折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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長女の中学受験を考える

7月27日ころから、7ヶ月の次女はハイハイをしはじめ、コーギーの水飲みのトレイに近づき、水浸しにしてしまう。しかし、次女の話ではなく、長女のことを。
1.長女は夏休みに入るころ、突然「このまま地元の中学は行かない。他所がいい」と言い出した。

2.想定外だったが、向学心が現れてきたと理解した。私立に通わせる経済的余裕はないが、公立の中高一貫校なら、今から取り組めば、ひょっとしたら入れるかもしれない。

3.調べてみると、理系好きな長女には小石川が一番理想の学校だとわかった。都内の公立の中高一貫校では一番国立の大学合格者を出していた。

4.その試験問題(適性検査)をみると、難しいが、その意図は「自頭による思考力」を観ていると感じた。通常の知識の出来不出来ではないことがわかり、妙に納得できた。

5.そこで、どうやって、金をかけずに合格レベルまでの環境作りをするか、種々考えた。方針はこうだ。

①従前とおり、有名な進学塾に行かない。氷川台の田中先生とやり取りして積み上げる。
②そのモデルは渋谷の「竹の会」だ。できるだけ資料を集め、どんな感じか?想像する。渋谷は遠い。
③合格カリキュラムを作る。独自に表をつくり、進捗管理する。
④キモは長文読解力と作文力だろう。国語は出口さんでなく、福嶋隆史さんでいく。
⑤受験対策も、親による、一種の「自由研究」なんだな、と気づいた次第だ。
わたしが監督、田中先生はコーチになってもらおう。とか、、夢想しはじめている。とりあえず、過去問を購入する。子どもの受験だが、親の俯瞰と抽象のチカラが問われるのだろう。ともあれ田中先生の言葉、「一冊をくりかえし、くまなく、丁寧に」がキーワードだな。

とまあ、書いてはみたが、さてどうなることやら?

追記、Z会のサイトから小石川の情報を以下にコピペする。

本来の入試問題は、それぞれの学校が教育方針に基づき、「どのような生徒がほしいか」という考えの元で作成されるものであり、それぞれの学校で独自に作成されて然るべきものだが、、

小石川は、決められたルールの中で、最大限に自校の特色を出そうとしている。

小石川は、適性検査Ⅱでなるべく知識系の問題を入れ、適性検査Ⅲで小石川の特色でもある理科実験を素材とした問題を出している。従来通り、理科に関心が高いながらも学力・知識のバランスが取れた生徒を望んでいる。

全ての都立中高一貫校において、問題全体で見るとやや独自性が薄れるかもしれないが、問題の出題傾向が根本的に変わることはない。

150730に乾癬の治癒を宣言する

1.ひとまず今日を乾癬終息の日としよう。
理由は、昨年の今日、C型肝炎ウイルスが消えたとわかった日から1年になるだからだ。

2.なんのこっちゃ、と思われる向きもあるかもしれないが、体験として、C型肝炎と乾癬は密接な関係があったと見ている。去年6月、シメプレ治療を始めた入院4日目には、右足の裏の痛みが緩和して、歩行が楽になった。そして次第に右手の浮腫が緩和されて行った。乾癬性関節痛の緩和は明らかだった。

3.赤みは、現在もまだ多少出て来る。なので、残った塗り薬は使っている。でもそれがなくなったらならば、ビーソフテンだけ継続させ、あとの乾癬治療薬は使わない。

4.治癒の機序は、簡単に言えば、C型肝炎ウイルスが消え、かつ腸内環境が改善されれば、乾癬は治癒する、、という理屈。

5.実際、私と同じようにC型肝炎治療でインターフェロン投与で乾癬になり、その後ペグリバでウイルスは除去されたものの、乾癬は治ってはいない男性がおられた。僧侶なので、長時間座ることを余儀無くされることも影響しているようだ。お会いしたわけではないので、こんな表現になるが、事実だ。

6.インターフェロンでなった乾癬をペグインターフェロンで反転させる機序は、どうにも説明つかないが、毒をもって毒を制すと、あらかじめ予感はしていた。ギリアドでは、こうした劇的変化にはならないかもしれない。その意味で、私の場合は、昨年のシメプレ治療は意味があったのだ、、と確信している。

7.昨夜、近所の温泉銭湯に入ったが、乾癬の気遣いはしていない自分になっていた。

以上、何度も同じことを書いてきたが、ひとまず、乾癬の終息宣言をする。



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あとひと月

1.先週水曜日にギックリ腰になったが、今朝痛みは、ほぼ消えた。ありがたい。

2.予想する肝炎治療戦略会議は8月31日の月曜日だとすると、残り33日。

3.保険適用、薬価収載になったらすぐ、限度額認定証で治療に入ろうと思っていたが、ここはじっくり助成制度のレールに乗って治療することに決めた。焦るのは、やめにしたのだ。私の場合、半年はウィルスは消えていたわけで、それほど肝炎のダメージはない。東京優位の上に乗っかってやるのは、私の場合は、美しくない。東京都の助成を淡々と手続きしよう。

4.地方の方たちと治療格差があってはいけない。



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いのちの歌

1.きのう、「いのちの歌」を知った。感動した。



2.TBSこども音楽コンクールを見に、新小岩まで行き、たまたまその曲を聴いて、打ち震えたのだ。

3.作詞は竹内まりやさんだった。サンデグジュペリの「星の王子様」がベースにある。



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第4回世界・日本肝炎でーフォーラム

1.フォーラム会場に13:30頃入ると、伍代夏子さんが話されていた。肝炎対策特別大使という肩書き。観光大使みたいなものか。

2.政党の挨拶。自民、公明、民主、共産と話された。民主は菅直人さんが出てきた。元総理は名乗らなかったのは賢明だ。どうにも「存在の耐えられない軽さ」を感じてしまう声の持ち主だ。かつて最小不幸社会の実現とか言っていたなと不覚にも、思い出してしまった。ただ、聴衆はどの党にも拍手をおくっていた。高額な薬価となるハーボニーに対してクレームをつける政党はいない感じがした。まだ、油断できないが。

3.九州の肝炎訴訟の代表の方が、医療態勢の地域格差の解消を訴えられていた。東京に住むわたしは恵まれているのだな、とあらためて感じた。

4.個体差はあるにせよ、ハーボニーが始まりだしたらC型肝炎150万人のうち、75万人は治癒する。問題は肝硬変や重篤になられている方方75万人に対する助成をどうするかすに、対策の目線がすでにシフトしているんだな、と感じた。

5.ハーボニーでウィルスが除去できた後、肝臓病は治ったと思い込み、油断することへの警鐘があった。治癒後、飲み過ぎ、食べ過ぎ、太りすぎ、さらに糖尿病により肝がんを発症するエビデンスが示された。他の臓器と違い、油断大敵であり、定期的にエコー、CTをやらなければならない。

6.榎本信幸先生の最新治療の講演は秀逸だった。チョキ、パー、グーの比喩により薬剤耐性を説明されたのは、目から鱗が落ちた感じがした。くわしくは、akioさんのブログをご覧あれ。ダグラ/アスナをやらずに待機の判断は、やはり正しかったのだと。なお、詳細は東京肝臓友の会の会報に掲載される。

7.フォーラム終了後、akioさんとHさんと三人でお茶して、さまざまな情報交換をした。詳細はマイコードで書かない。が、一点だけ。肝臓の周りのリンパの浮腫については新鮮だった。わたしの場合、今まで一度もそうした浮腫の指摘はなかったからだ。次回の診察で、話題にしてみようと思う。

以上であった。お茶しているとき、新たな芥川賞作家、又吉直樹?さんの「火花」を読んでいる若い女性がおられた。あぁ芥川賞効果だな、こうして200万部のベストセラー作家になっていくんだな、と。



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ぎっくり腰4日目

1.ぎっくり腰になってから4日目の今朝、回復して来ているなと感じた。

2.回復の要因の一つに、ツムラ89を飲み始めたことがあげられる。ただし、昨日間違えて一日4回飲んでしまった。3回でいいのに、、すると昨日夜から下痢が始まった。寝ているときは大丈夫だったが、今朝、コーギーの散歩していて、突如腹痛になり、家に引き返し、かろうじて間に合った。

追記、、昼以降、下痢は治まった。もう下痢は大丈夫だろう。

3.このところ体重が64kgに近づき出しているから、この際、下痢はよしとしよう。
遠い昔、下痢になったときに南町医院の永田院長に、明るく「下痢で体重が減って良かったじゃない」と言われたことを思いだした。今回の下痢は大腸ガンとは関係ない、その症状とは違う、と見切っている。妙なこと言うがお腹まわり、丹田を手でさすりながら、大腸と対話して見ると、、対話とまではいかないが、なんとなく教えてくれる気がする。



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今度はギックリ腰に

1.きのうは歯が痛みだし、今朝は腰痛になってしまった。玄関先の葉っぱに水をかけようとバケツを左右の手に持った瞬間、発症した。あれれれー、なんじゃこの痛みは、、ギックリ腰ってこれか?

2.腰痛は、歩くのが辛い。椅子に腰掛けてしまえば、痛みは感じないで済む。なので、外出はおっくうになる。医者に行く気にならない。そこで夜、近所の温泉銭湯に行き、電気風呂10分入った。幾分楽になった。ちなみに電気風呂は三種類の波動があり、5分間隔で繰り返され、ずっと続く。

3.今朝、ツムラ89 治打撲一方30袋分を薬箱から発見。去年だか、関節痛治療で処方してもらったが、乾癬が改善するとともに関節痛は消えていき、ツムラ89はのむ必要ないと判断し、在庫に。打撲ではないが、ギックリ腰は魔女の一撃というから、それを飲むことにする。

4.ギックリ腰から3日目の今朝は、少し痛みが柔らいだ。どうやら右側の腰が一撃されたのだと、ようやく気付いた。



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ダラスバイヤーズクラブ

1.予想だが、昨年と同じような進捗ならば8月14日(金)に第15回肝炎治療戦略会議の開催案内が告知されるだろう。

2.昨年見損なった「ダラスバイアーズクラブ」をDVDで見た。2010年以降の映画の中で、わたしのベスト5に入る。実話だ。広い意味で感染症患者として、考えて動く、その必死さが痛く伝わる。映画の背景とか、感じたことを箇条書きにすると、こうだ。
⑴レーガン大統領はHIV研究に無策で、FDAはHIV患者にとって、治療の障害になっていた。そんな中を一人で立ち上がったこと、、それが尊く、立派だ。言葉はきたないが、屹立している。

⑵同じレトロウィルスであり、HIV研究の進展がHCV治療薬開発の後押ししたな。

⑶映画の主人公は電気工事士であり、カーボーイであり、奔放な性生活をおくる独身のテキサス男だ。HIVを宣告されると、一瞬なぜだ?というようになっていく。
わたしの場合、1991年8月のC型肝炎とわかった瞬間を思い出す。医者との乖離を感じ、原因に納得できず、こころがかき乱される。ただ主人公は「座して死を待つ人」でなく、自分で徹底的に情報を集め対策を決める人であり、外国から薬を調達し会員制で同病の患者に分配する、そうした機転のきいたやり方に強く共感する。無論ビジネスライクだろうけれど、暴利は貪ってはいない。そんな利殖は意味はない。大切なのは生きる姿勢であり、同病の仲間と情報を分かち合っていくこて。敗訴の後のシーンは、映画のキモだ。セリフはないが映像からわかる言葉がある。「生きる」だ。

⑷AZTの研究開発者は日本人であるが、その人はそれで儲けてはいない。当初、抗ガン剤として開発されていたAZT(アジドチミジン、別名をZDV)に抗HIV作用があることが発見された。発見したのは元熊本大学医学部教授(現在国立国際医療研究センター臨床研究センター長)の満屋裕明氏だった。今も新宿区戸山のセンターにおられるのかな。満屋先生はその特許はとらなかったようだ。その利益は欧米の医薬品会社がとって行った。1987年に世界初の抗HIV薬として米国で処方がおこなわれるようになった。日本は新薬の承認が世界に遅れがちだったが、AZTに関しては米国と同様1987年に処方が開始された。映画の主人公はそれが治療薬としては不十分であり、むしろ正常細胞を死に追いやるリスクが高いと忌避する。今の肝炎治療薬ダグラ/アスナが重なって見え、よく分かる。この主人公は自分のカラダを使って試して、効く薬を絞り込み、会員に推奨したのだ。当然、FDAとぶつかり、訴訟になり負ける。が彼のような人たちの行動により、規制が緩和されたのだ。感染症患者全体に流れを作ったのであり、感謝とリスペクトしたい。

⑸主人公が日本を訪れ、αインターフェロンを買い求め、帰りの空港トイレで注射し、ダウンするシーンがあった。その副作用は実感できた。初期のインターフェロンは競争馬の治療に使ったりしたもので、カラダにきつかったはずだ。わたしも初期のαそしてβのインターフェロンを合計120本くらいは打っているから分かる


⑹スーパーで加工食品を避ける食習慣は、強く印象に残った。1980年代に何を食べるべきか方針を立てていたことは珍しかったに違いない。

⑺余命30日をはるかに凌駕して、7年伸ばしたのは見事な人生だった。たしか膵臓がんのスティーブジョブズも7年延命したと思う。映画の最後の方で、子どもが欲しいと言っていたな。



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刺青と乾癬

1.2週間ぶりに、近くの温泉銭湯に行った。プレミアム商品券で回数券10枚買うと、1回の銭湯代が約100円安くなる。そんな客は、その銭湯ではわたしが最初らしい。

2.銭湯に入ると、カラダに刺青の人が決まって4〜5人いる。ふと気付いた。刺青と乾癬は似ていると。刺青の人は彫り物がずっと残ることに意味があるわけだし、乾癬患者も皮膚の代謝、ターンノーバーが速すぎる現象が悩ましいわけで、普通の代謝の長さになれはいいだけの話。時間の尺度が違うだけで、刺青も乾癬も、自分の皮膚をできるだけ長く、残したいという欲求があるはず。刺青に共感はしないが、、

3.今体重は63.8kgあり、増加傾向だが、腹囲が増えなけれは、その体重でよしと思っている。

4.乾癬の現状は、ときどき、かゆみが後頭部、背中に感じる程度。パドルテニスから帰ってシャワーを浴びると、前と違って、なんとなくスベスベした触感がある。皮膚内部の微妙な熱も感じなくなった。乾癬は快癒に向かっている。唐突だが、素朴な疑問。乾癬は何故皮膚ガンにならないのかな?と自問する。



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長女の夏休みは

1.きのうきょうと暑いさなか、小学校の体育館で、パドルテニスをやった。蒸し風呂に近い。一時間で汗だくになる。途中でボールが霞む。ストロークが3回くらいになるとラケットとボール距離感が微妙にズレてしまう。当面は二回くらいで終わらせないと。それにしても、5年前の直腸がんからよく回復したものだ、、とかこころをよぎった。

2.小学4年の長女は夏休みに入った。ただ毎日合唱コンクールの練習で、10時に小学校に行く日々。8月初頭まで練習はつづく。したがって小学校の自由参加のサマースクールは欠席する。

3.それでも、間を縫うように学校の宿題をやり、塾の夏期ゼミが12回あり、書道教室があり、さらには9月から新たに行く塾の無料授業がある。過密で、慌ただしい。ただ、哲学者アランはいう「勉強は知性の訓練ではなく、生活習慣の訓練である」と。生活のリズムが変わり、幼女から少女に変容する夏になる。

4.すると、きのう突然、そのまま区の中学校に行くのはやめた。私立とか、豊島が岡とか、いい学校に行きたいと言い出した。何んで、家から近くの学校がいいと言っていたはず、、少々驚く。友達の姉から中学校のマイナーな話を聞いたようだ。さて、どう環境を作るか。まずは話してみることにしよう。



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乾癬と白のTシャツ

1.つつましい話。先日、練馬駅近くの店、トキワで、綿の白の無地ねTシャツを2枚買った。1枚390円なら安い。綿でないと嫌だ。ま、下着にもなるし。普通の人ならば、他愛ない話だが、乾癬を患っているわたしの場合は、感慨深いものがある。背中やお腹あたりの乾癬が、汗や摩擦などで出血が出て、白いTシャツがすぐくすんで汚れてしまうので、買うときは決まって、紺とかグレーのTシャツにしていたからだ。

2.ようやく乾癬も治癒の出口に近づいているのかもしれない。判断は医者でなく、自分でする。遠い昔、患った水虫のときもそうだったし。

3.わたしの場合、毎年、夏が近づくと、体の内部から痒み出てきて、皮膚に立ち上がって来て、乾癬が悪化する。そして秋になると、やや乾癬は下火になる。その繰り返し。去年6月のシメプレビル三剤を始めたときが、一番乾癬がひどかったが、今年はその気配はまだない。機序はわからないが、その肝炎治療が乾癬治療になったと見切っている。

4.引き続き、和食とヤクルトは意識し、実行している。ヤクルトはやはりミルミルがいい。スーパーで買って、賞味期限が過ぎてから飲むようにしている。これ、おすすめします。

5.もう一つ、慎ましい話。このブログで、アフリエイトしている気は全くない。ブログの両サイドに種々貼ってあるものは、自分の備忘のためなのだが、今般数百円のポイントをAmazonからいただけた。本当に感謝、、ありがとうございました。これからは、少し意識して見直し、追加するようにしたい。

6.今、アルベール・カミュ「キリスト教形而上学とネオプラトニズム」を読んでいる。23歳の学士論文にしては見事だ。ずっと積ん読だったが、今、あらためて驚いている。福音的キリスト教、グノーシス、ネオプラトニズムそしてアウグスティヌスと時系列で、論述されている。異邦人はカミュ自身であり、カミュは地中海精神を本地?とした作家だったと気づいた。わたしは昔から、サルトルよりカミュが好きだ。



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国府台病院の受診02-2

1.溝上雅史先生とのインフォームドコンセント(対話)していると、、
「今自分は、C型ウィルス除去の長い曲がりくねったトンネルの出口が、その明かりが見えているんだな」と感じる瞬間がたびたびあった。

2.その日は、診察室の反対側の長椅子に座っていた。何人か互いに自分はCだとか、ナッシュだとか、話す声が耳に入った。武蔵野赤十字病院では、初対面同士がそんなやりとりする光景はなかった。わたしの場合は、このブログを通じて知り合った方と実際に病院で会い、有益な情報を教えていただくことが出来たが、そんなやり取りをしているのは、私たちだけだった。

3.ふと、溝上先生の診察室前の椅子で、話す男女2人の声が耳に入った。男の人の方だった。白髪で60代前半という印象。その方は、昨年インターフェロンフリーのダグラ/アスナを投与して、再燃した人のようで、薬剤耐性が出来てしまったから、自分はハーボニーでは難しい、、と話されておられた。トンネルの出口が霞んで見えないことだろう。けっして他人事ではない。ひとつボタンを掛け違えれば、わたしもその男性と同じ道を歩んでいたと、こころの底から痛感した。こういう時はよく、一瞬だが互いに目があってしまうものだ。少し笑いを含むような話し方だったが、その万感の思いが伝播したかもしれない。それほど、再燃は辛いものなのだ。その方とわたしの、たぶん紙一重の違いは何だったろう。。おそらくは、わたしの場合は、このブログで、ああでもないこうでもないと書いていたことが、差になったのではないか?唐突だが、バンバンさんに感謝している。そのブログは、わたしの闇を照らす灯台だった。

4.2013年の8月頃だったと思う。NHKで泉並木先生が出ておられたのを見た。遺伝子検査して治療する大切さを強調されていて、その通りだと感じ、秋になってから泉先生の武蔵野赤十字病院に行ったのだ。そのとき期待していたのは、インターフェロンフリー治療であり、それはダグラ/アスナだった。その治療をしたいと伝えると泉先生は、いきなり不機嫌になった。虎ノ門の熊田先生の新聞記事でダグラ/アスナの話をすると、大きい声ではないが、わたしにだけ雷が落ちたように「それをやったら後がなくなる。シメプレビル三剤ならば後があるから大丈夫」と力説された。なんのこっちゃ?全くわからなかったが、泉先生の言葉通りに従った。あらためて今、はっきり言える。正論だと。泉先生の診察を受けて本当によかった。虎ノ門に行っていたら、白髪の男性と同じ結果になっていただろうと。

5.だが、わたしにとって最後は溝上先生だ。ダグラ(DCV)/アスナ(ASV)についてこう書かれておられた。

「ASV、DCVも直接HCVに作用するため、どうしても薬に抵抗するHCV(耐性株)が出現します。ASVに対する耐性株をDCVが、またDCVに対する耐性株をASVが抑えてくれれば良いのですが、DCVに対する耐性株であるL31MorV、Y93Hは、ASVで抑えることが出来ず、治療効果に影響します。
治療前に耐性株を測定しても100%治療予測はできませんが、治療前からL31MorVやY93Hの変異が認める場合は治療効果が低下することは明らかですし、治療後に新たに出現した耐性株が次世代の治療に影響する可能性もあり、経口抗ウィルス剤の治療を希望される患者さんの耐性株を測定することは非常に重要だと思われます。」


6.となると、検査装置の性能と研究者の能力が問われるのだろうが、この国では国府台病院が最も優れている、と思う。厚労省の直下にあり、優秀な研究者、先生方が多く集まっておられるからだ。肝臓病教室に参加したとき、すぐそれがわかった。ちなみに、9月14日の肝臓病教室のチラシはもうないようだ。後半は溝上先生が話される。時節がら、マスコミも来るだろう。

以上が、国府台病院の通院2回目の心象風景になる。



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国府台病院の受診02-1

1.8:15に家を出て9:55に国府台病院に到着した。わたしの場合、通院時間1時間45分はギリギリの許容だ。今日はエコーと肝硬度測定したあと溝上先生の診察となる段取り。

2.10:25にエコー検査は是永圭子先生に診ていただいた。所見は「胆嚢、胆道、膵臓、腎臓、脾臓は異常なし。肝臓は異常あり。肝実質は不均一で慢性肝疾患。右肝静脈に接したS5に後方エコー増強とmarginal strong echoを有する12.3mm大の低エコー域あり、従前から指摘されていた血管腫に相当するのかもしれません。但し、同病変は右肋弓下走査では不明瞭。他に肝内に占拠性病変、肝がんは認めません」とあった。

3.翻ってみると、上記のようなエコー所見は、初めてよんだ。意味がわからない。溝上先生から説明を受けたが、この日私が最後の患者で、この後、急遽、本省会議に出なければならなくなり、慌ただしかった。その会議はハーボニー関連の重要なものだろうと、勝手に直感した。8月末の肝炎治療戦略会議はセレモニーであり、肝心カナメの会議は「今でしょ!」(古いギャグで恐縮)ということで、溝上先生の早口になっていた。

4.そんな中で、所見の用紙の空欄に肝臓の図を描き、たしかこう言われた。「肝臓の左葉のS2、S3、S4は硬くなっていて、右葉S5あたり柔らかく、肝臓は不均一」なのだ。なんとなくだが、肝臓における鈍い痛みの感覚と符合している気がした。9月12日の肝臓教室で、前半は是永圭子先生が話されるので、その終了後の個別相談のときに、この所見についてお聞きして見よう、、

5.次に、待望のフィブロスキャン、その検査は肝臓をコツコツ10回叩くが、無痛だった。豆腐のようなプリンプリンしている肝臓が衝撃を受けて、揺れ具合を測る、10回の平均値をとるらしい。肝硬度は5.4と分かり、繊維度はやっぱりF1だった。2013年12月に肝生検を武蔵野赤十字病院で行い、泉並木先生の評価はF1だったが、その再検証ができたことになる。溝上先生は、肝硬変は7、普通の健康な人の肝臓は4.5と空欄にメモしてくださった。治癒目標値がわかるとはげみになる。ちなみに、フィブロスキャンはフランスのechosens社のもので、100台しかないらしい。世界にか日本にかは不明。高額な医療機器で、武蔵野赤十字病院にはない。それにしても、1991年にC型肝炎と分かってから24年になるが、よくぞF1のまま、わが肝臓を炎症を留めてくれていたものだ、、妙な言い方だが、宇宙の縮図のように思えるわが肝臓に感謝したい。

6.最後は溝上先生との一問一答を。わたしの遺伝子検査について明快な回答だった。
・IL28B TG型は難治性
・ゲノタイプ 1bは、いわずもがな
・コア70 変異型、コア91 野生型については「インターフェロン治療のときは必要となる情報だが、インターフェロンフリー治療には関係ない、変異だろうと野生だろうと、この遺伝子解析は無用だ」と一刀両断だった。水戸黄門の印籠を見た感じで、心の中で、ハハァと頭を下げた次第、、

7.次回の診察は8月25日に。「その意味はわかるでしょ?」「はい、わかります」と、互いに笑顔で、阿吽の呼吸。

とりあえず、ここまで。



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次女の成長ぶりほか

1.夜散歩していると、石神井川沿いにある高稲荷神社付近でスマホを見ながら、行ったり来たりした人たちによく出会う。今夜尋ねてみた。ゲームをやっているとわかった。画面にその付近神社仏閣が現れ、複数の人とバトルをやっていて、歩く必要があるらしい。GPSを使ったゲーム。名前を教えてくたが、興味はわかない。散歩を続けているうちに忘れてしまった。後で調べたが「イングレス」といのかもしれないが、やる気はない。

2.生後7ヶ月の次女は、下の前歯が生え始め、母親の乳首をかじり始めた。痛い!と悲鳴をあげるが、次女はニコニコ笑う。まだハイハイはできないが、カラダをゴロゴロさせながら移動する術を覚えたようだ。

3.末期のスキル性胃がんの女性が書かれているブログのトーンが変わった。エンディング、、体調が深刻化してきている。ひたすら読み、祈るばかり。それと非公開のコメントを送る。わたしは絵文字がわからないせいか、そこにたまに書き込まれる無神経なコメントを見て、驚く。しかし自分も似たようコメントを書いたかもしれない。

しかしながら、その方は、キューブラーロスの最期のように、辛辣な言葉を繰り出す記事は全くない。限りなく透明に近い青を感じさせ、静謐だ。敬服している。

塾の閉鎖

1.長女が通う学習塾が9月で閉鎖になる旨、電話があった。教室長に早速面談して事情を聞いた。教室長は来年2月まで引き延ばせないか交渉したらしい。その会社の業績悪化による判断であり、閉鎖教室は他にもあるようだ。

2.長女の学習の意味は、自立した大人になること、還暦過ぎても仕事ができる女性になることにある。幸い、長女も意図を理解できているようだ。

3.日曜、一ヶ月ぶりに長女はパドルテニスをした。フォアハンドは少し上達したかもしれないが、バックハンドはまだまだこれからだ。今回は教えてくれる20代の女性Oさんがいて、長女は恵まれている。1時間パドルをやり、その後長女はクラスの友人と公園に遊びに行った。DSをやるのだ。そうだ、今、その公園のストリートビューを見ると、DSをやっている2人の後ろ姿が写っていた。今年4月ころに撮られたものだろう。

4.話は飛ぶ。
今、池田晶子「勝っても負けても」を読んでいる。週刊誌のコラム「人間自身」を編集したものらしい。同調を求めない、同化でなく異化の文体。読者にコップの水をかけることがお好きなのだろう。この人は自身を哲学者と名乗らず、文筆家としているところは、心映えが美しい。近ごろ、哲学者を名乗る若い学者が目立つ。中村元も田中美知太郎も、そういう肩書きを生涯、自身に付けたりしなかった。恥ずかしくないのだろうか?

池田晶子さんは2007年2月に腎臓がんでなくなられた。46歳と若い死だった。闘病記は残していない。



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肝炎と「シーシュポスの神話」

40年前に読んだカミュの「シーシュポスの神話」が、このところよく浮かんでくる。そのことを、、

1.その神話とはこうだ。
神々がシーシュポスという男に科した刑罰は、休みなく岩を転がして、ある山の頂まで運び上げるというものであった。ところが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり谷底に落ちてしまうのであった。それがなんども繰り返えされる話だ。

2.ポールニューマンが主演した映画「暴力脱獄」の中で、刑務所の中で見せしめに、刑務官がポールニューマンが演ずる服役中の男に一人で大きな穴を掘らせる。掘り切ると、別の刑務官が現れ「穴を埋めろ」と言う。埋め終えると、最初の刑務官が現れ「まだ掘っていないのか!掘れ」と命ずる、、そういう場面があったと思う。その嫌がらせが延々と続く。最近、これってシーシュポスと重なっているなと気づいた。

3.そして私の場合、4歳から5歳になる頃だと思う。両親の離婚も影響していたのかもしれないが、日常、ヒリヒリする感覚があった。言葉はおぼつかなかったが、頭の中は置かれた環境を理解できた。ある日、保育園の滑り台を滑り降りたところで、仰向けになって青空を見ながら、こう嘆いたのだ。
「①なんで自分の名は、そういう名前なのだろう、②あの恐い母は本当の母なのか?③また人生の坂を登るのか、④今は何がなんだか、わからなくても、こう考えたことをしっかり回りを見て覚えておこう」と。つまり自分は今、谷底にいる。繰り返しだという感覚だった。受刑者とは思わなかったが「シーシュポスの神話」は他人事ではなく、自分のことだ、、そう感じていたのだと記憶がよみがえるたびに思ったものだ。

4.さて、ハーボニーでC型ウィルスが除去できたとき、それはシーシュポスが重い岩を背負って、頂上に登りつめたときと通底しているのではないか。そして、ふたたび奈落に岩が転がってしまうように、肝臓や他の臓器に新たな問題がおきてくるのではないか。24年間患っていた病いが消えて、きれいさっぱりと肝臓の病いと関係がなくなる、、なんて甘く考えない方がいい、、だろう。これは業病であり、油断大敵と思わねばならない。

以上、なんとも悲観的な肝炎神話でした。



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国府台病院の初診

1.今、国府台病院からの帰り、京成電車に乗っている。国府台駅は初めて。中途半端な時間なので、これから少し千葉を散策して帰ることにする。

2.国府台病院は、、と書いて一日、頓挫していた。さて続き、、国府台病院は、今月21日から外来は新しい棟に移るようだが、何しろ1960年代、昭和40年代のイメージで驚いた。初診はあらかじめ電話予約にするのかと思いきや、それはない。まずは直接来なさい、という電話案内。ということで初診の受付が11時に締めくくられるギリギリに滑り込んだ。わたしの前にいたロシア系らしき外国人女性が受付でもめていた。紹介状を付けて提出し、診察カードができるまで15分。その後消化器肝臓科に行き、問診票に書き込もうとしていると、サトちゃん(このHNの記憶、正しい?)か手を振っておられるのに気づき、ご挨拶。次に、スズメさんがこられて、種々情報発信の機微について対話した。

3.肝臓病科のフロアは新しい。しかし順番待ちを標示する電光掲示板はない。先生方が呼び出すのを待つカタチ。多少ストレスを感じるが、慣れるしかない。待つこと50分。溝上先生が診察室から出てこられ、先ほどの、かなりテンパっていたロシア系女性を英語で診察室に招き入れた。こりゃ時間がかかるな。そこで側にある院内のコンビニでパンを買って食べていると、サトちゃんが走ってみえて、溝上先生が私を呼んでいると知らせに来てくれた。あらためて、サトちゃんさん、呼びに来てくださり、ありがとうございました。わたしの本名を覚えてくださっていたのですね。

4.溝上先生の診察は、紹介状を踏まえ、淡々とすすんだ。先生は優しい声をしている。24年かけてようやく肝炎を「治せるお医者さん」に出会ったんだ。主なやりとりは①シメプレの後、ダグラ/アスナはやっていないことの確認。②シメプレ後再燃したハーボニー治験者は、全員ウィルスが駆除されたこと。③遺伝子はNS5Aだけ検査する。④ハーボニー治療の入院の是非については、放送コードのように「マイコード」に。ご容赦願いたい。マイコードなんてのは勝手な造語。さまざまな事情を踏まえ、つまびらかにしないと判断したら使うことにする。きっと9月まではマイコードはあると思う。

⑤ハーボニー助成の診断書の書式は、ハーボニー用に変更される。9月なったらすぐ入手しなさい、といわれた。➡この話が一番新鮮だった。現状のインターフェロンフリーの書式をもっとハードルを上げる内容になるのかな、と思えた。また、お言葉ですがと、限度額認定証の話を持ち出すのはやめた。まだ先でいい。

5.診察後に採血。針は点滴をやるときのような細い針で無痛だった。驚いたのは、採血の試験管に私の名のラベルが貼られるが、それが打ち出される装置が故障し、時間がかかったことだ。NTT病院や赤十字病院では、こんな故障に遭遇したことはなかった。さらに診察料の自動支払機はない、窓口支払のみ。昭和に引き戻された感じだ。おそらく、いろんなところから来られた肝臓病のエキスパートである先生たちも、赴任当初は、その旧式の様に、驚かれたのではないかな?と想像した。7月21日以降の再審のときは、どれだけ変貌するか、少し楽しみだ。

6.次は来週14日火曜にCT検査のため、朝食抜きで午前10時に国府台病院に行く。

7月7日は、帰りは京成国府台駅まで歩いたり、お寺巡りをしたので、なんだかんだ16.6km歩いた。いやいや、いろんな意味で疲れた。


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紹介状と短冊

1.日曜の昼、国府台病院の受診のため、南町医院のかかりつけ医である三好先生に紹介状を書いていもらった。これがあれば国府台病院で初診時3,240円払わずに済む。三好先生は、なぜ病院を変えるのか尋ねられた。要は、ポストC型肝炎を踏まえ肝臓病治療の中心となっている病院に行った方がよい見切ったので、と応え了解いただけた。

また、5月の大腸内視鏡検査の結果、直腸がん予後の終了を告げられた旨、報告した。

さらに人間ドックのよ良し悪しについてもうかがった。「一般論として、医療機関の名前ではなく、検査する人がどれだけ能力があるかです。
医師より検査技師の力量ですね」と答えられた。

2.帰り際、永田医院長に突然声をかけられた「山口さんは安倍首相と同い年でしたね?」と。なんのことやら、、と思いつつ「そうです。安倍さんは子どもかいないようですが、わたしはこの年で幼い娘が二人もいて、、、そうだ、今度の新薬でどうやらC型肝炎を卒業できそうです。」「そうね、驚異の治癒率だからね。よかった、よかった」と、まだこれからなのに。1991年8月21日に永田院長から電話でC型肝炎にかかっていることを告げられたのだ。原因がわかったのだから良かったじゃない、と明るく言われたのだった。
明日は朝から、国府台病院に行くつもりだ。

3.小学4年の長女は、今年は七夕の笹に短冊を付けたいと言い出した。笹などどこにも売っていない。とコーギーの散歩していると、長女が空き地に生えていた笹を発見。早速引き抜くことに。玄関脇に笹を貼り付けて、長女は緑色の短冊をつけた。短冊には「動物のお医者さんになりたい」と書かれてあった。こりゃ、大変だ。

4.30年ぶりの新作「マッドマックス」を見た。会話は少なく、全篇スペクタクルの連続だった。ツッコミどころたくさんあったが、砂漠に逃げず反転攻勢、敵の中を正面突破は、今の自分に通じるものがあるな。戦いの中のアイコンタクト、一瞬のうちに濃密な理解、リスペクトのやりとりが人として、美しい。最後の方で、「マックス」と自分の名前を教えるところがこの話のキモだな。



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次のステップは8月末とみた

1.ギリアドは、7月3日ハーボニーの製造販売承認を取得したと、自社サイトに公表した。意外だった。了承から1週間かかったことが。

2.次のステップは、たぶん8月26日水曜日に開かれる中医協の薬価の審議?になる。そのあとは8月31日と予測する肝炎治療戦略会議だ。

3.国立研究開発法人国立国際医療研究センター肝炎免疫研究センター(千葉県)教授溝上雅史先生(医師、医学博士)は、次のように述べておられる(バンバンさんの記事から転載)
「ハーボニー®の承認は、国内のC型慢性肝炎治療を大きく進展させるものです。ハーボニー®は、患者さんによっては投与が困難で忍容性も低い場合のあるインターフェロンとリバビリンの投与を不要とし、ジェノタイプ1型のC型慢性肝炎患者さんの多くが1日1回1錠の経口剤による12週間の投与での治療が可能となります。」と。

4.わたしは7月7日に溝上先生の診ていただくことにした。C型肝炎が治ったあとこそメンテナンスが大切になると分かっているからだ。ちなみにakioさんが記事にされて知ったNewton8月号のP36〜37は画期的な図像であった。わたしを長年苦しめてきたウィルスの機序はこうだったのかと慨嘆し、ずっと見続けてしまう。そしてP39記事の締めくくりはこう書かれている。記事全体は小俣政男先生の協力による。
「ウィルスを駆除すると、肝炎の進行は止まる。しかし、まだそれまでに蓄積した細胞内の遺伝子異常は残っている。つまり、肝がんになるリスクはまだ高いままなのだ。繊維は、ウィルスの駆除後、何年もかけてゆっくり減少していき、それとともに肝がんのリスクも下がっていく。もの言わぬ肝臓にかわり、肝臓の繊維化の状態をチェックし続けることが重要なのです。」

4.よもや、もうないと思うが仮に、7月に入ってから24週を要する「ダグラ/アスナ」のインターフェロンフリー治療をする場合、12月中旬に終了となる。これに対して、ハーボニーが9月上旬から治療開始した場合、12月上旬には終了することになる。
果たしてそれでも「ダグラ/アスナ」治療をされる方はおられるのだろうか、、
治療期間と薬剤耐性リスクを踏まえると、
それを薦める医師がいるとしたら、
何度でも言う、それはゆるし難い誘導だと。



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わが乾癬の機序につき

1.知らなかった、作家車谷長吉さんは2015年5月17日、誤嚥による窒息のため亡くなられていた。享年69歳。伊藤整を嫌い、その文学賞を固辞した作家だったが、わかる気がした。

2.乾癬の発症原因は千差万別と考えている。わたしの場合は、C型ウィルスに罹ったことと、その治療のためにインターフェロン及びリバビリンを投与したことが引き金になったと見ている。何度も書いてきたが、わかったような口調で乾癬治療について得意げに主張する気はさらさらない。乾癬の情報商材小遣いかせぎをするのは、あざとい。個体差が必ずあるから、そんな情報は役立たない。自分の乾癬の状況を記憶か記録していった方がいい。

2.わたしの場合の乾癬機序における事実と気づきを、思いだした都度、書き込むようにしたい。治癒のヒントは細部にやどる。

①2010年5月25日に直腸がん手術をしたとき、乾癬は落ち着いていた。➡5月のはじめに、大腸内視鏡検査のリフレックを1.5人分飲んでも一向に腸内はきれいにならなかった。長い歳月をかけ宿便が溜まっていたのだ。また術前と術後の断食で腸内は活力が出てきたのではないか?

②2010年6月下旬に3日間入院し、最初の抗がん剤の点滴を始めたとき、たちどころに乾癬が下火になったことは強烈に覚えている。機序は不明。皮膚科の医師は沈黙していた。そのとき、皮膚科の医者はほとんど絶望的に
乾癬に無知であり、ただ塗り薬を処方するだけなんだと痛感した。

③乾癬は1992年ころから発症しだした。頭髪からフケ、ひたいのかゆみと赤み、右手の甲の赤みが最初の症状だった。

④本当にひどい乾癬になったのは2003年のインターフェロンとリバビリンの併用療法を24週間を行った頃だ。体重74kgはあった。ただまだ、その治療と乾癬がつながりあるものとは思わなかった。




酒粕とココナッツミルクと豆乳のスクランブル

1.このところ朝はドリップコーヒーを飲んでいる。肝臓がん予防にいいと疫学的なエビデンスがあると聞いたからだ。それと、、2010年5月に直腸がん手術を行い半年過ぎた頃に、酒粕に無調整豆乳を入れてスクランブルして、2分間チンして飲むようになった。気に入った。以来5年になろうとするが、全く飽きない。

2.今は、酒粕豆乳ドリンクに、さらにココナッツミルクと甘い米麹を入れて飲むようになった。これがまたいい。気づいたのだ。少しずつ腸内環境を改善するには原動力になるものが必要ではないか、しかもそれは発酵がキーワードで、いい意味の常習性があり、かつ持続可能な低廉なものでないとダメ。それを漢方薬のように混ぜ合わせて飲む、それだけの気づきに過ぎない。

3.作家平野啓一郎は、分人という人間観で小説「ドーン」を書いている。読んで時間をおいてみると、そこから日本は個の文化ではなく、関係性の文化だと感じとれた。どうも何十億という年収をとる米国CEOたちの企業文化は、日本人である私たちの理解を超えてしまう。

4.新聞の切り抜きで、1995年頃の映画監督の伊丹十三さんが日経新聞に書かれたコラムの切り抜きが本に挟んであった。全文を載せる。

森有正「経験と思想」(岩波書店)について
私たちは言葉でできている。したがって自分について知るためには言葉について知らねばならない。逆に言うなら、言葉というものをとことん考えてゆくことが、われわれを、自分についての深い洞察に導く。

森有正さんはパリに在住して外国人に日本語を教えているうちに、次のことに思い当たった。
つまり、日本語では「ジス・イズ・ア・ブック」という言表が不可能である、というのである。
「ジス・イズ・ア・ブック」にあたる日本語は「これは本だ」「これは本です」「これは本でございます」等々であるから、仮にそれを「これは本です」と訳した場合、「これは本だ」ではぞんざいすぎるし、「これは本でございます」では丁寧すぎるという計算が働いていたはずである。

つまり、「これは本です」という言い表しは客観的三人称に見えて、それ自らのうちに相手との関係を宿してしまっている二人称の世界にすぎない、というのだ。このことから森有正さんは、日本人というのは最小単位が二人であるという絶望的な結論に到達する。

日本人には一人という経験はない。私というのは相手にとっての私、すなわち「汝の汝」にすぎない、というのである。どうショック?でもね、もしこれがショックだとしたらね。そのショックを大切にすることだろうね。

十年、二十年胸の中に黙って転がしておくことだろうね。それはやがて君の人生の中で色づき、発酵して、やがて森さんのいう「経験」ー君にしか見えない世界ーをもたらしてくれるかもしれないんだからね。


以上。切り抜きしたときから20年が過ぎた。かつて森有正の本を多少読んでいたことを思い出す。体験と経験の違いをつづられいた、、体験より経験の方が優るといった主張だったかな、あと毛沢東をリスペクトしていたし、定義集だったか書いたと言っていた本はマボロシだった。もう曖昧であり、腹に落ちていない。なんでこのコラムを切り抜いたのか、思いだせない。共感があったわけではない。日本人に一人という経験はなくて結構じゃないか、、森有正のいう一人称の世界は、米国CEOたちが重なって見える。なぜ二人称の日本語に絶望しなきゃならないのか、解せない。脚光は、森有正の「個人」から平野啓一郎の「分人」に移っている。

5.平野啓一郎は問題は「個人」という概念にあると考える。そして、「個人」とは英語"individual"の翻訳(ほんやく)であり、語源のラテン語では「分けられない」という意味だったと解説。さらに、それが一人の人間を指す「個人」という意味に変化した背景にキリスト教という一神教の伝統を挙(あ)げる。つまり、神が一者であるからこそ、それと向かい合う人間も、唯一(ゆいいつ)の「本当の自分」でなければならなかったと解説する。キリスト教徒である森有正の絶望と論理的に符合する。

5.日本は分人の社会。このブログも前は「ですます調」で書いていた。読み手を気にしていたからだ。だが今は主に、未来の自分と内奥の自分を意識して書いている。そうしないと書き続けられない。わが分人である彼ら?に伝われば、それで十分なのだ。自分たちの中に、表層の自我とは別に、内奥の自我さらにがんの自我など、己心の世界内で、二人称のような関係があると、病気を通じて何度も実感したからだ。このことは何度でもくりかえし書くだろう。



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2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
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