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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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家内の白血病のこと1

白血病で入院した家内の診断結果など、、
が分かりだして来た。家内からラインで

急性骨髄性白血病(FAB分類 M2)

第一段階の治療は、寛解導入療法(イダマイシン+キロサイド)7日間

その後2~3週間後の状態で一時退院。
(1週間位)
その後同じサイクルで3~4回地固め療法をします。
あとは遺伝子検査の結果次第ですかね。


想像していた通り、骨髄性だった。リンパ系の白血病でなかったことは、正直、さいわいと感じた。

そこで、6月15日から第一段階の基本的な抗がん剤投与が始まっている。一週間の点滴投与。首のあたりに、点滴のポートがある。

そして遺伝子結果次第で、第二段階は個別療法になるのかな、と解した。

6月末頃、一時退院し、7月の第2週あたりから第2段階の抗がん剤投与になる、のだろう。首の点滴ポートは付けたまま、かもしれない。

むしろ、、命に及ぶ危険が、入院後一週間のうちに起きていた。

つまり、ヘモグロビンと血小板が少なくなくなっていたので、輸血を行なっていたが、DICという恐い副作用が起きていた、と知らせてきたのだ。

何だ、DICって?と思って検索しているうちに、家内から

DIC、播種性血管内凝固症候群は、止血で使う血小板が少ないと止血できなくなります。
要は出血と多臓器不全に陥り死にます。

わたしの血液は半分以上幼若な細胞で、本来の働きをしてくれない。

毎日、赤血球と血小板の輸血をしています。平行して肺炎治療と。昨日、一昨日は39℃頭痛もひどく脳出血がないかCTを撮ったり敗血症になっていないか血液培養検査をしました。

毎日輸血で昨日は副作用もでました。 その都度、新谷先生と和田先生が対応してくれてます。


和田先生は6月10日の面談にはおられなかった。たぶん新谷先生の下にいる若い先生なのだろう。

白血病の発症と「サ道」

6月10日水曜日17:30、駒込病院で、家内の白血病の発症を、新谷先生と小林先生の担当医から聞いた。家内も輸血をしながら同席した。

家内、、気は動転しているだろうが、淡々とプロトコルとおりのスキームに乗るしかない。家内は看護師だし、その覚悟はあるように見えた。躊躇はあっても、早期治療に入るしか、、サバイバル道はない。これもまた「サ道」だな。

家内の血液検査データを踏まえながら、話を聞いたが、血小板(PLT)が3.0しかないのに、ゾッとした。

C型肝炎治療の時、血小板をたえず気にしてきたから、その重要性は、普通のひとよりは感じとれる。仮に、今、流行りの中共ウィルスに罹患したら、あっという間に、死にいたるだろう。それ程の少なさだ。

あとリンパ球の種類別の100分率の構成比で、othersが50.5%にもなっていた。

本来の健常者なら、好中球がそれくらいあるのが普通だが、たぶんそれが異型化してしまっている、のだろう。

また赤血球、ヘモグロビンが5.7と低く貧血状態だった。

つまり、白血球のothersが50.5%、血小板3.0、ヘモグロビン5.7と三拍子そろった悪い血液検査データは、、典型的な白血病、血液のがん
と診るしかない。

血液は骨髄で作られる。なので、骨髄液採取をしたようだ。どれほど痛いか、想像できないが、かなりの痛みのはずだ。それを精密に検査する。一部は外部機関(日本医大)にも依頼し、結果が出るまで3週間掛かる。

なので、治療計画は2段階になるようだ。
6月11日は肺のCT検査をする。
6月12日から、第1段階の抗がん剤の点滴投与が7日続く。この1週間は、身体全体が銃弾爆撃のゃうになり、つらいだろうな。

されど、立ち向かうしかない。

昨夜、種々検索してみて、たぶん具体的病名は、「急性骨髄性白血病」ではないかと、思った。

無論、素人判断、知り合いにも罹患者はなく、全く無知なので、最終診断を待つしかないが、仮説を立てておくことは、きっと、意味がある。わたしはそういう仮説をくりかえす、闘病人生をおくってきたので、。。

いずれにせよ、患者にできることは、良い病院を見出し、選択し、入院にこぎつけること。さらに、いい担当医に巡り会えるかどうかに、かかっている。

2人の医師が説明が終わったところで、出身大学をうかがい、とても安心できた。

もっとも、駒込病院はさまざまな大学の医学部から来ているようで、大学の医局のしばりは、ないようだ。

「白い巨塔」のような一斉回診のようなことはない。80床を4チームで分担して診ていると。一斉回診なんて、そんなの遠い昔の光景なのだろう。

ちなみに駒込病院は感染症や白血病系では、日本の4大拠点病院の一つだった。

思い出した。HIV治療の対応病院としてニュースで取り上げていたな、、と。

さすが、家内の選択は正解だったな、、と。

追記、6月11日、血小板はさらに下がっ
ようだ。

アメリカ大陸横断の計画

依然としてステイホームを続けている。
夜、長女と散歩をしながら、中学1年の英語の教科書を復習している。

わたしが英文和訳し、長女に和文英訳の回答をさせる、というやり方だ。
長女の練度は、、
1.わたしが英単語を発音し、スペルを回答させると、70%くらい正解する。
2.冠詞、前置詞がボロボロで、英語脳の固まりが出来ていない。
3.和文英訳のイントネーションが出来ていない。

まぁ、遠い昔、中学の頃の私と、大差ないな。。さて、どうするか、、と思案した。

そして、かつて犬散歩のときに、燃えないゴミの中から拾った、井上一馬著『英語できますか』(新潮選書、1998年)を読んでみた。12日に読了。

拾いもの本だが、井上一馬氏の語り口が性に合っていて、気に入ったし、巡り合ってよかったなと、感謝。

『自分の英語を話す』というコンセプトに大賛成だ。英米人のネイティブに憧れ、自分の英語の話言葉を卑下することは、、全くないのだ。ユーチューブでみた三島由紀夫の英語トークで、強く感じた。

で、私も英語を身につけることにした。わたしの教材は『アメリカ口語教本 入門用』だ。本とCDを軸に300時間(15分単位で1200肢、私の時間計測は15分単位がしっくりくるので)かけて、くり返しやりカチカチに盤石な英語脳を創ろうと決めた。英会話学校やユーチューブ英会話も、当面不要だ。わたしには辻邦生さん、中野孝次さんそして加島祥造さん、外国語屋がついている(会ってもいないが、わが眷属と感じる)から、できるだろう。

長女には、中学英語教科書のCDをメルカリで手に入れた。教科書ヒアリングが一番大切なのだから。

そして今朝11時、長女に提案した。4年後にアメリカ合衆国を3週間かけて横断しようと、ニューヨークからロスまで、東から西向けて、大陸を横断してみようと。十代のうちに島でなく大陸を実感してみよう、と。

さて、
ひとまず、わたしの目標は、2020年冬までに英語検定3級に合格すること(51年前に受けて面接で落ちた)。TOEICなどでなくて、日本の検定で、いいのだ。

インフルエンザ到来

5歳の次女が昨夜から高熱を出した。今日かかりつけ小児科に診てもらったら、やはりインフルエンザに罹っていた。

今週、保育園に行き始めて、園児から感染したのだろう。既に何人か、インフルエンザに罹患していて、休んでいる児童がいるようだ。仕方がない。

このところユーチューブでSHINGENさんの動画を観ていたが、彼の輪廻転生観は、わたしも同意するところだ。自殺は根本的解決にならず、むしろ転生先の事態は悪くなると主張していた。多分その通りだ。

その上で、SHINGENさんは、
死による転生は、未来に向かって時間が流れているのではなく、過去にも転生しうると主張していて、、新鮮に驚いた。あるいはそうかもしれない。

追記
11日の今、次女は平熱に戻り、元気になった。ワクチン接種をしていたのが良かったのか、わからないが、ひとまず安心した。
わたしも罹患しそうだっだが、よく寝たので、大丈夫だ。

全て、他人事ではない

きのうの朝、次女がクリスマスプレゼントの「アナと雪の」の服を見せにきた。満足している感じ。それと、その60ピースのジグソーパズルも気に入ったようで、保育園登園前に完成させていた。

日曜日に豊島園のトイザらスに次女を連れて行き、次女を先に歩かせ、興味のあるものを後ろからリサーチした。

(服が欲しいのか)と分かり、24日に買い求めた。案の定、喜んでくれて、よかった。

すると14歳の長女も、クリスマスプレゼントが欲しいと主張してきた。中学生になるとサンタは消えるのだと反応しても、、中学3年までは、クリスマスプレゼントが欲しいとやり返された。で、承諾した。

長女はENAの学判で、都立の志望校合格率80%の評価が出て、満足していた。

ひとまずは、長女、次女とも、
順調に育ち、ありがたく、めでたい
ことと、、しよう。

先日、サイゼリアにいて、
重度の障害を抱える小学6年くらいの男の子と美しい母親が、少し離れた向こうのテーブルにすわった、のを見た。

男の子は、ふつうの言葉を発せず、唸り声のような奇声を上げるだけだったが、眼は澄んでいた。

母親らしい女性は、淡々と男の子の世話をし、食事の介助をされていた。

わたしが男の子の親だったら、
あのような落ち着いた献身が
できるだろうか、
冷たく、ぞんざいにしてしまうのでは、、
と思い、、頭がさがった。

そうだった
長女のときも、次女のときも、
生まれる前、ひたすら
五体満足であれ、、
と祈っていたな。


うまく言えないが、

その親子を見ていて、

同情でもなく、、

彼らに起きていることは

決して

「他人事ではない」と
 
そうつぶやいていた。

今、わたしに起きていることと
変わらないのだ、、と。

すべては、ゆるやかに、つながっている。

コーギー死す、そして鳩の知らせ

久々に書く。
昨年、2018年12月28日23時に、わが家のコーギー、モモが死んだ。16歳10ヶ月と2日の生涯だった。

直に2ヶ月になるが、わが家は誰一人、ペットロスはない。ゲンキンなものだ。

モモは長く生きたと思う。お疲れさまでした。

最期の半年間は、排泄に悩まされた。ゾンザイに扱ったかもしれない。ごめんなさい。

12月の初め、寒い日だった。夕方、近くの公園散歩で排泄をしてから、自転車に乗せ、駅北口の電気屋さんの谷島さんのところにうかがった。一期一会と思ったからだ。

自転車から下ろすと、いつもそうだったがその日も、モモはにわかに元気になり、シャンとして歩きだした。

谷島さんがくださるバームクーヘンが大好きで、店の中にどんどん入っていく。

あいにく、谷島さんのご主人は福島に行っていて不在だったが、奥さまが出てこられ、いつもどおり、バームクーヘンをふた切れわモモに食べさせてくださった。モモには至福の時間だったろう。


1月14日だったか、ピンポンとなり、谷島さんのご主人が我が家に来られた。

モモちゃん、どう?

暮に亡くなりました。

あっ、やっぱそうか、、
いえね、先週のことだけど、
白い鳩が二日続けて、家に来てね。
それも1羽でね、同じ鳩だった、
そしたらモモと同じように、バームクーヘンをふた切れペロリと食べていき、、

その食欲に驚いたけど、待てよ、こりゃもしかして、とモモのことが浮かび、確かめに来たんだけど、やっぱ、そうだったか、、と。

事実は以上だが、それを様々に考えた。

虫の知らせに似た、鳩の知らせかと、いったんはケリをつけたが、、

今はこう思っている。

つまり、もう一度バームクーヘンを食べたいと思ったモモの残存思念が、一つの情報となって発信され、それを鳩が感じ取ったのではないかと、言ってみれば、残存思念の一期一会ではないか?と。

三歳の次女のこと

ブログは備忘録と位置づけているが、先日、久々コメントをくださる方がいて、正直、嬉しかった。あらためて感謝

今日は快晴、夏日のような暑さだ。半袖のダウンを手放せなかったが、もう冬は終わったな、、季節感が他人より遅いと分かっていたが、明らかにもう春だな、、

3歳の次女は慶事を迎えた。少しわだかまりはあるが、本人の為になることだし、、具体は書かない。

わたしと60年のひらき、2014年12月生まれの次女は、元気よく育っている。食べ物はイチゴが好きで、毎日よくおしゃべりをするし、歌いだすこともしきり。天真爛漫。

保育園に行く途中、すり鉢のような下り坂、のぼり坂をかけあがり右折すると、大きな ケヤ木が現れる。

それを指さして、「古時計」を二人で歌い出すことが習慣なっていて、次女が「歌って」とせがむと、歌うようにしている。
大きくなって、断片的でも、想い出してくれたら、いいな、と思っている。

きのうは、コーギーの散歩していて、
前方の車庫入れの車を見て、次女は
「赤いクルマがバックしてはいったねぇ、、」と私に実況解説してきた。

「バック」なんて英語、いつ教わったのだろう。

ほかには、こんなことを言った。
先に手洗いした母親に「ママ、すごいじゃない」とか、まぁけっこう評価発言をするのだ。長女に対してもそうなので、長女はイラッとくるようだ。次女はわたしと似た性格かもしれない。

生まれた当初は、一重まぶたで、長女のときと、比べると、あれれれ、と思ったりしたが
、2歳を過ぎた頃から、しだいに二重まぶたになり出し、今は長女のときとかわらない、かわいさになってきた。

原則、このブログに子どもの写真を載せることはしないのだが、今回ばかりはいいかと思ってやってみたが、うまくいかない。

最近とった次女の、お風呂あがりの顔が
あまりに可愛かったので、今回だけ載せることにしよう、、と思ったのだが、、

長女は区立中学へ

今朝の俳優、大杉漣(66)さんの死は驚いた。急性心不全らしい。わたしの高校仲間が、大杉漣さんとサッカーをしていたことを思い出した。突然すぎるな、、66歳は直ぐやって来る年齢だ。

本題、小学6年の都立中高一貫校の受験は不合格に終わった。壁は高かった。その試験前にトレーニングとして受けた私立中学は合格したが、すぐ区立中学へ進学することを決めた。

悔しいだろうが、高校受験の覚悟ができ、本人がよし思えれば、それで、いいのだ。

受験指導をした塾は、不合格で公立中学に通う生徒に対して1年間授業料をただにする決まりなので、引き続き通うことになった。

そういう生徒が多いのかと思いきや、長女を含め3人ほどしかいないらしい。都立中を不合格になった児童の多くは、長女も受けた私立に通うようだ。なんと、制服がかわいいということも、選択する理由の一つらしい。

思い返せば、模擬試験で一度だけ付き添ったが、そこは中野区の佼成学園で、感慨深い見学だった。

環七沿いにあるその地は、昔から通るたびに異様な建物に、ややギョッとした気持ちになるところで、そこを、初めて歩いたわけだが、、長女の付き添いでもなければ、まずは行かなかっただろう。

ただ全体として寂れていて、閑散としていて、1960年代の活気はなかった。長い間、高校吹奏楽部の甲子園といわれた普門館は老朽化のため、利用されてないらしい。たぶんここの建物群の維持費が大変だろうに。中央集権的な建物の大型化の時代は、終わっているんだなぁ、と感じた。

そして、あずき色の殿堂?の中を覗いた。内部の空間は想像したより小さかった。椅子席で500くらいかな、、エントランスの中央に賽銭箱があり、中に、金色の仏像が立っていて、これが本尊なのかと、すこし唖然とし、思わず微笑んでしまい、「こりゃ、もう終了だな。もとよりここには何もない」とつぶやいた。

すると、3人の若者が入っきて、賽銭して合掌し、今は亡き教祖の名前を呼んでいた。真剣な表情で、、
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「持続する志」はいつまでも
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