折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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6月の血液検査データ

月末なので、ウィルス量だけではなく、
他の検査データの6月分も掲げることにする。
ただし、まだ未完だが、

4月28日…治療開始1か月前
AST 35 ALT43 γGPT43
好中球数2138 総ビリルビン0.7 ヘモグロビン14.7
白血球45 血小板20.3 ウィルス量6.6
HCV抗体 + 、HCV抗体 S/CO 14.22➡これって何
追記:担当A医師にたずねると、それは
ウイルス量そのものではなく、人体側の
抗体量に過ぎず、ウイルス排除の数値の
参考とはしない、と言われた。つまり、
「1.2未満」のアバウト領域において
代替する指標にはならない、とわかった。


6月3日 三剤開始日で投与直前…第1週
AST32 ALT 34 γGPT40
好中球数 2790 総ビリルビン 1.1 ヘモグロビン14.7
白血球50 血小板20.6 ウィルス量6.6
➡ペガシス180皮下注射

6月4日 三剤開始2日目…第1週
ウィルス量⬇4.5
他の検査データはなし。

6月5日 三剤開始3日目…第1週
ウィルス量⬇3.4
他の検査データはなし。

6月11日…第2週
AST 27 ALT24 γGPT44
好中球数872 総ビリルビン2.1 ヘモグロビン13.6
白血球27 血小板15.2 ウィルス量⬇2.3
➡ペガシス180皮下注射

6月18日…第3週
AST 25 ALT22 γGPT35
好中球数908 総ビリルビン1.4 ヘモグロビン12.1
白血球25 血小板20.1 ウィルス量⬇1.3
➡ペガシス180皮下注射

6月24日…第4週
AST 25 ALT24 γGPT33
好中球数635 総ビリルビリン ヘモグロビン11.4
白血球27 血小板15.2 ウィルス量⬇1.2未満
ペガシス90皮下注射
(注射半減の理由は、好中球数が750未満のため)



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肝炎治療28日目(第4週)

今日で、第4週が終わる。
ソブリアード終了まで、残り8週となる。

1週間を振り返ると、
(事実)
1.24日目から、咳がではじめる。
2.乾癬がやや悪化している。
3.ときより、めまいがする。
4.頭痛の頻度は、前の週より減ってきている。
5.体温は、朝方36.6°だが、昼頃から
上昇し、夕方37.2°まで上がる、そんな日々。
6.頭痛がない場合、ロキソフェロンは飲まない。
7.気分はよくない、軽いうつかもしれない。
8.朝食後のソブリアードとコペガスを飲むと、
脳内に圧迫感があり、4年前直腸がん術後の
抗がん剤の副作用と似た感覚になる。
9.夕飯後のコペガスを飲むと、めまいの
ような不快な感じになり、何もしたくなくなる。

16時、軽い頭痛があり、ロキソフェロンを
一週間ぶりに飲む。

(私見)
・この不快な気分をどう払拭するか、課題だ。
・91年、02年の経験によって、
インターフェロンの副作用は一過性とわかっているが、
還暦にはつらい。
・ウィルス検出せず、になったあとは、、
何をモチベーションのよすがとするか?
わたしの場合は乾癬の治癒に気を向けよう。
・好中球数を減らさないように、無理はしない。



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天気予報のウクレレ、オータサン

昔、バイクツーリングで高速に乗ると
決まって、口ずさむスローなメロディがあった。

誰の曲はわからない、
誰のというぼどでもない、ごく単純なメロディ。
ひとにお聞かせしよう、などと思ったことはない。

たぶん、いろんな曲が混ざっているのだが、
風を感じると、自然と、頭の中で流れ出す、

バイクは後退できない、
風圧を体感しながら、前に進むだけだ、、
そう感じると、じわじわと流れ出してくる。

東京のMXテレビの天気予報の
BGMは、だいぶ前から魅了されていた。

時系列で流れる雲の動きにシンクロした
ウクレレのインストゥルメンタルだった。

どんなことが起きようと時間は前に進み、
希望を失ってはいけないよ、と優しく
語りかけように、聞こえてくる。

レベルは違うが、バイクツーリングの曲と
トーンはちょっとだけ似ている感じがする。

人は前に、未来に生きるしかないのだ、と。

昨日、そのインストゥルメンタルが
ハワイのオータサンという人の
ウクレレだとわかった。
曲名はFools rush inという。

その、嬉しかったことといったら、、
きのうは何度も聴いた。そこで、
いつでも聴けるように、右欄に貼ることにした。

まったく、このブログは、
自分のための整理箱になっている。



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C型肝炎になって知った医師の方々

ソブリアードは一日一錠、12週間で
84錠を飲む。今日がその26日目で、
全体の三割を飲み終えた。

最近はC型肝炎患者としての23年を
振り返る気分になっている。

ようやく、出口が近いづいたからだろう。

91年8月にC型肝炎とわかってから
直接診察していだいた肝臓専門医は
5人おられた。

1.順天堂病院の渡辺純夫先生
2.東大病院の小池和彦先生
3.清川病院の飯野四郎先生
4.武蔵野赤十字病院の泉並木先生
そして
5.札幌緑愛病院肝臓センター所長 
川西輝明先生だ。

いずれの先生も、肝炎の第一人者だ。

思いだすままに、

最初の渡辺純夫先生は、即試行する
お医者さんだった。動きも俊敏だった。
とりわけインターフェロンαから
インターフェロンβを静脈注射に変えたとき、
看護師にさせず、ご自身の手で、注射をされた。
勢いよく、あっと言う間に注射されていた、
そのあと20分とたたずにドット熱が出た。
今も感謝の気持ちはあるが、
「破れかぶれの出たとこ勝負」の治療法
だったと思う。わたしは全身倦怠感が払拭
できるならば、なんでもありだった。
しかし、その後の乾癬の併発を考えると、
インターフェロンβの投与はやめておく
べきだったな、
なんでもそうだが、やりすぎは新たな問題を生む。

次に、東大病院の小池和彦先生の診察を2002年秋に
受けた。「白い巨塔」の先入観があったが、
厳しい研究者だな、というのが実感だった。
わたしと同じ生年とは思えない。老成していた。

愚痴や冗談は通用しない、
そんな緊張が漂う診察だった。
高い学識の圧力があり、正直、間が持たない、

印象深いのは、、ウィルス量が少なくても肝がんに
なる人はなる、量は関係ないと言われたことだ。
最近、小池先生は次のように言われていて、
首尾一貫しておられる。

留意すべきことは、ウイルス排除(SVR)は、
HCV感染の治癒ではあるが肝疾患の治癒では
ないということです。高齢C型肝炎患者が多い
という我が国の特徴からも、SVR後も肝癌発生の
リスクはそれなりに残ることを、
患者さんによく説明し、
指導していく必要があります。
と、2002年に
わたしに話されたのも、これと変わらない。

なんとなく、未来の自分を暗示しているようで、、
油断するな、と受け止めた。

三人目は、2007年に清川病院で診察をして
いただいた飯野四郎先生だ。リスペクトの
気持ちがあり、一期一会の思いで会いに行った。

飯野先生は、ジェネリックに懐疑的で、とりわけ、
強力ミノファーゲンのジェネリックに対しては
全否定だった。怒りっぽい人だな、という印象。
末期のすい臓ガンだったのだから、よく頑張って
おられたのだと、後になって思った次第。

そのころから肝庇護療法というか、
ウルソのジェネリックを飲むだけで、
意識はC型肝炎から遠ざかっていた。

わが主治医、三好先生だけが、ついつい
忘れそうになる肝炎のことを想い起こして
くださった、いわば最後の砦だった。
あえて三好先生を5人に加えないのは、
わたしにとって、
もっとスタンドバイミーのお医者さん
だからだ。

4人目は、2013年秋の診察、泉並木先生だ。
偶然、Eテレで、泉先生が出演していて、
遺伝子検査の重要性を話されていて、
一度、お会いして、わたしの遺伝子を
調べてみたくなったのだ。結果は、難治性を
あらためて認識させられた。さらに22年ぶりの
肝生検を終えた12月、シメプレビルの助成が
始まる旨、泉先生は話されたが、果たして
自分のウィルスに有効かどうか危ぶまれ、
かなり躊躇した、、

そこに5人目、今年4月の川西先生との一問一答だ。
診察ではなかったが、決断のきっかけを
作ってくださった。

多量のウィルスを、たとえいっときでも
減らすことで肝がんリスクを抑えられること、
ウィルスに薬剤耐性ができたならば、
その時点で中断を決めればいい。
そうか、もっとフレシキブルに考えれば
いいんだな、と行き着き、6月開始となった
次第だ。

総じて、わたしは先生方に恵まれて
ここまでこれたんだな、と感謝の思いが
ひたひたと募って来る。

追記、6月3日ウィルス量6.6から、
6月18日には1.3までウィルス量が減少した
わけで、暫定的なものであっても、川西先生の
言われた激減の第一目標には到達しそうだ。



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お惣菜をくださった女性

依然として、咳が出る。免疫力の低下か

6割くらいの確率で
7月2日の診察で、6月24日のウィルス量は
1.2を下回り、「検出できず」の領域に
入る、と思う。

1991年8月21日にC型肝炎患者と判明して
以来23年という、長い歳月が流れた。

いま当時の三年日記帳を眺めている。

その年の11月2日より御茶ノ水の順天堂病院で
治験段階のインターフェロンαの皮下注射を
始めた。担当医は渡辺純夫先生だった。

その頃、全身倦怠感で、寝て起きてもダルさが
残った。

二週間の入院、肝生検をやりCTもやり
インターフェロン投与となった。
退院してからも3日に1回のペースで投与する
ために順天堂病院に通った。

渡辺先生のもとに来る患者さんたちは、
B型かC型の肝炎患者で、フロアは混雑
していた。その中で20代くらいの、
ひときわ美しいC型の女性患者がいた。
何度かお見かけするうちに、
少し話をするようになった。

新婚で、ご主人は元サッカー選手で、
筑波大で教えるとともに、
日本サッカー協会の仕事もしている人だという。
わたしは全く知らなかったが、
会社の同僚はよく知っていた選手だった。

ある日診察を待っていると、女性が現れた。
わたしのために煮物の惣菜を作ってきてくれた。

え、ぼくに、
よほどわたしの表情は生気が
なかったのだろう。ありがたかった。

その後、病院で何度か話したが、
お礼ができないままになり、

ウィルスも一向に消えないし、
長期戦を覚悟し、
当面はウルソと強ミノでしのごうと、

順天堂病院に行くこともなくなり、
当然、その女性に会う機会は
なくなってしまった。

最近、ふと気づき、
ダンナさんの名前を検索してみた。
すると、離婚とあった、見てみると
その女性とは別の人だった??

そうか、今や、サッカー協会の重鎮
となったダンナさんは、
その後元ダンナになっていて、
再婚もうまくいかなかったのか、
バツ2なっていたのだ、、と。

大丈夫かな、サッカー協会は
その元ダンナさんを
トップにすえるのだろうか、、

23年前を思いだす、、もしかしたら
もう、あのときには、その夫婦は相性とか、
家庭での振舞いとか、難病とか、微妙に
折り合わなかったのかもしれない。

なんとなく、その女性はわたしより症状が軽かった、
たぶんすでに、C型肝炎ウィルスを卒業している
気がする。



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肝炎治療24日目(第4週)好中球のことを知らないと

どうも昨日から、咳がでる。
この時期に咳なんて、あまり記憶にない。
免疫力が落ちている。それにしても

1.1週間で好中球が908から635になぜ下がったのか?
自覚症状はあっただろうか、、すこし油断してたな。

2.2010年に直腸がん予後な抗がん剤治療を
したとき、好中球はぎゃくに3000を超えあがって
いったのは何故か?わからない。

こういう素朴な疑問にお応えいただけるのは
主治医の三好先生だが次回診察は8月9日の
土曜日で、その日は治療開始から68日目で
ウィルス消失の態勢は決まっていることだろう。

「白血球と好中球の違い」は何かを検索すると
・・・白血球は、リンパ球、顆粒球、単球の総称。外部から体内に侵入した細菌やウイルス、腫瘍細胞や役目を終えた細胞を排除する役割を持つ。好中球は、白血球の1種で、 3種ある顆粒球の1つ。白血球の中で一番多い成分で、通常、白血球の約40~70%を占める。主に、生体内に侵入してきた細菌や真菌類を取り込み、殺菌を行うことで、感染を防ぐ役割を果たす。

軽い運動やストレスが加わるだけでも
好中球は減少するとあった。

6月22日に漢検2級を受けたことで、
好中球は減少したかもしれない。

こういうチャレンジごとは肝炎治療が
終わったあとにしよう、、

ペガシス皮下注射の量は好中球が
750以上ないと通常180をうっともらえず、
90だったり、45になったりすることを
肝に銘じよう、、



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肝炎治療23日目(第4週)好中球の減少でペガシス半減

ワールドカップ日本第三戦は眼中になかった。
闘病に気がいっていて、新聞も読む気が失せ、
感情移入ができないうちに、終わってしまった。

しいて言えば、ザッケローニから次は
武士道精神を持った日本人監督に
変わった方がいい。どうも、
ザッケローニもトルシエも
本番初戦の舞台でビビってしまい、
采配が慎重になる印象を持つ。

それでも三剤併用療法の闘病とブラジル
ワールドカップはリンクして人生の記憶
になることだろう。サッカーは負けても
わが肝炎は負けないぞ、、と。

この二日間、夜風呂に入るのが、どうにも
おっくうになり、寝てしまったが、さすがに
三日はまずいので、今朝、風呂に入った。
かなり乾癬が目立つな、、

さて、

昨日は14:30に病院に到着し、
すぐ採血に。4本採られた。
待つこと45分、その日担当の消化器科の
医師の診察を受けるように、
看護師に促され、診察室へ。

初めて診察していただいたH先生は、、
「今日の採血結果で好中球が635しかない
から、ペガシス皮下注射の量をいつもの
半分にします」といわれた。

えっ、それってどういうこと?と思ったが、
患者の素朴な疑問に応えてくれるタイプ
の医師ではない、、つまり患者にとって
重要な肝臓内の出来事について、そんな
想像をすることなんて、どうでもよい
判断されていそうな医師と直感した。

なので、淡々と、
「わかりました、半分でお願いします」と
応えた。ただ、このまま黙って引き下がら
ないぞと思い、機械的に、

「6月18日のウイルス量を教えてください。
できたら紙でください」

「副作用の乾癬がやや悪化してきている
ので、ここの皮膚科の診察を受けたいので
予約を」とお願いした。
H先生はふたつとも、了解してくれた。

ウイルス量は、先々週の2.3から1.3に
1下がっていて、想定外の減少だった。

今回採血の分が判明する来週には、
1.2を下回り、「検出できず」になる
のではないか。

なぜなら、これだけ好中球が減少したのは
ウイルスとの激しい闘いの形跡を示していた
わけで、ウイルス量はさらに下がっていない方が、

おかしいからだ。なんとも、驚きなのは、

一ヶ月前までの自分には想像できないほど、

強気になって来ている、、ということ。



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肝炎治療22日目(第4週)ペガシス添付文書は気づきの山

今日から第4週に入る。
昨日は22時に寝てしまった。
コペガスを飲むと傾眠になる。

傾眠とは、眠気でぼんやりすることと、
ペガシスの添付文書が教えてくれた。

4:30に目を覚まし、昨夜忘れた
ラクトフェリンヨーグルトを食べた。

どうも昨日あたりから股間がときどき
かゆくなってくることに気づいた。
なので、アトランドクリームを塗った。
1年以上使ってなかったが、
まぁ、大丈夫だろう。

今日は昼過ぎ、ペガシスを打ちに
武蔵野赤十字病院に行く。
A医師の診察はない。しかし、
ペガシス皮下注射してくれる看護師に
6月18日のウイルス量の検査結果を
ダメ元で、訊いてみるつもりだ。

ペガシス皮下注射の添付文書は
検索すると、気づきのヤマだ。
その中で、次の2点は興味深い。

1.好中球減少、血小板減少、貧血を
おこすおそれがあるので、
この薬の使用を始めて1週間は週2回以上、
以後、8週間までは毎週、
その後は4週間に1回以上、
定期的に血液検査が行われます。
使用終了後も検査値が回復するまで
定期 的に検査が行われます。
検査結果によっては、
検査の回数が増えることがあります。


2.副作用のひとつに
乾癬が掲げられている。明示するとは、驚いた。

以上、ペグイントロンと比較してみると、
1.も2.もなかった。

それだけペガシスの方が、個体差によって
リスクが高いことを正直に宣明していて、
好感がもてる。

ちなみに、わたしの場合、
入院中に、三日続けて、血液検査したのも
退院後、第2週、第3週と血液検査を
したのも、上記のペガシスのプロトコルに
基づいているんだな、とわかった。

保険適用は月1回までと聞いていたので、
なんでかな、と不思議だったのだ。





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乾癬とC型肝炎、シクロスポリンって何?

昨夜は、危うくリバビリンを飲み
忘れそうになり、23:55にいそぎ飲んだ。
合わせてラクトフェリンヨーグルトを食べた。

23年越しの闘いなのだから、
飲み忘れだけはすまい。

前にもふれたが、
「乾癬を合併したC型肝炎患者では
HCVの増殖が抑制されていることが
観察されている」とWikipediaに
書きこみがある。医療関係者なのか?
その信憑性は多少疑ってかかった方がいい。

ただ、以下のは皮膚科の医師の講演記事で
味わい深い。

2010年7月22日ラジオnikkeiで
放送した記事の中から抜粋する。

第61回日本皮膚科学会西部支部
学術大会2 ミニレクチャー2
「C型肝炎患者にみられる皮膚症状」
福岡大学 皮膚科准教授 今福 信一


IFN 投与により尋常性乾癬が発症した り、
既存の乾癬が悪化、関節症が出現 するという点です。
近年、乾癬の病態 形成の理解が進んできていますが、

IFN αの大量投与は plasmacytoid DC
から の I 型インターフェロン分泌による
乾 癬発症のモデルと言えるかもしれませ ん。

IFN 治療による乾癬の悪化は時に
治療中断に追い込まれることもあり、
重要な問題です。

2008 年に私達が全国の皮膚科専門医の
先生方を対象に行った調査結果からは
乾癬患者の 5%程度が HCV 陽性と
考えられました。

皮膚科医の半数は HCV 陽性の乾癬患者を
診察していて、それらの患者は今後の治療
において今後 IFN 治療を受 け、
乾癬が著しく悪化する可能性があります。

現在このような患者に対して適切な治療方針は
ありませんが、調査では 24%の皮膚科医は
HCV 陽性の乾癬患者にシクロスポリン を
投与していました。

これは、慢性の感染症であるC型肝炎に
おいては高い比率と考え られました。

近年、シクロスポリンには抗 HCV 効果が
あることが解り、乾癬患者に投与 しても
必ずしも肝機能の悪化が無いことなどが報告
されていて、

今後シクロスポリンだ けでなく、
生物学的製剤も含めて HCV 陽性の乾癬患者に
対する安全な IFN 治療導入方法 が開発される
ことを期待しています。


以上

「乾癬患者の 5%程度が HCV 陽性」という
疫学情報は、1990年代に、知りたかったな。

インターフェロンによって出る
サイトカインが乾癬を引き起こすという
説だろう。

ごく最近まで、体験的にきっとそうと
考えていたことを裏付ける話しだった。
わたしの場合、91年11月から14ヶ月間、
初期の出来の悪いインターフェロンと、
2002年11月からペグ前のインターフェロンを
半年間、うち続けた体験から、そう
に違いないと確信したのだ。

でも今は、さらにそれに加え、
C型肝炎ウイルスの皮膚細胞棲息説
みたいなものまで、乾癬原因を拡大
して考えている。

武蔵野赤十字病院はプロトコルで
眼科検診を求めてくるが、それより
皮膚科をプロトコルにして欲しい。

7月2日のA医師の診察のときに
相談してみようと思っている。

まずシクロスポリンが何なのか
知りたいし、その投与がこの肝炎治療に
逆行するものなら、元も子もないし、、



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肝炎治療20日目(第3週)ベンチマークの折れ線グラフ

今、板橋の帝京大の学食で
塩ラーメンを食べた後、
これを書いている。

帝京大がビックリするほど
新しく壮観なキャンパスになっていた。

(あ、漢検で、荘観と書いてしまった)

近くにある板橋区のこども動物公園には
長女を連れてよく来ていたのだが、

試験はボロボロだった。
最新の問題集をやっておくべきだった。

今朝、起き抜けの小水は、
もう褐色になっていなかった。
体温は36.7°
ソブリアードを飲んでも、
その直後のダメージは感じなくなった。

仮説だが、

肝炎治療第3週は、
次のステージに入っているのかな。
このままウイルスが「検出せず」に
突き進むAコースなのか、または
ウイルスに薬剤耐性ができて
シーソーゲームに陥るBコースなのか、
という分岐点を迎える週に違いない。

担当A医師の話しでは、
早い段階で「検出せず」になっていても
治療の6ヶ月終盤にウイルス1.2ラインを超えて
再燃する、いわばCコースもあるようだ。
あらためて、恐るべし、レトロウイルスの
C型肝炎ウイルスのみなさんがたよ、、

Aコースの典型的な症例は
kawahero2000さんがコメントして
くださった、以下のデータだ。

26.3.19 治療前 7.2
26.4.16…初日 ⤵︎ 6.6
26.4.17…2日目 ⤵︎3.7
26.4.23…8日目 ⤵︎2.1
26.4.30…15日目 ⤵︎1.2
26.5.7……22日目 ⤵︎検出せず
26.5.14…29日目 →検出せず


昨日作った折れ線グラフに落とし込むと
見事なカーブを描いていて、
わたしのウイルス量逓減の推移より、明らかに
エッジの効いた減少カーブを描いている。

わたしのウイルス量の推移は、こうだ。
26.6.3…初日、三剤投与前→6.6
26.6.4…2日目⤵︎4.5
26.6.5…3日目⤵︎3.4
26.6.11…9日目⤵︎2.3
26.6.18…16日目⤵︎1.3
26.6.24…22日目⤵︎1.2未満
アバウトな領域へ

kawahero2000さんの折れ線グラフは、
わたしのベンチマークになっている。

ただいま18時だが、
体温は37.1°になった、いつも通りだ。
昨日、玄関先に現れたカエルはまだ
植木鉢と植木鉢の間にとどまっている
ことに、家内と長女が気づき、
ダンゴムシをつかまえて、それを箸で
つまみ、カエルの目の前に置くと
カメレオンのような長い舌で、
一瞬のもとに、ペロリと食べてしまう、
その姿をみて、二人でキャッキャと
よろこぶ声が聞こえてくる。

さてさて、これからAコースになるか、
Bコースになるか、はたまたCコースか、、



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肝炎治療19日目(第3週)なぜラクトフェリンか?

今朝は朝から微熱と頭痛がある。
さらに後頭部から首にかけて
肩こりのような頭痛も加わり、
いやな一日を予感した。

すぐロキソフェロン1錠を飲んだが
にぶい痛みが残り、昼過ぎ、我慢できず
4時間以上の間があいたことを確認し、
二度目のロキソフェロンを飲んだ。

明日は漢検2級が10時から、
板橋の帝京大であるが、やる気が
起きない。

夕方、長女の水泳教室の付き添いを
して、戻ってからコーギーの散歩、、

もう横になりたかったが、散歩から
戻ると、長女はよごれた金魚の水槽を
掃除している。長女一人では無理なので、
手伝ううちに、いつの間にか、わたし
ひとりで清掃していることに、、

終わるころ、突然、玄関にカエルが現れ、
長女を呼ぶと、きゃあきゃあ、はしゃぎ
興奮していたが、そのまま、
カエルを見送ることにした。

そのひょこひょこした後ろ姿は、きちっと、
懸命に生きているカタチを見る思いがした。

22時、4日続けてラクトフェリンヨーグルトを
食べた。

昔の血液検査データのファイルを見ていたら、
「ラクトフェリンが直接C型肝炎ウイルスに付着して
その感染を阻止することがわかった」
という
1999年当時、国立がんセンターウイルス部室長の
加藤宣之さんが述べている、、
そういう記事を発見したのだ。(「安心」1999.1)

14年以上の前の記事だから、その後研究成果が
どうなったかは、わからない。

まぁ、この際、気休めでもいい、、
7月2日まで、毎晩食べてから寝ることにする。

ちなみに、アルコールは6月2日入院する日の
午前中に発泡酒、銀麦(4%)を一缶飲んだのを
最後に、アルコールを飲んではいない。



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肝炎治療18日目(第3週)折れ線グラフで見える化

6時すぎ、頭痛で目を覚ます。
躊躇なくロキソフェロン1錠を服用する。

ワールドカップ日本対ギリシャ戦は
見ずに、NHKラジオの「すっぴん」の
作家、高橋源一郎さんの話しを聴いていた。
金曜日は高橋源一郎さんの話が面白いのだ。

その小説は全然読んだことないが、
(その題名がわたしには響かないからだった)
朝日新聞の論壇時評に月一回載せている
高橋さんの記事を読み、いつもうなづいてしまう。

さて、
C型ウィルス量の推移を
折れ線グラフにして、見える化してみた。

縦軸はウィルス量、
横軸は6/3からの経過日数、にした。

なるほど、こうしてみると、
ストーンと谷底に落ちていくような
折れ線は、驚くばかりで、見事だった。

グラフを90°回転してみると
ジェット機が離陸して、高度を上げる光景
のように見える。
まさに、城達也のジェットストリーム、
これから高度一万メートルの夜間飛行が始まる、、

つまり、三剤がよく効いていることがわかる。

でも安心なぞ、していない。
ここからが正念場だ、、

仮説だが、
ウィルス量2.3から1.3あたりが
薬剤耐性zoneで、リアップしたり、
波形の折れ線グラフを描くのではないか、
そして0.1単位の増減が重要になる、と。

その意味で、次回、7/2のA先生の診察で、
6/16分と6/24分のウィルス量がわかるので
その日が「最初の仮説検証の日」だな、、

18:30 体温37.0に、頭痛はまだない。
ペガシス皮下注射の日から4日間くらいは
夕方あたりから微熱になる。



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引き会わせる

昨日は午前中に、
長女が通っていた学習塾?クリーフの
代表松井穣さんを
武蔵大の、起業学の髙橋教授に
引き合わせた。

11時から45分ほどの雑談だったが、
髙橋教授はあらかじめネットで
クリーフを調べられていて、
会ってすぐに、松井穣代表の
起業リテラシーの高さを
見抜かれていた、、ようだ。

お二人とも、
ソーシャルビジネスについて
シンクロニシティ、共振するものが
あるに違いないと予測していたが、

その通りだった、
いやそれ以上かもしれない。

夢とファイナンスの両輪ががないと
ダメだな、、と感じつつ。

12月、松井穣さんは高橋教授の要請を
受けてセミナーの講師を引き受けるだろう。

分相応、腹八分目の事業観

正直で、ウソをつかないこと
やってきたことをやってきた通りに
話せる人が生き残る、、

といった言葉が印象に残っている。

対談後、武蔵大の学食で、
松井穣さんにカツカレーをご馳走になった。

その夜、

5月末にクリーフをやめた長女は、
8月、クリーフがおこなう群馬県の
水上キャンプに参加すると決めた。

バスでなく電車で行くこと、中味がいい、
穣先生に会えると、長女は大喜びだった。

9歳、小3の夏は、いい思い出ができるだろう。



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医療券はありがたい

16日に医療券が届いた。
有効期間は6月1日から12月31日だった。
わたしの場合、申し訳ないが、
個人負担分は毎月1万円ですむ。正直、ありがたい。

来年か?ギリアド社の1カプセル10万円以上という
高額な新薬に対しては、同じような医療費助成を、
たぶん、しないだろう。
安部政権はそんな甘くはない、、
必ず、何がしかハードルを上げてくるだろう。
基本、貧乏人は「OUT OF 眼中」の、
ビジネス系大好き政権だからだ、、

だから、たとえ歩留まりはあっても、
まずは、このソブリアード三剤併用を
試す方がいいと見る。

話しを戻す、、
既に入院費と11日の通院費を計算しなおして
もらうために、所定の請求書に署名捺印して
窓口にもっていくと、
「その用紙は要りません」と言われた。

今月の保険請求はまだこれからなので、
領収書の返還で、お金を返してもらえ
ることになった。総額15万円ほどで、入院の
会計窓口と通院の会計窓口と別々で、やや時間が
かかったが、割とスンナリ、返金してもらえた。

4月下旬に泉先生の診察を受けたときに
「6月上旬の入院なら、5月中に助成金の
申請を出しておきなさい」とぽろっと言われた
ので、素直に、その通り5月9日に申請した次第

泉並木先生に感謝、、



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内科医A先生との診談1回目好中球数750基準

昨日は14時に、武蔵野赤十字病院に行った。

肝臓病の患者さんたちで、混雑していた。
待ち続けけたのか、受付の医療事務の人に
怒りの声を上げていた女性がいたな、、

こりゃ、この病院の
肝臓病の市場はまだまだ隆盛だな、と。
6月29日に、武蔵野市公会堂ホールで
泉先生たちによる肝臓病の講演会(無料)を
行うようだ。とてもいいことだ。

わたしの場合、退院後の担当医師は
泉並木先生からA先生に変わった。
なんでも質問できて、またわからない
ことはわからないと正直に言われて、
いい先生だ。第一に、笑顔がいい、
内科医の笑顔は大事だと思う。

さて、診談の内容だが、
1.C型ウィルスの逓減傾向のこと。
この段階でも波状になる症例もあるようだ。

2.好中球は750を下回ると、
ペガシス皮下注射の量を減らすが、
今日は900あるから前回と同様に
通常の量を打つ。

3.小水の褐色は総ビリルビンの影響だが
その数値が5.0にならならい程度なら、
気にしなくてよい。5.0の症例に遭遇した
こともない。

4.来週の皮下注射を1日繰上げる旨了解。

5.6/18と6/24のウィルス量は
7/2の診察ときに伝える。ウィルス検査
外注なので約1週間はかかるため、確実に
データが見られるタイミングはそうなる
だろう。まあ、そうヤキモキしないで、
途中で打ち切るようなことではなく、
神経質にならずに、このまま継続して、
今の療法をやりましょう(笑顔)

6.ウィルス量1.2の壁について、わたしが
主張した。たぶん1.2は「検出せず」と
ほぼ同じ、麻雀でいうリーチみたいな数値
ではないか?

そして、その前の1.3こそ、リアップにつな
がるいわば「魔の数値」ではないか?と。
すると、A先生は微笑むながら、前かがみに
小さく、、うなづかれていたな。。

7.ウィルスと免疫のこと。

以上だった。

ひとまず治療はいい線いっていると
判断した。ここからが正念場だな。

帰りにヨークマートで
ラクトフェリンのヨーグルトを3こ買った。
今夜から二週間食べ続けることにしよう、、



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肝炎治療16日目(第3週)

16日目といっても
今、0時50分でこれから眠る。
最近夜更かしになってきた、、

今日は午後から武蔵野赤十字病院の
A担当医師の診察とペガシス皮下注射がある。

入院したときの血液検査結果がわかる。
いまさら、入院なんて嫌だなと思っていたが、
三剤投与の直前の採血、
そしてその翌日の朝と三日目の朝の採血、
という連続の採血というプロトコルに
泉先生たちの経験知を感じ、
この病院に入院する意味があらためて
わかった気がしたのだ。

その2日間のウィルスの減少割合から
先生たちはある程度、
ウィルス消失の可能性をカンファレンスし、
読み取っておられる気がする。

もう一つの勝ってな、わたしの指標は、
ウィルス量1.2の最小値に至るまで
何日かかるか、が重要な気がする。

数式化できるような能力は、
もとよりないが、
あえて適当に表わすとしたら

遺伝子データ✖️2日間の減少割合➗
ウィルス量1.2までの日数>「再燃・耐性変異」

とか、デタラメな式が浮かんだ。

なにしろ肝心なのは、
できるだけ短期間にpcrウィルス量
最小値1.2の壁に到達することだな、
と、今は思っている。

その最小値1.2までダラダラと
日数がたってしまうと、、
たちどころに、ウィルスは変容し、
薬剤耐性ができてしまい、
元の木阿弥になってしまう、のだろう。

さて、結果はどうなることやら、、

7:10 起きる。頭痛なし、朝の小水の
褐色度はほとんどなくなっている。
1週間ごとに、ペガシス皮下注射する
意味を、頭でなく、身体で納得した。



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還暦仲間への受胎告知

4月から、高校時代の仲間が
60歳の誕生日を迎えたら、その日、
祝還暦メールを送るようにしている。

4月は堀口に、6月は國岡にと
まずは、その二人に、祝還暦メールをした。

そしてメールの最後は
「実は、この年末に第二子が生まれます」
と受胎告知?を付け加えた。

二人から、驚きの返信がかえって来た。

堀口からは
「 なーんと。素晴らしい。
一気に幸せな気分になった」と。

國岡からは
「 ありがとうございます。
そして、ウヒョー!!おめでとう。 」

また國岡は脳内に懸念があったので、
「直腸ガンの経過が良いのは何よりです。
私の方も、状況(画像)に変化が無いので、
定期検査は終了。何か異常を感じたら
来いとの事。セカンドオピニオンで
検査を行うかどうかですね。」と。

この後、祝還暦メールは、
7月は川上と山本、旧姓松田に
12月は福川に、送るかな、
アドレスがわかっている仲間たちに。



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肝炎治療14日目(第2週)

第二週の最終日だ。

今朝は5:40 頭痛で起き出し、すぐ
ロキソフェロンを飲んだ。
体温は37.0°

漢検脳が出来つつあると
徐々に頭痛がしだし、
たちはだかる感じで、なるほど、、

何かに気力を注ぐと、
それを遮ろうとする、

生きているって、
作用と反作用の闘いだなと、思った。

明後日、水曜日は第三週目で、
いよいよウィルス量がキッチリわかる
担当A医師の診察がある。

またペガシス皮下注射と
二週間分のソブリアード
とリバビリンを処方してもらう。

ちなみに、ウルソは服用中止だ。

その日も3割負担だと、、
8万円くらい払わなければならない。

医療費助成申請は5月9日に出した。
2ヶ月待て、とあるが通常の行政手続きは
一月が相場だ、と知っている。

そこで、区に問合せると、
認定交付6月4日と東京都から連絡があった
という。まてまて今日16日だが、
到着してないぞ、、なので受給番号を聞き、
東京都に電話すると、、

「通常郵便で、6月9日に送ったので、
まだ戻ってきてませんので」と女性の声。

激怒した。
「16日の今日現在届いていないのに、
何悠長なことを。責任は、、
上の人を呼んで」と促し、保留が
5分以上つづき、、腹が立ち受話器を切った。
以後、向こうからはかかっては来ない。

なめられたもんだ、、

昼近くになって、やって来た郵便物に、
医療券が入った封筒が、、あった。

まずは、ホッとする、

それにしても行政は、
ありがたく思え、みたいな上から目線だな、

まったく、なめられている、

C型肝炎は医源病だけでなく、
当時、先進諸国はやらない
集団予防接種とかいった保健行政に
原因があったことを忘れてほしくない。



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肝炎治療13日目(第2週)

昨夜は24時、頭痛がたまらなくなった。
ロキソニンのジェネリックの、
ロキソフェロンを1錠飲む。
朝まで、眠りは浅かった。
途中1回、トイレに行ったので、
朝の小水の、褐色の濃度は
それ程ではなかった。

ロキソフェロンを飲んだら
4時間以上の間隔をあけろ、と
処方箋にあり、、

今朝まで頭痛があったが、耐えて、

9:10 ソブリアードとリバビリンを飲む際に
二度目のロキソフェロンを飲んだ。

12時の今、頭痛はない。体温は36.4°
ただし、多少、めまいがする。
ワールドカップは観ていない。伝聞で十分。

来週の日曜日、午前10時から板橋の
帝京大で、漢字検定2級を受ける。
ところが、三剤併用療法を始めてから
気力が萎え、事前の学習ができなくなっていて

今日は気合をいれようと
駅前のパン屋のラウンジで、10時過ぎから
問題集に取り組んだ。

漢字の部首問題が、ガタガタだった。

取り急ぎ、「漢検脳」を醸成しないと、、

日中、家で静かにしていても、
ゆるいめまいを感じる。
久松湯に行きたいのだが、、躊躇あり、
昔、そこで気を失ったことがあったし、な。

まだ、ワールドカップに感情移入できないでいる。



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C型肝炎ウィルスの乾癬原因仮説

あらためて、乾癬の仮説を立てたい。

通常、2~4週間の皮膚の代謝日数、
ターンオーバータイムが、

乾癬では、3~4日に短縮し、
角層が大量に出来て
白い粉がふきでるという
皮膚細胞の現象を表す。

排泄器官でもある皮膚細胞の異常現象だ。

乾癬では、表皮から、過剰に合成して
落屑として捨てなければならない
病態になっていて、
そのためターンオーバーを
亢進させているのかもしれない。

乾癬の原因は不明であるが、

わたしのケースのような多量の
C型肝炎ウィルスを体内にもつ場合は、

このウィルスによって乾癬が発症している、、
ウィルスに影響されて、皮膚の代謝を
速めている。がウィルスが排出される
わけではない、、

という仮説を提示しておきたい。

単純な推論にすぎないが、
溢れ出すC型肝炎ウィルスが毛細血管か
リンパ節をとおって、排泄器官である
皮膚細胞に辿りつき、皮膚の代謝サイクルを
狂わすのだ、と。

したがって、C型肝炎ウィルスが消えれば
このケースの乾癬は治癒に向う、という
スッキリした推論だ。

振り返ると、
一つ不思議な出来事があった。

2010年6月のことだ。
5月25日に、直腸がん手術した翌月で
あった。ステージ3bと転移の可能性が
大きかったので、外科医は当然のように、
抗がん剤治療をすすめてきた。

肝炎のことは遠のき、はるかに
死に直結する可能性が高い「がん」
だっだから、恐怖心が先だった。

従順に、外科医の指針通り、
入院し、3日間かけて点滴による
TS1という抗がん剤の標準治療を行った。

3日後、乾癬の赤みがあっという間に、
消えたのだ。ターンノーバーがおさまり、
乾癬の部位はくすんだ皮膚になった。

抗がん剤は細胞毒とはこういう事かと
実感した。

看護師の家内に指摘されことなので
錯覚ではない。外科医に話したが、
守備範囲ではない、という表情を示した。

今、検索すると、
抗がん剤をやっていて乾癬が悪化した
症例が出ていたが、

わたしの場合は、正反対だった。
この現象は、はたしてどんな要因で?謎だ、、

さっき、家内に
「4年前の抗がん剤のとき、
乾癬が緩和したことって、何故だと思う?」と
尋ねた。

看護師の家内の応えは、、
「皮膚と消化器は、繋がっている。
口から肛門まで、一つの長い筒てみれば、
筒の内面は、皮膚と同じで、外部でしゅ。
だから大腸の抗がん剤を投与すれば、
その細胞同士、緊張をもって連絡し合う。
その緊張が、乾癬のターンノーバーを
平常に回帰させたんだ、と思うよ」と。

なるほど、な。

別段、それは
C型肝炎ウイルスの乾癬原因説と、
矛盾しない、はずだ。



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ウィルスは生命か?

ひと月ぶり、三好先生の診察の日。

先週から入院し、三剤併用療法を
受けていることを話す。

血液データを忘れてしまい、
口頭で、血小板が15まで下がったと
話すと「それくらいなら大丈夫」と
ほほえまれた。

ペガシス皮下注射をうつ基準が
好中球数が500以上あることについて
「その通り」と三好先生は言われたので、
赤十字病院の看護師の話はホントなんだ
なと納得した。

好中球数を上げる注射をする場合も
あるらしい。

今日のテーマは「ウィルスは生命か」

三好先生は、

生命の定義は揺らいでいる。

代謝はないとはいえ
C型ウィルスは1本の遺伝子を抱えて
存在し続けることが基本的な状態になる。

そして親和できる宿主を見出すと
自己増殖をつづけ、あるいは
免役からの貪食によって分解され、
終わりになる。

ということは、わがC型ウィルスは
免役に貪食されていない限り、
草創期のウィルスも肝臓を中心に
身体全体に存在し続けていることになる。

人の60兆細胞は、
ほぼ9割が2ヶ月で入れ替わって
しまうのに、C型ウィルスは、
なんと長い歳月をともにしてきたことか、
ある意味、、わが記憶遺産だな、

たぶんこの1週間の間に、永く生きた
C型ウィルスは、三剤療法によって
相当消えていると思われるが、、

三好先生の考えでいくと、
C型ウィルスは、細胞内に核をもたない
赤血球とは親和しないだろう、
それよりもリンパ液の方が親和する。

となると、そうか、乾癬の皮膚細胞に
近づくのはリンパ節に生息するC型ウィルスだな、

それが乾癬を生む契機となるのでは、と。



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肝炎治療11日目(第2週)

昨夜は寝つきが悪かったが、
レンドルミンはもうなかったし、
依存したくないので、処方を
お願いしたりしない。

褐色の小水は今朝、一段とすごい。
ソブリアードの影響らしい。
きっとC型ウィルスの残骸も
小水の中に入っているのではないか。

大腿部の筋肉痛がややある。

今朝の体温は37.1°、
夕方の体温は37.3°になっていた。

もうそろそろ37°代に慣れないと、な。

夕飯後、リバビリンを飲んだあと、
ものを探していると、クラクラしてきた。
姉から心配の電話が入るが、明日にして、
と切ってしまった。話す気力がない。
早々に、寝ることにしよう。



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長女のベスト3

最近の長女に、
好きな場所はどこか、たずねてみた。

1位 小学校

2位 書道教室とZ-netスクール

3位 学童クラブ

そしてスイミングスクールは、、
無量大数位、、だそうだ。

学級担任のT先生がかなり好きなようで、

いい教育環境いるなと思った次第。



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C型肝炎と乾癬の関係

今朝の明け方、思ったことを、

C型肝炎ウィルスがなくなると
わたしの場合の乾癬は治癒する
のではないか、と。

わたしの乾癬は、
インターフェロンのせいではなく、
C型肝炎ウィルスの量に影響されて、
発現しているのではないか、と。

さきほどWikipediaで
C型肝炎を見てみると、、

乾癬を合併したC型肝炎患者では
HCVの増殖が抑制されていることが
観察されている。


ここからはC型肝炎と乾癬を病む患者の
自己観察による、二病の関係性について、
素人の、勝手な仮説、推論だが、

1.インターフェロンは乾癬の引き金には
なったが、乾癬の拡がりはC型ウィルスの
増加による。今までの持論を修正する。
インターフェロンが永続的にサイトカインを
発生し続けると考えるのは無理であり、
C型ウィルス量に原因を求めた方が自然だから。

2.事実1.1991年も、2002年も、
インターフェロン投与が終わってから、
乾癬が発生、または目立ってきた。

事実2.肝炎患者の乾癬は、本来の乾癬患者の
ように体全体にまで、乾癬は拡大しない。
関節部分とか、ものとの接触部分とか、
局所的に、散漫する。

3.調査1.ウィルス量のデータを過去に
遡って、調べたくなる。

4.仮説1.Wikipediaの
「乾癬がウィルスを抑制している」
というよりは、赤血球による酸素の
運搬に付随する形でウィルス排出が
皮膚の深層でなされ、
乾癬になるのではないか?
乾癬細胞の中に、C型ウィルスの
残骸がいるのではないか?

仮説2.C型肝炎ウィルスを多量にもつ
肝炎患者が、必らずしも乾癬患者には
ならないのは、インターフェロン長期
投与とか、異常な治療行為などを一般的に
しないからである。わたしの場合は、1年超の
インターフェロン投与の治療行為があって、
それがトリガーになった。

5.明日、三好先生との診談があるので
C型ウィルスはどのように死んでいくのか
尿になって排出されるのか
尋ねてみよう。ウィルスは代謝はしないので
生命とは言えないらしいが、
終わりはあるだろう。

以上、考えていると、少し元気が出た。
これって、面白い研究課題だと思うんだが、
研究者はいないものか、、

いずれ、ウィルスが消えれば、
真偽は証明されるだろう。。



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肝炎治療10日目(第2週)

このとこら、朝一番のお小水が
褐色の度を増している。

何かが排出されている感じだ。
血液データが、小暴れしていることと
関係があるだろう。

来週A医師に尋ねよう。

朝からずっと37°の微熱が続く。
ペガシスの影響だ、この程度で、
ロキソニンなんかのまないぞ。

ペガシス皮下注射の翌日は要注意だな、、

夕飯後、リバビリンを飲むと、眠ったが
22時すぎ、起き出し、風呂に入った。

コメントをいただいて、いた。
ほんとうにありがたい。

三剤療法の副作用と抗がん剤の副作用とを
比較している自分がいる。

似ているところは、目の奥の方に、、
鈍い痛みのような、感覚がある点だ。
こめかみ、眉間あたりを抑えても、
どうにもならない、、頭痛になるのかな、

長女が「だいじょうぶ?」と心配してくる。

人の目には、鬱っぽく見えるかもしれない。



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肝炎治療9日目(第2週)

10:25 武蔵野赤十字病院に到着した。
自宅から自転車で70分かけてきた。
電車と徒歩でかかる時間と、ほぼ同じ。
健康とコスパを考えると、自転車通院は
いいのだが、ペガシスを皮下注射した
帰りはどんなものか、比較考量かな、、

採血 5本取られた。
その検査結果に1時間かかると言われ、

聞いてないぜ!と医療事務の人に切れる。
切れると遠慮がなくなる。せめて、、
どの数値をみているのか?教えておいて欲しい。
を知りたいものだ

コンビニでサンドイッチを買い
室内テラスで食べながら、待つことに、、

チェックしていた数値は
好中球数だ、と看護師の説明があった。
この1週間で好中球数が872まで下がっていた。

12:25 ペガシスの皮下注射をする。
ベガシスのラベルを剥がし、日記帳に貼る。
こうビジュアル化して、気をおさめる儀式?だ。
ついでに、
ソブリアードとリバビリンを飲んだあとの
カプセルも捨てずにビニール袋に入れてある。
これもビジュアル化で、何かを、たぶんウィルスかな、
鎮魂させる感覚かもしれない。
異物も30年をこえて、わが肝臓に棲息してきたわけで、
妙な言い方だが、憐れみを感じなくもない。

1/8検査時の好中球は2601あったのだが、
入院時の数値は来週にならないとわからない 、、

どのくらい下がったか、比較ができない。
ウィルスも同様に、来週にならないとわからない。

今日のデータは
ALT 27
AST 24
総ビリルビン  2.1  ↑
ヘモグロビン 13.6 ↓
好中球数   872 ↓
血小板数   15.2  ↓ ずいぶん下がったもんだ、

帰りは小雨降る中、自転車で帰る。
少しめまいのような、
視覚がぼやけるような感覚になる。

19:30 リバビリンを飲む。
1週目のような発熱にならない、36.8度のまま。

あらためて今の気分は、淡々としている。
かすかな期待はあるが、 ズルズルとして
「止める」決断だけは、、、鈍らせたりしない。

ウィルス量の推移に、例えばリアップとか、
不信感が起きたら 、、

4週目か5週目であっても、関係ない、、
そう実感した時点で、躊躇なく、中止するだろう。



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肝炎治療8日目(第2週)

このところ林隆三、蟹江敬三、地井武男と
声のいい役者が亡くなっていく、、
そういう年齢なのか、、と感じる自分がいる。

あと、気になるのは、山崎努の存在だ。
わたしの場合、
高倉健や、仲代達矢に感じるものはない。

今朝は7時過ぎに起きた。昨夜は、
雨が入ってこないように、ほんの少し
窓を開け寝たが、それが涼しく、心地よかった。

今日から肝炎治療第2週にはいるが、
ペガシスの皮下注射を打つのは、
明日の午前中になる。

先週のインターフェロン効果は
今日あたりは、薄まり出している
かもしれないが、気にしない。

第1週をふりかえると、
1.インターフェロン投与した日は高熱を
出したが、その後37°代にとどまった。
2.頭痛はなかった。
3.気分がわるく、気力が萎えやすい。
4.頭髪に変化はない。
5.持病の乾癬がややひどくなった。

今朝の
体重67.00kg
体温36.4°
と、このところ同じような数値だ。

1991年から1999年まで、
「3年手帳」を三冊、書いていた。
最初の肝炎治療の時から、
9年間書き続けたものだ。
何の小説か、誰のことばか、

1991年10月10日 こう書いている。
「自分が逃げられない場所にいるとき、
人に頼れない場に出会えるとき、
考えなければ、何もはじまらないとき、
その瞬間こそ、その人が最高にゼイタクな時間を
味わえることになるのさ」
と。何かの小説だが不明。

今パラパラよみかえしてみても、
ごみごみした汚い字なので、読めないところが、
多々あり、こりゃ、困ったものだ、、

そうだ、ペン習字を再開しないと、、

夕飯のあと、初めて柿の葉茶を飲んだ、苦い。



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肝炎治療7日目

今日は、肝炎治療1週目の最終日だ。

ソブリアード、リバビリンを飲む時間帯を
9時 、21時頃にずらすことにした。

うつ状態とはいえないが、
飲むと、少し気分が萎えるので、
時間調整で乗り切るタイミングを考えたい。

少し便秘ぎみだ。
水分補給を怠らないようにしよう。

乾癬が目立ちはじめている。
家内がわたしの背中をみて
「ちょっとスゴいじゃない?」、でも
「仕方ないじゃん、、想定内だよ」と
応える。

日中の体温は37°くらいで推移している。

1991年11月2日土曜日の朝、人生最初の
インターフェロンαをうった、と日記に
書いていた。

発熱は必死だが、夕飯後まで引っ張られ、
体温38.0°まで上がり、ようやく
座薬を入れることを許された、とあった。

その日から半年間、インターフェロンαを
60本うち続けたのだ。その後さらに半年
インターフェロンβの静脈注射をしたわけで、

乾癬を生む温床をつくったことは間違いない。



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ジョルダーノ・ブルーノのこと

唐突だが、アンドレ・モーロワいわく、
行動の人にとっての、
考える技術とは、思考を本能に
つくり変える技術である。


さて、
清水純一「ルネサンスの偉大と頽廃」(岩波新書)
を読み終えた。ジョルダーノ・ブルーノの
生涯と思想が語られている。

日本史の関ヶ原の戦いの年は1600年、
その年の2月に、ブルーノはローマで
火刑になったが、その処刑の前7年間も、
一つの天窓しかない牢に入れられ、
かつ拷問も受けたいた。

邪教を教えていると
徹底的に糾弾したのはカトリックの
枢機卿 だった。信念と信念の対立。

それにしても暗闇の独房に7年間とは、、

ブルーノの主張は、
・宇宙の中心などどこにも存在せず(つまり、無限)
・地球も太陽も宇宙の一つの星にすぎなく
・神とは心の中に内在する存在であって、
宇宙のどこかから地球を見ているものではない

であった。その世界観を共有できるのは仏教だけだ、
というしかない。

西洋は無限が恐ろしいのか、有限を好む。

現代の、当然視する宇宙物理学
ビックバン理論も、始まりは有限を
前提とする思想だ。ビックバン以前は
宇宙ではないのだろう。
いずれ綻びがでる。

ブルーノは過去の人ではなく、今、
それを主張しても、新鮮さを失わない。

ローマ法王庁には、ブルーノの著作物を
秘蔵しているらしい。忘れられた思想家に
しておきたいのだ。

その意味で、ブルーノの火刑はつづいている。



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肝炎治療6日目

ようやく外は雨がやんできた。

今朝の体温36.5°、
ただ体温計が壊れているかもしれない。

膝関節とか、大腿骨あたりが
やや鈍い痛みがある。

昨夜は、夕飯のあと、
19:30にリバビリンを飲んだが、

それから20分くらいすると、
めまいとはチョッと違い、
頭の中が、モヤモヤしてきて、
横になりたくなり、
21時には寝てしまった。

夜のリバビリンは、
できるだけ遅い時間に
飲む方がいいかもしれない。

昼間の体温は 36.8°を保っている。

どうやら副作用は、わたしの場合は、

忍耐力が欠けてくること、または
集中力が持続しなること、
受動的になってしまうこと

といえそうだ。具体的に言えば、
ものの片付けが出来なくなっている。

2002年にインターフェロンとリバビリンを
投与したときも、この副作用があったような
気がする。

この状態をわが身体の60兆細胞を
コントロールする司令塔は、
たぶん、良しとはしない、だろう。

副作用をやり過ごすのではなく、
克服しなければ、、ならない、な。



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