わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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自尊感情

東京都の教育委員に新任された
乙武洋匡さんのあいさつの中で

私自身は両手両足がない
身体障害者として生まれてきましたが、
自尊感情を育みながら成長することが
できました。


とあった。自尊感情?、、初めてきく言葉だが
読んで字のごとく、乙武さんは、その通りだな、と感じる。

調べると、、

自分のことを大切に思う。
自分自身に価値を見いだす。
そんな心の動きを自尊感情という。

アメリカの心理学者ジェームスによれば、
自己概念に対する自己評価の感情であり、
自尊感情の高低は「達成度/本人の願望」という式
(つまり本人の願ったものがどの程度うまくいくか)
によって決まってくるという。

学習行動においては、
自尊感情が高い人は困難に出会っても粘り強く努力するが、
自尊感情が低い人はすぐにあきらめてしまう傾向がある。

また対人関係においては、
自尊感情の高い人は、
他人からの賞賛や批判にさほど左右されず感情が安定しているが、
自尊感情の低い人は、ほめられるとその相手が良い人に思え、
けなされると悪い人に思えるようなところがあり、
感情的にも不安定な傾向がある、


とされる。

わたしの口癖は「会社はやめる」で、
とうの昔にリストラされているのに
未だに、その言葉が出てきてしまう。

その会社に在籍していたことに自己不全感があり、
あまり意味のない20年を過ごし、経済学でいう
機会損失だったなと痛感する。

なぜそこにいつづけたのか?

自分の弱さ、勇気のなさに起因して
いたのだろうが、、

余生は、これを払拭し、
自尊感情を育みたいと、真面目に思っている。

来年は、いよいよ還暦だが、、

まだまだ人生売られたケンカに
勝ってはいないのだから、、、





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がん患者の「かたなしとかたやぶり」

きのう52歳の同業者が急逝された。
若い、、

「知的資産経営」のキーパーソンだったのに。


昨年、

食道ガンで亡くなった一八代目中村勘三郎さんは

座右の銘として、

子ども電話相談室の
無着成恭(むちゃく せいきょう)さん
の次の言葉を大事にされていたようだ。

そりゃあんた、
型がある人間が型を破ると『型破り』、
型がない人間が型を破ったら『形無し』ですよ



形無しとは、基本が出来てなくて、
デタラメになっていってしまうこと。

勘三郎さんは、
ご自分の歌舞伎の世界になぞらえ、

深い共感、合点がいく様子をされていた
テレビの映像を思い出す。


半世紀前のことだろうが、、

たしかTBSラジオの
「全国子ども相談室」の回答者として

その無着成恭さんの言葉を
リアルタイムで聞いたような気がしてならない。

わたしは勘三郎さんと1年違いの同世代だから
あってもおかしくないだろう。


さて、そういう型の話は、、

がん患者の闘病のあり方にも
あてはまるように思う。


率直に言って、がん患者としての
勘三郎さんのとった型は

型なしだった、と

わたしは見切っている。

じゃ、わたしの場合の「型」は何かは
うまくはは言えない。

でも、あえていえば、、

1.医者に全面的な依存はしない。
2.あらゆる情報を徹底的に集める。
3.できるだけ情報発信者に直接話を聞き
 真贋を見切る。
4.すくなくとも100日間、
 心に響くものに本気で取り組み、検証する。
5.表層意識をこえて、あたたかい何かに直結する。

以上である。

理屈でわりきれないものを許容する心は

きわめて大切な姿勢となる。

プラセボ効果であれ、治癒に向かうならば

赤塚不二夫さんの「それでいいのだ!」。


そういえば赤塚不二夫さんは
晩年、野菜スープをしきりに飲むという
「型」をもっておられたな、、





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セネカの「内なる神」のこと

がんのブログランキングの上位に
体重減少を気にされている若者の
ポジティブなブログがある。

体重減少の恒常化は、もしかすると
カヘキシア(=がん悪液質)という状態
に入っているのかもせれない。気になる。

もし、わたしがその状態だったら、
すぐ気圧調整ルームに駆け込み
一週間くらい入りっぱなしになって
そこで眠り続けることだろう。

ミトコンドリアを活性化させて
カヘキシアに反転攻勢をかけるのだ。

ただ、ご本人の気づきの問題なので
いかんとも、しがたい。

あらためて言うのもなんだが、
がん関係の情報収集の能力は
かなりいい線いっていて、
「転移なし」の果実を得ることが
できたのでは、と思っている。

たぶん、それは日常的に
「ゼロフィールド」と
コンタクトができていたおかげなのかも、
と素朴に思っている。

それは劇的な悟りなどとという
大仰なものでない。

「それはいいかも、
 やってみよう」という
好奇心のような促し、、

のようなものだ。

このままでは終えられない、
いい情報をくださいと
朝夕願ってきたことと
無縁ではないと思っている。


セネカがこんなことを書いている。

きみはひきつづき徳にむかって
突き進んでいるといことは、
非常にすばらしいこと
きみのためになることをしているわけだ。

しかし、もしきみが神々から
徳を得ようとしているのだったら、
それは愚かなことだよ。

なぜといって
それはきみ自身の内から得られる
ものだからだ。

われわれはなにも
両手を天に突き上げて
祈る必要はない。

なぜなら神はきみの近くにいる。
きみとともにいる。

きみのなかにいる。

どんな人間の胸の内にも
神住みたまう、

いかなる神かは知らねども

なのだ。

この魂を動かしているのは
天の力なのだ。

魂は神の支配する助けなしに
存立できるわけではない。

だから魂の大部分はかしこに、
それが天下って来たもとのところに
あるのだ。

太陽の光線はたしかに
大地に触れるけれども、

その光源は光を送られてきた
もとのところにあるように、

魂はつねにその根元と
つながり保っているのだ。


そのような魂とは、
いかなる外なる価値によってではなく、
己自身の価値によってのみ輝いているのだ、、


なんとなく

セネカのいう内なる神は
ゼロフィールドと同じことかもしれない。

さらにいえば、それらは

日蓮のいう
「九識心王真如の都」とおなじではないか

とも、今は思っている。





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瀬藤和寛さんの耐病記

松野プロポリスを飲み続け
7日目に入る。

19杯(回)飲んだことになる。

あきらかに副反応で
飲んでから少し過ぎると
きまって眠くなる。

この不思議な体感を
よき徴候と見切る。なぜなら

昔、

C型慢性肝炎の対症療法で、
よく80CCの強力ミノファーゲン
の注射をした。

そのあと、決まって強烈に眠くなり
そのまま医院のベッドで眠ってしまう。
そして、30分ほどで覚めて、
少しすっきりした体感になったものだが、、

その体験とやや似ているからだ。


松野プロポリスは、
しっかり肝臓に宿っている
大量のC型ウィルスと対峙している、、

そういうイメージを持つことにした。


さて、

きのう読んだ
瀬藤和寛著「わたし、ガンです
ある精神科医の耐病記」
(文春文庫)について、

瀬藤さんは52歳のとき
2000年6月直腸がん手術をし
予後の転移によって
2001年4月に亡くなられるまでの
真面目な、自己確認の記録である。

ちょうどその10年後
2010年5月25日に
そのとき56歳だった
わたしは同じ直腸がん手術をしたわけで

他人ごととは思えず、読んでみた。

・肛門は温存できたこと。
・抗がん剤は途中でやめたこと
・病院の食事に辟易していたこと
・術後の食事に相当気をつけていたこと
・手術は必要悪であり、効果は確率でしかないこと

等々、がんに対する考えや
予後に対する判断は、
自分と似ているものがあったなと感じた。

リンパ節に転移していたのは同じだが
瀬藤さんと私の違いは、

瀬藤さんのがんは
小腸の壁に飛んでいたが
わたしのがんは
飛ばずにとどまっていたことだ。

ガン進行に対する切除のタイミングに
決定的な違いがあったのだ。

瀬藤さんは抗がん剤を
1クールで中止したが、

そのとき腫瘍マーカーの一つ
CEAが11.4と、
手術前より悪化していて、

そのことで
「がんはとりきれていない」と
実感されたようだ。

精神科医だからすべては
冷静に客観的に
状況がよみとれたことだろう。

気海という気が湧いてくるところ
ヘソからした下の部位を
切開したことから
臍下丹田が傷ついたと
書かれていて
西洋医学偏重の医者では
ないことも察しられた。

そうした、いわばバランサーで
あることも、不肖わたくしと似ているが、

何かが決定的に違うことが
その文章のトーンから
感じ取ってしまう。

もとより頭のよさでなく、、

・何か文章が冷めている。
・表層意識が中心だな。
・がんとの対話がない。
・がんをエイリアンのような
 スティグマ、聖痕とみている。
 
そんなことを感じるのだ。

すべて主観の問題だが、
がんの場合は

主観の変容が生死の分かれ目ではないか

と強く思っている。

いたずらに明るく振る舞えなどと
言っているのではない。

深く意味を問い、深く自己を見直すことが大事なのだ。

瀬藤さんは、いわば「二乗」の典型で、
とても頭のいい冷静な方とお見受けしたが

そこがアダとなっている。
もの狂いといわれようと二乗の傾向性を
超えられていたら

そのガンは徐々に退いたのではないか。

そう感じた。ただこう書かれている。

p174 わたしに必要なのは
自分が死ぬまでに仕上げとおかなくてはならない
ものがあると勝手に思い定めることだけである。

生きる理由は外を探してもどこにもない。
ちょうど夜道に陽の光を探して彷徨する
ようなものである。

そうした光は自分の中にしか作り出せない。


失礼な言い方だが、、

いい線をいっていたのに、

残念、、と慨嘆を禁じえない。





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「セネカ現代人への手紙」その1

今、ラテン語に関心をもっている。

もし宇宙人が
時空を超えて、地球を代表する言語は何かと
たずねてきたとしたら、

英語およびラテン語になるに違いない。

そんな気がしてきたのだ。


ずっと前に、

中野孝次「セネカ現代人への手紙」
(岩波書店)を図書館で借りて読んだ。

セネカの言葉はラテン語で書かれている。
そのドイツ語訳を中野さんが
清逸な日本語で翻訳し、評論されている。

いい本だが、もう絶版だ。
本の寿命は短い。
秋の古本市で探したくなる本だ。

あとがき
―セネカの哲学とわたしのガン体験

は秀逸だった。

「清貧」の哲学者らしく
さもありなん。

ご自分の闘病の経緯を
記されたあと、こう書かれている。、

 が、その苦しみをぐたぐたと語っても
しようがない。

わたしがここで言いたいのは、

その苦しく辛い日々、
わたしを励ましつづけたのは、
これもセネカが手紙の中で語っている、

彼の旧友バッススが病と老年とに対し
闘っている姿だった、

ということだ。

バッススは、
すでにからだは全身がぼろぼろ、
どっと浸水しだした船体のように
崩壊寸前の状態なのに、

精神だけはいきいきと
実に晴れやかに働き、
セネカと哲学を語ったというのだ。

バッススの船はすでに修復不可能であり、
まもなく沈む運命にあった。

にもかかわらず彼は絶望せず、動揺もせず、
元気だった時分と同じように
彼の精神は身体の上にあって
活発に働き続けていた。

そこには
あの死の直前までプラトンを読み続けたカトーや、
燃えさかる火に自分の腕の肉が焼け、
骨があらわになっても
動じなかった兵士に通う剛毅な精神がある。

セネカが感動したのも
そのところにあったにちがいない。


中野さんはご自分をバッススに重ねておられる、
そう読めた。

その強さは、
中野さんの食道がん闘病記を読めば
おわかりいただけるだろう。

実はこの本の中で書きたかったのは
ほかにある。

「手紙41 内なる神」についてだ。

が、次回にする。





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好転反応か?

松野先生のプロポリスを
6/16(日)夕方から飲み始め
今日6/19(水)朝までに
18mlほどを8回飲んだ。

私の場合は
プロポリスに80mlほど
無調整豆乳を入れ、さらに
ハチミツをまざてかき回し
飲むようにしている。

主観の問題だが、
以下の反応が出てきている。

ちなみにそれは、
アルコール抽出の
ミヤモトプロポリスのときには
現れなかった症状だ。

1.便通がスムーズになってきた。
2.乾癬の赤みが増してきた。
 とりわけ接触の多い腰周りの乾癬。
3.飲んだあと食事しているが
 その後眠気がます。
4.体の芯がなんとなく温かい。
5.目の奥・脳の奥の方で圧を感じる。

そんなところだ。
東洋医学の言葉で
好転反応という
症状が現れる場合がある。

漢方薬を服用したあとに
症状の悪化する現象をいう。

これは個体差がある反応であって、、

私の場合は、こう現れているのだ
と判断し、

予定通り、

あと7日間試みるつもりだ。





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昨日から飲み始めた

昨日松野哲也博士のプロポリスが
2本、ヤマトの宅急便で届いた。

やや大きめのダンボールだった。
その中の空いた空間は
新聞紙がくるまれていて
緩衝、ビン割れを防いでいた。

また、よくありがちな
パンフレットなどは
一切入っていない。

代金の決済方法は
同封された請求書の口座に振込むか
現金書留になる。

購入者が悪意だったら
どうするのだろうと
余計な心配をした。

つまり、

すごぶる家庭内手工業ような
感じがしていて、

印象は好悪に分かれるだろう。

私の場合は、

博士の本とセミナーに参加して
いたので、ギョッとはしなかったし、
むしろ、おもしろい!と感じた。

すでに、アルコール性プロポリスの
限界を体が感じ取っていたので
好印象であった。

だが、

全く初めてプロポリスを
体験する人には抵抗があるかもしれない。

がそれも、よくよく考えれば

こうした手作り感によって、
需給バランスが
保たれるともいえる。

肝心なことは
作る側も飲む側も
その費用対効果にある
、といえる。

さて、

アルコール性プロポリスの
数倍は大きいボトルに入っている。
中は白濁した液体になっている。

アルコール(エタノール)で
分解させず、水のような分解ならば
これくらい大きさの容器になるのかと
素人目に、感じた次第だ。

瓶の表示にはこう説明書きがあった。

名称:プロポリス加工食品
原材料名:ブラジル産プロポリス
     植物性グリセリン
     食品乳化剤
     ビタミンC
内容量:500ml
賞味期限:2014.6.13
保存方法:直射日光、高温を避けて
     保管してください。
製造者:Laboratory of
Noetic Science 株式会社
    東京都国立市2-19-4

摂取方法:お好みで水やジュース、
    牛乳などに混ぜて
    1日あたり20~100ml
    目安にお召し上がりください。
    開封後は冷蔵庫に保管してください。
    よく振ってからお召し上がりください。
    ミツバチ由来の製品です。
    万一アレルギー等の症状を感じた場合は
    お召し上がりならないでください


以上

容器には
スポイトや、計る容器とか、
付いていないから
分量は別途、自分で
図らなければならい。    

昨日の朝
まだ残っていた
ミヤモトプロポリスを飲み干した。

ふだん飲むよりやや多めで
いや苦く喉奥がヒリヒリした。

そうして、昼から
「松野プロポリス」を
飲み始めた。

味はアルコールのものと比べ
数段、飲みやすい。

余談だが、、

最近、亜麻仁油をちょくちょく
なめるように
飲むようにしていて、
その結果、排便がスムーズになる
ことを実感している。

それまではオリーブ油をなめていた
が、その後味がにがかったのだが
亜麻仁油にはその苦味がないのだ、、

そうした苦味の有無と
今回のプロポリスの食感の違いは
よく似ている。


今朝は松野プロポリスを
20mlのイメージで飲んでみたが、

やはり以前のものより、
はるかに飲みやすい。

そうして思った。
私の経験知として、
最初はやや多めに摂取したほうが
より効果が出やすい、と。

ならば当分の間
1日50mlを朝昼晩の三回
1回16mlほどに分けて
のむことにしよう。

10日(6月25日頃)で
1瓶を空けることになる。


タラタラと気が向いたら飲む
という心構えではなく、
意識してキッチリ飲みようにする。

その方がわが60兆細胞に
好転作用が起きると信じて。

飲む目的は、
C型ウィルスの除去だが

その前に、もしかすると

乾癬にも、いい効果が出てくるのではないか
と予感が、今、多少している。





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松野プロポリスを試す

去年3本買ったエタノールの
ミヤモトプロポリスが
ようやくなくなろうとしている。

ついつい飲み忘れ、
こりゃいけないと思い飲む、
その繰り返しだった。

先週、松野先生の話を聞けたわけだし
ここは一つ一念発起して
松野先生のプロポリスを試してみようと
きのう注文した。

注文のオフィシャルサイトはなく
先生からお聞きしたところに電話、
国立の方の局番で、
電話に出られたのは家庭の主婦だった。

こりゃ、需要が高まったら
パンクしてしまうだろうなぁ、、

松野先生のプロポリスは
アルコール性ではない。

通常広く行き渡っている
アルコール性のプロポリスで
直接塗ったりすると
悲鳴をあげること、間違いない。

子宮頸がんの場合などは
およそ塗ることはできない。

その点、

松野プロポリスは
患部に直接ぬることができるらしい。
それ用のシリンジ(注入器)もあるようだ。

セミナーでも先生は
子宮頸がんについては
治るのは当然のように話されていて
不思議な感じがした。

先生は東大理系の科学者なのに
西洋医学の医者とは
意識が随分、、違う。

そういえば
東大医学部の偉い外科の先生も
松野先生のプロポリスで
すっかりがんを治癒させていたらしい、、

なんという自家撞着、おかしな話だ。

科学的知見の多様性ということか、、


それはさておき、

私のねらいは、C型ウィルスの除去にある。
既に直腸がん予後は気にならなくなっている。

もう一つ乾癬もあるが、こんなのは派生的な病だし、

優先順位はなんといっても、

代謝はしないが増殖する物質、
それも尋常でないない量で
私の肝臓を宿主にしていC型ウィルス、、

まさしくそれは
日蓮仏法のいう「非情」にほかならい。

「草木成仏」があるならば
ウィルス成仏もあるやもしれない、、

寺山翁のいう
がんに愛をおくるような感覚で、

新しいプロポリスを飲みながら

しばらくの間、

C型ウィルスに対決でなく
対話しようと思っている。

さてどうなるかな、、

まずは100日間やってみる。

2010年6月、大腸がん術後の100日間は
肉を断ち、シンプロポリスと野菜ジュースを飲み
気功を試み、あげくは太陽凝視までしたが、

その要領で松野プロポリスを飲む。

一瓶500mlを
1日40mlずつのペースで100日間
飲んでみる実験だ。

8本飲むことになる。
1本1万円ほどだから8万円か、
実験として、
ギリギリ許容の範囲だろう、今の私には。


そうだ

あとで見つかったら、今年4月の
肝機能データとウィルス量の
検査結果を掲げておきたいと思う。


全く独白文は楽でいい、、

その旨ご容赦願いたい





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続・ゼロフィールドの持続的直結とは

きのうのつづき、松野先生の答えについて

1.については、
現代物理学の量子論上にある概念であり、
正確な学術用語としては
「ゼロ・ポイント・エナジー・フィールド」
と呼ばれている。つまり科学的知見である。
それをゼロ・フィールドと短くしたに過ぎない。

2.については、
私たちとゼロ・フィールドとは
常に細切れのようにつながっている。

ただ意識の変性状態はその交流時間が
長く持続している状態なのである。

超能力とかという特別なことではないが
そう気づくかどうかの問題だ。

言うのを忘れていた重要な点でした。

例えば生まれもって目が見えない人は
ゼロフィールドの交流が頻繁にあることに
よって視覚の障害を補っておられるわけで。

いい質問をありがとう、、

そう松野先生は応えられた。

そうか、ヘレンケラーは
「ゼロフィールドの達人」
だったのかもしれない。
優れた家庭教師がついていたとはいえ
努力だけであれだけの知生教養を
身につけることができたとは思えない。

プラトンの想起説も
ゼロフィールドとの交流
によって理論づけられたのかもしれないし。

ソクラテスの、ダイモンからお告げも
ゼロフィールドとの交流なのかもしれない。

そうして

私は5歳の頃、
保育園の滑り台の下で青空を見ながら
「また、こうした人生をやるのか」と

カミュの「シーシュポスの神話」さながら
慨嘆したことがある。

「こうした人生」という気づきも
ゼロフィールドから来たものかもしれない、

思った次第である。

あっ、

それと松野先生は
「意識だけのポジティブシンキングでは
 ダメで、自然と楽しく夢中に何かに
 取り組む状態になる」ことが重要と言われていた。

今あらためて、なるほど、そういうことかと
深く頷いていた次第。


いいセミナーだった。





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ゼロフィールドの持続的直結とは

午前中、プロポリスのことで
松野先生の携帯に
連絡してみることにした。

私の場合、
直腸がんは克服できそうだが
難治性の慢性C型肝炎であり、
ウィルス量はいかんともしがたく、、

松野先生のプロポリスで
ウィルスを除去できるかどうか
その可能性をうかがいたかったのだ。

肝機能の数値は平常値であること
ウルソを飲んでいると伝えると、

松野先生は、

「ウルソですか、
 これがいつからC型肝炎の治療に
 有効と言い出すようになったのか、、
 もともとは胆汁溶解剤として作られた薬で、
 3社の製薬会社が手がけていた。
 そのうちの1社が、外国の研究成果に着目して
 肝機能改善することを効能に加えたところ、
 他の2社も追随して効能として、広がったもので
 きちんとした裏付けがあるものではないと
 認識している」と言われた。

松野先生も、
肝機能がとても悪かった時期が
おありだったが、全くウルソなんて
飲まなかったようだ。

私は20年近くウルソを服用してきたが、
見直したほうがいいだろう。。

さらに、

私のような難治性C型肝炎にも
先生のプロポリスを服用してみる価値はある
だろうと言われた。

C型ウィルスが消えた症例はあるけれども、

子宮頸がんのように短期間に効果が確認
できるかどうかは、やってみてみないと
わからないが、、と。

どんな病も、個体差があるのは、
もとより了解している。

そして、できるだけ気持ちを楽しいこと
ワクワクすることに持っていく暮らしを
しなさいと言われた。

そうした心の持ちようは
A10神経の活性化を通じて
ゼロフィールドにつながりやすくなるからだと。

そういえば、

6/8のセミナーの
3つ目のねらいは、ゼロフィールドのことを
知りたかく、次の2つ質問をしたのだ。

1.ゼロフィールドは科学的な知見としての
  言葉なのか、それともスピリチュアルな
  領域の言葉なのか?

2.ゼロフィールドにつながるのは
  AIDSだった女性の体験のように
  意識が変性状態になることによって
  つながることができるといった
  超能力のようなものなのか?

という質問だった。
これに対して松野先生は、、

(つづく)




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松野哲也先生の話をうかがう

6月8日(土)の午後、浜松町駅近くの
マンションの集会室で行われた、
プロポリス研究の第一人者である
松野哲也博士のセミナーに行った。

目的は3つあった。

場所がわからず、1時間近く遅れて
部屋に入った。30人近く受講者がおられた。

一瞬だが、自分より深刻な人たちの
オーラを感じた。

受講者は女性が多い。

松野先生は70を超えておられ、
おだやかな声の響きは親しみを感じさせた。

その目線は対等であった。大事なことだ。

その話す表情や声を聞くことが
1つ目の目的だった。

虚実を見切ること
言葉をで尽くせいない何かは
会うことによって、対話によって
感じ取ることができるからだ。

真実を語っておられた。

私は3冊以上松野先生の本を
読んでいたので、復習するかのように
その通り、その通りと
大きく頷きながら聴いた。

休憩時間に入り、
スパークリングワイン等の
飲み物がふるまわれた。

後半難しい話しになるので
少し飲んで受け入れやすくしてもうらおう
という松野先生の配慮だった。

休憩時間に、家から持って来た
松野先生の著書「現代医療を超えて」(中央アート出版社)に
サインをいただいた。

その際、
「3年前に大腸がん手術をして
 その半年後に先生の本を通じて
 プロポリスを飲み、おかげさまで今、
 転移の可能性は全くありません。
 ありがとうございました。」と伝えると。

「それはご自分の力ですよ」と
 柔らかに応えられた。。

これで2つ目の目的、、
お礼を申し述べることは、叶えられた。

さて、目的の3つ目だ。

ここからが肝心で、、

私は難治性の慢性C型肝炎患者だ。
インターフェロン療法をベースにした治療法は
三剤併用療法であっても、
私の場合には、まず効かないと
見切っている。

それは乾癬の発症を増大させるだけだ。

新たな治療薬をいたずらにまっていないで
何か手立てはないか、

そう逡巡していると、いつも思い浮かぶのは
松野先生が症例として、紹介されて知った
HIVのウィルスが消えた女性の話だ。。

このブログに以前載せたものを
再度掲げておきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ニロ・アシステントという女性のヨガの先生は、

AIDSに罹り、

マンハッタンの北に位置する、
東へと延びる小さな半島ロングアイランドで,
別荘番として余生を過ごしていました。


彼女のボーイフレンドは母国
デンマークに戻り、同病ですでに死亡していた。

ある日、
彼女は不思議な体験をする。

「海岸には雪が積もり、まるで別世界のようでした。
 このような光景は決して初めてのものではなかったのですが、
 この日、陽の光はいつもとは違ったように感じられ、
 空はいつになく限りなく透明感のある深い青さを増していました。
 海から聞こえてくる音は力強くもまたやさしくもあり、
 まるで愛の言葉をささやかれているようです。

 カモメの群れがいる以外は自分ひとりでしたが、
 いいようのない優しい気持ちに満たされたのです。

 感謝の念がわきおこり、涙は砂の上に落ちました。
 そして、次第に歩みを進めていくにつれ、
 無数の波が果てしない大海に融合するように、
 私自身も無限そのものに同化していったのです。

 新雪の中にブーツを踏み入れ、
 引き上げる感触に集中しながら歩を進めていくと、
 呼吸するとか、足や骨やくるぶしが自然に動くことが、
 奇跡そのもののように思えたのでした。

 一歩一歩がまったく初めてのものであると同時に
 最後のものでもある。・・・・

 自然のリズムと一体化すると、
 身体をもつ自分が外界と隔てられているという感覚は失せ、
 巨大な空間と一つになるのを感じました。
 至福を超え、存在そのものの根源に触れたのです。

 私の存在は、雪、海、空、鳥に溶け込みました。
 太陽の熱、冷たい風、波のうねりが私でした。
 呼吸はゆったりとし、
 そのうちほとんど停止してしまったような気がしました。

 残っているのは、
 すべてが果てしないひとつであるという感覚だけだったのです。」
          
彼女はこの体験の後、エイズウイルスが消えたと直感する。

そして事実そのとおりのことがおこった、、。


奇跡、夢物語のような、この現象を
松野先生は「ゼロフィールド」とのつながりあって
起きたのだと述べられている。


ということは、、
自分のC型肝炎ウィルスも「ゼロフィールド」と
つながって、ウィルス消失の軌道に乗ることはできないか、、

そう思ったわけだ。

セミナーではニロ体験のことを取り上げていた。

待ってました!

ではでは、質問、確認しよう、と決めた。。


(つづく)




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モンドラゴン協同労働組合の創設者は神父

前に、コミュニティビジネスの器として
協同労働組合という組織の法制化が望ましい、
と書いた。

協同労働組合法の成立が急務だ。

都議選のある地域政党は
政策課題にしているようだが、

あとの祭りだが、

親和性があった民主党政権下で
法制化しきってしまえばよかったのだ。

安倍政権の復興政策に入ってないようだし、
そういう目線を持ちそうにない。

場合によっては
経済特区のようなカタチでもかまわないから
そうした組織を認容してもらいたいものだ。

制度的な障壁あったとしても、、だ。

政権内でどなたかきちんと、
スペインのバスク地方に誕生した
協同組合モンドラゴンの驚異的な成功を
視察してもらえなかいか、と素朴に思う。

「やるなら、今でしょう」

ついでながえら
モンドラゴン協同労働組合で検索したもの
を以下に転載しておきたい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その協同組合の
発祥には一人の神父の名を欠かせない

それはホセ・マリア・アリスメンディアリエタ神父
(以下神父とする)だ。

1915年にバスク地方に生まれ、
神父を目指すが、
スペイン内戦に参加し投獄されたが内戦終結後、
神学校に戻り、同地方の神父に就任する。

バスク地方は資源のない貧しい地方で
町は内戦で荒廃していた。
神父は町の再興は労働しかないと考えて、
職業学校を設立した。

1956年この学校を卒業し、
石油ストーブを作る企業を起こす5人に、
協同組合とすることを指導したのがこの神父である。

神父の考え方を生協総合研究所の石塚秀雄氏は次のように語る
「資本主義は資本の労働に対する優越原則を持つために、
一方共産主義は所有権を否定するために、
そのいずれにも神父は賛成しませんでした。

労働と所有の分裂を終わらせることが望ましいと願い、
そのためには協同組合方式が良いと考えたのです」

(朝日新聞夕刊1995年3月27日~30日、
この項すべて岩垂弘氏のルポ「バスクのモンドラゴン」による)。
まことに秀逸な思想といえるのである。

この労働と所有の統一は、グローバルな大競争の中で、
対立に未来はないとして労働者の経営参加を説く著作
(「対決に未来はない」新潮社)もある今日、
もっとも生かすべき考え方ではなかろうかと推論する筆者である。

モンドラゴンの組合員になるには出資しなければならない。
工業部門で150万ペセタ(1ペセタ0.7円)
他の部門で100万ペセタで、これは賃金の6ヶ月から9ヶ月分だそうだ。
これは分割払いも可能という。

最初に出資総額の25%を払い、
あとは賃金の10%を積み立てて払う方式があるという。
出資金には利子がつき、剰余金があれば配当もでる仕組みだという。

経営は民主的方式で行われる。組合の最高意思決定機関は組合員総会で、
そこで事業計画が決められ、理事会メンバーが選ばれる。

選挙は一人一票であり、
出資金額ではない。そこが株式会社と大きく異なる点である。
企業体の憲法の十原則には、「組合員は基本的に平等」
「つねに組合員に依拠し、
「企間への組合員の幅広い参加を促進する」とあるとしている。

労働組合はないが、
職場単位で選ばれる組合員代表で構成される
「社会委員会」が存在し、
組合員の福利厚生、労働条件などについて
理事会に意見を述べることができる。

理事の候補者を推薦することもできるという。
出資し働き経営するというこの協同組合の形態こそ、
従業員主権の組織といえるであろう。
ここで働く一人の女性は、
モンドラゴンの優れている点を
「わたしも一票を持っているから、
それを行使することで組合の経営に
参加できることね」という。

出資し働くといっても、企業としては、
付加価値の配分は経営部分と労働者では
対立する部分が残るから、その部分は理事会と
別個のシステムを持つのは賢明といえる。

経営と労働の統合の組織にあって
もっとも難しいのはこの部分である。
その面でも今後の経営組織を考えるに当たっての
重要な参考となる。

モンドラゴン協同組合の現在の業容は、
三つのグループに分かれ、
銀行・共済などの財政グループ。
家電製品から工作機械、自動車部品、
電子機器、家具など工業製品を生産するグループ。

そして流通グループである。流通グループは、
スーパー200、小さいハイパー18、ハイパー18、
フランチャイズ店330あるという。
組合員総数は25300人、
売上高は1993年で4242億ペセタに達し、
スペインの企業売上高でのランキングは12位だと幹部の一人はいう。

こうした発展は早くから
神父の発案・指導で自らの労働金庫を1960年に創設したことだという。
いまやスペインで5、6位の大銀行となったという。

さらに神父の創設した職業訓練校は、
技術専門学校に発展し、
組合員の高い技術水準を維持し、
性能の良い工業製品を生み出しているという。

さらに1974年には
これも神父の提言で技術開発研究所が設立されたという。
このように発展したモンドラゴンであるが、
スペインは1986年にEC(現EU)に加盟した。

このため多国籍企業の活動が活発化して、
企業間競争が激しくなった。
「我々はこうした新しい環境に対応する必要に迫られています。
将来を分析し、適切な対策を打ち出さないと、
生き残れないでしょう」

とモンドラゴン協同組合企業体事務局長の
ハビエル・エルシドア氏はいう。

さらに、どんな組織でも巨大化すると
、官僚化の弊害が起きやすくなり、
モンドラゴンでも一部にそうした傾向が出ているという。

ある男性組合員は
「幹部と一般組合員の間の差が少しずつ広がり、
時には幹部だけで物事を決め、
私たちに知らせないことがある」という。

このようにモンドラゴンも外部環境と
内部の組織に二つの問題を抱えているようだ。

外部の人たちはこのモンドラゴンを
どのように評価しているか。

「未来の企業像」
(ドラッカー他編著・トッパン刊)の中の
第11章でジョエル・A・パーカー氏(未来学者)は、

モンドラゴンの歴史、原則などを紹介した後、
結論として次のようにいう(一部略)。

「・労働者の民主主義と所有権は、
  株主のパラダイムに代わる案として現実的であり実効が可能だ。
・教育が地域社会のビジョンを背景に、
  資本の創造ではなく雇用創出を公約する銀行に支えられると、
 地域社会の雇用基盤が長期的に安定する。
・適切な支援が差し延べられれば、
  職員は独力で仕事を徹底的に変化させることができる。
・銀行の役割は、パラダイムが正しければ大いにプラスであり
 、地域社会を支えられる。
・自己出資は、強力な手段になり得る。
・ビジョンを共有することの影響力は過小評価できない。
・ここは仕事を目的とする共同体であるが、
  宗教的価値観を基盤とし、
 公平と民主主義に関する倫理が考慮され、
  資本の形成や大きな利益の創造に貢献している。
・資本に価値を加えられるのは人間だけである 
  という事実が明確に示されている。
 資本が人間に価値を加えることは絶対にない!」

パーカー氏は
「二十世紀のパラダイムに対する代替案を
 模索している組織のために」
この結論をまとめたといっている。
未来企業を考える大きなヒントとなるものと考えられる。

つまり、この組織は、株式会社に十分に替わり得るし、
企業体の理念・目的を組合員が共有し、
自ら出資することは、適切な支援があれば、
経営の効率は十分に良くなり、
雇用の拡大などの地域への貢献にも役立つ、
そして公平と民主主義が倫理を支えていく。

人間の幸福を実現するのは付加価値であるが、
それは人間のみが加え得るものであり、
金融は付加価値を作らない。

というように筆者は理解するのである。
金融は付加価値を作らないということは、
リーマンショック後の金融危機への対処と
今後の方向にヒントを得られるものと思う。

 日本でも新しい会社法は、自ら出資し、
働き、経営する組織、
(日本版LLCやLLPである)が法制化された。

企業は株式会社だけではなくなった。
従業員主権の新組織を創造していくべき時期が
きたのではないかと思う。

(出典は  )
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
全く、同感。

モンドラゴン(Mondragon)とは、
「竜の(住む)山」という意味だという。
地名にふさわしく、
モンドラゴンの町はドラゴンが
どこかに隠れていそうな岩山に囲まれた静かなところなのだろう。 

それにしても
ホセ・マリア・アリスメンディアリエタ神父の発想は、
松下幸之助の「日本株式会社」論ように、斬新なものだ。

神父が到達した結論は
「労働と所有をつなげた協同組合方式」

という斬新な発想、
そう考えついて実行していくところがスゴい。

まったく偉大な神父さんだ。

移動のアシはもっぱら自転車を利用していた。
その質素な立ち居振る舞いも共感してしまう。

少し好奇心が湧き、バスク語の案内本を
図書館から借りて、そのCDを聴いてみた。

文法は日本語やモンゴル語と同じように
動詞が最後にきていて、
発音も母音が多くて、聞き取りやすい。

イエズス会のザビエルが
日本に親近感をもっていたいわれるが、、

わかる気がした。。




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小林秀雄と田中美知太郎

きのうあるとこに書いたものを
そのまま転載しておきたい。

きのうのブログと重複するが
お赦しあれ、、

・・・・・・・・・・・・・

最近、田中美知太郎という偉大な哲学者の
全集にはさまれていた月報を読んでいましたら、

その中に、小林秀雄との対談のことが掲げられて
おりました。

お二人は奇しくも1902年生まれ同士で、
哲学という川をはさんで対峙しながらも
何か呼応するものがあったようです。

昭和35年9月になされた
「現代に生きる歴史」という
テーマでなされた対談に、
次のようなやりとりがありました。

小林秀雄は言う、
「現代の唯物史観的な歴史家の傾向というものは
進歩したつもりで、実は退歩している。
徳川時代の古学者とか国学者の考えの方が
ずっと正しい処があると言えます。
彼らにとって歴史的対象とは、
ある時代の事実ではなくて
事実がその時代に経験された、
その経験の意味だったのです。
これは正当なことです。
客観的事実自体には歴史的意味はない。
その事実が、どういう風に感じられ、
どういう風に考えられていたかということが、
歴史的事実である」

これに対して
田中美知太郎は素直に肯定した上で
次のように言われた。
「実際に宗教家というか、
そういう人物が書いたそれが、
実は一番うそのない証拠なんですね。

あとの物的証拠というのは
完全犯罪の場合と同じように、
うっかりするとだまされることがある。

だから、その時代を知るには、
その時代を生きた宗教家とか芸術家とか、
そういう人の書いた書物を本当に理解すると、
それがやっぱり一番うそのない証拠になる。
それを大事に取り扱わないとのは大変な間違いだ。」

と応えられていました。

おぉ、なんというタイムリ-な文章に遭遇したのだろう。

というのも、「いまでしょう」と一念発起して
鎌倉時代の日蓮の遺文集(「御書」という)の全編を
音読することを4月に決めて、日々進めているからです。

御書は1619頁あり、全429編あります。
短いものから音読し始め、
現在639頁、324編を読み終えたところです。

これからが大変、、
未読の長文の御書が山脈のように連なっていて、、
今は、いわば尾根伝いの縦走をひかえ
ベースキャンプにいるようなものですが、、

田中美知太郎の言葉を深くかみしめていたところです。

その含蓄ある言葉が心地いい、、


田中美知太郎さんのことはまた次の機会に書くことにしたい。




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御書音読の進捗状況

病気ブログというより
なんでもありブログになって久しい。

自分本位の備忘録なのでお赦しあれ、
そうでないとブログは続けられない、わたしの場合は。

日蓮の「御書」音読は
4月5日から始め
今日が60日目となった。

御書は全1619頁あるが
今現在639頁を音読した。
残りの未読は980頁だ。

御書の目録にある題名の
総数は429編にあるが、
今現在324編を音読した。
残りの未読は105編となった。

なんか変と思われるかもしれない。

短い文章のものから始めて
いった結果、こうなったのだ。

読み始める前に、
その文章の行数を調べ
目録の上に書き込むようにして行った。

同時に、エクセルで作成した
御書音読進捗表に行数を落とし込んでみて
わかってきたことは、、

御書429編の内の
7割は50行未満のお手紙であり論文だということ。

もっと言えば
429編の5割は25行未満である
ことも判明した。

1行だけの文しかない
御書もあるほどだ。

すごい事実だが、
それを指摘してくれた人に出会ったことはない。

正直言って、
29頁におよぶ御書目録は
「通読の壁」になっている。

ともあれ、

未読の105編の大半は
100行を超え、
頁でいえば5頁を超える御書ばかりになる。

御書拝読を山登りにたとえると
ようやくベースキャンプに到着したところと
いえるかもしれない。これからが肝心だ。

ついでに書いておこう。
この山登りを隔年で、死ぬまで
音読を15回くりかえそうと決めた。

89歳まで生きれば、、できる。
なぜこんなことをするのか?

なぜならば、唐の時代
天台大師は一切経を15回学んだと
御書に書いてあったからだ。

天台のような一切経は無理でも
1619頁の御書ならば可能だ。

そこまで読み込めば
本当に心肝に染まることだろう。

あまつさえそこまで読み込めば
次の世の自分が
日本人でなかったとしても
何かの縁で想起することは
できるだろう、、と思っている。

もとよりこの話は、
生死をくりかえすことを
前提とした話だが、
記憶にある小さい時の他愛ない体験から
それは不思議でもなんでもない
ことと思っている。

ところで、

御書の目録には不便な点が
2つある。

1つは目録の始めの
「唱法華題目抄」から順に
ナンバリングがうたれていないこと。

もう1つは著述の年月が
和暦だけで、西暦表示がないことだ。

日蓮在世の和暦は2~3年ごとに
元号がかわっている。

西暦がキリスト教ベースであろうと
世界中の人々の時間認識が
西暦でとらえてているのだから
合わせるべきだ。

いろいろな事情があるのだろうけれど
改善していった方が、
どうみても、いい。。

なので、拝読修了のあかつきには
エクセルで作っている「御書目次」を
出力しようと思っている。

ささやかな成果物として、、




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