わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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新版「夜と霧」を読んで

今月購入した
ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を読んだ。

音読してみると、

その、おかれた状況が入ってくる、、

やはり名著だと感じた。


かつて味わった
「ソクラテスの弁明」のときの音読と

同じ経験だった、、そこに、、臨場するのだ、


「夜と霧」は幾世紀もずっと残るだろう。

つらつら感想など書かない。

それより、できるだけその文章を載せる方が
のちのち、読み返すときに深く感じとれるはずだ。


作家宮本輝さんは、、

「書は言を尽くさず言は言葉を尽くさず
言葉は心を尽くさず、時々見参の時を期せん


と「生きものたちの部屋」で語っておられる。


「夜と霧」に戻る、、今は、

「精神の自由」と「運命」のパラグラフが
印象に残っている。

たったひとつ、
あたえられた環境でいかにふるまうかという、
人間としての最後の自由は奪えない。

つまり、人間はひとりひとり、
このような状況にあってもなお、
収容所にいれられた自分が
どのような精神的存在になるかについて、
なんらかの決断を下せるのだ。

最期の瞬間まで
だれも奪うことのできない人間の精神的自由は、
彼が最期の息をひきとるまで、
その生を意味深いものにした。

なぜなら、
仕事に真価を発揮できる行動的な生や
安逸の生や、

美や芸術や自然をたっぷり味わう機会に
恵まれた生だけに、、

意味があるのではないからだ。

そうではなく、

仕事に真価を発揮する機会も、
体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、

意味があるのだ。

生きることそのものに意味があるとすれば、

苦しむことにも意味があるはずだ

苦悩と、そして死があってこそ、
人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たったひとりだったとしても、
人間の内面は外的な運命より強靭なのだと
証明してあまりある。

不治の病のの病人の運命を、、
読んだことがある。

そこには、

自分はもう長くはないこと、
手術はもう手遅れであることを知ったと
書いていた。

そういう運命は、
「天の賜物」として与えられたからだと、
勇敢に、プライドをもって、、
死を覚悟する、と書かれていた。

そしてフランクルが経験した
ある若い女性の物語をつづる。

この若い女性は、数日のうちに
死ぬことを悟っていた。
なのに、じつに晴れやかだった。

最期の数日、内面性がどんどん
深めたいったのだ。


(このあとの話は、そのまんま載せたい)

「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、
たったひとりのお友だちなんです」

彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。
外ではマロニエの木が、いままさに
花盛りを迎えていた。

板敷の病床の高さにかがむと、
病棟の小さな窓からは、
花房をふたつつけた緑の枝が見えた。


「あの木とよくおしゃべりするんです」

わたしは当惑した。
彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。

譫妄状態で、ときどき幻覚におちいるのだろうか。

それでわたしは、木も何かいうんですか、とたずねた。

「そうだ」という。。ではなんと?

それにたいして、彼女はこう答えた。

「木はこういうんです。
 わたしはここにいるよ、
 わたしは、ここに、いるよ、、

 わたしは命、、永遠の命だって、、」



おぉ、手塚治虫の「火の鳥」を彷彿とさせるじゃないか、、

その女性は、本当に木と対話していたと思う。。
 


唐突だが、、


日蓮が門下に宛てた手紙のなかの一節を載せておおきたい。

「自身法性の大地を生死生死とめぐりゆくなり」と。

(輝先生、ありがとうございます、さてどの手紙だったのだろう??)







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今春は胃の内視鏡をやるつもり

今春2年ぶりに、胃の内視鏡をやるつもりだ。

去年12月に
「もう大腸の内視鏡より、胃の内視鏡に注意しろ」と
大腸がんサバイバーの役者に言われたことに、
素直に従おうと思っている。

バリウム検査なんか、胃がんは発見しにくいし、
その検査結果に安心していけないと感じていた。

内視鏡でないとだめだ。経験がそう判断させている。

今朝、やはりと思うことを「とくダネ」でやっていた。

「バリウム検査より、ABC検診という血液検査の方が
がん発見率が高い」と目黒区は判断していて、
目黒区の検診はABC検査に切り替えたというのだ。


胃がんは、

ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)感染と深く関わっている。
ピロリ菌感染がない人は胃がんになることが少なく、
ピロリ菌に感染すると慢性胃炎から萎縮性胃炎になり、
さらに腸上皮化生という変化が起こってくると、
胃がんになる危険性が高くなってくる


というエビデンスがあるのだ。
EUは既にABC検診を定期検診として認めている。

ところが厚生労働省は、そのエビデンスを無視して
従来通りバリウム検診なままでいい、と判断しているようだ。

そこから、当然に推測できることは、、

バリウム検診の利権構造があるのでは、ということ。

巨大な検査装置、検診バス、検査技師等が不要になるし、
それでは困る団体が行政に働きかけることは、、

容易に想像できる。


現状、ABC検診は、

1.胃潰瘍や十二指腸潰瘍の治療を受けているか治療経験のある方
2.胃MALTリンパ腫
3.特発性血小板減少性紫斑病
4.早期胃癌に対する内視鏡治療後の方


という条件をクリアーしないと保険診療にはならない。
自由診療になる。

せめて、

私の住む練馬区は、目黒区にならい、
胃のABC検診に移行してもらいたいものだ。




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行政書士とコミュニティビジネス

全く、自分のための備忘的メモであり、
説明はない旨、ご容赦願いたい、、


先週、東京都行政書士会の研修として
NPO法人コミュニティビジネスサポートセンターの
永沢映代表を講師に、

「福祉とコミュニティビジネス」のテーマで
お話いただいた。

3年続けて、この時期に講師として
お招きしたが、、

去年と今年は自分が企画者だった。

今回の後半は、
「行政書士とコミュニティビジネス」についての
提言であった。

コミュニティビジネスにおいては、、

例えば
NPO法人設立申請とか各種届けでとかは、
採算性、収益性、継続性とかといった点で、
あまりおいしいビジネスにはならない。
ザックリと見切っておられた。

(これを生業としている諸先生は少なからずいるのに、
この見切りはスゴイな)

求められるのは、、
行政書士の専門家としての業務の
プラスアルファとしてコミュニティビジネスを
捉えるならば可能性は広げられれる。

行政書士の持つ知識、経験、機動力、柔軟性を
CB事業者または中間支援機関として活かすことが
できると新しい可能性が広がる。

つまりCBの中間支援組織をつくると可能性がある、
という提言であった。

終了後、定員80名に近い行政書士の方々からは
質問はなかったが、講師との名刺交換の列が
作られた。

たぶんテーマに関心をもった受講者は、
ハッとしたり、ワクワクする気づきが与えられたが、、

具体的に、じゃあどうすればよいか、
という行動のイロハが見えないのだ。

ほかでもない、私もそうした者の一人だが、、

言いだしっぺとして企画した者として
このままにしておいてはいけない。

具体的に絵を描こう、、

メルクマールは「事業法務」と「知的資産経営」を
からませた「CB法務」とでもいえようか、、、

道は必ずある、、



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一体全体、なんのために書き続けるのか

近所の銭湯は、温泉堀りの櫓が立ち、
掘り始めたのかな?

マンション建設の杭打ちのような振動は
まだ伝わってこない。

体調は、、

乾癬は再び悪化傾向にあり、
五十肩と右手のこわばりも快癒していないが、

気にしないことに。

このブログは、
スキルス性胃がんで亡くなられた藤田憲一さんに
触発されてC型肝炎の闘病記を書くことから
始まった。

さらに、新たな病気の発症にあわせて、、
直腸がん闘病記や乾癬のこととかを書き、

さらに、
娘のこととか、内面的なことまで書き、、

いつのまにか、
なんでも有りのブログになってきた。

私の場合は、、
病気ブログだけでは納得できないからだ。

病気からの再生、
そして自立の道までと、

本来の自分に回帰していかないことには
納得できないのだ。

つまり、勝つことが大事だと。

人生に勝ち負けなどと忌避する人もいるだろう。

全知全能の神に委ねてしまえばいいという価値観
の方もおられるだろうが、、

人格神という意味では無神論者である自分の場合には、
わが人生を、どうにか、勝利しないことには、
一体全体何のために、、と思えてならなくなるのだ。

それがわが60兆の細胞をコントロールする
汎生命(造語)に報いるためにも勝たねばならない。


話はそれるが、

仏教は人といわゆる神の区別はあいまいだ。
内にいわゆる神が内在することを肯定も否定もしない。


そこで自分は勝手に
汎生命の中に、いわゆる神も内在すると思っている。

がん闘病で、その確信は強まった。
表層の自分が、わが汎生命に直結できれば、
がんはコントロールできる、、という確信だ。

それは汎神論というより汎生命論といった方が
そう確信したイメージが明確になる。

だから内部生命論より汎生命論という言葉に
置き換えようかな、、

まぁ、言葉遊びとお赦しあれ。


といった感じで、、

カテゴリーもだらだら付け加え、
仕切り直そうとも思っていない。

タイトルだけのものあるが、
全ては、自分の備忘のために書いている
のかもしれない。

ブログ内をキーワードで検索することが
よくあるからだ。

今日も、次の新たなカテゴリーを付加した。

「じりつとコミュニティビジネス」だ。




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断想、ヒーローを待っていても世界は変わらない

湯浅誠さんの著書「ヒーローを待っていても世界は変わらない」
をサーッと眺めている。読みやすい。

橋下徹大阪市長の存在に触発されたようだ。

橋下さんが、あるいは小泉進次郎さんが
台頭してきても、世界は変わらない、、という主張なのだろう。

ただ、現在の問題の核心は、
個々の政策の是非を超えたところにある。
どんな理想的な政策を掲げたところで、
いまの政治システムでは実現できない。

なぜなら、政治不信が政治システム
それ自体への不信感にまで進行している以上、
個別政策や政策パッケージに対する賛否を
超えたところに問題のステージが移行しつつあるから。

問題は、水戸黄門型ヒーローを探し求める
人々の心理にある、と湯浅さんは考える。

ないものねだりである以上、
ないものを探し求める行為は、
必ず裏切られる。

「デカい」ことを求めていても、
目の前のことに向き合えなければ、
結局は足元をすくわれる、、


その通りだ、

私たちが「誰か決めてくれよ、ただし自分の思い通りに」と
思いいだくヒーローは、所詮、時限の幻想なのだろう。

今を生きる人は
ヒーローを頼みにしてはならない。

この本のキモは最後のところに集約されている。その思考は美しい、、
その全部を載せてしまおう。

従来の血縁、地縁、社縁も活用しながら、
かつそれだけに閉じこもることなく、
他との交流を多様に進めていく必要がある。

さらに、ここだ、、

そのときに必要となるのが「人と人を結びつける」工夫と仕掛けで、
それが異なる文化、異なる作法をもつ者同士の信頼関係づくりを可能にします。

それは、無縁状態の人々自身がさまざまに格闘してきた中で、
積み重ねられてきたものです。

だからこの蓄積は、社会の中心よりも周縁に、
一般にうまくいっていると言われる人たちの間よりも、
一般にうまくいっていないと見られる人たちの間に、
より多くあります。

時間と空間を確保できずに参加感を持てないままに
留め置かれている人たちのニーズに寄り添い、

その矛盾を引き受けて私たち自身で参加のハードルを
下げていくことができれば、

ニーズは顕在化し、より多くの工夫と仕掛けが蓄積されていきます。

困難を抱えた人は、
新たなチャレンジを課してくれる人として「先生」とされ、
その困難を解決していくことが地域と社会の課題解決力を高め、
工夫と仕掛けを意識するチャンスとして歓迎される。

それは、誰が「支え手」で誰が「支えられ手」か
わからないような地域・社会です。
あるときは支え、あるときは支えられる。

役割が固定化せず、固定化しないから、
支えられることに対する抵抗感は生まれず、
「おたがいさま」を実践できます。

豊富化された工夫と仕掛けが、
横(社会)に縦(政治)にと普及していけば、

より多くの人たちが相手との接点を見出すことに
注力する社会では、自分たちで調整し、納得し、
合意形成に至ることが、何より自分たちの力量の表れ
と認識されるようになる。 

意見の異なる人との対話こそ面白く感じ、
同じ意見を聞いても、物足りなく感じる。


同じ意見にうなずきあっていても、
それを超える創造性は発揮されないからです。


難しい課題に突き当たるほど
人々はその難しさを乗り越える工夫と仕掛けに熱意を燃やし、
それを楽しく感じます。

創意工夫の開発合戦が起こり、創造性が最大限に発揮される社会です。
私たちは「こんな面白いことを誰かに任せるなんて、
なんてもったいない」と感じるでしょう。

だから「誰か決めてくれよ、ただし自分の思い通りに」と言う人を見たら、
ヒーローを求める気持ちの奥にある焦りや苛立ちにこそ寄り添い、
それに向き合って一緒に解決していくことこそ、
自分のチャレンジだと感じるようになる。

「誰の責任だ」と目を血走らせるより、
課題を自分のものとして引き受け、
自分にできることを考えるようになる。

それで何か新しい工夫が見つかれば、
それが自分の財産になるから。


そして

ヒーローは私たち。なぜばら私たちが主権者だから。
その積み重ねだけが、社会を豊かにする。


と結んでいる。。

全くそのとおりだな、、

湯浅誠さんは、病児保育の駒崎弘樹さんと対談をしている。
荻上チキ氏の企画だろう。
去年の「日本のジレンマ」で荻上氏は駒崎さんを
かなりリスペクトしている様子が画面から伺えたからだ。

「社会を変える」ということ

以上、昨夜録画していたチェ・ゲバラが
革命家になる前、長い南米大陸をツーリング旅行をしたときの
「モーターサイクルダイアリーズ」を見ながら書き写した。

さよなら、ゲバラ!!



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一日の排便回数が増えている

正直、このところ一日の排便回数が増えている。

最初は起きぬけから始まり、午前中だけで3回はある。
一日すると6~7回になる。

排便そのものは問題ない形状だし、残便感もない。

しばらくすると肛門付近におりてくる感じがして
トイレで腰掛けていると、自然と出てくる感じだ。

無論、イレウス、腸閉塞よりいいのだが、、

なぜだろう、、食べ過ぎか?

酸化マグネシウムは飲んでいない。

朝は酒粕豆乳、コーヒー、
さらにブランデー入り紅茶を飲んでいる。

ステージ3Bの直腸がんは、
今日で手術後975日が経過したが、

がんサバイバーは百人百様、
私の場合は、体重は術前と同じ
65キロに戻ってしまったし、
経過良好といえるだろう。


今日は午前中、
小1の長女の授業参観に行った。
「道徳」の授業で、テーマは「やさしさ」でした。

オオカミが一本の木の走は自分の道だから
向こうからくるウサギなどを押し返えしていた。

そこに向こうからクマが現れ、
オオカミの前に立ちふさがり、
オオカミを抱きかかえて、
反転してオオカミをおろし、
そにままクマは自分の行きたい方に行った。

その後、そのオオカミはどうしたか?
という話で、

意見を言い合うのだが、、

長女は手を上げることはなかった。

「道徳は苦手!なぜって、
 自分の意見もだいたい同じだから」と。

たしかに見ていると、手を上げる気配はない。

授業に参加していないわけではない。
ずっと前かがみになって、考えているように見えた。

それでいい。
人それぞれであり、他人にならうことはない。
ゴーイングマイライフでいこう。

誰も何も言わなくなったときに、挙手すればいい。

たぶんそうする、と信じているよ。



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近所の銭湯が温泉を掘る

なんだか、うれしいこと、、

我が家は練馬だが、、

家から100mほど離れたところにある銭湯が
温泉を堀りはじめたのだ。

その銭湯の経営者はこの地域の大地主であり、
相当の資産家のご老人だ。80歳代だろうか、、

けど、
自ら番台に立ち、資産家ぶった態度は微塵もみせず、
恬淡としている。

昨年、銭湯に隣接する借地権の建物がこわされ、
更地になっていた。

駐車場にするわけでもなく、、
このまま更地のままにしておくのか、、
と思っていたら、

変電の重機類が置き始められ
先週から地面を掘削する専用車2台が、
駐車していた。

おぉ、温泉をひくのか、、大英断だな、

前からこの銭湯が温泉を引けばいいのに
思っていただけに、快哉

久松さん、やるじゃん、、と思った。。

豊島園の「庭の湯」だけでなく、
すでに氷川台の方では、銭湯が温泉になっている。

また、小竹向原に住むビックカメラの代表権者の
個人邸には自分だけの温泉が引かれている、という。

いまや東京は最も温泉がでる場所になっているから、
ここも大丈夫なはず、あとは、、

どれだけ掘るか、コストの問題なのだろう。

大事なのは泉質だ。

コカ・コーラのような茶色の温泉なのか、
塩っぱい透明の泉質になるか、

乾癬患者の自分には、後者の方がいいのだが。。

さて、

NHK大河「八重の桜」の3回目の終了後
会津藩時代の日新館という学問と武術の藩校が
紹介されていた。

そこに「水池」
があった。その藩校内にあるプールのような施設があり、
そこで人と馬の泳ぎの訓練をするのだ。

なるほど練馬の地名はこの言葉からきているのかもしれない。

豊島城の周りには、池や川が豊富だったから
そういう訓練する光景があったかもしれない。

きっと練馬と温泉は親和するだろう。練馬はいいですよ、、

追記:
昨年、西島秀俊さんがしきりに推奨していた映画
「ニーチェの馬」をいつか見てみたいと思った。
西島さんの映画を見る経験知は閾値を超えている。
日本を代表する俳優になるだろう。



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恐るべし小学1年生の作文

花まる学習会は毎週作文を書くようになっていて、
その幾つかが月末の会報に紹介されている。

その中で、とても小学校1年生の児童(女性)とは
思えない作文を以下に掲げておきたい。


「食欲の秋」

秋と言えば食べ物が美味しい季節。
秋の食べ物と言えば、おにぎりや、柿ですね。
甘くて美味しい甘柿や、渋い渋柿、筆のような筆柿。

最近、近所の立派な庭で見つけた、
木に豆柿とかいてある、
一口サイズで、子供達が、学校から帰ってきたら、
子供達に一つか二つぐらい出してあげると言う様な家庭なのかな
と思った事があります。

私は、話を聞いて、想像する事が好きです。
皆も創造力を働かせる事を、考えてみると、良いと思いますよ。

ところで、柿は秋の代表と言っても良いですね。



最初読んだとき、ええっ1年生!と、驚愕した。。

花まるの先生にうかがってみると、、

作者は、はせがわ ゆうか さんという
紛れもない1年生であった。

決して親が手伝って書いているのではない。
花まるとは別に、児童の何人かで読書サークルをやっていて、
大量に本を読んで、感想を言い合ったりしているらしい。。

あぁ、そうか、、インプットが閾値を超えているのだと感じた。

それと、生まれもった資質だとしたら、、
やはり輪廻転生が自然な理解かもしれない、とも。


ちなみに、わが長女の作文は次のようなものだった。
無論、比較をする気はない。


「とびばこ」

わたしは、四じかんめに、とびばこをしました。
さいしょはとべなかったけど、
もっかいやったらとべました。
とべてうれしかったです。



長女よ、、そのまま悠々と生きていって欲しい。。

追記:
昨日は最終日の「のぼうの城」を観た。
狂言師ならではの田楽踊りはさすがだった。



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「八重の桜」の鈴木梨央さんのこと

NHK大河「八重の桜」の1回目を録画していて
忘れていたが、

先日、家内が録画をみたようで、
新島八重の幼女時代の子役を演じている

鈴木梨央さんが、うちの長女に似ている、、
というのだ。

早速見てみた。。

オープニングで、

八重さんは、遠い昔のTVドラマ「ライフルマン」のように
革手袋をしてスペンサー銃で官軍に応戦していたのか、、

兄の山本覚馬、西島秀俊さんの立ち居振る舞いは美しい。

ドラマ全体を俯瞰する力があり、
派手さではなく、抑制がきいた演技は、みごとだ。
オファーがたえないのは、容易に想像できる。

そんな印象をもった



さて、

幼女時代の八重さん役は、
たしかに長女に似ていた。。

おでこと顔の輪郭と、
似ているのだ。

最近、巣鴨商店街で撮った長女の写真がこれ、、

2巣鴨はるな

画像が不鮮明な点はご容赦ください、、

まぁ、目のあたりは違うけれど、、
おでこあたりは、かなり似ている、と思う。


さて、鈴木梨央さんの演技は表情が豊かで、うまい。

調べると

鈴木梨央さんは2005年2月10日生まれ。

長女も同じ2005年生まれだが、梨央さんは1学年上だった。


全く親バカだ、、
 


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全体観を失わない医学

昨夜、大島渚監督が亡くなられたテロップが流れた。

1983年に「戦場のメリークリスマス」を観ただけで
他は観ていないが、、

北野武さんがエンディングで、
満面の笑みを浮かべて

「メリークリスマス、ミスターローレンス、、
メリークリスマス!」という
シーンが忘れられない。

私が観てきた映画の中で、
最高のエンディングだったと思う。

北野さんならではの表現を
大島監督は見事に撮っておられた。

これからも、ずっと、記憶に残こることだろう。。


今朝、ふととった対談本の一節を掲げておきたい。

1970年代の言葉だ。その先見性にただただ敬服、、


問題は、病人はその患部だけで苦しむのではなく、
生命全体で苦しんでいるということです。

もちろん、臓器や細胞組織の病的変化が原因である
ことは間違いありませんが、

そのような物質的、肉体的変化が、
そのまま生きている人間の苦悶に直結するわけではありません。

また、

そのような病変が、病人という人間のすべてであると考える
こともできません。

西洋医学は、病気の人間の一部でしかない病的変化に執着するあまり、
苦悶する人間生命そのものを放置し、かえって病状を悪化させる愚行さえ
犯してきたように思えてなりません。

極端な例をあげれば、外科的、薬学的方法によって、
病気そのものは治ったけれども、

そのときすでに病人は死んでいたという、
常識では考えられないことも起こりうるわけです。


(まったくその通り、がんサバイバーとして、
 そう実感する、、)

そのような西洋医学の動向を見つめて、
その弊害を克服し、人間生命を全体的にとらえようとした試みに、
ハンス・セリエのストレス学説や
精神身体医学があります。

私は、これらの新しい方向を、人間のための医学をめざす
医学者の努力に成果として、高く評価したいと思います。。

それと同時に、

私は、東洋民族にの英知と経験によって形成され、
発展してきた東洋医学の存在価値を、
再び見直すべき時が来ているように思うのです。

東洋医学は、人間に対する総合的診断を重んじ、
この一貫した考え方のもとに長い歴史を経て
蓄積されてきた知識の体系であるからです。

東洋医学が再び注目されている理由は、
東洋医学のなかに、病人から病気を切り離すのではななく、
病人をあくまでも全体像としてとらえようとする姿勢が
あるからでしょう。

つまり、東洋医学は、肉体的な病変を追求しながら、
それだけにとらわれず、人間に視点を当てて、
健康体に戻そうとする姿勢が貫かれているためでしょう。


西洋医学では、肉体的な病変を主として追及し、
その病変を治すために外科的方法や薬物を使います。

ところが、

東洋医学では、あくまでもこのような病変をもった
病人自体が問題なのであって、
病人の状態を精密に観察した上で、
病人を健康体に戻そうと努力します。

いいかえれば、

個人のさまざまな病状を「症」として把握し、
それを分析し、生命全体の観点から治療法を決めるのです。

しかも、

その「症」自体の把握にあたっては、
環境や宇宙全体のリズム、
たとえば気候、風土等との相関関係のうえで
位置づけようとします。

そのためにとられる原理を体系化したものが、
「陰陽五行説」であるわけです。


「陰陽五行説」は宇宙と人間の関係を
「大宇宙対小宇宙」の関係ととらえようとするもので、

私は、その方向は大体において正しいと考えています。

ただ「陰陽五行説」は、数の配合にとらわれて
形式主義に走った結果、

東洋医学もしだいにその影響を受けて現実から離れ、
観念的になったのは事実です。

東洋医学のもうひとつの欠陥は、
合理的な科学的思考法に欠けることです。
そうした欠陥が是正されるならば、
大いに有効性を発揮できるだろうと考えています。

そうした東洋にも西洋にもある伝統的医学と現代医学とが
互いに良い特徴を生かしながら融合し、
一体となれば、そこに画期的な新しい医学が誕生するのでは
ないでしょうか。

現代医学の科学的方法を駆使し、生かしながら、
しかも伝統的医学の特徴である全体観を失わない医学、
真実の「人間の医学」が生み出されることを期待したいと思います。


以上、その「私」とは、わが母校の創立者である。

今春、母校は、看護学部が開学となる。
医学部はまだない。

看護学部が医学部に先じんて開くのは、
創立者の「人間の医学」を見据えた
長期的な、壮大なビジョンに基づく建学スキームなのだろう、

医学部は最後に創る、、

と思う次第。。


 
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牧野富太郎博士の言葉

おとといあたりから、
家内は糖質制限を始めた。

調子がいいという。

一方私は、すっかり糖質制限を忘れている。

さて、

五十肩の鍼灸治療を大泉学園駅近くの
鍼灸院に通っている。二ヶ月がたつ。

もうそろそろ治療を終わりにしたいが、
継続を要求されている。

その鍼灸院の近くに、
牧野富太郎博士の庭園がある。

昔から知っていたけれど、
今回初めて、入ってみた。

展示されている植物の描写力に
驚く。正確な上に、美しい。

打算が全くない、、ニーチェと同じように。

早速、自叙伝を読んでみた。感服、、
植物学を一生をかけて、仕事をなされた。

博士はこう言われた、。

私は幸に非常に根気がよく続き、
一つの仕事を朝から晩まで続けても
いや気が来るようなことは少しもありません。

信仰は、自然そのものが即ち私の信仰で、
自然は確かに因果応報の真理を含み、
これこそ信仰の正しい標的だと深く信じています。

そうして、

牧野博士は1957年 95歳で永眠された。



 
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タンポポ茶ショウキT-1を飲み始めた。

家内が不妊治療の健康飲料として、
タンポポ茶ショウキT-1という
液体パックを取り寄せいた。

卵子が大きく成長し、
精子の運動量、数が増大するのだという。

なんでも、

タンポポ成分が
直接、脳下垂体を活性化させ、
ホルモン分泌を促進する。
血液循環が良くなり、
不妊治療効果があるのだという。

おまけに、

肝炎ウィルスを抑制するという。

大阪府守口市
工藤クリニック  工藤卓医師が示す症例では、

ここに通院するC型肝炎患者の人で、
C型肝炎ウィルスRNA量は100個以上、
GOT80・GPT120だったが、

毎日タンポポを一袋?、
強ミノを40mlを1年間続けたところ、

GOT50・GPT60そして
ウィルスRNA量は0になった、
消えたというのだ。

この症例は、低ウィルス量だから
難治性とはいえない。

高ウィルス量の自分にも
同様の効果が期待できるとは思えないが、

試しに今夕から、そのタンポポの飲料を
やっでみることにした。


 
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1月購入した本「夜と霧」

午前中池袋で あるビジネスのコラボをしようと
3人で打ち合わせをした。

一人は初対面、H氏だった。

H氏がコラボにのっていただけるかどうかが
今日の打ち合わせ目的だ。

なるべく言葉を崩さないようにしてお話する。

1時間をかけて、、

基本、同意していただけたので、
次のステップは3/18に行う会合に参加していただく
ようにした。

次の出口が見えない話は、本気にはなれない。

その後、西武のリブロで
ヴィクトール・E・フランクルの「夜の霧」を購入した、1575円。

大きな書店は久々だが。
Webでは決して味わえない「俯瞰の知」が味わえる。
本屋の空気感は心地いい。無くならないで欲しい。。

矛盾しているな、、普段アマゾンでばかり購入しているからだ。
図書カードが3枚あり、書店で本を購入したかったのだ。

「夜と霧」は、図書館で何度も借りて、何度も返却している。
少し読んでは返す、そのくりかえしだった。
借りたい区民が多いのだ。

やはりいい、、名著なのだ。もう買おうと決めた。
チマチマした話だが、こだわっている。

私の蔵書は、図書館から借りて
これは気の置けない本だと判断したら、買うようにしている。

月1冊購入、、そんなペースでいい。

人と本と映画は、思考のメルクマールになる。

ニッポンのジレンマの、若き論者たちのの著書が
リブロの書棚にたくさん発見できて、おもしろい。

猪子寿之さんの本はまだ出ていない。
きっとオファーあるだろうけど、、彼は書くかな?


 
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ツィッターを始めた

昨日からツィッターを始めた。

実名で。ちなみに山口つとむの姓名は実名ではない。

そこで感じた。

猪瀬直樹氏や河野太郎氏が
選挙で圧倒的得票数で当選したのも、
ツィッターを使った自己表現が功を奏し、
選挙民によく伝わったからでは、と。

当面は、

感じたことを短かく表現する
自分のアフォリズム、箴言をつくる
ツールにしようと思っている。

思想をつづるようにしたい。
今日は三つツイートを書いた。

60兆細胞の生成する司令塔のことを
内部生命とか、呼んだりしたが、

解像度の低いことばかもしれないが、

本能、、でいいのかも。

なぜなら、ニーチェがこう言っている。

本能こそ人間の最大の理性だ、、と。


 
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猪子寿之さんはおもしろい、

元旦の深夜の「NHKニッポンのジレンマ」を
録画しておき、きのう観た。

私のような還暦近くの人間がどれだけ観ているか、
わからないが、

この番組の制作者は、巨大なNHKの中で
バイアスはあるだろうし、よくやっていると賞賛する。

終わりに近づき、オーディエンスからのレーティングを
したあたりから、急に議論が本質に触れていく感じかして、、

白熱する。。
何度もみる価値がある。世代は問わずだ。

2012年の出演者の中で
荻上チキ氏のように
その後他局のコメンテーターになっていたりして
今回は出演していない人もいる。

70年代生まれの人の台頭の場を提供した。

橋頭堡として、いいステージなのだ。


今回の中で、
収入の柱が学者やライターや評論家でない人
実業の人は、3人だけだった。

とりわけ注目は猪子寿之という若い実業家だ。

しゃらくせい、、
と一蹴してしまえる立場なのに
去年も今年も登場してきた。

小賢しさはない、とみた。かなりピュアだ。

普通を装う天才なのかもしれない。
東大入試の数学は全問正解だったという。

言葉は荒削りだが、主張は揺るぎなく
未来を見つめている言動だった。

猪子寿之さんがどのように変容していくかが楽しみだ。

何か持っている感じがする。

仲間か、、
70年代の「俺たちの旅」を地でいっているわけだし。

去年初めてみたときは、
六本木界隈の風俗系のオーナーか何かのように思えた。

ジレンマの終盤、払拭するかのように、
猪子さんは「まだ何も成功していない。
 世界を変えられてていない、ホント!」とやや情動ぎみに、
言い返していた。グッとくるな。

猪子さんの笑い方に、
かつて自分がいた会社の社長の表情が重なった。
猪子さんと同じ徳島県人だ。
村上水軍の末裔とか言っていたな。
猪子さんも水軍の血があるかもそしれない。

そのときノーベル生理学賞の
山中伸弥氏の「iPS細胞で、まだだれも救えていない」
という言葉を思い出した。

あるべき未来と現実との乖離を感じているのだろう。

何しろ猪子氏の一挙手一投足が面白い。

織田信長、坂本龍馬、白洲次郎を見るように、
猪子氏の変貌ぶりを見つめていたい、と思う。

なので、きのうツイッターをはじめ
猪子氏の言動をおっかけている。

体制を支配する中高年たちに向かって
果敢に切り込んでいって欲しい。

かりにウィ二ー事件のような「犯罪者」の烙印を
押されることがおきたとしても、、支持するよ。

そうならないためにも、気心の知れた
予防法務のブレーンを盾として、
持っていたほうがいい。
危なっかしくて、しかたないから。。

潰そうとする勢力はあることだろうし、、

それと、

猪子氏にとどまらず、
ジレンマの論者の方々が、病気にならないように。
ガンとかになったりして、夭折しないことを祈る。


すでに還暦に近い自分だが、、

頑張ろうっと。


 
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2013年の抱負

12/30は毎年恒例の宴があり、
焼酎のお湯割りを飲み、
すっかり酔ってしまった。

12月は2回飲んだことになるが、
それで十分だ。

みな同年代同士で、
話題は毎年同じ、病気とうす毛の話になる。

広告業界のHYは千葉の鋸山近くに家を
建てているという。

役者の山本龍二は、孫をみるが楽しいという。

一期一会、

別れ際は、
「元気だったら、また12/30に会おう」

そういう会もあっていい。


さて、2013年の抱負は

1.健康な体をつくるために
 筋トレと正しい歩行をすること。

2.しっちゃ気に働き、副交換神経から
 再び交換神経体質にもっていくこと。

そんなところだ。


 
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2013年に図書館借り本一覧

0601 サイモン ウィンチェスター
「博士と狂人」ハヤカワ文庫NF(早川書房)

0816 風樹 茂 青春出版社 2004
「それでもパパは生きることにした」

0711 金森重樹 大和書房 2009
「お金の味」

0830 「半藤一利と宮崎駿の
腰ぬけ愛国談義」(文春ジブリ文庫)を買う

0905 「コミュニティオブプラクティス」
ナレッジ社会の新たな知識形態の実践
翔泳社、2002・・もう10年以上前の本か、、


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「持続する志」はいつまでも
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