わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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七五三と瞬算法則(造語)

11月13日(火)の夜に、
長女の七五三の写真を撮った。

753

ここまで7年、あっという間だった感じがする。

先日、母校100周年で卒業以来の同期の男が
「自分は子育てを全くやってこなかったので、
 悔やまれる」と言っていたが、
私は、どっぷり長女とつきあっている。

花まる学習会には、宿題として
「サボテン」という算数問題集がある。

今月は引き算を1回20問を
何分でできるたかを毎日書き込んでいく。

月初めの1回目は、3分かかったが、
きのう最終回分は45秒だった。

おおー、進歩だね、、と歓び合う。
(親バカです)

解答時間の短縮されたは原因の一つは
瞬足算数法則を伝授したことだ。

例えば、
11-2=9になるが、
考え方は、10-2=8そして8+1=9と
教えられている。

計算に意外と時間がかかり、もどかしい。


そこで、、

そこを一の位に着目して
1-2=-1は、瞬算法則①として
自動的に9になると教えたのだ。

同じように-2、-3は8、7になるよ
と教えた。

それ以上は、
本来の計算の方が速いだろから
法則にはしない。

速答できることを重視しただけ。

長女は、だんだん飲み込めてきて
次第に計算が速くなりだした。

頭の中で自動的に処理する感じだ。

賛否はあるだろうが、
今は速く計算できることに快感があるようで、

それでいい、、

勉強の快感は大事だからだ。


 
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栗山英樹監督のキーワード

日ハムの栗山英樹監督は不思議な人だ。
日本の野球界で、今までにない不思議な
名監督になると思う。

何が不思議か?

言葉の力を、心底、信じている
心根が見えてくるからだ。

テレビカメラはきっちりと、
その表情をとらえている。

監督の涙目と同様に、、

テレビに映る人たちの中で、
そんな人、そうそうはいない。

花巻東の大谷投手と真剣に対話されて、
やるべきスキームを示し、本人も球団も、
WinWinになる提案をされたのだな、と
想像できた。

自分は、全く野球に関心はないが、

栗山監督の会談直後の言動で、
伝わってくる、、わかるのだ。

魂を言葉に込めて話された
人の表情をしていた。

くりかえすが、

テレビの映像で、
そうそう見れるものではない
人の顔と声だ。。

日ハムのコーチ陣は、みな退任するらしい。
けれど、選手たちは動揺していない、と思う。

栗山監督は、ただ、選手たちを信じると公言する。

監督のキーワードは、信じる、だ。

実際、信じると言葉に出すことは勇気がいる。
愛してると云うこと以上に、勇気がいる。

その、信じるという言葉を何度も口にする
栗山監督の心の機微に、気づかされるものが
多い。

自分も、信じるという言葉を発出すべきだと。


勝手な予測だが、

日ハムの投手のコーチには、、
野茂英雄氏がなるのではないか、と
感じている。

11/29記、投手コーチは
野茂英雄さんではなく
ロッテの投手だった黒木知宏さんに決まったようだ。
熱血、正義感の持ち主のようで、
いいんじゃない、と感じた。。
もともと門外漢なので、くわしいことはわからないが、、


 
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内部生命の直感力

11/25(日)のフジテレビのドキュメンタリーで
あらためて飯島夏樹氏の最期を観た。

もう7年たっていたのか、、

4人のお子さんは、すっかり大きくなられていた。

2006年2月に肝臓がんで、飯島さんは亡くなられた。

肝臓がんは 約20%がB型肝炎ウイルスで、
約70%がC型肝炎ウイルスが原因といわれる。

C肝の自分としては、
そこまで進行が速い場合もあるのかという
思いで、呆然と見ていた記憶がある。

それにしても、

2005年末に、抗がん剤治療を止めて
ハワイに移住する選択は、
みごとだな、と感動した。正解だった、、

飯島家のキーワードは天国の存在なのだろう。
全員が天国でまた会えると信じておられる。

それが天国という場なのかどうか、、は兎も角、、
いずれ全員が邂逅される。

そうなるように祈った。。

飯島さんは「自分は生かされている」と言っておられた。

この感慨に共感する。
2010年の直腸がんの自分も、そうだったからだ。

ただ、人格的な神が生かせてくれているとは思えなかった。
対極の悪魔という人格が死ねと言ってこないのと同じだ。

人格神はいない、、その意味で無神論者だ、私は。

もっと自分の内在する生命力の根っこにあるものが、
生きることを促すのだ。

まだまだだと、、

身体論の内田樹さんは言う。

アラーム音を聞くのです。
アラームとは、命が高まるか下がるかを示す針です。
言葉にならない身体実感です。

自分の身体が完全に自然と調和している
という体感です。

アラームは誰もが持っていて、
ただ思い出せばよいのです。

それは
身体全部が世界と調和し、
最もバランスがよく、
生物として
「なんて気持ちがいいのだろう」と感じた瞬間
だという。。


重篤な病で、
病床に臥せっているときでさえ、

表層意識を沈めて、深く想い起せば、

その瞬間はやってくる、、と信じている。


 
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母校100周年記念の宴

勤労感謝の日に、西新宿のホテルで行なわれた
都立桃耳高校の100周年記念の宴に行った。

衆院選が間近い、先輩の海江田万里さんも来て、
あいさつをしていた。

集った中の卒業生最高齢者は84歳の女性で、
ステージに上がられると大きな拍手が湧き上がった。

自分が出た昭和48年卒のテーブルが
ステージから一番遠くにあり、
会場の一画を占拠していた。

ぱっと見て、誰が誰だか、わからない、、
よーく見つめて、
しばらく会ってはいないものの
連絡をとりあっている人間は、、わかった。

10年前に、卒業30年を祝って
150人が集まり、
盛大に同期会を行ったが、

そのときは、名前と顔がすぐにつながった、、

二次会も、盛り上がり、
艶っぽい語らいも、あちこちで聞こえ、
青春は続いている感があったが、、

今回は、

そうはいかなかった。
40年の歳月、
我ら同期は、もうじき還暦になるわけで、

すでに亡くなった同期のことが
話題になったりした。

みな、
枯れていってる感じは、もはや
どうにも否定しようがなかった。

小学校の校長になっているフクカワが
これが最後かもしれないと思って来た、と
つぶやいていたが、

全くその通り、、

自分も、同じ思いで、ここに来ていたんだ、と。

でも、私の人生は、
まだまだ、これからだ。

きっと20年後母校は120周年記念を行うだろうが、、
78歳になっている自分は、その宴にも参加して見せるのだ。


 
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江古田で見た南美江さん

かれこれ10年くらい前のことだったろう。
気品ある女優の南美江さんを見たことがある。

普段着の姿で、江古田駅の北口の商店街を歩かれていて、
ふと振り向かれ、踏切の方をじっと見つめられている
ところに、遭遇したのだ。

しずかに佇んでおられた。

私は、南さんのことをほとんど何も知らなかった。

わずかに、
俺たちの旅で、グズ六の母親役だった人として、
覚えているだけだった。

たったそれだけなのに、
凛として街並みをじっとみている姿に、
美しい日本の母を感じた。

数秒見つめていただろうか、
踵を返し、歩きだし、
横の道に入っていかれた。

すいよせられるように、
私はあとをつけた。

30mくらい先にあった木造一階建の家に
入っていかれた。

表札は、南 とあった。

たぶん女優を引退された後だったかもしれない。

オーラは発しておられなかった。

なぜか、、
ありがとうございました、と
心の中で、つぶやいていた。

いま、検索してみて、
偉大な女優だったと知った。

2010年8月、94歳で亡くなられていた。
江古田斎場だった。

一方的な一期一会だったが、

忘れ得ぬ一瞬の出来事だった。

 
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「まぐろきっぷ」を利用する

平日だが、きのうは京浜急行「まぐろきっぷ」を利用して
家族で城ケ島に行ってきた。

品川から三崎口までの電車賃、
そしてバス代、食事、施設利用ができて
大人一人2,980円なので、
かなりお得な一日観光といえる。

9時過ぎに練馬を出て
三崎口に着いたのは11時半。

そこからバスで城ケ島まで行き、

まぐろ丼を食べ
城ケ島京急ホテルの鉱泉風呂に入り
三崎港でまぐろのかまと目玉を買い
品川に戻ったのは16時半だった。

三浦半島を縦断するわけだが、
山を切り崩してできた街並みであり、
空間に対する感覚が、
自分が住む地域と異なることを実感する。

海とは対照的で、
土地は狭くて窮屈、と感じた。

三浦半島や湘南に対して
自分は魅力を感じないタイプなんだな。

私は練馬がいい、と素朴に思った次第。


ところで、、

家内のお腹の中にいた
胚細胞は着床しなかった、、

高齢の不妊治療は、、なかなか難しい


 
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鍼灸を3回やってみた

10/29、11/5、11/12と7日ごとに
大泉学園の鍼灸院に通った。

1回・2回目は、
ベッドにうつぶせになり
右手を下にたらすことができず、
右手はうしろに回すだけだが、

3回目は、ようやく下にたらすことができ、
右ひじや右手の甲に鍼をうつことができた。

手の甲に鍼をうたれたとき、
そこそこ、とつぶやき、到達感あり。

鍼灸のあとのマッサージがしびれる。
右手を上に持ち上げられ、
何度も回される。

最初は痛い、痛いと叫んでしまうが
20分くらいたつと、
次第に耐えられるようになった。

何度か通えば、
快感になるらしいが、

まだ、、

そうなるまでは遠い感じがする。

でも、はっきりいえるのは
形成外科にかよったとしても
この状態にまで、
回復することはなかっただろう、ことだ。

治療費は1回2000円だ。

信頼できる鍼灸師に出会えてよかった。


さらに先週は、その鍼灸院の治療後、
ひさしぶりに藤澤皮膚科に行き、
光線治療をした。


 
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ブログを残す遺志、消す遺志

私と同じ2010年に直腸がんになられた
迂路石先生は、最近、闘病ブログの休止宣言をなされ、
当分、新しい記事を書かれることはない。

現役の外科医である迂先生は、
かなりお忙しいことだろうし、
いままで、よくぞ書いていただいたと
感謝している。

医師の立場でブロクをかかれている方を
他にも読んだことがあるが、
迂先生の配慮あるブログには
遠く及ばない。

2010年の暮れに
私はもう抗がん剤を止める!と
決心をし、実行したが、

迂先生も2011年に抗がん剤の中止、
さらに定期検査もしないという選択を、
ご自身の心の深い所から決められていったことから、

私の判断は、ゆるぎないもになった。

無論、術後の予後は百人百様であるべきだし、
私の場合は、迂先生の判断にとても共感したのだ。

が、さらに何か変わっていく時期なのだろう。


たまたまだが、、

広島ですい臓がん闘病ブログを書かれた
だいとーさんは、11月の初めに逝去された。
10月下旬にだいとーさんから託された
がんサバイバーの女性が、最期の状況を
記事にされ、状況を知ることができた。


すい臓がんはがんの中でも、とても厳しい。

だいとーさんは、希望を与える記事を書かれ、
多くの読者は励まさす姿勢を最期まで崩さなかった。

黒沢監督の「生きる」に通じるものがあった。

立派だった。

今も、だいとーさんのブログの最終記事に対して
75を超える長文のコメントが連綿と続いている。

毎日クリックしたくなる気持ちは、よくわかる。
まだ更新があるのでは、、
つまり、、生きるよすがになっている。

その中には、
代理更新をしている女性に対する批判もあったりして
様々な感慨がよぎった。

それが、今日のテーマだ。

がんや難病を書かれている方のブログが、

ある日を境に、記事の更新がされなくなる、
あるいはこつ然と消失している事態によく遭遇する。

たぶん私もそうなる可能性ある一人として思う、、

ブログやHPのようなネット上に載せているものを
自分の死後、どう処置して欲しいか決めていない人が
圧倒的ではないかと。。

私の場合は、あまり来訪者おられないし、
コメントもあまりいただけていないので、

自分本位で、どうすれば決めてしまえば、
それで済むが、

迂先生やだいとーさんのように
多くの読者を得ているブログは、、
つまり、生きる支えになっているブログについては、

そう簡単に、消失させてしまってはならない
というサイレント・マジョリティからの要請があるのではないかと
思っている。

また、そういう遺志を代理する
信頼できる、かといって大げさなもではない
第三者(機関)の需要はあるのではないか、

と思い始めている。。


 
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読書「がんになって考えたこと」

星野史雄著「がんになって考えたこと」(産経新聞出版/2012年10月)
を読んだ。

星野さんは、私と同時期2010年に、
ステージIVの「大腸がん」が見つかり、
肝臓と肺にも転移されていた。
開腹手術と抗がん剤による治療で、
現在もがんと戦い続けている。

抗がん剤として、私も飲んだゼローダを服用された。
ゼローダは、体内に入ると肝臓や腫瘍内で代謝され、
抗がん効果をもつ「5F-U」になるように工夫されていると
書かれていたが、、知らなかった。

私は2010年10月からもくもくとゼローダを3か月飲み続けたが、
医者の言葉を信じただけで、中味はよくわかっていなかった。

星野さんは大手予備校に勤務していたが、
1997年、妻を「乳がん」で亡くしたことをきっかけに退職している。

奥さんが「同じ乳がんの闘病記を読みたい」と言っていたため、
まずは乳がんの闘病記を集め始める。さらに「がん」だけでなく、
あらゆる病の闘病記を集め、1998年に「パラメディカ」を開店した。

なので、

がんをはじめ大病になった方は、最初の情報収集の手立てとして
パラメディカのインターネット書店
方向感覚を得るという選択は、ありだと思った。

その闘病記のリストをみて、
備考欄の星野さんのコメントを読むだけでも、
十分に価値がある。

がんサバイバーとして思うのは、

がんの部位によって、さらに
部位ごとの患者数によって
百人百様の闘病のあり様があって、
各人が水先案内人を求めている、ということ。

決して医者は案内人にはならない、といえる。


その中で、自分が参考になるものを探し出し
手元に置いておけば、勇気の源泉になるに違いないからだ。

近藤誠さんの、身もふたもない感慨しかもたらさない本よりは、
はるかに力がある。

本の中で、
柳田邦男氏が語る闘病者が書く行為について、
5つの意味に触れている。

1.苦悩の癒し
2.肉親や友人へのメッセージ
3.死の受容への道程としての自分史への道
4.自分が生きたことの証の確認
5.同じ闘病者への助言と医学界への要望


なのだと。

多種多様な闘病記は、日本独自の日記文学?らしい。

自費出版がほとんどだから、
いずれ雲散霧消してしまう。

そこに古書店めぐりをして買い集める
星野さんの仕事の意義は大きい。。

ただそのホームページは、
ホームページビルダーで作っていて、
見やすいものではないことが難点だ。

またそこには、特定商取引法の表示とか
古物商の表示ももれていて、
表示しておかないと
法的な脇が甘いことになり、指弾されかねない。

どうもそういうことが、

老婆心ながら、、気なってしまうタチなのだ、、私は。


 
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第二子の第1週が経過して

諸事雑感を記す

11月4日に2つの卵の顕微受精し、
そのうち一つが母体に入り
もう一つはどうなったかというと、、

11月12日(月)にクリニックに確認したところ
胚になったので、凍結したということだった。

凍結しないとと、
細胞内のミトコンドリアに影響をあたえるらしい。

あとは、
母体の受精卵がどこまで成長しているかが
肝心な問題だ。

成長のスピードがゆっくりなので気になる。

母親における加齢の問題や、
相当のストレスがあることから、

厳しい状況は続くのだろう。

唐突だが、、

第二子が母親と私に対して
きづなを感じてくれているかどうかにかかる、、

そういう「文脈」で第2週をとらえている。


なんでそんなふうに思ってるかというと、、

池川明著「ママを守るために生まれてきたよ!」
読んだからだ。

幼児が語る不思議な「胎内記憶」の数々を収録したものだ。

その中で、田嶋裕子さんというエンブリオロジスト、
培養士(体外受精や顕微授精をおこなう医療技術者)は
精子や卵子も訴えかけてくる、と云う。

精子や卵子にも個性がある。
顕微授精する段階で、
たくさんの精子の中から1匹だけ選んで
卵子とドッキングを試みますが、
私が選ぶというより、選ばされていると感じます。

1匹を選ぶときに、
ちょっと感情移入が入って
「この子かな?」という思いでつかまえようとすると、
「違うよ、ぼくだよ」と主張する子や、
反対に、「ぼくじゃないからね」と
去っていく子もいます。
ちゃんと逃げるですよ。

そういう様子を見ていると、
精子に意思や感情があるのではないかと
思えてくるのです。


私は、そう語る胚培養士の文脈は
事実その通りではないかととらえている。


 
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凍結かフレッシュか

今日、長女は7歳になった。

不思議なこと

今日昼過ぎ、家内は西新宿のクリニックに行き、
受精卵のうち一つを母体に戻すオペに行った。

今朝2つの受精卵は無事分割が確認されたのだ。

でも、ここまでは、前2回と同じ。


ここからが肝心になる。

ちなみに、母体に戻すオペで費用は32万円かかる。

これで3回目だから96万円になり、
諸費用をふくめると
この不妊治療は120万円くらいになることだろう。

前2回と違うのは、
今回の精子は凍結ではなく、フレッシュであること。


そこで、「解凍精子 正常率」で検索してみると
次のようなQ&Aに遭遇した。

顕微授精の場合、
新鮮精子と凍結精子のどちらを使用した方が成功率が高いのでしょうか?

主人(49歳)の精子の運動率は67%で、
量、率ともに問題はないのですが、
通っているクリニックの方針で、
女性が40歳以上は顕微授精と決められています。

去年、精子検査の際に精子を凍結してありますが、
仕事の休みをとって、新鮮精子を使用することも可能です。

凍結精子は凍結のストレスに耐えられる強い精子を選ぶことができるので、
凍結精子の方が成績がいいという話を聞いたことがありますし、
新鮮精子の方がいいという話も聞いたことがあり、
どちらを使用するべきか迷っています。

凍結精子を使用することで、
胎児に問題が起きたりすることはないというのは認識しておりますが、
成績についてはどうでしょうか?


これに対して

Answer
越田クリニック 培養室長 エンブリオロジスト 今野 彰 先生

お答えいたします。

凍結・解凍後の精子のほうが、
凍結・解凍といった一連の強いストレスのなか耐え抜いた精子なので、
妊娠成績が良くなるのでは?との説もあるのかも知れませんが、
この説については医療従事者の共通理解とは言えないと思います。

ご質問に対するお答えとしましては、
凍結・解凍後に形態の良い運動精子を用いるという条件はつきますが

(よほど精子の運動率や濃度が極端に低くない限り、通常この条件は満たせると思います)、

この条件さえ満たせば、
"顕微授精においては"新鮮精子を用いても凍結精子を用いても
妊娠成績に差はないと考えてよいと思いますし、去年凍結した精子だからといって、
時間の経過による精子の品質劣化についても特に考えなくても良いと思われます。

ただ、一般には、採卵当日、新鮮精子を用いることが可能であれば、
あえて凍結精子を用いるよりも新鮮精子を用いることのほうが多いとは思います。



ついでに上記のQ&A以外にも、次の情報があった。


〇一般に、凍結保存した場合、
約半分の精子が死んでしまいますので、
運動率は下がります。また、凍結解凍のダメージにより、
正常形態率も低下します。

ただ、解凍後に運動精子だけを回収する際、
方法によっては見かけ上の運動率が上昇しているように見えることはある
と思います


〇一般に、凍結保存した場合、約半分の精子が死んでしまいますので、
運動率は下がります。また、凍結解凍のダメージにより、
正常形態率も低下します。ただ、解凍後に運動精子だけを回収する際、
方法によっては見かけ上の運動率が上昇しているように見えることはある
と思います


〇米泌尿器科学会で、メイヨークリニック冷凍から、
精子を使った体外受精は、新鮮精子の場合と妊娠率などはほぼ同じであることが
判明したとの報告があったそうです。


以上だが、、

私の場合、過去2回の凍結精子には、解凍されたときには
すでに生の意志が失われていた と思っている。

理由は、、

2年前の直腸がん手術前に採取した精子であり、
しかも、ずっと精嚢に滞留していた精子であったから
正常ではなかった気がするからだ。


うがった見方だが
ビジネスとして不妊治療を考えたら、

卵や精子の凍結細胞の利用をすすめることは
その医療ビジネスに、
大きな利益をもたらすに違いない。。

伝聞がほとんどで、エビデンスは示されない。

こどもが欲しい夫婦はクリニックの言うがまま、
信じるしかないのだから、

儲けるカラクリとしては、申し分ないわけだ。


友人が言っていたことを思い出す。

生きのいい精子を、
毎日だしている精子を使え、、と。

毎日は無理だが、本来はそうあるべきなのだろう。。


今、東尾理子さんが3362gの元気な男の子を出産したニュースが流れた。

たしか、、同じ西新宿の、避妊治療のクリニックだったと思う。

おめでとうごうざいます。


エンブリオロジストとは、
臨床エンブリオロジスト(りんしょうエンブリオロジスト)は大学病院や病院婦人科などで行われている顕微授精や人工授精を行う。生殖医療には現在欠かすことの出来ない医療技術者。

受験には一般的に医療系の国家資格保有者が受けるが、看護師などは少数で、生物学、細胞病理学に精通している細胞検査士を含む臨床検査技師や衛生検査技師などがこの認定を受け活躍している者が多い。

また、現在同様の資格に胚培養士があり共に認定資格で、将来的に生殖医療分野の統一が求められるはずである。


 
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死は生のプライマルな時空に還ることだと想う

広島で、すい臓がん闘病録を書かれていた51歳の男性、
だいとーさんは、先週なくなられたようだ。

11月3日の土曜日がお葬式だった。
10月下旬の入院は、死を覚悟した入院だったのだろう。

自宅で死を迎えると、
たとえ明らかな病死であっても、
警察の確認があったりして、
めんどうなことになる社会なのだ。

ふりかえって、

すい臓がんが見つかってから1年2ヶ月
明るく前向きなブログを正直赤裸々に書かれていた。

多くの人たちが、だいとーさんのブログによって励まされた。

とても立派だったと思う。

かねてより、私は、

死は、生まれようと決めてきたプライマルな時空に還ることだ

と思っている。



きのう西新宿のクリニックで、今年3回目の不妊治療を行った。

家内は2つ採卵できた。
私は微量だが正常な精子が取り出せた。

11月4日の日曜の午後三時頃、二つの卵に顕微授精がなされた。


ちなみに本来の体内受精なら、その瞬間、光を放つ映像を見たことがある。
その時点が生命が、誕生の瞬間になるわけだ。

はたして彼女か、彼か、
私たちのもとに生まれ出よう、と決めてくれただろうか?

前の2回は、凍結した精子を解凍し、顕微受精がなされた。

結果論であり、全く自分の感覚にすぎないが、その2回には
ここに生まれようとする生の意志がなかったように思えた。

今度は違う気がする。

今日の昼すぎ、クリニックの培養室に確認すると
二つの卵とも、正常な受精卵になっているとのことだった。

あとは、無事、分割の動きをとってくれるかどうか、、だ。


 
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詩作の練習、その1

昔から詩をつくるのが
いつもはずかしさが先立ち、苦手だった。

けれど、今年の4月から
長女の登校の途中まで、
つきそうようにしていて、

うまく言えないが
「永遠」を感じるものがあり
その心象を描写しておきたい衝動にかられた。

なので、散文詩を試みた次第。。

登校121101

 登 校


信号機までいっしょに歩く

そこに見守りおじさんが立っていてくれ

車の進入を阻んでくれている

あなたはおじさんに「おはよう」と
右手をあげてあいさつする

そこから先
道はゆるやかに下り
そして上っている

見上げれば、午前8時の太陽がさんさんとふりそそぐ

小学校一年生の朝だ。

その左はじをポトポト歩いていくその姿

左右にすこしずれたり
赤ん坊のあどけなさはきえない

途中玄関先にいる犬にさわり

また道の左にもどり
ゆるやかな坂を上っていく

見えなくなるカーブの手前で
ふりかえり
わたしに手をふる

いつまでも
あなたを見守っていたい

永遠の光景をありがとう



そうだ、、そういえば
今日、私は満58歳になった。


 
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