わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
TOP ≫ ARCHIVE ≫ 2013年03月
ARCHIVE ≫ 2013年03月
      

≪ 前月 |  2013年03月  | 翌月 ≫

自学自習は人生の要諦

長女の小学校生活をみていて
思い出したことが、

私の場合、
小学校の先生によって
積極的に勉強をしたり、
反発したりする児童だった。

教師に影響される傾向は
中高そして大学まで、
ずっと続いていたな、、
と気づかされた。

そうした姿勢は損な話で、
長女には、どのような先生が
担任になったとしても、
着実に、生きる技術を身につけて
行って欲しい。

キモは自学自習を続けることだ。

それが人生の要諦とも思えるのだが、、

キューバ建国の父
ホセ マルティは次のように言った。

自分で学び、自分で考え、自分で動き、
自分で組織をつくり、
自分の力で戦いを進めていった。
組織の上に乗っかっていたのではない。

誰に頼ることもなく、
自分で自分を鍛え、
揺るがぬ自分自身を築いていった
のである。



私見では

身近に「師」は要らない

と言えまいか、、





にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村



アイスマンのタトゥー

先日NHKのドキュメントの
「完全解凍!アイスマン」は衝撃的だった。

オーストリア・チロル地方の
標高3200mの氷河もある
山の中から発見された、

ヨーロッパ最古のミイラ(Iceman)化した
5300年前の男性の遺体のドキュメントだ。

149の体内サンプルを
科学者たちが採取して調べていく。

身長160センチ、
推定年齢46歳前後の男性、
眼球も血液も全て残っていた。
胃の中は食物がいっぱいあり
満腹状態だった。

豊かな生活水準で、

4大文明の一つ
メソポタミア文明が始まったころの
アルプス近くに住んでいた人だ。

なにしろ

ミステリーの謎解きのように、
おもしろかった。

死ぬ直前に何をたべていたか、
どのような所をあるいていたかが、

残された遺物から科学的に、
推測できてしまうのだ。

アイスマンは何者かに追われていて、

背後から背中に矢を放たれ、
振り向いて、大の字になって
仰向けに倒れ、
起き上がろうしたところを犯人に
左目付近を石で強打され
脳内出血で亡くなる。

犯人は、矢の柄の部分を
引きちぎるために
アイスマン左肩を反転させて
それを抜いた。

なぜ抜いたのか。

それは、
現代の銃痕ように、
柄の部分によって、
誰の矢だったかが、
周囲にわかってしまうからだった、、

5300年前の事件が
昨日の出来事のように
想像できてしまったのだ。。


でも驚愕したのは、そこではない。

アイスマンのタトゥーのこと、

背中、脚など15か所に入れ墨が見られたことだ。

鍼治療のツボ、経綸と同じ位置に
刺青が入っていたのだ。

アイスマンは腰が
「腰椎滑り症」で、
相当な痛みがあったようだ。

腰痛の治療に対応するツボ、
経綸に刺青があったことだ。

なんということだ、、

以下検索した記事を掲げると

それは、いずれも線で構成された
単純な幾何学模様で、
その彫られている場所からみても、
誇示する目的や装飾的な意味をもったもの
とは考えにくく、むしろ

中国の鍼治療のツボを連想させた。

そこで、入れ墨の位置を計測し、
写真を撮ってそれを経穴図と重ねる
などの調査をするとともに、
3人の信頼できる鍼師からも
専門家としての意見を求めた結果、

15か所の入れ墨のうち9か所は
ツボと重なるか、5mm以内のずれの
範囲内にあったという。

特に、
背中に見られる5か所の入れ墨は
膀胱経のツボに重なるか、
ごく近傍にあった。

また、

左足くるぶし側面に見られる
2つの入れ墨のうちの1つは
崑崙穴に近い所にあった。

鍼の理論によれば、
皮膚の特定局所、
すなわちツボの部分の皮膚を
鍼で破るか、刺激するかすれば
器官の機能に変化をもたらし
痛みや炎症が軽快されるとされ、
その際に刺激するツボは
必ずしも器官に隣接する
ツボである必要はないとされている。

アイスマンはCTスキャンによって
腰椎の関節炎に罹っていたことが
明らかになっているが、
ミイラの膀胱経に沿って見られる
入れ墨の位置と、従来から
この疾患の鍼治療に用いられている
ツボの位置が一致しているのである。

これらの発見は、
治療を目的とした鍼が行われるようになった時代が、
古代中国における伝統医学の発祥
(およそ1,000 B.C.とされる)よりも、
はるか昔であった可能性を示すと同時に、
有史前における人類間の文化的接触が
非常に遠くまで及んでいたことと考え合わせると、
鍼治療の起源が地埋的に見て
東アジアではなく、

ユーラシアであった可能性を
示唆していると考える。



そうなると、

陰陽五行とか
中華思想への思い入れも
相対化されることになるのだろうし、

それと、倫理的な問題となるが、、

やがて、アイスマンから
iPS細胞を生成して
5300年前の「人」も
創れてしまうのかもしれない。

何の係累もない人だから
秘密裏に、やりかねない、、




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村


役者、山本龍二との対話

昼過ぎに、池袋で役者山本龍二に会った。

二点ほど、私の見解を求めてきたのだ。
ひとつは、杞憂だし、
もう一つは、それにあえて遭遇し、
逆にそこから基準を練り上げてしまうように、

それが私の応えだった。

逆に山本から教わったことも
二つあった。

古くからある新劇の、
たとえば文学座とか、俳優座とかに
山本がいる青年座にしても、
稼げる可能性のある若手は
もはや、いない、と言い切ったことだ。

力のある役者は、見切りをつけて
ホリプロとか大小さまざまある
事務所と契約して、商業演劇の現場で
鍛えあげていく、と。

劇団に棲息し、
演劇論をぶち上げていても
所詮井の中の蛙、にすぎない、と
ハッキリ言える、と容赦ない。

そこまで否定するのか、と思ったが、
山本の認識は正視眼なのだろう。

もう一つは、チャンスをつかむ
可能性をもつ人間に共通するものは、
1.柔軟な頭を持って、プライドを捨てて
動ける人間。
2.愚かではない人間

プライドが見え隠れするような
言動、振る舞いをしているようでは、
まず再び、オファーは来ることはない、

具体的なイメージが湧いているのか
遠く見つめながら、話してくれた。

自分の世界にも置き換えられることで、


それは、つまり、

俯瞰の技術だなと思いつつ、

うなずいていた。






にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村



なぞぺー学士証書

先日の記事のつづき、

長女がなぞぺー問題480問を
修了させたことをたたえるための
工夫として、

「なぞぺー学士証書」を作った話。


証書の内容はこうだ。

あなたは家庭で
「なぞペー問題小学1年編」に取りくみ
全480問を3月19日に修了されましたので
その努力をたたえ
「なぞぺー学士」を証します。


という文面。

これを今日夕方、
「花まる学習会」練馬教室の
松井穣先生から長女に手渡していただいた。

長女は緊張しながら、受け取るや、
「2年生のなぞぺー問題もすぐやりたい」と
宣言していた。

松井先生による賞状授与の効果だ。

家に戻ってから
賞状をもらった気持ちはどうだった?
とたずねると、小声で、

嬉しかった、と応えた。

私が授与していたとしたら、
2年生の「なぞぺー問題」に対して、
引き続きヤル気を出すことはない。

首尾は上々だった。

そうして来年の3月に、
2年生のなぞぺー問題をやり終えたら
「なぞぺー修士」の証書を作り、
再び、松井穣先生から手渡してもらおう。

さらに、

3年生のときは
「なぞぺー博士」の証書を作成しよう。

そこまでやれば長女は、
見事な算数脳の持ち主になっている
ことだろう。

追記

松井穣先生にお礼のメールをしたところ
次のご返事をいただいた。

よかったです。
きっとびっくりした面もあったんでしょうね(笑)

しかし、お父さんいいですね~。
愛情たっぷりです。

○○ちゃんのキョトンとした表情も
かわいかったですね。

一生覚えてくれるエピソードに
なったのではないでしょうか。

お父さんの演出、
花まるでも参考にさせてもらいます。


あらためて、松井先生に感謝する次第、、


さらに追記

春休み期間中、
長女は自発的に、
公文の算数(足し算)と
漢字のドリルに取りくみ始めた。

そこで、私が

「公文のドリルをやり終えたら
 私が修了証書を出してあげようか?」

と言うと、長女から

「それは受け取れない」

とハッキリ言われてしまった。

それでいい、それでいい、、




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村


断想の生命論

漫画「ぼっけもん」の作者が
58歳でなくなられたとラジオで聴いた。

自分と同年齢の方だ。

2010年に肺がんで入院、
長期療養されていたらしい。

ぼっけもんが出た当時、

それは少し見ただけで
ほとんどストーリーは知らないが、

桜島の噴火に吠えるシーンがあったり、
あつい感じの若者が東京に出てくる、、

同時代の漫画家が台頭してきたな
という印象をもったものだ。

よくは存知あげないが、、合掌


いつも思うことだが、

自分という表層、小我とは違う
深層に、もう一つ大きな自我、
大我があり、

大我は同時に、
私たちのカラダを構成する
60兆細胞の司令塔になっている。

そして、たぶん
大我はゼロフィールドと
密接不可分な結びつきがあるのだろう。

深淵は感じ取るは難しいと
考えがちだが、

死に至る病いを経験すると、

実は、

大我をごく身近に感じ取るようになる。

得入(とくにゅう)するのだ。


大我の中に、入ってしまうのだ。
入っちゃう、これはキーワードだ。

唐突だが、
母校の創立者はこう言われた。

妙法に帰命にすれば、
自分自身が大宇宙の仏の中に
入っちゃうんだ。

我が身が即、
妙法の当体と輝き始める。

この秘術を日蓮大聖人は、
教えてくださっている。


以上は、

創立者は話の一区切りがついた頃、
即興的に、言われた言葉だったが、

入っちゃう、という言葉に
如是我聞 その通りです!
とストンと腹に落ちるものがあった。


なぜなら、私の場合、

2010年5月の直腸がんの手術の二日後の深夜

入ってしまっていたのでは、という実感があった。


しかもだ、、

表層と深淵、
小我と大我との境界は、

限りなく薄いシールド?からなっているにすぎず、、
その薄さは決定的という感覚をともなっていた。

まぁ、

記憶と感覚のつなげただけの断想だが、、
こうした漠然とした想いは
今後もくりかえし、書き続けることになる。

書かないと固まらず、反芻するだけで、

前進しないからだ。




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村


退場したブログ

いつの間にか
「直腸癌で人工肛門になった
医者の日記」が退場していた。

外科医の「迂路石」先生に
転移とか悪い事態ががあった
とは思えない。

相応の事情があったのだろう。。

ブログを消す権利を
他人がとやかくいうことはできない。

とてもいいブログだったけど、、

お元気で、、

いつの日か、
気が向いたら、

また立ち上げてください。

その日まで、、

自分のブログを書き続けることにしよう。




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村


なぞぺー480問をやり遂げた!

今日は、長女の努力をたたえる、親バカな話。

花まる学習会は、
小学校の低学年のうちに
「算数脳」を築き上げること、、

それが、将来「メシが喰える大人」になる
ための重要な要素の一つと捉えている、と

そう理解していて、共感している。
その裏には
自分に算数脳が育たなかったことへの悔いがある。

花まるの算数脳のキモは
「なぞぺー」という問題集にある。

教室で使われる教材だが、

家庭で取り組める問題集も出されていて、、

直観的に「これはやらせよう」と決めた。


昨年7月ころ配布された「家庭用なぞぺー」は

1.アンタレス(さそり座)・・・空間認識
2.アルタイル(わし座?)・・・平面図形
3.アルクトゥルス(うしかい座)・・・論理
4.デネブ(白鳥座)・・・試行錯誤
5.ベガ(こと座)・・・発見

以上、5つの分野からなり、
各分野ごとに
1冊24問が4冊ある(96問)ので

全480問となり、
平積みにすると、
かなりのボリュームになる。

最初、全く長女はやる気をみせず
これに取り組むかどうか、、いぶかったが、

進捗表をつくり、回答するごとに
その日付を入れるようにしてみた。

進捗表は私が書き込んだ。

そうしているうちに、、

花まるの授業の「なぞぺー問題」の中でも
家庭でやっていた問題が出てくることが
わかってきて、、

「これ知っている、カンタン!」と
教室で叫ぶようになったらしく、、

少しずつ「家庭用なぞぺー」に
拍車がかかっていった。

そこで全480問をやり終えたら
ふたたびハムスターを飼うことを約束した。。

これが最大の動機付けになった。

2月に入り、残り100問をきると、、
進捗表に日付をいれる作業は
長女自らが消し込むようになった、、

(こりぁ、思うツボになっている)
と喜んだ。。

そうして3月19日、全問を完了させた。スゴい。

昨日20日10時半、コジマ中野店に行き、
約束の、イエロージャンガリアンという
薄茶色のハムスターを購入した。

なんとキャンペーン中だったので
その値段は1280円。

長女は毎日、観察日記を書くと宣言し、
自分で紐綴じノートを作り、
さっそくプロフィールを書き始めた。

いいことだ。
2ハムスター 本人曰く、さだ子みたいと


そこで、もうひとつ、

ここで終わらせないように、

2年生、3年生を終えるまで
「家庭用なぞぺー」をやり遂げられるように、、

工夫するこにした。

その詳細は、来週月曜に実行した後で、、




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村


最近の体調を素描すると

二月中旬にかかった
インフルエンザもどきは
ようやく快癒した感じがする。

ただ最近、スッキリした
排便ができなくなっていて、
力みがちだ、

よくのんだ咳止め薬は
便秘をまねきやすいと
三好先生が話してくれた。

話は変わるが、
最近、枕はやめて
バスタオルを何枚か重ねて
枕がわりにしている。

ストレートネックを治すことが
ねらいだ。しばらく続けてみる、

簡単な、一定の首の動作を
習慣化することにより
ストレートネックは治ると
柔道整復師の酒井慎太郎氏と書いている。

酒井氏の施術のキーワードは
「関節包内矯正」だが、
受けてみないことには
その是非はわからない。。

なので、いつの日か
王子にある「さかい保健整骨院」に
行ってみたい。




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村


ムーンライト・マイル

基本、ここは自分の備忘録である。

なので、説明はしないし
脈略は二の次、、お赦しあれ。

今日は午前2時前に目が覚めてしまった。
理由はわかっているので、
ここにそのことは書かない。

結局眠れず、

デニス・レへインの
小説「ムーンライト・マイル」を読了した。

私小説に慣れている日本人には
とても読みやすい米国の探偵小説だ。

以前、ベンアフレックが監督した映画
「ゴーン・ベイビーゴーン」を観たが、、

エンディングでソファでTVを見つめる
アマンダの仕草が気になる。

いったい、この子は大丈夫だろうか、
と不安がつのるのだ。

そのアマンダの12年後の事件が描かれる。


16歳になったアマンダがどうなってしまったか
気になってしかたなかったので、
買って読みはじめた。

アマンダはクールな少女になっていた。

4歳で誘拐されたときの「幸福」を
鮮明に記憶していた。

正しい私立探偵はその幸福を
引き裂いてしまう。

あらすじなど書く気はない。

気になったところを書き写しておくまで、、


「この子は家出したことを後悔する
と思います。ハーバード大学が彼女を
待っているのですよ。イェール大学も
行きたいと思えばどこの大学でも」

婦人は犬の綱をひっぱった。
「それじゃ、彼女はどっかの
オフィスの四角い箱みたいなところに、
ちょっとだけ高い給料をもらって
入れるかもしれないわね。

ハーバードの卒業証書を
仕切りの壁に飾って?
これから3、40年かけて
株の空売りの仕方や
皆の仕事や家や企業年金を
横取りする方法を学ぶわけね?

でも許されるのよね。
ハーバードを卒業したから。
そういうシステムなんだから。

自分には罪はないと言い聞かせて
夜は赤ん坊のように眠るのね。

そしてある日

彼女は胸のしこりに気づく。
もおOKじゃない。
でもだれも同情してくれない。
自業自得だからね。
だから私たちの邪魔をしないで
勝手にしねばいいのよ。」

話が終わるころには
婦人の目は赤くなっていた。


グサッとくる。
その婦人の近親に
そうした女性がいるかのようだ。。

もう一つは、
アマンダが探偵に言う言葉

「道徳なんか関係ないとは言っていない。
道徳について憤る段階は過ぎたと言ったの。

この部屋にいる人間たちの過去を考えると
少しばかり虫のいい話じゃないの。

別の言葉で言えば、
あなたが、母親失格だと知っている女の手に
私を引き戻してから12年後に、
面目を取り戻す二度目のチャンスが来たとか
思っているんなら、無駄よ。

罪の許しが欲しいなら、
神父さんに頼めば。

やましいところのない神父さんをね。
今どき、まだ残っていればの話だけど」



痛烈で、キリキリくる言葉だ、、

想像だが、

アマンダの幼少は
映画「ショーシャンクの空」の主人公
デュフレーンが脱獄のために
静かに、壁の穴を掘り続ける日々と重なる。

二人とも冷静に、
大掛かりなシナリオを描き、
誰にも悟られず、実行する。

監督ベン・アフレックが再び
「ムーンライト・マイル」を映画化するとしたら
アマンダの幼少の日々を描写してもらいたいな。。

ふりかえって、、

自然と、自分の長女と
アマンダを重ねてみてしまう。

わが長女が16歳になったとき
どう変貌していることだろう

今朝、
長女は「花まる学習会」の
半年かけて取り組んだ
なぞぺー問題480問の、
最後8問をやりとげた。。

たいしたもんだ、

なので明日は、

約束のハムスターを
再び、飼うことになるだろう。。




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村


須藤薫「涙のステップ」の作曲夜話

昨夜、友人の堀口和男氏の自宅に行き
4時間ほど会食と談話と、行った。

毎年この時分に堀口と会っている。
2年前は、東北大震災のさなかに会っていた。

11日の須藤さんのお通夜のことをたずねたら、

松任谷由実さんや杉真理さん(以下杉くん)や
多くの人が参列されていた、という。

杉くんは、
須藤さんが亡くなられた3月3日は
終日、号泣していたという。

須藤さんが長い間、
活動を休止していたところを
ユニットを組んで
再び活動していこうとしていたのだから
杉くんの悲しみはとても深かった、だろう。

須藤さんが活動を休んでいた状況も
推し量ることができた、、

障害をかかえた
男のお子さんがおられた、、

さて、

その送る会の中で、
音楽プロデューサーの高宮さんが
堀口と杉くんのもとにやって来て、
二人に新聞の切り抜きを見せたという。

須藤薫の代表作「涙のステップ」と
ある記事だった。

二人は「涙のステップ」のことを
思い出すように話し始めた、、、

遠い昔、

堀口は自分に課すように、

キーボードを弾きながら、
適当な英語まじりの
スキャットのような歌詞をつけて
日々、作曲をしていた。

完全にお倉入りになってしまった
メロディーの一つを、
私はなぜか、今も覚えていて、
口ずさむことができる。

納得できる曲はなかなかおりて来ず、
没曲のカセットの山が出来ていった。

そこに杉くんが遊びにやって来た。

このカセットの山は何?

自分が作った没曲ばっかりが入っていて
うっちゃっているんだ。

どれどれ、、と杉くんは聴きはじめ、

この曲、なかなかいいよ、、と
杉くんは、堀口が捨てた没曲に
光をあてた。

あとそぅ、サビのところを
こうすればいいと、ギターで示すと、

なるほど、俄かに曲調に変化が生まれ
すごい、と堀口は杉くんの天性の才能に
驚いた、という。

こうして 涙のステップの曲は
出来上がった。

なので、
この曲の8割は、堀口が作ったものだった。

ただし、杉くんが光をあてなければ
決して生まれはしなかった曲だったのも確かだ。

堀口が共作とすることを望んだのは、
杉くんに対する敬服と憧れがあったからだと
昨夜も言っていた。

私は、堀口が杉くんを深く
リスペクトしている様を
何度となく垣間見ていたので、
その気持ちがよく理解できた。

何年前のことだろう、
練馬のチャイカで、
堀口と杉くんがお茶しているところに
よばれて行き、杉くんに会った。

それが最初だった。

堀口が
「出会うべき人に出会えた」歓びに
あふれていたのを今も思い出せる、、、


というわけで、

涙のステップは、
ふたりの化学反応でできた曲だったのだ。

このようなカタチの共作は、あまりないのでは、、
と思う次第。




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村


須藤薫さんが亡くなった、、

今朝、友人の堀口和男氏からメールが
あった。

11日ですが、実は須藤薫ちゃんが
先日亡くなり、
その日が通夜になってしまいました。

白血病みたいなのから入って、
いくつも大きな病気に進行したようなんだけど、
詳しいことは分からない。


と、書いてあった、、

えっ、あの須藤薫さんが、、
それは、、残念でならない。。


検索すると、


「涙のステップ」…歌手の須藤薫さんが死去

歌手の須藤薫(すどう・かおる)さんが3日、
骨髄異形成症候群で死去した。
58歳だった。

送る会は12日午前10時、
東京都大田区東海1の3の1臨海斎場。
喪主は夫、敦氏。

大瀧詠一さんや杉真理さん、
松任谷正隆さんらから楽曲提供やプロデュースを受け、
ポップス歌手として活動した。

代表曲は「涙のステップ」。
松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」などに
コーラスで参加した。

昨年は杉さんとのユニットで
アルバムを発表していた。

とあった。

骨髄異形成症候群は、
初めて聞く病気だが、
厳しい病いのようだ。

私の主治医によると
長い時間をかけて、
貧血の状態が続いているとか、
ある程度兆しは採血検査に現れるようだ。

なると対処療法しかないようだ。


遠い昔、

友人の堀口が誘ってくれて
初めて、須藤薫さんのコンサートに行った。

大門あたり、
レストラン「クレッセント」の近くのホールだ。

須藤さんって知らないけど、、
どんな感じ?といった不遜な態度の自分だった
かもしれない。

けど、良かった、感動した。

ポニーテールが似合う丸い顔した
女性で、明るい伸びやかな声をしていた。


しばらくして、


堀口が作ったデモテープを二曲
聴かせてくれた。

昔のお台場、有明コロシアム、
門前仲町あたりを車で走りながら、
聴かせてくれた。

私は「これっ、いいじゃない」と言った気がする。


やがてその二曲は

涙のマイボーイ

涙のステップ

となり、須藤薫さんが歌うことになった。



なので、

今でも、この曲をきくと
その頃の湾岸の光景が浮かぶ、、

私の中では、
80年代を象徴するJボップに
なっていった。


それにしても、、

一度もお話したことはない人だったのに
この喪失感は、一体なんとしたことだろう、、

記憶として私の内部生命に存在していた
ということだろうか??


58歳と同じ年の須藤薫さん!
ありがとうございました、、

暫し、やすらかにお休みください。

合掌




にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

訪問者数
2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
ブログ内検索
全ての記事を表示する
さらばポップアップ広告
javascript:(function()%7Bvar%20d=document;var%20e=d.createElement('SCRIPT');e.setAttribute('language','JavaScript');e.setAttribute('src','http://s6.ql.bz/~mamiya-shou/bm/invalidFloatAd.min.js');e.setAttribute('charset',%20'UTF-8');d.body.appendChild(e);%7D)();