折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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意を決してコメントを書いた

きのう書いた「広島 すい臓がん闘病記」の
だいとーさんのブログに、


今朝、意を決して、コメントを書いた。

コメントをみる余裕はないだろうが、
祈りをこめて、次の言葉をおくった。

桑名正博さんのことを知ったとき、
ふと、あなたのことが気なり、
ひさしぶりに検索しました。
とても驚きました。

その選択のしかたは
わたしと同じでしたから、
この方は大丈夫と楽観していましたから。

頑張って、とはいいません。
あなたの内部の、
60兆細胞をコントロールする
もうひとりのあなたに
呼びかけます。

よーく観想してみてください。
人生、そうめったにない堪能できない
醍醐味、三昧、の時間が流れていると思います。

大丈夫です。
なぜなら、ブロクを通じて多くの人たちに
明るさをもたらされたのですから。


今の自分は、頑張って、とはいえません。
さんざん頑張られてきたことは明らかなのですから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は飛ぶが

わたしが最も尊敬する日本人、日蓮は、
60歳でなくなる数年前から「やせ病い」になられていた。

わたしは大腸がんだったと勝手に思っている。

晩年、池上で倒れる直前まで、弟子信徒に励ましの言葉を
おくりつづけておられた。

表層の病いを見下ろす深層の大我は「太陽と蓮」のまま
さんさんと慈悲の言葉を発しつづけておられていた。

そういう姿に、だいとーさんのブログは重なってみえる。
渾身の力で、ブログに書き込まれていたと推察できるからだ。

最期まで励ますこと、私もみならいたい。


 
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針治療の初診

午後3時、大泉学園の方まで
はじめて針治療を受けにいく。

駅南口から5分、低層の賃貸マンション
1階に鍼灸院はあった。

院長のほかにマッサージをされる
女性がいた。
開業して10年になるという。

東京都鍼灸師会に所属している
鍼灸師に治療を受ける場合は、
医者の証明書があれば、
健康保険で自己負担が3割になる。

鍼灸師は国家資格だが、
資格取得後、自由診療で営業している
鍼灸師もいるわけだ。

そのことを、
看護師の家内から聞いていたので、
先週、南町医院の院長先生に書いてもらっていた。

院長先生いわく
「証明書を書きたがらない医者は多いんです。
 責任がありますからね。まぁいいでしょう。
 でも、基本的に体を動かすことが大切ですよ」と
いわれた。肝に銘じよう。

さて鍼灸院で問診票を書き、10分ほどまつ。
先週予約していたが、いきなり診察とはいかないのは
了解していた。

ホームページからの印象とは異なり、
つつましく、
きちんとまじめに、経営されているな、
立派な女性の自立した仕事風景と感じた。

上半身はだかになり、仰向けになると
指圧をするように、
身体の経脈をチェックされた。

そしてうつ伏せになると、
右半身が隆起していて、
腰も悪く、
かなり炎症が内在していると
指摘された。

15本くらい、鍼をさし、
10分間、電気でピクピクさせられた。

右肩の鍼だけが痛みが続いたが、
気分はよかった。

鍼が終ると、マッサージになった。
それ程強くないので、
最初は物足りないかなと思ったが、

次第に、ちょうどいい加重だなと
感じはじめた。

右手を後ろに回されると、
すぐ痛みがはしる。

都合30分ほどだったが、
それが徐々に緩和されていった。

形成外科なんかより、
はるかに即効性があるな。

初診料1000円を含み
診療代は3000円だった。

来週月曜もやることにしよう。


 
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さまざまな生死の機微

今朝、桑名正博さんの訃報を知った。
還暦直前、、無念だろう。

そして少し気になり
広島ですい臓がんの闘病ブログをのぞくと
緊急入院されていることを知った。
肝臓に転位があり、
腫瘍マーカーを跳ね上がっているらしい。

この人は大丈夫、と楽観視していた。

さまざまな統合医療をされ、
それを明るい文体を書かれておられた人だけに、
多くの読者を惹きつけておられる。

おそらく今、深く内部生命を観想されておられるだろう、、

ご恢復を祈る。


そもそもこのブログを書き始めたのは、

平成18年10月12日に
胃がんで亡くなられた藤田憲一さんの
ブログを読んで、触発されたからだ。

藤田氏はとても冷静に病状を分析し、
最期まで、力ある行動ををとられていた。

今そのブログをみると
先週の10/26の時点で、
コメントされている方がおられた。

決して、ひとごとではない。

今、臨終正念という言葉が去来した。


 
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五十肩のことを書いたら

九月以降、痛みがましてきた五十肩について

その病名を告げられ、これが五十肩なのかとナットクしたのは、
先日、練馬まつりの会場で
行われた鍼灸無料体験のときだった。

実は終了間際のめんどくさい最期の患者を診たのは
家内が通っていた女性鍼灸師だったことが、
あとからわかった。

偶然なのだろうが、不思議なもんだ、、
これはやってみよ、ということなのかもしれない。

そこで、作家宮本輝氏の公式サイトの掲示板に
自分が五十肩になったことの書き込みをしたところ、

輝先生がコメントをくださっていたのを、今日知った。

輝先生は、ある意味、おおやけの人なので、
著作権とかを踏まえると勝手に転載することは
ルール違反かも知れないが、、

年相応になる病気であり、
迷惑がかかる話でもないし
とても配慮あるコメントなので、
お赦しいただくことにしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

50肩ですかぁ。
ぼくも先に右肩が、それが治るのに8ヶ月かかり、
ああ治ったなぁと喜んでいたら、すぐに左肩がかかり、
治るのにまた半年くらいかかりました。

ひどいときは、朝起きたら指がむくんでいるようなときもありました。

あれはかかってしまったら
あまりいろんな治療はしないほうがいいような気がします。

「更年期症状」から起きるという説が有力です。
男性の場合はテストステロンというホルモンの分泌が減ることによって
肩の周辺の関節やら筋肉やらが硬化するのだそうです。

女性の場合はべつのホルモンの減少ですが、理屈は同じです。

時間薬ってやつですね。
〇〇さんの言うとおり、
完全に治るわけではありませんが、ある日突然によくなります。

あれがまた不思議なんだよねぇ。



えっ、男の更年期ということか、、

「指がむくむ」のは、全く同じだ!!

ありがたい励ましと、感じ入った次第。


 
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「ふったご!」という作文

長女が通う花まる学習会の「花まる作文集」に掲載された
小学3年生の「ふったご!」という作文を載せておきたい。

なぜなら文章が立っていて、うまい!驚いたからだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『ふったご!』

トコトコ、学校から帰ってきたぼく。

「ただいま!」
ぼくは何かありそうな気がした。
「おかえり!」
ふだんのおかえりだ。

その日はちょうどきゅう食はない四時間じゅぎょうだ。
ぼくはソファーにすわった。
それからもう一度立ってつくえの前まできた。
そしていすにすわった。

今日のごはんはやきそばだ。
いつもと同じ味がしておいしい。
「ごちそうさまでした」
そしてもう一度ソファーにすわった。
するとお母さんがしゃべりはじめた。
「実はおなかに赤ちゃんがいるの」
ぼくは急にいわれてすごくおどろいた。
「しかもふたごなの」
「ふったご!」

ぼくにこんなしれんをあたえたのは神様なのか。
名前をかんがえなきゃ。

そして数日後、お母さんが入院して何日かたって
病院に行った。

病院はすごくたいくつだった。
こんな場所にいることがすごいと思う。

なぜならごはんはやさいばっかりだし、
ねるのは十時とせいげんされているところだからだ。
ぼくなんか一日であきてしまうだろう。

今名前を考えている。
太ろうや何々太ろうという名前や
海や空などの名前もいいらしい。

ぼくも名前を考えているが
いい名前はいまだに全然うかんでこない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

会話が生きている。
思考の流れをそのまま素直に描写している。

…と思う、思った、という言葉は一回しか
出てこない。

その動詞には、、力がある。

そういえば、昨夜は
長女に「ちびくろさんぼ」を読み聞かせた。

なぜトラがバターになるのかが、
「わからない」と、横で聞いていた家内が言ってくる。

理屈などない物語なのに、、、

長女は笑って、空想していた、、それでいいのだ。。


 
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インターフェロンと乾癬

2010 年7 月22 日にラジオ日経で放送されたものだが、
福岡大学 皮膚科准教授 今福 信一氏は
「C型肝炎患者にみられる皮膚症状」と題して

インターフェロンと乾癬の因果関係を展開していたのを
そのままコピペしておきたい。

自分の乾癬はインターフェロンが原因だと
最近そう感じてきだしていたが、
2年前に、すでにそう書いている人がいたことは

新鮮だった。

身近にいた皮膚科医は誰一人、
インターフェロンの投与が原因かも?という
医者はいなかった。

「乾癬の原因はわからない」その一点張りだった。

あるいは、

「この病気は、遺伝による要素に、
なんらかのきっかけとなる環境因子が加わって発症する」と
あるのが、せいぜいだ。

全く、それを聞きながら、そんなの医者かと
よく思ったものだ。

もっと踏み込んで
「たとえばインターフェロンも、その環境因子の一つである」とくらい
言って欲しかったのだ。。

それがわかっていたら2003年の2回目のインタフェロンとリバブリンの
併用療法はやらなかった、かもしれないのだから。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はじめに
肝臓は、消化管から取り込まれる糖、蛋白、脂質の代謝、貯蔵などを行い、
またヘモグロビンの分解や胆汁の合成、アルブミンや凝固因子などの血漿蛋白の合成、
分解など様々な役割を行う生体の代謝の中心となる臓器です。

従って、その障害はおおかれ少なかれ、
それらの物質の代謝の障害として検査値の異常に反映されてきますが、
程度がひどくなると皮膚症状を含めた臨床症状として
理学所見で見られるようになってきます。

C型肝炎に診られる皮膚症状は、
このような肝臓の代謝を異常とした症状と、
C型肝炎ウイルス(HCV)の感染による
免疫学的な異常を背景とする症状、の二つに大別できます。

肝炎や肝硬変の患者では、それがアルコール性、自己免疫性、ウイルス性
などの原因を問わず、黄疸、毛細血管の異常、瘙痒、紫斑、色素沈着などの
皮膚症状がみられます。

血管病変は肝臓病の患者さんの頬、鼻、頚、胸、上腕などに
しばしばみられます。

蜘蛛状血管腫は中心に隆起を伴い放射状に毛細血管拡張と紅斑がみられ
るもので、中心の隆起を硝子板で軽く圧迫すると拍動に一致して
中心から放射状に周囲の血管に血液が流れる様子を観察できます。

また網目状の毛細血管拡張teleangiectasia や、
手掌の紅斑(palmar erythema)もみられます。

このような毛細血管拡張は保険適応があるパルス色素レーザーで治療可能で、
顔面のものなどは比較的きれいに治りますので一度皮膚科を受診してみると良い
でしょう。

肝炎患者で、皮膚科医が注意すべき感染症にVibrio vulnificus 感染症があります。

Vibrio vulnificus はコレラ菌などと同じ鞭毛を持つビブリオ属の細菌で
主に魚に付着しています。

海水温が上昇する7月から9月にかけて、主として海水より塩分濃度の低い汽水域で
増殖し、その水域の魚にも感染します。

この魚を刺身で食べても、肝疾患がないヒトには無症状ですが、肝炎や肝硬変
などがある患者では菌が血液中に入り、敗血症から壊死性筋膜炎を生じ高率に
死亡したり、助かっても長期間の入院とデブリードマンなどにより疼痛や後遺症が残っ
たりします。

この恐ろしい感染症について昨年度、久留米大学の消化器内科が行った全国調査では
肝疾患患者のうちわずか15%しかこの疾患を知りませんでした。

肝臓病がある方は梅雨時期から夏場には絶対に刺身を食べないようにする
という啓蒙が必要です。


C型肝炎にみられる皮膚症状C型肝炎の感染者は150-200 万人程度と考えられていて、
肝炎の大多数を占めます。

C 型肝炎では多彩な肝外症状がみられますが、皮膚粘膜では扁平苔癬、
シェーグレン症候群、クリオグロブリン血症、晩発性皮膚ポルフィリン症などが
よく知られています。

扁平苔癬口腔粘膜の扁平苔癬患者の8〜24%がHCV 陽性と報告されています。

皮膚の多発性の扁平苔癬もC 型肝炎患者に見られることが多く、
扁平苔癬患者の場合C型肝炎を強く疑う必要があります。

発症機序については免疫複合体の沈着によると考えられています。

また、IFN 治療によりウイルスが排除されても扁平苔癬の病変は
改善しない例や治療中に悪化し疼痛のため摂食障害などを生じる
場合もあるので注意が必要です。

C 型肝炎の患者の初診時は口腔内を診察しておくのがよいでしょう。

シェーグレン症候群Sjogren’s syndrome 様症状HCV 患者では
血清学的にポリクローナルな高γグロブリン血症に加えて、
時にSS-A, SS-B 抗体,リウマチ因子、抗核抗体などが低値ながら
陽性を示します。

また眼球、口腔の乾燥症状などのsicca syndrome、関節痛をはじめ
シェーグレン症候群の診断基準を満たす患者もHCV 患者の25%とする
報告もあります。

クリオグロブリン血症CryoglobulinemiaC 型肝炎でみられる
クリオグロブリン血症はII 型で、その本態はHCV ウイルス粒子を含む
IgM, IgG からなる免疫複合体です。

一般にはポリクローナルIgG と少量のモノクローナルIgM から構成されています。

クリオグロブリン血症はご存知のようにシェーグレン症候群にもみられる現象です。

さらにC型肝炎患者においては非ホジキン型B 細胞性リンパ腫の発症が多い
ことが知られています。

このリンパ腫はピロリ菌によるものに類似し、
治療によりウイルスが消失すると消褪する場合もあります。

シェーグレン症候群、クリオグロブリン血症、B細胞性リンパ腫は
ひとつの症候群と捕らえて監視する必要があります。

C型肝炎の治療に伴う皮疹C型肝炎にはいろいろな治療がありますが、
現在の中心はペグインターフェロンαと抗ウイルス薬であるリバビリンを併用
した治療で、これによりウイルスが陰性化する確率は80%近くになっています。

インターフェロン治療の費用は自治体による助成が行われていて、
福岡県の例では患者の状況により自己負担額が1 または2 万円が
上限となっています。

これにより受診者がさらに増えると考えられます。
しかし、この治療はさまざまな皮膚の副作用をもたらします。

臨床的に問題になるのは痒みで、IFN治療は強い痒みをもたらします。

鬱などの深刻な副作用と違って事前にあまり説明されていないためか、
約6 割の患者が治療の合併症として困ったものに挙げています。

注射部位周囲に漿液性水疱などからなる湿疹を伴う場合もみられます。

これは副腎皮質ステロイド剤外用でよく治ります。

また、IFN による発熱やウイルス感染症様の発疹が生じます。
発熱に伴って再発性単純ヘルペスもしばしばみられます。

IFN 治療後にサルコイドーシスが発症した例も散見されますが、
IFN の合併症かは結論が出ていません。

IFN による脱毛は殆どの患者に見られ、治療開始後10 から20 週後にみられます。

脱毛はび漫性の休止期脱毛で、全体に疎毛になりますが、
円形脱毛斑のような斑はみられません。

もうひとつ

皮膚科で問題になるのは、IFN 投与により尋常性乾癬が発症したり、
既存の乾癬が悪化、関節症が出現するという点です。

近年、乾癬の病態形成の理解が進んできていますが、
IFNαの大量投与はplasmacytoid DC からの
I 型インターフェロン分泌による乾癬発症のモデルと言えるかもしれません。


IFN 治療による乾癬の悪化は時に治療中断に追い込まれることもあり、
重要な問題です。

2008 年に私達が全国の皮膚科専門医の先生方を対象に行った調査結果か
らは乾癬患者の5%程度がHCV 陽性と考えられました。

皮膚科医の半数はHCV陽性の乾癬患者を診察していて、
それらの患者は今後の治療において今後IFN 治療を受け、
乾癬が著しく悪化する可能性があります。


現在このような患者に対して適切な治療方針はありませんが、
調査では24%の皮膚科医はHCV 陽性の乾癬患者にシクロスポリンを投与していました。

これは、慢性の感染症であるC型肝炎においては高い比率と考えられました。

近年、シクロスポリンには抗HCV 効果があることが解り、乾癬患者に投与しても
必ずしも肝機能の悪化が無いことなどが報告されていて、今後シクロスポリンだけでなく、
生物学的製剤も含めてHCV 陽性の乾癬患者に対する安全なIFN 治療導入方法が
開発されることを期待しています


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上だ。

シクロスポリンって何だ? 全く知らない。

ウィキペディアにはこうあった。

スイスのサンド社(現ノバルティス)により、
ノルウェーの土壌に含まれていた Tolypocladium inflatum から開発された。

Tリンパ球によるインターロイキン2,4,5,13や
インターフェロンγなどのサイトカイン転写を特異的かつ可逆的に抑制し、
ひいてはサイトカイン産生と遊離を抑制する。

これはカルシニューリンによる細胞内情報伝達阻害による。

臓器移植による拒絶反応の抑制や自己免疫疾患の治療に使用される。

副作用として、腎機能障害(腎毒性と呼ばれ、特にクレアチニン値上昇)、
高血圧、多毛、シクロスポリン歯肉増殖症などがある。

2008年10月、アトピー性皮膚炎の治療薬にシクロスポリンが承認された。
獣医学領域では犬の乾性角結膜炎の治療のため点眼薬としても使用される
。腎毒性があり、副作用として神経症状を示すことがある。
臓器移植された患者が出産する例もあり、
シクロホスファミドやメトトレキサートなどにくらべ、
生殖細胞への影響が少ない。



三好先生は皮膚科医ではないが、
メールして、12月の話題にすることにしよう。


 
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不思議な人

私より一回り年の差のある女性が、
今、ロスからシカゴまで、
三週間かけて、一人で
アメリカ中西部をドライブしている。

公認会計士、会社役員を辞めて、
今は仕事をせず、今は趣味とボランティアに
生きている。

漫画、アニメにくわしく
宮崎駿は「風のナウシカ」が頂点だったと
評価してた。

どことなく、
彼女はナウシカに似ているかもしれない。

ピュアで、正義感が強い。
会計士より検事の方が向いていた、
といっていたのを思いだす。

ずっと独身、

なにより美しい人なのだ。

5年以上、会っていないが、
そのfacebookをみてみると、
色白はあいかわらずで、やはり美しい。

本人は美しいと言われても、
自分に頓着していない。

好きになった男がいたのかどうか、、

頭がいい人だからな、、

話していて、じわじわ、
賢さが感じられてくる。

オーラがあるのだ。

天使か何かに、
守られている感じを受ける。

世界中、どこへでも平気で、
一人で行ってしまう。

今回は、
アメリカ人が行きたくても
抽選があって、
なかなか行けない名所、
アンテロープにも行っている。

これには驚いた。

彼女のことをリスペクトしている。

人生で、知り合えて良かった一人だ。

勝手に、

私は、彼女の眷属だと思っている。

無事の帰国を祈っている。


 
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鍼灸を無料体験する

今日は練馬祭りで、練馬駅の北口は大にぎわい。

毎年、牛乳パック10枚とトイレットペーパー1個を
交換してくれるイベントがあり、
1年間ためこんでおいたものを、午後持ち込み、
トイレットペーパー10個持ち帰った。

すると家内から、中央グランドの一画で、
鍼灸の無料体験ができる旨、メールをくれたので、
ことにした。

が、ちょうど午後3時で、受付は締切ったと言われ、
あきらめかけていたら、
'仕方ない、やってあげるという鍼灸師が現れたので、
右肩をみてもらった。

すごい、すこし楽になった。鍼は効くぞ。

ラジオ深夜便の作家宮本輝氏の言葉

今年に入ってから、ラジオを聴くことが多くなった。
自分の部屋にTVがないからだ。

FMならJwave
AMならTBSかNHK第一を聴いている。

そしていつの間にか、ラジオ深夜便が好きになってしまっている。
中高年にファンが多いのが、わかる気がする。

アナウンサーの声がいい、味わい深いのだ。ホッとする。

今朝は、二時頃、イタリアのサンレモ音楽祭から生まれた曲が流れた。
ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」はなつかしい。

4時ころ、ラジオ深夜便は、作家宮本輝さんのインタビューが流れた。
「水のかたち」を軸に話されたが、、

感動した。

そこでさきほど今、宮本輝公式サイトに、次のコメントを載せた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

輝先生、みなさま、おはようございます。

私も、ラジオ深夜便の創作の源泉を語る、を拝聴しました。

以前に、てらけんさんがここに載せておられていたので、
覚えておりました。感謝。

まだ夜のしじま、じっと虚空をみつめて聴いておりました。

「あるかた」の言葉とおり、30年かけて約束を守られたこと、、
時間と発酵、比喩を現実にする等々、珠玉の言葉が胸に沁みました。

そうだそうだ、具体的ではなく、「具体」こそ、
今やるべきことだ、と頭のなかで、反すうしていました。

輝先生、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

18日(木)午前4時 輝先生のインタビューの後半を聴くことにしよう。

「祈る心は、治る力」

今、ラリー・ドッシー著「祈る心は、治る力」(日本教文社)という本をを読んでいる。

図書館にはなかったので、購入した。
こういうタイトルのものは、宗教系の布教本とみなされ、
忌避されるのかもしれない。

たとえば、ホッファーの「True Believer」の翻訳本は、
くだけた言い方をすれば、

「マジで信じちゃう人たち」という意味になるが、
これを「大衆運動」というタイトルに変更してしまっている知恵も
こうした受け取り側の忌避感?を想定し、回避したのかな
と思える。

この本は、祈る力を科学的に研究してみようと
西洋医学を踏まえた米国の医者が書いたものだ。

宗教者ではないので、
どんな祈りが、という優劣はつけてはなく
一律に、祈る力を検証している。

その上で
「祈りは単なるプラシーボ(偽薬)ではない」

プラシーボ効果は、患者自身の信念、期待感、暗示や
「積極的思考」というもによってひおこされた結果である、と。

「単なるプラシーボだ」と、邪魔者扱いする医療関係者が圧倒的だが、
「われわれはもっと口をつつしむ必要がある」と主張する。


全く、そのとおりだと思う。

すくなくともがん患者は、
プラシーボの価値をパラダイム・シフトすべきだ、、

このことは、もう私の思想になっている。
思想とは、おこがましいが、圧倒的に少数者の思いなので、
主張する価値があると思う。

苦しいときの神だのみ、でいいじゃないか。

9年前、
家内の父親は食道がんで急逝したが、
亡くなる半年前、家内にしみじみと
「神だのみしたって、どうにもならない。
治るもんか!」と言っていたという。

それを家内から聞いたとき、自分は返す言葉がなかった。

でも、今は思う。

祈ることで、何かが変容する。
そこから、うっすらと、みえないものが見えてくる。
感じてくるものがある、と。


ただし、その本とは離れるが、、

祈りのOSには、
解像度というか、速度というか、実感というか、

優劣がある、というのが私の立場になる。


つづきは読了後に、また、、


 
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油滴がC型ウィルスを増殖させるメカニズム

2007年の成果だか、今日知ったので、
そのまま転載しておきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

下遠野 邦忠京都大学名誉教授(元京都大学ウイルス研究所教授)らの研究グループは、
慢性肝炎、肝硬変、肝臓がんの原因ウイルスである
C型肝炎ウイルス(HCV)の増殖のメカニズムの一端を明らかにしました。

これにより感染性ウイルスの産生を阻止する働きを持つ抗HCV剤の開発などに
繋がることが期待されます。
この論文は 2007年8月26日(日曜日)の
科学誌「ネイチャー・セル・バイオロジー」電子版に掲載されることになりました。

背景
 C型肝炎ウイルス(HCV)は慢性肝炎、肝硬変、肝臓がんの原因ウイルスであり、
我が国では約200万人が感染していると推定されている
(世界人口の3%が感染しているとWHOが推定)。

我が国の肝臓がんの患者の75%近くがHCVに感染している。
また、肝臓がんによる犠牲者の80%がHCVに感染によるものである。
この割合は、一年間に死亡するがん患者全体の10%に相当する(約3万人)。

また、HCV感染による肝硬変で亡くなる犠牲者も入れると、
HCVによる犠牲者は毎年4〜5万人に達すると推定される。

さらに、HCV感染により慢性肝炎を煩っている患者も多数いるので、
大きな社会問題になっており、HCVによる疾患の治療・防御は焦眉の課題である。

現在はインターフェロンとリバビリンの併用療法が治療の主流である。
この場合、治療を受けた約半数の患者からウイルスが排除されている。

しかし、1年近くに亘る長期間の治療が必要なこと、
副作用があるために全てのC型慢性肝炎患者が治療を受けられないことなど、
解決すべき問題も多い。

ウイルスによる疾患の場合には、感染予防、あるいは感染者からの
ウイルスの排除を効率よく行うことが重要であるが、
HCVを培養細胞などを用いて増殖させることが最近まで不可能であった。

幸い、2005年にHCVの感染実験を容易に解析出来る実験系が開発され、
それを用いたウイルスの感染・増殖を分子レベルで解析出来るようになった。

今回の研究の内容
培養細胞にHCVを感染させて、ウイルスの増殖のしかたを調べ
以下のことを明らかにした。

(1)細胞の中にある油滴(細胞が過剰生産した中性脂肪の固まりからなるオルガネラで、脂肪の貯蔵の役割をしているが、各種成分の細胞内の輸送にも関与している)の量が増える。この働きにはHCVタンパク質のコアと呼ばれるタンパク質が重要な働きをしている。

(2)油滴の周りから感染性のあるウイルス粒子が産生される。 (3)感染性ウイルスの産生には油滴が重要な働きをしている。

(4)ウイルスのタンパク質でコアと呼ばれるものが
油滴からウイルス粒子を産生させるのに重要な働きをしている。



本研究成果が意味するものと研究成果の将来性および社会への貢献

(1)HCV感染者は肝臓に脂肪が溜まりやすくなり、
それが脂肪肝あるいはがんの発症を促進するといわれているが、
細胞に脂肪が貯まる事はHCVにとっては複製・増殖に重要である事が分かった。

これまでなぜC型慢性肝炎患者に脂肪肝が多いのかの疑問を明らかにする糸口になる。
(2)細胞の中に油滴を貯める働きは、
HCVタンパク質のコアが行っていることを見いだしたので、
脂肪症の機構が明らかにされる可能性がある。

(3)HCV感染細胞ではコアタンパク質が油滴に会合するが、
その会合を阻害することにより、感染性ウイルスの産生を阻止可能にできる。

つまり、そのような働きを持つ薬剤が出来れば、新規な抗HCV剤の開発に繋がる。
(4)HCVタンパク質のコアによる脂肪の蓄積を阻害する薬ができれば、
肝臓の疾患の病態の進展を抑制することができると期待される。

とくに、上の(3)と(4)は抗HCV剤の開発およびHCVによる
肝疾患予防に繋がるので、社会的な貢献は大きい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の場合、高ウィルス量だが、
脂肪肝といわれたことはないので、

この論文を実感することはできない。


 
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インターフェロンが効くかどうかがわかる検査

昨日、二カ月ぶりに、
三好先生の診察をしていただいた。

採血の結果、私は糖尿病の気配は全くないようで、
すい臓系は大丈夫のようだ。

大腸がん術後な5年を過ぎてから、
原発性すい臓になられた方いたが、
その方はやや糖尿病の気配があったようだ、、
その症例が気になっていたのだが、
そのリスクを払拭できたわけだ。

そこで次に、

今インターフェロンが治療する人に
効きやすいかどうかを調べる方法として
IL28Bの検査について、話題にした。

インターフェロンが効きやすい体質かどうかをしらべ、
かなりの確率で治療効果を判断する意味があるらしい。

三好先生にたずねたら、

それは前にも、話題にしましたね、
と言われてしまった。

すっかり私の記憶にはなくて、
やや動揺した。

少しずつ、そんなやりとりをしたような感じも
しないではない。

そのときの結論は、
自費で検査代2万円かけて調べた挙句、
それで何がえられるのか、希望か絶望か、

そんなのさして意味ないでしょ、
ということだったかな。

でも、来年、検査してみようと思っている。


 
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圧力鍋で玄米ごはん

きのうの夕飯は、家内の助言を求めずに、
一人で初めて圧力鍋で玄米を炊いたが、

それが具のない「笹おこわ」のようで、すこぶるうまかった。

これまでは、土鍋や炊飯器をつかって
玄米を炊いていたが、

これほど、心のそこからうまい!とは思わなかった。

しばらくすると白米にもどり、
自分の身体が白米を求めてはいないと、
「言ってくる」ので、再び玄米にもどる。

周期的な波のように、白米食と玄食米を
いったりきたりの主食生活が続いた。

あと家内も、
玄米ごはんが好きなことも周期性をいざなうことになった。
家内が玄米をきらいだったら、
私があきらめてしまうだけで、こうはならなかっただろう。

ちなみに今は、糖質制限を休んでいる。
意識はしているが、、


圧力釜は取扱いをあやまると、事故になるので
注意書きをよく読み、
ネットで「玄米 圧力釜」で検索して調べもした。

タイマーをつかって時間をみながら、
弱火と強火の加減を慎重に調整してみた。

大事なことは、
炊きあがってもすぐ蓋をあけてはいけない、ということだ。
20分近くたってから、

あけてみると、、いい出来上がりだった。

いろいろ試し、至高の玄米ごはんをつくろうと思う。


今夕も玄米ごはんにしよう。

長女は白米のままだが、子どもはそれでいい、とわかっている。


<メモ>
先週、長女が「国語のなぞぺー」をやりたいと言ってきたので
今日Amazonnで「国語なぞぺー」の<正編>と<おかわり編>2冊を注文した。
やりたいと言ってきたときが、注力のチャンスだからだ。
学校の国語テストで100点をとったことが、
大きい動機付けになっているのかもしれない。


 
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白日夢 とても小さな老人二人との遭遇

今夜から始まる阿部寛さんが主役の連ドラで、

妖精がでてくる。「ゴーイングマイホーム」

森にすむ「クーナ」と呼ばれる小人が
存在するという設定のようだ。

それで思いだしたことがある。

昔見た、ただの夢かもしれないが、、
1992年の頃だった。

インターフェロンαからβに切り替えたころだったと思う。

午前中に御茶ノ水の順天堂病院に行き、2時間ちかく待ち、
インターフェロン注射をしたあと、急ぎ
バイクで帰宅するようにしていた。帰宅の所要時間は30分

午後2時だったか、家に到着するころ、
きまって37度以上の発熱になる。

当時は一人暮らし、
小さな在来木造の家の2階、6畳の部屋で、
ふとんをひいて寝ていて、
すぐバタッと眠るような日が、
三日に1度もペースで闘病していた。

頭の方には窓があり、午後の陽光がまぶしいので
きまってカーテンをひいていた。

足元の方に押入れがあり、
ふとんの上げ下げが面倒な状況だったので、
ふとんひきっぱなしのことが多かったと思う。

やがて頭痛と悪寒がおとずれ、
C型ウィルスがこれで除去できるのかどうか、、
確信はもてず、身体のなかで何が起きているのだろうと
想像してみたり、、

でもまだ、素朴にインターフェロンの効能を信じていたな。

その日も、うつらうつら横向きになって眠っていた。



すると、足元にひとの気配を感じた。
ゴソゴソと足をふまれる感じがした。

その頃ペットは飼っていなかった。

押入れから、小さな白髪の老人みたいなヒトが一人
また一人現れてた、、

横向きになっていた私の頭の背後に近づいてきたのだ。

私は振り返った。

後ろにいた小人は老女だったかもしれないが、
前にいる老人の男のほうしか思い浮かばない。

ふたりとも白っぽい姿をしていた。

背丈は30cmくらいだろう。

と、目があった。
一瞬だったが、えっという感じで、私は目がさめた。

最初「あっ、みっかちゃった」みたいな目をしていた。
あとずさりしていきそうでもあったが、

それでも、

前にいる老人の方が「やぁ、大丈夫か?」といった目でみつめ、
「まぁ、そっち向いたままでいいから」と手でうながし、

左に、横向きになった私の右肩をトントンしてくれた。

もう一人の老女のほうはふとん上から両足の土踏まずのあたりを
のってピョンピョンとんでくれている感じだった。

二人は私のことを心配してくれている感じがした。

なんだか既知の間柄のようで、、、

自分も「ありがとう、大丈夫だよ」と応えた。

「そうか、じゃあな」とふたりは押入れのほうに
おどけたような歩き方で、なんどか振り返りもどっていき
フワッとその中に入っていった。

全然こわくなく、
小さな医者が回診にきてくれたような、

二言三言、自然なやりとりをしていたのだ。。


ふと、アレっと気づいた。

一人暮らしの自分の家に、他人が2階に来るわけがないと
気づくまでに、そう時間はたっていなかったと思う。

ガバッと起き上り、押入れを全開にした。

誰もいない、、当然のことだが、、いないわけがないという
気持ちが強く残った。。

夢だとしたら、、

夢の中で、これほどリアルな空間(押入れやふとん)を見る
ということは、かつてなかった。

いわゆる白日夢なのか、

それともわたしのもとに、年老いた不思議な存在が現れたのか、、

いまだにナゾである。


目に見えるものが全てではない。

サン・デクジペリは言っている。
「心で見なくちゃ、ものごとは見えないってことさ。
 肝心なことは、目に見えないんだ」と。
 

もしかすると、自分が死ぬときに、

また、その二人は微笑みを浮かべて現れるような気がしないでもない。


他愛のない話だが、不思議な出来事なので、書きとどめておきたい。


 
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宮本輝「水のかたち」を読んでいる

おとといの夕方、NHKをつけると作家宮本輝氏が出ておられた。

今、すこしずつ新刊の『水のかたち』を読んでいる。

東京が舞台で、会話は標準語で語られている。

門前仲町に住む50歳の女性とその家族の話だ。

自分と同時代の女性たちの話で、なぜか、うれしい。

この小説は評判をよぶだろうし、
多くの読者を得るだろう、と予感している。


人生の折り返しをすぎ、静かに立ち上がり、
心豊かに、ギアを入れていく話だ、と思っている。

どのような状況にあっても、たとえ地獄にあっても、
ギアを入れ直し、再生する。
それが宮本文学の通奏低音になっていると、思っている。

そして、
小説を終わるころ、大団円、豊かな昇華を迎える。
それは至福の、心地のよさだ。

輝先生は、インタビューで、20代のとき、
ご自身が突如、死にたくなるという、
パニック障害ななったことを語られたが、、

しかし、、

その病気があったからこそ、作家になれた。
パニック障害は財産だと言われたこと。

その後も、結核そして糖尿病と病気の連鎖だったが、
結核は完治させ、
糖尿病は徹底した糖質制限で平衡を保たれておられる。

また
「50をすぎた人の情熱しか信じないといった」
というある人の言葉がようやくわかるようになったとも
言われていた。

4年ほど前から、
宮本輝公式サイトにログインしていて、その中の
BTCというところで、ときおり輝先生は書き込みをされるが、
「50をすぎた人の情熱」の話は何度かかきこまれていたので、
あらためて、その思いを知ったことになる。

輝先生は何度か私の書き込みに対しても、
コメントをくださったことがある。

半世紀以上も年が離れている長女がいること。
直腸がんのこと。
不妊治療で採精のことなどを書き込み、その返事だった。

いずれも心に染み入るものだった。
人間・宮本輝を感じさせていただいた。

ここに載せるはルール違反になるかなと思い、
ずっとさしひかえている。


7歳も上の人に対して
僭越だが、人間・宮本輝氏の目が好きなのだ。


とてもいい目をしている。

人生でであった人の目の中で、ベスト3に入るだろう。

おとといのNHKをみたときも、やっぱりいい目をしていた。

まだ実際に、お会いしてはいないが、期待を裏切らないだろう。


以上「日本映像の20世紀」のテーマソングを聴きながら
作家宮本輝の雑感を書いてみた次第

それにしても、
千住明さんの、この曲はいつも涙腺がゆるむ。
たぶん日本人は誰もがそうなるだろう。。


 
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創作「エルマーのぼうけん」の続編、その1

また、病気とは関係ない話を載せます。ご容赦ください。

今、長女は「エルマーのぼうけん」「エルマーとりゅう」
「エルマーと16ぴきのりゅう」の三部作にはまっていて、ここ連日、音読をせがまれる。

そして娘の方から、このつづきを考えようということになり
二人でつぎの物語をつくってみた。

娘が描いた挿し絵が一枚ある。

エルマー創作

クラウド的に、ここに残しておきたい。


エルマーとボリスとねこのミャアそして「せんりがん」

1ミャアのびょうき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2エルマー、ボリスにあいにいく・・・・・・・・・・・・・・・・
3エルマーとボリスとミャアはカナリアとうにいく・・・・・・・・
4エルマーとボリスとミャアは「ねこのびょういんとう」にいく・・
5エルマーも「せんりがん」をもっていた・・・・・・・・・・・・


《1 ミャアのびょうき》
 ボリスが「そらいろこうげん」にかえってから、あっというまに、
はんとしがすぎました。エルマーは「かれき町」で、お父さんとお母さん、
そしてとしおいたねこのミャアとたのしく、しずかなせいかつをおくっていました。

 そのふゆのことです。さいしょのこがらしがふくと、ミャアはせきをしはじめ、
やがてたかいねつをだし、ほねのふしぶしをいたくなってしまい、
あるくことができなくなってしまいました。なんだかいっこうになおりません。

 エルマーはひとりかんがえました。
(ミャアをこのままほおっておいては、びょうきはわるくなるばかりだ。
そうだ!まえにカナリアのフルートがはなしてくれた「ねこのびょういんとう」に
ミャアをつれていこう。
そのびょういんのおいしゃさんにしんさつしてもらい、よくなるくすりをのませよう・・・)と。

 そしておもわず、エルマーはこえをだしました。

「どうやったら、『ねこのびょういんとう』にいくことができるんだろう?」と。

とつぜん、ちかくでやんでうずくまっていたミャアがいいました。

「いまボリスとはなしをしたら、
とんがりさんみゃくのふもとまできてくれるっていってたよ」と。

「えっ、なんでボクのかんがえていたことがわかるんだい? 
ちょうどいま、きみのびょうきのことをかんがえて、
ねこのびょういんとうにつれていこう。
でも、どうやったらつれていけるんだろうとかんがえていた
ところだったんだからね。…どうしてわかったの?」

それをきいて、ねこはほほえむばかりでしたが、

「じつはね、ぼくとボリスのあいだには『せんりがん』があってね、
こまったとき、おたがいにはなしができるんだよ。
どううぶつじまでボリスがとらえられていたときも
『せんりがん』ではなしあったんだよ」とはなしてくれました。

「せんりがんって、どんなどうぐなの?」と
エルマーはふたたびミャアにたずねましたが、
ミャアは「どうぐなんかとちがうよ、でもあとはボリスにきいて。

だって、もうぼくはすっかりつかれてしまったからね」といって、
うずくまってねむってしまいました。

「よしわかった、ふたたびボリスのところにいこう」とエルマーはきめました。

ながいたびになるかもしれないから、もっていくものをかんがえなくちゃ。
ぼうつきキャンディー、キャットフード、チーズ、えんぴつとコンパス、
おかねとちず(これははんとしまえ、ぼうけんからかえったあとに、
おもいだしながらつくっておいたんだ)をあつめました。

そこで、そっと、お父さんのところからかりてきたリュックサックのなかに、
あつめたものをいれました。

これで、じゅんびはととのいました。


《2 エルマー、ふたたびボリスにあいにいく》
 ミャアはリュックサックにはいりましたが、
いきができるようにかおだけだしていました。
しかしいきはあえぎあえぎで、くるしそう。

ゆうよはありません。いそがないと。

ごぜん八じ、「がれき町」のえきから「わかめわん」のえきまで、
ふたたびきしゃにのることにしました。

かいさつをとおるときミャアはリュックサックのなかにかおしずめていたので、
きっぷをかうおかねは、エルマーのぶんだけですんでしまいました。

 「わかめわん」のえきをでたのは、ごぜん十時でした。

すると、ワゴンさんとそのおくさんがかいものをしたかえりで、
トラックにのりこむところにであいました。

いっこくもはやく『とんがりさんみゃく』のふもとにいきたいエルマーは、
ワゴンさんたちに

「とんがりさんみゃくのふもとまで、
トラックのにだいにのせていってください」とおねがいしたのでした。

「どうしてそんなところまでいきたいのかね」とワゴンさんはエルマーにたずねました。

しょうじきなエルマーはつつみかくさず、
かいねこのびょうきをなおすためにりゅうにあいにいくことをはなしました。

「りゅうだと、そうか!あおにゅうどうは、やっぱりほんとうだったんだ。」
とワゴンさんいいました。

もし、ふたたびあったら、ワゴンさんはてっぽうでボリスをうとうとおもったのでしょうか。
いえいえ、そういうワゴンさんには、とても思えませんでした。
なぜでしょう。じつは、りゅうをみたよくじつからおうちにふしぎなことがおきつづけたのです。
うしのおちちがふだんの3ばいでるようになったのですから

「わかった、いいだろう。のせていってあげるよ。
あのりゅうはいいことをもってきてくれたからね」といい、
エルマーとミャアを『とんがりさんみゃく』のふもとまでおくりとどけてくれました。
それは十一じのことでした。

するとやまのいわかげから、ふたりをみつめるボリスがいました。
もうまっていてくれたのです。エルマーはふたたびなんで、
じぶんたちふたりがくるじかんをボリスがきちんとわかっていたのだろうと
ふしぎにおもい、ボリスにたずねました。

「なんでくるじかんがわかったの?それも『せんりがんのちから』なの?」と。
「ミャアからなにかきいたのかい?エルマーくんはまだわからないだろうけど、
もともとりゅうには、こころのなかに『せんりがん』があって、
それをのぞくと、だいじなキズナのあるともだちがこまっているときは、
いつでもすぐみえて、たすけにいくことができるんだよ。」とこたえたのでした。

「そうなんだ。りゅうのこころってすごいんだね。」

「ちがうよ。ミャアはもちろん、エルマーくんにも、
おなじ『せんりがん』はあるんだ。
でも、たいせつなときがこないと、
『せんりがん』があることをきづくことができないんだ。」とこたえました。

「そういうことなら、はなしははやいね。
ミャアのびょうきをなおすために、ねこのびょういんまでとんでいってほしいことは、
もうとっくにわかっているのだろうからね。」とエルマーはこたえました。

「そのとおり、たすけてくれたおんじんであるエルマーくんとミャアのためならば、
なんでもするよ」とこたえました。

すべてのであいは、うまくかみあってうごいていくかんじがしました。

十一じはん、カナリアとうにむけて三にんはとびたちました。


《3 エルマーとボリスとミャアは、カナリアとうにいく》
そらはよくはれ、こんどはあらしのよかんはしません。
ボリスのせなかは、とてもかいてきで、
とびながら、エルマーはリュックサックからコンパスをとりだし、
ちずをひろげ、コンパスのはりをみながら、めざすほうこうをボリスにおしえました。

ともだちのカナリアに「ねこのびょういんとう」のいちをおしえてもらうために、
カナリアとうをめざしたのです。

十二じになりました。ミャアはすこしずつよわってきていました。
しかもおなかもすいていそうでした。うみをわたっているところでしたが、
エルマーはリュックサックからキャットフードをとりだし、ミャアに食べせました。
とんでいるボリスの口のなかに、ぼうつきキャンディをほうりこみました。
さいごに、チーズをとりだし、じぶんの口にほおばりました。

カナリアとうについたのは、ごご三じでした。もうじき夕方になってしまいます。
いそいでカナリアのフルートにあわないと、ミャアはしんでしまいます。

すると、どうしたことかフルートのほうからエルマーのもとにとんできてくれました。

「なんのためにカナリアとうにきたのかは、もうわかっているよ。
ぼくにも『せんりがん』があるからね。きみたちがみえていたんだ。
ぜんぶわかっているよ。」とはなしかけてくれました。

そして、エルマーのちずに、「ねこのびょういん」のいちをくちばしでしめしてくれました。
エルマーはそこにえんぴつでしるしをつけました。
ここでも、むだなじかんはかからないで、つぎことにとりかかることができました。

「ありがとう。そうなんだ。フルートくんも『せんりがん』をもっているんだ。
みんないいな、すごいんな」とすなおに、エルマーはみんながうらやましくおもえました。


《4 エルマーとボリスとミャアは、「ねこのびょういんとう」にいく》
フルートがおしえてくれた「ねこのびょういんとう」はカナリアとうから
それほどはなれてはいませんでした。なんてこううんなんでしょう。

ひがしずむまえ、ごご四じにカナリアとうにつくことができたのですから。

「よかった。これでミャアのびょうきははなおすことができるぞ。」

ねこのびょういんとうは、カナリアとうとおなじように、
ひとはまったくすんでなくて、ねこさんたちだけが、せいかつしていました。
ねこのおいしゃさん、ねこのかんごしさん、ねこのかんじゃさん、
そういうねこたちだけがすんでいました。


びょういんのうけつけに三にんでいくと、かかりのおんなのこのねこがいいました。
「ここからさきは、びょうきのねこさんだけがはいれます。
あなたたちは、そとでおまちください。」と。
「それはざんねん。でもびょういんのルールにしたがって、
ぼくたちはそとでまつことにします。」とエルマーはこたえました。

そとの「かつおぶしかいがん」でまとうとエルマーはかんがえましたが。
けれども、ボルトがほほえみながら、こういいました。

「だいじょうぶ。エルマーくんにも『せんりがん』のどうぐがつかえるときがきたようだ。」と。

 そしてエルマーをじぶんのせなかにのせると、「かつおぶしかいがん」からとびたち、
しまのおくにそびえたつ『ねこみみやま』のてっぺんまで、いっきにとんでいきました。
じこくは、もう四じはん。

《5 エルマーも『せんりがん』をもっていた》
やまのてっぺんは、夕日のしずむ、しまのしほうがよくみえました。
「どうしてこんなやまのてっぺんにボクをつれてきたのさ」と
エルマーはボリスたずねると、ボリスはおちついた、
ひびきのあるこえで、いいました。

「エルマーくんのもっている『せんりがん』をひきだすためさ。
いいかい、しんぱいなミャアのびょうきがなおるようにするためには、
さいしょはできるだけたかいところにいって、
そこで、いっしょうけんめいミャアのことをいのるんだ。

そうするとしだいに、こころのなかにせんりがんがあることをわかってくるからね。」
とボリスはいいました。

「そうなんだ」とすなおにうなずき、エルマーはボリスのいうことをきくことにしました。
すぐボリスのいうとおりにしました。ちかくにあったまつのきにのぼり、
やまのふもとのほうをながめ、とおくちいさくみえるびょういんをじっとみつめ、
ミャアのびょうきがなおることを、いっしょうけんめいおいのりしました。

そうしてしずかにエルマーのうしろにたったボリスは、おおきくいきをすい、
さわやかなかぜのようないきを、エルマーのせなかにむけて、ふきかけました。

すると、ふしぎなことがおきました。びょういんにいるミャアのすがたが
くっきりこころのなかにうかんできたのです。びょういんはちいさくしかみえないのに、
じぶんのこころをのぞくと、ミャアがおいしゃさんにいわれているところ、
くすりをのんでいるところが、くっきり、みえてきたのでした。

(あっ、みえる)とエルマーがつぶやいたとき、
「みえたかい、ぼくが…」とこたえるこえがきこえました。

(あっ、そのこえはミャアだね。ぼくたちは、はなれていても、
はなせるようになったんだね。これが「せんりがん」っていう、こころのどうぐなんだね)

(そう、これで、ぼくたち、キズナのあるなかまはぜんいんが
「せんりがん」をもつことになったね)

「おめでとう、ようやくエルマーくんも、せんりがんという、
こころのめがひらいたんだね。よかった。」とボリスがほほえみながらこたえました。

ゆうがたの六じ、すっかりあたりはくらくなりました。

ところが、よくなって、びょういんのそとにでてきたミャアは、こころからでるひかりで、
かがやいていました。そこへ、ボリスのせなかにのったエルマーがまいおりました。

ふたりは、ともにいっぱいよろこび、だきあいました。

「もうだいじょうぶだね。」


めでたし、めでたし、おしまい。

このつづきは、またいつか。



今日、娘は母親と、学校に内緒で、ディズニーランドに行っている。
私の小学校のときには、あり得ないことだが、、
家内に決定権があるので、あらがうことは、、やめにした。

金子哲雄氏の「生きる」を考える

今朝、流通ジャーナリスト・金子哲雄さんが亡くなったことを知った。41歳だった。

舌足らずなのか、その逆なのか、特徴のあるしゃべり方をする人で、
キモい感じがウリになっていたと思う。

金子さんは1年半前に悪性腫瘍のひとつである
肺カルチノイドに侵されてたが、病気を隠して仕事を続けてきた。

肺カルチノイドは、早期発見でないと西洋医学で治癒させるすべは、
ないらしい。「幻想の頼みの綱」の抗がん剤もお手上げなのだ。

ふとTVでみたとき、やせた感じがした。

周囲には病気を隠し、「ダイエットに成功した」と説明していようだ。


私は想像する。

たぶん本人はきちんと医師からがん告知され、
余命1年とか言われていたに違いない。

ご自分の砂時計をみつめていた、、

そして直前まで、ツィッターなどをしていたり、

仕事をする道を選択されていたのではないか、、

「がんで仕事ができなくなった人たちに
勇気をあたえたい」といっていたそうだ。

ご自分の人生の最期を生きたのだろう。

黒沢明の映画「生きる」に通じる。

さぞかし、ご本人は残念なことだろうが、

余命をよく生きられたと、、

と想像するのだ。


私も、「生きる」の道を選びたい。


 
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