折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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やっぱしハイファイセットはいい

「知恵袋」の問いにこういうのがあった。

このCMソング知っていますか?
昔の明治のアーモンドチョコのCMで、「風~と虹~は、鳥~と森~は、夢~と歌~は、いい友~」という曲があったと思うのですが、このCMソング知っていますか?歌手名と曲名がわかりません。誰か教えてください。




というCMだが、知恵袋の回答はマトを得ていなかった。

それにしても、懐かしい。CMソングだから全貌はわからない。というか、オリジナルCM曲であって、「全貌はない」ことを知っている。実は、作曲した人は堀口和男という、わたしの高校時代からの友人だった。

歌っているのはハイファイセットの山本潤子さんと、教えてくれた。この曲はたしか堀口のだったよな、と思い出し、さっきショートメールでやりとりして確認した次第。こうだ、、

「あのさ〜、昔のCMで、明治チョコレートの、風と虹と、で始まる曲は、堀口の作曲だったよね?」

『そうよ』

「あらためていい曲だと思いました。で、誰が歌ってるの、あの女性の声は?」

『ハイファイセットよ。』

「やっぱし、納得です。ハイファイセットは、なんだかんだ、やっぱりいい。ありがとう」

『こちらこそ、ありがとう。その曲忘れてた。』

堀口は80年代の終わりの短い期間だったが、REICOというデュオをやっていた。相方は田口俊という人だった。アルバムを二枚作ったと思う。

あぁ、次第に思い出してきた。西新宿のホテルで田口俊氏の結婚式に出たのだ。ユーミンがいて、ハイファイセットが来ていた。そういえば「水色のワゴン」の作詞は田口俊だった。堀口が運転するクルマのなかで、その詞がうまれたときの模様を、田口さんは話してくれた。その目は遠くを見つめキラキラしていた、、あっ、詩人の目だな、、

水色のワゴンが 追いこしていったら
思わず声あ 夏の高速
海がえりの車 ゆっくりかきわけて
ふるさとのナンバープレート どこまで行くの?

このままずっと 追いかけたいね
懐かしい街角 とおってきたの?

結婚式の招待状が
5月に あの子から 届いたきりね

初恋や卒業 いろんな思い出が
スモールランプ浴び 流れてゆくよ

古い仲間と電話のあとは
アクセントがかわるって笑うあの人

このままずっと 追いかけたいね
懐かしい街角 行ける気がして

出口まで3km ワゴンともおわかれ
渋滞の都心へもどってゆくよ

水色のワゴンが 運んできてくれた
生まれた街の風 夏の高速
Wonderful Summer
Twilight Free-way

作詞 田口俊
作曲 山本俊彦




戻る、、その結婚の宴で、ユーミンは蘇州夜曲を歌われた。ハイファイセットの三人もアカペラで歌っておられたが、曲名は覚えいない。なんとまあ近くで、聴けたことなのだろう、、

わたしの青春は、ハイファイセットの歌ともにあったんだな、とあらためて気づいた。ユニゾンでなく、ハーモニーとはこういうコーラスでないと、内部に沁みわたっていかない。

いま、そばにいた11歳の長女が、「昭和っぽい」と言って遠ざかっていったが、、この懐かしさがわかるわけない、、

追記、、最初のCM曲に戻る。歌詞は誰なのか知りたくなった。

「おはよう、昨日のCMのことだけど、あの作詞は誰がしたの?」

『作詞は田口だよ。』

「ありがとう!そうか二人でやっていた頃のオファーか、、いやいや、いい話のオチだ。今ね、そのことをブログに残しておきたくなったんだ、、あのCMがいいと思う人が、たぶん、きっと、いるからね、、」

20年ぶりの対話

先週金曜、20年ぶりにカンザキさんにお会いした。前職時代の先輩で、縷々お世話になった。

1991年11月にC型肝炎で入院したときにお見舞いにきてくださった。その頃書いていた3年日記にカンザキさん名が出てきていて、懐かしく、またスマホのlineに表示されていたので、お礼の報告をした次第。ことのほか歓んでくださり、その日、西新宿でランチをすることになった。懐かしい「スンガリー」に入った。加藤登紀子さんの店だ。今もあること、混んでいることに、いささか驚きを感じた。

1.カンザキさんは66歳になっていた。やや太っていて、少し印象が違っていた。10年くらい前に離婚し、7年くらい前に再婚したという、お相手は20歳下で、お子さんを欲しがっているようで、不妊治療をされていると。もう、難しいかもしれないとも、言っていた。女性の、高齢出産だと障害をもつ子が生まれるリスクもあるなと思った、現に従妹の子どもがそうだったから、、そう思いつつ、口には出さなかった。

2.わたしもカンザキさんも採用したのは豊田さんという、一種独特のカリスマ性のある代表権者だった。だが、、結果的に詐欺まがいの話に有頂天になり、いろんな人から金をひっぱり、すっかり晩節を汚してしまった。さらに痴漢行為、、カンザキさんは相当な支援をしたが、絶交したようだ。採用された私たちが言うのは変だが、人を見る目がないお人だったのかもしれない。

3.その会社は、当時、よく人が病や事故でなくなる会社だったのかもしれないと、話していて気づいた。肺がん末期の今西さん、バイク事故死の椎名さん、酔ってホームで吐いているところに電車が入ってきて頭を飛ばされた人とか、、数えると8人はいた。正社員は300人程度の会社なのに、、

4.話していて、世間的にブラックな会社ではなかったが、早期退職したことは正解だった、悔いはなかった。
カンザキさんは在籍中の最後の仕事として、プレゼンで競合に勝った話は秀逸だった。見積金額ば倍違っていたのに、長期的な瑕疵担保責任をブランドとデザインの視点から強調し、受注したのだ、という。

5.わたしも自慢話をした。
在籍最期の3年間の損保営業で、新築物件の長期火災保険、それも35年の長期火災保険を売りまくる仕組みをつくり、軌道に乗せた。「長良川鵜飼方式」と勝手に呼び、営業仲間のイメージを醸成させた。親会社の新築物件を成約させた住宅営業マンに長期火災保険の話をしてもらい、保険契約を決まると、住宅営業マンに商品券を上げるスキームだった。こちらは子会社なのにナメタ企画だったが、軌道に乗ると、雪だるま式に売上は伸びていった。私が退職した後、商品券スキームは無くなり、親会社である住宅営業本社が本腰を入れ、より機能的なグループ会社の組織改編がなされていった。

2015年に損保業界が長期火災保険は最長10年と短縮されるまでに、この会社は突出して、売りに売りまくった。何しろ一件1000万円の保険料をたたき出す営業マンもいたのだから、、出るクイは打たれるで期間短縮になったのだ、と推測している。。カンザキさんは微笑みを浮かべながら聞いていてくださった。

6.旧姓クゲモトさんの話になった。とっくに東京にもどっていて、ヨガ教室を主宰しているようだ。やにわに私をスマホで撮り、lineで彼女に転送していた。懐かしい、最後に会ったのは、1996年頃か、東京駅で握手して別れた、ような気がする。家に戻って検索すると、なるほど彼女はいい表情になって、いた。逡巡の憂いのような面影は消え、自信、チャクラが開いるような感じがした。

7.先日、いただいた宮本輝さんの「おめでとうございます。長いあいだ闘い抜いたことでハーボニーという新薬と出会えたんですね。毒を出し切って、これからは宇宙の永遠の大生命を満喫する日々ですね。」という言葉、その話をカンザキさんに話すと、強い関心を示された。驚いた、カンザキさんは小説を10作近く書かれていたのだ。すばらしい、、と思わず、拍手をした。文章の型、文体が大事だと言われ、、三島由紀夫の「金閣寺」はやっぱいいと言われていた。私は三島由紀夫は苦手なので、うなづくだけだったが、、

やはり一対一の対話はありがたい、、さまざまなことが徐々に見えてくる、わかってくる。

カストロとスリーパーズ

昨日、キューバのフィデル カストロ前議長が、90歳で亡くなった。賛否はあるが、20世紀の最後の革命家だったと思う。銅像などの顕彰は拒否し、無冠のまま、亡くなった。

1996年6月、わたしの大学の創立者は、ハバナの革命宮殿で、カストロ議長と会見した。その写真が記憶に定着している。議長は私服のスーツ姿で、満面の笑みなのだ。二人の間に、文化大臣が立っておられたが、彼も、子どもように愛らしい、笑顔で写っていた。創立者が、何がしか、、たぶん服装についてだと推察するが、、言葉を発して、呼応するような笑顔に包まれた、、そう読み取ることができる。

創立者は、ストンと相手の中に、自然と入っていかれる。不思議な人だ。人材育成や政治哲学などが話されたとあるが、おそらくは、そんな鯱鉾ばったものでなく、共戦の友の、愉快な語らいだったろう。

その会談は3時間くらいかかり、深夜に及んだので、議長の体調を気遣い、創立者はお別れをした。が、その後も、カストロ議長は側近の人たちと午前2時か3時まで、歓談していた、という。

映画「スリーパーズ」だったか?5人の少年たちが、刑務所で虐待され、大人になって復讐する映画がある。復讐を遂げたあと一夜かぎりの宴をもったのだが、、そのことが重なった。

創立者は、チェ ゲバラと同じ1928年生まれだ。革命の流血と無血の違いは大きいが、カストロはそのことを分かっていたと思う。カストロ議長は、ホセ マルティを師と仰ぎ、行動の軸にしていたからだ。


スリーパーズで間違ってはいなかった。検索すると、、

あるいたずらが原因で過失傷害を問われ、少年院に送られたロレンツォ(シェイクス)、マイケル、トミー、ジョンの4人の少年を待っていたのは、看守たちからの性的虐待だった。圧倒的な暴力を前になすすべもなく、少年たちは心に深い傷を負う。

ある日の院内のフットボールの試合中、リーダー格でギャングの息子であるリゾを引き込み、日頃の虐待の恨みを暴力で晴らすが、その後リゾは「殴る場所がなくなるまで」殴られて死んだ。

やがて成人した4人のうち、トミーとジョンがレストランでかつての看守であるノークスに出会い、射殺してしまう。検事補になり、今事件を担当することになったマイケル、新聞記者となったロレンツォは2人を無罪に、そして少年院であった虐待を公にすることを誓い、奮闘する。

まず、呑んだくれの弁護士スナイダーに、マイケルが密かに用意した台本どおりに弁護をさせ、裁判に証人として出廷した元看守の1人であるファーガソンに虐待があったことを認めさせる。次に、もう1人の元看守はリゾを院内で撲殺したことをギャングの兄に密告され、射殺される。残りの1人で現在は刑事となっていた男は、ロレンツォの密告によって収賄と殺人の容疑で逮捕される。

レストランにいた客が2人を見たと証言した不利な状況で、ロレンツォは4人をよく知るボビー神父に聖職者は嘘をつかないと知った上で偽の証言をしてほしいと懇願する。少年院であった出来事を幼馴染のキャロルや神父に打ち明け、数週間後、神父は出廷し、事件当夜は被告の2人とバスケットボールの観戦をしに行っていたと偽の証言をする。

看守への復讐が着々と進み、残るは無罪判決のみ。判決は無罪。その後、4人とキャロルは祝杯をあげる。これが5人が集まった最後の夜となった。


追記、フィデルの遺体は火葬された。

マルティン ブーバー

1.ハーボニー47錠目は8:59に飲んだ。

2.午前中、再び豊島園のスタジオアリスへ。長女と次女の撮影をした。なかなか可愛いくとれた。5年ぶりに行ったが、やはり費用は思った以上にかかる。割高感はあるな、、人件費か?

3.マルティン ブーバー「我と汝」を読了した。岩波文庫で160ページほどだが、時間がかかった。それに「対話」はまだ読んでいない。実践的行動的神秘主義と訳者はブーバーを評していた。

4.マルティン ブーバー(1878~1965)は神学者であり、ヘブライ大学で社会哲学を教えていた人だという。正直いってキリスト教もユダヤ教もわからない、あまり関心もない。ただ、この本は感動した。頭の整理のために、松岡正剛さん言葉を載せておきたい。いったん、ほぼ全部コビペする。今後は気に入った言葉を、逐次載せたい。

 ブーバーはこういうことを考えた。世界は人間の二重の態度において二重なのである。人間の態度が二重であるのは、そもそも根元語が二つの対偶語から始まっているためである。
 その根元的な二つの対偶語とは、ドイツ語でいう“Ich-Du”(我-汝)と“Ich-Es”(我-それ)ではあるまいか。この二つの根元的対偶語があることによって、人間は「我」そのものが二重であることを知る。だから、我を語るには汝を語ればよく、「それ」が語られれば我は語られ、そこに汝を語ることが介在できるのなら、「それ」を語ることからも存在の開示はあるはずである。
 だいたいこういう前提で、ブーバーは我と汝の対話を始めた。そこにあるのはひたすら「関係」(Beziehung)だ。ブーバーは、その関係の世界に投げ出されている我と汝を、我と汝が同時に知るにはどうすればよいかを考察しつづける。

 ドイツ語で考えること。(省略)
 それほどに、ドイツ語による思想には独創的なものがあるということなのだ。はたしてほんとうにそうかどうかということは、どこの母国語によっても哲学は自生しているのだから、ドイツ語思想だけを過大視したり、逆に目の敵にすることのおかしさを強調するだけなのであるにもかかわらず、たとえば、これに匹敵して1980年代に、フランス語によるポストモダン思想の“実験”が連打されたものの、これはひどく乏しい成果におわったことをおもいあわせたりすると、なるほど、どこかドイツ語思想には魔法が棲息しているとも思いたくなる。
 なぜドイツ語にはドイツ語の思索が生まれるのか。一見、謎も何もないようなこの疑問を前にしたときこそ、マルティン・ブーバーを読むべきなのである。
 ブーバーこそは、その根源にひそむ“Ich-Du”の関係を、すなわちドイツ語による「我-汝」の関係を考察しつづけて、その記録をのこした神学者だった。

 ブーバーは「我」それ自体というものがありえないというところから出発した。「我」がないのなら、「我」という存在もありえないというのである。
 では、何があるのかといえば、存在するのは根元語の「我-汝」という根本的な関係をあらわす言語概念性だけがある。これが交互性(Wecheselseitgkeit)あるいは相互性(Gegenseitigkeit)とよばれるものである。
 しばらく、ぼく自身がブーバーとなって、本書がドイツ語的に進行させている内実を半ば日本語に置き換えて、諸君のブーバー体験を代行したいと思う。

 われわれは何かを経験しつつあるとき、世界には関与していないと知るべきである。経験とはわれわれの内部におこることであって、われわれと世界の「あいだ」におきることとはなっていないからである。
 では、どのようにすれば「あいだ」に入りこみ、世界と向きあうことができるのか。まずは、私という我の中に汝を見出すべきなのだ。そうすれば、私の我は汝のさまざまなモノやコトによって成立している光景に出会うにちがいない。そうだとすれば、経験とは実は「我からの遠ざかり」であって、それが了解できれば、次には私の我が「汝からの遠ざかり」であろうとしたときの「あいだ」に逢着できるはずなのである。
 しかし、私が我と汝に出会うのは、探索などではおこらない。私が根元語を私の中の汝にぶつけることによって生じる恩寵をいかすしかない。この恩寵は「存立の岸辺」のようなところからやってくるものである。
 これをようするに「汝を言う能力」(Dusagenkonnen)とも「関係の中へ歩みいる」(In-Beziehung-treten)ともいう。

 こうして、当初に「関係」があるわけなのである。これは原始人のことを想定すればよい。かれらには主体も客体もなく、主語も対象もなく、そもそも「我-汝」すらおこっていなかった。しかしながら、それは逆にいえば、どんなことも「我-汝」の関係から始めるしかなかったということなのである。
 ということは、原世界(Urwelt)とは関係の始原であるということだ。「現身(うつしみ)の母」ということなのである。われわれのすべての対話は、この「現身の母」との、原世界との対話なのである。そして、このことが了解できたとき、われわれは、われわれ自身の内に「生得の汝」がいることに気がついていく。それは擬人化ではなく、われわれ自身における「我-汝」の恩寵的交代なのである。
 以上のことを、世界は人間にとって人間の二重に応じて二重なのであると、いう。

 個の歴史と類の歴史は、どのようにその外見が異なろうとも、そこには関係がある。我(自己)と組(組織)との相違性にも関係がある。
 けれどもわれわれは、自身を「我」と呼びながら、歴史や組織を「それ」とよぶ。それらの両方を「共に在る」とよぶ力をもってはいない。なぜなら、個にとって類の歴史は外部であり、我にとって組織はいつでも外部化できるからである。が、この錯覚を除去しようとしたとき、初めてわれわれはこの両者のあいだの「感情」をもつことができるのだ。
 この感情がつくるもの、それは「汝の境界線」を生ける中心として、そこに向かう者たちのズレを頼みに「あいだ」をつくり、その「あいだ」にそれぞれが生ける相互関係を立たせていくということである。これが感情が生み出す「真の共同体」(Gemeinde)というものではなかろうか。そうでない共同体が理想だというのなら、その例を持ち出してもらいたい。
 ここにおいて、われわれはやっと「逆戻り」(Dahinter-ziuruck)と「乗越え」(Daruber-hinaus)をいずれも破棄しないですむようになる。われわれは他人を懲らしめるときも、自分を懲らしめるときも、いつも「逆戻り」か「乗越え」しかやってこなかったものであるが、そしてそのことに痛く反省しすぎてきたものであるが、しかし、「我-汝」の関係にこの二つの方法を委譲できるなら、ずっと気分よく「あいだ」を互いに照応しあえるはずなのである。

 われわれはハイマルメーネ(宿命)に出会ってこそ、ハイマルメーネにさえ「我-汝」を見出せるものである。そこに「業の力」を「星の力」にする支点が見出せるものである。
 宿命とは、畢竟、生成なのである。定められていることは、定めることなのだ。そこにはひたすら「我-汝」の振動があればいいことなのだ。この振動こそ、東洋において無為とよばれたものである。選ばれたことを選ぶことに変える振動である。
 宿命を専一性にも締め出しにしてもならない。すべてはいつだって二者対応(Zweiheit)なのだ。
 こうして、われわれは「我-汝」の関係がひたすらに言語(ドイツ語)との縁を結んでいくのを知ることになるだろう。第1には、言語の敷居が生まれる言葉において、第2には、関係の言語が生まれる言葉において、第3には、無言を破る言語を生み出す言葉において。もし、世界がコスモスかエロスかロゴスかだとするのなら、この世界の三性は、いずれも委譲の言葉の生成によって生じたものであるはずなのである。




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忘年会の日が来た

1.ハーボニーは折り返し、後半に入った。その43錠目は8:50に飲んだ。

2.午前10時、豊島園のスタジオアリスで次女の1歳の記念撮影に。途中、長女が自転車でこけて、あごを打撲し涙目に。結局、姉妹でとる撮影は別の日にした。

3.昼食をとると眠くなる。この感覚は懐かしい。91年にC型肝炎とわかった頃、昼食とるとストーンと眠りにおちたものだった。

4.さて今夕は、年1回しか会わない、気のおけない仲間たち(わるい言葉では、ない)との忘年会だ。なんだかつい最近やったような気がする。1年は瞬く間に過ぎるな。

5.忘年会には、去年から長女を連れていっている。12人程度の集まりだが、みな元気だった。話題は確定申告、年金のこととか話題になっていた。去年はシメプレ直後でぼっとしていたが、今夕は話題に参加できた。

①クリエイティブディレクターの廣澤は、94歳でなくなった父親の話、亡くなる直前までピンピンしていて、ひいて聞いていると、まさにピンピンコロリと理想的だなと感じた。

②役者の山本が、「おまえのC型肝炎、いい薬が出たんだってな」とふってきたので、「そう、1錠8万円、もう42錠のんだ、335万円は使った。今折り返しであと335万円使う。ほとんど助成される。みんなの納税のおかげだ」と。「そうかおれのタバコの税金は、おまえに回っているんだな」「そうだ、ありがとう」と荒唐無稽の対話。

③小学校の校長福川が来年3月に退職すると知った。その小学校のサイトの前文は、福川が考えているようで、みんなで読み上げ、大いに笑った。船に例えていて、福川らしいからだ。

「 いよいよ平成27年度 125名の一年生を迎え全校児童766名を乗せた「H27◯小丸」が出航しました。船長としては、何より「安全な航海」と「学び、かかわり、元気な子」の育成をめざし、職員一丸となって取り組んでいく体制を整えたところです。一年間の長旅なので、時には荒波に揺られることもあるかもしれませんが、その一つ一つの波を真摯に且つ謙虚に受け止めながら、学校教育目標に向かって舵取りをしていきたいと思っております。」


61歳の男たちの会話を見聞きして、長女は「同窓会って楽しいね、来年も行きたい」と喜んでいた。ツボに入ったようだ。



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ブッダの幸福論

1.中村元さんの現代語訳「ブッダの言葉」の中で、幸福について語れたもの。深く同意するところを赤字にする。

259 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、──これがこよなき幸せである。

260 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、──これがこよなき幸せである。

261 深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、──これがこよなき幸せである。

262 父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、──これがこよなき幸せである。

263 施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、──これがこよなき幸せである。

264 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、──これがこよなき幸せである。

265 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、──これがこよなき幸せである。

266 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、適当な時に理法について聞くこと──これがこよなき幸せである。

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、──これがこよなき幸せである。

268 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、──これがこよなき幸せである。

269 これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。──これがこよなき幸せである。



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中村元さん話を聴く

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1.2015/02/06 にYouTube上に載った「ブッダの言葉」中村元の講義を以下の通り、そのまま転載する。

簡単素朴な言い方で、人として歩むべき道を説いた「ブッダの言葉」。インド哲学の第一人者が読み解くその言葉は、時代を超えて人の胸に迫るものがある。人生の指針ともなる貴重な講演。1991年 8月収録
1.最初期の仏教とは?
2.最古の経典スッタニパータ
3.願わしい心境「慈悲喜捨」
4.老死に通じる「知足の説」
5.三昧―心の安定が大切
6.ブッダの幸福論
7.神々が歓喜したブッダの誕生
8.予言されたブッダの将来
9.近親の死に打ちひしがれるな
10.ブッダが説く人生の指針
11.懐旧か新奇か
12.「最上の人」とは?
13.最終章「彼岸に至る道」の物語
14.バラモンとの対話
15.「生」と「老い」の理
16.現代人へのメッセージ


2.このところ、上記の中村元さんのYouTubeに載っている仏教の講義を聴いている。スッタニパータの注釈は、わかりやすい言葉で、親しみやすい。スッタニパータは一部しか日本に伝わっていない。したがって鎌倉時代の法然、親鸞、栄西、道元そして日蓮ほかの宗祖たちは、スッタニパータを読んでいなかった。それにしても、サンスクリット語やパーリ語の原典と漢訳されたお経とでは、読んだ印象が、かけ離れているのだろう。原典は、ブッダの目線がフラットだし、宗教というより哲学、なかでもセネカやエピクテトスのストア哲学に近い感じがする。仏教は漢語化によって、大した意味もなくやたら難解になってしまったのではないか?

3.今朝、激しいノドの痛み。やはりこの3日間は風邪だった。外は風が冷たい。

4.そうして、おととい熱で苦しむ中、電話をとった。わたしが持っている杉並区の青梅街道沿いのワンルームMを売らないかという打診だった。いつもならすぐ電話を切ってしまうところだが、見込み価格を言ってもらいたいと応対することにした。つまびらかにはできないが、この物件は、購入直後に、してやられた感があって、不快な気分が払拭できなかった。逆縁の物件。



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幸福製造機からドラえもんへ

わたしが属する宗教団体の基調活動である
座談会は、2月は最小単位の、ブロック座談会になる。

不肖わたしはブロック長を拝命?していて
わたしが中央に座り、御書講義をしなければならない。

責任がある。

いつもそうだが、
自分の言動が本質的に?ズレたりしないか
気になるが、、ブロック長に選んだのはわたしではない、
えぇい、ままよと切り出すことにしている。
地でいくのだ、、

御書に入る前に、先週までの相続の体験談をした。
無論、個人情報などは明かしたりはしないが
参加されたみなさんは、その話に驚かれていた。

そこで言いたかったのは、被相続人である
亡くなった伸子さんと、題目による
「解像度の高い気づき」によって
その意思をある朝、実感することができた、
ということだった。

その上で御書の講義?に、

日蓮大聖人(今日は尊称にする)は
門下の南條時光という武家の青年にこう言われた。

現代訳にすると、
とにかく法華経に身を任せて信じていきなさい。
あなた一人だけが信じるだけではなく、
信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。


この法華経を、私たちは「御本尊」と読み替えることを
基本としている。つまり御本尊に身を任せる、と読む。

その御本尊について日蓮大聖人はこう言われている。
「此の御本尊を全く余所(よそ)に求むることなかれ。
只我等衆生の法華経を持ちて 南無妙法蓮華経と唱うる
胸中の肉団におはしますなり。是れ九識心王真如の都とは申すなり」
P1244原文

上記法華経もまた御本尊のことだから
つまりは、御本尊にむかって南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団に
御本尊がおわしますよと、大聖人は言われたと、わたしは理解する。

この「胸中の肉団」という言葉が、ある朝早く目が覚め、妙にしみてきた。
その御本尊は深層の奥の奥におわすのではなく、唱題すればただちに、
皮膚の裏側すれすれの体の内側まで立ち上がっているのだと感じたのだ。

人体の60細胞をコントロールしている
指令塔は、誰もがうちに持つ御本尊のことだ、と。

そのとき、この御本尊はなはだ近きにあり、を口にした。。
天台宗開祖、最澄の「末法はなはだ近きにあり」を剽窃した言葉だ。


唐突だが、

昨日、2年3ヶ月使ったiphone4sを機種変更して
iphone5cにしたのだが、そのカラーを「青」に変えていて
その色を見ながら、ふと浮かんだ言葉、、、

なんだそうか、御本尊とはドラえもんなんだと。

私たちの団体の二代会長である戸田城聖という人は
「御本尊様とは幸福製造機である」と戦後の
貧困と病気で悲嘆にくれていた多くの庶民にわかりやすく
指導された。ググると宗門がなんたる言動と批判するカタチで
逆に、その言葉があったことを教えてくれている。

そうした、わかりやすくする比喩のどこが悪い!

ドラえもんが始まった1969年、
戸田先生が69歳まで存命であったならば、、
幸福製造機からドラえもんに変えて
比喩の解像度をあげたかもしれない、
今はその方がもっとわかりやすい
と、突如、思った次第。

ただし、わたしたちがこのドラえもんをたもっても
「のび太くん」でいつづけることは、
最初からできないし、そうは成らない。

自分への挑戦と応戦を求められるからだ、、



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