折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
TOP ≫ ARCHIVE ≫ 2010年10月
ARCHIVE ≫ 2010年10月
      

≪ 前月 |  2010年10月  | 翌月 ≫

惜別、倉谷光一氏 その1

先週、同じ大腸がん患者で、退院日が一緒だった倉谷光一さんに、メールをお送りした。

あの過酷な暑さは記憶から遠ざかり、その後の倉谷さんのご様子をうかがい、
できればお会いして、闘病の雑談をしたかったのだ。

ところが、いっこうに返信がなかった。

もしや、、と思いネットを調べてみたら・・・
7月11日の日曜に逝去されていた。享年59歳と訃報を知った。

エッ!と思わず叫んでしまった。なんで、どうにも信じられない。

倉谷さんから、最初で最後のメールは6月25日で、

「私は帯津病院で統合医療治療に入院して取り組んでいます。
 三大治療は止めにしました。
 がん細胞は一時的に殺しても、体質改善がなければ治癒しないとの
 意見に共感しています。」という応えであった。

その日から半月たらずで、亡くなられていたのだ・・・

ゼローダ投薬2週間を過ぎ

先週金曜にゼローダ投薬の二週間を過ぎたところで
外科医O先生の判断で、
一週間休むことになった。

当初は「三週間投与+1週間休止」の計画だったが、
「二週間+1週間休止」に変更したのだ。

その方が費用負担が減るので、了解した。

O先生の目論見では、、
今後もし再発した場合にオキサリプラチン?を併用することなるが、
その場合に「二週間+1週間休止」の方が都合がいいらしい。

丁度その日、B6キャンパスノート(40ページ)の、
1日1ページ闘病日誌をつけていたのが、
書き終えていた。

ふだんの体重・体温や食事内容や排出回数や、
断想などをメモ書きのように書き込んでいた。

一冊満遍なく書き込んだノートなどなかったので
なんとなく橋頭堡を作ったような、
満足感がある。

書き終えたので、
この際、新たに150ページのB6ノ-トを3冊買い求め、
1日1ページ書き込むようにした。

3冊終了するのは、2年と6ヵ月後になる。

さてさて途中で終了してしまうか、、

どのようなカラダになっているか、

自分で自分を経過観察することにしたい。

訪問者数
2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
ブログ内検索
全ての記事を表示する
さらばポップアップ広告
javascript:(function()%7Bvar%20d=document;var%20e=d.createElement('SCRIPT');e.setAttribute('language','JavaScript');e.setAttribute('src','http://s6.ql.bz/~mamiya-shou/bm/invalidFloatAd.min.js');e.setAttribute('charset',%20'UTF-8');d.body.appendChild(e);%7D)();