折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
TOP ≫ ARCHIVE ≫ 2016年11月
ARCHIVE ≫ 2016年11月
      

≪ 前月 |  2016年11月  | 翌月 ≫

すい臓がん術後1年のMさんと対話

2015年12月4日に、虎ノ門病院で膵臓がん手術をしたMさんにお会いした。2時間近く、対話した。私より1つ上の女性で、1年半ぶりにお会いしたのだ。

1.パッと目があうと、Mさんは手を振られた。血色のいい明るい表情で、一安心した。抗がん剤の点滴をうった後なのに、お元気なのだ。わたしの場合、6年前に、大腸がんで抗がん剤を投与したが、高熱を出し、その辛さといったら尋常でなかったので、、あらためて、がんの予後、その症状は千差万別だな、と感じた。

2.採血データを見せていただいた。肝機能ALTが33くらいHの表示。虎ノ門病院からかもしれないが、30未満を基準値にするようになって来たんだなと、あらためて、感じた。ちなみに私の直近10月のALTは15、ASTは18だ。

3.ほかにMさんの数値は、アルブミン4.3、白血球4100、血小板19、くらいあって問題なし。ただ腫瘍マーカーが表示されてなかったが、3桁あると言われた。手術直後から3桁の、その数値のまま、ずっと続いていると。正直、困惑した。

わたしの場合、6年前の大腸がんのとき、腫瘍マーカーは基準値以下で、マーカーでは捕捉できない症例ではないかと、かかりつけ医の三好先生が言われてたな、と思いだした。なので、体験値を語れなかった。まして難治であるすい臓がんに対して、迂闊な話はできない。我がことのようには語れなかった。

4.Mさんによると、すい臓がん患者100人のうち、手術出来るのは40人、その40人のうち、5年後に生存している人は8人、、つまり8%しかサバイバーになれないことになる。厳しい。

5.Mさんにお会いしたのは、6年前の後悔、同じ轍を踏みたくなかったからだ。

6年前、私と同じ大腸がんで、隣りのベッドに倉谷さんという方がおられた。6月の同じ日に退院し、倉谷さんは一月後に亡くなられた。

迂闊だった。わたしは存命を信じていたのだ。さまざまな存念を話しておけば良かったのに、油断した、、残念でならず、一人、涙した。倉谷さんは西洋医学の限界を見極め、それを俯瞰した何かを求められていた。

その、対話したかった気持ちを思い起こし、Mさんと語らった。「必ず、治る」とは畏れ多くていえないが、がん経験者として励ましたかった。これから週一で、メールしようと思う。

カストロとスリーパーズ

昨日、キューバのフィデル カストロ前議長が、90歳で亡くなった。賛否はあるが、20世紀の最後の革命家だったと思う。銅像などの顕彰は拒否し、無冠のまま、亡くなった。

1996年6月、わたしの大学の創立者は、ハバナの革命宮殿で、カストロ議長と会見した。その写真が記憶に定着している。議長は私服のスーツ姿で、満面の笑みなのだ。二人の間に、文化大臣が立っておられたが、彼も、子どもように愛らしい、笑顔で写っていた。創立者が、何がしか、、たぶん服装についてだと推察するが、、言葉を発して、呼応するような笑顔に包まれた、、そう読み取ることができる。

創立者は、ストンと相手の中に、自然と入っていかれる。不思議な人だ。人材育成や政治哲学などが話されたとあるが、おそらくは、そんな鯱鉾ばったものでなく、共戦の友の、愉快な語らいだったろう。

その会談は3時間くらいかかり、深夜に及んだので、議長の体調を気遣い、創立者はお別れをした。が、その後も、カストロ議長は側近の人たちと午前2時か3時まで、歓談していた、という。

映画「スリーパーズ」だったか?5人の少年たちが、刑務所で虐待され、大人になって復讐する映画がある。復讐を遂げたあと一夜かぎりの宴をもったのだが、、そのことが重なった。

創立者は、チェ ゲバラと同じ1928年生まれだ。革命の流血と無血の違いは大きいが、カストロはそのことを分かっていたと思う。カストロ議長は、ホセ マルティを師と仰ぎ、行動の軸にしていたからだ。


スリーパーズで間違ってはいなかった。検索すると、、

あるいたずらが原因で過失傷害を問われ、少年院に送られたロレンツォ(シェイクス)、マイケル、トミー、ジョンの4人の少年を待っていたのは、看守たちからの性的虐待だった。圧倒的な暴力を前になすすべもなく、少年たちは心に深い傷を負う。

ある日の院内のフットボールの試合中、リーダー格でギャングの息子であるリゾを引き込み、日頃の虐待の恨みを暴力で晴らすが、その後リゾは「殴る場所がなくなるまで」殴られて死んだ。

やがて成人した4人のうち、トミーとジョンがレストランでかつての看守であるノークスに出会い、射殺してしまう。検事補になり、今事件を担当することになったマイケル、新聞記者となったロレンツォは2人を無罪に、そして少年院であった虐待を公にすることを誓い、奮闘する。

まず、呑んだくれの弁護士スナイダーに、マイケルが密かに用意した台本どおりに弁護をさせ、裁判に証人として出廷した元看守の1人であるファーガソンに虐待があったことを認めさせる。次に、もう1人の元看守はリゾを院内で撲殺したことをギャングの兄に密告され、射殺される。残りの1人で現在は刑事となっていた男は、ロレンツォの密告によって収賄と殺人の容疑で逮捕される。

レストランにいた客が2人を見たと証言した不利な状況で、ロレンツォは4人をよく知るボビー神父に聖職者は嘘をつかないと知った上で偽の証言をしてほしいと懇願する。少年院であった出来事を幼馴染のキャロルや神父に打ち明け、数週間後、神父は出廷し、事件当夜は被告の2人とバスケットボールの観戦をしに行っていたと偽の証言をする。

看守への復讐が着々と進み、残るは無罪判決のみ。判決は無罪。その後、4人とキャロルは祝杯をあげる。これが5人が集まった最後の夜となった。


追記、フィデルの遺体は火葬された。

秋田に現れた火球から想像すること

1.秋田魁新聞の記事によると、

2016年10月31日午前5時43分(秋田市柳田で佐藤亮真撮影)が確認された。秋田市の上空に現れた「火球」は、青や緑の光放つ強い光を放ちながら流れる火球が目撃された。国立天文台の縣(あがた)秀彦准教授(55)によると、流れ星より大きく明るい「火球」だという。

午前5時43分、東の空に光の固まりが見え始め、だんだん近づきながら横切り15秒ほどで西の空に消えた。途中、砕け散るかのように複数に分離、それぞれ青や緑の光を放つのが見えた。


2.映画「君の名は。」は、大きな火球が落下し、小さな山あいの町を壊滅させてしまいことが、下敷きにある。

3.日蓮が1272年に鎌倉の竜の口で、斬首されそうになったとき、江ノ島の左手の海上に、光もの、火球があらわれ、武士たちは畏怖して、日蓮の首を切なくなってしまった。その火球は、上空を何秒間、通過したのだろうか、という素朴な疑問が、前から私にはあった。「君の名は。」のような落下はしていない。また1266年までの編年体歴史書「吾妻鏡」には、その火球の事績はない。1180年から1272年までの出来事だから、なくて当然なのだ。

4.秋田の、15秒では短い気がする。竜の口は30秒くらいないと、勇猛な鎌倉武士をひるませ、畏縮させられなかったのではないか。日蓮の遺文「種々御振舞御書」では、光もの、火球が1分間くらい、とどまっていたかのように、読めてしまう。あと、日蓮は、あらかじめ火球が現れることをわかっていたかのような文章なのだ。竜の口から、四聖人を凌駕する驚異的な、日蓮の変容が始まる。翌朝、日蓮は越智の本間邸に連行され、そこに1ヶ月留め置かれるが、その間に、もう一度、光ものが現れるのだ、、竜の口の光ものは有名だが、本間邸の光ものの話は知られていない。なので、同御書をそのまま載せておきたい。

P915-5
其の夜は13日・兵士(つわもの)ども数十人・坊の辺り並びに大庭に並居て候いき、9月13日の夜なれば月・大に・はれてありしに夜中に大庭に立ち出て月に向ひ奉りて・自我偈少々よみ奉り諸宗の勝劣・法華経の文あらあら申してありしに

私見、、処刑から免れ、本間邸に据えおかれた日蓮は、たちまち連行してきた武士たちに説法教化をされたわけで、、これは驚き以外何ものではない。僭越だが、竜の口から日蓮はゾーンに入ったというか、確信、声のテンションが変わっていったのではないか?元々、明るく響く声をしていて、聴衆をひきつけずにおかなかっただろうが、自分を殺そうとした武士に対しても、威風堂々とした立ち居振る舞いだった、なんだこの人は?武士たちも魅入っていた、と想像する。さて、このあとが、面白い。




長女の担任先生との面談

18日の夕方、5年生の長女が通う小学校の担任T先生と、1時間、面談した。落ち着いた雰囲気をもった39歳の男の先生だ。父親が面談するのは他にないようで、先生も話しやすそうで、さまざまな話に及ぶ。

1.先だって東京都が行った学力テストの話、算数、国語、理科、社会の4教科は、都平均、学校平均よりは少し上だったが、飛び抜けているわけでもなく、普通の成績と判断した。6年生でも、同様のテストがある。なので、専用サイトを通じてよく復習してもらいたいと言われた。

2.夏休み以降、授業態度が意欲に欠けるものがある話。家でもそう感じていると伝える。さまざまな身体的変化が起きていることも原因としてあるだろうが、、

3.影がある子かな、とも思われたようだが、そうでもないと気づかれと。人として魅力があるとも、言われた。

4.「やるべきことを、ていねいに、コツコツ」とやるように家庭でも働きかけて欲しいと言われた。

5.どうやったら、やる気スイッチが入るかな、、

6.最後は、T先生の生い立ち話になった。薩摩隼人であり、神戸大を出てから、地元に戻り、玉川大の通信で教職課程をとられた。一般の企業を就職する道は選ばなかったわけだが、わかる気がした。2001年9月11日の同時多発テロのあと一気に航空運賃が下がり、アメリカ西側を旅した。カナダのビクトリア大学を見学していて、年配の人たちが勉強している姿を見て、、はたと気づくものがあった、という。人を育てる仕事、、

そういえば、長女の低学年の時の担任のH先生も、企業をやめて教師になられたわけで、、
そういう青年が少なからずおられるようだ。

第24回「肝臓病教室」のお知らせ

すずめさんのブログにあったので、転載。

第24回「肝臓病教室」開催のお知らせ
とき:平成28年12月10日(土曜日)14:00~16:00
ところ:国際医療研究センター国府台病院・
肝炎・免疫研究センター研修室A

司会:
肝炎・免疫センター・肝疾患先端治療研究室長  
村田一素

1.C型肝炎ウイルス治療後における食事・栄養療法の進め方
東邦大学医療センター大森病院 
栄養部栄養管理室長  古田 雅

2.C型肝炎治療の現状と未来
~全員治療に向けて~
ゲノム医科学プロジェクト長 溝上 雅史

※予約は不要で 参加費は無料です。
※終了後に個別相談も行います。(肝炎・肝硬変・肝癌を中心に)
※ご相談のある方は血液検査・CTなどの資料をお持ちいただくと状態に応じた詳しい説明をお受けになれます。
(お問い合わせ先)千葉県市川市国府台1-7-1 国際医療研究センター国府台病院肝炎・免疫センター
    村田 一素 電話番号 047-375-4738

以上、、

溝上先生の講演は、深く響く何かがある。多くのC型肝炎患者の方々に、広く、聴講をオススメしたい。遠隔地にお住まいの方でも、ここは一つ足を運ぶスイッチを押していただきたい。来たかいがあったと思われるに違いない。

実際、講演終了後に個人面談を無料で、してくださる先生方は、ここ以外に、果たしてあるだろうか、、私は、この肝臓病教室しか体験したことがない。。

次女は来月2歳になる

今、朝の5時、「無所属の時間」だ。羽毛布団で汗をかいた。全身ポカポカ。わたしは冷え症ではない。

1.写真はここに貼らないが、次女は来月2歳になる。身長 cm、体重10.70kgで、保育園のほかの1歳児と比べると、やや小さい。しかし、元気で、よく笑い、よく泣く。

2.朝、保育園への送りはわたしが行なう。途中寄り道して、高橋さんという家の「メル」という名の白い 犬にビーフスティックを1本か2本、次女の手に持たせ、投げ入れさせる風にして、それを手から抜きとり、わたしが投げ込む。次女はきゃっきゃと笑い喜ぶ。それがねらいだ、朝は機嫌がいいに越したことはないから。

3.自転車から次女をおろして、手渡しであげる時間はないから、そうしている。メルは、吠えたりするが、次女は怖がらない。長女のときと同じで、生まれたときから側に犬がいる。なので、犬を怖がらないのだ。コーギーの散歩をしていて、近所の公園を通過するとき、ときおり、いろいろな保育園の幼児たちが、コーギーに恐る恐る近づいてくる。大丈夫だよと言っても、さわったりはしない。たぶん次女なら、もっと大胆不敵に、触ろうとするだろう。

4.保育園には電動アシスト自転車で、正味5分以内に到着する。保育園の門の前は、電動アシスト自転だらけで、長女が通ったときにはそうでもなかったので、、その自転車の普及率は著しい、と感じる。わが家のはブリジストン自転車だが、安定感がある。ちなみに。わが家は自転車が「あし」で、吉祥寺あたりまで自転車で行ってしまう。

5.保育園に着くのは8:55頃、1歳児のチューリップ組はドアを入り、右手の部屋にある。手前が1歳児のブース、その奥が2歳児のブースにわかれている。

6.まず、エプロン2枚と次女を抱きかかえ、保育士に引き渡す。そのあと、一日の着替えを整え、その上に連絡帳を載せたボックスを持って、保育士に渡す。その際、その日の体調を告げる。

最後に、次女との別れ際、必ず、ハイタッチしている。私たちの年の差は60歳とひと月だ。なので卒園まで、ずっとハイタッチを続けるつもりだ。そうすれば、次女の記憶にとどまるだろう。

「第95回かち歩き大会」に参加

1年ぶりに「かち歩き大会」に参加した。当日の天気が気になり、締め切りギリギリまで申し込みをしなかった。1ヶ月前の予報は雨だったのだ。前回雨で低体温症になって参ってしまった。雨はもう懲り懲り、雨ならばやめようと決めていたからだ。でも、どうやら晴れは間違いない分かって、、参加を申し込んだ次第。

朝、犬の散歩は長女に頼み、8:15に新宿中央公園に到着。大会の説明は従前と同じだが、2017年から一年間に2000km歩いたら、この主催団体が表彰してくださるようだ。励みになっていいかも。

私は、最後尾でスタートした。先頭とは4分差があった。結果は43kmを9時間1分で、前回と全く同じタイムにいささか驚いた。もうちょっと30分くらい速いのではと思っていたので、意外だった。その他、種々、思ったことは、、

1.靴はMBTで、あるいた。なので、歩く人たちの靴に目がいった。NB、ニューバランスが目にとまったが、MBTはいない気がする。MBTは重い、、いささか無謀だった。

2.久米川を過ぎ、23kmまではラクで、風景を見る余裕もあった。小平の墓園を左側に見て、通りの反対側に寺泊港直送の魚市場が現れる。すると、いつも頭の中で、日蓮の寺泊御書が浮かぶ。久米川を通過すると、744年の時空を超え、日蓮が通った道と交差したんだなと感じる。

3.ただ23kmを過ぎてから、苦しみがはじまり、無意識の世界がおとずれる。ベートーベンの第九の第3楽章が断片的に流れる。やはり、いい曲だ、、

3-1.今回も、千日回峰の修業者のことが思い浮かぶ。毎日50kmを峰々を歩く。何日間もやり、何年間もかける。失敗すると短剣で自死する。全く、想像を超える。それでも、たぶんだが、修行者は毎日が無意識の世界に突入する。意識と無意識が逆転する。本然が浮かび上がり、根をはるのではないか、、ただしそうした修行は、大乗ではなく小乗仏教にすぎないし、すべての人々の救済には、決して、至らない。

3-2.ご夫婦、仲間同士で歩く人たちの話し声が気になりだす。ひとのショルダーバッグに付けられた鈴の音も煩わしい。そういうときは先に行かせてしまう。また、イヤホーンをつけながら歩く人も見受けるが、そうすると無意識を整えられない。23km過ぎは、座禅やマインドフルネスの状態と似てくるのかもしれない。
わたしの場合、かち歩きは一人で参加した方がいいようだ。

3-3.注意、青信号が点滅したら立ち止まること。1回だけ無理して駆けたが、右足首のくるぶしの下、捻挫のような痛みがし始めた。モートン病の痛みよりもきつかった。走ると、その後の歩速は遅くなってしまうぞよ、、

4.消防署のトイレ。最初に参加した93回かち歩きのときに利用したトイレだったが、前回は探しても見つからず、通り過ぎた。尾籠な話だが、ここでの脱糞がいいのだ。腸内がさんざん蠕動した大腸から、さぁっと出ていく。そうだ、これが参加の目的の一つだったのだ、、大腸がんは克服したことを実感した。

前回第94回に入ったトイレは、38km地点のセブンイレブンだった。雨で低体温になっていて、20分近く座っていた感じだった。

5.かち歩き大会は、主催者は「飲まず食べず」を標榜するが、私は守らない。
還暦を過ぎた高齢者は、脳梗塞を起こすリスクがあるからだ。水を飲まない怖さを分かっている。
サウナ好きのイメージがあったし、その影響だと思うが、脳梗塞になった西城秀樹氏にはなりたくない。西條氏はラクナ梗塞であり、再発リスクは払拭できない。一病息災で生きるしかない。

5-1.また、糖分をとることにより、肝臓の代謝を実感できる。つどキャラメルのようなサイズの「兵六餅」一箱を食べた。丁度いい甘さだった。23kmすぎから、自分本位の健康チェックがはじまる。肝臓の状態を意識した。その痛みはない。そうだ、これも目的の一つだった。

6.何しろ23kmを過ぎると、異界に入る感じなる。亡霊のように歩く。「青梅まで、、夜になっちゃうな」という通行人の声が聞こえてくる。

7.第二チェックポイントの31kmの順位は426位、それが43kmのゴールでは483位と、57人に追い越されたことに。

8.定かでないが、38kmの交差点の信号待ちしていて、82歳の男性に遭遇。お元気なのだ。10回以上参加しているという。思わず柏手をうって拝礼した。素晴らしい、、うまく言えないが、尊崇の思い。。信号が青になると、韋駄天のように、またたく間に先を行ってしまわれた。すごい、今日の醍醐味はこの遭遇だったかもしれない。誰かに似ている。

そうだ、、ジブリ映画「もののけ姫」のジコ坊に似ていた。一本刃のゲタで飛び歩く老いた僧兵。

「人はいずれ死ぬ。遅いか早いかだけだ」とジコ坊は言っていたが、たしかに、還暦をすぎた私に、残された時間はそう長くはない。

追記、①帰りのときにダウンジャケットを羽織る判断は正しい。②23km以降の地名はストリートビューで確認しておくこと。断崖絶壁を登るときの橋頭堡だか、、なんか前回のときも調べておこうとしたが、、③それと次回は、できれば23kmまではMBTシューズを履き、そこから先はNBに履き替えることにしようかな、、そうすればレコードは前進する、と見切ろう。手荷物なっても、、いいじゃない

10:39 井荻八幡
11:26 東伏見
11:40 田無 15kmチェック
12:06 田無タワー
12:30 ガス資料館 22kmの旗
13:39 清水五丁目 ラーメン青葉

この辺から地理感が鈍くなっていく。
14:16 立野町


インスパイア⑴ 山本七平の「日本教」ほか思索行

どうやらトランプが次期大統領になるようだ。
安部首相の布石が功を奏すれば反射効で、一段と日露が近づく。さらに尖閣諸島に中国の漁民を装った軍が上陸したなら、日米同盟は揺らぐことになる、、という気がする。88年のスパンで恐慌もありえる。日本人は正気になる必要がある。

1.日本人の国民宗教は「日本教」である。仏教にとどまらず、儒教もキリスト教も、みな日本教になってしまうと小室直樹さんは指摘する。検索すると、、

日本教(にほんきょう)とは、「日本人のうちに無意識に染み込んでいる宗教」という意味の概念を表す山本七平による造語である。奥山実は日本教がすでに芥川龍之介によって語られていると指摘する。

山本七平は『日本人とユダヤ人』で日本人は自分が日本教徒であるという自覚を持っていないが、日本教という宗教が存在し、それは血肉として日本人自身も自覚しないほどになっているので、日本教徒の日本人を他の宗教に改宗させることが可能であると考えるのは「正気の沙汰ではない」という。山本七平によれば日本教とは、神ではなく人間を中心とする和の思想である。

奥山実は芥川龍之介の作品である『神神の微笑』で老人が神父に語ったことば「我々の力というのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」に注目し、「日本は外来のすべてを日本化してしまう」と指摘する。また、『おぎん』・『おしの』といった作品にも日本教が現れているとする。奥山によれば日本教に絶対はなく、絶対者を知らない日本教徒は相対の世界に生きており、日本教の最大の特徴は「相対化」であると述べる。


3.日本に入ってきた宗教は、戒律や規範が取り払われてしまい、簡略化がはかられ、仏教も儒教もキリスト教も、並立できる。典型的な例を二つ。一つは、儒教を宗教ととらえる日本人は、限りなく0に近いこと。もう一つは、内村鑑三の無教会主義も、簡略化の典型と言えまいか?ちなみに、新宿区の柏木公園近くにあった内村の集会所は、なんの記念碑もなく、場所は特定できず、100年で消えてしまうのかと、感慨深い散策をしたことがある。

3-1.検索すると、無教会主義の集会は今もあるようで、門外漢だが、ホッとした。
無教会の集会は、聖書集会・聖書研究会との名称を持つことが多い。その集会はそれぞれ独自の運営方法を採っており、その集会を発足した者が講義を担当する場合もあれば、平信徒同士が交代で講義をする集会など、さまざまである。無教会の集会は、組織化、形骸化を避ける傾向があるため、宗教法人ではない集会が大多数を占めているが、一部に法人化している集会も存在する。また、同様の理由から、全国の集会を統率するような本部を持たず、全国に散らばる集会の数や教勢を統計にまとめることもない。これには、個々人が制度的な縛りから自由になれるという良い点がある。しかし同時に、外部からの接触が困難であるという欠点もある。後者については、現代の無教会主義集会の問題となっているようである。

4.朝鮮半島の人たちは、葬儀のときに激しく泣く、わたしたち日本人から見たら大げさと思うほど泣く。これは儒教の規範、マニュアルに、何オクターブの声を出して、涙はこれくらいこぼせ、と細かく決まりがあるからだ。「泣き女」というビジネスがあるほど需要があるらしい。もしかすると、今度の朴大統領を糾弾する抗議デモも、日本の安保法制反対運動をはるかに上回る、あのエモーショナルは、潜在的な儒教の規範から起因しているかもしれない。

5.ところが日本では、そういう規範や基準は、全部消えてしまうのだ。

叔父の一周忌に思う

1.今朝、長女が忘れ物をした。自分でアイロンをかけておきながら、給食の白い割烹着を忘れたのだ。しょうがない、10時すぎに、小学校まで届けに行った。

2.久々、温泉銭湯の久松湯に行った。が、11時は初めてだ。驚いた、混んでいる。若い人は少なく、団塊世代から上の人々が多く、、今の日本の縮図だと感じた。皮肉ではない。この光景には何か意味がある。高度経済成長からバブル景気まで、さんざん働いて来た人たちだ。お腹がでた人、胸のあたりペースメーカーが浮き出ている人。刺青の人は見なかった。きっと、この中には午後から仕事に出る人もいることだろう。無言の銭湯なのにさまざまなことを感じさせる。

ふと思った、、病気が治った私は、なにがしかこの社会に返していかなければならない。還暦を過ぎても、資本ではなく、労働を通じて、、この際、仏人経済学者 ピケティはウッチャッてしまおう、、そもそも、資本なんて、ない。

3.昨日の昼、蒲田の円頓寺で、昨年亡くなった叔父の法事にでる。円頓寺は日蓮宗で、北条早雲家の家臣団の寺だったようで、新規に檀家にはなれないらしい。そんなんで成り立つのかな?

4.この日、集まったのは親族12人で、儀式は1時間ほどで終わり、そのあとJR蒲田駅近くで、しゃぶしゃぶをご馳走になる。つらつら語られたことを以下に。従兄弟の4人だが、主に長男の医者から聴いたことを以下に、、

①長男、三男は武蔵の出だが、そのまま武蔵大学に上がった同級生はいるの?と尋ねたら、二人とも「一人いた」と応えた。長男は「自分の同期は、蕎麦屋の家で、継ぐことになるから、モラトリアムの遊学、武蔵大で遊んだようだ」と応えた。わたしは、全くいないのでは、、と思っていた。

②「やっぱ、すい臓がんは厳しい?」とたずねたら、「すい臓がんは手術できただけ、不確かな光明と見ないといけない」と。すい臓がんの専門医は患者よりも悲観的になっている、エビデンスがそう示すのだろう。それだけ亡くなられた人を多くみてきているのだろう。

③私「酒は百薬の長っていうけど、、」すると「それは酒飲みの言い訳、今、酒はタバコと同じように禁忌のカテゴリーに近づいている。明らかなのは、アルコール度数の高い酒類の常飲は、発がんリスクを高める」と長男は応えた。

④叔父の話になった。叔父は高度経済成長期の国鉄の、橋梁、トンネル、交通計画となんでもやっていて、それも如何にコストをかけずにやるかに苦心した。そんなオールマイティの実務兼学者は、もういないと、親族の一人、長岡技術科学大学名誉教授の方が言われていた。その方は72歳、日比谷から東大の土木と、叔父の仕事と重なるものが多かっただろうから、その賞賛は、ホントなのだろう。大深度地下トンネル、阪神大震災や御徒町の地盤沈下事故の調査委員会?のトップに、叔父はなっていた。

⑤叔父は、昔、三陸鉄道の一つの橋を設計したそうだ。3.11ではなく、三陸沖地震があったとき、ニュースを見て「マズイ!」と言って、すぐ確認に行ったそうだ。気が気でなかったのだろう。コンクリートで、自分の家の庭に小さな池を作ったが、失敗した話を思い出した。

⑥叔父の退官の最終講義は、三男が生物系の院生でいて、聴講したという。ビデオ撮りしてDVDにしたそうだ。私の母が見たいようなら、借りることにしよう。

⑦長男は、素人向けの、大腸内視鏡系の本を出版していた。患者さんに出版社の人がいて勧められたようだ。
Amazonで検索すると、、あった。

内視鏡(胃カメラ)は怖くない!

自覚症状のない早期がんも苦しまずに発見・治療
飛躍的な進歩をとげる内視鏡医療をトップ医師が図解

近年の内視鏡診療の発達は、目覚ましいものがあります。発達というより「進化」といったほうがよいかもしれません。 私は、臨床現場で内視鏡を活用している医師の一人として、常日頃から、日進月歩の内視鏡診療の現状と内視鏡診療のすぐれたところを正しく知ってもらえたら、もっと多くの患者さんの病気を治すことができるのに、と考えてきました。
内視鏡診療がもっとも得意とするのが病気の「早期発見・早期治療」です。自覚症状のない早期がんの発見などには、バリウムによるエックス線検査より、内視鏡検査のほうが精度が高いからです。 (「はじめに」より)
【 PART1 】 内視鏡で見つかる食道・胃・十二指腸の病気
【 PART2 】 内視鏡とはどういうものか
【 PART3 】 内視鏡検査を受ける前にこれだけは知っておこう
【 PART4 】 世界の最先端をいく内視鏡治療
【 PART5 】 病気にならない生活習慣
【 PART6 】 内視鏡についての素朴な疑問


◆ 著者名は、私と苗字が同じだから、載せずにおく。
レビュアーは1人だけだが、星5つ、次の通り、
病気に対する不安や疑問を、患者の立場に立って判りやすく説明しています。きっと著者先生は、「行列のできる」ドクターなのでしょう。

5..蔵書の話、、
長男が、父親の蔵書をどうするかと、兄弟たちに投げかけたが、誰も欲しいとは言わなかった。結局、廃棄になるのかな、、この現象は、今朝、イヌの散歩をしたときにも感じた。自費出版された詩集が束になっていて、回収業者のトラックに積まれたところに遭遇したのだ。山田さんというお宅だった。随分前から、数回にわたり、廃棄図書を家の前に出されていたので、また廃棄かと思ったのだ。御主人がなくなり、奥さんが廃棄しているのだろう。

これは、他人事ではないな。わたしの田中美知太郎全集も、わたしが死んだら、ゴミとして廃棄してしまうのだろう。

紙の本の価値って、そんなものか、、釈然としない。

胃カメラの検診

1.昨日午前中は雨だった。この日、62歳になった。半年前に予約した胃カメラの検診を受けに、NTT関東病院に行った。10:10の予約だったが11時に到着した。胃カメラは2年ぶりだが、前回と同様に、鎮静剤を投与した。そうしないと、のどが痛くてたまらないのだ。

2.担当医はI先生で、前回の医師と違う気がする。大腸内視鏡は田中晴樹先生でないと嫌だが、胃カメラはどなたでもいい。喉に麻酔を二回、噴霧され、喉は痺れてきた。そのあと鎮静剤の注射。意識がボヤけ、、2度ほど喉に痛みを感じたが、1分くらいで終わった感じがした。その後診断を聞くと、、
①食道も胃も問題はない。食道静脈瘤もない。
②次回は2〜3年後でよい。
③胃カメラは5分ほどだった。
と言われた。その後、1時間ほど、リクライニングチェアで回復を待つ。オオハタ先生がI先生とスケジュールの打ち合わせをしているのが見えた。6年前にオオハタ先生によって、進行性直腸がんを告げられたことを思い出す。

今は、オオハタ先生は内視鏡部門のトップになっておられるが、偉そうな雰囲気は出さず、相変わらず、忙しそうだ。なんとなくだが、、順天堂病院の天野篤さんと似た価値観があるのではないか?同じ日大医学部の出だし、お二人はひたすら、登竜門をくぐり続けているように思える。

3.食道あたりに潰瘍がありはしないかと思っていたが、大丈夫だった。次回は65歳の誕生日にしようかな。

4.今、気づいたが、このブログはきのう開始から丸10年が過ぎ、きょうから11年目に入る。さてこの先、どうなることやら、、

決めていることは、随自意、一段と自分本位で、わが備忘録に徹したいと思っている。

昨夜22時頃の、物理的な尻の痛みはかつてなかったしな、、
訪問者数
2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
ブログ内検索
全ての記事を表示する
さらばポップアップ広告
javascript:(function()%7Bvar%20d=document;var%20e=d.createElement('SCRIPT');e.setAttribute('language','JavaScript');e.setAttribute('src','http://s6.ql.bz/~mamiya-shou/bm/invalidFloatAd.min.js');e.setAttribute('charset',%20'UTF-8');d.body.appendChild(e);%7D)();