わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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細胞毒

1.今年の上半期も、覚せい剤で有名人が何人か捕まっている。覚せい剤が脳の細胞をどれだけ粉々にするかと、想像するだけで、恐ろしい。
けれども、そうした細胞毒を高い金で買い求め、常習化してしまい、わが身を破壊する負のスパイラルは、止められなくなる。

2.抗がん剤も、これを好きになる人がいるはずないが、細胞毒であることには変わらない。薬といえるかどうか、微妙だということに気づくには、がん患者にならないと、まず実感できない。

3.覚せい剤と聞くと、いつも「刹那の快楽を得るための、後戻りできない抗がん剤」と思ってしまう。
多くの化学療法で闘病されているがん患者の方々には、お怒りになるかもしれないが。がん患者は、医者がかなでる美辞麗句を剥ぎ取り、比較考量という思考の訓練はしないといけない。かといって近藤誠説に翻弄されてはならない。沈思黙考が大事だ。

4.つまり、がんが退縮する可能性と正常細胞が破壊される可能性を、頭の中で両天秤にかけ比較考量する訓練だ。自分で考えるしかない。がん患者のドクター中松氏が余命を超えて存命されているのも、そうした思考の訓練ができる方だからだろう。

いや、レベルが違っていた。というよりわたしごときとは「ラベルが違う」のだ。トリッキーにも見えたが、真剣に、ご自分のがんを治す発明を考えておられた。そうしてこう書かれている。

あらゆる研究や努力、チェックもしてきて、144歳まで生きる予定の人が、まさか自分ががんになるなんてことは想像もしていなかった。伏兵が突然現れたのです。私が今までやってきた大脳生理学とか栄養学は有効だったが、がんという、これまでにはない全く違う分野。余命を信じているのかと言われると、信じるも信じないも、30年もがんを専門に研究している医師が言っているわけだから、私としては、死ぬかどうかの瀬戸際で精いっぱいの力を振り絞って、世界中の医師が誰も考えなかった新治療法を、命がけの発明をするのが唯一の解決策なのであり、それが世界の患者を救うことになる。
今、私の体は体温が高いとか、だるいとか、痛いとか、苦しいとか、夜呼吸ができないとか、いろんなことがあります。がんは誰にとっても伏兵のように、ある日突然やって来ます。私の場合は偶然、私が「生検やれ」と言わなかったら、ずっと見つからなくて、それで来年死んでおしまい、ってことになっていたでしょう。しかし、見つかっても治療法がなくて、来年末までに新しい治療法を発明せねばならない。そしてまた、医学は進歩するわけだ。
困難にぶつかった時に、どう対応するか。私の座右の銘は「撰難楽」。やさしい道と難しい道があった時に必ず難しい道を選んで、しかも楽しんで行く、という考え方だ。来年末に死ぬということは、究極の難しい道なので、世界中の医師が発見できなかった導管がんの治療法を発明することを楽しみながらやる。それが、私が生きるということなんです。


中松さんは、余命宣告の2015年末を乗り越え、2016年6月末の現在、命を保っておられ、敬服する。



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老化としての身体の縮み

50歳ころと比べて2cmほど身長は縮んでいる。原因は加齢による老化だ。とりわけ長女の育児で、抱っこなどしてたとき、あっ縮んでいる、と感じた。

2015年11月、86歳で叔父がなくなった。8月にお見舞にいったとき、160cm以下に縮んだ叔父の姿は、肝硬変末期の病状より驚きだった。170cmくらいの身長はあったからだ。10cmは縮んでいる。なんだか別人のようだった。

頭脳は、叔父にとても及ばないが、闘病については叔父の了見が全く解せない。叔父はアルブミン数値が低く、明らかにタンパク質の摂取が不十分だった。老人特有の栄養失調の身体だったからだ。

それにしても、身長10cmの縮みは、衝撃的だった。そういえば94歳の母もかなり縮んでいる。つまりは自分もそうなっても、ちっともおかしくはない。身長の縮みはできるだけ進行をおくらせたい、と思っている。

かりに10代で180cm以上の身長があったとしても、人生の第四クォーターはもっと縮んでいる。身長もまた「久からず」というのが、人体の現実だったのに、気づかずにいた、、叔父のありようは、それほど衝撃的だった。

さて、あとMAX40年、わが身長の縮みをどう抑制するか、、やはり食事と運動だろうか?調べてみたい。
さしあたり、ランダムなコピペで恐縮だが、こんな感じになる。

老化の縮み
 当然、骨格が小さくなると、その周りの筋肉も細ってしまう。筋肉の原料もやはりたんぱく質である。このような変化が大小程度は異なるが全身で起きる。すなわち、老化とは体からたんぱく質が減少してゆく変化ととらえることができる。換言すれば、老化とは「栄養失調」になってゆく変化である。超高齢社会は、栄養失調と戦う時代なのだ。

脊柱の圧迫骨折

上記でお伝えした身長低下の原因のうち、水分量の低下により軟骨が薄くなることに関しては、加齢に伴いある程度は避けられないことだと言えますが、 筋力の低下や骨粗しょう症については、生活習慣などによって予防対策することが可能です。以下のような点を意識しましょう。

・無理のない範囲で筋肉を鍛える

加齢によって筋力低下が著しいとされているのが足の筋肉です。疲れない範囲で散歩したり、日常生活に無理なく取り入れられる体操などを行ったりすることで、足を中心にしっかりと筋肉を使って筋力を維持するようにしましょう。

・栄養バランスの良い食事

骨の主成分であるカルシウムや、それを効率よく吸収するために必要となるビタミンD、マグネシウム、リン、たんぱく質などを食事からバランス良く摂取することが大切です。

・喫煙と過度の飲酒に注意

タバコは血流を悪くし、カルシウムの吸収を妨げます。
お酒については適量なら問題ないとされています。
ただし利尿作用があるため、体内に吸収されたカルシウムが必要な分まで排泄される可能性があり、飲み過ぎには注意が必要です。禁煙し、過度の飲酒を控えることが骨粗しょう症予防に効果的です。

こうした予防対策は、高齢者の方にとってももちろん大切ですが、若いうちから意識しておくことで将来のリスクを少なくすることができます。「まだ身長が縮むなんて年じゃない」という方も、ぜひ今のうちから習慣にしておきましょう。


俳優の遠藤憲一さんが、あるとき身長が気になり、即、測りに行ったと聞いた。180cmだったかで、ひとまず安心されたと言っていた、と記憶している。

わたしも、これから一段と、身体に微妙な変化を感じたときは、惑わずチェックするクセをつけることにしよう。



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水遊び

1-1.昨日は思いのほか暑かった。午前中、家内は保育園の七夕まつりの打ち合わせで外出。そこで11時から、ビニールプールを玄関先に出し、空気入れに15分をかけ、長女と次女が水遊びを始めた。二人の歓声が響き渡り、水風船をプールに浮かべ、はしゃぎだした。去年の夏は、生後8ヶ月で何が何だかわからず、次女はキョトンとしていたが、昨日は、はじけて実に楽しいそうだった。玄関のかまちに腰掛け、缶ビールを飲みながら、二人を見ていた。初夏の日射しの、この光景こそ、幸せのカタチなのかもしれない。

1-2.ご近所の関◯さんが犬の散歩で家の前を通った。水遊びではしゃぐ声をちょっと見て、微笑みながら過ぎ去った。犬の散歩で、いつの頃からか、あいさつするようになった。たぶん、関◯さんは私と同じ世代か、わたしより少し下の世代だが、二人のお子さんは男の子で二十歳前後だ、、我が家とは対照的だな、、我が家がイレギュラーなのは重々承知のことだが、、

1-3.道をはさんで向かいの岡◯さんが、ビニールプールに近づいてきて、長女と次女に語り始めた。三人とも楽しそうだ。しばらくして家内が保育園の打ち合わせから戻ってきたので、バトンタッチ。そのうちに「今年は水遊びをいっぱいやらう」と家内が宣言していたな、、

2.その夜、歯間ブラシをしていると、右上の奥歯、かぶせてある一本がポロっと、あっけなく抜けてしまった。老化を感じた。金曜朝一に。歯医者に診てもらうことに。



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川西先生の講演会

akioさんのブログで、8月6日に川西先生の講演会があることを知った。参加と決めている。

akioさんブログからコピペしておこう。

川西先生の「元気のでる!医療講演 in 東京」
日時:8月6日(土) 
13時半~14時半、その後交流会
場所:TKP品川カンファレンスセンター(品川)
内容:「元気で長生きのコツ伝授します? B型・C型ウイルス性肝炎は副作用少なく飲み薬で治る時代」
札幌緑愛病院 川西輝明先生
参加費:無料


7月28日に、運命のSVR24の検査がある。ウィルスの結果は1週間後にわかるから、8月6日はその結果を踏まえて参加することになる。国府台病院には電話で確認ができるようにお願いしてみよう。まさに大団円、6日は笑顔で参加したいものだ。

想い起こせば、2015年2月の川西先生の講演会がターニングポイントだった。講演会が終わった後の交流会で21人が、ロの字型に机を並び替え、一人ひとり自己紹介していった。わたしはシメプレビルが効かず、再燃とわかった直後だった。なので、怒りでいっぱいになっていて、みなさんの話を聞いているうちに気分はどんどん高揚していった。

大腸がんのときもそうだったが、いわゆる患者会には行ったことがなかった。病状は千差万別で意味あるの?と思っていた。いや違うな、引き込まれ、影響を受けるのが怖かったのだ。全くヘタレだな。
だが、このときの交流会は、いかに患者会が大切なものであるか、そのインテリジェンスというものが、肌でわかった。理屈ではなく、言外の空気に暗黙知が漂っていた。そうして、ある種のカタルシスを感じたのだ。

ノートが出てきた。その21人の方とは、、
1.yuk ユックさん、2.Yukettaさん、3.パンコさん、4.リボンさん、5.akioさん、6.sunnysideさん、7.ナカジマさん、8.三重からゴシップさん?、9.サトちゃん、10.ユーコさん(京都から) 11.クリームあんみつさん、12.デコさん、13.kunikuniさん、14.イタクラさん、15.タカハシさん(茨城から、地域の集団感染)、16.ブログなしさん(血液製剤、HIV)、17.ヒデホさん、18.すずめさん(那須)、19.Hさん、20.イチゴさん(立川から)、そして21.山口つとむ

川西先生の無償の全国的活動は尊い、心の底から感謝している。なぜなら、講演会がなければ、お仲間に出会うことは難しかったからだ。

交流会に出てなければ、武蔵野赤十字病院に通い続け、待たされ、未だにハーボニー治療ができない状況だったかもしれない。ちなみにアッヴィを投薬されたら、わたしの場合、多剤耐性でウィルスは消えなかっただろう。



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大腸がんブログを読む

1.ほぼ、健康を取り戻してきていると実感している。とりわけ6年前の大腸がんから今日まで、よく切り抜けてここまできたものだと感慨深いものがある。

2.ヤケクソで笑って、なるようになれ!と楽観主義を意識したこと、自分の不機嫌に無関心になると決めたこと、、それがよかったのかもしれない。さらに、2014年12月に次女も授かったわけで、抗がん剤などのリスクをよく切り抜けたものだと、わがことながら、感心する。

3.今、大腸がんブログを閲覧している。わが身の闘病の記憶と比べ、つらい内容のものが少なくない。とりわけ、腸閉塞の処置として、鼻から小腸まで管をいれる、という。わたしの場合、幸いにして腸閉塞にも、人工肛門にも、ならなかったが、、この差は紙一重の差、薄い腸粘膜の浸潤の差、に過ぎない、わたしにも起きたかもしれない、、と読んでいて痛感する。

3-2.自慢したいのではない。わたしはブログでがんのことをあまり書かずに来た。それどころじゃない、必死だったので、ブログから遠ざかってしまった。ヘタレだな、俺は。

4.サバイバーとの違いは、紙一重の差は何なのか?サバイバーは強運なのか、、冷静に知りたいと、今、思っている。それと脈絡はあるかないかわからないが、そろそろ「病気依存性症?から脱却したい」と思っている、からだ。

5.わたしと同じステージ3だった、みづきさんという女性の600記事のブログを、すこしずつ読んでいる。大腸がんブログの頂点ではないかと。2008年、38歳で亡くなられている。2010年にわたしが直腸がんを告げられとき、同病の方がたのブログを読みに読んだが、みづきさんのブログには出会わなかった。読んだら冷静にはいられなかっただろう。不遜な言い方かもしれないが、わたしの身代わり?になっていかれた感じがしないでもない。人は、深層意識のもとで、つながっているように思う。

6.みづきさんのプロフィールには、シリコンバレーのIT企業のCFOをされていた、とあった。おそらくは、中高から大学まで名だたるところにおられただろう。下克上の受験生を持つ親があこがれる教育をほどこされたのだろう。がんによる夭折に、ご主人、両親の悲しみは深かったに違いない。

7.みづきさんは、「気」について、こう書かれている。
そんな中、唯一少しだけ効果があったのが、主人の「気の注入」だった。おしりに手を当てて気を入れてもらったのだが、それをやっている間だけ、なぜか痛みが少しだけ和らいだ。気の注入は何もこれが初めてではなく、いつもびわの葉温灸中に1回やってもらっている。が、いつもは特に変化はないのに、なぜか今回は明らかに痛みが和らいだ。やはり主人の本気度が違ったからだと思う。当てていた手から、ものすごくエネルギーが私のおしりに伝わってきた。日本語で「手当て」というが、まさにそのとおりだと思った。科学的にはどういう作用があるのかは分からないが、手を患部に当てるだけで、なにかの作用があるのだと思う。まさに今回この身をもってそれを感じた。

わたしも闘病中に、気功をやったので、とてもよくわかる。ご主人が手からエネルギーが伝わってきた、という惑うことの無い事実だ。みづきさんが語るコトバの奥にある心は透明感がある。気は実在する。



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肝炎のコメントをくださった方々・総覧

1991年に始まる採血データのファイルは、2010年以降のものを除き、捨てることにした。C型肝炎は決着したと見切ったから。かなり分厚いが、もう要らない。

次に、以前、同じC型肝炎患者として、このブログにコメントを下さった方々を、2006年11月の最初にさかのぼって、総覧しておこうと決めたが、頓挫した。そこで無理せず、まずはハンドルネームと日付とか、簡単に書き込むことにしよう。

1.渡辺時雨さん 2006/11/5から。11/2がブログ開始だった、、一番最初にコメントをくださった。どうしておられるか、気になっている

2.前向きさん 2006/11/9から、ずいぶん前にコメントをくださっていて、驚いた。お仲間の方々はご存知だが、わたしはまだお会いしていない。

3.ひろし&さゆり さん 2006/11/11

4.ハウザーさん 2006/11/20

5.たれぱんだ さん 2006/11/22

6.Borrachoさん 2006/11/23

7.みわ さん 2006/11/25

8.ブルさん 2006/11/29

9.love_guitarさん 2006/12/23

10.ぽん太さん 2006/12/28 清河病院に通われているとあったが、どうされているだろう?

11. paukenschlagzeugさん 2007/07/26 大学病院のお医者さんであり、C型肝炎患者であったと記憶している。すでにインターフェロンフリー薬を予見されておられた。そこで、この方のブログを検索してみたら、、
「最近保険承認された二剤[ダクルインザ錠、スンベプラカプセル)併用の治療を開始したのが、2015年7月10日」とあり、12月に治療を終了。SVRになられたようだ。アトピーの傾向があり、治療中はかゆみの副作用があったようだ。ハーボニーを選択されてなかったことは驚きだった。さまざまな選択があるな、、

12.すずめ さん2007/9/7 肝炎訴訟のことでコメントをくださった。実際に、2015年2月に川西先生の講演会の際、お会いした。イラストから女性かと思っていたので、意外だった。ばんばんさんと同じくらい、とても励まされた。すずめさんも、すでにSVRになられている。

13.みもさん 2007/9/8

14.sinさん 2007/10/11 公費助成制度の話をしてくださった。関西の人。

15.ばんばん さん 2008/10/21 C型肝炎患者サイトのパイオニアであり、わたしたちの灯台となり、続けておられる。リスペクト。常に有益情報を発信されている。このときはウルソを飲んで捲土重来とコメントをくださった。人づてに、インターフェロンフリー薬で、すでにウィルスは駆除されておられるようだ。直近の、コーヒーが肝がん予防になる話は秀逸。

16.まいまい さん 2009/1/13 VRADとローコールの話。VRADは血中ウィルスを濾過する治療法で、まいまいさんはこの治療をされた。


ここまで#36



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岩波文庫の一束

1.朝、次女を保育園まで送るとき、自転車ではなく、ベビーカーを使っている。15分かかるが、途中、通る家の窓越しに外を見つめる猫が二匹いて、いつも次女は手を振りながら通過する。ある日、その家の人にたずね、猫の名はココモ、ココと知った。

2.次女を保育園にあずけ、空のベビーカーを押しながら帰る途中、岩波文庫が一束捨てられてあった。今日、このあたりはダンボールや紙類のゴミ回収日だった。岩波文庫は古ぼけていたが、表紙をみると、ベルグソンやヘーゲルやキルケゴールなど思想哲学系の文庫だったので、ベビーカーの中に入れた。廃棄されるなら、持ちかえって、サクッと眺めるように見ててからでも、いいじゃんと思った次第。アメミヤという印字があり、鉛筆で線が引かれている文庫もあった。人の読書の航跡を観るのは嫌いではない。

3.その中にあったキルケゴール「死に至る病」を眺めていると、2014年に大腸がんでなくなられたであろう札幌の男性の方を思い出した。お会いしてはいない。ブログで一二度コメントでやりとりしただけだった。ブログは毎回短い文章だったが、北海道の草原の風のような余韻を行間から感じさせる文章だった。

最期までキルケゴール「死に至る病」を枕元において読まれていたようだ。読書の選択に覚悟を感じた。わたしも直腸がん術後の闘病中だったので、他人事ではなく、わが身におきかえてブログを読んでいた。(腹膜播種による腸閉塞がおきていて、さぞかし痛かっただろうに、、)と。

4.キルケゴールは言った、、
「死に至る病とは絶望のことである」と。
井上ひさしの最後の戯曲「組曲虐殺」のコトバに、

「絶望するには、いい人が多すぎる。

希望を持つには、悪いやつが多すぎる。

なにか綱のようなものを担いで、

絶望から希望へ橋渡しをする人が

いないものだろうか。

いや、いないことはない。」

「命あらばまた他日。元気で行こう。

絶望するな。」

(高校の友人 山本龍二よ、2012年12月、
観る機会を与えてくれて、ありがとう)

5.しかしながら、あらためて、こう思う。

生死は、潮の満ち引きのように、
連綿と繰り返される。

あいにくだが、極楽、天国、、上がりはない。

札幌の方は、いつの日かふたたび、
キルケゴールを手にすることができるだろうと、、

そして、あるとき、
手塚治虫「火の鳥」の猿田彦のように、
天を見上げ、つぶやく。

「また、一からやるのか、、」と詠嘆する。



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肝臓病教室の素描

1.昨日は国府台病院の肝臓病教室に行った。
この日のテーマは、前半は肝硬変患者の食事指導の話と、後半はC型肝炎の最新治療の状況についてであった。すでにSVR13をNTT病院の検査データでわかっていたが、あらためて、肝臓病教室を司っておられる村田先生にお目にかかり、「ケンシュツセズ」を確認しておきたかった、ためでもあった。

2.この上なくいい天気だし、なんだか25年間の闘いに勝った凱旋気分もあって、昼に缶ビールを飲んで、ほろ酔い加減、もともと強くないので、電車の中で顔は真っ赤、アセドアルデヒドが出まくりで、自重しないと食道がんになってしまうな、、
10分遅れて教室に入ると、村田先生と目が合い、思わず「飲みました」という仕草をした。村田先生は微笑んておられた。(あぁ、これで「ケンシュツセズ」は間違いないな)

3.前半の、管理栄養士の古田先生のお話は、酔いがまわり半分寝ていた。肝硬変にはなってないし、と引き気味のせいもあった。ただ古田先生は実にていねいにお話しされる。そこで、慢性肝疾患と食事について、
⑴バランスの良いものをこころがける。
a)低脂肪食を。乳製品も高脂肪のものや、古い油は使わない。
b)タンパク質は適正量に。昔よく言われた高タンパクは不要。
c)毎食、野菜を多くとること。便秘予防。根菜、海藻、キノコ類
野菜ジュースは、野菜の代わりとして不十分。食物繊維が少ない。
d)穀類は適量。炭水化物は肝臓にやさしい。
⑵禁酒。酒は健康管理に必要なし。(キビシイな)

4.後半は、「C型肝炎に対する治療法の進歩」というテーマで考藤(かんとう)先生の話。カントウ先生は4月にセンター長になられていた。溝上先生は別の役職になられ、カントウ先生にバトンを渡されたようだ。カントウ先生は去年とことなり髪が真っ白になられ、痩せられた感じがした。ちなみに溝上先生は診察は引き続きされていて、最後の救いの手、多剤耐性の患者さんたちを診ておられるようだ。感謝。

4-2.カントウ先生はこう話された。
⑴日本の、HCV感染者は推計153万人。65歳以上が多い。
⑵ALT30以上は肝がんの危険性が高くなる。
⑶ダグラアスナ耐性変異があらわれた場合の再治療の選択肢。まだ手さぐり状態。1万人おられるようだ。

⑷ギリアド社がインドの後発薬開発メーカーとソバルディのジェネリック製造を承認する契約をした。これにより1錠1000どるが10ドルになるようだ。C型肝炎患者は、中国、インド、エジプト、インドネシアそしてパキスタンに多くいる。WHOは必須医薬品は個人、コミュニティの手の届く価格で供給する提言をしたことと関係があるようだ。

⑸一番印象に残った話は、次の症例であった。
1947年生まれ、今年69歳の女性の、不思議な症例。既往歴は
1987年(40歳) 子宮外妊娠(輸血あり)
1997年(50歳) 糖尿病
2002年(55歳) C型肝炎と診断(GT-1b 高ウィルス量)肝生検F3/A2→インターフェロン/リバビリン24週、結果TR
2006年(59歳)肝生検F3-2/A1→ペグインターフェロン/リバビリン48週、結果はSVR
2008年(61歳)HCV RNA(ー)
2010年(63歳)肝がん13mm、つまりSVRになって3年後に肝がんを発症したことに。
2013年(66歳)肝がん31×22mm、AFP82、PIVKA-Ⅱ 1638になった際、同時にC型ウィルスが再燃したことだ。今、これを書いていても不思議に思える。同じ遺伝子のウィルスだったのか、はたまた、あらたな感染によるC型肝炎ではなかったか、とか知りたくなってきた。糖尿病と関係しているのでは?

これこそ、これからの私たちの問題となるテーマだ、、ちなみに、この方は2014年(67歳)に、肝がん手術をされた、とあった。

5.終了後、個別相談にあたられる村田先生がわたしの前を通りすぎようとした。あらためて「わたしのウィルス、検出せずで大丈夫でしょうか?」とおたずねすると、振り返られ、ほほ笑みながら、左手の親指を立てられた。快哉。次はSVR24の7月28日の検診だ。



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都知事の蹉跌

1.コメント返信…デルさんへ、M先生のもとでハーボニーを開始されて良かった、嬉しいです。デルさんの場合は、おそらく、早い段階でウィルスは「ケンシュツセズ」になると思います。言うまでもないことですが、副作用はほとんどありません。リスクは飲み忘れだけです。過去の治療方法を経験されていないデルさんが、ある意味、うらやましいです。いい時代になりました。

2.平成20年5月、第1回肝炎治療戦略会議で冒頭、舛添厚労大臣はこう述べた。

「それで、皆さん方の御協力を得まして「肝炎治療戦略会議」というものをここに立ち上げましたわけでございますけれども、やはり肝疾患の専門家である皆さん方の英知を結集していただいて、どういった研究をすればいいのか、そして、7年後には肝炎を根治可能な病気とする、こういう目標を掲げて、この7年計画の戦略を構築したいと思っております。
 是非、この肝炎研究7カ年戦略で皆さん方の英知を結集していただいて、患者の皆さんが、これで治療できるんだ、根治できるんだ、こういう光を見出せるように、我々も全力を挙げて、一緒になってこの対策を立てたいと思いますので、どうか御協力を賜りますとともに、忌憚のない御意見を賜りまして、この戦略会議を成功に導きたいと思っておりますので、ひとつよろしくお願いいたします。」


お見事!いい先鞭をきられた大臣だった。7カ年戦略とおりハーボニー薬はまさに根治的治療薬となった。めでたしめでたしだったはずなのに、、

2-2.あれから8年が過ぎ、舛添さんの立ち居振る舞いは、厚労大臣のときとは変わってしまわれたようだ。
いったい、いつからそうしていたのかはわからないが、公私混同の舛添都知事の言動をみて、つくづく呆れてしまった。
アルカイダにお友だちがいる鳩山邦夫氏と、全国1.2位を争った頭脳の国際政治学者だったはずの都知事だが、なんだか泣き叫んだ兵庫県議会の野々村議員と重なる。

恥ずかしいほど、おそまつなセコさ。なにしろ、このごに及んで、生き残ろうとする小賢しさに腹が立つ。こんな人だったのかとガックリくる。議場内の立ち居振る舞いも気に入らない。クールビズでも、この知事だけは襟を正す意味でネクタイして入るべきだし、スーツのボタンをはずして着席していてはならない。そんな感性もない人だったとは。

3.面従腹背で、都知事の腹の中は「セコくてどこが悪い、みんなだってやってるじゃないか!」と思っているように見える。あげくに、別荘売却なんてトンチンカンな対応だ。

宮崎県の前知事が面白いことを言っていた。
防衛大臣だった田中直紀議員は、出席を求められている予算委員会をすっぽかして、議事堂内の食堂でコーヒーを飲んでいた。必要レベルの答弁ができず、田中さんの頭はフリーズしていたのだろうが、欠席を糾弾されると、「これからはコーヒーを飲まない」と応えた。今回の舛添さんの別荘売却は反応は、田中さんのコーヒーを飲まない発言と同じだ、と東国原さんは指摘していた。ズレた反応は、たしかに似ている。

舛添さんは、残留できたとしても、まだまだ逸脱行為があらわになる、文春は出してくる、と見る。ブラジルのオリンピック閉会式の出席を待たずに、15日の閉会までに、辞任すべきだ。

4.実は、都知事選で、この知事に一票を入れた。社会福祉に力を入れると期待したからだ。ところが就任後、一度も福祉関係の視察はしていないという。なんだそれ!
実の母親の介護のことを書いてベストセラーになった本も、実際は献身的介護はしていなかったと親族が語っている、という。議会はもう、虚構の幕はおろせた方がいい。

追記 6月10日の現在、都知事は、このままでは死んでも死に切れないと、続投を表明している。強い心臓をしている。スポーツ選手のような、ある種、集中のZONEに入っているのかもしれない。



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肝炎25年の風景 その1

1.今朝は月曜、次女を保育園に連れて行き、フトンカバーをセットし、一通り支度を終え、次女にサヨナラのハイタッチをしようと、チューリップ組に行き、次女に声をかけると、次女はわたしの顔を見たあと、保育士の先生たちの顔を見て、わたしに近寄ってこない、テーブルにすわって、あさのオヤツが来るのを待つような光景。あぁ、次女は少し変化した。ステップアップしたようだ。変容は突然、おとずれる。

2.C型肝炎は、ハーボニー終了後24週目にあたる7月26日をまたずとも、終息したと見切る。肝炎に意識を向けるのを切り替えよう。そうこころを傾けていると、不思議と昔の、同病の方々の顔が思い浮かんで来る。きまって明け方の時間に浮かぶ。話した方もいれば、お見かけしただけなのだが、なぜかフラッシュバッグして浮かんで来る。

3.全身倦怠感で入院した御茶ノ水の順天堂病院のときの人たち、東大病院のときの人びと、南町医院のときの面々(ボサボサ頭の人、昭和の映画の大部屋俳優だった人、子煩悩だがホンモノの反社会勢力の人とか)なんか、おぼろげな像が浮かんでくる。あらためて、よくわが身は持ちこたえ、生き延びたものだ。著効になっている人もいただろうが、多くは不明な方々であり、明るい表情はしていなかった。鬼籍の方もいるかもしれない。

昔、見舞いに来てくださった方や、病院で出会った方で、住所をひかえてある方は、この夏に礼状を出そうと思う。

4.ペグリバ前のインターフェロンとリバビリン2剤併用療法で東大病院に入院していたとき、湘南の人でサトウさんという方がおられた。退院後、再燃されたが、2014年ころにペグリバで著効になられたとおもう。正直、羨ましかった。なぜ自分は治らないのだろうとわが身をせめたものだ。そして肝炎から遠ざかり、無関心を装った。おまけに大腸がんにみまわれたから、さらに遠ざかって行った。今の治癒につながる肝炎のお仲間、とりわけakioさんから交流会のお誘いコメントをいただいたときも、無駄じゃ無駄じゃと、自分の肝炎は治るわけないと決め込んで、伺おうとはしなかった。

5.今、そのサトウさんにお便りを出したいとおもっている。70歳くらいか?サトウさんとはいい対話がてきた。後妻と子どもとの確執とか、うっすらと話されていて、人生は難しさを感じさせたな、、美しい不忍池を遠望する食堂での語らいだった。

6.散文詩的断想を、、1日に数千億の細胞が生死する身体は動的平衡を保っている。ステージの右手から左手に流れ去る平衡という映像のように感じていたが、たぶん違う。それは円環であり、回転軸のようなイメージの方がいい、、中心軸から細胞が生じてきて、遠心力で広がり、代謝する、、そういうイメージだ。宇宙はそのように生々流転しているだろうし、プロティノスのいう「一者」も、そのようなイメージに切り替えよることにしよう。。



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体重の増加

ハーボニー治療が終わっ後、徐々に体重が増加している。今朝は64.75kgになっていて、約2kg増えた感じた。C型肝炎ウィルスが消えたあと、体調がいろいろ変化することを、お仲間のブログから知っていたが、わたしの体重増加も、そうした現象なのかもしれない。

11:30 三好先生の診察。ハーボニー治療の経過をお知らせする。笑顔。胆嚢ポリープのことをお聞きする。あまり気にしなくていい、とのこと。15年近く診察いただいたが、これでひとまず、決着した。恬淡としいる。いずれ治る病気とわかっていたかのような、わが身の落ち着きように、驚く。年内にもう1回、三好先生の診察を受けることにしよう。



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オバマ大統領の広島スピーチ


5月27日、オバマ大統領の広島スピーチ 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」という趣旨のスピーチについて、、長文だが、必ずまた読みたくなるだろうから、コピペしておきたい。

オバマ大統領は、広島市の平和記念公園で原爆死没者慰霊碑に献花した。そして、現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を訪問。原爆投下国として、広島と長崎を含む第二次世界大戦のすべての犠牲者らに哀悼の意を示すスピーチをした。その中で「核なき世界」を主導する責任についても言及した。

悲しい話だが、、大統領の近くに立つ米国士官が核のボタンが入った装甲ブリーフケースを持って立っていた。

献花には安倍晋三首相が同席した。オバマ大統領のスピーチを載せておきたい。

■オバマ大統領「広島と長崎が教えてくれたのです」

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?

私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。

彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するようにに求めています。

広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。

どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。

多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。

広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。

数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。

しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。

私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。

物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。

より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。

どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。

国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。

科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。

現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。

技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。

だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。

私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。

私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。

私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。

私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。

言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。

いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。

あの運命の日以来、私たちは自らに希望をもたらす選択をしてきました。

アメリカと日本は同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。それは私たち人間が戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。

ヨーロッパ各国は、戦場を交易と民主主義の結びつきを深める場に置き換える連合を構築しました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を防ぎ、核兵器の存在を制限し、縮小し、究極的には廃絶するために機能する組織と条約をつくりました。

それでもなお、世界中で目にするあらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、私たちのやることに終わりがないことを示しています。

私たちは、人間が邪悪な行いをする能力を根絶することはことはできないかもしれません。だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。

私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。

それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。

人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。

しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。

亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。

世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。


1960年代、チェゲバラが慰霊の献花をしたが、それ以来のエポックのように感じた。

71年の歳月が流れたが、鎮魂の大きな一つの区切りを感じた。

ふと、リンカーンのゲティスバーグ演説が思い浮かんだ。きっと、100年後も、語り継がれるだろう。

これを、演説を機会に、英語を学ぼうかな、、生まれ変わった気分で。
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2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
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