わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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存在とは、コトバとなった音である

(今、2016年11月23日の18:45、遡って書いている)

26日は術後の痛みにさいなまれた。痛ければ、背中からの硬膜麻酔を自分で入れることになる。開腹手術は侮れないな、、

1.術後の3日間は、当直医や看護師にいるブースに近い個室に入った。4人部屋のサイドにあった引き出しはそれごと入れ替えられていた。そういう病院のプロトコルだった。また翌日には歩行するように促され、管がついたまま、個室のドアまで歩いたが、、それが限界だった。発熱もした。あとは、ひたすら眠った。

2.個室は苦手だった。ドアの開け閉めの音が、癇に障った。意識はうつらうつらしていても、その音がうるさいのだ。個室は人生の終焉を迎える場所でもあった。あとでわかったが、神妙な表情の親族がつらなって入っていく場面を2度ほど、見た。

3.にわかに、思い出した、、
この日の出来事は、2013年10月にも書いていた。何かがあった日なのだ。

直腸がん手術の記憶 1.

(今、これを2016年11月23日から遡って、書いている)

1.NTT関東病院7階、病室は男性側の一番奥の左側の病室にいた。4人部屋の窓側、窓に向かって右側のベッドだった。左側側のベッドは、倉谷さんがおられた。

2.その朝、7時前に、起きて体重を測る。初診のときに診ていただいた先生と廊下で会った。朝早くから回っておられることに、リスペクト。自分にはできそうにない。

3.昨夜から、恐怖をともなう緊張感がつのる。昨日の夜、空腹感のなか、唱題1時間と、何故か総勘文抄を音読した。正しい題号は「三世諸仏総勘文教相廃立」である。弘安2年10月に書かれた。ある意味、日蓮の本懐の一つかもしれない。音読しても、意味はわからない。が、それでいいと決めて、音読した。全身の細胞に染みこませるつもりで、音読した。

4.昨日かその前の日か、、同室の人で声しか、聞こえなかったが、自分で尿管を抜いた人がいて、大変な騒ぎに。想像しただけで、痛そうで、何やってんのかな、、と。看護師のいうことに、素直に従うぞと決めた。

5.腸閉塞で緊急入院して来た人もいた。70歳くらいか、、人工肛門になっていたようだ。苦しそうなのだ。

6.手術用のふんどしみたいなものにかえ、手術されようの服にかえて待った。定刻とおり8時20分ころ、手術担当の看護師が現れ、ベッドごと手術する3階に運ばれた。天井の蛍光灯を見て、「あぁ、ベンケーシーみたいだな」とつぶやいたが、ベッドを運ぶ看護師には、その意味はわからなかった。まぁ、半世紀前のドラマだし、時代が違うわけだし、

7.格納庫のような高い天井の手術室には8時30分には入ったと思う。手術室にはスタンダードジャズがかかっていた。昨日、スタンダードジャズのリクエストをしていたのだ。音楽で幾分、気分はいい。

8.手術室全体を360度、見渡した。2回見渡した。もしかして、幽体離脱したら、今見たものと同じか、確認できるようにと思ったのだ。そう外科医に話した。そして「では、ここから先は、先生の腕を信じ、あとはよしなに」と告げた。

9.麻酔科医が来て、注射をすると、一気に意識はとんだ。

10.目覚めたのは14時過ぎ、姉が声をかけてきた。全身が固まっていて、意識はボンヤリしていた。痛みはまだ、押し寄せてきていない、、これからだ。

いづれにしても、、たんたんと手術はすすみ、予定通り、3時間で終わった。

幽体離脱とか、不思議な体験はなく、少し拍子抜けした。

手術の前日

今朝は7:30に起床。6.5時間寝た。体重はは65.1kg。身長は166cm?1cm以上、縮んでいる。

8時、コーチⅡを20回やる。メモリは1500。
10時、コーチⅡを10回やる。
11時、シャワーを浴び、点滴開始、中身はブドウ糖。絶食の開始になった。

薬剤師、麻酔科医、手術看護師から説明を受ける。手術室のBGMは何がいいか?と尋ねられ、そんな配慮をしてくれるんだと驚いた。スタンダードなジャズを希望したが、ビートルズの方が良かったかな?

15時、下剤服用
16時、浣腸。別室に連れて行かれ、浣腸され、出すなと看護師のキツイ指導。耐えた。

21時、レンドルミン1錠服用。金井看護師に感謝。

やはり、恐怖で緊張しているな、、

隣のカーテンからストマの話が聞こえた。それって、人工肛門のことか?場合によっては、私もストマホルダーになるわけで、、悩ましい、、眠れないが、、寝ていた。

内視鏡再検査

今、2013年11月12日から遡って、書く。

2010年5月10日、月曜日 午前中
連休の中、五反田の関東病院で
大腸内視鏡の検査を受けた。

同年4月27日に、練馬区のクリニックで
大腸内視鏡の検査はやっていて、
すでに大腸がんであることは明らかだった。

でも、開腹手術せずにら内視鏡手術で
除去できるかも、と淡い期待をもっていた。

医師はオオハタ先生で、
内視鏡のテクニックは相当いいらしいと
聞いていたからだ。

腸の洗浄に大変時間がかかった。
ニフレックを一袋半飲んだが、
いっこうにきれいにならない。

それまでも、宿便をとりのぞけたことは
なかったので、今回もそうなのだと思ったが、

オオハタ先生は痺れを切らし、
中途半端な洗浄のまま
内視鏡を検査になった。

結論は速かった。

進行性のガンであり、
早く開腹手術しないとダメです、と
オオハタ先生は言われた。

当月手術の決定で、なぜかハイになっていた。
ものごとが進みだしていくのを感じたからだろう。

家内に、私が事の深刻さ理解できているのか?
とオオハタ先生は確認されたという。

人は悲劇に遭遇すると、往々にして
笑ってしまうことは、
ドストエフスキーの「罪と罰」から
知っていたが、

自分のおかれた状況は、

まさに、その典型だった。

手術半月前に

今、2013年11月13日から遡って
2010年5月9日、日曜日のことを書いた
メモを転記する。

11時すぎ、長女と2人で、
豊島園フィッシングセンターに行く。
45分間、800円で、遊ぶ。

釣った鯉は、床において眼を隠して、
針をはずしなさいと、お店の人におそわる。

浮きはオレンジのところの動きが
味噌だとも、

そのあと、練馬駅近く、おにぎりやさんに
立ち寄り、そのまま石神井公園に行く。
アスレチックの場所にいき、シートを引き
そこに座って、2人でおにぎりを食べる。
長女は、・綱のついた滑り台、
・ターザンのように綱に
ぶら下がって移動する遊具、
・うんてい、、などで遊び、

私はその姿をじっと見つめていた。

明日は、大腸内視鏡の再検査だ。
もうジタバタしたって、意味ない。

中央突破だ、、

善からんは不思議、
悪からんは一定とおもえ、

しかないではないか、、

直腸ガンの物語

去年の暮れことだった、
友人の兄が大腸ガンで、
もう余命はいくばくもないことを知らされた。

その兄は私と同じ年!
聞いていて他人事とは思えなかった。

年が明け、二月頃からどうも便通がよくないなと
感じるようになった。

三月になると、さらにひどくなり、一回や二回では
便意から解放されなくなった。
血便も認められた。

なんかやばいかな?と思い
練馬区の大腸ガンの無料検診をした。

すると、やはりヘモグロビンが検出され、
内視鏡による再検査を通知してきた。

ならば良い医者をさがさないと!
情報を集めることにした。

驚天動地、直腸にガンが、、、

本当にしばらくぶりに書きます。

いきなりですが、、
直腸にかなり大きめのポリープが認められました!!!

直腸ガンと宣告された、ガ~ン

内視鏡の処置で取り除く段階のものではなく
手術が必要とのこと、、、

虚を突かれた、

やぁ、大変なことになりました。

4/28水曜の昼、大腸内視鏡検査でわかったのです、、、


「二人に一人はガンになるぞ」と
高校時代の恩師本多先生が言われていたのを思い出す。

昨年2月1日に盛大なお別れ会を行った先生は
一年をまたず、去年の暮に彗星のように冥界に行かれた、、、

肝炎をかかえ、新たに直腸にガンとは・・・私は宿業が深い

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