折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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ウィルス量多少の基準は不明

2002年(H14年)10月、東大付属病院に2週間入院し、インターフェロン注射とリバビリンの併用療法を始めました。退院後は、仕事場近くにある新宿医院に通院し、週3回のペースで、翌年2003年3月までの6ヶ月間の治療を行ったのです。

ペグ・インターフェロンとリバビリン併用療法は、話題にはなっていましたが、まだ治験段階でした。

ちなみに、それでも2005年には、このペグ・リバ併用療法が始まっていますから、治験から認可まで5年はかかっていないわけで、治療法改善の速さには、驚きます。

2002年のその頃、対症療法である強力ミノファーゲン注射を週2回くらいやっておりました。直前9月の数値はGPT30、GPT39、G-GTP86と比較的安定していました。

が、やや倦怠感があり、このままの状態だと、また10年前と同じ全身倦怠感に襲われる予感がありました。

その併用療法は、私のような遺伝子1B型でかつウィルス量の多い場合でも、20%弱の確率で除去できるという話を聞きました。

私のPCR(ウィルスの定量的測定法)は、その頃も今も、850くらいあり、私は典型的な難治性C型肝炎患者です。
じゃ80%はだめかぁ、こりゃ除去の可能性は低いなぁ、とは思いましたが、体調が改善されるなら良しとしようと決め、併用療法に踏み切ったのです。


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東大病院の若い担当医師から、ウィルス量を測定するPCR100以下を目指しましょう言われたときも、「それは気休めだろ」と感じたことを、今、思い出します。

さてここまで書いて、にわかに未確認の疑問が湧いてきました。
タイトルも変えてしまいます。文脈が変になったことお赦しください。

「難治性」を示すB1ウィルス量の多少の基準が不明なのです。

ある同病の方からは、PCR400から500を超えると、難治性になる、つまり多いウィルスになる、と聞いたことがありますが、定かではないのです。

飯野先生の本にも、その境い目の数値は書かれておりません。

数値の表示には意味がないというのが落としどころなのかもしれませんが・・・

それでも、ちょっと突っ込んで調べてみます。

自転車で体重2キロ減

実は、普段の私は、健康な方となんら変わらない表情をしている、と思います。

朝方、多少肝臓のところが微妙な痛みを感じることはあっても、自分がやっかいな慢性肝炎であることを忘れているのです。

10月の初めのことです。
身長は168㎝チョットですが、体重が72.4キロありました。
ここの20年以上、見た目に小太りであることは認めざるをえません。

飯野四郎先生の「最強のC型肝炎治療法」の中で、「スリムな体型づくりが大切」とありました。

「ペグインターフェロンとリバビリンの併用療法」を行うにあたり、体重が多すぎると、両方の効果ともにマイナス要因になる、とあります。

また肥満が進むと、肝臓に脂肪がたまって脂肪肝になりやくすなる。しかも脂肪肝とC型肝炎との間には相互に好ましくない影響があることがわかって来たと、飯野先生は指摘されています。

なんでも脂肪肝そのものが、肝炎患者にとって恐い「繊維化を促進する」ことが判明しているのです。

この際、スリムな体型になろうと決心しました。
来年か、再来年か、いずれは三度目の治療として、その併用療法か「ペグインターフェロンとプロテアーゼ阻害剤の併用療法」を行うつもりでいる私としては、自分でできることは嫌がらずにやらなければ、と。

が、そう思ってできるものでもありません。

そこで、雨の日を除いて、自宅から仕事場のある新宿まで片道10㎞(所要時間45分)を自転車で通うことにした のです。

途中通過する東中野界隈は坂が多くキツイ、しかも自転車はボロボロのママチャリです。

その日から今日まで、かれこれ15回(日)くらい往復しました。現在の体重は2キロ減り、70.4キロになりました。

BMI(body mass index)は25.6から24.9になり、これが維持できれば肥満が克服されたことになります。

BMI=体重(キロ)÷{身長(メートル)×身長(メートル}
という式で表され、25以上は肥満になるからです。

そうして来春ころにはBMI23になっていたいと楽観的に思っています。

「RNA干渉」は新薬の開発を導く

B型肝炎ウィルスが二本鎖のDNAウィルスであるのに対し、C型肝炎ウィルスは一本鎖のRNAウィルスであることは、よく知られています。

タンパク質を生み出す流れは、核であるDNAという全体設計図から、RNAという部分設計図がコピーされ、核の外に出て、リボゾームというところで、タンパク質が合成される、というカタチをとります。

今までは遺伝情報の主役はDNAであり、RNAは脇役にすぎないとみられていました。

ところが、ここにきて、どうやらRNAが主役になるのでは、という研究が世界的にすすめられています。

2006年ノーベル医学生理学賞は「RNA干渉」という研究成果に到達した米国の二人の学者に贈られました。

彼らの最初の論文は1998年、「まゆつばもの」という憶測もあったにもかかわらず、それからわずか8年で今回の受賞となりました。

さて、その研究成果は、われわれC型肝炎患者に楽観的展望をもたらすこと、間違いありません。


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「RNA干渉」は、RNA(RNA Interference)と書いてアール・エヌ・エー・アイともいいます。

具体的には次のような現象が発見されました。
すなわち、線虫の細胞の中で、ひも状のRNA2本がはしごのように対構造になった二重鎖RNAをその細胞の中にに入れた。すると、鎖がほどけて1本になり、対応する遺伝子の発現が阻害され、たんぱく質が合成されないことを発見した、というのです。

そもそもRNAの役割は、細胞核にあるDNAから写し取られた遺伝情報を、タンパク質の製造工場へ伝える「伝令役」(部分設計図)であるとみられていましたが、その役割は、実はRNA全体の2%に過ぎないとわかってきました。

残りの98%のRNA役割は未知であり、様々な働きが考えられるようになってきた中で、今回の「RNA干渉」の発見があったわけです。

この発見により、人工的につくった2本鎖のRNAを細胞に入れ、狙った遺伝子の働きだけを抑え、病気に関連する遺伝子を邪魔すれば、治療につながると考えられるようになりました。


インターフェロンと比べてみた場合、直接遺伝子相互間で阻害(除去)の現象がおきるわけで、正真正銘の遺伝子治療になります。

既に米国では、老人に多い目の病気、加齢黄斑変性の治療薬として、2本鎖RNAを製剤化する臨床試験が進んでいます。

これは朗報です。やがてC型肝炎患者は限りなく完治に近い状態、C型肝炎は難病でなくなる日がやって来ると、想像できます。

日本のRNA研究は米国と同じように最先端レベルといわれています。

われわれ200万人のC型肝炎患者は固唾を呑んで、RNA干渉による治療薬ができ上がる日を待つことにいたしましょう。


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飯野先生は只今休診

セカンドオピニオンとして最高の先生は、飯野四郎先生だと思います。尊敬しております。

15年前、C型肝炎発病したころ、世に出ていた本の中で、患者の気持ちを踏まえ、懇切丁寧に慢性肝炎の全体像を説明されていたのが、飯野先生のご本でした。少し読んだだけで、この先生は信頼できる、と直感しました。

そのころ飯野先生の講演会があることを知りました。
私はすでにインターフェロン治療していましたので、副作用で動くことができず、代わりに家族のものに聞きにいってもらい、カセットテープにとってもらいました。また私の肝機能データをみてもらった際、私のはなかなか手ごわい、といったような話をしていただきました。

記憶に残っているのは、C型ウィルスはB型と比べ、比較的侵入しやすいウィルスであるが、それが肝臓に宿してしまいやすい個体とそうでない個体がある、個体差がかなりある、という話でした。それを聞いていて、自分は肝臓を強くするニンジンやキノコ類をあまり食べてこなかったなぁと思いました。食育は重要ですね。

現在、飯野先生は「最強のC型肝炎治療法」(講談社)を出されていますが、変わらないスタンスとして患者に対する配慮が感じ取れます。


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藤田ミッション

⭕️直近の私の肝臓は、GOT33、GPT49、G-GTP78で、この1年間は似たような数値で推移してきました。

私のウィルス遺伝子型は、難治性(消失しにくい)の1b型で、かつ多量のウィルスを抱えています。

どれくらいのウィルス量かを示す「PCR定量」と呼ばれる値は800を超えていると思いますが、ここ1年検査していないので、定かではありません。

私の恐怖心は、肝機能の血液データよりウィルス量の多さに対して、あります。

なんでも50歳代あたりから、慢性肝炎から肝硬変ではなく、いっきに肝臓ガンになるケースもあると東大病院のK教授から聞いているからです。K教授は「C型肝炎における肝発癌のメカニズム」という研究をされていますので、説得力があります。
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藤田憲一氏の逝去

藤田憲一氏は逝去されたことを、昨日藤田氏のブログを見て知りました。
先日のTVの中で、藤田氏の腹部の映像があり、素人目にも、ガンの病巣がうかがい知れ、終焉は近いなぁ、と思っていました。

不思議なことに、

このブログは、藤田氏に触発されて10月12日に始めたのですが、丁度その日に逝去されたことと分かりました。

藤田氏のブログに、私は次のコメントを書きました。

・・・・・・・・・・・・・

私は、ご本とテレビで知っただけの、通りすがりの見物人みたいなものでした。
しかし「患者としての自己責任」という言葉に、痛く共感いたしました。
私もC型慢性肝炎患者として、決して医者任せにはせず、自らの責任おいて治療計画を立てていこうと決めました。

藤田社長は、黒澤監督の映画「生きる」を想起させるような、多くの人に気づきと感動をあたえ、また人間としての、崇高な行き方を示してくださいました。

輪廻転生を信じる一仏教徒として、私は、藤田社長が思いの通りに、再生されることを祈念しております。ありがとうございました。そして、いつの日かお会いしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・

末期ガンの方が、TVに出られることはしばしばあります。

が、これほど多くの視聴者やブログ読者に感動を与え、人々の心の根っこ部分に波動を与えた人を、私は過去にあまり知りません。

最近、よく「絆(きずな)」という言葉を耳にします。
「断ち切りがたい気持ち」「縁を感じる」ことを意味します。

私は、ガンからの生還が果たせなかった藤田氏の敵(かたき)を討ちとる思いで、C型肝炎に応戦しよう、とあらためて思う次第です。

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山口つとむ って誰!

私は、1954年、東京生まれ、ポスト団塊世代の山口つとむ、と申します。


もっとも、このブログだけの名前です。


今から40年くらい前、その頃NHK「みんなの歌」の一つに、「山口さんちのツトム君」という歌がありました。けっこうヒットした曲でした。


まぁ、そこからパクッたといえば、な~んだアザトイ奴!とガテンがいってしまうことでしょう。が、実は、私の両親が離婚していなかったならば、「山口 つとむ」を私は名乗っていたのです。歌がヒットする10年も前の、私の名前でした。


で、ずっと忘れていたのですが、このブログに始めるにあたり、ふと、こう思ったのです。


自分の病は、たぶん一生つきまとう病であり、ちょっと前なら、それこそ「死に至る病」だった非A非B型肝炎・・・その治療はある種ライフワークであるなら、ブログの名も生まれたときの氏名でやってみよう、と思ったのです。


なんとなく、これが既に亡くなっている父親に対する供養であり、多少義理をとおすことにになるかも、と思えたのです。


それに、山口つとむ、という名前はを結構気に入っています。五木寛之が書いた小説(たしか「レッスン」だったか)の主人公はたしか「山口ツトム」だったような記憶があります。童謡だけでなく、男の名前としても、なかなかいい響きがあると思えます。


つらつら、どうでもよいことですが、永く持続させる(絶対20年以上続けるぞ!)ブログですから、時がたつにつれ、その名前にしたことに、また別の意味が感じられるかもしれません。

沈黙の臓器とはウソだ!

発病した1991年の2・3年前から、妙にミゾオチのあたりが、カユイような、イタイなような、なんとも表現できない痛みを感じていました。


胃か食道あたりに問題があるのではと健診を受けても、原因は分からずじまい。


それがC型肝炎と診断され、当時まだ始まったばかりのインタフェロン治療を受けるべく、入院し、肝生検を受けることになりました。


肝生検の太い針が右わき腹から刺され、肝臓に進入していき、ミゾオチあたりに到達したとき、


「そこだ!」と思わず、叫んでしまいました。


ようやっと、カユイところに手が届いた感触に似て、ちょっと快感でした。


何が言いたいか、というと、


よく肝臓は沈黙の臓器と言われるけれども、それはウソです!


わたしの場合にはシグナルを発信していたのだ、実感したからです。


これは患者でなければわかりっこない感覚です。

発病前夜

私がC肝炎ウィルスにかかっていると診断されたのは、1991年8月でした。もう15年も前になるんですねぇ~、感慨深いものがあります。


その1年くらい前から、全身がだるく、昼食後極端に眠くなるという症状がありました。ひどい話ですが、ある朝の通勤電車に乗ってから、左右の靴が違ってのに気づいたときには、愕然としました。


ことによると出社拒否の神経症では?と専門医に診てもらったとき「あなたはここに来る患者ではない」とケンモホロロの言葉をいただき、じゃぁ私の病は何なのさ!と不安がつのったものでした。


ですので、C型肝炎とかかりつけの告知を受けたとき、一瞬ホッとしたのを覚えています。


が、これが大変な病と徐々にわかり、途方にくれたものでした。

藤田憲一氏に触発されて

10月3日、たまたまTBSのNEWS23で「病気とたたかう社長のblog」の藤田憲一氏を見ました。


 スキル性胃がんの末期的症状にあるなか、若き社長は毅然とした日々を真剣に過ごされている様子を見ていて、大きな衝撃を受けました。


 中でも「患者としての自己責任」という言葉は、深く心に響くものがありました。


決して他人事ではないのだ!と、受けとめました。私も自己責任で慢性肝炎に対峙しよう、と。


 藤田社長は、ガン専門医にひけとらぬガン治療の知識を身につけ、究極的な判断を医者任せにはせず、自分の意志でガンと闘っておられる。


 番組の中で、医師にたち対し末期治療のレクチャーされている藤田社長を見ていて、どちらが先生なの?、と素朴に感じていました。


藤田社長は、延命の猶予期間が十分残されていれば、必ずやガン治療の研究開発の成果を享受し、生還できる信じておられ、そのための「事業計画」を立てられている。


さて、私は、この事業計画に触発され、このブログを立ち上げることとしました。


 すなわち、私の持病でもあり、今や国民病といえるC型慢性肝炎をどう対峙(退治)していくか、できる限りの情報収集を行い、慢性肝炎を誰もが克服できるような道筋を模索しようと思い立ち、ブログを始める次第です。


 かつての結核のように、いずれC型肝炎も必ず完治できる病であると、確信し、明るいトーンでやっていきたいと思います。411



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常に原点回帰を!ネライは

このブログのネライは、次の3つの素朴な思いから始めました。


1.私と同様に、運悪くC型肝炎になられた方々が元気を取り戻していただければ、いいな!ちなみに、私は発病して15年を経過する遺伝子型b1でウィルス量の多い難治性肝炎患者であり、私が完治するのであれば、慢性C型肝炎はきっと恐い病気ではなくなる、と楽観的に思い込んでおります。


2.最新の研究成果、治療方法はどうなっているのか、誰もが最短で情報に近づけるようにしたいな!現在、治療の王道はペグインタフェロンとリバビリンの併用療法ですが、難治性の私としては、H19年以降に開始される見込みの、ペグインターフェロンとプロテアーゼ阻害薬の併用療法に強い関心をもっております。


3.医者に依存してはならい!完治させるのは医者ではなくて、自身が計画的な努力によって初めて可能になる!という藤田ミッションが広がっていったらいいな!


こんな感じで、 知っている医療関係者と知らない患者の偏った知の格差を示す「情報の非対称性」を解消することそして英知あるC肝患者になることがネライです。


C型肝炎治療の最先端にたって臨床されている飯野四郎先生も、次のように書かれています。


「医者に任せきりにしているだけでは、本当に自分にふさわしい治療が受けられるかどうかわかりません。日々進歩している治療や病気の知識 を、自分のなかに取り込んでほしいと思います。そのような知識が、自分が病気に立ち向かうための大きな力になるはずです。」と ・・・


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2006年11月2日から
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