わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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感想「ひとたびはポプラに臥す①」

さて掲題の作家、宮本輝氏の西域紀行エッセイ6冊のうちの①を、遅ればせながら、二週間かけて読了した。朝、モモの散歩のときに集中して読んだのだ。そこでAmazonのレビューをみると、10年以上前の書込みあるだけで、このまま、ほってはおけない気になった。

しばらく考えて、そのレビューを、思いっきり長いものを書こう。そのための箇条書きを以下に、、

1.主題は鳩摩羅什、けれど通奏低音としては「ポプラに臥す」に象徴される何かではないか。

うまく言えないが、この本は、反→正→合が「匠なる絵師」のごとく展開されていて、、合は「ひとたびはポプラに臥す」に落ち着く、そう読める。もとよりヘーゲルの弁証法は正→反→合ですが、ある方が反→正→合の話をされたのを、にわかに思い出した次第。

2.いま一番響いている箴言は、166頁のところ。
・・・徒然なる心は文章の行間に秘めたのである。けれども、そのことは言わずに我慢した。
〈感じる〉という能力においていかに狂人であっても、私が常識を逸脱した行為をやり始めたら、私は小説を書けなくなるであろう。
人間として不自然な部分(それは肉体的欠陥ではない)を持つ人は、必ずその部分が他の部分にも枝葉を伸ばすものであることを知らねばならない。

この「必ず」という強い言葉は、心にのこる。そうそう書ける言葉ではないからだ。

3.威の刑務所で、ポプラの大木に巻きつけられていた色白の青年の光景が、読み終えた今も、気になった。20年すぎたその彼は、どうされているだろうか、生きておられるだろうか、と。

以上の内容で、宮本輝公式サイトのBTC(掲示板)に書き込むと、お仲間で、、私がリスペクトしている康さんという70代の男性の方から、次の言葉をいただいた。
本書は、不思議な魅力のある書です。単なる紀行文ではない哲学書ではないかと。
鳩摩羅什が東方に伝えようとしたものは「百年河清を待つ」という「どうしようもない生命の傾向性」をその人にとって善なるものへと転化する方法であったのだ、とはいったいどういうことなのでしょうか、
答えを導き出すのに長い時を要します。
北大の構内にあるポプラ並木は何の感慨も起こしませんが、河西回廊に延々と続くポプラ並木は、1000年も前から人を暑さ、寒さから守ってきた自然の防波堤であったのでしょう。


康さんの文章から醸し出す心根が、いい。いつも、そう感じる。

たしかに下世話な会話も出てくるが、全くもって哲学的紀行文なのだ、、ただ「生命の傾向性」という基語は聞き覚えがあり、あらましは思い浮かぶものはある、、点と点はつながっている。

1970年代に歴史学者の色川大吉さんがリスボンからテヘランだったか、ワーゲンのミニバスみたい車で走破する紀行文「ユーラシア大陸思索行」という本を出されたが、一読したものの、再び読み返そうとは思わなかった。はるかに「ポプラに臥す」がいい。


追記、
3月にBTCに書き込んだ前後のことを、あらためてコピペしておきたい。そのみなさんの言葉は、わたしにとって珠玉であり、残しておきたいのだ。以下の通り

[10705] 25年目の決着 投稿者:心のギア 2017/02/09(木) 01:07(ID:334287)
輝先生、みなさま、こんばんは

康さんへ
おかげさまで、C型肝炎は完治しました。
ハーボニーという飲み薬のおかげです。インタ-フェロンを使わずに、副作用もほとんど感じず、ウィルスがサアッと消えていく感じで、驚くばかりでした。

1991年にC型肝炎を発症し、1995年頃はそのインタ-フェロン治療が全く効かず、副作用に苦しむだけ苦しんで、出口なしが延々と続き、さらには乾癬を発症しだし、欝が常態的になっておりました。

その頃、肺がんを克服された方と知り合うことができました。滝本さんという方で、じっくり一対一で、1時間近くお話をうかがうことができました。病状をお話すると、私の名前などを、メモ帳に書き込まれておりました。滝本さんは、とても深い眼をされていて、すっかり魅入っていました。生ききっている人だなと感じ入っていました。絵画を見るように、わたしは人の眼を、じっと鑑賞するクセがあり、、いい眼をされていました。

つい最近、滝本さんに完治したお礼を申し上げようとしましたが、すでに80歳代の後半になられているようで、高齢者の施設におられるらしく、消息を知ることができませんでした。

あらためて、歳月は、ひとを徐々に舞台のそでに押しやっていくものだなぁと感じた次第で、それでも、7年前の直腸がんといい、25年かかったC型肝炎と乾癬といい、大きな病いを3つのりこえることができたわけで、ひとまず大団円を迎えることができたわけです。

そして、私と51歳差の小学校5年の長女も、60歳差の保育園に通う2歳の次女も、みな元気に育っております。ありがとうございました。

[10706] おめでとうございます。 投稿者:宮本輝 2017/02/09(木) 02:28(ID:388223)

長いあいだ闘い抜いたことでハーボニーという新薬と出会えたんですね。
毒を出し切って、これからは宇宙の永遠の大生命を満喫する日々ですね。


[10707] 輝先生、ありがとうございます 投稿者:心のギア 2017/02/09(木) 10:21(ID:162276)
みなさま、おはようございます。

「宇宙の永遠の大生命を満喫する日々」というお言葉、胸に深く刻みます。

これからが本番と決めて、100歳まで健康寿命を伸ばそうと努力してまいります。フンザの老人のように透徹した眼を持ちたいと願っております。

先月25日、40歳代後半の友人、康夫さんが脳溢血で緊急入院して2週目に入った今も、意識不明の厳しい病状が続いていて、ひとまずは意識を回復することを祈る日々が続いております。お子さんはこれから小学校に通うお嬢さんが一人いて、、このままでは、本人も私たち友人も、悔いが残ると強く思っております。。

それでも、ですが、不謹慎なのかもしれませんが、康夫さんは、時間を超えて、「宇宙の永遠の大生命」につつまれて、さまざまな対話をしているのではないかと想像しても、おります。

わたしの場合、7年前に直腸がん手術して二日目の深夜に、なんとも言い表すことができない虚空にいる感じで、「宿命」という言葉が実相は、こういうことか感じていて、体当たりで中央突破するしかない、と決めてかかり、今日の完治にいたった次第です。

これから最後の壁、「蔵の財」を攻めようと思っております。重ねて、ありがとうございました。

「10708] 最近...月日が経つのがはやいです 投稿者:アルバ 2017/02/09(木) 10:43(ID:425208)
心のギアさんの大団円を迎えたとのお話、歓喜する思いであります。

これからは、二人のお嬢様たちの成長を楽しみに、新しい道を進まれることをお祈りいたします。

[10710] ハーボニー 投稿者:岩井 2017/02/10(金) 17:26(ID:373175)
こんにちは

本当に、久しぶりに寄らせていただきます。

心のギアさん、おめでとうございます。
先生のお言葉と、康さんも書き込まれていましたが、お二人の娘さんの成長を楽しみに、奥様と共に「百歳までの健康寿命」ですね。

ハーボニーは、その後発売されたヴィキラックス共々に、本当に画期的な薬です。C型肝炎のウイルスの大きさといえば、
ナノ単位、1ミリの100万分の1の大きさです。ハーボニー等はその想像もできない小さな肝炎のウイルスに直接作用して、ウイルスを破壊してしまいます。ハーボニーの効かない2型には、ヴィキラックスとリバビリンの同時服用で、ウイルスを破壊します。共に95%完治するというのですから、素晴らしいの一言につきます。
薬の効かない残り5%は、肝炎ウイルスが変異性のためで、これも破壊できる新しい薬がもうすぐ発売されます。

当薬局では、今までに、4人の患者さんにハーボニーとヴィキラックスを投薬しました。処方元は、県立中央病院と
赤十字病院です。4人の患者さんとも、みるみる間にウイルスの数が減っていくことに驚かれ、そして、喜びに溢れていました。
お一人の方は、まだ若い女性だったのですが、「若いときに悪いことをした罰があたった」などと嘆かれており、C型肝炎治療の薬が発売されていること知らなかったので、教えてあげました。心から感謝され、彼女の笑顔には、この仕事をしていてよかった、とまで思ってしまいました。

C型肝炎ウイルスに罹っていて、ほっておくと、10年~30年後に、3~4割の方が肝硬変、肝がんへと移行します。

長々とすみません。ハーボニーと聞いて、飛び込んでしまいました。また、寄らさせてください。
ありがとうございました。

10711] ありがとうございます 投稿者:心のギア 2017/02/13(月) 17:24(ID:250283)
輝先生、みなさま、こんばんは

三日ぶりに、こちらに来ました。
アルバさん、ありがとうございます。2010年春は、直腸がんの真っ只かなかで、不安でいっぱいでしたが、今は懐かしく、何を体験したのか、思い出すようにしています。

康さん、お久しぶりです。
以前、ご病気の様子は、こちらに来て、存じ上げていたのですが、コメントはさしひかえておりました。今は、お元気のご様子で、とても嬉しく思っております。

岩井さんの、新薬のお話、本当にそのとおりで、私の主治医はC型肝炎からB型肝炎へ、臨床研究を切り替えるとおっしゃっていました。隔世の感です。

さて、先週の金曜、脳溢血で入院していた友人の康夫さんは10時10分に永眠しました。16日間の入院でした。

今は何がなんだか、わからないのですが、、きっと意味がある、、と心の中で、「長歌の舞台、はてしなく、、」言い続けております。


[10712] 生と死のはざまで 投稿者:康 2017/02/14(火) 20:57(ID:246157)
心のギアさん、

有難うございます。

ご友人の康夫さんのご逝去のこと、お心落としのことでしょう。40歳代後半とのこと、まさに働き盛りの時の急逝にご家族のご心痛もいかばかりでしょうか。
20年前、私の期待していた45歳の部下がやはり脳溢血で亡くなった時のことを回想しています。東海道新幹線で大阪へ向かう途中で電話があり、名古屋でUターン、駆け付けた病院で、二人の小さなお嬢さんが、ベッドの脇で茫然としていた姿が忘れられません。それでも、母子家庭で生活を築き、今は成長してそれぞれ結婚し、子どもを授かって元気に暮らしていることをみれば、苦境の中にも、道は拓けるということでしょうか。

昨日は、我が家に吉報がありました。16年前に乳がんの手術をしました家内に「がんの転移の可能性がまったくなくなった」という医師の判断です。これまで、体調の異変を感じれば、すべてがんの転移ではないかと訴えて不安にかられていましたが、「もう乳がんのことは忘れなさい」との医師の言葉に、安堵をしたところです。神経痛の痛みは相変わらずですが、一つ一つクリアしていかなければと夫婦で決意しております。

何事も、なるようにしかならない。あるがままに受け止めるしかないのでしょうね。


10718] 気づきという言葉 投稿者:心のギア 2017/02/20(月) 22:59(ID:327273)
輝先生、みなさまこんばんは

康さんへ
奥様のご病気の卒業、おめでとうございます。乳がんの場合で、そのようにお医者さんが言われることがあるとは、、知りませんでした。

また20年前の脳溢血のお話、映像のように思い浮かんで来ました。

亀井勝一郎の「人生解逅し、開眼し、瞑目す」の言葉は、秀逸ですね
わたしの場合は「気づき」という言葉を頭の中で、使って終わらせてしまうのですが、もっと適切な言葉がないものかと、いつも考えあぐねているところで、「解逅と開眼」はいいヒントになりました。

[10719] 無題 投稿者:康 2017/02/22(水) 10:51(ID:30746)
心のギアさん、
有難うございます。
これからは、ほかに原発性のがんの発症がないことを願っています。ただ、16年間の闘病中にレントゲン、CT、MRI、骨シンチなどの検査を繰り返したことのほかに痛み止め、抗鬱剤、睡眠薬など様々な薬を服用してきましたので、精神的な負担が計り知れません。現在は神経系統の痛みに襲われることが多いので、負担を軽くしてやることが、私の役割かと思っていますが・・・。

「邂逅と開眼」について・・・
昭和40年代の初めにはじめて薬師寺を訪れ、金堂の薬師三尊や東院堂の聖観音菩薩を拝観し、東塔と最初に出会ったとき、私のような神や仏に縁のない生き方をしている凡夫にとっても、ある種の精神的な衝撃を受けたのですが、それが何なのか。
亀井勝一郎のいう「邂逅と開眼」だったのでしょうか。亀井は、「薬師寺への道」のなかで東塔について「薬師寺を訪れる人で、この塔を讃歌しない人はない。そうならば、この塔が建立された当時、なぜ万葉の人々は歌わなかったのか。三重の塔に反応を示さなかったのであろうか。わずかに仏足石歌があるだけである」「万葉の歌のなかには青春の生命がみちあふれているが、仏像の美や塔を歌うという点では発揮されなかった」と書いています。

薬師寺の三重の塔を万葉の人々が歌わないで、1200年の時が流れ、明治以降になると多くの人々によって歌われるようになったことは興味深い、と亀井は書いています。白鳳時代の「日常」であった仏教信仰への復元でもあるように思います。
信仰への復元の願いが、古仏や塔に出会って「邂逅と開眼」に繋がったと言えなくもありません。
戦前、戦地に赴く前の多くの青年が、一人古寺を訪ねることが多かったとどこかで読みました。
佐々木信綱の一首
 逝く秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なるひとひらの雲
日本人として安らぎを感じる歌です。


[10721] ひとたびはポプラに臥す①を読んで 投稿者:心のギア 2017/03/01(水) 00:26(ID:358289)
輝先生、みなさま、こんばんは

康さんへ、
配慮について
先日、仕事上の先輩で、すい臓がん手術をされて1年経過した人が連絡がありました。直近の検査結果で不穏な兆候があり、より強い抗がん剤をやるかどうか思い悩んでおられました。以前わたしが強くおすすめした患者会に行ってみると言われました。

わたしの病気などとは深刻さのレベルが違いますので、私にいえるのは出来るだけ多く同病の方に実際お会いして情報を得ることが大事です、とお話したことが、こころにのこっておられたのでは、と思います。

さて掲題のこと、遅ればせながら、二週間かけて読了いたしました。そこでAmazonのレビューをみると、10年以上前の書込みあるだけでしたので、このまま、ほってはおけない気になりました。しばらく考えて、そのレビューを、思いっきり長いものを書こうと思います。

主題は鳩摩羅什、けれど通奏低音としては「ポプラに臥す」に象徴される何かではないか。うまく言えませんが、この本は、反→正→合が「匠なる絵師」のごとく展開されていて、、合は「ひとたびはポプラに臥す」に落ち着く、そう読めるのです。もとよりヘーゲルの弁証法は正→反→合ですが、ある方が反→正→合の話をされたのを、にわかに思い出した次第。

いま一番響いている箴言は、166頁のところです。
『・・・徒然なる心は文章の行間に秘めたのである。けれども、そのことは言わずに我慢した。
〈感じる〉という能力においていかに狂人であっても、私が常識を逸脱した行為をやり始めたら、私は小説を書けなくなるであろう。
人間として不自然な部分(それは肉体的欠陥ではない)を持つ人は、必ずその部分が他の部分にも枝葉を伸ばすものであることを知らねばならない。』

「必ず」という強い言葉は、心にのこりました。

もうひとつ、武威の刑務所で、ポプラの大木に巻きつけられていた色白の青年の光景が、読み終えた今も、気になりました。20年すぎたその彼は、
どうされているだろうか、生きておられるだろうか、と。


10722] 「ひとたびはポプラに臥す」とウォールデン森の生活 投稿者:康 2017/03/01(水) 15:47(ID:30746)
こんにちは、

心のギアさん、
「ひとたびはポプラに臥す」①をお読みになってのレビューを楽しみにしております。
本書は、不思議な魅力のある書です。単なる紀行文ではない哲学書ではないかと。
鳩摩羅什が東方に伝えようとしたものは「百年河清を待つ」という「どうしようもない生命の傾向性」をその人にとって善なるものへと転化する方法であったのだ、とはいったいどういうことなのでしょうか、答えを導き出すのに長い時を要します。

北大の構内にあるポプラ並木は何の感慨も起こしませんが、河西回廊に々と続くポプラ並木は、1000年も前から人を暑さ、寒さから守ってきた自然の防波堤であったのでしょう。


以上である。

作家宮本輝さんからいただいた言葉

このところ、書きとどめておきたいことがいくつもあったが、ブログから遠ざかっていてて、時系列にこだわらず、思うがままに、、

1.アマゾンのキンドルを買い求めた。プライムに入っていたので4000円割引を利用した次第。広告がつかないキンドルの最も安価なものだが、これで十分。目的は、著作権切れになった、漱石、鴎外、芥川などの明治・大正の文豪たち小説や、聖書など、紙で持ちたいとは思わないものをキンドルで読めるようにすることにある。青空文庫のものだからコンテンツは無料。もう一つのネライはプラトン、プロティノスそしてなにより日蓮の遺文を、打ち込むなり、検索編集するなりして、キンドルで読めるようにすることにある。わがキンドルに珠玉の古典を集成させてしまうのだ。

2.キンドルの使い勝手は、軽いし、文字の大きさも自在だし、ハイライトなどが簡単にできるので、存外いい。気に入っている。
この二三日に、とっかかりに読んだものでは、福沢諭吉の「慶応義塾の学生に告ぐ」と宮本百合子の「知性の開眼」で、ともに秀逸だった。
前者は、現下の、文科省の天下りスキームを生む根っこのところにある教育の弊害を突いているし、後者はとても読みやすく美しい文章で、自分のためだけに三冊の小説を書いた仏の女性作家のことを教えてくださった。左翼もなにも関係ない、いいものはいいのだ。宮本百合子さんは髄膜炎菌による敗血症によって51歳で亡くなられた。7歳下の宮本顕治氏の、前の奥さんにあたるのかな?

3.昨日、久々、作家宮本輝さんの公式サイトに、病気完治のことを次のように書き込んだ。

輝先生、みなさま、こんばんは
おかげさまで、C型肝炎は完治しました。
ハーボニーという飲み薬のおかげです。インタ-フェロンを使わずに、副作用もほとんど感じず、ウィルスがサアッと消えていく感じで、驚くばかりでした。

1991年にC型肝炎を発症し、1995年頃はそのインタ-フェロン治療が全く効かず、副作用に苦しむだけ苦しんで、出口なしが延々と続き、さらには乾癬を発症しだし、欝が常態的になっておりました。

その頃、肺がんを克服された方と知り合うことができました。滝本さんという方で、じっくり一対一で、1時間近くお話をうかがうことができました。病状をお話すると、私の名前などを、メモ帳に書き込まれておりました。滝本さんは、とても深い眼をされていて、すっかり魅入っていました。生ききっている人だなと感じ入っていました。絵画を見るように、わたしは人の眼を、じっと鑑賞するクセがあり、、いい眼をされていました。

つい最近、滝本さんに完治したお礼を申し上げようとしましたが、すでに80歳代の後半になられているようで、高齢者の施設におられるらしく、消息を知ることができませんでした。

あらためて、歳月は、ひとを徐々に舞台のそでに押しやっていくものだなぁと感じた次第で、それでも、7年前の直腸がんといい、25年かかったC型肝炎と乾癬といい、大きな病いを3つのりこえることができたわけで、ひとまず大団円を迎えることができたわけです。

そして、私と51歳差の小学校5年の長女も、60歳差の保育園に通う2歳の次女も、みな元気に育っております。ありがとうございました。


すると、今朝の早い時間帯に、作家宮本輝さんより、次のようなありがたいコメントをくださった。

おめでとうございます。
長いあいだ闘い抜いたことでハーボニーという新薬と出会えたんですね。
毒を出し切って、これからは宇宙の永遠の大生命を満喫する日々ですね。


「宇宙の永遠の大生命を満喫する日々」という作家の言葉は、ありがたかく、一生の宝にしよう。そこでさきほど、お礼の言葉を公式サイトに書き込んだ。

みなさま、おはようございます。

「宇宙の永遠の大生命を満喫する日々」というお言葉、胸に深く刻みます。

これからが本番と決めて、100歳まで健康寿命を伸ばそうと努力してまいります。フンザの老人のように透徹した眼を持ちたいと願っております。

先月25日、40歳代後半の友人、康夫さんが脳溢血で緊急入院して2週目に入った今も、意識不明の厳しい病状が続いていて、ひとまずは意識が回復することを祈る日々が続いております。お子さんはこれから小学校に通うお嬢さんが一人いて、、このままでは、本人も私たち友人も、悔いが残ると、強く、思っております。。

それでも、ですが、不謹慎なのかもしれませんが、康夫さんは、時間を超えて、「宇宙の永遠の大生命」につつまれて、さまざまな対話をしているのではないかと想像しても、おります。

わたしの場合、7年前に直腸がん手術して二日目の深夜に、なんとも言い表すことができない虚空にいる感じで、
「宿命」という言葉の実相は、こういうことか、と感じていて、もう、体当たりで中央突破するしかない、と決めてかかり、今日の完治にいたった次第です。

これから最後の壁、「蔵の財」を攻めようと思っております。重ねて、ありがとうございました。


以上である。

4.今、康夫さん、先般書き込んだDさんの意識が回復することを、強く願っていて、そのことが心から離れない。

作家宮本輝&行定勲監督の対談

NHKEテレの作家宮本輝&行定勲監督の対談を見た。前半は作家の仕事場であるご自宅、後半は監督のベース基地の熊本だった。
宮本輝という作家が、いかに一貫しているか、まざまざと知る思いだった。実は、数年前にもEテレでインタビュー形式で応える番組があったが、導入部分で、文学の師、池上義一氏が「小説の冒頭の文章を削る」話、母親が睡眠薬で自殺をはかって病院に担ぎ込まれたとき、宮本輝本人は(病院に行ったら母死んでしまう)と思い込み、自宅の押入れのなかで井上靖の「あすなろ物語」を読み続けていたこと等、ほぼ話す内容の骨子は同じだったのだ。

そこで久々、その公式サイトにこう書き込んだ。

みなさま、こんにちは、ものすごく、久しぶりに書き込みます。
行定勲監督との対談、二度、わたしは観ました。
文学の師、池上さんのこと、押し入れで読まれた「あすなろ物語」のお話のこととか、数年前に、同じNHKで輝先生が話されていたことを思い出しました。あらためて、先生の創作の根っこにある出来事なのだと感じていました。

また、お話を聞いていて「人はいかに気づくかどうかが大事だな」とつくづく感じて、、わたしの場合、弟子が師を破門してしまうまでには至らなくても、遠ざかる所業は容易にしやすいタイプだな、と感じておりました。

あと監督に短編の映画化をゆるされたとき、何故か、昔、輝先生がここを訪れる人たちに、短編小説を書いたら見てくださるという、あの話を思い出しました。行定勲監督の眼からワクワクとした歓びの光を感じました。その映画は、必ず観ると決めました。

今、「ひとたびはポプラに臥す」を読んでいます。1995年5月25日に旅立たれたのですね、2010年5月25日に直腸がん手術したものなので、5月25日という日付に反応してしまいました。自分に引き寄せて読む癖は、どうにも治せません。なので遅読まま、少しずつ読むつもりです。


追記、、2007年に「青春と読書」に載った「短編を書く楽しさ、恐さ」と題する宮本輝さんのインタビュー記事を、長いが、以下に掲げておきたい。師弟の対話の機微が垣間見える話だ。

一九四七年生まれの宮本輝さんは、今年還暦を迎えるとともに『泥の河』で作家デビューしてから三十年を迎えました。それを記念して、単行本未収録の「スワートの男」を含めて短篇作品全三十九篇を収めた『宮本輝 全短篇』(上下二巻)が刊行されます。
宮本文学における短篇小説の位置づけ、また三十年にわたる作家生活を振り返って、あらためて文学について語っていただきました。


 「あとがき」でも書きましたが、短篇を書くのは好きなのですが、同時に短篇を書くことの恐ろしさを知っているつもりです。短篇は、書き始める前から先が見えないんです。普通は、長篇のほうが先が読めない段階から筆を起こすというふうに考える方が多いかと思いますが、ぼくにとっては短篇のほうが先が読めない。もう一ついえば、先が読めて書き出して書いた短篇というのは、出来がよくない。
 短篇を書くのはある種の恐怖が伴なうんです。長篇は体力的になかなかしんどい仕事ですけれど、短篇は精神的に非常につらい作業です。だから、短篇の依頼を引き受けるのは、かなり勇気が要るというか、度胸が要るというか。自分のなかに今書きたい短篇が何もないのに、短篇を書かなきゃいけないときは苦しくて、その苦しみは長篇よりもはるかに深い。それだけ短篇というのは難しいものだと思います。
 それから、長篇の場合は途中にいろいろな起伏や緩急というものがどうしても必要になる。緊張感ばかりで長篇を引っ張っていくことはできないし、読むほうもそれではしんどい。どこかで、「緩み」や「ダレ」というものも要るんです。長いこと小説を書いてくると、一種職人的に、その呼吸というのはわかってくるものなんですけれども、短篇というのはそれができない。ボクシングでいうと、一ラウンド三分間ラッシュし続けるみたいな、そういうものだと思います。
 そうした短篇の難しさ、大切さを最初にぼくに教えてくれたのが「わが仲間」という同人誌を主宰していた池上義一さんでした。ぼくが池上さんと初めて会ったのは二十八、九のころで、ちょうど『螢川』をこねくり回して書いていたときです。池上さんが、「いっぺん書いたものをあれこれいじくり回すよりも、別な新しいものを書け、どんどん新しいものを書いていったほうがいい。宮本君、この『螢川』はちょっと置いとこう、寝かしておこうよ」と。
 それで心機一転して、『泥の河』にとりかかって書き終えたわけですが、そこでようやく少し文章がわかったというか、抑制や省略するということ、ここは書きどころだ、ここは書きどころだけど書いちゃいけないんだとかという呼吸法みたいなものが、つかめた気がしました。だから、もしあのまま『螢川』ばかり書き直してたら、永遠に先へ進まなかったでしょう。池上さんは、ぼくの性格も含めて、ぼくの能力や持っているものを非常によく見てくれていたんですね。

その池上義一さんから、「最近、ほんとうの意味での短篇作家がいなくなった。みんな三十枚で書けるものを三百枚に水増ししている。だけど、宮本君、小説家は三十枚の短篇を書けるようにならなきゃ一人前じゃない。百枚で書こうと思うものを三十枚で書くんだ。三十枚で書けるものを百枚にするなよ。それで宮本君、プロの作家になれたらな、三十枚の短篇が書ける作家になるんだぞ」っていわれたんです。

「青が散る」Award(賞)

宮本輝さんが母校追手門学院大学第9回文章表現コンクールに寄せたメッセージを掲げたい。2015年度は6620作品の応募件数だった、という。

目の前には、なんにもない校庭がどこまでも広がっていた。校舎は1号館だけ。そこかしこで土煙を上げるブルドーザー。産声を上げたばかりの追手門学院大学に、ぼくは1期生として入学した。

「テニスする気ないか?」
「コートもなにもないやないか、どないすんねん」
「みんなで作るんや」

学長が、自分の財布から出してくれた5万円で土や工具を買い、真っ黒になってコート作りをした。

そう、ぼくのこの体験が後年、小説の「青が散る」になる。手さぐりしながら、みんな一生懸命だった。ぼくらはまさに追手門の青春期の中で青春を過ごした。

あれから四十年が過ぎ、大学は見違えるように整い、立派になった。

でも、君たちの前には、きっと、ぼくらのころと同じように、広い大地が広がっている。臆せず、探し、作り、挑んでほしい。(談)



追手門学院ではないが、わたしも、1971年に新設された大学の三期生だったので、「なんにもない」と「土煙」の空気感はあざやかに蘇ってくる。学食の窓に近いテーブルから、グランドを眺め、左奥にテニスコートがあり、アメフトやテニスをしている光景をじっと見つめていた。遠く西方に奥秩父の雲取山の稜線が見え、空の限りなく澄みわたる青とコントラストをなして、美しかった、、とりわけ秋が。
今、そのテニスコートがあったところには大学の本部棟が建っている。法科大学院があるらしい。



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宮本輝「本をつんだ小舟」を読む

1.先日、コーギーのモモと朝の散歩していて、ゴミ出しに文庫が10冊ほど束ねられていた。火曜日は小遣い稼ぎ?の中年が自転車に乗ってゴミの中からめぼしいものをさらっていく。そんな真似はしたくないが、、文庫のなかに村上春樹と宮本輝が眼についた。村上春樹は要らないが、宮本輝はほっておけないので取り出すと「本をつんだ小舟」でまだ、読んでいなかった。

2.宮本輝さんのサイトも、半年近く見ていない。「本をつんだ小舟」を読了したら、また書き込むことにしよう。

3.「本をつんだ小舟」で取り上げる本の中で印象深いのは次の 冊。
・コンラッド「青春」……どうしようもない無常観の周りに、うっすらと常住観が見え隠れしている。P19

・上林暁「野」……誰でも文章を書くことができる。だが、それが精神の写し絵となるか、単なるなんでもない文章となるかの境い目が、どこから生じるのか、、。わたしにはなんとなくわかりかけてきた。そんなとき、妻が自転車に乗ってやって来た。妻は、公園にいる私に気づかぬまま、スーパーマーケットへの道へと去って行った。その、自転車をこいでいる妻の顔は、決して私に見せたことのない顔であった。P27

・ファーブル「昆虫記」
・水上勉「飢餓海峡」
・「山頭火句集」
・大岡昇平「野火」

この記事は保留にする。

宮本輝という羅針盤

宮本輝という作家は不思議な人で、

一度もお会いしたことはないけれど
なんとなく親しみを感じている。

何度か公式サイトのMLで、
直接叱咤激励の言葉をいただいたことがある。

このところPCの不具合があり、
MLに参加していなかったが、、


輝先生ご本人の言葉が書き込まれていた。


「本の雑誌」の中で、

堀本裕樹という俳人が
「宮本輝の10冊」と題して
とても褒めてくれていました。

最後の3行は、

「高くこころを悟りて俗に還るべし」とは

芭蕉の言葉だが、
宮本文学にはこの言葉の体現を見るような

深遠と豊穣を感じる。

と結ばれていました。

ぼくは作家になって37年。
これ以上の賛辞を与えられたことはありません。
嬉しくて眠れませんでした。


以上。

堀本裕樹という俳人を存知上げないが、

素晴らしい文人同士の交歓だな、

と感じ入った次第。


さて、

事業ブログの再始動に四苦八苦しているが、

「正しいやり方を繰り返しなさい」

これで行こう。


追記、このブログを書いたあと
宮本輝公式サイトのMLに、
以下の書込みをした。


先日、ジブリ映画「風立ちぬ」を観ました。

宮崎監督は、

「今はわからなくても、いつか必ず、
わかるときがくるから」という言葉に触発されて
躊躇もあったけど、映画化に踏み切ったと
半藤一利氏に言っておられました。

言葉の力は監督の心を動かしたんだな
と感じました。

実は、もうじき8歳になる長女と観ました。

「これ、わかった?」とたずねると、長女は
「今はわからないけど、
来年DVDが出たら、わかると思うから、買ってね」と
言っておりました。

宮崎駿さんの言葉を思い出し、なるほどそう来るかと
うなづいてしまいました。




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「持続する志」はいつまでも
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