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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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すい臓がんのMさんが

昨夜、ある方からショートメールをもらい、先月お見舞いに行ったすい臓がん末期の女性、Mさんが、亡くなられたと、知らせてくれた。享年65歳か、66歳だろう。

すい臓がん末期なのだから、今の医学では、どうにも厳しい現実が待ち受けていたわけで、、Mさんはどう受け入れて、いかれただろうか、、

先月お見舞いのとき、
ここを退院したら、
高校野球を見まくる。
時代劇小説(作家の名前は忘れた)を読むとか
言われていたが、、

ずっと仕事をしていたい、
が本音だったろう。

果たして、
その最期の思いがどうだったかが、
気になる。

たぶん、せん妄の症状はなかったろう。

遅かれ早かれ、
いずれみな、死ぬのだから、、
とMさんは言われた。

そうです。わたしもまた、今までとは違う、
死に至る病いがやって来ると、思っています、、と応えた。

Mさんの病いは、決して他人事ではない、のだと。

真夏の断想、場所から思い出すこと

今朝、広島の平和記念式典で原爆ドームのレンガが映し出され、安倍総理のスピーチが流れていた。ほんの数秒見て、テレビをOFFにした。見入ることはもうない、すっかり、脱テレビ人間になっている。

日本の夏は、不思議と昔の、ふとした言葉や光景がよみがえる。ささやかな回帰、、

一つ目、、
安倍さんの声を聴いていて、彼の父、安倍晋太郎外務大臣の婚外子のことを思い出した。

大学の同じクラスに内城という男が、どういうわけか、八王子から遠く離れた駒込の古い木造アパートの2階に住んていた。

なぜ会いに行ったのかは、覚えていない。男は、文学青年で同人誌のようなものに加わっていた気がする。

雑談する中で、向かいの部屋に、誰か入っていく音がした。
「あっ、帰ってきたな。向かいの奴は安倍晋太郎の子さ、、愛人との間にうまれた、近くの大学に通っているようだ。会ってみるか?」と言われたが、
「別に、、いいよ」と応えた。

二つ目、、
荻窪駅の北口近く、杉並公会堂に向かう方に映画館があった。1972年頃か、「幸せパリで」という、カトリーヌ・ドヌーヴとジャック レモンの映画やっていて、バート バカラックの「エイプリルフール」という名曲が流れていた。

そうなのだ、わたしの高校時代は映画に目覚めた頃で、、「卒業」「明日に向かって撃て」とか見たものだが、、その音楽はサイモンとガーファンクルであり、バカラックだっだ。チェ・ゲバラと同じ1928年生まれ、91歳になっている。

そして、その時思った。映画は、見終わってすぐ、感想など、いわなくていい。「面白かった」は、要らない。にわか感想など、けっとばせ!
そうでなく、寝かせるのだ、、澱がたまるのを淡々と待てばいい、、そう決めたのだ。

三つ目は、
板橋区大山の母子寮があったところ。
今は、駐車場になっているが、その正門前の四つ角は、さまざまなことを考えた所だった。もう一つは大山保育園の滑り台の下で仰向けになったときのこと。

5歳か、6歳だった。理解しがたいだろうが、こう考えた、、

1.また、、この、人生を、やるのか、、

2.ここは、ほんとの居場所じゃ、ない、、
母親も、本当の母ではなく、という妄想。

3.すごく、まわりの出来事が、冴えざえとした青の世界で、みえて来る感覚。コトバはわからないが、わかるという感覚。

4.こう、考えていることを、心のどこかに入れてフタをして、そっとしておき、いつか、あけることにしよう、、

このブログを始めたころから、そのフタは開けていることに。

近隣の人の逝去

今朝は、夏本番を告げる真っ青な空だった。4歳の次女もわたしも、サングラスをして保育園に行った。

夕暮れの今しがた、ラインが届いた。

お世話様です。
鈴木シンジさんが、
今朝お亡くなりになりました。
急性虚血性心不全とのことで、
今朝急に具合が悪くなり、そのままお亡くなりになったそうです。

長くこの地域に住んでいた方ですので、
地域の皆さんに連絡をお願い致します。


最初、鈴木さんて誰だろうと、、
いろいろ調べて、あの人か、とわかった。

享年64歳、私と学年は一緒だったことも、今わかった。鈴木さんは地元だが、わたしは北町の小中学校だったので、彼の人となりは知らないのだ。

見ため、180センチ以上の巨体で、酒好きそうだった。

彼の奥さんと、母親とは、道ですれ違うと、挨拶してきた。お二人の印象はいいのだが、、

どうにも、鈴木さん本人とは、互いに目も合わせず、挨拶してこなかった。世の中、挨拶程度でも、なんか合わない人って、誰にでもいると思うが、、まさにそれ。

高圧的な感じが、嫌だったのだ。
わたしは、多少でも、マウンティングは嫌いなのだ。

ただ、数年前、わたしと同じ頃に、鈴木さんも大腸がん手術をした。

わたしと同じで、痩せもせず、順調に快癒したようで、、すれ違ったあと、(互いに良かったね)という思いがよぎったものだったが。

まさか、今朝、突然の逝去とは、、

これから町内会の掲示板に載るだろう。

考えたが、通夜にいくことにする。

生命力という言霊

昨日17時すぎ、膵臓がんステージ4の女性Mさんのお見舞いに、都心の真新しいA病院へ行った。

4人部屋の窓側のブースにMさんはおられた。
ちなみに、私の入院体験では、窓側ブースは落ち着いて居られる。入り口側だと、やがて閉所パニック症もどきがしのびよってくる、、のだ。

Mさんと目があったとき、さすがに痩せておられたが、全体が凛としていて、まだまだ大丈夫、と感じた。声のトーンもしっかりしていた。負けない、負けてない心を感じとった。

Mさんは創価学会員ではない。
が、知り合いに何人か学会員がいるようで、距離を保ちながら話は聞いていく、という人だった。
わたしは、もとより励ますだけで、説教くさいことは謹んだ。ただ、大腸がんサバイバーの体験から、しみじみ感じることは口にした。こんな感じのことを

1.「もういいや」と口にしたり、思ったり、
しないでください。
2.負けない心、負けじ魂が大事。
3.仕事を全部ひとに任せていけない。コミットしていってください。
4.糖鎖の話、サバイバルのヒントになるかもしれない。
5.これから、せん妄が現れるかもしれないので、転倒に気をつけて。

だいたいそんなことだが、コトバでは尽くせないので、横たわっているMさんの両足を
掛けものの上から、上下にマッサージをした。

すでに肝臓に多数の転移がんがあり、腹膜播種もある、、という。なので代謝がままならず、相当腹水があるし、足も膨らんいるなと、掛けもの上からでも、感触で分かった。

雑談をはさんで、二度マッサージした。
二度目は心の中で、題目を唱え、しみ込むようにと、祈った。

そうして、わかったこと。
Mさんは気づいてないかもしれないが、、

帰る際、握手をしたとき、
励まされているのは、実はわたしの方で、力づけてもらっていると、、そう感じたのだ。

落日の光芒のように、沈んで行きながらも、それでもなお、生きて生きて生ききるぞという命の強さを感じていた。

生命力というコトバは、昔のヤクルトのCMに渡辺謙が出て「生命力を強化する」というのがあったが、Mさんの生き様こそ、そうなのだ。

追記、渡辺謙のツィッターにこういうのがあった。無論、彼の宗教は別である。
渡辺謙
@harryken311·2015年5月31日
ヤクルトのCM秘話。10数年前まだ病気から復帰のイメージが強くCMは声がかかりませんでした。当時の宣伝部長が同じ病を克服され、「あの生命力が必要なんだ」と、僕を推薦して下さいました。以来お世話になっています。宗教上の理由から大阪の球団を応援することも、黙認して下さる懐の深さです。


「宗教上の理由から」阪神を応援するって、何なのだろう、意味不明だ。

青年座「明日」を観た

昨日、池袋で青年座「明日」を観た。

演出を友人、山本龍二がやっていて、案内状が届いたので、行った。観劇料は五千円。

友人山本が出てないので、観に行くのをためらったが、案内状で三十年ぶりの再演と知った。こんな感じ、



1989年のときは、どこで演ったのだろう。
山本は配役は何だったけ、、全てうろ覚えに。

今から三十年前は、1989年、C型肝炎発症の前だった。しかし、なんとも体調はおかしかった。みぞおちの痛み、セピア色の空気とか、、

つまりC型肝炎の闘病生活と重なる。そうした時の流れを感じとりたかったことは、観に行く動機の一つだった。

「明日」に左よりの思想はない。
あくまで長崎にプルトニウム爆弾が落ちる前日の、市井の群像劇だ。

写真「焼き場に立つ少年」に何日か前の出来事を淡々と、事実が綴られたものだ。

原作は全身小説家の井上光晴。瀬戸内寂聴と関係していたような記憶がある。その作家に山本は会ったという。

芝居は、正直いうと、さしたる感慨はうまれなかった。

会場の出口に、あいさつのつもりだろう山本かポツンと、屹立し、観客に目で礼をしていた。

去年の暮れにも思ったが、山本は痩せてきていた。これから芝居にでるのは厳しいかも知れない。

暮の忘年会

大晦日の前日、練馬で恒例の忘年会に参加した。

いやいや、みんな老いたなという印象。

1.役者の山本は少し痩せ、背も縮んだかもしれない。NHKのドラマ「シエラザード」の中で、悪役を演じたと広沢に話していた。広沢の父親は、その実話の生き残りで取材を受けたことがあったたと応えていた。

2.鈴木陽ちゃんには、年金支給の減額が、どうしてそうなったかを尋ねた。今もタクシー会社に勤務していて、社会保険の被保険者になっているからだと思うと。

3.三宅一生の会社で役員をしていた内城には、白洲次郎、白洲正子夫妻のことをたずねてみた。白洲次郎は晩年三宅一生のファッションショーに出ていたことを思いだしたからで、内城が何かやり取りしたのでは、、と思ったからだ。応えは、白洲次郎に直接は会ってはいないが、上司は懇意にしていて、さまざま話は聞いていて、リスペクトしていたと。正子さんも素敵な人だったとも。

4.川上公も、今回来ていて、「ボヘミアンラプソディー」はいいぞ、エンドロールで泣いたと。なんじゃい、それと気になりたずねると、ロックバンドのクイーンの話だという。

ボーカルのフレディはHIV感染で肺炎て亡くなったらしく、そこから内城の会社では、その病で亡くなられた方が何人かいたと。

C型肝炎の治療薬ハーボニーは、HIV治療薬の開発の努力がなかったら、たぶん生まれなかったわけで、感謝と痛みがないまぜになって、話を聞いていた。

そうか、じゃ、元旦にでも、長女を連れて見ることにしようと決めた。

クィーンは「伝説のチャンピオン」しか知らない。

身体の司令塔としての「求道心」

ときおり、拍手のクリックを押してくださる方がおられる。病気の話は遠退き、つたない日々の断想にもかかわらず、、その一つが、不思議と励みに。感謝します。

昨夜は雨降るなか、近所の温泉銭湯·久松湯にいった。受付で、前に外国人三人がいて、帰り客の中年男性が、間に入って通訳をかって出ていた。

その三人はバックパッカーぽく、露天風呂に入りながら、30分以上、各国の旅行で感じたことなどを、ゆったりした英語で話し合っていた。英語圏でない人もいる感じだったが、なんとなくBGM的にしか、聞き耳を立てなかった。わたしの英語力はお粗末だし。

いつもそうだが、ここの温泉の露天風呂でよくしゃべっている若者たちが多い。特別な気分になるからだろう、外国人も例外ではないんだなと感じた。

前から予感していたが、
いよいよインバウンドが温泉銭湯にも押し寄せてきたな、、という感慨。
「もの」から「こと」へシフトしている。
大勢の中国人がこの銭湯に押し寄せて来はしないか、正直言って、懸念する。

たしかに日本の良さの一つに銭湯があると、世界は分かってきてるんだろうな。

三人は、借りた茶色のバスタオルを持ち込んできた。違うなと気づいたようで、ロッカーに戻しに行った。逆に、タオルは借りなかったようだ。英語の案内が必要なのでは、、

ここの温泉は、わたしの乾癬にはいい。毎日入れれば、かなりよくなるのだろが、、
わたしの乾癬は夏場はすこし悪化する。油断大敵なのだ。

さて、温泉につかりながら、掲題のことを考えていた。

下世話だが、オシャレ系ではない身体全体に刺青のある若い人を見ていると、あれはきっと「求道心」をかたちにしようとしているのだ、、見かけるたびに、そう思えてしまう。

とりわけ背中に龍とか、観音とかを見かけると一段と、そう思う。

ところが、だ。
刺青による刻印は、作家森敦の考えを踏まえると、身体の内と外の「境界」の外部に刻まれているだけで、内部には、残念だが生成しないんだよな、、とそう素朴に思えるのだ。まして心身の司令塔にはなんのヨスガにも、ならない。キズに過ぎない。

万人の内部にあるのは、南無妙法蓮華経のご本尊だけなのだという日蓮(尊称略)の確信を信じるわたしとしては、刺青青年を見ると、痛々しく感じる。いつも、そう感じる。

2010年5月に大腸がん手術後、高熱で苦しんでいたとき、たしかに南無妙法蓮華経のご本尊は、わが内部にあると実感する瞬間が何度か、あった。しかも、松果体とか、丹田とかいった特定部位ではなく、皮膚の内側に満遍なく、行き渡って存在し生成しているという感じかただった。

言葉はうまく言い尽くせないが、そうした感じるかたがあったのは、、事実だ。

大腸がん手術によって得た冥益(みょうやく:目には見えないが、知らないうちに得ている利益)かもしれない。たとえどん底にあっても、その感じから、はじめればいいのだ、、という気持ちになる。病によって得たわたしの求道心。

このことは、これからも、なんども書く。

1998年8月、66歳でガンでなくなられた福島源次郎さんは、そのような道心が現れだろうか、、

福島さんとの面識はなかった。二回見ただけだが、その印象は近いうちに書くことにしよう。その人生は、決して他人事ではないからだ。

西城秀樹さんの死

5月16日の水曜日、西城秀樹さんが逝去した。63歳。私より、学年は一つ下だったが、
まぁ、同年みたいなものだ。彼の死に、さまざまな思いがよぎった。

とりわけ、、
四十代なかばで結婚され、お子さんは3人で、たぶん一番上の長女は、まだ中学生、14歳くらいではないか、、成長を見守れず、さぞかし、悔いが残るだろうな

私も、長女は51歳のときに生まれた子なので、とても他人事(ひとごと)とは思えないのだ。

急性心不全が直接の引きがねだったようだが、問題は、何年か前にラクナ梗塞が再発し、その進行が治まっていなかったことにあったと思う。ラクナ梗塞は治りにくいのではないか、、

西城さんは、脳梗塞になる前は、健康面はかなり自信をもっておられたようで、サウナが好きだったと記憶している。

たしかに、私たちの世代は、若いころ、運動しているときに水を飲まない、遠ざけるという精神論は、よくみかける光景だった。大きな勘違いとも知らされずに。

それにしても、西城さんはよく辛抱強く、リハビリの努力されていたなぁと敬服の念が湧き上がってくる。立派だった。人間として、深く大きい「命の器」になっておられたと思う。その生きざまは忘れない。。合掌

これから老いていくなかで、自分にとって、中庸あるいは中道はどんなものか、西城さんの死を通じて、しきりに考える次第。

追記、、近所に住んでいた菊地さんという壮年独身だった方も、ラクナ梗塞だったが、、
人づてに、最近、神奈川の方の介護施設に入られた、と知った。が、具体的な施設名は聞けなかった。お見舞いが出来ないでいる。

大腸がんのときに見舞いに来てくださったが、予後の闘病が続き、何の返礼もできていなかった。なので、、気になっている。
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