折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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大団円、泉並木医師の初診

昨日、初めて武蔵野赤十字病院の泉並木先生の
診察を受けに行った。

武蔵境駅南口から徒歩10分で、
病院についた。駅前のビルを過ぎ、
病院に近づくと、急に空が広がる。

病院1階には、タリーズコーヒーが
入っていた。完全紹介予約制という表示が
目に入った。受付はスムースに終わり、
問診票の書き込みも不要だった。

NTT関東病院ほどのゆったり感はないが、
待ち時間のストレスを与えないように
外来受付番号がモニター表示の工夫があって、

30分遅れの表示が出ていたが、
実際は、受付から診察まで、
1時間 20分待たされ.15: 34に診察室に入った。

さて、

泉並木先生は早口で、
私の遺伝子検査をしましょう、と言われ
同意書にサインを求めてきた。
その検査費用はかからない代わりに
データを提供を義務付けるものだった。

考える余裕なく、サインしたが、

あぁ、ようやく、
やって欲しかったレベルに
医学が到達したな、と思った。

22年.待った甲斐があった。
ようやく、C型肝炎治癒の大団円を
迎えることができる。

問診票を書かなかったのは
紹介状の中の情報で了解できたのだろう。

それを書いていただいた三好先生の
ことを、泉先生は御存知のようだった。
「三好先生は開業したのですか?」と
たずねられた。
「いえ、広島市内の実家医院を継がれ、
月に1度、東京に来られるのです」と
私は応えた。

逆に、泉先生に尋ねた。
「私のウィルス量はやはり多い方ですか」と。

すると、

「あなたのウィルス量は、べらぼうに多い」と
泉先生は応えられた。

診察後、12本くらい、採血した。
うち9本は、外部に出す、
海外に出すものもあると
臨床検査技師が教えてくれた。

これが本来ならば、
実費2万円かかる遺伝子検査なんだな、
と採血管を見つめた。

なので、最終結果が出るのに
一ヶ月かかり、次回は11月27日になる。

この日の診料は6090円だった。


夜、

家内が勤務先の病院から戻ると、
今日は40代の男性の自殺者を受け入れた。
既に病院がやるべきことは、なかった、
現状のまま警察の検死を待つだけだった、と
淡々と話してくれた。

今、年間3万人の自殺者がいる。

人間は多細胞生命体である。

一人の人間には、60兆の細胞、
生命体が日々生死を繰り返しながら
平衡を保っている。

3万×60兆=180あとにどのような漢字が
京なのか、垓(がい)なのか、、

計り知れない多くの生命が
自殺によって、失われることになる。



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術後直後の現存在

2010年5月26日、直腸がん手術の翌日の朝
外科医の大塚先生とその上の先生が回診に来て、
今日から、ベッドから出て歩くようにと、促された。

ギョっとしたが、腸の癒着を回避するためだ
というので、昼頃、ベッドを這い上がり、
管を二本、ぶら下げたまま、
個室のドアまでたどり着く、
そこまでが限界で、
激しく痛みだし、こりゃ辛い、、
手術より術後の方が問題だな、、

つくづく、個室は嫌だなとも感じた。
4人部屋が丁度いい、庶民には、と。

ドアの開閉する度、その音にドキンとした。
ここに3日間、いなければならない。
窓の景色も、隣のビルの壁がく見えるだけで
全く趣きがなかった。はやく個室を出よう。

午後になると発熱し始め、意識は朦朧となった。
ときおり、看護師が現れ、痛みどめの麻酔を
注入してくれると、背中から腰にかけて
さぁーと、冷気を感じたりして、少し楽になった。

無論食事はなく、水を飲むだけだ。
ズルズルと眠りつづけた、

すると回りが激しく振動しはじめ
大変だ、地震が起きている、
なのに、自分は動けない。

あぁ、思い出した、
俺は、閉所恐怖症だったんだ、、

22年前の順天堂病院のときも、
7年前の東大病院のときも、何日かすると、
閉所恐怖症になってしまうことを
俄かに思い出し、一段とつらくなった。

これはパニック症の亜種かもしれない。
窓を開け、換気せずにいられなくなる。

さらに高熱になり、暑苦しく、息苦しく
なり、振り切るような、やっと思いで、
目を覚ました。真っ暗だった。

時計は翌27日午前2時ころになっていた。

見回すと、どうやら地震はなかった、
でもあの激しい揺れは何なんだ。

おまけに密閉された中で
湧き上がるような熱さはなんだったんだ。

ふと、ベッドの横にあった
サイドテーブルに目をやった。
そこの上には本とか
CDラジカセとか置いていた。
その下には小型冷蔵庫があって、
激しくうなっていた。
その間に引き出しがあって、

あっ、と気づき、
やにわに引き出しを開けると、
底は熱くなっていて、
書類の中に、
小さな「御守り御本尊」がうもれていた。
粗末にはしてはいけないことはわかっていた、

あわてて取り出すと、熱くなっている、
熱源は冷蔵庫だ。

冷蔵庫をオフにすると、
静寂が戻ってきた。
地震と思ったのは冷蔵庫の振動だったのだ。

なぜ地震と感じのか、、

あぁ、あの閉所恐怖も、暑苦しさも、
自分は御本尊の中に入っていたんだ、

つまり、眠りについていたとき、
自分は引き出しの中にいたのだ。

と実感した。
入ってしまうという心象は、
特別なことではなく、ごく自然で、
造作もないことなんだ、と感じたのだ。

日蓮は「入る」という言葉を多く
書き残されておられる。秘術なのだ。

くりかえす、

私は素朴に、思い出すような感覚で、
御本尊の中に入る自我を感じたのだ。

特異な状況になると、そこに入ることは
よく起きる事態なのかもしれない、、

そう実感したのだ。

この御本尊を全くよそに求むることなかれ。
ただわれら衆生の法華経をたもちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に
おわしますなり。


と日蓮は説く。

ここからは全くの推論だが、

自分の中に、
根本尊敬という御本尊の存在を
実感することは至難だろうが、

夢の中で、

御本尊の中に入ってしまう感覚は
思いのほか、一定の人々には
往々にして起きるかもしれない。

その感覚は、
熱い引き出しの中だったからだろう、
悟りとかいうものとは程遠く、
煉獄とか、地獄とかに近いような、
鮮明なリアルな感覚だった。

ひとにはたわ言にしか聞こえない
個人的な感覚だが、備忘のために遺しておく。

2010年の手術前後

ずいぶん前にも、ここに書いた話のくりかえし。

2010年5月25日に直腸がん手術をした。

前日はきっと誰でもそうだろうが、かなり緊張していた。

2日間、絶食していたから空腹感もあったし、
あぁ、これから人生そう何度とはない非日常の
状況になる、そのことが怖かった。

立ち向かべく、まず最初にしたことは、

自宅から日蓮の遺文
「三世諸仏総勘文教相廃立」
という文庫サイズの本を通読した。

とても難解、なので理解しようなんて思わず
音読し終えることだけを目的とした。

私は「今は分からなくていい」主義者だ。

その遺文の中に、「夢と(うつつ)」という言葉が出てくる。
うつつという漢字は今、抽出できなかったので、あとにする。

夢は仮にあって体性なし、、
うつつは常住にして不変の心の体なる、、
とある。

私は、日常の「夢と現実」と捉え
眠っているときの自分と起きているときの自分とイメージした。

そのあと日蓮が創唱した題目を一時間、
ベットの上で、ささやくように唱えた。久々の唱題だった。

これが私たちの基本の「型」であり、くりかえし、
持続することで信仰者と呼ばれる「現存在」になるのだな、と思った。

ベット上に移動式のテーブルを持ってきて、
できるだけ目の高さに小さな「お守り御本尊」を置いて、
見つめながら、首尾よく、手術の成功を祈った。

そして翌朝早く、8時に手術室に向かった。
飛行機の格納庫のような手術室で、
リクエストしたスタンダードジャズが流れていた。

幅の狭い手術台に運ばれたとき、
周囲をぐるりと凝視した。

これから何が起きるかわからない。
このまま死ぬかもしれないし、、

「良からんは不思議、
 悪からんは一定とおもえ」という
日蓮の言葉を何度か反芻し、、

もしかして、幽体離脱したときに
上から自分を観るようになったら、
たしかに手術室とわかるようにと

この状況を知っておこうとした。

「ではおまかせします、大塚先生よろしく」と私は言った。
執刀する大塚先生はうなずき、麻酔医が注入すると、、

そのまま意識は飛んだ、、

次に気づいたのは、姉に声かられたときで、
午後2時ころだった。手術は問題なく時間とおり終わっていた。

なんだ、、幽体離脱もなかったな、と拍子抜けした。

だが術後3日間は個室に入る。
なにしろ痛みと発熱で、辛かった。

背中あたりに麻酔のチューブみたいなのがあり、
痛むと看護師を呼んで、麻酔の注入してもらっていた。

ただ、ここからの感覚が不思議なのだが、つづく。



漢検3級

昨日は昼過ぎ、立教大学に行き、
漢字検定3級を受けた。

漢検は初めてで、
開始時間3分前に入った。
小学生らしき人たちが多いのには驚いた。

漢検協会は不祥事があったが
それはそれとして、
この試験はあった方がいいな、、

動機は、長女に背中を見せるためで、
長女か漢字をスラスラ書けるようになればいい。

たぶん合格ラインは、今回はクリアしたと思う。

そして来年2月、家の近くの会場で、
長女は9級、私は準2級を受け、、

家族受験しようと思う。

夜、2週間ぶりに「川場湯」に行く。
忘れかけていた油断すると、乾癬が復活する、、

炭酸泉風呂につかりながら
田中美知太郎「哲学的人生論」という
絶版新書本を読む。小声で音読する。。

とてもささやかだが、幸せなひととき、

この人の文体はひらがなを多用し、
一定のリズムがあって、
通奏低音は一貫している。

個性的な名文だと思っている。

そうだ、田中美知太郎全集を
ほぼ持っていたな、、

田中美知太郎は、
保守主義の思想的支柱で、
その主張に賛同できないものもあったが、

尊敬できた。

晩年一度だけ、日本青年館で講義を
聴いたことがある。
ゆっくりと、静かに話され、
音楽を聴くようで、心地よかった。



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家内と娘の入会

このブログは、
訪問、目にふれる人を意識せず、
ましてやおもねったり、せず書いている。

10月12日に、家内と長女は、
わたしが属する宗教団体に入会した。
周囲はたいそうよろこんでくださったが、
私は淡々として、感動はしていない。
退会も簡単だし、入会なんて、
儀礼にすぎないとさえ、思っている。
大事なのは、続けられるかどうか、だからだ。

あらためて宗教団体などと書くと、
おぞましい感じが湧き上がる。
ただ、私にはその属性感覚が希薄だ。

出た大学が、その大学の三期だから
看板を背負っていることに変わりはない。
どうやら、大学に入学した頃から
帰属意識は、希薄になり始めた。

この団体の初代は、牧口常三郎という
元小学校校長であり、
教育思想家であった方だ。

牧口先生は、実に不思議な人物で、
大正デモクラシーの青年時代、
北海道から東京に来られ、
小学校の教師になられ、
還暦まじかに、教育学会を創始した。

カントの哲学や地理学という西洋の
学問を踏まえられ、独創の価値論を
展開されたが、

内村鑑三や新渡戸稲造のように
キリスト教には行かず、
日蓮に直結しようとしたのか、

宮沢賢治が入っていて、
当時日蓮系の中にあって新風であった
田中智学の国柱会にも、

牧口先生は足を運んだらしい、
が、入会はしなかった。


牧口先生は、
よく「実験証明」という言葉を使われた。

つまり、宗教は試してみなければ、、
決してわかるものではない実験なのだ、と。

パスカルも、パンセで、
これと似た促しをしていた。

私の帰属意識の根っこにあるのは、
こうした実験感覚を死ぬまで続けてみよう
と決めたことにある。

ただし私は、「職業としての政治」も
「職業としての宗教」もめざさず、
市井で生涯無名で生きよう、と決めた。
そこでの栄達など、自分には無縁だ、と。

ただ、今回、
看護師の家内が、私の病気快癒が
スイッチが入った理由の一つだと、
入会のセレモニーの挨拶で発言したときは
正直、嬉しかった。

看護師の職業柄からだろうが、
悪い傾向に向かうガン患者を
見過ぎてきたから、わたしのような
ノーテンキ、楽観主義患者は驚きだったようだ。

来週、
その団体の地区座談会で体験を
語るように要請された。
断わりたかったが、病気快癒について
語れという、、

私はしゃべらせると
何言うかわかりませんよと切り替えしても、
構わない、という。

ならばお話しします、と承諾した。
次回から、話す内容をかかげたいと思う。

その話のキモは、「存在と御本尊」だ。
ハイデガーの「存在と時間」をもじっている。

こんなことを書く会員は、
私だけかもしれないが、

少人数だし、自分の考えなのだから、
躊躇せずに、堂々と話したいと思っている。


花まる学習会の入会約款

委託された仕事の関係で、
長女の通う花まる学習会の契約書や
約款を、徹底的に読み込むことになった。

すると、ツッコミ所が満載だった。
もっとも問題だなと思ったことは、
契約当事者、実際に役務提供を行う者、
役務提供を受ける者の定義と
ポジショニングが、不明確なことだ。

必ずしも、
約款に目的を記載する必要はないが、

学習という知的サービス業ならば、
当事者等の定義は不可欠であろうに、
これでは、いかんともしがたい。

たしかに
社団法人全国学習塾協会の
「自主基準実施細則」のクーリングオフ
規定の部分は、赤字表示とか、
遵守しているようだ。

しかしながら、大切なはずの
教室長と生徒の権利義務の機微が、
約款の行間から読み取れるよう
になっていない。

とりわけ教室長のポジショニングは
ミゼラブルだ。

主語が曖昧なままでは、
「喰える大人」が育つわけがないのだ。

たかが形式的な、
約款などと、あなどってはいけない。

花まるの総務部は、

是非、気づいて欲しい。



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天野祐吉と顔

先週から風邪ぎみで、
咳がでる、黄色い痰もでてくる。

寝ていて、咳き込み、目が覚める。
こんなことは今まではなかった。

20日、肺炎で天野祐吉さんがなくなられた。
80歳だった。

経済優先ではない新たな豊かさに
目をむけよう、と訴えていた。

「この国のかたち」をぶれずに論じきる、

それができたコラムニストだった。

代わりがつとまる人は、、いない。
次の団塊の世代には、ロクなのが、、

いない。

男の顔は、還暦をすぎ、
80歳になるまで生きるとした場合、

60から新たに、変容する、と思う。

天野祐吉さんの50代の写真をみて、
そう思った。

まるで別人となる人も少なくない。
老い、認知症、病気、経済的格差と
変容要因は限りない。

けれども、内部生命は必ずしも
連動しない。私は、凛として、

やせた爺さんをめざそう。

さて、

来週、武蔵野日赤病院で
泉並木先生の診察を受ける。
わがC型肝炎を終わらせるステージに
したいと思う次第、、



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優子、こんな夢を見た

このブログは何でもあり、で書いてきたが、
見た夢の話は載せないでいた。

けど、今日はそれもありとしよう、
高校の頃に出会った女性が夢に出てきたのだ。

若いころのままで、
おだやかで白い容姿をしていて、美しく、
当時のアイドル、天地真理に少しだけ似て、

いやもっと似ているのは、 山本奈津子だ。

奈津子824e5a66 山本

検索すると、  1983年に、にっかつ映画
『セーラー服 百合族』でデビューし、以後
1984年まで、日活ロマンポルノの看板女優の
一人として活躍した
、とあった。

今、山本奈津子の画像を貼ったが、、

あの頃の、

一つ年下の優子という名の女性と 

見るたび、よ~く似ていると、感じる。


きのうの夢は、妙に、なつかしかった。

たしか新宿で、
悲しい別れをしたのが最後だった。

最後に二人で観た映画は「追憶」だった。
never give up は、この映画で知った。

それと、「華麗なるギャッツビー」を
「ギャッツビー」は間違いで、
正しくは「ギャッビー」よ、と
優子は言っていた、な。


別れた後、帰りの東上線の車内で、
全身で号泣、ぼうだの涙を流したものだ。

たぶん、新たな男が現れていたのだろう。

けれども、三鷹の女子高校生のように、
相手を亡きものにしようなどと思い詰める
男のようには、、ならなかった。

心にフタをして、時に委ねようと、、

けれどもそこからの立ち上がりに、
時間がかかった。
仲間の失笑をかいながらも
どうしようもなかった。

10年の歳月が流れ、
千代田線の赤坂駅で、
長身の男性といる優子をみた。
男に対する仕草が、
かつて自分にした仕草と同じで、、

たまたま気づき、立ち尽くして見ていた。

優子は私に気づかずにいた。
彼女の髪の毛はややボリュームがなくなっていた。

二人は代々木上原方面の電車に乗り込んで、
去っていった。

一方的な一期一会、、

夢の中の優子は、
若く、なぜかやさしかった。
タージマハルみたいな所にいた。

微笑んでいた。

もはや、

リアルの優子に会いたいとは思わない。
昨年、高校の同窓会で老いた人びとを見て
愕然とした。無論私も、そうした初老の一人だが。

赤坂で見かけた時から20年以上の歳月が流れた。

恋焦がれる感情を持続することは、、できない。


いつの頃からか、

どんなに好きな相手でも、

人を憶う我がこころこそ、無常なのだと

深く、気づいた。



優子さんは、病気にならず、健在でいるのかな、、


ふと、加島祥造さんの言葉を思いだす。

Alone, but not lonely 

ひとりだ

でも淋しくはない 






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信州伊那谷の老子と「現存在内世界」

ある方のブログに触発されて
信州の伊那谷にひとり住む加島祥造さんの
「わたしが人生について語るなら」(ポプラ社)を
今、読了した。

小学校高学年から中学生向けに書かれた本だ。

加島さんは、現代の老子のような生き方を
されているようだ。

自分自身の「好き」を大切にしてもらいたい。
それには、感覚を磨くことこそ、大切なんだ、
また、
自分のことを「人生」からではなく、
「命の働き」から見る、
自分の中にある命を信じなさい。


などなど、書かれていた。

60歳のとき、
16歳下の44歳の女性と恋愛し、
不倫関係になり、家を出る、
そうしたことを淡々と書いている。

録画でみたが、
その後もドイツ人女性との
出会いはあったようだが、
その方は白血病で先立たれた。

今は、
何人かのお手伝い女性に助けられながら、
ひとり自由に生きておられる。

さて、
自分の中にある「命の働き」とは、
私が思うところの、内部生命と同じだ。

最近、
盛んに聴いている熊野先生の講義で、
ハイデガーの「世界内存在」を考えていて、

勝ってながら、

「現存在内世界」という言葉が浮かんだ。
皮膚で被われた身体の中も、
宇宙と変わらない世界があることをさす。

それは現存在と、必ずしも直結している
わけではない。

心臓の鼓動や呼吸や自律神経とか呼ばれる
身体の動きは、表層の自分がその都度、
コントロールしているわけではないのだから。

病いを抱えると、自然にそう実感する。

現存在と内部生命は対話できることは
ある種、悟りに近いのではないかと思う。

それはリアルタイムで、
内なる神の声を聴く、
といったものではない。

そのときはわからなくても、
何か意味があると、起きたことを記憶し、
腹に留めておくと、やがてあぁそうだったのかと
気づくことがある。

私の直腸がん物語は、その連続だった。

具体的な神の声ではなく、
内部生命の意志のかたまりを読み解くと
「抗がん剤はやめなさい」という
言葉になる、という感覚だった。

なので、「現存在内世界」より
「現存在内部生命 」の方が、

シックリ来る。

追記、Eテレ録画で観た加島祥造さんは、
私には、女好きの下世話で、俗っぽく老人に見え、
一向に伊那谷の老子とは思えなかった。
偽者とはいわないが、
出版やマスコミは持ち上げ過ぎだ。

中野孝次さんの老子の方が、しみる。

もっと市井の、無名の庶民の中に老荘はいるのでは。

加島さんは子どもの頃の「はじめの私」に
回帰したいんだな、と感じた。

それと、ひとりでいること、

ロンリーとアローンaloneの違いは新鮮だった。




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再度、川上進盟さんのこと

川上進盟、しんめい先生の話を聴いてから
一日がたち、あらためて思うこと、

気圧調整ルームの良さは体験して
十分分かっているつもりだが、

日本の医学会の中で、広く
気圧調整ルームを導入される可能性は
低いだろうと思えた。

しんめい先生の話は、いささか無防備だ。
医療従事者には、一定のリテラシーがあるが、
それとの乖離があるように思える。

先生の年齢からみて、
今さら治しようもないだろうが、
言動の機微をうまくやらないと、
落とし穴の上を歩くようなもので、危うい。

西洋医学をわきまえた生死の哲学者のような
知恵者のフォローが必要だろう。
そんな人、いるのかな。

上手くいえないが、
しんめい先生はポジショニングが難しいだろう。

新たな代替医療の分野を確立するビジョンが
必要なのではないか。
西洋医学系の人びととガチンコせず、
かといって気功などのスピリチュアル系とも
一線を画し、
「鳥の模倣」を強調し、自然科学なのだ、
を主張し、信頼の領域を作っていって欲しい。

場合によっては、ダウンタウンがMCをつとめる
博士たちが登場し、いじられる番組の出演もアリ
だと思う。

あと、

気圧調整ルームは対面式にすわることから
必然的に会話がなされる。ほぼ病気の話になる。

私も例外でなく先月、入ったときに、
自分の直腸がんの話をし、太陽凝視の話をした。

すると今回、先月ご一緒した女性から、
太陽凝視の詳細を尋ねられた。
検索し、これですと伝えたが、決して
太陽凝視をすすめたりはしなかった。

緑内障の予備軍はやってはいけないだろうし、

各自の判断にまかせないといけない。




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川上進盟さんの話

昨日、昼過ぎ吉祥寺まで、
自転車で50分かけ、
進盟ルームに行った。

気圧調整ルームの発明者である
川上進盟、しんめい先生の話を聴くためだ。

気圧調整ルームには20人ほど、おられた。
しんめい先生の話はこうだ。

自然科学の知見が大事である。

一見、科学的な様であっても、
現代医学と薬学は、大きな誤謬に陥っている。

とりわけ医薬品開発の利権構造が、真実を隠ぺいし、
気圧調整ルームの普及の障害になっている。

気圧調整の発想は、鳥から学んだものだ。

空を上がったり下がったりするトンビや
大鷲は100歳を超える長寿だ。

一方、飛ばない雷鳥やニワトリは短命だ。
高地だろうと低地だろうと、
気圧の上下動を体験しない鳥は短命だ。

つまり飛行中、気圧の上下動によって
鳥体内の細胞が強くなっているのではないか、
という発想のもとに装置を開発した。

また、低山の登り降りを日課にしている人に、
健康な人が多い傾向がある。

高野山の寺に棲むゴンという犬は、
毎日、参拝者の道案内をしていて、
27歳まで生きた。

山でなくても、たとえば
高層ビルのエレベーターでも
繰り返していれば、細胞は元気になる。

鳥でなくても気圧の上下動によって、
身体の細胞が強くなるのだとわかった。

だから気圧調整ルームは万病に効く。
けれどもこのことを書き物としては、
残さない。潰される恐れがあるから。

起死回生で、今、南アフリカ共和国?で
HIV治療として、気圧調整ルームを設置した。
3人のエイズ患者に86時間入ってもらったところ、
驚きのデータが出た。
そこで、本格的な導入となり、あと2年くらいすれば
エビデンスが整えられ、アフリカから
研究成果が発表されるだろう。

将来、スクラップになる古いジェット機や新幹線を
気圧調整ルームにリフォームして、利用したなら、
国の大幅な医療費の節減になるだろう。

C型肝炎ウィルスにしても、もともと
ウィルスは細胞に比べたら弱い存在であって、
細胞を強くしたら、ウィルスとの共生であっても
いいのではないか。一方的な排除は医学的発想だ、

気圧調整ルームは、細胞を強くするから、
総じて万病に効く。

だいたい、以上だ。

ひるがえって考えると、
細胞を強くする装置は、他にもある。

たとえば人工の炭酸泉も、血流を良くし、
細胞を強めると、実感できた。

しかし、風呂は体力が落ちた人にはキツい
その点、気圧調整ルームは、ほとんど負担がない。

私は、しんめい先生の話を
深くうなずきながら聞いていた。

また、C型肝炎から末期肝臓がんになり、
おまけに直腸がんによって人工肛門になった
患者さんがいるが、
気圧調整ルームに入るようになってから、
今も元気でおられると話されていた。
その話は、正直、自分の未来を見るようで
妙に嬉しかった。

そのとき「免疫細胞の司令塔」と言われた。
細胞の司令塔は絶対に身体の内部にいる。
全くその通りだ、我が意を得たり、
という思いがつのった。

21世紀後半までに末期の病いの人たちが、
津々浦々、スムーズに、気圧調整ルームを利用できる、
そんな環境に、なってほしいものだ。

さて、

昨日は結局、2時間入って、
右指の痛みがすこし緩和された感じがした。

そして帰りの道、軽やかに自転車で走っていたが、
目の焦点が会わないような、少しボヤっとなった。

脳神経とか、緑内障とか、何か新たな病変が
あるかもしれない。

追記、しんめい先生が発明した気圧調整ルームは
3年前に、次のような特許がおりていた。

特許証 4477690号
特許権者 川上進盟 川上陽介
発明者 川上進盟
出願番号 特願2009-012792
出願年月日 2009年1月23日


検索すると、その発明は
「温度差による刺激を利用した空気浴を
行うために最適な調圧装置を得る」と
説明がなされていた。

無論、特許は効能を保証するものではないだろうが、
アフリカでうまくいけば、しんめい先生の利益の源泉に
なるのかもしれない。



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学習塾の主役とは

花まる学習会を退職した松井穣さんは
石神井駅近くで、新たな学習会を始める。

そこで、契約書の相談を受け、
昨日打ち合わせをした。

グリーフという名の学習会だ。

学習会の会員は、つまり主役は誰かを
確認した。

松井さんの回答は明解、
会員とは児童です、であった。

花まる学習会は、どうやら契約者である
保護者としか、契約書上、読み取れない。
親が主であり、子どもは従なのだ。

これは何気ない立場の定義だが、
長い期間でビジネスをとらえた場合、

この差は大きい。

児童が成長したとき、
学習会に対して報恩の意識を
持っているのは、

親ではなく、

かつての子どもたちだからだ。



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老人ホームとやなせたかし

昨日の午前中、
小学校2年になる長女の課外授業に
同行した。

小学生4人で、老人ホームにうかがい、
入所されているご老人たちと交流する、

4人で分担し、
大きな絵本「虹色のおさかな」
の読み聞かせをしたあと、

どんぐりで作ったコマを回し、
ご老人たちの作業の手伝いをする。

私は写真をとり、
4人とご老人たちとの
対話を記録した。

けれど、私の関心は老人たちにあった。

そこはある程度、
お金持ちでないと入れない所だった。

理学療法士によって
リハビリをしている人もいれば、
介助がいて朝風呂に入っている人も
おられた。

平均年齢は、80歳から90歳あたりか、

ご老人たちは、どの程度、
置かれている状況を認識しているかは
まちまちで、しっかりした方もいれば
こころもとないない人もいた。

現存在から存在になりつつあるのか、、

94歳で昨日、やなせたかしさんは、
なくなられた。大正生まれ、
ご自身がアンパンマンのような、
りっぱな一生であり、日本人の誇りだ。

私は、老人ホームで暮らすことより、
やなせたかしさんのように、
生涯現役で暮らせる、
そんな人生をめざしたい。

そう考えるとき、
いつも思い浮かぶのが、
ソクラテスとプラトンの肖像だ。

高校の教科書で見たのが最初だったが、

なぜか懐かしい感じがした、

二人は美しい老いの姿として、
ずっと目に焼き付いている。

私は、、たわ言だが、

二人に会っていたかもしれない。

台風26号で、学校が休校になった長女は、
宿題を終えた今

「アンパンマンとりんりんの秘密」の
DVDを観ている。

五年前、新宿でやなせたかしさんに
会ったことのある長女は、

追悼の気持ちがあるのだろう。




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繰り返し聴く熊野教授のハイデガー論

このところ寝る前に、東大文学部教授である
熊野純彦さんの講義を聴きながら眠りにつく。

東大駒場で2009年に行われた
学術俯瞰講義という連続講義の中で、
熊野先生は、9回と10回を担当されている。

連続講義は7人、講師がいるが、
本当に考えている人だなと思えたのは
熊野先生だけだ。声でわかる。
あとの人たちは、対象を比較し、並べ替え、
価値付けるという感じがして、、私の内部に
一向に響かない、ありきたりの声の人たちだった。

熊野さんの声は、優しく丁寧でいて、深い。
日々、哲学の千日回峰でもやっていそうに
聞こえてくる。

9.  有限的な生の意味 熊野純彦
The Meaning of a Finite Life Sumihiko Kumano

10.  他者と共に在る生 熊野純彦
Life With Others Sumihiko Kumano

まだ5回くらいしか、聞いていないが、
ハイデガーの存在論がなんなのか、
徐々に感じはじめている。

たとえば、デカルトの
コギトエルゴスム
われ思う、故にわれ在り、

われ在りは、
言うほどに自明なことではない、
と熊野先生の講義から受け止めた。

ある方のブログに、

キリスト教に於いては
「汝の信ずる如く汝になれ」
換言するならば
「汝の信ずるが如くに汝はある」・・
信仰が存在するっていうことなのでしょうか


という言葉があった。それは逆の意味で、
熊野講義と符号する問いかけに思えた。

ハイデガーは、神の存在を前提としない
精緻な存在論を展開し、未完で終わる。
完成させていたら、なーんだ結局、、
となっていたかも、と熊野先生は言われた。
晩年のハイデガーは神の存在を語り
出していたらしい、、

それでも30代のハイデガーの「現存在」は多分、
キリスト教の神と妥協しないだろう、と感した。

ふと、戦前、小学校教師が教室で生徒たちに
「みんな、犬が欲しいかい?」とたずねると
「欲しい」と生徒たちは一斉に応えた。
すると、教師は振り返り黒板に、
「犬」と書き、「さぁみんな、持って行きなさい」と
言ったという、、その話を熊野講義を聴いていて
思い出した。

熊野さんは、60歳で肺がんで逝去した
広松渉の直系の弟子だという、

その講義は、ネットに載っている限り、
何度も聴くことにしたい、、
そこで、右のリンク「気になる情報源」の
筆頭に貼ることにした。
これで、いつでも飛べる。

追記、、
今、文芸評論家、秋山 駿の遺作、
『「生」の日ばかり』を借り、読み始める。

さらに、取り止めもない独り言を、、

秋山 さんは「内部」という言葉を多用する。

それは記憶とか、意識に近い言葉かもしれない。
私のま「内部」は、60細胞の生成流転を統べる
何かを意味する。

内部は、皮膚で被われているが、
外部と内部をわける境界は、かぎりなく薄く、
最極には交わっている。

人は死ぬと、内部から外部に
溶け込んでいく。

生死は潮の、
満ち潮、引き潮みたいなものだ、と
あるとき、前述の小学校教師は言っていた。






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紹介状を書いていただく

10月12日の夕方、三好先生の診察をうけた。

区の健診結果の、
胸の大動脈蛇行は、あまり気にしなくていい。
6月にCTをやっていて、そこで、
動脈瘤とか見つかったわけではないからだ、と。

そこで、本題に入いり、
C型肝炎治療のために、
武蔵野日赤病院の消化器科を受診する
紹介状を書いていただいた。

私の遺伝子検査をして、
次のステップ、経口薬だけの治療をしたいのだ。

三好先生によると、経口薬は三剤で、
治癒率は9割に近い、。

治験はすでにフェーズ3で、
小さな副作用の詳細を確認する段階で、
1〜2年後に当該治療は始まるだろう、と。

かなり決定的な治療薬になるようだ。

1950年代の、
結核に対するストレプトマイシン薬に近い。

肝臓専門医の中には、
C型からB型へ研究回帰する人もいるらしい。

しかし、残された私たち難治性の患者にとって、
これは朗報だ。



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花まる学習会の「成長の限界」

花まる学習会のこと、
とりわけ代表者高濱正伸氏の器量について
思うことを、、

まず、

高濱正伸氏のめざす出口が見えない。
「公立花まる小学校」の創設は困難だし、
共同幻想に近い。懐かしい言葉、。

喰える大人を育てる、というキャッチコピーは
どこまで、本気なのか、あやしい。

なぜならば、花まる学習会の先生たちが
薄給であり、「喰えてはいない大人」たちだからだ。
喰える大人を標ぼうするなら、隗より始めよ、、
少なくとも、国民の平均年収はクリアすべきだろう。

矛盾であり、まさに自家撞着だ。

高濱正伸氏は、ひょっとすると
「今は、過度期だから」と思っているのかもしれない。

しかし、すでに設立から20年、後継者を選び
権限を移譲するとか、次の長期展望を示すとか、

出口戦略が必要なはずだ。

でも、どうやら、なさそうだ。
先日の東京ビックサイトのイベントでわかった。

合奏と歌うこと、趣味に走り出している。
残念でならない。

たしかに花まる学習会は、画期的で、いいものを持っている。
たとえば、算数なぞぺー、キューブキューブの学習用具
四字熟語帳など、子どもたちのワクワク感をそそるものは、
他に例をみない。毎年のサマースクールも秀逸だ。

だが、高濱正伸氏の志向はどうにもマクロ的である。

キミマロ?風の饒舌な語り、
母親たちが関心を示し誘引するロジックを駆使し、

それをうまくマスコミを利用した集客方法はわかるが、

その先の「で、どうしたい」が見えないのだ。

20世紀の考え方であり、もう古い。

大事なの子どもたち一人ひとりが主役であること、
地域密着、コミュニティビジネスであるべきこと、
の「意味の変容」が必要なのだ。

あえて、何がダメかを掲げるとこうだ、、
花まるの問題点は、

1.親に授業を見せないこと。

2.子どもの成長のカルテがないこと。

3.国語ナゾペーがないこと。

4.代表者に不安感があり、社員の自立を恐れていること。


とか浮かぶ。
くりかえすが、大事なのは花まるに通う子どもたち
ひとりひとりだと、切り替えるべきなのだ。

ところが、
高濱さんはそうした思考をもっていないことが
東京ビックサイトのイベントで判明した。

イベントで高濱代表は、一人ひとりの子供たち、
親たちと目線をあわせていなかった。

絶好の機会なのに、これでは致命的だ。
もっと政治家の選挙行動をみならうべき
だったのだ。シャイでは済まされない。

声をかけなくてもいい、
ひとりひとりきちっと親と目線を合わせる
ことはできたはずだ。

会場内の全てのコーナーに足を運び、
握手すべきだったのだ。

以上がダメ出しだが、ご本人は気づくことはないだろう。

あとルサンチマンは払拭した方がいい。周りが迷惑するだろう。

このまま放縦すると、あげくは、正気を失い、
裸の王様で、終わるか、サマーキャンプなどで事故が起きたりして
問題が露見するかもしれない。

それでは徳洲会代表、徳田虎雄氏のやり方と同じだ。

追記、おとといから長女に、
小学校の一日の授業で、学んで、
ハッとして気づいたことを一つ、
B5のコピー用紙に、自由に書き込むように促すことにした。

それに22穴を開けらバインダーに入れ、ノートにする、
これが習慣化すれば、日記帳になる。

今日は、「算数のテストで100点をとった。
うれしかった」と書いていた。問題をよく
よんだので、きちんと答えることができたと
長女は話してくれた。

そういえば、やりたい仕事は、
1.動物園の飼育係
2.オリンピックのバレー選手
3.保育士
と言っていたな。

ひと言日記は、きっと彼女の成長に役立つと信じる。



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俯瞰と現存在

大腸がん予後とC型肝炎と乾癬を患う
私の場合、20年を超える時間が流れると、
自分のカラダを俯瞰してみる
クセがついてしまっている。

たしかにその都度、ジタバタしてきたが、
一方で他人のカラダのように俯瞰する自分がいるのだ。

慢性の病いを抱える人は、遅かれ早かれ、
必ず俯瞰人間になるのではないか。

そのような、自分のカラダを俯瞰する私たちは、
ハイデガーのいう「現存在」なのかもしれない。

そこで、きのう岩波ジュニア新書の
「西洋哲学の10冊」(左近司祥子 編著)を読んだ。
若い人向けの哲学案内なので、読みやすい。

『饗宴』(プラトン)、『ニコマコス倫理学』(アリストテレス)、
『告白』(アウグスティヌス)、『方法序説』(デカルト)、
『純粋理性批判』(カント)、『告白』(ルソー)、
『ツァラトゥストラはこう言った』(ニーチェ)、
『時間と自由』(ベルクソン)、『幸福論』(ラッセル)

そうして、
ハイデガーの未完の大著『存在と時間』だ。

ふと思った、
昨日の三鷹の女子高校生の事件を
時空を超えて30代のハイデガーがいたとしたら、
彼はどう読み解くだろうか、と。

『存在と時間』は、30代のハイデガーが
美しいユダヤ人の女子大生と不倫しながら書いていた、、からだ。

『存在と時間』のメインテーマは、
プラトン以来の存在への問い、
その問い直しに、ある。

なぜかハイデガーの書斎には
パスカルの肖像画があったという。
デカルトではなかったところが面白い。

以下、漸次、メモってみる。

現存在は、本来的に
死への決断を常にしている。

世間の常識のような自分以外のものに
したがって自分自身を理解する在り方は非本来的。

現存在は、自分自身を安心させることはできない、
不安のなかにいる。

死に臨んでいる存在は、本質的に不安である。


当たりまえのことを、わざわざ、、
でも待て。以降は、徐々に載せることにしよう。



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運動会ほか

10/6(日)は小学2年になる長女の
運動会であった。

40m競争が2位だった。
去年は6位だったので、本人は大喜びしていた。

10/8(火)には、花まる学習会の
家庭用「なぞぺー問題前半240問」をやり終えた。
今月中に後半240問が教室に届くだろうから、
その前にやり終えたならば、
「インコを飼ってもいい」と約束していた。

約束は守らないといけない。

けれど、

飼い方が十分わかっていないのでは、
と家内の厳しい「指導」が入り、、

長女は大泣きしはじめたが、、

やがて、、図書館から借りてきた
「インコの飼い方」をノートし始めた。


ハムスターと違い、
インコは15年くらい生きるという。

インコの飼い方は、わかっていて欲しい。。


おととい乾癬は、

汗をかき、Tシャツの背中の方が
出血したりして、ギョッとした。

他の部位の乾癬は
だいぶ落ち着いてきているのだが、、

背中から腰にかけて
マキサカルシトールを今週、気を抜かず
塗りこむことにししよう。

10/12(土)は三好先生の診察の日だ。



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酒粕と豆乳で35ヶ月に

がん患者は、術後に、
さまざまな代替医療や
食事療法を試みる。

私もご多分にもれない。

野菜ジュース、プロポリス、気功とか
試してきた。

そのなかで、唯一今日まで、
ほぼ毎日してきたのは、
豆乳に酒粕を混ぜ、温めて飲むという
食事療法だ。もうじきマル3年になる。

自宅から自転車で10分のところに
スーパーのオーケーがあるが、
酒粕と豆乳は、ここで買い求める。

この辺では一番リーズナブルで、
そのことはみなわかっていて、
豆乳は三段の専用棚になっている。
すごく売れていることは確かだ。

みな、食事療法しているのかもしれない。

夏場はこれにゴーヤと氷を入れ、
ミキサーにかけ、ジュースとして飲んだ。
これがまたうまい。

この食事療法によって、
大腸はみるみる健康になった。

ふりかえると
腸閉塞は一度もならなかった。

そっと静かに、オススメしたい。




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危機管理展で出会う

東京ビックサイトで行われいる
危機管理展に行った。

セミナーの事務局のお手伝いだった。

去年も参加したが、
首都直下地震、帰宅困難者等に対する
本格的な対策が叫ばれるようになってきて、
会場は大盛況だった。

もっとも、私がお手伝いしたセミナーは
参加者は50名程度の、こじんまりとしたものだった。

なので、受付業務が一区切りしたところで
各社出展ブースを見て回った。
NTTや本田技研工業とか、
大手ブースには美しいコンパニオンがいて
にぎやかだったが、会場の端のブースに災害時の
トイレを事業化する会社があった。

特殊なし尿処理剤で、災害時の電気やガスもない
状況でも、し尿を衛生的に処理できる、とある。
排泄物の変化をきちんと写真にしたパンフレットには
驚いた。病院の大腸検査の説明ならまだしも、
そんなパンフレットは見たことがない。

会社の代表者の名刺が平積みされていて、
名前に見覚えがあった。今年始めのころ
ある新聞の対談記事に、その代表者が出ていたのだ。

何故、名前を覚えていたかというと、
昔とても御世話になった人と、一字違いで
親子かな、と想像したからだった。
で、検索して、親子でも縁者でもないことは
すぐ分かったが、妙に気になり、一度会ってみたい、
と思ったのだ。新聞に載った代表者の顔は、
ブレークスルーした明るい、いい表情をしていた。

そこで、代表者に声を書けた。
「前に、あの新聞の対談記事をよみましたよ。」
「あぁ、一月のですね」
「実は、お会いしたいと思っていました。」
そして起業の経緯をお聞きした。そして
「文系ですか?理系ですか?」とたずねると
「文系、経済です。」と応えらた。

そして、私と同じ大学の出で、彼は
20期とわかった。頑張っている姿を見て、
晴れがましく、嬉しかった。

さっきお礼のメールを送ると

本日は、お会いでき、大変光栄です。
今後ともよろしくお願い致します。
社会で勝てるように頑張ります


と返信メールが来た。

その会社は必ず、成長すると予言しておこう。

株式会社エクセルシアという。



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「存在と時間」翻訳者の声

岩波文庫の「存在と時間」の新訳は
静かな、マイブームになっている。

ハイデガーは1976年に、88歳で亡くなった。
その頃、学生であった私には、
とても難しく感じられ、
その本を手にする気も起きなかった。

おまけに、積極的に
ナチスに加担した哲学者という
事実があったし、、

現存在とか、やたらと造語を作ることに
本流では勝負できない、、
二流の学者の振る舞いじゃないのか、
と見切っていた。

それは、軽佻浮薄なイメージにすぎない。

私たち一人ひとり、
あること、存在することは
それほど自明なことではない。

大腸がんという病いに見舞われ、
死はそれほど遠くではないと感じたとき、

認知症も身近な出来事と感じたとき、

あることが、なくなること、
死すべきものを自覚せざるを得ない。

自分の死を自分で想像し、
哲学せずにはいられなくなる。

その考える糧になる哲学として
「存在と時間」は売ってつけだったのだ。

それを翻訳者、熊野純彦さんは
教えてくれていた。

といって
「存在と時間」が読めているのではない。

ネット配信の東大駒場の講演を見て、
そう感じたのだ。

熊野さんは、丁寧な言葉使いで、
声の響き、トーンがいい。

声は大事。

その人の根っこにあるものが
自然に声に現れてくる。

どうにも取り繕うことはできない。

その熊野さんの映像を以下に掲げておこう。

東京大学 学術俯瞰講義 2009年

天下の東大駒場の講義を、
誰もが自由に、いくらでも観れるとは、
いいことだ。教授たちの素地が露わになるし。

頭の良さ、悪さは、死生学には関係ない。

ちなみに、ハイデガーが30代の頃、
美しい学生、ハンナ・アーレントと
不倫の関係を保ちつつ
「存在と時間」を書き上げていた、という。

どこにでもいそうな下世話な男か?

偉い哲学者などと、祭り上げることなく、
ちんぷんかんぷんでもいい、
思いつきでもいい、勘違いでもいい、
ハイデガーを、自分の決断の素材にできれば、

それで、いいのだ。

追記、
「ハイデガーとナチズム」という本の
読者評に以下のものがあった。
やはり、ハイデガーは「存在と時間」を
自身の日常、生活の場に引き寄せて
考えていたことが想像できた。

本書を読んで驚いたことは、
ハイデガーの思想というのは常に
「ハイデガー自身の生活(人生)と寄り添う」
ように書かれているのではないかということが、
私には驚きを持って読み取れたことであった。

しかもそれはハイデガーが学生時代からの思考方法で
あり、「自分の人生と折り合いをつける為の思想」を
そういうふうには宣言せずに書いていくというスタイル
は、彼が亡くなるまで変わらなかったように思える。

私はハイデガーの「実生活」の重要性を
ことさら気にしながら彼の主著や講義を
読むようになっていった。
もちろんそうした、本書を読んでからの
私の考え方が正しいとはいえないのだが、
私自身はハイデガーの著作が
読みやすくなったということは
事実のようだ。


いわば
「存在と時間」はハイデガーの

手のこんだ、ブログにほかならない。

追記、今月、岩波ホールで
ハンナ・アーレントの伝記映画
が始まる。



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デジャヴを感じる場所

今朝、自宅から吉祥寺の「進盟ルーム」まで
自転車で通ったら、どれくらいの時間で
行けるか調べてみた。

およそ9キロで、
自転車なら50分くらいと、わかった。
740円、往復の電車だとかかるのが浮く。
ラーメン一杯分になる。
なので、、次回は自転車で行こう。

あらためてiPhoneで経路を確認した。

ふと、思い出したことが、

その経路の途中で、
家内が既視感、デジャヴを感じる場所があり、
それはどこだったけ?かと。

家内にたずねると、
練馬区関町南2-12-13 あたりだった。

近くに送電線の鉄塔があり、
クランクの角を曲がると
いつもデジャヴの感覚になるようだ。

最初の既視感は、高校生のときだった、という。
今の自分じゃない自分が、ここに来ていたと、

不思議なことを言う。

どちらかといえば、理系脳の女性なのに
不思議な話しだな、思ったものだ。

やはり、

リインカネーションは、

たぶんあるのだろう。



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