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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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一生成仏抄 全文

一生成仏抄の全文を、35段にナンバリングして以下に掲載する。これを35枚のにカードにして、暗記し、、約2 ヶ月かけて暗唱できるように。ひとまず、めでたし。
ちなみに英語版の御書は、冒頭に一生成仏抄がおかれていると、今しがた知った次第。

余談だが、2021年に創価学会は、日蓮大聖人御書全集を改編、出版する。新たに大聖人の遺文と判明した御書を追加し、また偽書と認定したものをはずす、、らしい。そこで、もしかしたら、その筆頭の御書は英文御書と同様に、「一生成仏抄」ではないか、と。

一生成仏抄 建長七年 三十四歳御作
 与富木常忍
 
(第一段落)
1.夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、

2.衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり

3.故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、

4.文理真正(モンリシンセイ)の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり

5.唯 所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く

6.故に此の経を諸仏の智慧とは云うなり、

7.一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・ちりも残らず一念の心に収めて此の一念の心・法界に徧満するを指して万法とは云うなり、此の理を覚知するを一心法界とも云うなるべし、

8.但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法(ソホウ)なり、

9.麤法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、

10.方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の直道にあらざれば多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、

11.故に妙法と唱へ蓮華と読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。
 
(第二段落)
12.都(スベ)て一代八万の聖教(セイキョウ)・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず、

13.然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、

14.若し心外(シンゲ)に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し、

15.然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、

16.故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり、

17.爰(ココ)を以て止観には雖学(スイガク)仏教・還同外見(ゲンドウゲゲン)と釈せり、

18.然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり、

19.之(コレ)に依つて浄名経の中には諸仏の解脱を衆生の心行に求めば衆生即菩提なり生死即涅槃なりと明せり、

20.又衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、

21.衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、

22.譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、

23.深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。
 

(第三段落)
24.抑(ソモソモ)妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり

25.不思議とは心も及ばず語も及ばずと云う事なり、

26.然れば・すなはち起るところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし又無しと云はんとすれば様様に心起る

27.有と思ふべきに非ず無と思ふべきにも非ず、

28.有無の二の語も及ばず有無の二の心も及ばず有無に非ずして而も有無に徧して中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり、

29.此の妙なる心を名けて法とも云うなり、

30.此の法門の不思議をあらはすに譬を事法にかたどりて蓮華と名く、

31.一心を妙と知りぬれば亦転じて余心をも妙法と知る処を妙経とは云うなり、

32.然ればすなはち善悪に付いて起り起る処の念心の当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば成仏の直道とは云うなり、

33.此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、

34.故に経文には「我が滅度の後に於て・応に斯の経を受持すべし・是の人仏道に於て・決定して疑有る事無けん」とのべたり、

35.努努(ユメユメ)不審をなすべからず 穴賢穴賢、
一生成仏の信心
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経。
              日 蓮 花押

「一生成仏抄」の暗唱

少しこのブログから遠ざかっていたが、実はこの夏、さまざまなことがあり、、いささか疲れた。

家内の急性骨髄性白血病は、その分類がM2で、比較的治療効果が期待できるものらしく、希望を持てている。

7月下旬に一回、一時退院し一週間自宅にいた後、再び地がため療法のため、入院した。

さらに倍の抗がん剤投与を今、行っていて、9月に入り、来週あたり再び一時退院する。そのくりかえしの治療をあと2回やる。終わるのは11月下旬くらいになる。

週一回、電動自転車で50 分かけ、天然水6本を病院に運んでいる。家内は免疫力はほとんどない状態なので、基本シャットアウトだが、それでいい、少し顔を見るだけで帰るが、毛髪が抜けるのは致し方ないな、、とたんたんと思うだけだ。

わたしに出来るのは、自分がそうしてきたように、南無妙法蓮華経と7文字の題目を唱えるだけだ。

7月中旬、日蓮大聖人が34歳のときに書かれたか「一生成仏抄」をB6ノートに書き写してみた。およそ1500字。35の文節に分けて、ナンバリングして書くことにした。

書き写してみて、何気に暗記し、暗唱しようと決めた。韻律がある。もしかしたら本抄は暗唱出来るように、大聖人が工夫されたのではないかと想像したからだ。

西アジアの庶民は、コーランや詩を普通に暗唱するという。たまたま、そういう場に遭遇した日本人は驚いたと、人づてに聞いた。

また一生成仏抄は、それこそ一生ものの価値がある名文だが、世間はほとんど知らない。

もう一つ、輪廻転生で次の生が日本とは限らないとなれば、今生で原文を心肝にそめておこう、、百万回暗唱すれば、きっと心の奥底に秘沈するだろうと。

おそらくだが、大聖人が布教を開始した当時は、御本尊はなかったし、草創の信仰者は本抄をたえず持ち、暗唱したのではないかとも、、思う。

とにかく一生成仏抄は、簡潔にして、すばらいしい。

そうして昨日、9月1日にほぼ暗唱できるよいに、、なった。また昨日、池田大作「一生成仏抄講義」が届いたので、熟読し、自分なりに本抄を展開できるように、したい。

わたしの一番の御書

日蓮の遺文のなかで、いつも見開くのは「日蓮大聖人御書全集」(創価学会版)892頁の「義浄房御書」である。51歳、竜の口の後、清澄寺の兄弟子におくられたもので、後代の人が「己心仏界抄」と名付けてもいる。

その中に、私にとって、決定的な珠玉の一文がある、引用ではなく日蓮独自の一文であった。。

ある種弁証法でもあり、いやいや違うな、、世阿弥の「離見の見」のような感じに近い、その対面によるスパイラルな現象論に思えてならなかったのだ。

発見したとき、なんだこれは、スゴいぞと身体が震え、一人勇躍歓喜したのだが、、こうある。

一心に仏を見る心を一つにして仏を見る一心を見れば仏なり

私見では、、
一心に「命の鏡」である御本尊に祈る、
大願をいだいて御本尊に直結する題目を唱える、
その一心は、俯瞰すると、仏になっている、、

(ちなみに、御本尊は「命の鏡だ」と話してくれたのは、ナイツの土屋氏だ。いい定義だと感心した次第。さすれば、わたしたち一人ひとり「命の器」になる)

そう読み解いている。難信難解はもとよりのことで、誤読はよしとしよう。。
 
ただ、デカルトの「われ思う 故にわれあり」をはるかに凌駕する言葉ではないか、、と思っている。

その上で、この一文をどう区切ったらよいのか、、問い続けて来た。

ふと、五行歌の詩人岩崎航(わたる)さんのことが浮かんだ。いや違うな、きのう、若松英輔氏がNHK ラジオで、岩崎さんのことをリスペクトする講演をされていた。それを「らじるらじる」で聴いたのが、きっかけになった。

で、いまの私は、次のような五行にしたいと思った。


一心に 仏を見る

心を一つにして 仏を見る

一心を

見れば 

仏なり



実際に、書画以上に毎日見つめ、長い歳月をかけて、題目を唱え続ける対象、御本尊を持つということは、なんとも不思議な動的平衡を醸成することか、、、

さらに、ベルグソンの「哲学の方法」緒論第1部の一文を引用すると、、

題目を唱える、その「持続は本来の姿を取って現れ、連続的な創造新しいものの断えざる湧出になる」と。さらにベルグソンの言う『湧出』はプロティノスのえエネアデス(一者)に語源がある、、そう思っている。

追記、上記の御書について、わが母校創立者、池田先生は、次の述べられていた。発見したのだ。2011年1月21日の聖教新聞
「随筆 我らの勝利の大道」にこうある、、

不自惜身命の心こそ仏

私たちが日々、読誦している法華経寿量品の自我偈に「一心欲見仏 不自惜身命」とある。

日蓮大聖人は「義浄房御書」の中で、この経文によって御自身の仏界を成就されたと仰せである。


三重に読む「一心欲見仏」

今日は12月18日だが、10日前に遡り、書き留めておきたいことがある。

それは、必ずある、信じていた文章との邂逅である。

2013年の春から3カ月、日蓮の遺文である御書を集中して、音読した。60兆細胞を揺り動かす闘病のカタチとして、分からなくてもいいから声を出して読む、と決めた。

御書後半。弟子一門に対するお手紙等は、ほぼ読了した。そうして分かったこととして、

1,釈迦が説いたとされる経文を基本書とされている。
2.歴史的な叙事の引用、比喩が多いこと、ら
3,日蓮は16歳のときに、虚空蔵菩薩に祈っている最中、突如として悟りを得ていて、それを検証するために一切経を習学したこと。
4.四箇の格言は同時に主張ではなく、まず念仏を一凶として断じたこと。
5.お手紙ごと、一期一会で、伝わるように書かれていること。
6.支配階級の武士だけでなく、その女房宛に多く書かれていること。
7.弟子には、農民もいたこと。おそらくは日本全体で僧俗合わせ、最大千人以上の一門になったのではないか?

まだ、あるが、都度書き込むことにする。
そうして、マイ御書を発見したのだ。それは清澄寺の兄弟子であった義浄坊に宛てた手紙だ。義浄坊御書という。1頁に過ぎないので、掲げることにしよう。

秋田に現れた火球から想像すること

1.秋田魁新聞の記事によると、

2016年10月31日午前5時43分(秋田市柳田で佐藤亮真撮影)が確認された。秋田市の上空に現れた「火球」は、青や緑の光放つ強い光を放ちながら流れる火球が目撃された。国立天文台の縣(あがた)秀彦准教授(55)によると、流れ星より大きく明るい「火球」だという。

午前5時43分、東の空に光の固まりが見え始め、だんだん近づきながら横切り15秒ほどで西の空に消えた。途中、砕け散るかのように複数に分離、それぞれ青や緑の光を放つのが見えた。


2.映画「君の名は。」は、大きな火球が落下し、小さな山あいの町を壊滅させてしまいことが、下敷きにある。

3.日蓮が1272年に鎌倉の竜の口で、斬首されそうになったとき、江ノ島の左手の海上に、光もの、火球があらわれ、武士たちは畏怖して、日蓮の首を切なくなってしまった。その火球は、上空を何秒間、通過したのだろうか、という素朴な疑問が、前から私にはあった。「君の名は。」のような落下はしていない。また1266年までの編年体歴史書「吾妻鏡」には、その火球の事績はない。1180年から1272年までの出来事だから、なくて当然なのだ。

4.秋田の、15秒では短い気がする。竜の口は30秒くらいないと、勇猛な鎌倉武士をひるませ、畏縮させられなかったのではないか。日蓮の遺文「種々御振舞御書」では、光もの、火球が1分間くらい、とどまっていたかのように、読めてしまう。あと、日蓮は、あらかじめ火球が現れることをわかっていたかのような文章なのだ。竜の口から、四聖人を凌駕する驚異的な、日蓮の変容が始まる。翌朝、日蓮は越智の本間邸に連行され、そこに1ヶ月留め置かれるが、その間に、もう一度、光ものが現れるのだ、、竜の口の光ものは有名だが、本間邸の光ものの話は知られていない。なので、同御書をそのまま載せておきたい。

P915-5
其の夜は13日・兵士(つわもの)ども数十人・坊の辺り並びに大庭に並居て候いき、9月13日の夜なれば月・大に・はれてありしに夜中に大庭に立ち出て月に向ひ奉りて・自我偈少々よみ奉り諸宗の勝劣・法華経の文あらあら申してありしに

私見、、処刑から免れ、本間邸に据えおかれた日蓮は、たちまち連行してきた武士たちに説法教化をされたわけで、、これは驚き以外何ものではない。僭越だが、竜の口から日蓮はゾーンに入ったというか、確信、声のテンションが変わっていったのではないか?元々、明るく響く声をしていて、聴衆をひきつけずにおかなかっただろうが、自分を殺そうとした武士に対しても、威風堂々とした立ち居振る舞いだった、なんだこの人は?武士たちも魅入っていた、と想像する。さて、このあとが、面白い。




小室直樹「宗教原論」と凝然大徳「八宗綱要」

1.民進党の代表、蓮舫さんについて、、
なんだかイメージが、毛沢東の江青夫人と重なってしまう。舌鋒鋭く糾弾する声が、日本語でなく北京語なら、江青に似ていると。また、かなりファザコンだろうか?国籍離脱の手続を父親に任せていたとするのは、どうにも野党の第一党代表の答弁としてはいかがなものか、そのうちに野田幹事長のせいにする場面も、あるかもしれない。境界型人間のサガ。それと、今更だが、国際人?の矜恃で、アイデンティティとして二重国籍を強弁した方がジレンマに陥らなかったのではないか?台湾総統選挙の投票に行かれていたようだ。さて、どう抗弁するのか、迷走は続く。

2.先日、宮田家を訪れ、書棚から以下の3冊をお借りした。無論、ご家族の了解はとった。1月に亡くなった宮田さんがマーカーしたところや書き込みしたところを見て、参考にしたい。
①小室直樹「日本人のための宗教原論」(徳間書店 2000/6)
②「小室直樹の資本主義原論」(東洋経済 1997/7)
③西田幾多郎「善の研究」(岩波文庫)

3.「宗教原論」は緻密さはないが、青龍刀を振り回す感じで、面白い。小室直樹さんは、少し井筒俊彦と似ていて、天才肌の洞察力をもった、無冠、孤高の人だ。

4.その中で、日本仏教の解説書は700年前の僧、華厳宗の凝然大徳「八宗綱要」が一番と教えているのだ。全く知らない人で、驚いた。早速、凝然大徳「八宗綱要」(講談社学術文庫)を図書館から借りることに。

検索すると、、
凝然大徳(1240〜1321)は伊予国(いまの愛媛県)の出身で、示観房と号す。

1255年(建長7年)に比叡山で菩薩戒を受け、東大寺戒壇院の円照に師事して通受戒を受けたほか、華厳を宗性に、律を唐招提寺の証玄に、密教と天台教を聖守に、真言教を木幡観音院の真空に、浄土教学を長西に学ぶなど博学であった。

とりわけ華厳教学に通じており各所で講義を行っている。円照のあとを受けて東大寺戒壇院に住し、法隆寺や唐招提寺など南都寺院を管轄した。『八宗綱要』は日本仏教史研究に不可欠の文献である。

八宗とは①倶舎宗、②成実宗、③律宗、④法相宗、⑤三論宗、⑥天台宗、⑦華厳宗、⑧真言宗である。いわゆる南都六宗に平安二宗を加えたもの。日蓮宗はもとより禅と浄土は出てこない。


5.日蓮は1222年の生まれ、凝然大徳は1240年生まれだから、18歳の差。同時代人だが、会ってはいないだろう。凝然大徳を、日蓮の弟子であり日蓮に深い質問を投げかけた最蓮房と重ねて見てしまう。この時期、優秀な学僧が少なからず、日本にはいたわけだ。

ちなみに最蓮房は、京都生まれの天台宗の学僧といわれるが,くわしいことは不明。なんらかの罪で佐渡(新潟県)に配流される。文永9年(1272)流されてきた日蓮に帰依。建治(けんじ)元年、1275年ごろ京都にもどったという。日蓮が佐渡から戻ったあとも、最蓮房は佐渡にいたことになる。極寒の佐渡で、最蓮房は病んでいたのではないか?日蓮から「生死一大事血脈(けちみゃく)鈔」「立正観抄」など13編ほどの文書をかきあたえられている。法名は日浄,日栄。

6.それと、日蓮の御書の中には、おそらくたえず手元においておかれたろう綱領や仏教の体系図が多くある。比叡山で学ばれたときの「まとめノート」と私は思っているが、それと「八宗綱要」とを比べ読みしたくなる。さて、どちらが深いか、、

疾走するシールド

なんの脈絡もない
自由詩的断想を書きたくなった。
01
人は疾走すると、
空気の流れからシールドが生まれる。
70代の光景だった、丹木町の丘、、
その人はエントランスで、
俊敏な動きで歩き、
タバコの吸い方も、目まぐるしい。
こころのギア、その回転がうずをなしていて、
天井に拡がっていた、、
だから、わたしは気づいたに違いないのだ。
いま、閑散とした大学にみえたのだと。
遠目に、周囲の人びとと、
動きが違うのだ、、
じっと窓ぎわ学生であったわたしは
茫然、見ていただけだった。
「休みに入ったか、学生は来ていないのか」と、
二階からエントランスへ、足が動かず、、
近づくことができないのだ、、
この固まった身体はどうしたことか
無明の出現、、
鎌倉のときも、同じ自分が、
たぶん、いたことだろう、、
近づくのだ。臨終正念じゃないか、、
「第七書簡」の飛び火、その触発は、ここにしかない、、ぜよ。
題目の持続は、60兆細胞への疾走の促しなのだ、、
「わたしがあなたがたのシールドになるよ」と。

以上、唱題しながら、、メモった。

男は勝て

今日は2015年3月6日であり、
これは、遡及の記事だ。

昔、母校の創立者が語った言葉。

今、諸君に言いたいのは、
「男は勝て」ということです。

負けて泣く、意気地なしではいけない。

人生は、全部、「戦争」です。

勝てば、晴れやかであり、愉快です。
負ければ、みじめだ。

何でもいい。
一つ一つに勝っていくことです。

「勝つ」とは、
ただ金銭的に豊かになったり、
地位を得ることではない。

財産や地位を得ても、悪に染まり、
堕落する人は大勢いる。
それでは、
「人生に勝った」とは言えない。

本当の勝利とは、
「自分自身の心に勝つ」ことです。

世間の評価ではない。
他人と比較するものでもない。

「自分は、自分らしい人生を勝ちとった!」

「私は魂の王者なんだ!」

そう言い切れる人が、
「勝った人間」なんです。

このことを、覚えておいてほしい。


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「持続する志」はいつまでも
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