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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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幼い頃の記憶に輪廻をみる

猿渡さんの作文に対する感想の前フリとして、輪廻転生について・・・

私は、輪廻転生を信じる人間です。

話は飛びますが、この土日の二日間、1対1で、1歳4ヶ月になる娘とずっといっしょにいました。

育児は体力勝負だ!と痛感しました。
おんぶや、だっこをかなりしたせいか、今、右肩がかつてないほど痛みます。

が、不思議な感じも味わうことができました。

多くの赤ちゃんと同じように、娘も傍若無人な振る舞いをします。

例えば、雨の中、ベビーカーのビニールカバーをかけようとすると、怒りはじめて、カバーをはずそうとしますし、ご飯をのせたトレイは食べ終わるころ、必ず両手でグチャグチにしたり、します。

で、私はどうするかというと、声を荒げて叱ることしません。

娘の目をずっと見ながら、何故いけないかを説明するようにします。
できるだけわかりやすく、かつやさしい声で、「何のために」を意識しながら話します。
赤ちゃん向けの言葉は使ったりしません。

すると、ずっと私を見つめる娘は、口をタテに開けて、笑いかけてきます。そして傍若無人ぶりを停止してくれます。

娘の言葉はまだまだですが、「あぁ、この子は分かっているな」と、目で心理的なやりとりをしていることを実感します。

娘は、心で私の言おうとしていることをキチンとらえている、そう感じるのです。

そんなこと「赤ん坊にわかりっこない」という考えが、世の中の大勢を占めていることでしょうが、私はこれに真っ向から異議あり、です。


実は、私はかなり小さい頃、3~5歳頃か、周囲の大人に対して、もっと対等に話してくれ、自分はちゃんと理解できるんだ、という思いが強くありました。

で、ある日、この思いを記憶に留めようと決めたのです。そのとき、記憶に留めたことはいくつかありますが、それはまたいつか・・・

こうした思いが、きっと娘とのやりとりに反映しています。

それにしても、小さい頃に感じたことを記憶に留める、というのは今にして思うと不思議なことです。

つまり、生まれてから後天的に知識が集積されるのではなくて、世阿弥のいう「離見の見」というか、メタ何とかというか、全体を鳥瞰する力は赤ん坊のときに、既に備わっている、そう思えるのです。


前世の記憶ではありませんが、この記憶に留めた行為はすごいと、自画自賛します。
判断を留保し、記憶に留めることはアリなのです。

私は、満足な会話のできなかった、わが幼いころの「現世の記憶」を思い起こし、その心の地平にたって、わが娘に接しています。

すると、冒頭の「輪廻転生」という心象が、ごく自然に浮かび上がって来ます。

あぁ、まとまりのない文脈を、ご容赦ください。
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