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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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プチ温冷交代浴の実験

家内は24時間集中治療室にいる。意識は正常で、医療費のことが気になり、生命保険や傷病手当金や限度額申請の書類について、郵送されて来たかどうか、ラインで指示、確認して来る。

家内の長期入院を、少し話した長女の中学校や次女の保育園、それと周囲の友人は、いろいろ気にかけてくださっている。

ただ、わたしは、緊張感を遠ざけている。
思いつめず、たんたんとなすべきこと、
次女の保育園の送り迎え、長女の進路相談など、「今、そこでやるべきこと」に注力し、ほかは度外視をする。。

さらにいえば、あと半年で6歳になる次女は、乾燥肌で、痒みが出てきて、お尻や背中、足などに赤み、引っ掻きキズが出来やすい。

なんとなく、次女も放っておくと乾癬になるリスクがあるな、と感じた。

そこで、次女にも温冷交代浴を実験してみよう、と4 日前に決めた。その要件は
1.風呂温度は、39度以下。
2.身体を洗う石鹸はベビー石鹸にし、決してこすらない。泡立てて、全身なでるように、洗うだけにする。
3.風呂から出るときの上がり湯は、25度くらいに下げたヌルい湯にする。
4.風呂から出た後10分以内に、涼しいところで、ヒルロイドをくまなくぬる。
5.湯上がりで、絶対に、火照らせない。

以上を決めた。

こうしたプチ温冷交代浴に、乾燥肌から抜け出せる、、はずだ。なぜなら、

山口創『皮膚という「脳」』の中で、40度以下の低温浴による水分蒸散のことが、次のように書かれていた。

実験の結果、40度以下の温浴後の角質層の水分量を測定してみると、水分蒸散量は上昇したにもかかわらず、水分量は高い水準を保持していた。

そうなった理由は、皮膚表面、角質層の水分の蒸散を上回るだけの水分が、毛細血管からの補給システムを活性化させ、皮下から水分を生じ、角質層水分量が上昇したのである。

一方、43度以上だと水分蒸散量が増加し、その分、角質層水分量が減少し、皮膚は乾燥してしまう。

40度以下なら、角質層水分量は高まり、皮膚の正常なバリア機能を高めることができる。

以上だが、合点がいった次第。

「サ道」の『ととのった!』という恍惚感は、皮下水分補給システムで全身が横溢された瞬間なのだろう、

さんざん乾癬に翻弄されてきた身としては、熱い湯の長風呂は、禁忌だったわけで、、なのに、ずっとそうして来たな、、と反省。

水遊び

1-1.昨日は思いのほか暑かった。午前中、家内は保育園の七夕まつりの打ち合わせで外出。そこで11時から、ビニールプールを玄関先に出し、空気入れに15分をかけ、長女と次女が水遊びを始めた。二人の歓声が響き渡り、水風船をプールに浮かべ、はしゃぎだした。去年の夏は、生後8ヶ月で何が何だかわからず、次女はキョトンとしていたが、昨日は、はじけて実に楽しいそうだった。玄関のかまちに腰掛け、缶ビールを飲みながら、二人を見ていた。初夏の日射しの、この光景こそ、幸せのカタチなのかもしれない。

1-2.ご近所の関◯さんが犬の散歩で家の前を通った。水遊びではしゃぐ声をちょっと見て、微笑みながら過ぎ去った。犬の散歩で、いつの頃からか、あいさつするようになった。たぶん、関◯さんは私と同じ世代か、わたしより少し下の世代だが、二人のお子さんは男の子で二十歳前後だ、、我が家とは対照的だな、、我が家がイレギュラーなのは重々承知のことだが、、

1-3.道をはさんで向かいの岡◯さんが、ビニールプールに近づいてきて、長女と次女に語り始めた。三人とも楽しそうだ。しばらくして家内が保育園の打ち合わせから戻ってきたので、バトンタッチ。そのうちに「今年は水遊びをいっぱいやらう」と家内が宣言していたな、、

2.その夜、歯間ブラシをしていると、右上の奥歯、かぶせてある一本がポロっと、あっけなく抜けてしまった。老化を感じた。金曜朝一に。歯医者に診てもらうことに。



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人生最初の夜桜

わたしの住む街は、桜の名がつく街だけあって
石神井川沿いや千川通り沿いが
桜並木になっていて、この二日間で、
すっかり満開の桜になっている。

夜、生まれて3ヶ月の次女を
ベビーカーに乗せて、
家内とコーギーのモモを連れ、
都バスの練馬車庫前から
江古田に向かって、花見に出た。

次女は、眠ることなく、
美しい、と感じているのだろうか?
それは分からないが、
しっかりした目で、
桜の木を見つめていた。

「咲いたね、咲いたね、最初だね」と
ベビーカーを押しながら、
次女に呼びかけたが、彼女は
微笑みはせず、ただじっと見返してくる。

歌人の西行に影響されているせいか、
じきに散ってしまう桜のさまは、
美しい反面、人生の無常を感じさせる。

還暦を過ぎ、あと何回、
桜の花の下に立つことが
できるのだろうか、とつい思ってしまう。

500mほど花見をしてから
江古田の八百屋アニキに行った。

とにかく果物、野菜が安いのだ。

栃木出身の若き経営者と
中国とネパールから来られた男女2人の
スタッフで、切り盛りして、頑張っている。
ずっと続いて行って欲しいと、願っている。

煌々と明かりがついている、
義肢を製作している会社の前を通ったとき、
看護師の家内が、
「これから高齢化が進み、
糖尿病が悪化して、足が壊疽になり、
手術で義足になる人は多くなるから、
この仕事の需要は増すと思う」と。



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おくりぞめ

次女は、生まれて100日になり
今夕、おくりぞめの宴に。

鯛の尾頭に、赤飯、
あとは石だが、石って何だ?

どうやら石は、
丈夫な歯が生えてくることを
祈って、、らしい。

長女のおくりぞめのときは、
どの石だったかな?

そのときの写真をみると、、
石の形がわかった、、
「その、平たい薄緑の石なら、
金魚の水槽にあるよ、、」と
長女が言い出し、見に行くと、

写真の石は、水槽のそこにあった。

次女は、自分のための宴とわかったのか、
長女がスプーンを近づけると、
口を開けて、飛びつくように
食べようとした。

1月26日から、生理的微笑でなくて、
感情としての笑いになって来た。

今は、朝の上機嫌には、驚くばかり。
おはようと声をかけると、微笑み、
声をあげて、何かしゃべり出す。

生まれて100日間で、
こうまで成長するとは、、

ただただ不思議であり、感慨深い。

追記、3/27の今朝は、あさから暖かく
風もおだやか、いい電気だ。

長女と次女の100日前後の
写真を並べると、実によく似ていて、
双子のように見える。

ただ、目だけが違う、、とわかる。

目は心の窓、というが、
次女の目をみていると
長女のときのような、
こちらが威圧されるような
(これはわたしの感覚にすぎないが)
きつい目は、していない。

二人も、健康で
かわいい子どもがいるというを
感謝したい。何かに。



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生後2ヶ月がたった第二子のこと

2014年12月16日に生まれた次女Rは、
順風満帆に育っている。

生後40日を過ぎた1月26日から、
生理的微笑ではない笑いを
するようになった。

私の顔を見て微笑むのだ。
これがたまらなく、嬉しい。

写メを貼りたいところだが、
家内にとめられている。

長女Hも可愛かったが、次女も
引けを取らない可愛いさがある。
まったく親バカだ、、

とりわけ朝が、よく笑顔になる。
「マー、ミー、ムー、メー、モ」と
呼びかけに、微笑んでくれる。

マ行は、「とても大きな存在、
自分が生まれてきた場所などを
思い出せる効果がある」と、
ある脳科学者が書いている。

あと「プルプルプル」の擬音にも
反応して、笑ってくれる。

2月25日頃から、指しゃぶりを
始めた。



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予期せぬ出産祝い

昨日、札幌に住んでいる
大学時代の友人、Nさんから
次女出産祝いが現金書留で
送られてきた。

それを手にしたとき、
えっと声をあげ、、感動した。

長い間、年賀状のやりとりだけで、
電話で話したりすることも、
全くしてなかった。

手紙が添えられいた。

「拝啓、
年賀状 拝読致しました。
次女誕生をお知らせいただき、
大変、お目出度く、有り難く
思って居ります。

これから大変な事もあると
思いますが、頑張ってください。
僕も頑張っていこうと思います。

気持ちだけのお祝いをお送り
致しました。

一切のご返礼は勘弁してください。

向寒の折、健康にくれぐれも気をつけて
お過ごしください。 敬具」とあった。

今夕、Nさんに電話した。
ひさびさに聞く声だったが、
40年前と変わらなく感じた。

携帯やメール、スマホは
煩わしいので、一切やらないという。

Nさんは「大学ときの友人は
おまえだけだ」と言っていた。
そうだったか、わるいことしたな、、
身につまされる感覚がおしよせた。
「縁」とは、こういう身体の感覚なの
かもしれない。

ならば、思いの丈、手紙を書くよ
と伝え、了解いただいた。

妙かもしれないが、
新しい家族の写真を添えて
出すことにしよう。

アメリカの作家である
トマス・ウルフはこう書いている。

「不断の闘いの連続の中に、
人間の宗教と
人間の生きた信仰はあるのです」と。

今年こそ、「まことの時」であり、

動かねば、、

次女を抱きかかえる

昨日は、夕方長女を書道教室に
送ったあと、聖母病院に行った。

病院ロビーで賛美歌を歌う
上智大学の看護学科の人たちがいた。

病院の基本理念に
「心の通う医療を提供して
病める人々の身体的、精神的、
社会的、霊的ニーズをみたす」とあり、

クリスマスの季節は、霊的ニーズが
みたされることになる、ということか、、

病棟に上がると、今夜は
キャンドルサービスがあるようだ。

そして、初めて次女を抱きかかえた。
思いのほか、体温が高いのに驚いた。

わたしにどことなく、
似ていると、家内はいうが、
自分には、今ひとつ、実感がないが、
少しずつ対面して、育もうと思う。

その日、
わたしの姉が訪れたようだ。

次女が生まれた。

12月16日火曜日の16時15分、
聖母病院で、次女が生まれた。
帝王切開だが、母子ともに健康。

術後、主治医のU先生から話が。
「わたしのことは聞いているでしょ?
うるさいくらい話したけれど、
彼女は、よく食事の指導を守り、
出産もよく頑張った。ただ産後も
食事療法はつづけるように」と。

厳しい女医さんと家内から聞いて
知っていたが、しっかり目をみつめると
この先生の目は、優しい目だな、
と感じた。お任せして、よかった。

9年前に、
長女もこの、U先生が主治医だったが、
出産のときは、緊急の対応となり、
慶応の産科医が、長女を取り上げた。

さて次女は、長女が生まれたときと
よく似ていた。とくに鼻が。


翌日の、17日の夕方、
小学3年な長女を連れて、
聖母病院に行った。

長女は、嬉しそうで、
ハイになって、写メを撮っていた。
年の差9才。

わたしは、どちらかというと
長女のときと比べ、
恬淡としていて、、
抱きかかえるのに躊躇する。
事故ったらこわいと思ってしまう。

長女のときのような
歓喜の渦がまだ押し寄せてこない。

時間がかかりそうだ、、

人生、理にかなった生き方をして欲しい
という意味の名前は、家内といろいろ
話し合ったが、結局、その名に決めた。

少し聖母病院のことを。
カトリック系で、2年前に大聖堂も
併設されていた。

この病院は、まさにホスピタリティが
ある。助産師さんたちも、ご自分の
出産をこの病院でされたことが多い、、
と話していた。わかる気がした。

通りの反対にある看護大学は、
上智大学と共同のキャンパスになっていた。

クリスマスシーズンなので、
さまざま飾りつけがあった。

宗旨はちがうが、
この病院のストレスのない雰囲気は、
心地よい





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2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
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