わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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善悪の彼岸

前回のつづき、
日がたつと聴いたお話はうすらいでしまいますので、
脈絡もなく、思い出すまま、つづることにします。

その老先生はいわれた。

・自分の父親は満州で軍事関係の工場をもつかたわら、裏ビジネスで満州の奥地で芥子の栽培をやり、多くの冨を得ていた。

・父親の軍需工場の煙突に、判らないようにしてアンテナがあり、ロシア語の短波放送で、
その日の爆撃情報を得ていたので、そこで働いていた人は爆撃の日は働かせなかったりして、助かっていた。

・その短波放送と大本営が発表する情報が著しく違っていて、日本の敗戦は近いと感じていた。
(短波放送が戦中にもあったとは知らなかった!)

・それはそれは「情報の非対象性」なんて言葉なんか吹っ飛ぶくらいの情報のヒラキがあり、
この経験が、その後の自分の生き方の根っこを形成したと思う。

・終戦前夜、ソ連軍が攻めて来て、日本の女性が強姦されてくいく様を何度も見てきた。
ほとんどの女性が気絶してしまい、犯されると同時に死んでいった。

・家の扉か何かに赤い布を付けておくと、日本人の住まいではないとされ、
自分の家は難を免れ、中国人の服に着替えてくらした。

・自分は16歳の旧制中学生だったが、モービル銃?という長い筒の銃を使い、何度も発砲した。短銃はダメで当たらず、その銃の方がよく当たった。
まるでヤクザのように街で暗躍し、何人も殺したということだ。

・最初は恐怖だったが、生き残るために拳銃使用に躊躇はなかった。

・逃走中、自分の同じ年の友人はソ連軍の銃でやられ死んだ。

・殺人他に自分の犯罪は、ソ連軍のお金、軍票の偽札を作ったことだ。

・父親は戦犯で死刑の宣告を受けたが、替え玉の中国人とすり替えさせ、死刑を免れた。

・ヒロポン中毒の背格好も、容貌も父親に似た中国人を探し出し、替え玉にしたのだ。
その中国人が代わりに死刑になったわけだ。

・むろん16歳の自分一人でできたわけではない。
ロシア語を教えてくれた教師から「そうしろ」と強く促され、中国当局の一人一人に、フンダンに賄賂を使い、すり替えに成功したのだ。

・ただ、すぐに父親を救出できたのではなく、自分が日本に戻ってからも
さまざまなルートを使い、金を使い、救出できた。

・その原資は麻薬による裏金だったから、惜しまなかった。

・日本に向けた船に乗ったとき「これで死の恐怖から逃れることができる。助かった」と実感した。

・日本に戻り、社会に出てから、自分なりのお手製の育英会を作ったりしたが、その奨学生は、病気や何かで、今や一人も生き残っていない。

・このように自分はたいそう悪いことをしてきたので、罰があたっているのだろう。
相続は争続になり、自分の墓は何年も経たずに、無縁仏になるような気がする。

・その頃のことを書き残そうとは思わない。
自分の体験は司馬遼太郎のノモンハン事件の話など、
チャンチャラおかしいと思えるほど、痛みを伴う。
だから書けない。

以上ような話でした。

終戦の満州で3年も日本人が生き残ることが、いかに至難であったか、
想像を超えるものがあります。

おそらく因果応報は、例外なく老先生にも立ちはだかると思います。

が、一日一日、生き残れるかどうか、地獄ような極限状況で、
今の私たちは、その行為の数々を非難できるかどうか・・・

先生の話を聴き終わって
善悪の彼岸で生きるしかなかったのだ、という思いがよぎりました。

終戦後3年間、満州でサバイバルした人の話を聴く

今回は、全く慢性肝炎とは関係のない話です。
メモとして記録しておきたいのです。

先日、今やすっかり難関になった某国家試験の監督の仕事をしました。

試験会場である某私大理工学部の正門に立ち、受験する人々の表情を見つめていました。

その試験の受験者が幅広い年齢層に渡ることを実感しました。
受験者お一人お一人を一瞬見つめるだけですが、その方たちの受験動機や日常の風景を垣間見る気がしました。

少し集中して勉強すれば、合格できると思わせる試験で、今、人気があるのです。

国家資格は「希望」であり、何がしか活路を見出そうとする真剣な表情にリスペクト!
口にはしませんが「頑張ってください」という思いがひしひしとしました。


が、記事にしておきたいのはこのことではなく、試験終了後の慰労会のときの話です。

たまたま隣に坐られた目の澄んだ穏やかな表情の老紳士、78歳(1929年生まれ)の老先生が、お酒が手伝ってか、淡々と

「私は、16歳から19歳まで、満州の奉天で、生き残るため、さんざん悪いことをしてきた」
と静かに言われた。

その内容は、水上勉の「飢餓海峡」を上回り、ただただ唖然とする過去の出来事でした・・・次回へ・・・

エコー診断は進歩する

慢性肝炎から肝硬変への進行は「肝臓の繊維化」で把握されます。

繊維化を測定する方法には、3通りあります。

1.肝生検で、直接肝臓に針を刺して、肝臓の一部を採取すること。
 これは最も確実なようでいて、実は、採取によって把握できのは、肝臓全体の5万分の1程度なので、サンプリングエラー(正常な組織を採取してしまう)が出る可能性があります。

2.血液検査で、血小板、ヒアルロン酸、Ⅳ型コラーゲンの値から推定すること。

3.エコー診断の画像から、肝臓のデコボコ加減を見ていくこと。
エコー検査は医師により、その使い方の上手い、下手があると思います。


さて、注目されるのは、従来型の超音波エコーの変化系とでもいえましょうか、
 「フィブロスキャン」という測定機械が登場してきたことです。


これは、パリ市工業物理学院の波動・音響研究所が開発しました。

「物質を伝わる振動波が、硬い物質の中では速く、軟らかい物質の中では遅く伝わること」という原理を利用します。

フィブロスキャンは、パルス振動波を肝臓に当て、伝わる速度を超音波により測定し、肝臓組織の弾性図(弾力性を表した図)を作成するものです。

1秒間に5000画像を解析し、肝臓の繊維化が数値で表されます。

その検査結果は、肝臓の500分の1を反映し、肝生検の100倍もの大きさが反映されることになりますので、

肝線維化がどの段階にあるかをリアルに把握ができるわけです。

検査では、プロープというマウスみたいなものを脇腹にあて、プロープから「プスッ」という軽い振動を約10回受けるだけ、2分程度で終わります。あとは自動的に解析されるだけ、です。


問題なのは、
1.この検査機は全国に10台程度あるだけ
2.現在、まだ保険適用になっていない
ことです。

この機械を導入している
順天堂大学医学部付属練馬病院 消化器内科(榎本信行准教授)は、私の場合、自宅から近い病院ですので、いずれ保険適用になったら、受診してみることにします。

問合せ先 順天堂大学医学部付属練馬病院 医療連携室
      03-5923-3111

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