わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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市民公開講座の案内

3月19日の読売新聞の夕刊に、
 「放っておけないC型肝炎ーここまで進んだ最新治療」 
という市民公開講座の案内広告が載っておりました。

日時:2009年4月12日(日曜)14時から16時(13時半開場)
会場:シェーン・バッハ・サボー(砂防会館 別館)
募集人員:1,000人、応募者多数の場合は抽選
参加費:無料

プログラムは…
  開会あいさつ 座長 井廻 道夫 先生
           (昭和大学医学部消化器内科 教授)

  講演1 『C型肝炎の病態と治療』
           海老沼 浩利 先生
           (慶應義塾大学医学部消化器内科 助教)

  講演2 『C型慢性肝炎治療の将来の展望』
           熊田 博光 先生
           (国家公務員共済組合連合会虎の門病院 分院長)

パネルディスカッション  『患者さんの疑問に答えるQ&A』

  パネリスト : 井廻 道夫 先生
          海老沼 浩利 先生
          熊田 博光 先生
  司   会 : 魚住 りえ 氏(タレント・フリーアナウンサー)

ということです。応募方法は こちら

私はまだ一度も、C型肝炎の公開講座のような所に行ったことがありませんし、
C肝治療の最先端におられる熊田博光という肝臓専門医がどのような方なのか、
とても関心があり、申し込むことにしました。

どうも私には、熊田先生が「ポスト飯野四郎」というイメージがあるからです。

ちなみに、司会者は元日テレの魚住りえさん、
美貌だけでなくて、その声がとてもよく、美しい日本語を話される。
たしか古都の、味わい深いナレーションをされていた。


うまく抽選にもれずに、参加できるとよいのですが、、、

参加できましたら、記事にしますね。
ありゃ、今月は既に7つも記事を掲げているとは、オドロキ!!!

法華経の現代語訳について

以下は、2008年12月30日に書いた記事です。

・・・・・・・・・



大晦日を明日にひかえ、
今年、文学系学術書の中で一番とおもうのが、
岩波書店から出た上下二巻「法華経」の現代語訳です。

1950年生まれの植木雅俊という
在野の仏教研究家が翻訳されています。

東方学院の創立者、中村元先生のお弟子さんにあたる。

通覧しただけで、学識の深さ、精緻さを感じ取ることができます。

何故か第1章:序(品)の最初の5行程度、音読していて自然と
涙がでてまいりました。こう書いてありました…

広大なる経の王であり、
最高の真理へ導き入れる教説であり、
大いなる道である
「白蓮華のように最も勝れた正しい教え(妙法蓮華)」を
私は衆生に語ろう。


たしか司馬遼太郎氏は「自分は法華経に対して音痴であり、
そもそも法華経は実在した釈迦自らが説いたものではい」という、
法華経に対して、かなり否定的な見解をもたれた歴史小説家でした。

けれども私は、釈迦の生涯最後の8年間は、
これを説かれたに違いないと考えます。
なぜなら、これを説かないと釈迦の教え全体の設計図というか
フレームワークが完成しないからです。
(あぁ、なんて大胆な発言でしょう!)

ちなみに、法華経によってはじめて
女性の成仏を「変成男子」という論理によって
成仏できるとした教説であったことから
平安時代、多くの女性の心をとらえました。

(全くひどい話で、法華経以前の経典では
女性は成仏できないのが当たり前という
内容の経典でした)

1000年前、紫式部の「源氏物語」は
法華経がバックボーンにある、
といわれております。

さて、現代語訳の中を少しかいつまむと、、、

第15章:如来の寿命の長さ(如来寿量品十六)
の最後のところ(自我偈)で、

「勝利者であるブッダたちは極めて会い難い」

「私は、常に衆生をたちのそれぞれの行いを知って、
 それぞれのやり方で衆生たちに教えを説くのだ。
 『いったい、どうやって衆生たちを覚りに到達させようか。
  どうしたら、衆生たちがブッダの性質を得る者になるであろうか』 と」


この段落を読みあげていると…
表層ではなく、深層にある自分の何かが感動して、
またまた目から涙がハラハラと流れ出て、
浅からぬ縁を感じた次第でした。


ジンメル『愛の断想・日々の断想』「日々の断想」の中で、
こんな言葉があります。

幾つかの偉大な思想だけは
本当に自分のものにしておかなければいけない。
明るくなるなどとは思いも及ばなかった遠いところまで、
それが光を投げてくれるから。


私の楽観主義は、
「本当に自分のものにしておかなければいけない」
法華経に寄り添うように侍立している、、
と吐露しておきたいと思います。

矢沢永吉氏の言葉

以下は2008/6/26に書いたものです。

矢沢永吉氏は、
1998年オーストラリア事業で、友人の詐欺・横領により、
背負わされた30億円の借金は、
ついに返済しきったそうです。

永ちゃんは1949年生まれ、59歳、10年で完済とはすごいことです。

インタビューの記事によると…

発覚直後、毎日酒をあおったそうです。
でふと気付かれた。

「これは映画と思えばいいや」と。

「ほら、人間は何度も生まれ変わると言うじゃないですか。
 このたび僕は、キャスティングによって矢沢永吉になったわけ(笑  い)。
 室町時代にも江戸時代にも何かやっていて、さあ昭和20年。
 今度はお前、矢沢永吉をやりなさいとこの世に送り出されてきた。」
 思えばいいと。


そして、インタビューの締めの言葉がいい。

「僕は皆さんにも言いたいね。
 リストラされたって、借金を背負ったってそれは役だと思え。
 苦しいけど死んだら終わりだから、本気でその役を生き切れ。
 つまり視点を変えれば、気持ちが切り変わるってことなんだ。」と


正直に言って私は
矢沢永吉をそれほど好きではありません。
どうにも、あの話し方、口周辺の表情がイヤなのです。
TVでコンサートの風景をみていて、
一種の宗教のような感じさえします。

それでも、このインタビューは
心情を吐露していると感じました。

視点を変えれば、気持ちが切り変わる

100歳になる2054年のスパンで、
自分という主役を演じきるような気分でいこう、と決めました。

井上靖「生きる」を読む

別のサイトに書き込んでいたものをここに持ってくることにしました。
いずれ消去されてしまいますので、なんか残念なので、
ちょっと時機にかなってない内容かもしれませんが
まっ、ご容赦ください。

以下、2008/6/4に書いたものです。

作家宮本輝氏は2008年北海道の井上靖記念館で講演をされた。
恩がえしのため、記念館にうかがったといわれ、
晩年の大作「孔子」に焦点をあてて話をされた。

そんな宮本氏の、井上靖に対する思いが残響音のように
私の心のどこかにあって、
さらに「ウェブ進化論」「ウェブ時代をゆく」の梅田望夫氏が、
ブログで「生きる」をとりあげておられていたのをみて、
ふと、この短編を読んでみることにしました。

「石涛」(新潮社)の中の最後にある短編で、
氏の食道ガンの闘病中の出来事がつづられています。

・・・・・・・・・
夢うつつの中で、井上氏は

「地獄はあの世にはない。もしあるとすれば、
この世にある」をしきりに口に出され、
「それから三年という歳月が流れている現在でも、
その断定は、私の心の中に、静かな安定の座を占めてる、
ということができる。

地獄”は来世ではなく、いま生きている、
この現世にあるのである。」

・・・・・・・・・・・

(私見)ということは、地獄の対極である極楽”も
この現世にあるとよむのが自然ですが、
そのことは井上氏は触れておられない。

今、藤原新也「メメント・モリ」の中で、
「極楽とは、苦と苦の間に
一瞬垣間見えるもの」
とあった。

≪地獄も極楽も、実はこの一生の中にある≫のかな?

さて、退院し自宅に戻られた井上氏は、
書斎の窓の風景から、
次のような心象を語られ、
ゆるぎない到達点を示されています。

・・・・・・・・・・・・

 「狭い庭ではあるが、雑木の葉や枝の繁みの間から、
地面に落ちている零れ陽が美しかった。
…小さな生命の欠片が、一つ、一つ、動き、揺れ、照合しあい
、囁き合っているように見えた。
…私の生命も亦、零れ陽のように、
この生命だけが奏で得る音楽を奏でて、
素直に、自然に、静かに、汚れなく生きなければならぬと思った。」


私も「零れ陽」に感じ入ったことがあります。
91年の秋、最初のINF投与で、三週間入院したとき、
許可をとって三鷹の方まで髪を切りにいったのですが、
朦朧とした意識の中で、うつむきかげんで、とぼとぼと街路樹を歩いていて
零れ陽が、妙に鮮やかな感覚で目に入ってきて、
あぁ自分は生かされている、と感じました。

それと、まだ為すべきこをしてないなぁ、みたいな思いもわいてきたのです。

さて、短編の最後はこうしめくくられています。

「奇妙なことだが、この時が、
退院してから初めて持った生きるということへの自信、
生”の大きな確信だった。」

・・・・・・・

とあるのです。80歳を過ぎる方であるにもかかわらず、
「確信の話」を展開されている。
全体のトーンが明るくポジティブなことに、驚きます。
そして井上氏は、大作「孔子」を仕上げられた。
ただただリスぺクトです。

なんとなく作家の多くは、晩年に向かって次第に、
根っこにある生命力が落ちていく気がします。

司馬遼太郎にしても、辻邦生にしても、
晩年は決して明るい光を発していなかった印象があります。

誰にもやがておとずれる人生最期の相が明るいということは、
人生の悟りに劣らぬほど、というより、
悟ることよりはるかに、重要と思えてなりません。

木の葉さんからの言葉

木の葉さんから、心あたたまる、そして
持続に向けて勇気づけられるメールを
いただきました。

感謝の気持ちで、以下、多少改行して、原文のまま掲げます。

・・・・・

今日は息子が夕方から出かけ、夫も仕事で私は休み。
静かなゆっくりした時間ができたので、
過去ログをのんびり拝見して2008年5月まで読んできました。
続きは、次の休みの楽しみに取っておきます。
今日は、これからNHKの白州次郎のドラマが始まりますが、
明日が仕事なので録画して後日ゆっくり見ることにしています。

過去ログは飛び飛びで今までも読んでいたのですが、
時系列で読ませていただいてとてもワクワクしました。

宮本輝の「錦繍」や、内田樹さんの言葉や
私の好きな作家や著作が次々と書かれていたので、
ますます山口さんに(勝手に)親しみを感じてしまいました。
「錦繍」は詳細は忘れてしまったのですが、
蔵王のダリア園の様子がまざまざと浮かんできました。
人間の再生を感じさせる作品だったように記憶されています。

私は、結構「鬱」傾向になりやすい人間でもあるのですが、
人生の土壇場(ちょっと大げさ)では最後の最後で楽天的にというか
プラス思考で考えれれることで救われてきたように思っていました。
すると、「アランの楽観主義の定義」でであいました。
ちょっと不思議な気さえしました。

7歳の輸血によるC型肝炎ですが、
24歳の頃B型肝炎にもなっていますが、
自然にセロコンというのですか?して、抗体ができていました。

次に32歳、頃肝機能値の異常GPT300くらいで肝生検査をしました。
活動性肝炎との診断でかつIFNは効かないタイプとのこと、
10年後の自分はないのだと三日間病院のベッドで眠れなかったのを覚えています。
その時、夫が私を励ますつもりか野球の話をしたのです。
今でも意味不明なのですが、
最後に「医学は日進月歩だからそのうち新しい治療法もでてくるよ」とのことでした。
ところが、それから数年たって39歳で諦めていた子どもに恵まれ、
当時薬漬けの日々でしたし、母子感染も不安でしたが,.
またまた夫が「子どもが大きくなる頃には更に良い治療法もでているだろう」とのこと。

夫は根っからの楽天主義者です。
この頃は深い愛情と信頼があればこそですが・・・。
婦人科の医師からも
「健康なお母さんからもハンディキャップのある子どもは生まれるんだよ!
そんな不安がっていたらお母さんにはなれないよ!」といわれ、
ガーン!!覚悟が決まりました。

幾星霜、わが息子は母子感染もせず無事大きくなりました。
ところが、小2から担任の暴力的管理的な対応がきっかけで不登校となり、
以来5年間ホームエデュケーションで育ちました。
でも、これは私の目から何枚も鱗を落としてくれることとなり、
私は不登校という文化の森を知ることができました。

残念なことに、楽観主義の夫はこの事態だけには楽観的に向き合うことができず、
厳しい夫婦関係にもなりましたが、息子が家で日々明るく元気になるにしたがって、
夫も3,4年かけてやっと不登校を受け入れるようになりました。

私は、無宗教者ですが
この頃は「歎異抄」やら仏教に関する本を結構読んでいろいろ考えさせられました。
そして、宗教という哲学の存在に敬意を感じるようになりました。
でも、哲学なき宗教もどきも結構多いですけれど。
なので、インド仏教に関する言葉などにもつい反応してうれしくなってしまいます。

息子はといえば、家庭で育つ暮しにも飽きたのか、
中学校は生活はフルにエンジョイして無遅刻無欠席という極端な暮らしぶりで、
この春めでたく都立高校に進学です。

フルタイム共働きの家庭で、家をホームベースに育った息子は、
料理の腕はなかなかで、フレンチ・イタリアン・和洋菓子などなんでも美味しく作ります。
今は、民俗学に凝っています。

昨年末より、仕事が欠員等で忙しすぎたせいもあるのか、
倦怠感が尋常ではなくGPTも350という高値になってしまい2ヶ月仕事を休みました。

その間、いろいろ考えた結果IFN治療を決意することにしました。
実は、私の肝炎診断はころころと変わっていて
「自己免疫性」から「C型1B」そして、
今回「C型2Aウィルス少量」となって、ちょっと???です。

そして、20年くらい前に知人の奥様が
IFN治療で躁鬱病の劇症タイプで錯乱等の症状になり、
本当にご家族が苦労されたのを見聞きしていたのと1B著効率10%以下ということで
「絶対にIFN治療はしない!肝炎が治っても、鬱で生活も家族も壊れたのでは仕方ない」
と決意したのでした。

それ以降、一切肝炎についての情報収集を放棄していました。(大反省!)
でも、この頃から「癌にはなるだろうけれど130歳くらいのことだろうから、
私は天寿をまっとうする!」となんの根拠もなく思って20年ちかくを過ごしてきたのでした。
20年の進歩は凄いものがありました。
肝炎訴訟の皆さんのご努力をはじめたくさんの運動の成果だと思います。

現在の検査結果では、難治性肝炎ではなくなったのですけれど、
本当のところ治療をはじめてみないとわからないなあとも思います。
私としては、20年前の自己免疫性といわれたことが気にかかかっていますが、
現在の私にはそういうデータはでていないそうです。
ただ、IFN治療にすべてをかけるという姿勢ではなく、
「やれるだけやってダメならまた考えよう!」という気持ちです。

ウィルスと勝負して勝つことよりも、
自分らしい日々の暮らしを獲得するためにこをの治療を、と思っています。

困難な状況になってやはり家族の支えを求める自分に気付き、
息子のことでギクシャクし続けた夫との関係もまた少しづつ暖かいものに変わってきました。
求めよ!さらば開かれん・・・でしたか?
どこか、肝炎の贈り物として家族が再生しはじめたような気さえしています。
病気は悪いことだけではない、という思いです。

山口さんのブログに惹かれたのは、こんな長い長い経過のあってのことでした。

ちょっと長すぎる自己紹介で申し訳ありませんでした。
白州次郎も録画が始まってしまいました。
メルアドをいれましたので、「秘密」で投稿しますが、コメント内容は公表可です。

治療がはじまって、
マイナス思考になったら是非山口さんの楽観主義に引き戻していただきたいなあと思って
メルアドいれました。(これ、ちょっと安全祈願です。)
特にお返事等は気になさらないでください。今は、プラス思考ただなかですから。

・・・・・・・
ここまで、、

通して読んでいただけ、また
木の葉さんご自身の出来事をつづっていただけるとは
あらためて、心から感謝申し上げます。

実は、自分がいったい何を書いてきたか、
じっくり、ふりかえってながめることなく、ここまできています。
このカテゴリーも整理しなければ、ととと思いつつ、そのまんまといった具合。

今たまたま、手元に
藤原新也の「メメント・モリ」があり、ながめておりました。
「赤子は黙って人権宣言。」の頁にであい、
その写真を見て、その通りだ、と思いました。
3年前に誕生した長女にであったときの思いが
よぎったからです。

最近ブログではほとんど触れませんでしたが、
長女の話を写真も入れて記事にしようかな、、
と思いはじめております。
親バカですが、かなり可愛い子です。

さて、
>私の肝炎診断はころころと変わっていて
「自己免疫性」から「C型1B」そして、今回「C型2Aウィルス少量」・・・・とのこと

ウィルスのタイプが変容するものなのかどうか、
4月M医師とのインフォームドコンセントのときに
うかがってみることにしますね。

たしか柴田 錬三郎が書いた三国志は「英雄ここにあり」という
副題がついておりましたが、それをもじって、これからもずっと

楽観主義肝炎患者ここにあり
と旗をふっていきたいと思っております。

江戸の敵を長崎で討つ

今日の東京は冷たい雨が降っております。

最近スゴイと思ったことが2つあります。

映画「おくりびと」主演の元木雅弘氏の美しい毛筆、
そして伊勢谷友介氏の演技、その格調高い英語です。
二人に武士道を感じます。

元木氏の達筆は、
緒形拳氏や相田みつを氏のような流儀ではない字、
書道の過程をきっちり修練されてきた字、
かつ、ご自分の思いを筆の力で
しかと相手に伝えることができる字のように思います。
あぁ、こんな字を自分も書けるようになりたい、
と素朴に思いました。

次に、伊勢谷友介という役者を
NHKドラマスペシャル「白洲次郎」で
初めて、その存在を知りました。

白洲次郎好きな自分としましては、
その演技をできる人は
もはや、今の日本にはいない、と思っておりました。
それがいた、ということ。

伊勢谷氏の英語がどれほどうまいのかどうか、、
英語力の乏しい私には、それはわかりません。

が、白洲正子役の中谷美紀との出会いのシーンで、
最初伊勢谷氏は、あまり顔を出さずに、英語で語りかけるのですが、
それが際立ってよいのです。
録画を3度みて、ふと、そう思いました。
あのような英語を私もしゃべってみたい、と。

「白洲次郎」は明日3月7日も第2回目があります。
お気づきになったら、是非ご覧ください。

新憲法制定の舞台裏、GHQと闘う白洲次郎は、次の言葉

「私たちは戦争に負けただけで、奴隷になったわけではない」
を残しております。

唐突ですが、「おくりびと」の米アカデミー賞の外国語映画賞の受賞は
ある意味では、64年の歳月をかけて
江戸の敵を長崎で討つ

(とは、日本の中心の江戸で受けた屈辱を、日本の端の九州の、
そのまた端の長崎で晴らす、ということから、
以外な状況、又は、思わぬ方法で
かつて受けた屈辱を晴らすことのたとえ)

ことになったのではないか、と思う次第です。

2月のインフォームドコンセント

すっかり、ご無沙汰いたしております。

少し忘れかけていたところ、木の葉さんのコメントを読み、触発されました。

どうしようもない下品なコメントが多い中にあって、本当に貴重でありがたいです。

2月中旬に、東大病院のM医師の診察を受けました。

ちなみに去年から、偶数月を経過観察する月と決めていて、
月初に採血し、中旬に診察を受け、2か月分のウルソ等の薬をいただく、、
奇数月にはその医院の診察は受けない、、、
そんな段取りで、医療費を抑えております。

データは前回12月のと変わりばいありませんでした。
いやいや、逆に血小板は21.5に回復しておりました。

そうだ、ローコールについて、
「コレステロールの低い人は、さらに低下することになり、
血圧の高い人だと、脳溢血とかのリスクがあります」
とM医師は言われました。

私は低コレステロールなので、ローコールはすすめません、
というお話でした。ありがたい、私には向かない薬なのだと知りました。

なんでも、某ノ門病院では、頻繁に投与しているそうで、
M医師はちょっといかがなものか、、、という表情をされていました。

ですので、患者自らが、鵜呑みにせずに十分注意する必要があるんだなぁ
と感じました。


さて最近、中村元博士がサンスクリット原典から訳されたブッダの、
次の言葉が、気に入りました。

足ることを知り、
僅かの食べ物で暮らし、
雑務少なく、
生活もまた簡素であり、
諸々の感官が静まり、
聡明で、昂ることなく、
諸々の他人の家で貪ることがない。

深い学識があり、
技術を身につけ、
身を慎むことを良く学び、
言葉が見事であること、
、、、これがこよなき幸せである。    「スッタニパータ」より


いわゆる中国経由のお経と違って、人間ブッダの息遣いが感じられる言葉と思いました。

次回は、今週土曜もやるNHKドラマ白洲次郎について、、、かな??
白洲次郎の言葉はまさに見事でしたからね。
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