わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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詩人、杉山平一の「夜学生」

1.長いこと、新宿の方で実務講座を主催されていた先輩士業者が、4月の会報を見ると、3月末で退会されていて、少し驚いた。今年64歳かな、情熱家で押し出しの強い人だし、本も出されている。解せない。検索すると、その方の動画があったが、やや痩せられていた。病気を抱えているのかもしれない。動画の内容は、昔と変わらなかった。

2.膵臓がんのMさんも、当面仕事はセーブするといわれたな。

3.詩人、杉山平一さんの「夜学生」という詩がいい。

夜陰ふかい校舎にひびく
師の居ない教室のさんざめき
あゝ 元気な夜学の少年たちよ

昼間の働きにどんなにか疲れたらうに
ひたすら勉学にすすむ
その夜更のラッシュアワーのなんと力強いことだ

きみ達より何倍も楽な仕事をしていながら
夜になると酒をくらってほつつき歩く
この僕のごときものを嘲笑へ

小さな肩を並べて帰る夜道はこんなに暗いのに
その声音のなんと明るいことだろう

あゝ僕は信じる
きみ達の希望こそかなえらるべきだ
覚えたばかりの英語読本(リーダー)を
声高からかに暗誦せよ

スプリング ハズ カム

ウインタア イズ オオバア



同じ詩人でこういうのも、身につまされて、いい。

『ぜぴゅろす』
   生
ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある

もどる途中でハタと
思い出すことがあるが
そのときはすばらしい

身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか

いつの日か思い当るときのある人は
幸福である

思い出せぬまゝ
僕はすごすごあの世へもどる


4.日本人の識字率は高いが、識詩率は低いと知った。
私も、詩は苦手だ。ところが、ユーラシアは違う、詩人に対する評価はすこぶる高い。例えば、アフガンのゲリラの話で、五木寛之はこう言った。

「荒野の山腹に露営して
焚き火をたいて、
夜に見張りを立てて、
泊まったりしていると、
一人が焚き火の周りで
古い詩を朗々と朗誦し始める。そうすると、
みんながそれに一斉に
唱和する。

そうやって国民みんなで詩を大事にするし、
尊敬する。」と。

自己に会う難しさ

平成2年ころの新聞記事の切り抜きが出てきた。たぶん日経新聞だろうが日付は不明だ。自分がC型肝炎にかかったころの新聞記事に違いない。掲題の、哲学者下村寅太郎(1902〜1999)が語ったことを、とっておいたのだ。以下そのまま載せることに。

下村寅太郎の名は知っていたが、その本は読んだことがなかった。それなのに、なぜか切り抜き、、残したいと思ったのか、記憶はない。でも、て今、このテーマは身近な問題として、感じていて、合点がいくのだ。

自分と出会う

今は「自分と出会う」といわれるが、私どもの青少年時代には(「明治は遠くなりにけり」というその「明治」だが)「立志」といわれたものに当たるであろうか。

「立志」には「立志出世」の匂いがあったが、今いう「自分に会う」にはいささか内面性がある。しかし、十年後にはどういう言い方が登場するだろうか。

私の青年時代にーー今もって青年のつもりだがーー数理哲学の勉強から始めた。特別に数学が得意であったわけではない。自分のセンチメンタリズムに腹を立てて、それの克服ための「苦行」としてであった。苦行のための勉強とは奇妙な仕わざだが、青年の理想主義とでもいうべきものであろう。

青年時代は誰でも理想主義者である。無鉄砲の理想主義は青年の心情であり、信条でもある。その理想主義は挫折したり霧消したりするのが常例であるが、動機に嘘はない。苦業をあえてすることは情熱であり、情熱に成敗利鈍に悔いなしの歓喜がある

「数学者」に対する憧憬は今なお残存する。もっともその数学は、当世の専門化した形式的な数学ではなく、数学的神秘主義にもつながる古典的数学である。天才的な数学者の伝記は、今なお魅力があって愛読する。学問は、専門的になると香気を失いやすくなる。

学問が自分に出会う門になったのは、良師に恵まれたことによる。

「自分に会う」とは、自分が未だ必ずしも自分自身でないことによる。奇妙なことだが、事実である。毎日、起床すると顔を洗う。鏡に顔がうつっているが、自分に会っているとは思わない。たまに見つめることがあっても、いつも「嫌なやつ」と思うだけである。

これは自分と会っていながら、会っていないことである。自分は外にいるのではなく、自分の中にしかいない。言いふるされた足下を見るということにすぎない。しかし、それにもかかわらず、この自己に会うことは至難の業といわれるのである。

「億劫(おっこう)相別れて
而(しか)も須臾(しゅゆ)も離れず、
尽日(じんじつ)相対して而も
刹那(せつな)も対せず」
という有名な古語がある。
これは大変なことなのである。しかし、実際には日常不断に経験している事実である。

我々は眼でものを見ながら、見る時、眼を意識しない。聞く時、耳で聞きながら耳を意識しない。考える時、言葉で考えるのだが、言葉を意識しない。我々は日本語で思惟しながら、日本語を意識しない。話でも文章でも必ずしも主語を必要としない。省略しながら、省略に気づかない

アメリカの日本文学の専門家として有名なヴィリエル氏が、田辺元博士の有名な論文「死を忘れるな(メメント・モリ)」を英訳した時、「主語を探す」ことに最も苦労した、と告白したのに驚いた。田辺博士は論理的思惟の厳格で著名な日本の哲学者で、我々の読み慣れた論文であるが、主語を探した経験は殆どない。西洋人が読むとこれに苦心せねばならぬのである。

日本語で読む我々は、日本語を意識しない。これは、毎日自分の顔を見ながら、自分に会っていないのと同様である。

西田幾多郎先生の原稿は清書されたように奇麗である。添削も消し字もない。いつかこのことを先生に言ったら、「わしの論文は一本勝負だ」と言われた。

以上。およそ30年前、「自分と出会う」という言葉が取りざたされていたっけかな、、

少し前だか、「自分探し」という言葉がよく言われた気がする。そういえば、2歳4ヶ月になる次女は「ジブン、ジブン」をよく口にする。 長女はときどき自分の名を、話し言葉の中で、主語にする、、私の子どもの頃には、そういう子はいなかった。あっ、テーマとはそれて行くな。。

このブログにしても、「自分に出会う」ための時間をかけた「仕掛け」なのかも、しれない。
今はわからなくても、10年後、20年後に出会ったことに気づく、、そういうこともありえるだろう。あぁ、そう思ったら合点がいくことが、、

直腸がん手術後の2010年5月27日の夜明け前に、私は、自分に出会っていた、のかもしれないのだ。まったく上手く言葉できないが、深刻な手術の後だっただけに、幽体離脱のような体験ではなかったが、、

不思議な感覚に遭遇した。しいて言えば、離脱ではなく逆で、少し、身体の奥に入るというか、、建物で言えば半地下のようなところような、身体の下というか、自分が沈んでいる自分がいるのだ。そして猛烈な閉所恐怖症に見舞われ、呼吸が一気に苦しくなった。

それは「なんだかんだ、俺って、このくりかえしだったなぁ」という、忸怩たる思いに似た、ネガティブな心象風景だった。

その日を「5.27」と、ひとり名付けることにしよう。名付けることで、ひとは自分に出会うのではないか?


Amazonレビュー下書き01

わたしは8年くらい前から、作家宮本輝さんの公式サイトに参加しBTCという掲示板に、ときどき書込みをしている。直近の書込みで、その「ひとたびはポプラに臥す」の長いレビューを書く、と宣言していた。10年以上、その本の書込みがなく、それはいかかがなものか、と思ったことと、何がしか、輝先生の恩に報いたいとも思っての宣言でもあった。

それと、この「ひとたびはポプラに臥す」は新宿図書館が廃棄図書としてあったので、そっくそのままいただき、犬の散歩のときなどに読んでいる。決して侮ってはいない。散歩のときの本としては、かなりよく親和する。リズムが合うのだ。アンダーラインもバシバシしているので、読み直しの橋頭堡になり、心地が良い。

そこで、レビューの書き込むにあたり、下書きの場に、このブログを利用することにしよう。以下はその下書き、になる。

1.宮本輝さんたち一行は1995年5月25日から40日間かけて、西域、その南山街道を走破した。輝先生の目的ははただ一点「五十歳で長安に入った鳩摩羅什が、いかなる生活をおくりながら、超人的ともいえる膨大な仏典翻訳活動に邁進したのか、、、」その動機を知りたいという関心にあった。それを北日本新聞社が支援して、始まった旅行記である。したがって写真が秀逸なのは、その新聞社のカメラマンが同行しているから、できた技なのだ。

2.さて6700kmの長旅の間、絶えず不思議な虚しさにあった、と輝先生はいう。そして「まだ正確に分析できないでいる。おそらく、生涯、あの虚しさの理由は言葉にできないような気がする」という。私は、正直な感想と受け止めた。仏塔などの遺跡に、興味を示さない輝先生なのだが、その気持ちは私にもあり、すぐ感情移入できた。はたして22年たった2017年の今、輝先生はあの旅をどう思われているだろうか。

3.こと宮本輝さんの本に限ってだが、わたしは自分の経験に引き寄せて、考えてしまう。この本にしても、感想の前に、まずは自分の体験、1999年の秋、米国の西部1900kmを、1週間かけてバイクで走破したことが重なってしまう。無論、C型肝炎の自分が一人でできたわけではなく、ツァーに参加させられただけ。誘ってくれた先輩は直前になってバイク事故で不参加、、なんだよーという感じで、迎えたバイクツーリングだった。その時の写真を見てもわたしの顔は肝臓病患者そのもだった。そうした辛い長旅を「ひとたびはポプラに臥す」に重ねて、感慨にふけってしまうのだ。

4.まずはじめの感想は、水と食べ物と排便環境の艱難辛苦であり、NHKのシルクロードのドキュメンタリーなど絵空事のように感じた。食べ物に、生活用水の悪臭が醸し出してくるのだ。さもありなん、日本のような流れる水はないのだから。原子炉廃棄物と似て、下水溝のない水洗トイレのような地帯が西域なのだと感じた。清潔は、砂漠の熱さにあるだけだ。

5.便所の話のところで、板橋の花火大会で体験した、ささやかなこの世の地獄、とことん汚れた公園の公衆便所を思い出した。肝臓病患者など西域に行ってはならい不安全地帯にほかならない。「シルクロードというものをロマンチックに伝えやがったのはどこのどいつだと怒鳴りたい気分です。」これは輝先生の本音だ。

6.小林秀雄の徒然草のことや、輝先生の断想がちりばめられ、心に響くものが多々あるが、とりわけある少女の描写が響いてきて、心のおりのように沈殿している。。それを転記して①の感想を綴じたい。74~75頁にある。

「どのくらい尾根と谷を超えたかわからなくなったころ、静まりかえった村に入った。黄色い土壁と瓦屋根の農家には、ニンニクとトウモロコシが干してあり、洗剤で洗ったことは一度もないのではないかと思えるほどに黄ばんだ下着が紐に吊るされ、その下で女の子がひとり遊んでいる。

木の枝で庭の土に何かを描き、ひとりごとを言いながら、ときどき洗濯物を見上げる。そしてまたしゃがみ込み、土に何かを描く。

村には、女の子以外、人の気配はない。

私は車の窓から振り返って、その七、八歳の女の子を見つめた。女の子は洗濯物と話をしていたのだった。

誰もいない村の昼盛りのなかで、洗濯物と会話する少女、、、。」


わたしの心に、映像のように広がり、消えることはない。この本を象徴するポプラととともに、、、


以上、ひとまずAmazonレビューは、これで行こう。。

心は「言葉の森」とみる

1.2015年、国連70周年のスローガンとして「誰も置き去りにしない」という言葉を掲げた。2年後、これに反し、トランプ氏の大統領令は国籍、宗教による差別、シリア難民の置き去りを明言したわけで、、嘆かわしい。

しかしながら、日本は難民支援をお金で解決しようとして、その受け入れは超消極的で、10世帯もないわけで、トランプ政策を批判ができる立場にない。それほど、難民鎖国政策は徹底している。私見では、その理由に、この国には表層上は象徴天皇制、社会心理として国体思想があるからでは?と思っている。その是非を問うことがないように、ネグレクトが共通感覚になっていると見切る。これは批判ではない。

2.最近になって、朝、保育園に行く道すがら、2歳1ヶ月の次女は、駐車場のPマークを見ると「ピー、ピー」を連発する。
ほかに「ちがう、ちがう」や「じぶんで、じぶんで」、さらに「アンパンマン、食パンマン、カレ-パンマン、バイキンマン、どきんちゃん」などアニメキャラクターの名前を四六時中、口にする。気にいっているキャラクターの固有名詞を覚えようとすることに、なんだか、さきざき、生きる上でのヒントが内在しているような気がし始めている。

3.名詞の重要性を、作家のドリアン助川さんは「プチ革命 言葉の森を育てよう」(岩波ジュニア新書)で展開している。

「風の影」の切り抜き

「風の影」のラストは、こう書かれている。

書店の商売は食べていくのに精いっぱいだが、ほかのことをしている自分なんて想像もできない。売り上げは年々へっている。とはいえ、ぼくは楽観主義だから、上がれば下がるし、下がっているものは、いつかきっと上がるさと自分に言いきかせている。ベアは、本を読むという行為がすこしずつ、だが確実に消滅しつつあるんじゃないかと言う。読書は個人的な儀式だ、鏡を見るのとおなじで、ぼくらが本のなかに見つけるのは、すでにぼくらの内部にあるものでしかない、本を読むとき、人は自己の精神と魂を全開にする、そんな読書という宝が、日に日に稀少になっているのではないか、とベアは言う。

風の影を読了した人がいて、きのう、年始メールのやりとりをした。わたしが本の紹介したのを忘れていて、逆にすすめられた、、
どうやらその人は、昨年末10年勤めた大きな法律事務所をやめた。そう余儀なくされたのだが、次のステージがあるわけだから、潮時だったのだ、とみていることだろう。13日からオーストラリアに1ヶ月行っていると。あっちは真夏だ。

ボブ・ディランの言葉

ボブ・ディランのノーベル文学賞、その受賞の言葉を、以下に載せておきたい。

皆さん、こんばんは。スウェーデン・アカデミーのメンバーとご来賓の皆さまにご挨拶申し上げます。

本日は出席できず残念に思います。しかし私の気持ちは皆さまと共にあり、この栄誉ある賞を受賞できることはとても光栄です。ノーベル文学賞が私に授与されることなど、夢にも思っていませんでした。私は幼い頃から、(ラドヤード)キップリング、(バーナード)ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、(アーネスト)ヘミングウェイなど素晴らしい作家の作品に触れ、夢中になってのめり込みました。いつも深い感銘を与えてくれる文学の巨匠の作品は、学校の授業で取り上げられ、世界中の図書室に並び、賞賛されています。それらの偉大な人々と共に私が名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです。

その文学の巨匠たちが自ら「ノーベル賞を受賞したい」と思っていたかどうかはわかりませんが、本や詩や脚本を書く人は誰でも、心のどこかでは密かな夢を抱いていると思います。それは心のとても深い所にあるため、自分自身でも気づかないかもしれません。

ノーベル文学賞を貰えるチャンスは誰にでもある、といっても、それは月面に降り立つぐらいのわずかな確率でしかないのです。実際、私が生まれた前後数年間は、ノーベル文学賞の対象者がいませんでした。私はとても貴重な人たちの仲間入りをすることができたと言えます。

ノーベル賞受賞の知らせを受けた時、私はツアーに出ている最中でした。そして暫くの間、私は状況をよく飲み込めませんでした。その時私の頭に浮かんだのは、偉大なる文学の巨匠ウィリアム・シェイクスピアでした。彼は自分自身のことを劇作家だと考え、「自分は文学作品を書いている」という意識はなかったはずです。彼の言葉は舞台上で表現するためのものでした。つまり読みものではなく語られるものです。彼がハムレットを執筆中は、「ふさわしい配役は? 舞台演出は? デンマークが舞台でよいのだろうか?」などさまざまな考えが頭に浮かんだと思います。もちろん、彼にはクリエイティヴなヴィジョンと大いなる志がまず念頭にあったのは間違いないでしょうが、同時に「資金は足りているか? スポンサーのためのよい席は用意できているか? (舞台で使う)人間の頭蓋骨はどこで手配しようか?」といったもっと現実的な問題も抱えていたと思います。それでも「自分のやっていることは文学か否か」という自問はシェイクスピアの中には微塵もなかったと言えるでしょう。

ティーンエイジャーで曲を書き始めた頃や、その後名前が売れ始めた頃でさえ、「自分の曲は喫茶店かバーで流れる程度のもので、あわよくばカーネギー・ホールやロンドン・パラディアムで演奏されるようになればいいな」、という程度の希望しか持っていませんでした。もしも私がもっと大胆な野望を抱いていたなら、「アルバムを制作して、ラジオでオンエアされるようになりたい」と思っていたでしょう。それが私の考えうる最も大きな栄誉でした。レコードを作ってラジオで自分の曲が流された時、それは大観衆の前に立ち、自分のやり始めたことを続けられるという夢に近づいた瞬間でした。

そうして私は自分のやり始めたことを、ここまで長きに渡って続けてきました。何枚ものレコードを作り、世界中で何千回ものコンサートを行いました。しかし何をするにしても常に中心にあるのは私の楽曲です。多種多様な文化の多くの人々の間で私の作品が生き続けていると思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。

ぜひお伝えしておきたいことがあります。ミュージシャンとして私は5万人の前でプレイしたこともありますが、50人の前でプレイする方がもっと難しいのです。5万人の観衆はひとつの人格として扱うことができますが、50人の場合はそうはいきません。個々人が独立したアイデンティティを持ち、自分自身の世界を持ち、こちらの物事に向き合う態度や才能の高さ低さを見抜かれてしまうのです。ノーベル委員会が少人数で構成されている意義を、私はよく理解できます。

私もシェイクスピアのようにクリエイティヴな試みを追求しながらも、「この曲にはどのミュージシャンが合っているか? レコーディングはこのスタジオでいいのか? この曲はこのキーでいいのか?」などという、避けて通れぬ人生のあらゆる俗的な問題と向き合っています。400年経っても変わらないものはあるのです。

「私の楽曲は文学なのか?」と何度も自問しました。

この難題に時間をかけて取り組み、最終的に素晴らしい結論を導き出してくれたスウェーデン・アカデミーに本当に感謝しています。

ありがとうございました。

勇気をあらわす言葉

勇気に関する言葉をかかげておきたい

・ エネルギーのない所に功績は光らない。強さのない所に徳はなく、勇気のない所に栄光はない。
(ラテン・アメリカ解放の父シモン・ボリバル 『シモン・ボリバール』ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド著 水野一監訳)

・ 崇高な精神によって立つ人が、畏縮(いしゅく)した弱者の立場に甘んじている限り、社会の悲惨を転換することはできない。だから、未来の人類のために打って出よ。(ペスタロッチ)

・ 非暴力は臆病をごまかす隠れみのではなく、勇者の最高の美徳である。非暴力を行うには、剣士よりはるかに大きな勇気がいる。(マハトマ・ガンジー)

・ 金を失うのは、人生の半分を失うことだ。しかし勇気を失うのは、人生のすべてを失うことだ。(ユダヤ人のことわざ)

・ 戦いは勇気なり。(中国の古典 『春秋左氏伝』)

・ なにごとも逃げてはいけない。敵に対しても、もしも、こちらが逃げれば、ますます激しく攻めてくるものだ。それと同じように、人生のさまざまな苦しみも、私たちが恐れおののいているのをみると、いい気になって、更にいじめてくる。しかし、強い心で立ち向かっていく人には、向こうのほうが逃げ出し、降伏するのである。だから、断じて強気でいかねばならない。
(フランスの思想家モンテーニュ 『エセー(随想録)』)

・ 小舟は揺れ 波に洗われ 海は逆巻く、
舟人行く手に迷い、帆はやぶれている
いま 楫(かじ)をとるのは誰か?勇気のあるのは誰か?
進み出でよ、たくましき若人(わこうど)よ、運命が叫んでいる
嵐はつよまる、されど舟は乗り越えねばならぬ、と
(バングラデシュの詩人カズィ・ノズルル・イスラーム)

・ 臆病な人間にとっては一切は不可能である。なぜなら、彼には一切が不可能に見えるからだ。
(イギリスの小説家ウォルター・スコット)

・ 不可能とは臆病者の言いわけなり。(ナポレオン)

・ 諸君には勇気がある
栄光は諸君のものだろう
(エクアドルの詩人ホセ・ホアキン・オルメド)

・ 勇気ある人々の財産は破壊しえても、勇気そのものは破壊できない。
(ビクトル・ユゴー 『海で働く人びと』山口三夫・篠原義近訳 潮文庫)

・ ともかく、あなたは屈服してはならない
忍び寄る恐怖の闇に
闇の暗い顔の前で、ドアを閉めよ
そして、あなたの心から追放するのだ
私は、私の勇気を萎(な)えさせない
そして、あなたの中、あなたの心の奥にある希望の灯を
過ぎる風に吹き消させはしない
あなたは、あなたが思っているよりも尊貴なのだ
あなたが感じているよりも、はるかに勇敢なのだ
あなたの中には、まだ発見されない力がある
やがてそれは勢いよく、命の上に、ほとばしるに違いない
(マハトマ・ガンジーの直弟子ラマチャンドラン博士)

・ 一つが切り抜けられたら、次には何でも切り抜けられるはずではないか。立ち止まって、恐怖と正面から対決する度(たび)に、人には力と勇気と自身がついてくる。そして、「この恐ろしいことが切り抜けられたのだから、次にどんなことが来ても大丈夫だ」と言えるようになる。
(アメリカのルーズベルト第32代大統領夫人エレノア・ルーズベルト女史 『生きる姿勢について―女性の愛と幸福を考える』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳 大和書房刊)

・ どこに行っても逃げて歩いていたなら、自信は失われるばかりである。
(前掲書)

・ 健康と健全たる勇気は
君が前進するかぎり
常に君とともにある
(ネパールの詩人ビクシュ)

・ あらゆることのなかで、ただ一つ
後悔しないことがある
この地上において、だれ一人として
それは“勇敢であった”ということだ
勇気は常に最高のものである
(アルゼンチンの文学者ボルヘス)

・ 勇気がなければ幸福は得られない。戦いなしには美徳はありえない。
(フランスの大思想家ルソー 『エミール』今野一雄訳 岩波書店)

・ われわれは真に勇気ある人間であったか?すなわち「敵に対抗する」勇気のほかに、必要な場合には「自己の仲間に対しても抵抗する」だけの勇気を持っていたか。「私利私欲に抵抗する」勇気だけでなく、「多数の圧迫に抵抗する」勇気を持っていたか!
(アメリカのケネディー大統領)

・ さあ、元気を出して行動に打って出よう
どのような運命にも立ち向かう勇気を持って。
いよいよ励み、いよいよ求め、
労苦し、時を待つことを学ぶのだ。
(アメリカの詩人ロングフェロー)

・ 恐怖は、マラリアや黒熱病(こくねつびょう)よりも恐ろしい病気である。マラリアや黒熱病は、体を蝕(むしば)む。しかし、恐怖は精神を蝕む。
(マハトマ・ガンジー)

・ 精神性の最大の要素は「恐れない心」である。
(マハトマ・ガンジー)

・ 太陽の輝きは
人間の勇気の中でかがやく―
陽の光はこの世のすべての闇を追い払う
(ドイツの詩人タゴール 『春の先がけ』森本達雄訳)

・ 臆病者は数の力を喜ぶ。しかし、勇敢なる精神をもつ者は、一人戦うことを誇りとする。
(マハトマ・ガンジー)

・ 力強い勇気は、万人の心を打つ。
(古代ローマの哲学者セネカ)

・ 勇気は恐怖より、はるかに爽快である。
(アメリカのルーズベルト第32代大統領夫人エレノア・ルーズベルト女史)

・ 強さと勇気が、人生に前進をもたらす。(フィリピンの格言)

・ 戦いの決着は戦う者の戦意できまり、
勇者のみが勝利を収めることになる
(イギリスの詩人ドライデン 『世界名詩集大成』イギリス篇 加納秀夫訳 平凡社)

・ 剛毅―ライオンは恐怖を知らぬ。いな、奮然群がる狩人(かりうど)に反撃して激戦を挑む。
(ダ・ヴィンチ 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』杉浦明平訳 岩波文庫)

・ 幸福を得るには、あらゆに人間の性質の中で、勇気が最も必要である。
(スイスの思想家ヒルティ 『幸福論(第一部)』岩波文庫)

・ われわれが恐れなければならないただひとつのことは、恐怖それ自体だ。
(アメリカ第32代大統領フランクリン・ルーズベルト(演説))

・ 勇気こそ逆境における光である。
(フランス ヴォーヴナルグ)

・ もし勇気、汝より去らば、すべてのものは汝より去る。
(ゲーテ)

・ 勇気のあるところに希望あり。(ローマの歴史家タキトゥス)

・ 勇気を修養するものは、進む方の勇気ばかりでなく、退いて守る力の沈勇もまたこれを養うよう心掛けねばならぬ。両者がそろって真の勇気が成る。(新渡戸稲造)

・ 人生に対して惰性になるのは臆病である。
(アルゼンチンの思想家・医学者ホセ・インヘニエロス)

・ つねに恐れつつ進まぬ者は、数々の侮辱(ぶじょく)にあい、しばしば悔いることになる。
(レオナルド・ダ・ヴィンチ 『レオナルド・ダ・ヴィンチ』セルジュ・ブランリ著 五十嵐見鳥訳 平凡社)

・ 臆病者は残酷である。
(イギリスの詩人、劇作家ジョン・ゲイ)

・ 臆病はざんこく性の母である。
(フランスの思想家モンテーニュ 『エセー(随想録)』)

・ すべての残忍性は臆病から生まれる。
(古代ローマの哲学者セネカ)

・ 自殺は、このうえなき臆病の結果である。
(イギリスのジャーナリスト、作家ダニエル・デフォー 『投機論』)

・ 死のうとすることよりも、生きようとすることのほうが、たいていは、ずっと勇気を必要とする試みなのである。
(イタリアの劇作家アルフィエリ)

・ 死ぬよりも苦しむほうが勇気を必要とする。
(ナポレオン)

・ 自殺するのは卑怯である。
(ナポレオン)

ベルグソン「時間と自由」

ベルグソン「時間と自由」(岩波文庫、中村文郎訳)の、P20にこうある。

ひとたび深い情念に取り憑かれると、同じ対象がもはや同じ印象を生まなくなる。

すべての感覚、すべての観念が新鮮さを帯びて現れる。まるで子どもにかえったかのようだ。このようにして諸君は自分の情念の新しさに気づくのではないか。

私たちもこれに類したことをある種夢のなかで体験する。

そこで大したことが起こっているわけではないが、それでもかつて聞いたことのない音が夢を通じて聞こえてくるのだ。このため、意識の深いところへ降りていけばいくほど、心的諸事実を事物の並列として扱うわけにいかないのである。

或る対象が心の大きな部分を占めているとか、否、全部を占めているとか言われるが、

そういう言い方で理解しておかなくてはならないのは、そのイメージが無数の知覚や思い出のニュアンスを変形してしまったということ、その意味ではそのイメージはそれとは認められないが、知覚や思い出のなかに浸透してしまっているのだ、というだけである。


1.夢のなかで、音楽が流れることは、わたしの場合も、たまにある。目覚めたあとに、メロディを思い出そうするが、、思い出せない。でも、世の中に、無い感じがしたし、美しい曲だった。となると、自分が作曲したのか?と、不思議な気分になる、、上記のベルグソンの文章から、このことを思い出した。

2.直腸がん手術直後の、2010年5月27日の1時ころ、熱と痛みのせいか、幽体離脱こそしなかったが、一種の変性状態にあった。閉塞感があったし、いつもの自分ではなかった。自分の身体を、もう一段下から見ているというか、感じている自分がいた。幸せな気分ではなく、むしろ寒々しかった。これが俺の基底の感覚なのか、、と思ったのだ。と同時に、この知覚から、始めないといけない、、と。
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