わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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夏の読書

還暦になって早々、来月、第二子が生まれる。
なので、身の回りをかたづけなければいけない。

さしあたりLPレコードと
放送大のテキストを半分ほど、廃棄した。

書棚に、岩波文庫の非売品の冊子が
目に留まった。「読書のすすめ 第四集」とある。

かたづけていると、勝ってに別のことに
とらわれてしまう、昔からの悪いクセだ。

冊子の中にあった坪内雄三「夏の読書」を
つい読んでしまい、少し高揚した気分になった。

自分にも思いあたる話だったからだ。

坪内氏は1958年生まれ、今年56歳。
世田谷の経堂の本屋「 レイクヨシカワ」を
素晴らしい本屋と讃える。知らない本屋だった。

結論は、
十代の時に読書と出会えるかいなかは、
本屋だとか図書館だとかといった環境に
左右されるところが多分にある、ということ。

そして、坪内氏は米国の作家バーナード マラマッド
(全く聞いたことがなかった作家だった、、)の短編で
「夏の読書」を紹介している。

早速、加島祥造 訳で「マラマッド短編集」を
読んでみた。

衝動的に高校を中退し、職にもつかずに
家にひきこもる若者が、近所の知り合いとの
対話で、「この夏はどうしている?」とたずね
られ、若者は背伸びして、やってもいないのに、

「この夏、100冊にリストアップされた本を
読書しようと思っている」と見栄をはる、、

そして、100冊くらい読み遂げれば、
「自分の教育の肥やしになると思うんです。
高校で受ける教育とは違った意味でですよ。
ぼくは、高校でうけるのとは違ったことを
知りたいんです。うまく説明できないけど」
と。

対話そのものが、若者の本音を引き出していくあたり、
わたしには、いたく思いあたった。ソクラテスの産婆術。

そういうやりとりがきっかけとなって、
不思議な変化が起きる。
ジョージに対する周囲の見る目がかわり、
若者の心が変わりはじめ、
そうして図書館に行き、
読書を開始する、、
短編の最後はこう結ばれる。

秋になったある夜、
ジョージは、家から駆け出て、
何年も行ったことのない図書館へ行った。
そこには、見まわす所どこを向いても、本がぎっしり
つまっていた。

そして胸の震えを押さえるのに骨折ったけれども、
彼は、百冊はらくにあるのを見切ると、それから
テーブルについて、読みはじめた。


華厳経に、心はさながら絵師のごとし、
とある。人は一瞬一瞬、人との対話で
ささやかなやりとりで、変わっていく。

その瞬間、その瞬間、どう振る舞うか、、

その若者は何かの縁に触れて、
読書のギアが入り、人生が変容する。

あえて言うなら、こうした変容は
還暦の身にも、起こることに違いない。

泉並木先生の札幌講演とINF再考

川西先生のブログを通じて
札幌で行われた泉並木先生の講演を観た。

前半はB型肝炎治療の話で、
後半がC型肝炎治療の話になっている。

レトロウィルスではないB型肝炎ウィルス
の話は、ほとんどわからないが、C型より
しんどい感じがした。

C型について泉先生の話で、
印象に残った点は、

1.ウィルスを排除することが目標ではない。
2.肝がんにならないことが目標である。
3.ウィルスが消えたとしても、一度
ウィルスキャリアだった人は、もともと
ウィルスがない人より、肝がんになるリスクは
倍のリスクがある。
4.インターフェロンは発がん予防の
効果がある。
5.経口二剤が始まり、さらに来年のギリアドの
二剤は、ウィルス排除が100パーセントに
近づくが、だからといって肝がんリスクが
無くなるわけではない。
6.むしろ、経口二剤はインターフェロンフリーの
ために、肝がんリスクは、三剤併用治療の場合より
高くなる可能性がある。無論エビデンスはない。
7.ただし、B型肝炎の経口薬で治療後、ぽっこり
肝がんができた症例があるので、C型の経口二剤にも
あてはまるだろう。
8.新しい経口二剤とインターフェロンの併用は
札幌では助成されても、東京では、できない。
9.いったんウィルス排除がされた後、肝がん予防
としてインターフェロン投与することに、
助成はされない。
10,結論として、肝がん予防を想定するならば、
インターフェロン投与を前提とした三剤併用治療が望ましい。

以上、まんまではないが、そうノートした。

三剤併用治療を終わってから、あらためて
気づくのもなんだが、

かつて受診したとき、
泉先生が経口二剤に距離をおくような
スタンスが、ようやくわかってきた。

目の前にある課題、ウィルス排除に躍起になる
ことより、先々、肝がんにならないようにする
ためには、インターフェロン投与はしておいた
方が断然よい、ということだ。

今年、半年かけて、25本を打って良かったのだ。
さらに、思った。

過去に1991年、2002年と二度も
インターフェロン投与して、
その投与しすぎで、
乾癬になってしまったと、よく嘆いたが、、

インターフェロン投与のおかげで、
肝臓の繊維化を遅らせ、
発病から23年たっても、ずっと
A1F1をキープできたのだと。



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治療後6日目の感想

11月19日に最後のペガシス注射を終えた
ことから、翌日20日を治療後第1日目と
すると、今日25日は6日目となる。

SVR何週という考えはやめ、
SVR100日と考えるようにしたので、
その間は何日目と細かく表示することに
こだわりたい。そこで

1日目は、気分が晴れがましくなり、
やや躁状態だった。やたら走りたくなった。

2日目は、一転37.3°の発熱があり、
胸や背中に発疹が出て、ペガシスは侮れないと
痛感した。それでも、江古田のラーメン店
「ヤマン」でランチビールを飲み、
ささやかな祝杯。但し酒の自粛は継続させる。

3日目から喉もいたみ出し、再びロキソニンと
レスプレンを飲みようにした。うがいも励行。

4日目も、喉右奥の痛みが消えない。

5日目は、約4kmほどウォーキングとジョギングを
行った。両足大腿部が痛み出す。喉の痛みあり。
髪が抜けるのは治療後の方が激しい感じがする。
ペガシスの効果は2週間らしいので、
あと1週、髪は抜けると覚悟した。
チガソンを中止したので、
唇の荒れは緩和された。

6日目は、区の健診結果と保健指導を受ける。
腹囲の増加と善玉コレステロールが減少したので
指導対象となったようだ。

診断書を見て驚いた点が2つ。

一つは、AST ALTの基準値の上限が
30と厳しいことだ。問い合わせると、
人間ドッグ学会の基準値と練馬区医師会の
考えが加味されている、と答えられた。
たしかに、妥当な数値だと思う。
私の場合、6月治療開始後、その数値は
いずれも20台におさまっているのも、
治療効果のあらわれなのだ。

もう一つ、健診の際、診察した女医に
「現在C型肝炎治療中であり、
血液データは暴れてますよ」
と伝えたにもかかわらず、
診断書の所見には
「鉄欠乏生貧血が疑われます。鉄分摂取の上、
医療機関を受診し、精密検査を受けてください。」

とあった。肝炎治療中の旨の記載は全くなし。
人の話は聞いたら、医者は
侮らないで素直に書いて欲しいものだ。

診察した老女医と総合診断医との
連携の無さを感じさせた。この程度なのかと。

保健指導は管理栄養士によるもので、
食べる時間帯の注意喚起があった。
午後の糖分が多いと。改善を促された。

そこで、100日間の体重を折れ線グラフに
してみることにする。
上限は65kg、下限は59kgにした。
目標は60kgにする。
5月までに62kg台までは見込める。

高倉健の「あなたへ」を観た。
佐藤浩市の身の上は、
決して他人事ではないな、と感じた。

ラストの方の高倉健がクローズアップされる
動く自画像、、映像は万感の思いが伝わってくる。
あぁ、これは名優の遺書、贈る言葉なのだと。



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13万人の受験者

昨日は、家内が大きなお腹を抱えながら、
ある宗教団体の教学試験を受験した。
都合、15時間ほど事前学習した。
マークシート方式の50問だ。

それは21世紀の日蓮教学であり、
全国で13万人の人が受験したという。
基礎的な問題だが、実は仏教の根っこは
ここに集約されている。

話は変わる。
以前、NHKの「100分で名著」で、
般若心経をとりあげていた。

般若心経を賞賛する人が多いが、
はっきり言って、
色即是空 空即是色はウソだ。

空と色は、レベルでなくラベル?が違い、
即などと、くくることは、できない。

今、
世間で流行っている般若心経の写経など、
仏教とはおよそ言えない。
釈迦は、大般若経は語ったが、全く
般若心経など、預かり知らないだろう。

般若心経の主語をみれば歴然だ。
観自在菩薩が舎利弗に物申すカタチ。
而時世尊は、どこにも出てこない。

さらに、
ギャーテェーギャーテェーに至っては、
ゾロアスター教か何かに淵源があって、
釈迦とは、全く無縁だ。

きちんと釈迦の付託に呼応するものは、
少ない、というのがこの国の仏教の
真相なのだ。

今朝、
家内は試験の答え合わせを
していた。4問、間違えたようだ。

追記、
27日の朝、試験の合格の知らせがあった。
よく頑張った。

ランニングシューズは大事

いきなりランニングしてます、
みたいな格好はしたくないが、
大事なのはシューズだと思い、、

靴の量販店で履き比べ、
ニューバランスの幅広のシューズを
買い求めた。

今朝9時すぎから、ウォーキングと
軽いジョギングを始めた。
距離は4kmほどを45分かけた。
ランニングしている人が10人以上いたが、
わたしはまだ、そのレベルではない。

走ると途端に、
両足ふくらはぎの奥が痛みだした。
リンパとか赤血球に影響があるのだろう。

無理せず、徐々に、トレーニングしよう。

まずは、ひたすら歩くことだ。そして
1.ジョギングコースは固定する。
2.目標地点ごとのタイムを記録する。
3.そのシューズは目的外使用はしない。
4.来年5月までに100回は走る。
5.身体の痛みなど、できるだけ克明に
記録する。

ひさびさ足のマッサージ機器を使ったが、
さして効果を感じなかった。逆に、
腰の痛みとか、感じ始めた。

喪中はがき

若いご夫婦がともに
がんになってしまうドラマが
始まっている。

2014年10~12月
TBS 木曜ドラマ劇場「ママとパパが生きる理由」だ。
吉岡賢一 役の青木崇高がいい。かれは地がいい。

事実、、
乳がんステージ4となった奥様は
ブログを書かれていたようで
実話が元になっているが、、

がんの部位が違うせいか、
リアルタイムでは、
全く存じ上げなかった。

初回の視聴率は低かったようだ。

たぶん、他人事のように、
思う人が多いのかもしれない。
直腸がんをやってなければ、
わたしも関心をもったりしなかっただろう。

が実際は、どの世帯も、
他人事ではない話なのに。

おととい、大学時代の友人、
石戸ヤスオさんから喪中はがきが届いた。
昭和2年生まれの父親が
6月に亡くなられたのだ。

そういえば、23年前にC型肝炎治療で
御茶ノ水の順天堂病院に入院したとき
石戸さんは見舞いに来てくれたな、
と思いだし、、すぐに手紙を書いた。

C型肝炎ウイルスが消えていること、
第二子が生まれることを書いた。

すると、今日、
ケイタイでやりとりができた。

久々に聴く声だったが、
落ち着いた壮年の、
よく響く、やわらな声で、、いい。
声、仏事をなす、、だ。

父親は病死ではなく、老衰だった
という。なくなる半年前までバイクに
乗られていたという。
安祥として、ひとまず永眠された、
ということだろう。

わたしの手紙が届いた日、
石戸さんはご友人と
シベリウスの話題になり、
わたしを思い出していたところで、
不思議な共時性を感じた、という。

そうだった。
その頃、よくシベリウスを聴いていた。

わたしは石戸さんの声に
励まされた。

来年5月、
ウィルス検査の結果が出たら、
会おうと思う。



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油断、発熱した!

19日、最後のペガシス注射をうち、
夜、ロキソニンを飲んでおいたが、
昨日、20日は飲み忘れた。

すると、深夜37.3°の発熱に。

油断した。コペガスは飲んでないから、
大丈夫と、、思ってしまった。

ロキソニンは8週頃から
朝夕、コペガスといっしょに飲む
ようにしていた。
なので、発熱は徐々にしなく
なっていて、副作用を甘くみていた。

たしかに、昨日は寒かったが
のどは痛くはないので、
風邪ではない。

やたら身体の中が熱くなるのだ。
やっぱし、な
インターフェロンは侮れない。



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気力が湧いて来る?

昨日、肝炎治療したわけで、
11月20日の今日がSVR1日目になるので
先日書いたことは訂正し、
SVR100日は平成25年2月28日になる。
2月末日、締めとして、ちょうどいい。
その近くで、ウィルス検査をしたいものだ。

札幌の川西先生のブログに、
お礼のコメントを書いた。

4月12日(土曜日)に蒲田で、
川西先生が講演されたあと、
質問に行ったのだ。そのときも、
ウィルスが消えることに対して、
全く悲観的であった。
ソブリアード治療による薬剤耐性を
気にして、ウィルスがより手におえなく
なることを気にしていたからだ。

川西先生は、治療中ウィルスは減少する
可能性が高いわけだから、それによって
肝がんリスクを減らすメリットは大きい
と言われた。薬剤耐性ができたり、
ウィルスが消えないと判断できたら、
中断を申し出ればいい。泉先生は
承諾されると思いますよ、、と。

ソブリアード治療を決断できた。
すごく背中を押してくださった。
心から感謝している。

どうやら、気力が湧いて来ている。

NHKの趣味Do楽の
「3か月でフルマラソン」を
興味を抱けているし、、

無論、還暦で病み上がりの自分が
いきなりフルマラソンなどしようなど、
とは思わない。

身体のミトコンドリアを活性化させたい
ということと、自分が棲む街をじっくり
と感じとりたい、身体化したい
と思っている。

来年ではなく、2016年の
「練馬こぶしマラソン」に参加できる
ようになりたい。

2時間30分の制限時間内に走りきれない
といけないので、そこを目標に、
体力をつけようと思う、、まだ思うだけだが。



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25週目もペガシスを

今朝は10時に武蔵野赤十字病院に行った。
午前中、採血しCT検査を受けるためだ。
採血は8本だった。ウィルス検査がある。

アクシデントが起きた。
CT検査で、造影剤をいれた際、
にわかに気持ち悪くなり、
「苦しい」と声を上げたのだ。

23年前の11月に、順天堂病院で
造影剤を入れたとき以来のアクシデントで
少々、ドキマギしたが、
今回は中和剤?を入れるほどではなかった。

2010年、大腸ガンのことで、
何度もCT検査をしたが、
こんなアクシデントは起きなかった。

結局、顔と胸に膨隆疹が出たが、
水を飲み、様子を見て、ことなきを得た。

半年間のインターフェロンが影響した
のだろうと担当看護師の弁。
そうかもしれないが、造影剤の製品名を
聞いておくべきだった。

午後2時すぎ、担当A医師の診察。
CTの検査結果は、
「肝細胞癌を示唆する腫瘤はない。
門脈に血栓腫瘍栓なし。
脾腫や復水なし。
肺野に明らかな異常はなし」であった。

予想通りだが、まずは、メデタシ。
もうこの病院でCT検査はしないだろう。

採血結果は、先週と似た、以下の数値だった。
AST23 ALT 21 γGPT22
好中球数719 総ビリルビン0.7
ヘモグロビン9.4
白血球17 血小板20.9 赤血球295
ウィルス検査の結果は12月に聞く。

引き続き「検出せず」ならば、
SVR0ということかな。

これで診察は終わりかと思いきや、
「今日、ペガシス90を打ちますか。
今回が最後なので」とA医師に言われ、

もうペガシス注射はないと思っていた
ので、少し躊躇したが、、
これが人生最後のインターフェロン
なのだからと思い、了解した。

逆襲でもないが、それなら私も、、

6月3日以来付けていた治療日誌に
A医師のサインをください、
とお願いした。

すると、
「.SMV+RBV+pegIFN 終了 A 」と
書いてくださった。

半年の間、いろいろなことがあったが、
ひとまず終えたことを証して、こころよく、
書いていただきありがたい、と思った次第。


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SVR100日と見切る

SVR24週は医療側が決めたことだ。
168日は長すぎる。

治療が終わった今はもう、
彼らの基準に拘泥、翻弄されては
ならない。

再燃するかしないか、
自分の身体を観想すれば、
自ずとわかるはずだ。

わたしの場合、100日で決まる。
理由は、ガン術後100日が
転移するかどうかの
メルクマールだったからだ。

今日11月18日から100日目は
2015年2月26日になる。
その日に近い日を検査日にして、
ウィルス検出の是非を最重視しよう。

4週、8週、14週そして24週で
検査する方針とした。
4回の検査で、もう十分だ。



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三剤明け1日目

今朝は、寝起きが遅かったが、
気分は悪くない。

薬は何も飲んでいない。

脱毛は20週あたりから、酷くなりはじめた。
朝方少なくなった髪は、逆立ち、とっちらかり
なんとも無残だ。半年ほどで元に戻るそうだが、
この際、どう再生していくのか、気にとめよう。

思えば、5週すぎから、
ウィルスが消えるかどうか、とても気になりだし、
一気に鬱になった。

配慮の足らない担当医師に、
採血のスケジュールをきちんと
事前に示すよう、怒りをこめてせまったりした。

コペガス終了

夜、最後のコペガス1錠を飲み、
三剤治療は終了した。

併せてビタミンAのチガソンも
一週間飲むのをやめて見る。
唇が荒れてしまうから、様子をみる。

一週間、飲み薬を一切遠ざけるのだ。

1991年11月6日に、
最初の肝炎治療として、
粗悪なインターフェロンを始めた。

23年の歳月をかかったわけで、感慨深い。

今日、自分が出た高校の100年にわたる
卒業名簿がとどいた。

同期の卒業生で、
既に15人が物故者になっていた。
卒業写真集をひっぱり出し、
15人を確認し、記憶にない人もいたが、
メモに書き留め、回向した。物故者は、
これから毎年増えていくことだろう。

よく見ると、同期同士で結婚したのが5組以上
ありそうだった。何年か前に会った、そのうちの
一組が、二人して「長いぞ~」と慨嘆していたな、。

そういえば、12月に同期の人間が集まり、
還暦祝賀会をやるようだが、
わたしは、まだ酒宴は避けたいので
欠席のことわりを幹事にメールした次第。

追記、すると幹事から次の返信があった。
「了解しました。
持病の治療とか、
お大事にしてください。

実は私も心臓が悪いので、
現状維持が精いっぱいです。

山口君の治療が無事終わると
いいですね。
次回またお会いできることを
楽しみにしています」と。

長谷川マツ子さん

わたしの母は今、92歳。
来年2月で、93歳になる。
膝関節が変形して、歩行はしんどいが、
意識はしっかりしていて、
認知症ではない。

昨日、
母が住む公営アパートの同じ階に住む
89歳の女性が、久米宏のラジオ番組に
出ておられた。

長谷川マツ子さん。

名前を聞いて、
表札の字が思い浮かび、ピンときたのだ。

わたしは何度かあいさつした程度だが、
表情は思い浮かんだし、シャキッとした
印象の女性で、母と3歳違いとは、
意外だった。お若い。

2007年、今から7年前に、
久米さんが赤坂の三分坂のところで
インタビューされ、よほど印象深かったのか、
以来ずっと、探されていたらしい。

さまざまな人に会われているだろう
久米さんなのだから、
ほんの5分程度の立ち話で、
忘れがたくなる、、それほど
強烈な印象をあたえたということか、

そして、この10月に偶然、
とある病院で再会でき、、

15日「久米宏ラジオなんですけど」の
番組ゲストに招いたのだ。

89歳の無名の一庶民が、
ご自分の生い立ちから、
戦後にどうやって生き抜いたか、
ひょうひょうと語られていた、、

すごいな、の一言だ。

長谷川さんは3年後に再び
久米さんの番組に出ると約束された。

きっと実現するだろう。

とまあ、昨日、偶然ラジオを
つけたら流れてきたので、
書いておく次第。

追記、部屋の整理をしていて、
ローマ市内の地図が出てきた。
早速、異端審問の果て、
1600年に火刑となったジョルダーノ ブルーノの
処刑された広場を捜した。見つかった。

それは「カンポ デ フィオーリ広場」だ。

ヨーロッパで、
これほどこころの強い思想家はいない。
地図は岩波文庫のブルーノ本にはさんでおいた。



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信長の温情

信長公記によると、
天正3年、織田信長に、
こんな出来事があった。

この頃、哀れなことがあった。
美濃と近江の国境に山中という
所がある。

その道のほとりで、
身体に障害のある者が雨露にうたれて
乞食をしていた。

信長は京都への上り下りにこれを見て、
たいそう哀れに思い、

「たいてい乞食というものは、
住む処を定めずにさすらい歩くも のだが、
この者はいつも変わらず、ここに居る。
何かわけでもあるのか」と、ある時、
不審をいだき、町の者に尋ねた。

町の者は、その由来を答えた。
「昔、この山中の宿で常盤御前を
殺しました。その報いで、殺した者の
子孫は、代々身体に障害をもって生まれ、
あのように乞食をしております。
世間で"山中の猿"と言っているのは、
この者のことでございます」と言上した。

6月26日、
信長は急に上京することになった。
その多忙の最中に、
あの乞食のことを思い出し、
木綿二十反を自ら用意して、
お供の者に持たせた。

山中の宿で馬を止め、
「この町の者は、男女とも
全員出頭せよ。言いつけることが
ある」と触れを出した。

どんなことを言いつけられるのかと、
人々は恐る恐る出頭したところ、

木綿二十反を乞食の猿のために
下賜し、町の者たちにこれを預けた。

信長は、
「この木綿の半分を費用に充てて
近所に小屋を作り、
この者を住まわせて、
飢え死にしないように
面倒を見てやりなさい」と言いつけた。

さらに、
「近隣の村の者たちは、
麦の収穫があったら麦を一度、
秋の収穫後には米を一度、
一年に二度ずつ毎年、
負担にならぬ程度に少しずつ、
この者に与えてくれれば、
信長はうれしく思う」と言い添えた。


以上、いささか驚いた。

情け容赦ないイメージの織田信長だが、
乞食の子子孫孫にわたる宿業を哀れと
感じたのだろう、信長の民をみる目線がいいし、
戦い明け暮れるなか、よく庶民を見ていた。

明日「信長公記」を図書館に
返さねばならないので、
印象に残っているところを書き留めた次第。

乾癬治療にギアが入る

夜の犬の散歩していて、
肝臓が少しうずいた。
ひさびさな感覚で、再燃を疑った。

夜のコペガスを飲んだので、あと
3日で肝炎治療は終了する。待ち遠しい。

ペガシス注射180が4週続いたせいで、
胸と背中の発疹が著しい。

チガソンを1日1錠に減らしていたのも
影響したかもしれない。
おかげで20錠ほど残っている。

おとといの皮膚科で、あと
どのくらい必要かを医師からたずねられて
しまい、、自分の都合で決めるものか?と
思いつつ、14日分をもらうことにした。

在庫と合わせれば12月中旬まで、
1日2錠を飲むことにする。

発疹はほっておけば、乾癬になるかも
しれず、ここからは本腰入れて、
乾癬治療にあたろう。

ただ、チガソンを飲むとクチビルが
ガサガサになり、けっこうつらくなる
ので、様子をみながら、加減する。

ちなみに、皮膚科の治療費は、
インターフェロンの副作用として
6万円程の自己負担を、
医療券で賄ってこれた。

これは、今回のソブリアード三剤
治療をやってよかった理由の一つになる。

仮説だが、

C型ウィルスとインターフェロンが
わたしのような乾癬患者を生んだわけで、
これからはインターフェロンを
打たなくなるし、C型ウィルスも
なくなっているわけだから、、
乾癬もまたなくなる、はずと。

乾癬性関節痛はほぼ解消したし、

わたしの見込みは、当たるかどうか、、



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「十二年」一昔前のこと

肝炎治療の終了が近づくと、
昔を思い出すことが多々ある。

2012年10月東大病院に入院した。

ペグインターフェロンが出る前の、
3日に1回うつインターフェロンと
リバビリンの併用療法のために、
一週間、入院したのだ。

北朝鮮から拉致被害者5人が帰国した
ニュースが報道されたころだ。

そのとき藤沢の方で佐藤さんという
還暦すぎの人と知り合った。

病棟の食堂から
不忍池をのぞみながら、
副作用のこととか、
東大構内の、どこの学食が美味しいか
とか語りあった気がする。

そこから見える景色は美しく、
上野の寛永寺にたてこもった彰義隊に
向けて、官軍は、この病院のある加賀藩邸から
アームストロング砲をはなって、あっけなく
勝利したんだな、と感慨にひたったものだ。

さて、佐藤さんは、
私よりもウィルス量少なく
入院中にウィルスは消え、
その療法に手応えを感じていた。

一方、わたしは全く効果がなかった。

正直言って、
佐藤さんが羨ましかったし、
自分の治療に絶望したものだ。

最近、佐藤さんからいただいた
ハガキが出てきた。

内容は、、
その治療でウィルスは、
いったん消えたものの、再燃してしまい、
そのあとのペグインターフェロンと
リバビリンの併用療法で、ようやく
著効に至ったと、書かれていた。

わたしもまた、再燃するかどうかが
関心事になる。

19日にウィルス検査をするが
そこから24週を経過するなかで、
再燃の可能性を見極めないといけない。

昨日、担当A医師に、
「SVR12週が再燃する可能性が
高いと聞いたけど、いかがですか?」と
たずねたが、

つれない言葉、
「4週で再燃する人もいるし、
なんともいえない」と応えられた。

毎日、
いろいろな患者に接しているだろうから
エビデンスみたいなことは、かえって
言えなくなってしまうのだろう、、
と思った次第。



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ラスト!24週目のペガシス

12日は24週目の、最後のペガシスだ。

採血の結果、データは次の通り。
AST23 ALT 20 γGPT22
好中球数666 総ビリルビン0.6
ヘモグロビン9.1
白血球18 血小板19.6 赤血球278
ウィルス検査はなし
➡ペガシス90皮下注射で十分満足

グラフにすると、10月の過去最低
の体調に近い状態とわかった。

どん底は、わかっておいた方がいい。
それは、がん予後に実感した価値感だ。

ペガシス注射の減量になると、
担当A医師の診察を求められる。
その前に皮膚科に行っていて、そのとき
好中球666と750を下回っていたので、
ペガシス注射が90になるとわかって
いたが、プロトコルで診察することに。
ややがっかり顔のA医師に対して、
わたしは、90で十分満足だった。

24回目のペガシス注射をしなくても
もう決着はついていると思えるからだ。

注射を待つ間に、ひさびさ、泉先生が
処置室から出てこられた。
そこにいた患者の女性に声をかけてから
さあっと立ち去られた、、感慨深い、いい映像だった。

思えば、去年の秋、NHKの「きょうの健康」
だったか、泉先生が一人一人の遺伝子検査と
テーラーメイド医療がC型肝炎治療には
必要だと話されていて、まさに我が意を得たり
と感じ、三好先生に紹介状を書いていただき、
武蔵野赤十字病院に行ったのだ。

そんな感じで、別段、泉先生と昵懇ではないが、
これもまた、宿縁というものなのだろう。

夜、「ためしてガッテン」はウィルス肝炎が
テーマで、終わりの方で泉並木先生が現れた。
ソブリアードの薬剤を見せながら、
最新の治療で85%の人はウィルスを
除去できると話されていた。当然、
データの裏付けのある治癒率だろう。

当初、私の治癒率は79%と言われたので、
私も85%に近づいていることだろう。

ペガシス注射の最終日に、
泉並木先生を二度見たことは、
わたしの身体からウィルスがきえさった
しるしのように思えた次第。

さあ、ようやく来週19日を迎え、
Svr24に向けて、俎上に乗れるな。

ちなみに、眼科検査は
白内障も、緑内障も、問題はなかった。



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24週目ペガシス注射を前に

今日は最後のペガシス注射。

またまた朝から雨だ、、今日は
注射の他に、皮膚科と眼科がある。

この一ヶ月で1kg、体重が減った。

食事制限はしていない。
甘いもの、炭水化物も変わらず
摂取している。

万歩計で、総歩数やカロリーを毎日
ノートに記録してきただけだが、
これが大きい。

さらに、もう一月で1kg減らしたいな。

やっと第24週に突入!

今朝の体温は37°だった。

今日から24週に。最後の一週間だ。
コペガス は3錠余計に処方されたが、

すでに1日2錠に飲めばよい状態。
当初の二分の一に減っているので、
先週、その余計の2錠は飲んでしまった。

明日のペガシスのあとに、
後の余計の1錠も、飲むことにする。

そして、来週月曜日の夜のコペガスで
飲み終わりになる。ささやかな快挙。

発熱とふらつき

23週の最終日、
朝から37.3°の発熱があり、
少しふらつき、ダルさがある。

インフルエンザ予防摂取を
もう少しあとにすればよかった。

なにかと終わりまじかに、
トラブルは起こりやすいものだな、。

インフルエンザ予防接種の実施

8日の土曜日、
インフルエンザ予防接種をした。
20年以上、やったことなかったが、
奥さんの強い要望があり、服従した。

そのために、近所の南町医院で、
主治医の三好先生に半年ぶりに、
診察していただいた。

診察室に入って、互いに笑顔に。
苦労を知ってくださっていただけに、
その笑顔が嬉しかった。

笑顔が全て、だ。

肝炎治療の検査データをじっくり
見て、、最初に言われたのは
「その病院では、入院中は毎日
ウィルス量をチェックしているんだ」

たしかに、三好先生がおられた
東大病院ならば、
毎日チェックはしないだろうな、
と思った。

予防接種は問題ないだろうと言われ、
すぐ同意書の作成に入った。

0.5mgの筋注ですぐ終わった。

1日たつが、
インターフェロンのせいか、
インフルエンザ予防接種のせいか、

寒気がしてならない。

今、風呂に入ったが、
ホントに、髪の毛が薄くなっていて、
いささか、、愕然とした。

追記、三好先生の実家の病院では
ソブリアード三剤の症例はありますか?と
おたずねしたところ、

ソブリアードではなく、
テラプレビル三剤の治療の症例を話された。

その方は60代で、治療開始したが、
中途でヘモグロビンが下がり、
めまいが著しくなり、中断した。
しかし、中断した時、ウィルスは
「検出せず」になり、その後現在まで、
ウィルスの再燃はしていない、

との話だった。いい話だな、、
わたしはソブリアード三剤治療だが、
その方と同じように、ヘモグロビンの
減少による副作用で悩まされてきたからだ。
なので、きっと私も、再燃はない、と信じる。



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23回目のペガシス

5日は23週目のペガシスだ。
採血の結果、データは次の通り。
AST24 ALT 23 γGPT20
好中球数842 総ビリルビン0.6
ヘモグロビン9.2
白血球20 血小板21.4 赤血球275
ウィルス検査はなし
➡先週と同じ、ペガシス180皮下注射

たまたまだろうが、
21週目のデータとよく似ている。

好中球は842と750を上回った場合、
担当A医師は躊躇なく、
ペガシスを通常の180で指示する。

だが、ペガシス180が4週続くと、
わたしの場合、皮膚は発疹がひどくなる。
これから2.3日は、思いやられるな、

ついでに、担当A医師に
ソブリアードで3人亡くなった件を
尋ねた。すると、
1.3人それぞれ別の医療機関だろう。
2.肝硬変の症状が既にあったようだ。
3.医療過誤ではないだろう。
と応えられた。
本当のところはどうなのかは、
わからない。

コペガス14日分も処方された。
これが最後だ。

家に戻ると家内が緊急入院した。
12月に出産がせまっていて、
その日、定期の診察を受けたら、
血圧が高く、入院措置がとられたのだ。

まったく、、いろんなことが起きてくるな、



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還暦日の漢検2級受験

今日から23週目に入る。残り14日。
ペガシスはあと2回。

11月1日は、古典の日。
わたしの60歳の誕生日だったが、
いささか憂鬱な還暦だった。

その日は
漢検2級を受ける予定になっていたが、
朝から雨だったし、1週間前から、
その意欲が冷めてしまい、なんだか
面倒くさくなっていたからだ。

受験会場は自宅近くの塾会場だったので
試験が始まる3時間前から開始直前まで、
「間違えノート」を見直し、チェックした。

小3の長女がわたしより前の時間帯で、
漢検8級を受けて、意気揚々、合格を
確信している表情で帰ってきた。
「5こ間違えたけど、それなら合格
してるもんね」と。大した自信だ。

次は、わたしが受験する番、
少し遅刻した。近くでの受験は、
治療中の身には、負担がかからず、助かる。

治療を始めた6月に漢検2級を受験した
ときも、雨だったが、会場に向かう間に、
かなり体力と知力を消耗してしまったからだ。

肝炎治療中に試験なんてやるべきでないのだが、

さて、再受験の今回は、前回と異なり、
問題を見だすと、アドレナリンが出てきたのか?
にわかにスイッチが入った。

このスイッチは加齢とともに鈍くなる。

苦手な部首の問題から取り組み、
終了時刻前に終わった、、
そのあと徐々な間違えに気づきだす。
・髪の部首は「髟」が正しいが、サンヅクリと
誤った。
・四字熟語の「錦衣玉食」を、
「錦衣玉色」と誤った。
間違いはまだまだあるが、、
運よく合格するとすれば、
スレスレなのは間違いない、、だろう。

家に戻ると、何だかめまいがしたが、

わたしの机の上に、
長女が書道教室で何度も
練習をして書き上げてくれた、であろう
「一身三生」の掛け軸が、置いてあった。
上手い下手は関係ない。
こころが込めて半紙に書かれていた。

ほっ、左端に「平成甲午年霜月佳日」と
小書がされていた、なるほど、、
平成26年より、この「甲午年」の方が
還暦を感じさせてくれる。

そうか! 今年12月に生まれてくる次女も、
還暦を迎える年は、平成は終わっているだろうが、
「甲午年」になることは間違いなく、、
そう思うと、、いささか感慨深いものが。

ならば、この書は、いずれ、次女に渡そう。

還暦祝いのプレゼントとして終生、
忘れることはない。



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感想、映画「人間革命」

今は2015年2月17日(火曜)だが、
このブログの日付けは還暦になった
その日に、遡らさせた。

まったく一人言であり、
人の目にとまらせないための、
ささやかな工夫だ。

昨日2月16日、映画「人間革命」のDVDを見た。
40年ぶりに見たのだが、、今見ても、
丹波哲郎はさぞかし大変な思いをしたことだろうが、、

彼はそのときの苦労は語らず、
やがて霊界だかなんだか、
わけのわからないことを始めだす、、
丹波哲郎さんは一種の憑依体質だった
のかもしれない。カオナシだ。

映画に戻る。実に説明の多い映画だが、
十界論がテーマの中心になっていたが、
私は、次の細部に目がいってならなかった。
脚本家の橋本忍の抽象力?を感じた。

あえて敬称を略す。

1.牧口常三郎と戸田城聖は、日蓮仏法を始める前から
固く結ばれた師弟関係であった、ということだ。
財政面から牧口の構想を支えたのだ。
牧口の価値論に対する共鳴もあったのだろうが、
牧口の人格に強く惹かれたのだ。これは重要な事実だ。

2.戸田城聖は治安維持法によって刑務所に
収監され、やがて「仏とは生命の別の名」という
深い気づきに到達したが、
そう気づく下地、淵源は、時習学館の時代、
黒板に犬と書き、子どもたちに
「さあ持って行きなさい」と教えたことに
通底する。

3.畢竟、名前を知ることはそれを
持つことと同じなのだと。受持即観心。
日蓮は、宇宙と私たち生命に対して、
南無妙法蓮華経という名前をつけたのだ。
プラトンは「善のイデア」にとどまったものを
やすやすと超えた。本仏だから、できたのだ。

4.私見だが、日蓮の名も、生命の異名に
他ならないとも思っている。

「分子生物学的にみて、
真核細胞という生物は、一個の核とミトコンドリアから
なる。核は太陽に通じ、ミトコンドリアは蓮に
通じる」と考えると、深く納得できる。
今のところ、こんなこと言うのは私だけだが。

5.戸田城聖の独居房での「所属と無所属」の問題。
映画には出てこないが、戸田城聖はもう一つ
到達したものがあった。
法華経のドラマ、虚空会の中に
実は自分もいた、という自覚だった。
それからたちどころに、法華経が読めるように
なる。ただ、思い出したのだ。
そして戸田城聖は、出獄後、牧口の価値論を封印し、
法華経と日蓮遺文「御書」から指導を始める。

6.私見だが、人は誰でも、
所属の時間と無所属の時間を持っている。
獄中の戸田城聖は、どうだったのだろう。

牧口常三郎のことが心配でたまらなかった
だけでなく、意識は、所属と無所属をいったり
来たりしなかっただろうか?

所属とは、経営者との立場であったり、
その団体の理事長という立場だったり、
属しているという意識であったり、する。
無所属はそこから離れた意識のことだ。
そういう反芻があったに違いない。









還暦直前の区の健診

昨日は、還暦になる前日であり、、

昼すぎ、国民年金の任意加入の手続きを
しに石神井の年金事務所まで自転車で行った。
450月加入なので、残り30月分を
付加年金を付けた形で、任意加入する
ためだ。毎月口座引き落としに
するためには、この日の手続きが
ピッタシなのだ。

窓口で手続き完了を待つ間に、
隣りの若い男性が、損保系の会社を退職し、
来年大学に行く、、ような話が聞こえた。

窓口の人は、付加年金のことをキチンと
男性に説明していた。

社会保険事務所の頃のゾンザイな対応とは、
随分変わったものだ。
民主党政権の、数少ない業績の一つだな。

そして夕方、

練馬区の健診を受けることにした。
診察時、医師に肝炎治療中であるため、
血液状態はガタガタであろうこと、
聴診器で見てもらうため、胸を見せたとき、
発疹は何か?と尋ねられたので、
副作用による乾癬です、と応えた。
その老いた女性医師は、乾癬の漢字が
思い浮かばなかった。
まっ、区の健診とはそんなものだ。

腹囲を測って記録してもらう、それが
ねらいだったので、

腹囲は87cmと聞いて、
2cmオーバーだけか、と少し安心した。
来年は82cmくらいになりたい。

内部の、余分な脂肪を燃焼させることが
健康自主管理には重要とわかったからだ。



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「持続する志」はいつまでも
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