わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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西城秀樹さんの死

5月16日の水曜日、西城秀樹さんが逝去した。63歳。私より、学年は一つ下だったが、
まぁ、同年みたいなものだ。彼の死に、さまざまな思いがよぎった。

とりわけ、、
四十代なかばで結婚され、お子さんは3人で、たぶん一番上の長女は、まだ中学生、14歳くらいではないか、、成長を見守れず、さぞかし、悔いが残るだろうな

私も、長女は51歳のときに生まれた子なので、とても他人事(ひとごと)とは思えないのだ。

急性心不全が直接の引きがねだったようだが、問題は、何年か前にラクナ梗塞が再発し、その進行が治まっていなかったことにあったと思う。ラクナ梗塞は治りにくいのではないか、、

西城さんは、脳梗塞になる前は、健康面はかなり自信をもっておられたようで、サウナが好きだったと記憶している。

たしかに、私たちの世代は、若いころ、運動しているときに水を飲まない、遠ざけるという精神論は、よくみかける光景だった。大きな勘違いとも知らされずに。

それにしても、西城さんはよく辛抱強く、リハビリの努力されていたなぁと敬服の念が湧き上がってくる。立派だった。人間として、深く大きい「命の器」になっておられたと思う。その生きざまは忘れない。。合掌

これから老いていくなかで、自分にとって、中庸あるいは中道はどんなものか、西城さんの死を通じて、しきりに考える次第。

追記、、近所に住んでいた菊地さんという壮年独身だった方も、ラクナ梗塞だったが、、
人づてに、最近、神奈川の方の介護施設に入られた、と知った。が、具体的な施設名は聞けなかった。お見舞いが出来ないでいる。

大腸がんのときに見舞いに来てくださったが、予後の闘病が続き、何の返礼もできていなかった。なので、、気になっている。

丹木町の風景

「100分で名著」の法華経4回目、録画撮りは消されていた。そうやったのは家内だろうが、騒ぎ立てるのはせず、いずれYouTubeに載ってくるのを待つことにしよう。

3月18日、八王子の丹木町にある創価大学で、セレモニーのあと、一期生の佐野さんにお会いした。同期の石戸さんが引き合わせてくれなければ、、わからなかっただろう。お会いできて、良かった。  

三人は明治牛乳の宅配をバイトしていたのだ。たしか一年間やったが、私がやめたあと、佐野さんがその地域を担当したようだ。

大学の新しい建物の中にある生協ちかくテーブルで、わたしはべらべらとしゃべっていたが、佐野さんの話を聞いていて、徐々に大学の頃の記憶がよみがえってきて、驚くことしきり。わたしは佐野さんから、

1.ドストエフスキーを選んだら、その全集をよむこと。
2.ベルグソンの岩波文庫「思想と動くもの」は読んだ方がいい。
3.「ロゴスとパトス」というサークルの存在
4.松島淑さんという論客のこと。
5.田中美知太郎という存在、、

さまざまなことを話してくれたことを思いだす。

いきなり、私に「そういえば、宮崎俊行さんのゼミだったよね。あの先生は良かった。当時、数少ないいい先生の一人だった。」と佐野さんは言われた。同じ法学部だったんだ、、

「宮崎先生は、たぶん2003年頃に、75歳で亡くなられたようです」とわたしは応じた。正確な日付を知らないのだ。多くの学恩を受けたわけで、忘恩の徒になってしまった。ついに学陽書房から「農業法」の基本書は上梓されなかったようだ。あらっためて学陽書房を検索してみて、やはりなかった。

思い出すこと多く、しばし中断、、

聖教新聞スクラップ帳

1.かれこれ20年になるが、毎週日曜日の朝は、聖教新聞の配達をしている。部数は45部程度で、自転車に乗って配っているが、45分ほどかかる。

2.今朝は雨で、ビニールに入れる作業が加わるので、多少難儀になるが、、配達も意味あることと、体験としてわかっているので、恬淡と作業する。

実際、多くの学会員の方々(おそらくは3万人を超えるであろう「無冠の友」の人々)は、わたしと同様に週に1回程度、代配をされておられるだろうし、、出来る限り続けようと決めている。

3.発行部数550万部、『言葉ともに生きていく』とうたう聖教新聞は、不思議な新聞に違いない。
私の場合、私より上の年代の、普通の方々の体験談とその画像が心をとらえ、滋養になる。長い歳月をかけ、苦労をのりこえた、たおやかな「人格の完成者」を見る感じがして、、虜になる。洋の東西の有名な画家、その画集を見ることよりいいかもしれない。

また、切り抜いた記事を寝かせておくと、、うまく言えないが、豊饒なお酒のように発酵してくるのだ。それは、様々な出来事や、自分の体験的記憶が織り込まれていくせいかもしれない。

そうした市井の感動する人たちの画像を見ていると、創価学会の信仰が、いわゆる「おすがり信仰」でないことが、はっきりわかってくる.。たぶんこうした信仰観あたりが、もっとも肝心なところで、わかりにくいところではないか、、しかしながら、それが世界に広がって来ている。

4.そこで、最近、切り取ってクリアファイルに入れていた新聞記事をスクラップ帳にはることにした。
いまさらだが、これがいいのだ。保存のためではない、座右において、すぐ取り出せることが目的。スクラップ帳の見開き右上には、ナンバリングを打つことにした。そうしておくと、自分だけの本のようになり、このあとも、継続してはることができる気がした。ベルグソンがヒントをくれたのだ。

5.振り返ると、代配を始めた20年前は、慢性C型肝炎で、全身倦怠感の日々だったのだが、よくまぁ、やっていたな、、と自分をほめてやりたくなった。今は、そうした倦怠感が湧き上がってくることは、、ない。

大学の創立者、池田先生は2月に「健病不二」という言葉を聖教新聞の1面で発信されたが、まさにその通りだと感じている。

8年前、大腸がんステージⅢbとの闘いを経験して、寛解を告げられた中で、こうした経緯の的確な言葉はないか?と思いめぐらせていたからだ。その四文字をみたとき、大きく頷いたのは、私だけでなく、おそらく、多くの闘病中の学会員は、そう感じ取られたのではないか、、、

西部邁と高畑勲、生死のそれぞれ

1.西部邁さんの自殺幇助で、いわば弟子筋の会社員二人が逮捕された。

西部さんが懇願され、やむなく助けたのだろう。なぜなら、犯人の一人、青山忠司という人は「先生の死生観を尊重して、力になりたかった」と供述した、というからだ。

追記(4/20)
上記の供述は、窪田哲学さんの言葉だった。

もう一人、窪田哲学という人は、同日未明に西部さんと新宿区内を歩いていた。その姿を防犯カメラがとらえ、捜査一課が任意同行を求め、供述をもとに逮捕したようだ。

おそらく、二人とも勤務先との雇用関係は、解雇を余儀なくされるだろう。
ふと、三島由紀夫の腹切りのときに介添えした森田必勝を思い出した。

西部さんには、法をおかしても実現すべきものがあるというコトバを「友情」という本のなかで、述べておられたような気がする。

しかし、人を不幸にさせておいて、その上で、満足な事をなす所業は、善悪を問われれば、やはりそれは悪だろう。

西部さんの病が進み、更に手足不自由になって、ベッドから立てなくなっても、生きねば、自身の60兆細胞に申し訳ないだろうに。

ALSや筋ジストロフィーの人たちの生き方を引き寄せて、考えていただきたかった。


2.ジブリの高畑勲さんが肺がんで亡くなった。82歳。西部さんより3歳上だが、60年安保闘争のとき、同じ東大出だから、あの疾風怒濤の中で生きていたわけで、、

たぶん二人は出会ってなんか、いないだろうが、やがて、右に舵をきった西部邁さんと、
左翼系のスタンスを続けた高畑勲さんとの違いに、人生の綾、感慨深いものがある。

樺美智子さんは、60年安保のとき、国会議事堂の前で圧死されなければ、80歳になられていた、かもしれない。

ちなみに、西部さんと樺さんは二度くらい対話をしたらしい。

街並みの変容

12 日に、昔仲間の陽一さんから「義理の母Yが亡くなった」と連絡が入った。1年前にYさんの公正証書遺言の作成をお手伝いしたのだ。既に不動産は売却してあったが、預貯金で5千万円くらいあったと思う。

もし、公正証書遺言を作っていなかったら、遺産分割協議書を作らなければならなくなっていた。すると、Yさんとは疎遠になっていた代襲相続人と協議しなければならない。それは、Yさんが希望しないことだったので、、これで丸く収まるだろう。陽一さんが告知しなければ、遺留分の請求などには、起きないだろう。

本題、今月16歳になるコーギーの散歩をしていると、街並みの変化が気になってならない。大邸宅が売却され、細かく分筆された建て売り住宅が目立つのだ。

散歩をはじめると二分くらいすると、「山田直」という表札のある200坪くらいの邸宅があった。

どうやらご主人は、数年前に亡くなられた感じで、老齢の未亡人が、主の蔵書を廃棄していて、門前に本の山が積まれていることが、何度もあった。

その廃棄本を抜き取りはしなかったが、珍しい本もあったりした。ご主人は文系の学者ではないか、、と気になり、検索すると慶應の仏文学の教授をなさっていたようであり、詩人でもあった。その詩集本はAmazonで高額表示されていたが、、

この国の最高学府の名誉教授だった自分の叔父もそうだったが、肩書きや物というものは、死と共に、引き潮のように跡形もなく、消え去っていく現実を見せられている感じがして、、遺族には蔵書は無用なものでしかなく、、これを無常と言わずして、なんであろう。

市井の蔵書家は、本は生前のうちに処分する方がまだいいのかもしれない。

冒頭の陽一さんは、雑談の最後に、こう言った。
「建て直した自宅に愛着はない。残債もある。これからは子どもたちのことを踏まえ、不動産の始末をつけておこうと思う」

不動産の処分、これは、他人事(ひとごと)ではないな、、

安倍首相は肺がんか?

最近の安倍晋三首相の顔がむくんでいる感じがして、少し気になっていたが、ネット上で「肺がん」だという情報が流れている。以下に、言い出しっぺのフリージャーナリストの記事を、、

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三首相は、慶応大病院で精密検査、「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節、脳幹に転移、余命3か月」と告知される

◆〔特別情報1〕
 「肺ガンの末期(ステージ4)、リンパ節までに転移しており、脳幹までの転移するのは時間の問題、余命3か月」-安倍晋三首相は6月17日午前、母・洋子夫人(安倍晋太郎元外相の妻、岸信介元首相の長女)に付き添われて慶応大病院で精密検査(MRI検査など)を受けた。

この結果を、こう告知された。安倍晋三首相本人も、主治医も、「肺ガンが末期」になるまで気づかなかったのは、「潰瘍性大腸炎」に気を取られて、胸にまで気が回らなかったからだったという。

東京・六本木のホテル「グランドハイアット東京」内の「NAGOMⅠスパアンドフィットネス」の個室で主治医の診察を度々受けていても、ここでは、精密検査(MRI検査など)を受けることができなかった。

そのせいか、6月19日午後6時から、通常国会の閉幕を受けて首相官邸で記者会見したときの安倍晋三首相の表情は、精彩を欠き、覇気がなかった。

元気がなかったのは、主治医から「多臓器不全」(潰瘍性大腸炎)により、ドクターストップ(6月10日)をけられていたためではないかと受け止められていたけれど、「手遅れで、余命3か月」と告知されたのが、原因だった。

このことを耳にした麻生太郎副総理兼財務相が、「ポスト安倍」狙いで、自民党内に言いふらしており、衆参両院議員は、安倍晋三首相亡き後の身の振り方に悩み、右往左往しているという。


以上、「多臓器不全」は死因の病名であり、ジャーナリストにしては、言葉の使い方がおかしい。眉ツバの疑いはある。

今、ウィキペディアで「板垣英憲」を検索してみた。医療系に情報源がありそうだったが、言葉の表現は大仰であり、怪しい印象は拭えなかった。あまり信じない方がいい。ただ騒がれているのは事実なので、このままに、しておく。

安倍首相の持病、潰瘍性大腸炎は、薬物治療していても、治っているわけではなく、その薬によって腸内細菌のバランスが良くなり、免疫力がある身体になっていた、、とは到底、言えなかっただろう。

それにしても、62歳の男の病理検査結果を訊くために、母親が同行するとは、庶民感覚では、、あり得ない。

1928年生まれの89歳の母親が、診察に同行したことがホントだとしたら、ステージはともかく、、その「肺がん」はあり得て、、深刻な病状かもしれない。

ステージの確定は、採血やMRIではできないのでは、、
脳に転移が、画像で確認出来ているなら、ステージ4は決まりだが、、リンパに飛んでいるだけなら、ステージ4は確定できないはずだ、、、2010年直腸がんサバイバーとして、そう思う。

いずれにしても、肺がんだとしたら、安倍さんはきっと隠蔽して、ギリギリまで首相を続け、突然引退を発表すると予想する。第1次安倍内閣の終わり方そうだったし、すい臓がんでなくなった父親の安倍晋太郎氏も、ギリギリまで外務大臣をつとめたからだ。

外国のスパイは情報収集に動いているはず、、とりわけ中国政府は、、

そうして遅くとも、年内までに、病気の真偽は明らかになるだろうし、麻生太郎氏は、にわかに元気になるに違いない。

週刊新潮が安倍首相の病気を取り上げ出した。
はたしてニュースソースは大丈夫か、板垣某がソースだとしたら、その信憑性は疑わしい。

追記、、勝手な想像だが、
もし安倍首相が、ガンだとしても、肺がんではなく、父親からの遺伝で、すい臓がんではないか?
エコー検査ならば、「グランドハイアット東京」に機材を持ち込むことは、簡単にできるだろうし、、
咳き込むイメージはないし、肺がんはフェイクではないか?

検索すると、2014年9月「週刊実話」の記事が出てきた。板垣某よりは真面目な内容だった。長いがそのまま、、

難病に指定されている潰瘍性大腸炎に長年苦しんできた安倍首相は、特効薬とされる『アサコール』を服用して、何とか公務をこなしているのが現状だ。ただ「最近はトイレに行く回数が急に増えてきた印象がある」(全国紙政治部記者)といい、悪化している兆しがある。アサコールと併用しているステロイド剤の影響も大きいという。

「安倍首相は腹痛がひどい場合、ステロイド剤を9錠も飲むことがあるようです。その副作用で、最近は顔が満月のようにむくむ“ムーンフェース症状”が出たり、もともと良くない滑舌が悪化している場面によく出くわします。さらに、ステロイド剤の多用は歯の組織もボロボロにするらしく、歯医者通いが増えてきました」(首相側近)

確かに新聞に載っている安倍首相の動静記事を見ているだけでも、7月から歯科に通う回数が増えた。6月まで月1回ペースだが、7月は3回、8月に至っては4、6、11、12日の計4回。とりわけ12日は静養のため訪れていた地元の山口県で、各地であいさつ回りにいそしむ途中で、支援者の歯科医に診療を頼んだほどだ。「急な通院と称して、会議や宴席をドタキャンするケースも出てきた」(政府高官)という。

一時は「寛解宣言」までして完全復活をアピールした安倍首相だが、今も大腸、さらに口腔の状態に悩まされている姿が浮かぶ。

しかし、こうした問題はすべて潰瘍性大腸炎に起因するもので、ある意味では想定内といえる。本当は、もっと深刻な病が安倍首相を襲っていたのだ。

広島市が激しい土砂災害に見舞われた8月20日、夏休み中だった安倍首相は、別荘のある山梨県でゴルフに興じていたが、いったん帰京した。そして当日の午後7時半過ぎには、別荘にとんぼ返りしている。

「首相周辺は『書類を取り帰った』と釈明しているが、絶対に会わなければならない人物がいたのです。それは、慶応大学病院の主治医でした。いつものように大腸を診てもらうなら、わざわざ批判を浴びてまで別荘に引き返す必要はなかった。実は、すい臓に腫れが見つかったようなのです」(安倍首相に近い政治ジャーナリスト)

すい臓--。そういえば、安倍首相の父・晋太郎氏は首相の座を目前にして、すい臓がんで亡くなっている。晋太郎氏は当初、周囲から本当の病名を隠されていたが、「がんです」と告知したのは、当時秘書を務めていた次男の安倍首相だった。
「腫れが自己免疫性すい炎によるものであれば、ステロイド剤が非常に効果があるとされています。ただ、安倍首相は潰瘍性大腸炎でずっと服用しており、その中ですい臓が腫れたというのは、どうにも解せない。何より、すい臓がんは強い遺伝性があることで知られています。もしかすると安倍首相は、すい臓に公表できないような病気を抱えているのではないでしょうか」(同)

ちなみに、安倍首相が通う歯科医は、ほとんど永田町にある衆議院第1議員会館内の「歯科診療室」である。「国会議員お抱えだけに、歯科をカムフラージュにして別の医師の診察を受けていても、周囲は気付かない」(全国紙政治部デスク)のも事実だ。

首相の“本当の病状”は、国家のトップ・シークレット。側近として仕える官邸スタッフなら、兆候どころか、ある程度の説明は受けていても不思議ではない。そんな中で敢行された官邸の“封じ込め人事”は、何を意味するのだろうか。
永田町に、怪しい暗雲が漂い始めた。


菅官房長官にゆる首相の病気の隠蔽工作は、ネグレクトという形で徹底している。TVのニュースコメンテーターはともかく、虎の門ニュースやラジオのニュースにでる人びとまで、一応に、首相の病気話を避けている。ソースがはっきりしないから、というより、菅さんら官邸の圧力ではないかな、、

そこはかとなく徐々に、旗を立てよう

100分で名著、4月は三木清の「人生論ノート」で、1回目と2回目を見た。
解説者は岸見一郎氏、1956年生まれで61歳か。アドラーで評判になったが、再びの登場。本来は京大出の西洋古典哲学の研究者と知った。引き出しを複数お持ちのようだ。10年前に心臓病を患い、職を失ったと番組の中で言われた。

1970年代に、十代、二十代だった人は、高野悦子の「二十歳の原点」と同じように、三木清を読む人が少なからず、いたと思う。懐かしいのだ。法政で哲学を教えていて、田中美知太郎さんを講師に招聘されたりしたと記憶する。当時としては、三木清は大きな身体をされていて、若手の哲学リーダーだったとみる。

中断、、




脳溢血のDさんのこと

今夕、Dさんが脳溢血で緊急入院したという知らせが入った。先週15日の日曜午前中に、元気な声を聞いていただけに、メールを見ても、にわかには信じられなかった。Dさんは、わたしの地域の、ある意味リーダー的な存在で、、愚直、ひたむきな人だ。

病院に駆けつけた木村氏に、確認の電話をした。出血が止まったかどうか定かではなく、余談はゆるさない状況が続いていた。木村氏は、奥さんと会い、病室に入った。お子さんは女の子で、まだ小さい、この4月に小学1年生になる、、涙が出た、と知らせてくれた。

この試練をどうとらえたら、いいのだろう。いまは、その意味が、、まったくわからない。なんの落ち度がD氏にあったというのだろうか、、と問いたくなる、、

いや、落ち度は、あるな、、肝炎と直腸がんと二つの大病してきた目から見ると、Dさんは自分の身体をケアしなかった落ち度は、やはりあるな、用心が足りなかったと思えてきた、、さいさん励んできた自家薬籠中の、無意識を整える力を省察していれば、この事態は回避できたのではないか、、と。

Dさんは50歳くらい、どうやら日常の血圧180くらいあり、降圧剤は服用していなかったようだ。このところ頭痛が続いていたらしく、十分兆候があったようだ。無意識から意識への働きかけはあったはず、、気づきの有無、、結局は医者に行こうとしていなかったことが、この事態を招き寄せた。

看護師の家内に話すと、24時間たってこうした状況だと回復は厳しい、、と言っていた。

Dさんは、水面上の、意識の世界に出られず、あつい氷がはられた水面の下、無意識の世界に、今、いる。

あえて、、きっと、そこには光が見えてくるはずだ、、その暖かい光がある方に近づいていって欲しい。どうやって、、自家薬籠中のオールを使って、漕いでみて、欲しい。

たまたまだが、26日のその時間、私は沼袋の依頼人宅で、遺言公正証書の作成に立ち会っていた。依頼人の二人の子は、脳溢血で倒れている。部屋にその遺影があり、なんて無情なのだろう、非業なのだろう、と見つめていた。

人生は、無意識の知らせに気づくかどうか、、とても重要になる。
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