折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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アラ還の正念場

私は、今年の11月で
58歳になろうとしている。

いわばアラ還暦だ。



今日の昼過ぎ、家内からメールが届いた。

ギョッとする!!



「採血データでは着床しているようです」と。



第二子誕生することになるのか、


アラフォーだから、リスクはあるだろうにな、と

不安がつのりだした。



あぁ、自分が産むわけではないけど、、

順調にいったとしたら、

10月生まれになるのだろう、、


家内も10月生まれで


私と長女は11月生まれと


2対2で、

均衡する感じだな。



なんとなく男の子のような気がする。


正念場が積み重なってやってくる感じだ。


自分の人生はつくづく


チャレンジャーだな、


という感慨が


矢のようによぎった、、



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無所属の時間

無所属という言葉、
政治的なものをイメージしてしまうけれど、
違う。

山本七平氏が書かれた本のタイトルだ。

「気くばりミラー」という独創的な会社
コミー株式会社の社長である
小宮山栄氏が「無所属の時間」を実践していると
書いていて、この本の存在を知った。

「はじめに」でこうあった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一人の人間の生き方は、
あるときはその判断の基準に「個」が表に出て
「所属」が裏にひそみ、
あるときは「所属」が表に出て「個」が裏になる。

とはいえ、この両者は一体で、
人生は長いテープの表裏がよじれた形でつづいており、
ときによって、表が意識されたり、裏が意識されたり
しているにすぎない。

従ってすべての人に「個の面の時」、すなわち

無所属の時間があるはずであり、

これがなければ人は人でない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


内容は50編の随筆であり、

全体の通奏低音として、

無所属という言葉が流れている。



たとえば
「二度死ぬ」にはこうある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

死期が近づくと
人は宗教的信仰的になるという。
この度合いは、相手の無応答に比例して強くなる。

自己の中に本当に応答してくれる他者が実在し、
周囲の人間は逆に存在しなくなる。

人間とは本来こういった無所属のものだな
ということが実感されるのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分の場合、8年前から

既にサラリーマンではなかったので
組織に対する所属の意識は希薄になっていた。

が大事なのは、

組織に対する帰属意識ではなく
一人の時間を持つことの意味の深さを
知ることにある。


入院していたとき隣のベットにおられた、

倉谷光一さんは
NTT系列会社の代表権者で、
海外出張から急遽検査入院されていた。

たった2週間ほどのおつきあいだったが、

倉谷さんは組織という「所属」から徐々に離れていき、

個の、「無所属の時間」が増えていかれた、と思う。


深夜、祈りのような読経の声が、かすかに聞こえてきた、、

よく晴れた朝、私と同じ日に退院され、別の病院に転院された。

長身の後ろ姿が記憶に残っている。

ロッカーに忘れ物があったな、、


その、ゆったりとしたジャージー姿で出ていかれた背中は

無所属の時間が流れていた、と思う。



一月後、


忽然と、亡くなられていかれた、、



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手術の直後の体験

2010年5月25日に
五反田のN病院で行った
直腸がん手術の
とりとめない思い出などを、、

まず、やはり恐怖はあった。

手術前夜、執刀医と麻酔科医師と
手術担当の看護師の説明を受けても
どこか他人事のようで、

でも、ジタバタする時間はなく、
流れのまま、
病院全体の進行に委ねる感覚だった。

N病院は、
動線にゆとりがあり、
清潔感があり、
患者にストレスを与えない
配慮があった。

なので、まな板の鯉でいこう、
腹をくくった、


手術室に運ばれるとき、
天井の照明の連鎖が懐かしかった。

あの、ベンケーシーの始まりの
映像と同じだったからだ。

無論、それを看護師に告げても
わかりはしなかった、そりゃそうだ、、

手術室は、飛行機の格納庫をイメージした。
モダンジャズが流れていた、
前夜にリクエストしていた通りのことだったが、
麻酔をしたら聴こえなくなるよね?と
看護師にたずねたら、
そうですねとかえってきた。

横幅の狭い手術台に移された。

じゃ、O先生、よろしくお願いします、
今から、最初の麻酔を入れてきますね、
という声を聞いて、

そうか、と目をつむった途端、、

時間は飛んだ、、、

手術は予定通り3時間で終った。

それまでいた4人部屋から、
個室に移されいた。

3日間個室暮らしになった。

個室は苦手だった。
閉塞感があって、たちまち息苦しくなった。

ドアの開閉音もドキッとした。
次第に病院全体が監獄のように思えてきた。

この感覚がひどくなると
パニック障害になるのかもしれないとも
思えた。

そして術後の最初の夜、
暑苦しく、喉がかわく、
全身が振動し、
棺おけの中に無理矢理に
入いらされているようで、

もがくように目をさました。

臨死体験というほどに
明瞭ではなかったが
自分の体を離れていたかも、と思った。

ふとサイドワゴンの引き出しに
目をやった。

ワゴンの下の部分は
ミニ冷蔵庫が収納されていて、
壊れているのかすごい音を出していた。

ワゴンの引き出しを開けると
その中は、冷蔵庫の中は暑さと
振動で揺れていた。

そこに、世間でいうお守り、があった。

あぁ、そうか、

自分はお守りの中にいた、、

心はそこにあって
引き出しの閉塞感に苦しんでいた、、

そう実感した。

というのも、そのお守りは
世間のモノと異なり、

神のように自分の外部にあって
自分を守ってくれるのではなく、

自分の内部の深奥にあるものの表象であり、
自分が守るべきものとしてある、、
という根本的に、意味の変容 があるモノだ。

だから自分がその中にいたという感覚は
不思議なことではない、、

という妄想は成り立つ。


冷蔵庫をOFFにすると、
事態は終息していき、
落ち着きをとりもどした。

他愛ない話だが、
書きとどめておきたい。


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体が拒んだ抗がん剤

昨日は、夕方から頭痛がしはじめ、
次第にきつくなってきた。

関節は痛まなかったので、
インフルエンザではないはず、

夜中、pontal cap ポンタールを飲む。
この薬は、期待を裏切らない。
必ず、頭痛と肩こりを解消してくれる。へ

ポンタールは、
マイフェイバリット薬の
ナンバーワンかもしれない。


その真逆がFOLFOX4だ。

実は、ゼローダを内服する前に、
FOLFOX4を三回試みていた。

2009年5月に手術をし、
6月下旬、最初のFOLFOX4を
点滴静注した。

その詳細を示す表が出てきたので、
載せておきたい。

3日間をかけて
点滴静注するプランだった。

1.生理食塩液の点滴静注 50ml
ナビアの点滴静注 1A
デカトロンの点滴静注 6.6mg
所要 30分

2.生理食塩液の点滴静注 50ml
所要 30分

3.ブドウ糖の点滴静注 100ml
カルチコール注 12ml
硫酸Mg補正液 8ml
所要 30分

4.エルプラットの点滴静注 142.46mg
ブドウ糖の点滴静注 250ml
所要 2時間

5.ブドウ糖の点滴静注 250ml
アイソボリン点滴静注 167.6mg
所要 2時間

6.ブドウ糖の点滴静注 100ml
カルチコール注 12ml
硫酸Mg補正液 8ml
所要 30分

7.5FUの点滴静注 670.4mg
生理食塩液の点滴静注 50ml
所要 12時間30分

8.5FUの点滴静注 502.79mg
ブドウ糖の点滴静注 500ml
所要 12時間30分

9.5FUの点滴静注 502.79mg
ブドウ糖の点滴静注 500ml
所要 12時間30分

10.ブドウ糖の点滴静注 250ml
アイソボリン点滴静注 167.6mg
所要 2時間

11.生理食塩液の点滴静注 50ml
所要 30分

というメニューで、投薬する。

最初の6月下旬の3日間は、
少し便秘に悩んだが、
あとは問題なく、終了した。

余談だが、投薬して数日後
尋常性乾癬がかなり緩和されたことを
今、思い出した。

これを毎月のペースで
計6回やる計画だった。

ところがだ、
7月も8月も
上記7.の5FUを開始して
7時間を経過した頃から、

急激に発熱、40度を超えてしまい
深夜、担当医にストップをかけられてしまった。

高熱になれば
がん細胞は死滅するのだから
続けさせて欲しいと、
懇願したが、ダメだった。

たぶんエビデンスにない事態なのだろう、
続けたら、そのまま死をむかえるかもしれないと言いだした。

担当医は、首をたてにふることはなかった。

一回10万円はかかる。
20万円をドブに捨てたのと同じだった。


で、考えた。

この高熱は、
体の正常な細胞が
渾身の力を込めて、
抗がん剤は要らないと訴えている、、

そうだ、抗がん剤に頼るのではなく
わが60兆の正常な細胞の声を真摯に
受けとめよう、と決めた。

その時、60兆細胞を本地とする思想に立とう
と決めた次第。



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私の抗がん剤は

部屋を片付けていると、
くすり手帳がでてきた。

内服の抗がん剤である
ゼローダ錠300を服用した
記録である。

1.H22年9月27日に調剤
一日二回 朝夕食後30分
1回5錠 21日分⇒125錠

2.H22年10月15日に調剤
一日二回 朝夕食後30分
1回5錠 7日分⇒35錠

3.H22年11月12日に調剤
一日二回 朝夕食後30分
1回6錠 14日分⇒84錠

4.H22年12月7日に調剤
一日二回 朝夕食後30分
1回6錠 14日分⇒84錠

以上で終了させた。
合計328錠だった。

CT検査結果は
転移の兆候なし

血液データも
ずっと正常値だった。

ゼローダは意味ないな、
という気がしてきた。

この薬のおかげとは
思えなかったのだ。

担当医にたずねると、
継続するのも、
終了するのも、
私の自由だと、返してきた。

医学的な見知なんて
私の場合には、

ないんだ、と感じた。

やめるにあたり
少し恐怖はあった、

でも、
正常な細胞が破壊されるのは
見過ごせない。

悪心(おしん)という副作用がある。

私の場合、
服用してから三時間ほど経過すると、
頭のてっぺんから
背中にかけて溶けるような
鈍い痛みを感じだす、、

それだと思っている。

悪心の本質は、、

正常な細胞が
数十億単位で破壊されていく現象、、

それが悪心の本質だと感じた。


なので、
抗がん剤ではなく

自分の60兆の細胞と
その免疫力を信じて、

終了を決めた。


今、あらためて
そうしてよかったと思っている。

私は、
自分のがんによって、
自我とは別に、
60兆の細胞の意志がある、
と強く信じるようになった。

体の奥深い所に、自我とは別に
司令塔があって、
そこの意志が、
ゼローダは意味ないよと
知らせてくれていると感じた。

司令塔は、ゼロ・フィールド
というのかもしれないが、

私はこれを本地と呼ぶことにした。

遠い昔、
亡くなった娘に再び会えるか
という問いに対して、
それは本地の問題だ、と
答える人がいたからだ。

今、そう教えてくれた
直腸がんに、
感謝の気持ちさえ
わいてきている。


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タミフルを飲む

昨日は、次第にインフルエンザの
兆候を感じてきた、、

R-1だけでは、心もとないので、
タミフルを二錠飲んだ。

2年以上前に、処方された薬だが、
残っていた。

捨てるべきかもしれないが、
貧乏症というか、

ズバリ、貧乏なので、

平気で飲んだ。
副作用はなかった。

長女と、
ミカン風呂にはいり、
その香りが心地よかった。

今朝は、インフルエンザっぽさは
感じなくなった。

タミフルはまだ2錠残っている。

今日、それも飲むことにする。


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インフルエンザに罹患

昨夜は渋谷で、
自分が仕掛けた大切な会議があり、
事務局をつとめた。

すると隣席にマスクをした人がすわった。

ピークは過ぎたけど、
インフルエンザにかかりました。

といわれた。

(ヤバイ、うつったら困るな)

でも、このところ
R-1ヨーグルトを食べているし、
どれだけ効果があるか、

実感できていいかもしれない、

と、楽観的に思った。

30分もたたずに、
鼻とノドに嫌な感覚がやってきた。

会議は9時に終わり、
10時過ぎに家に戻ると

手洗いとうがいをした。

インフルエンザウィルスの来訪を感じた。

食事のあとに、
意識してR-1ヨーグルトを食べた。

福岡伸一氏の
生物と無生物の間(講談社現代新書)

によって、

食べたものがエネルギーになるだけではなく、
分子レベルで、
すぐに、体を構成する物質と
入れ替わる、ということを知った。

食べることを侮ってはいけないと感じた。

今朝は、まだインフルエンザウィルスが
体内にいる感じがしている。
やや、かったるい。

なので、今朝もR-1ヨーグルトを食べた。

さて、
私の体は免疫力を上げて、
首尾よく
そのウィルスを撃退できるだろうか、、


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友人が脳腫瘍に

昨年の暮れに、
高校のときの友人Kから電話があった。

Kは那須で暮らしている。
家人に、
アルツハイマーとか、
うつではないか
と言われ、脳神経内科を受診した。

そこで、MRI診断をした。

すると、脳の中央、
髄液のところに
親指大の腫瘍らしき
白っぽい影があった。

部位が部位だけに、
しばらく経過観察として、

4月に、またMRI診断をやると

たんたんと話してくれた。

まだ腫瘍と判定されたわけではない。

たしかに還暦が近い
私たちなので、
何が起きてもおかしくはないのだが、、

自分のことのように
心配している。

そこで、先日、
Kに、次のメールした。

……

今年は、ウンザリするかもしれないけど、メールをしたいと思います。

先々週、
今日かかりつけの医者(東大病院)から
聞いたのですが、、

日赤広尾病院に、

放射線治療の機器で
日本に初導入した
機器があるそうです。

症例で、
婦人科のがん患者で、
脳に転移したけれど、
この機器で、
きれいに除去できたそうです。

医療機器は最新鋭がいいと
実感してますので、

情報の一つとして

ご連絡します……と。


今週になって返信が来た。
元気なようなので、

ひとまずは安心した。



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明治ヨーグルト R-1を食べている

今朝のNHKの朝イチでも取り上げていた
ヨーグルトの「R-1」について

食べ続けると
インフルエンザにかからなくなった、
という次の話がある。

佐賀県はインフルエンザ感染者数ワースト1。
その佐賀県で、
小学生のインフルエンザ感染率を
激減させた町があるのだ。

その町の大山小学校はインフルエンザ感染数が
最も多かったが、
学校でR-1ヨーグルトを飲み始め激減した。

有田共立病院の井上医師は
「R-1乳酸菌は人の免疫を担当する細胞を
活性化させる働きがある」とコメント。


その名は乳酸菌1073R-1乳酸菌に由来する。

1073R-1乳酸菌は、ブルガリア菌の一種で、
「EPS (Exopolysaccharide、菌体外に産生する多糖体)」
を多く産生する特性があり、
EPSには免疫賦活作用があるとされる。

この免疫賦活作用により、
免疫力が高まり風邪をひきにくくなること、
インフルエンザウイルスに対して
感染防御効果をもつことが報告されている。

TV映像で、R-1を取り込んだNK細胞が
盛んにがん細胞を破壊する光景を見た。

これはイケる。

抗がん剤ではないから
食べ過ぎてはダメということはない。

それで、先週から
明治ヨーグルトのR-1を食べ始めた。

じっくりと1年は継続してみるつもりだ。


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がんのパラダイムシフトを宣誓したい

人気ブログランキングの上位者の方で

「直腸がんで人工肛門になった医者の日記」というブログがある。

迂路石というハンドルネームの泌尿器科の先生だ。

お歳は47歳くらいか、、
ブログの文章から、とても誠実な医師のようにうかがえた。

迂路石先生は術後の最終検査のステージは2であったと
記憶している。2はリンパに浸潤していないレベルのはず。


なので人工肛門の大変さを語られるブログかな、
という印象であった。

それに先生は予後の食事も注意深く、とられていたので、
順調に回復されていくものと楽観していた。


数か月近く、そのブログを読むことはなかった。


ところが、最近、
術後1年以内に転移があり
放射線治療をされていたことを知った。

さらに今月末には抗がん剤治療に受けられる、

とブログにあり、驚いてしまった。


予後に個体差があることは承知しているけど、

なんか納得がいかない、、なぜだ、、


そこで、これから少しずつ
迂路石先生のブログを
遡って読むようにしようと思っている。


現在、自分は転移なしの状態でいるから

一種の、上から目線で

そのブログを読むわけではない。


なぜだ、

と問い続けたいからだ。


今は、つじつま合わせで、

こんなことが思い浮かぶ。


西洋医学の医者として、
客観的な治療データであるエビデンス
という思想が心神に染みついていることから、

無意識のうちに
「がんの予後」を悲観する思考が全身を支配している
のではないか、と。


そんな主観など、
エビデンスとは無関係に思われるかもしれないが、


がんほど、恐怖心や思いこみに左右される病気はないのではないか?
と実感している。


がん患者一人一人、余命宣告など、無視する思想、

最期の一瞬まで希望を持ち続ける思想、

がんパラダイム・シフトをすべき時が来ていると思う。

そこで、今日からブログ名の冒頭に、「がんパラダイム・シフト」を
掲げることにした。

そして、生涯をかけて
3000の記事を書こうと決めた。
毎日書いて8年はかかる。

やってやろうじゃないか!
私は死なないのだから、、



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花まる学習会の高濱正伸氏の言葉

花まる01
今、保育園の年長組で、
最後の冬をすごしている長女は、

卒園をひかえて
いろいろ話し合って決めるときに、
みんなモジモジ膠着状態でいたところ

意外にも、

率先して意見を言ったりするそうだ。
これには驚いた、、


おそらく、昨年11月から通いはじめた
花まる学習会の影響かな、と思った。



自宅から近くに教室があることが
わかり、資料をもらい、

わたしが体験学習に付き添った。


メシが喰える大人を育てる

という目的観に、

その通りだ、と共感できた。


早速、家内の了解をとりつけ
入会手続きをした。

もう土曜日は定員になっていて
通えるのは水曜の午後だけ、、

よし、水曜の昼過ぎ
私が保育園に迎えにいき
連れて行こう、ときめた。

案の定、長女は花まる教室が
大好きになっていった。

日曜日の夜、ソロモン流で、
花まる学習会の創立者である
高濱正伸氏が出演していた。

高濱正伸


高濱正伸氏は子を育てる上で

父親だからできることとして

「良い母像を作るサポートしなさい」と

最近、主張されている。


だぶんご自分の家族の状況を
踏まえた上で、そう主張されている、のだろう。


高濱氏のご子息、丈太朗さんは生まれて間もなく
脳性まひになり、身体が不自由の身となった。

TVにひるむことなく、
父子の姿を見せておられていたことに、

表現しづらいほど、感動した。


そんじょそこらの想いでは踏み切ることなど
到底できない

勇気のいる映像だった。



そうして、高濱氏言う

 …妻に言わせると、
 丈太朗のお陰であなたは真人間になれた、言っている
 くらいで、実際振り返ってみると頑張れた理由は
 丈太朗の存在が一番大きいと思いますね、、

 サボらないで来れたというか、
 毎日夜寝かせていると
 「よし次も明日がんばろう」って思いますし
 そういう意味では、ものすごく力をくれる存在だと
 思いますね、はい 
 



先週の土曜のNHKドラマは「とんび」の後編だったが、
エンディングのところで、
堤真一が演じるヤスは、
所帯を持った息子にこういう、、


 親はそげん偉ろうはない、、

 親は子どもに育てられているんよ、、




全く、その通りだ。


堤真一はいい役者だと思う、、

堤さん、ご自身も、いい家庭を築いてくださいませ、、


三剤併用の副作用

昨日、三ヶ月ぶりに、
かかりつけのM医師の
診察、対話をした。

12月のCT検査結果で、
直腸がんの転移はなかった
ことを告げると、

まだ油断してはいけません。

と諭された。

ごもっとも、、
引き続き、食事に注意しよう、と思った。


次に、C型肝炎の三剤併用治療が昨年
健康保険の適用になった件で、
どんな感じかうかがった。

三剤併用療法とは従来の
ペグイントロン+レベトールに、

さらに、

プロテアーゼ阻害剤として、

テラプレビルを併用する療法の
ことだ。


ウィルス量が多い人、具体的には

5.0LogIU/mL以上 この数値、私は6.3ある。
または300fmol/L以上
または1Meq./mL以上

難治性C型肝炎患者の治療法なのだが、、



副作用として、

全身に発疹が出ることを教えてくれた。


初めて聞いた話だ。


虎ノ門病院では、
治験段階から
ステロイドの内服をさせて
対症療法をしていた
という。


なので、
一定規模の医療機関でないと
三剤併用療法はできない、と言われた。

となると、

私のように、尋常性乾癬のある人間が
三剤併用療法をやるのは、
かゆみとか、発疹の拡大とか、
たまらない事態をまねきかねない、

そりゃ、難しいですね、とたずねると、

M医師は、

この療法は、
耐性も出来やすいので、
私の場合は、
やらなくて、いいのでは、と言われた。



もう還暦が近いわけだし、

それもそうだな、

静かに、

そう思った。

松野哲也先生にメールを出す

ここまで転移なく来れた理由の
一つは、
プロポリスを一年以上
飲み続けことにあった
と思っている。

術後4ヶ月経ち、
プロポリスの第一人者である
松野哲也博士の本を通じて、
よし!試してみよう、と
決めたのだ。

松野先生自身が大腸がんを
克服された方なので、
信頼できた。

そして、術後2年に近づく今、
お礼のメールを出すことにした。


以下、メール内容は、、

松野先生へ

はじめまして、
山口つとむ(57)と申します。

2010年5月に直腸がんの手術をし、
もうじき2年になりますが、
幸い、転移はなく、
今に至ってます。

手術後、抗がん剤を投与をしたのですが、
40度の発熱になり、投与をやめました。

そのとき、抗がん剤を拒否する自分の
体を信じることにしました。

60兆の細胞が抗がん剤を拒否しているのだ、と思いこむことにしたのです。

そして、さまざまな情報を集め、
その取捨選択し、
自分の力で治すことを決めました。

そして先生の
ガンはこわくない!
現代医療を超えて
を読み、プロポリスを飲むようにしました。

今でも思い出すのですが、
最初に40mlを飲んだとき、
下腹部から両足にかけて
ジンジンとくるものがあり
微熱が出たのですが、
細胞が歓んでいる感じがして、
心地よい感覚になりました。

抗がん剤に対する体の反応とは
全く異なる感覚でした。

また、私の場合は
整体ではなく、
気功をやっておりますので、
気の存在は実感しています。

ともあれ、
プロポリスの有効性を
著作を通じて教えてくださり、

ありがとうございました。


質問があります。

私と同年57歳の友人が、脳幹の先端に、親指の大きさの腫瘍らしきものが発見されました。
まだ放射線治療はせず、経過観察するとのことです。

こうした症例においでも、
プロポリスは有効でしょうか?

よろしくお願いいたします。

小学生になる娘のこと

ジブリ美術館を走る

2005年11月に生まれた一人娘は

4月に小学生になる。

いままで、

このブログには

私をふくめ家族の写真は一切載せてこなかったけれども

さきざき娘に読んでもらえるかもしれないし、、

と思い、


彼女のことを載せようと思う。


本当によく育ってくれた。


ジブリが好きで、、

2011年12月に放映された

「天空の城 ラピュタ」が

今のお気に入りだ。


「風の谷のナウシカ」はまだ恐いらしい、、



ラピュタに限らず
ジブリのアニメを、

最初は恐々みていて
何度も観つづけて、
夢中になるというカタチは変わらない。


写真は3歳ときに行った
三鷹のジブリ美術館のときのもので


左手に持っているのは

ネコバス、、


ブラピの「ベンジャミン・バトン」と、がん物語

2・3日前に放映されていた
「ベンジャミン・バトン」の中で、

相手役の女性が交通事故にあう経緯を
ベンジャミンが回想するシーンがあった。

一つ一つ小さな出来事が折り重なって
彼女は大けがしてしまうことを回想している。。

仏教でいうところの縁起なのだろうけど、

そう考えればそうだなぁ、

と思い当たる経験が自分にもある。


既に前にも書いたことだが、、


2009年1月25日の日曜早朝に

あるマンションの階段のヘリにかかとがはさまり
もろ!尾てい骨に響く、大きな尻もちをついた。

人生で感じてきた激痛の最たるものだった。


一周間後になっても、発熱するほど
痛みはどんどん激しくなり、、


2009年2月1日の日曜を迎えた。

この日、自分の出た高校の国語教師が、

余命半年の末期の胃がんになっていて、、
その生前葬みたいな同窓会に参加したのだ。


その教師は当時NHKにも取り上げられるほどの
人気教師で、同窓会はある意味最後の授業だった。


今は「2人に1人は、がんになるし、
3人に1人は、がんで死ぬ時代」と教師は指摘してくれ、

自分は抗がん剤はやらずに、
できるだけ体を温めて、
グライダー飛行のように生きていく、、

とも言われた。


そして、2009年10月23日
その教師は最期まで血色の良いまま、静かに亡くなられた。


私の体は
そのころになっても
尻もちをついた尾てい骨の痛みは
一向にとれずにいた。

そして

同じ2009年12月末に、
仕事上の友人の兄が
大腸がんの末期になったことを聞いて、、

何かイヤな予感がはしった。

もしかしたら自分も、がんかもしれない、と。


2010年1月になって、血便らしきものを

時おり確認したたが、、まさかなぁ、、


痔か

尻もちの後遺症だろう程度の認識だった、、

何となく
2010年3月になってから、

その3月末で終わる大腸がん検診(検便)を

やる気になり、受けることにした。


やはり、、

ヘモグロビンが確認され、再検査の通知がきてしまい、、


翌月の

2010年4月に内視鏡をいれてみたら、、


ありゃ、、、

もっこりとした大腸がんが見つかった。


善は急げ、、


2010年5月25日に手術をした、、



という経験だった。




手術を受ける前、
外科医との話し合いで、

彼に云われたことは、、


大腸がんは5年以上のスパンで
出来てきたものであり、


尻もちと大腸がんには
因果関係は全くない、

単なる思い込みですと、
一刀両断されてしまった。


手術前の緊張もあって、
私の言いたいことが伝わらず、

不満がたまったが、、

とりあえずこらえた、、



で、

今にして思うと、、


つまり、


冒頭の「ベンジャミン・バトン」の話のような
物語が自分の内部の中でも、
起きていた、

と感じられるのだ。



ひるがえって

たぶんガンの側からしてみると、、


2005年頃から発症し

わからないように
徐々に大きくなってきたところ、、


2009年の尻もちで、
ようやく本人に気付かれるような啓示を
あたえられてしまい、、

さらに、

周囲にがん患者の話を聞く縁に
巻き込まれる事態となり

がんは、
白日のもとにさらされるようになってしまった、、

そう思っていたのではないかな、、と


ご理解いただけるだろうか、、、


今、2009年1月から3年を経過し

感謝の思いとともに、

そういう物語を強く感じる次第である。

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