恵袋」の問いにこういうのがあった。

このCMソング知っていますか?
昔の明治のアーモンドチョコのCMで、「風~と虹~は、鳥~と森~は、夢~と歌~は、いい友~」という曲があったと思うのですが、このCMソング知っていますか?歌手名と曲名がわかりません。誰か教えてください。




というCMだが、知恵袋の回答はマトを得ていなかった。

それにしても、懐かしい。CMソングだから全貌はわからない。というか、オリジナルCM曲であって、「全貌はない」ことを知っている。実は、作曲した人は堀口和男という、わたしの高校時代からの友人だった。

歌っているのはハイファイセットの山本潤子さんと、教えてくれた。この曲はたしか堀口のだったよな、と思い出し、さっきショートメールでやりとりして確認した次第。こうだ、、

「あのさ〜、昔のCMで、明治チョコレートの、風と虹と、で始まる曲は、堀口の作曲だったよね?」

『そうよ』

「あらためていい曲だと思いました。で、誰が歌ってるの、あの女性の声は?」

『ハイファイセットよ。』

「やっぱし、納得です。ハイファイセットは、なんだかんだ、やっぱりいい。ありがとう」

『こちらこそ、ありがとう。その曲忘れてた。』

堀口は80年代の終わりの短い期間だったが、REICOというデュオをやっていた。相方は田口俊という人だった。アルバムを二枚作ったと思う。

あぁ、次第に思い出してきた。西新宿のホテルで田口俊氏の結婚式に出たのだ。ユーミンがいて、ハイファイセットが来ていた。そういえば「水色のワゴン」の作詞は田口俊だった。堀口が運転するクルマのなかで、その詞がうまれたときの模様を、田口さんは話してくれた。その目は遠くを見つめキラキラしていた、、あっ、詩人の目だな、、

水色のワゴンが 追いこしていったら
思わず声あ 夏の高速
海がえりの車 ゆっくりかきわけて
ふるさとのナンバープレート どこまで行くの?

このままずっと 追いかけたいね
懐かしい街角 とおってきたの?

結婚式の招待状が
5月に あの子から 届いたきりね

初恋や卒業 いろんな思い出が
スモールランプ浴び 流れてゆくよ

古い仲間と電話のあとは
アクセントがかわるって笑うあの人

このままずっと 追いかけたいね
懐かしい街角 行ける気がして

出口まで3km ワゴンともおわかれ
渋滞の都心へもどってゆくよ

水色のワゴンが 運んできてくれた
生まれた街の風 夏の高速
Wonderful Summer
Twilight Free-way

作詞 田口俊
作曲 山本俊彦




戻る、、その結婚の宴で、ユーミンは蘇州夜曲を歌われた。ハイファイセットの三人もアカペラで歌っておられたが、曲名は覚えいない。なんとまあ近くで、聴けたことなのだろう、、

わたしの青春は、ハイファイセットの歌ともにあったんだな、とあらためて気づいた。ユニゾンでなく、ハーモニーとはこういうコーラスでないと、内部に沁みわたっていかない。

いま、そばにいた11歳の長女が、「昭和っぽい」と言って遠ざかっていったが、、この懐かしさがわかるわけない、、

追記、、最初のCM曲に戻る。歌詞は誰なのか知りたくなった。

「おはよう、昨日のCMのことだけど、あの作詞は誰がしたの?」

『作詞は田口だよ。』

「ありがとう!そうか二人でやっていた頃のオファーか、、いやいや、いい話のオチだ。今ね、そのことをブログに残しておきたくなったんだ、、あのCMがいいと思う人が、たぶん、きっと、いるからね、、」

宮本百合子とマルグリット・オードゥー

2月19日、長女の合唱団の発表の付き添いで帰りに、東府中駅にのったとき、反対側の席で、宮本太郎氏が新書本を読んでいるところに遭遇した。ずいぶん前に亡くなられた宮本顕治氏のご子息で、どこかの大学教授だが、顕治氏の政党を支持されてはいない。宮本太郎氏は細面で、身長は180センチくらいにみえた。宮本顕治氏の後妻のお子さんのようだ。先妻の宮本百合子さんとの間にはお子さんはおられなかったわけだ。

そのころキンドルで、宮本百合子の「知生の開眼」を読んでいたので、瞬間、ささやかな共時性を感じていた。で、その本の冒頭に、結論が出ている、、こう書かれている。
知性というとき、私たちは漠然とではあるが、それが学識ともちがうし日常のやりくりなどの悧巧さといわれているものともちがった、もう少し人生の深いところと関係している或るものとして感じとっていると思う。教養がその人の知性の輝きと切りはなせないように一応は見えるが、現実には、教養は月で、知性の光を受けることなしにはその存在さえ示すことが出来ないものと思う。教養ということは範囲のひろい内容をもっているけれども、そういう風な教養は外から与えられない環境のなかで、すぐれたいい素質として或る知性を具えているひとは、その知性にしたがって深く感じつつ生活してゆく間に、おのずから独特な人生に対する態度、教養を獲えてゆくという事実は、人間生活の尽きぬ味いの一つであると思う。
 この人生への愛。ひとと自分との運命を大切に思って、そこから美しい花を咲かせようとつとめる心。そのためには自然欠くことの出来ない落付いた理性の判断と、柔軟溌溂な独創性、沈着な行動性。それ等のものが、知性と云われるもののなかにみんな溶けこんでいて、事にのぞみ、場合に応じ、本人にとっては何か直感的な判断の感じ、或はどう考えてもそうするのが一番よいと思えるというような感情的な感じかたで、生活に作用してゆく。知性というものは抽象の何ものでもなく活々としてしなやかなダイナミックな生活力そのものにつけられた名である。


そうしてこの本の中で、マルグリット・オードゥー(フランス語:Marguerite Audoux)というフランス人女性作家をとりあげている。自分のためだけに小説を生涯で3冊、書いたという。1863年7月7日 - 1937年1月31日の一生だった。宮本百合子さんは、次のように紹介し、作家の知性のありようを示されている。

オオドゥウは中部フランスの寒村に生れた孤児みなしごであった。育児院で育てられて、十三歳からノロオニュの農家の雇娘で羊飼いをした。巴里へ出てからは十九歳の裁縫女として十二時間労働をし、そのひどい生活からやがて眼を悪くして後、彼女は自家で生計くらしのための仕立ものをしながらその屋根裏の小部屋の抽斗の中にかくして、「ただ自分一人のために」小説をかきだした。それが「孤児マリイ」であった。つづけて「マリイの仕事場」を書き、「光ほのか」は一九三七年彼女の死ぬ年脱稿された。どの作品でも、オオドゥウは寄るべない一人の貧困な少女がこの世の荒波を凌いで、俗っぽい女の立身とはちがう人間らしさの満ちた生活を求めて、健気けなげにたたかってゆく姿を描いているのであるが、最近出版された「マリイの仕事場」は、オオドゥウの人生に対するまともさ、暖かさ、健全な怒りと厭悪、働いて生きてゆく女、人間として現実を見ている眼の明晰さが、最も美しくあらわれている作品だと思う。オオドゥウの、そのままで一つの物語をなしているような生涯がそれだけで彼女にあのような作品を書かせているのではなく、物語のようでさえある生活の様々の推移の場面で、彼女がそこに何を感じ、何を身につけて生きて来たかという、その生きかたの窮局が、彼女に彼女にしかない生活のみのりをもたらしているのである。

この女性作家の存在は驚きだった。早速、図書館の検索をかけたが、単独では出てこなかった。堀口大学全集のどこかにあるのかもしれないが、、読みたくてたまらなくなり、Amazonの中古本で「孤児マリ-」を購入することにした。

ウィキペディアによると、彼女の最期は不遇のうちに亡くなったが、その素朴な作品は写実的で、「何故あんなに美しい物語を書けるのか?」と言う質問に対し「あたし、なんにも知りませんの。あたし、なんにも学んだことがないんですの。ただ、あたしは、夢想することが好きでした!」と答えるだけだった、とあった。ますます、読みたくなった。

子宮頸がん予後はさらに

1.小学5年の長女が日曜から高熱を出し、インフルエンザB型とわかった。わたしが看病していて、今日で3日目、依然として38度だいの発熱で、闘いは続いている。学校に行きたいとつぶやいていた、「人生で、小学校のいまが一番楽しいときだと思う」と。

2.長女にスマホを与えることにした。有害情報を遮断できるファクタリング機能があるもので格安のものだ。そのスマホはアンドロイドだが、手にしてみると、けっこう気にいった。

そこで、これまでソフトバンクで、iPhone5cを利用していたが、もうiPhoneもソフトバンクもやめると決めた。
ズバリ、この国の大手三社は、スマホの高コストが甚だしいと、よーくわかったからだ。

もういい、、今までのような、アップル製品に固執する意識は、この際、うっちゃってしまおう。そう今朝決めて、自分のスマホも、格安のアンドロイドものを購入した。更新月は来年1月なので、ソフトバンクの中途解約のペナルティで1万3千円は支払うが、切り替えた方が、ペイするのだ。

3.子宮頸がんの友人の手術後の検査結果をlineで、やりとりして確認した。軽い手術だったと書いてきていたので、安易に考えていた。やはり、そんな甘くはなかったのだ。がんがさらに膣の奥にもあったようだ、その厳しさを痛感した。こう書かれてあった。

憶えてくれててありがとう!
昨日、手術の結果が出たんだけど、ホンモノの癌がありますって言われたよ。
癌がちょうど3ミリあってまだ膣の奥の方にもある可能性があるんだって。

だから一ヶ月以内に更に深く削る円錐手術か、もしくは三ヶ月後くらいまでに子宮摘出手術をするか先生達が来週までに検討することになった。ただ他に転移してないのかどうかまだ確認してないんじゃないかと思うんだけど、昨日は聞き忘れちゃった。

子宮摘出と言っても卵巣は残すからホルモンバランスが崩れて術後の不調はあまりないだろうという先生の話だったけど、あるべき臓器を摘出して何も起こらない訳がないだろうから、そのあたりの決断に悩む。。。


冷静で、決断力のある女性だが、さすがに奥にもとなると、医者の見立てには、動揺したことだろう。

さてこの事態に、友人として、どう対話しようか、とあれこれ思い、考えている。
ふと、この女性が小学校時代に、男の児童から「おまえは大人になったら水商売していると思う」と言われ、、絶対になるものかと決めた、、という話をしてくれた、そのことを思い出した。そういう「生命の傾向性」をその男の子は感じて言ったのだろうか、、なんとなくわかるのだ。最初の頃の印象は、水商売をするというより、遠い昔の花柳界にいそうな風情を感じていたからだ。あたらずとも遠からずだなと、その話を聞いていて、記憶に残っているのだろう。あっ、そういえば夜の銀座を歩いていて、人間違いされたとも言っていたな、、

さて、どうしよう。女性のがんは想像が難しい。ただ究極的に、その病全体を「業による病い」と見定めないと、反転攻勢の軌道にのらない気がするのだ。月並みだが因果はめぐると、こころの中のナラティブとして読み取らないと先の展開がみえてこない。7年の前のわが直腸がんは、わが業病そのもだったなと感じ切ったから、そう思う次第。

さて伝わるか、、そして彼岸に委ねるのではなく此岸で業と向き合わないと、スパイラルはおさまらないだろう。

感想「ひとたびはポプラに臥す①」

さて掲題の作家、宮本輝氏の西域紀行エッセイ6冊のうちの①を、遅ればせながら、二週間かけて読了した。朝、モモの散歩のときに集中して読んだのだ。そこでAmazonのレビューをみると、10年以上前の書込みあるだけで、このまま、ほってはおけない気になった。

しばらく考えて、そのレビューを、思いっきり長いものを書こう。そのための箇条書きを以下に、、

1.主題は鳩摩羅什、けれど通奏低音としては「ポプラに臥す」に象徴される何かではないか。

うまく言えないが、この本は、反→正→合が「匠なる絵師」のごとく展開されていて、、合は「ひとたびはポプラに臥す」に落ち着く、そう読める。もとよりヘーゲルの弁証法は正→反→合ですが、ある方が反→正→合の話をされたのを、にわかに思い出した次第。

2.いま一番響いている箴言は、166頁のところ。
・・・徒然なる心は文章の行間に秘めたのである。けれども、そのことは言わずに我慢した。
〈感じる〉という能力においていかに狂人であっても、私が常識を逸脱した行為をやり始めたら、私は小説を書けなくなるであろう。
人間として不自然な部分(それは肉体的欠陥ではない)を持つ人は、必ずその部分が他の部分にも枝葉を伸ばすものであることを知らねばならない。

この「必ず」という強い言葉は、心にのこる。そうそう書ける言葉ではないからだ。

3.威の刑務所で、ポプラの大木に巻きつけられていた色白の青年の光景が、読み終えた今も、気になった。20年すぎたその彼は、どうされているだろうか、生きておられるだろうか、と。

以上の内容で、宮本輝公式サイトのBTC(掲示板)に書き込むと、お仲間で、、私がリスペクトしている康さんという70代の男性の方から、次の言葉をいただいた。
本書は、不思議な魅力のある書です。単なる紀行文ではない哲学書ではないかと。
鳩摩羅什が東方に伝えようとしたものは「百年河清を待つ」という「どうしようもない生命の傾向性」をその人にとって善なるものへと転化する方法であったのだ、とはいったいどういうことなのでしょうか、
答えを導き出すのに長い時を要します。
北大の構内にあるポプラ並木は何の感慨も起こしませんが、河西回廊に延々と続くポプラ並木は、1000年も前から人を暑さ、寒さから守ってきた自然の防波堤であったのでしょう。


康さんの文章から醸し出す心根が、いい。いつも、そう感じる。

たしかに下世話な会話も出てくるが、全くもって哲学的紀行文なのだ、、ただ「生命の傾向性」という基語は聞き覚えがあり、あらましは思い浮かぶものはある、、点と点はつながっている。

1970年代に歴史学者の色川大吉さんがリスボンからテヘランだったか、ワーゲンのミニバスみたい車で走破する紀行文「ユーラシア大陸思索行」という本を出されたが、一読したものの、再び読み返そうとは思わなかった。はるかに「ポプラに臥す」がいい。


追記、
3月にBTCに書き込んだ前後のことを、あらためてコピペしておきたい。そのみなさんの言葉は、わたしにとって珠玉であり、残しておきたいのだ。以下の通り

[10705] 25年目の決着 投稿者:心のギア 2017/02/09(木) 01:07(ID:334287)
輝先生、みなさま、こんばんは

康さんへ
おかげさまで、C型肝炎は完治しました。
ハーボニーという飲み薬のおかげです。インタ-フェロンを使わずに、副作用もほとんど感じず、ウィルスがサアッと消えていく感じで、驚くばかりでした。

1991年にC型肝炎を発症し、1995年頃はそのインタ-フェロン治療が全く効かず、副作用に苦しむだけ苦しんで、出口なしが延々と続き、さらには乾癬を発症しだし、欝が常態的になっておりました。

その頃、肺がんを克服された方と知り合うことができました。滝本さんという方で、じっくり一対一で、1時間近くお話をうかがうことができました。病状をお話すると、私の名前などを、メモ帳に書き込まれておりました。滝本さんは、とても深い眼をされていて、すっかり魅入っていました。生ききっている人だなと感じ入っていました。絵画を見るように、わたしは人の眼を、じっと鑑賞するクセがあり、、いい眼をされていました。

つい最近、滝本さんに完治したお礼を申し上げようとしましたが、すでに80歳代の後半になられているようで、高齢者の施設におられるらしく、消息を知ることができませんでした。

あらためて、歳月は、ひとを徐々に舞台のそでに押しやっていくものだなぁと感じた次第で、それでも、7年前の直腸がんといい、25年かかったC型肝炎と乾癬といい、大きな病いを3つのりこえることができたわけで、ひとまず大団円を迎えることができたわけです。

そして、私と51歳差の小学校5年の長女も、60歳差の保育園に通う2歳の次女も、みな元気に育っております。ありがとうございました。

[10706] おめでとうございます。 投稿者:宮本輝 2017/02/09(木) 02:28(ID:388223)

長いあいだ闘い抜いたことでハーボニーという新薬と出会えたんですね。
毒を出し切って、これからは宇宙の永遠の大生命を満喫する日々ですね。


[10707] 輝先生、ありがとうございます 投稿者:心のギア 2017/02/09(木) 10:21(ID:162276)
みなさま、おはようございます。

「宇宙の永遠の大生命を満喫する日々」というお言葉、胸に深く刻みます。

これからが本番と決めて、100歳まで健康寿命を伸ばそうと努力してまいります。フンザの老人のように透徹した眼を持ちたいと願っております。

先月25日、40歳代後半の友人、康夫さんが脳溢血で緊急入院して2週目に入った今も、意識不明の厳しい病状が続いていて、ひとまずは意識を回復することを祈る日々が続いております。お子さんはこれから小学校に通うお嬢さんが一人いて、、このままでは、本人も私たち友人も、悔いが残ると強く思っております。。

それでも、ですが、不謹慎なのかもしれませんが、康夫さんは、時間を超えて、「宇宙の永遠の大生命」につつまれて、さまざまな対話をしているのではないかと想像しても、おります。

わたしの場合、7年前に直腸がん手術して二日目の深夜に、なんとも言い表すことができない虚空にいる感じで、「宿命」という言葉が実相は、こういうことか感じていて、体当たりで中央突破するしかない、と決めてかかり、今日の完治にいたった次第です。

これから最後の壁、「蔵の財」を攻めようと思っております。重ねて、ありがとうございました。

「10708] 最近...月日が経つのがはやいです 投稿者:アルバ 2017/02/09(木) 10:43(ID:425208)
心のギアさんの大団円を迎えたとのお話、歓喜する思いであります。

これからは、二人のお嬢様たちの成長を楽しみに、新しい道を進まれることをお祈りいたします。

[10710] ハーボニー 投稿者:岩井 2017/02/10(金) 17:26(ID:373175)
こんにちは

本当に、久しぶりに寄らせていただきます。

心のギアさん、おめでとうございます。
先生のお言葉と、康さんも書き込まれていましたが、お二人の娘さんの成長を楽しみに、奥様と共に「百歳までの健康寿命」ですね。

ハーボニーは、その後発売されたヴィキラックス共々に、本当に画期的な薬です。C型肝炎のウイルスの大きさといえば、
ナノ単位、1ミリの100万分の1の大きさです。ハーボニー等はその想像もできない小さな肝炎のウイルスに直接作用して、ウイルスを破壊してしまいます。ハーボニーの効かない2型には、ヴィキラックスとリバビリンの同時服用で、ウイルスを破壊します。共に95%完治するというのですから、素晴らしいの一言につきます。
薬の効かない残り5%は、肝炎ウイルスが変異性のためで、これも破壊できる新しい薬がもうすぐ発売されます。

当薬局では、今までに、4人の患者さんにハーボニーとヴィキラックスを投薬しました。処方元は、県立中央病院と
赤十字病院です。4人の患者さんとも、みるみる間にウイルスの数が減っていくことに驚かれ、そして、喜びに溢れていました。
お一人の方は、まだ若い女性だったのですが、「若いときに悪いことをした罰があたった」などと嘆かれており、C型肝炎治療の薬が発売されていること知らなかったので、教えてあげました。心から感謝され、彼女の笑顔には、この仕事をしていてよかった、とまで思ってしまいました。

C型肝炎ウイルスに罹っていて、ほっておくと、10年~30年後に、3~4割の方が肝硬変、肝がんへと移行します。

長々とすみません。ハーボニーと聞いて、飛び込んでしまいました。また、寄らさせてください。
ありがとうございました。

10711] ありがとうございます 投稿者:心のギア 2017/02/13(月) 17:24(ID:250283)
輝先生、みなさま、こんばんは

三日ぶりに、こちらに来ました。
アルバさん、ありがとうございます。2010年春は、直腸がんの真っ只かなかで、不安でいっぱいでしたが、今は懐かしく、何を体験したのか、思い出すようにしています。

康さん、お久しぶりです。
以前、ご病気の様子は、こちらに来て、存じ上げていたのですが、コメントはさしひかえておりました。今は、お元気のご様子で、とても嬉しく思っております。

岩井さんの、新薬のお話、本当にそのとおりで、私の主治医はC型肝炎からB型肝炎へ、臨床研究を切り替えるとおっしゃっていました。隔世の感です。

さて、先週の金曜、脳溢血で入院していた友人の康夫さんは10時10分に永眠しました。16日間の入院でした。

今は何がなんだか、わからないのですが、、きっと意味がある、、と心の中で、「長歌の舞台、はてしなく、、」言い続けております。


[10712] 生と死のはざまで 投稿者:康 2017/02/14(火) 20:57(ID:246157)
心のギアさん、

有難うございます。

ご友人の康夫さんのご逝去のこと、お心落としのことでしょう。40歳代後半とのこと、まさに働き盛りの時の急逝にご家族のご心痛もいかばかりでしょうか。
20年前、私の期待していた45歳の部下がやはり脳溢血で亡くなった時のことを回想しています。東海道新幹線で大阪へ向かう途中で電話があり、名古屋でUターン、駆け付けた病院で、二人の小さなお嬢さんが、ベッドの脇で茫然としていた姿が忘れられません。それでも、母子家庭で生活を築き、今は成長してそれぞれ結婚し、子どもを授かって元気に暮らしていることをみれば、苦境の中にも、道は拓けるということでしょうか。

昨日は、我が家に吉報がありました。16年前に乳がんの手術をしました家内に「がんの転移の可能性がまったくなくなった」という医師の判断です。これまで、体調の異変を感じれば、すべてがんの転移ではないかと訴えて不安にかられていましたが、「もう乳がんのことは忘れなさい」との医師の言葉に、安堵をしたところです。神経痛の痛みは相変わらずですが、一つ一つクリアしていかなければと夫婦で決意しております。

何事も、なるようにしかならない。あるがままに受け止めるしかないのでしょうね。


10718] 気づきという言葉 投稿者:心のギア 2017/02/20(月) 22:59(ID:327273)
輝先生、みなさまこんばんは

康さんへ
奥様のご病気の卒業、おめでとうございます。乳がんの場合で、そのようにお医者さんが言われることがあるとは、、知りませんでした。

また20年前の脳溢血のお話、映像のように思い浮かんで来ました。

亀井勝一郎の「人生解逅し、開眼し、瞑目す」の言葉は、秀逸ですね
わたしの場合は「気づき」という言葉を頭の中で、使って終わらせてしまうのですが、もっと適切な言葉がないものかと、いつも考えあぐねているところで、「解逅と開眼」はいいヒントになりました。

[10719] 無題 投稿者:康 2017/02/22(水) 10:51(ID:30746)
心のギアさん、
有難うございます。
これからは、ほかに原発性のがんの発症がないことを願っています。ただ、16年間の闘病中にレントゲン、CT、MRI、骨シンチなどの検査を繰り返したことのほかに痛み止め、抗鬱剤、睡眠薬など様々な薬を服用してきましたので、精神的な負担が計り知れません。現在は神経系統の痛みに襲われることが多いので、負担を軽くしてやることが、私の役割かと思っていますが・・・。

「邂逅と開眼」について・・・
昭和40年代の初めにはじめて薬師寺を訪れ、金堂の薬師三尊や東院堂の聖観音菩薩を拝観し、東塔と最初に出会ったとき、私のような神や仏に縁のない生き方をしている凡夫にとっても、ある種の精神的な衝撃を受けたのですが、それが何なのか。
亀井勝一郎のいう「邂逅と開眼」だったのでしょうか。亀井は、「薬師寺への道」のなかで東塔について「薬師寺を訪れる人で、この塔を讃歌しない人はない。そうならば、この塔が建立された当時、なぜ万葉の人々は歌わなかったのか。三重の塔に反応を示さなかったのであろうか。わずかに仏足石歌があるだけである」「万葉の歌のなかには青春の生命がみちあふれているが、仏像の美や塔を歌うという点では発揮されなかった」と書いています。

薬師寺の三重の塔を万葉の人々が歌わないで、1200年の時が流れ、明治以降になると多くの人々によって歌われるようになったことは興味深い、と亀井は書いています。白鳳時代の「日常」であった仏教信仰への復元でもあるように思います。
信仰への復元の願いが、古仏や塔に出会って「邂逅と開眼」に繋がったと言えなくもありません。
戦前、戦地に赴く前の多くの青年が、一人古寺を訪ねることが多かったとどこかで読みました。
佐々木信綱の一首
 逝く秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なるひとひらの雲
日本人として安らぎを感じる歌です。


[10721] ひとたびはポプラに臥す①を読んで 投稿者:心のギア 2017/03/01(水) 00:26(ID:358289)
輝先生、みなさま、こんばんは

康さんへ、
配慮について
先日、仕事上の先輩で、すい臓がん手術をされて1年経過した人が連絡がありました。直近の検査結果で不穏な兆候があり、より強い抗がん剤をやるかどうか思い悩んでおられました。以前わたしが強くおすすめした患者会に行ってみると言われました。

わたしの病気などとは深刻さのレベルが違いますので、私にいえるのは出来るだけ多く同病の方に実際お会いして情報を得ることが大事です、とお話したことが、こころにのこっておられたのでは、と思います。

さて掲題のこと、遅ればせながら、二週間かけて読了いたしました。そこでAmazonのレビューをみると、10年以上前の書込みあるだけでしたので、このまま、ほってはおけない気になりました。しばらく考えて、そのレビューを、思いっきり長いものを書こうと思います。

主題は鳩摩羅什、けれど通奏低音としては「ポプラに臥す」に象徴される何かではないか。うまく言えませんが、この本は、反→正→合が「匠なる絵師」のごとく展開されていて、、合は「ひとたびはポプラに臥す」に落ち着く、そう読めるのです。もとよりヘーゲルの弁証法は正→反→合ですが、ある方が反→正→合の話をされたのを、にわかに思い出した次第。

いま一番響いている箴言は、166頁のところです。
『・・・徒然なる心は文章の行間に秘めたのである。けれども、そのことは言わずに我慢した。
〈感じる〉という能力においていかに狂人であっても、私が常識を逸脱した行為をやり始めたら、私は小説を書けなくなるであろう。
人間として不自然な部分(それは肉体的欠陥ではない)を持つ人は、必ずその部分が他の部分にも枝葉を伸ばすものであることを知らねばならない。』

「必ず」という強い言葉は、心にのこりました。

もうひとつ、武威の刑務所で、ポプラの大木に巻きつけられていた色白の青年の光景が、読み終えた今も、気になりました。20年すぎたその彼は、
どうされているだろうか、生きておられるだろうか、と。


10722] 「ひとたびはポプラに臥す」とウォールデン森の生活 投稿者:康 2017/03/01(水) 15:47(ID:30746)
こんにちは、

心のギアさん、
「ひとたびはポプラに臥す」①をお読みになってのレビューを楽しみにしております。
本書は、不思議な魅力のある書です。単なる紀行文ではない哲学書ではないかと。
鳩摩羅什が東方に伝えようとしたものは「百年河清を待つ」という「どうしようもない生命の傾向性」をその人にとって善なるものへと転化する方法であったのだ、とはいったいどういうことなのでしょうか、答えを導き出すのに長い時を要します。

北大の構内にあるポプラ並木は何の感慨も起こしませんが、河西回廊に々と続くポプラ並木は、1000年も前から人を暑さ、寒さから守ってきた自然の防波堤であったのでしょう。


以上である。
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