わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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中山法華経寺周辺の散策

2015年7月7日に散歩したことを1年遡りで書いている。

1.国府台病院からの帰り、曇り空のなか、中山法華経寺に行った。中高年の街歩きが目につく。山門、塔中、祖師堂など、日蓮宗に共通する伽藍とわかった。

2.日蓮に対する尊称がバラバラで、違和感があったし、稲荷神社みたいのもあった。

3.この寺は荒行が修行法になっていた。大聖人の如説修行ではない。

4.賛同できたのは、ただ一点。天災から大聖人の真筆を護るための厳重な塔を昭和6年に建立していたことだ。正しい。これはタイムカプセルにちがいない。

業としての肝臓病

このところ意識は肝炎治療モードだ。

そこで、全くの思いこみで、
まとまりのない話をつらつらと、、

わたしの場合、
なぜ、23年という長い歳月
大量のC型ウィルスは肝臓に
生息してきたのだろう。

ウィルスは
細胞のような代謝はしない。ただ、
コピーを繰り返し、増殖する。

身体の60兆細胞は
毎日1兆が死に、1兆が生まれ、
毎日5000個のがん細胞が生じる
という流れの中で、
ウィルスはコピーを続けている。

そうした事実に
意味なんてないと考えるのが
普通のあり方なのだろうが
それは皮相な見方ではないか、

何か意味があるのではないか?

わたしは過去の世でも
同じこの病気にかかったのではないか
という思いが強くある。

いわば、この病気を業病と見切る、、
いのちの年輪に刻まれた病いでは、と。

そうして今の世で
肝臓病の根をきりかえるときなのだ
とも、見切っている。

6月上旬に開始の三剤併用療法にしても、
業病の視点から見ないと、本質をあやまる。

根底にある病い、業病はある。

わたしの直腸がんはステージ3bだったが、
業病ではなかった、、

今月25日で、
直腸がん手術から満4年になるが、
振り返ると、一過性の大腸のオデキくらい
にしか思えなくなっている。

4年前、業病の光背を感じたことがある。

具体的に言えば、
わたしは人工肛門は免れた。
しかし隣りベッドの、
私より若い人だったが、
人工肛門になっていた。そのとき
これは紙一重の分かれ目なのだ、
実感した。わたしが彼であっとも
おかしくないのだ。

西洋医学が全盛の今日、
人工肛門が妥当な処置だとしても、
その後はずっと排泄の苦労を重ねなければ
ならない。あえて、、
これを業といわずしてなんであろう。

このことは、
わたしたち難治性C型肝炎の面々にも
あてはまる。ウィルスの消失と残存は
紙一重の個体差なのだから。

また、
今度の三剤併用療法が功を奏して
ウィルスが消えたとしても、

あるいは新しい画期的な経口薬に
よってウィルスが消えたとしても、

それでこの病い決着なぞしない、、

つまり、、

わたしは何を言いたいのだろう、、
肝がんリスクを減らすため
できるだけC型ウィルスを逓減させる、

まずは、それでいいじゃないか、、
と覚悟して、来月の治療に臨みたい。



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体験談に巻きが入る

11時、地区総会という場で、
老若男女30人弱の前にして、
体験談を話した。

直前までマインドマップを作り、
話す手順を考えた。

緊張感はないのだが、
実際、話しはじめると、
どうにも空回りしはじめた。

箇条書きすると、こうだ。

1.「何が起きても、
私たちには御本尊さまがある」
これが体験談のキーワードだ。

2.ある会合で漫才のナイツの
土屋さんが御本尊のことを
「命な鏡」と定義していた。

3.御本尊とは、
自分の言葉で定義することは
人生において意味あることだ思う。

4.来年還暦になる私の場合、
3つ定義がある。
そのうち実感として、現証として、
人に伝えられるのは、二つある。

5.一つ目は、御本尊とは、
三世にわたる記憶の宮殿である。
宮殿の扉はひたすら題目を唱える
ことによって開く。

6.二つ目は、
人間生命の60兆細胞の
司令塔そのものである。
司令塔との直結は、
題目を唱えること以外にはない。

7.一つ目の定義は、
過去世の記憶が蘇ったわけではなく、
50年前、5歳の頃、
「また人生をやるのか」と思ったことを
いつだったかオトナになってから
思いだしたのだ。

「また人生をやるのか」と思った場所は、
保育園の滑り台だった。

今、思いだすと、
初めて題目を唱えたのは、
5歳ころだから、
因果関係があったに違いない。

何言っているの?という
目線も感じたが、
こうした実感に偽りはないので、
ひるまず話し続けた。


このブログにしても、
ある意味、
来世の自分に向けて発信している
ような面もあるが、

仮にこのブログを見出したとしても、
自己同一視はできないだろう。

それよりも、御本尊に再び
出会うことの方が、
連綿と続く自己を感じとれるだろう。

以上、たわ言ような話しを15分ほどすると、
司会者から巻きが入った。

途端、周章がつかなくなってしまったが、
率直な思いを話したので、良しとしよう。

終了後、今月6日に8歳になる長女が
「つまり、パパはお守り御本尊の中にいたの?」と
たずねてきた。
「そのとき、がーんと、
そう実感したのは確かだったんだ」と応えた。

夜、

楽天は日本シリーズを制覇した。
9回の裏、
田中将大がマウンドに立ったときは、
感動した。160球投げた翌日なのに、
再登板するとは。

そのあと就寝前に、久しぶり、
長女とオセロをやったが、
完璧に負けたのは私の方だった。

初勝利の長女は

満面の笑みを浮かべた。

永遠の瞬間を感じた、。

術後直後の現存在

2010年5月26日、直腸がん手術の翌日の朝
外科医の大塚先生とその上の先生が回診に来て、
今日から、ベッドから出て歩くようにと、促された。

ギョっとしたが、腸の癒着を回避するためだ
というので、昼頃、ベッドを這い上がり、
管を二本、ぶら下げたまま、
個室のドアまでたどり着く、
そこまでが限界で、
激しく痛みだし、こりゃ辛い、、
手術より術後の方が問題だな、、

つくづく、個室は嫌だなとも感じた。
4人部屋が丁度いい、庶民には、と。

ドアの開閉する度、その音にドキンとした。
ここに3日間、いなければならない。
窓の景色も、隣のビルの壁がく見えるだけで
全く趣きがなかった。はやく個室を出よう。

午後になると発熱し始め、意識は朦朧となった。
ときおり、看護師が現れ、痛みどめの麻酔を
注入してくれると、背中から腰にかけて
さぁーと、冷気を感じたりして、少し楽になった。

無論食事はなく、水を飲むだけだ。
ズルズルと眠りつづけた、

すると回りが激しく振動しはじめ
大変だ、地震が起きている、
なのに、自分は動けない。

あぁ、思い出した、
俺は、閉所恐怖症だったんだ、、

22年前の順天堂病院のときも、
7年前の東大病院のときも、何日かすると、
閉所恐怖症になってしまうことを
俄かに思い出し、一段とつらくなった。

これはパニック症の亜種かもしれない。
窓を開け、換気せずにいられなくなる。

さらに高熱になり、暑苦しく、息苦しく
なり、振り切るような、やっと思いで、
目を覚ました。真っ暗だった。

時計は翌27日午前2時ころになっていた。

見回すと、どうやら地震はなかった、
でもあの激しい揺れは何なんだ。

おまけに密閉された中で
湧き上がるような熱さはなんだったんだ。

ふと、ベッドの横にあった
サイドテーブルに目をやった。
そこの上には本とか
CDラジカセとか置いていた。
その下には小型冷蔵庫があって、
激しくうなっていた。
その間に引き出しがあって、

あっ、と気づき、
やにわに引き出しを開けると、
底は熱くなっていて、
書類の中に、
小さな「御守り御本尊」がうもれていた。
粗末にはしてはいけないことはわかっていた、

あわてて取り出すと、熱くなっている、
熱源は冷蔵庫だ。

冷蔵庫をオフにすると、
静寂が戻ってきた。
地震と思ったのは冷蔵庫の振動だったのだ。

なぜ地震と感じのか、、

あぁ、あの閉所恐怖も、暑苦しさも、
自分は御本尊の中に入っていたんだ、

つまり、眠りについていたとき、
自分は引き出しの中にいたのだ。

と実感した。
入ってしまうという心象は、
特別なことではなく、ごく自然で、
造作もないことなんだ、と感じたのだ。

日蓮は「入る」という言葉を多く
書き残されておられる。秘術なのだ。

くりかえす、

私は素朴に、思い出すような感覚で、
御本尊の中に入る自我を感じたのだ。

特異な状況になると、そこに入ることは
よく起きる事態なのかもしれない、、

そう実感したのだ。

この御本尊を全くよそに求むることなかれ。
ただわれら衆生の法華経をたもちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に
おわしますなり。


と日蓮は説く。

ここからは全くの推論だが、

自分の中に、
根本尊敬という御本尊の存在を
実感することは至難だろうが、

夢の中で、

御本尊の中に入ってしまう感覚は
思いのほか、一定の人々には
往々にして起きるかもしれない。

その感覚は、
熱い引き出しの中だったからだろう、
悟りとかいうものとは程遠く、
煉獄とか、地獄とかに近いような、
鮮明なリアルな感覚だった。

ひとにはたわ言にしか聞こえない
個人的な感覚だが、備忘のために遺しておく。

2010年の手術前後

ずいぶん前にも、ここに書いた話のくりかえし。

2010年5月25日に直腸がん手術をした。

前日はきっと誰でもそうだろうが、かなり緊張していた。

2日間、絶食していたから空腹感もあったし、
あぁ、これから人生そう何度とはない非日常の
状況になる、そのことが怖かった。

立ち向かべく、まず最初にしたことは、

自宅から日蓮の遺文
「三世諸仏総勘文教相廃立」
という文庫サイズの本を通読した。

とても難解、なので理解しようなんて思わず
音読し終えることだけを目的とした。

私は「今は分からなくていい」主義者だ。

その遺文の中に、「夢と(うつつ)」という言葉が出てくる。
うつつという漢字は今、抽出できなかったので、あとにする。

夢は仮にあって体性なし、、
うつつは常住にして不変の心の体なる、、
とある。

私は、日常の「夢と現実」と捉え
眠っているときの自分と起きているときの自分とイメージした。

そのあと日蓮が創唱した題目を一時間、
ベットの上で、ささやくように唱えた。久々の唱題だった。

これが私たちの基本の「型」であり、くりかえし、
持続することで信仰者と呼ばれる「現存在」になるのだな、と思った。

ベット上に移動式のテーブルを持ってきて、
できるだけ目の高さに小さな「お守り御本尊」を置いて、
見つめながら、首尾よく、手術の成功を祈った。

そして翌朝早く、8時に手術室に向かった。
飛行機の格納庫のような手術室で、
リクエストしたスタンダードジャズが流れていた。

幅の狭い手術台に運ばれたとき、
周囲をぐるりと凝視した。

これから何が起きるかわからない。
このまま死ぬかもしれないし、、

「良からんは不思議、
 悪からんは一定とおもえ」という
日蓮の言葉を何度か反芻し、、

もしかして、幽体離脱したときに
上から自分を観るようになったら、
たしかに手術室とわかるようにと

この状況を知っておこうとした。

「ではおまかせします、大塚先生よろしく」と私は言った。
執刀する大塚先生はうなずき、麻酔医が注入すると、、

そのまま意識は飛んだ、、

次に気づいたのは、姉に声かられたときで、
午後2時ころだった。手術は問題なく時間とおり終わっていた。

なんだ、、幽体離脱もなかったな、と拍子抜けした。

だが術後3日間は個室に入る。
なにしろ痛みと発熱で、辛かった。

背中あたりに麻酔のチューブみたいなのがあり、
痛むと看護師を呼んで、麻酔の注入してもらっていた。

ただ、ここからの感覚が不思議なのだが、つづく。



信州伊那谷の老子と「現存在内世界」

ある方のブログに触発されて
信州の伊那谷にひとり住む加島祥造さんの
「わたしが人生について語るなら」(ポプラ社)を
今、読了した。

小学校高学年から中学生向けに書かれた本だ。

加島さんは、現代の老子のような生き方を
されているようだ。

自分自身の「好き」を大切にしてもらいたい。
それには、感覚を磨くことこそ、大切なんだ、
また、
自分のことを「人生」からではなく、
「命の働き」から見る、
自分の中にある命を信じなさい。


などなど、書かれていた。

60歳のとき、
16歳下の44歳の女性と恋愛し、
不倫関係になり、家を出る、
そうしたことを淡々と書いている。

録画でみたが、
その後もドイツ人女性との
出会いはあったようだが、
その方は白血病で先立たれた。

今は、
何人かのお手伝い女性に助けられながら、
ひとり自由に生きておられる。

さて、
自分の中にある「命の働き」とは、
私が思うところの、内部生命と同じだ。

最近、
盛んに聴いている熊野先生の講義で、
ハイデガーの「世界内存在」を考えていて、

勝ってながら、

「現存在内世界」という言葉が浮かんだ。
皮膚で被われた身体の中も、
宇宙と変わらない世界があることをさす。

それは現存在と、必ずしも直結している
わけではない。

心臓の鼓動や呼吸や自律神経とか呼ばれる
身体の動きは、表層の自分がその都度、
コントロールしているわけではないのだから。

病いを抱えると、自然にそう実感する。

現存在と内部生命は対話できることは
ある種、悟りに近いのではないかと思う。

それはリアルタイムで、
内なる神の声を聴く、
といったものではない。

そのときはわからなくても、
何か意味があると、起きたことを記憶し、
腹に留めておくと、やがてあぁそうだったのかと
気づくことがある。

私の直腸がん物語は、その連続だった。

具体的な神の声ではなく、
内部生命の意志のかたまりを読み解くと
「抗がん剤はやめなさい」という
言葉になる、という感覚だった。

なので、「現存在内世界」より
「現存在内部生命 」の方が、

シックリ来る。

追記、Eテレ録画で観た加島祥造さんは、
私には、女好きの下世話で、俗っぽく老人に見え、
一向に伊那谷の老子とは思えなかった。
偽者とはいわないが、
出版やマスコミは持ち上げ過ぎだ。

中野孝次さんの老子の方が、しみる。

もっと市井の、無名の庶民の中に老荘はいるのでは。

加島さんは子どもの頃の「はじめの私」に
回帰したいんだな、と感じた。

それと、ひとりでいること、

ロンリーとアローンaloneの違いは新鮮だった。




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俯瞰と現存在

大腸がん予後とC型肝炎と乾癬を患う
私の場合、20年を超える時間が流れると、
自分のカラダを俯瞰してみる
クセがついてしまっている。

たしかにその都度、ジタバタしてきたが、
一方で他人のカラダのように俯瞰する自分がいるのだ。

慢性の病いを抱える人は、遅かれ早かれ、
必ず俯瞰人間になるのではないか。

そのような、自分のカラダを俯瞰する私たちは、
ハイデガーのいう「現存在」なのかもしれない。

そこで、きのう岩波ジュニア新書の
「西洋哲学の10冊」(左近司祥子 編著)を読んだ。
若い人向けの哲学案内なので、読みやすい。

『饗宴』(プラトン)、『ニコマコス倫理学』(アリストテレス)、
『告白』(アウグスティヌス)、『方法序説』(デカルト)、
『純粋理性批判』(カント)、『告白』(ルソー)、
『ツァラトゥストラはこう言った』(ニーチェ)、
『時間と自由』(ベルクソン)、『幸福論』(ラッセル)

そうして、
ハイデガーの未完の大著『存在と時間』だ。

ふと思った、
昨日の三鷹の女子高校生の事件を
時空を超えて30代のハイデガーがいたとしたら、
彼はどう読み解くだろうか、と。

『存在と時間』は、30代のハイデガーが
美しいユダヤ人の女子大生と不倫しながら書いていた、、からだ。

『存在と時間』のメインテーマは、
プラトン以来の存在への問い、
その問い直しに、ある。

なぜかハイデガーの書斎には
パスカルの肖像画があったという。
デカルトではなかったところが面白い。

以下、漸次、メモってみる。

現存在は、本来的に
死への決断を常にしている。

世間の常識のような自分以外のものに
したがって自分自身を理解する在り方は非本来的。

現存在は、自分自身を安心させることはできない、
不安のなかにいる。

死に臨んでいる存在は、本質的に不安である。


当たりまえのことを、わざわざ、、
でも待て。以降は、徐々に載せることにしよう。



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デジャヴを感じる場所

今朝、自宅から吉祥寺の「進盟ルーム」まで
自転車で通ったら、どれくらいの時間で
行けるか調べてみた。

およそ9キロで、
自転車なら50分くらいと、わかった。
740円、往復の電車だとかかるのが浮く。
ラーメン一杯分になる。
なので、、次回は自転車で行こう。

あらためてiPhoneで経路を確認した。

ふと、思い出したことが、

その経路の途中で、
家内が既視感、デジャヴを感じる場所があり、
それはどこだったけ?かと。

家内にたずねると、
練馬区関町南2-12-13 あたりだった。

近くに送電線の鉄塔があり、
クランクの角を曲がると
いつもデジャヴの感覚になるようだ。

最初の既視感は、高校生のときだった、という。
今の自分じゃない自分が、ここに来ていたと、

不思議なことを言う。

どちらかといえば、理系脳の女性なのに
不思議な話しだな、思ったものだ。

やはり、

リインカネーションは、

たぶんあるのだろう。



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