善悪の彼岸

2007/11/15(木) 20:00:56 [死を哲学する]

前回のつづき、
日がたつと聴いたお話はうすらいでしまいますので、
脈絡もなく、思い出すまま、つづることにします。

その老先生はいわれた。

・自分の父親は満州で軍事関係の工場をもつかたわら、裏ビジネスで満州の奥地で芥子の栽培をやり、多くの冨を得ていた。

・父親の軍需工場の煙突に、判らないようにしてアンテナがあり、ロシア語の短波放送で、
その日の爆撃情報を得ていたので、そこで働いていた人は爆撃の日は働かせなかったりして、助かっていた。

・その短波放送と大本営が発表する情報が著しく違っていて、日本の敗戦は近いと感じていた。
(短波放送が戦中にもあったとは知らなかった!)

・それはそれは「情報の非対象性」なんて言葉なんか吹っ飛ぶくらいの情報のヒラキがあり、
この経験が、その後の自分の生き方の根っこを形成したと思う。

・終戦前夜、ソ連軍が攻めて来て、日本の女性が強姦されてくいく様を何度も見てきた。
ほとんどの女性が気絶してしまい、犯されると同時に死んでいった。

・家の扉か何かに赤い布を付けておくと、日本人の住まいではないとされ、
自分の家は難を免れ、中国人の服に着替えてくらした。

・自分は16歳の旧制中学生だったが、モービル銃?という長い筒の銃を使い、何度も発砲した。短銃はダメで当たらず、その銃の方がよく当たった。
まるでヤクザのように街で暗躍し、何人も殺したということだ。

・最初は恐怖だったが、生き残るために拳銃使用に躊躇はなかった。

・逃走中、自分の同じ年の友人はソ連軍の銃でやられ死んだ。

・殺人他に自分の犯罪は、ソ連軍のお金、軍票の偽札を作ったことだ。

・父親は戦犯で死刑の宣告を受けたが、替え玉の中国人とすり替えさせ、死刑を免れた。

・ヒロポン中毒の背格好も、容貌も父親に似た中国人を探し出し、替え玉にしたのだ。
その中国人が代わりに死刑になったわけだ。

・むろん16歳の自分一人でできたわけではない。
ロシア語を教えてくれた教師から「そうしろ」と強く促され、中国当局の一人一人に、フンダンに賄賂を使い、すり替えに成功したのだ。

・ただ、すぐに父親を救出できたのではなく、自分が日本に戻ってからも
さまざまなルートを使い、金を使い、救出できた。

・その原資は麻薬による裏金だったから、惜しまなかった。

・日本に向けた船に乗ったとき「これで死の恐怖から逃れることができる。助かった」と実感した。

・日本に戻り、社会に出てから、自分なりのお手製の育英会を作ったりしたが、その奨学生は、病気や何かで、今や一人も生き残っていない。

・このように自分はたいそう悪いことをしてきたので、罰があたっているのだろう。
相続は争続になり、自分の墓は何年も経たずに、無縁仏になるような気がする。

・その頃のことを書き残そうとは思わない。
自分の体験は司馬遼太郎のノモンハン事件の話など、
チャンチャラおかしいと思えるほど、痛みを伴う。
だから書けない。

以上ような話でした。

終戦の満州で3年も日本人が生き残ることが、いかに至難であったか、
想像を超えるものがあります。

おそらく因果応報は、例外なく老先生にも立ちはだかると思います。

が、一日一日、生き残れるかどうか、地獄ような極限状況で、
今の私たちは、その行為の数々を非難できるかどうか・・・

先生の話を聴き終わって
善悪の彼岸で生きるしかなかったのだ、という思いがよぎりました。

終戦後3年間、満州でサバイバルした人の話を聴く

2007/11/12(月) 19:09:46 [死を哲学する]

今回は、全く慢性肝炎とは関係のない話です。
メモとして記録しておきたいのです。

先日、今やすっかり難関になった某国家試験の監督の仕事をしました。

試験会場である某私大理工学部の正門に立ち、受験する人々の表情を見つめていました。

その試験の受験者が幅広い年齢層に渡ることを実感しました。
受験者お一人お一人を一瞬見つめるだけですが、その方たちの受験動機や日常の風景を垣間見る気がしました。

少し集中して勉強すれば、合格できると思わせる試験で、今、人気があるのです。

国家資格は「希望」であり、何がしか活路を見出そうとする真剣な表情にリスペクト!
口にはしませんが「頑張ってください」という思いがひしひしとしました。


が、記事にしておきたいのはこのことではなく、試験終了後の慰労会のときの話です。

たまたま隣に坐られた目の澄んだ穏やかな表情の老紳士、78歳(1929年生まれ)の老先生が、お酒が手伝ってか、淡々と

「私は、16歳から19歳まで、満州の奉天で、生き残るため、さんざん悪いことをしてきた」
と静かに言われた。

その内容は、水上勉の「飢餓海峡」を上回り、ただただ唖然とする過去の出来事でした・・・次回へ・・・

100歳バンザイと楽観主義

2007/06/24(日) 18:40:14 [死を哲学する]

例年全く関心がなかったNHK大河ドラマですが、
今年に限って「風林火山」、おもしろく感じられ、見続けています。

それも日曜日ではなく、土曜日です。
で、土曜の場合、その後に「百歳バンザイ」が放映されます。

元気がもらえて、これもとても見たくなるのです。

全国の百歳になられた方のドキュメントで、元気な方々ばかり。
共通する印象は、
1.広い意味で、何がしかお仕事をされている。
2.表情が明るく、ユーモアのある、楽天的な感じの方々多い。

NHKの方で、制作意図にそった対象の絞込みがあるとは思います。

が、長寿には楽観主義、楽天的であることが重要な要素ではないか、と思います。

で調べてみると・・・

世界一長寿記録とギネスブックが認定する人は、フランス人女性のカルマンさん。
1875年2月、南フランスのアルルに生まれ、1997年8月に122才で亡くなりました。

カルマンさんの体はとても強く、85才からフェンシングを始め、100才を越えても自転車でアルルの街の中を快走していたらしい。

頭脳も終生明晰で「私って普通のご婦人でしょ!」などユーモアを持ち続けて120才の誕生日に自らの人生について語っています。

「勇気があるからどんなことにも恐れない」

「うまく行ったときはうれしかった。これまでに、しっかり正しいことのために行動したことに後悔はない。私の人生は本当に幸運だった。」

「何かうまくいかない事があっても、気にしちゃダメよ」

カルマンさんの豊かな人生は、「打たれ強い」「くよくよしない」性格の方でした。


私はあらためて楽観主義で生きることは重要だな、と思います。

最近の脳科学によると、新しい神経細胞が嫌な記憶を消すことがわかってきたらしい。

つまり、記憶を司る「海馬」では、新たに誕生した神経細胞によって新しい記憶を一時的に蓄積して、過去の記憶のうち残すべき記憶と不要で消すべき記憶を選別しているらしいのです。

このことは、自分の場合にも、あてはまります。

というのは、3年前のサラリーマンのときの嫌な記憶が、とても薄らいでいるのです。

やめて1年目はまだ引きずる「痛み」がありましたが、今はもう「痛み」がよみがえってはきません。

いっときボケたのかな、とも思いましたが、

あぁ、自分は楽天家に違いないと思い込むようにしようっと!。

宮本輝「錦繍」

2007/06/07(木) 14:51:52 [死を哲学する]

一ヶ月前に、ある仲間の宴で、何気に友人が作家宮本輝のことを話してくれました。

そういえば、自分も昔少し読んだな、と思い出しました。
今や、日本文壇の重鎮といえる作家なのに、ちょっと忘れかけていた先輩を思い出したような感じがするのです。
が、お会いしたことはありません。

その作品の中で「錦繍」は抜きんでて、すばらしい小説だと思います。
きっと100年後も読み継がれている小説となることでしょう。

いったんは映画化の話があったそうですが、いつの間にか立ち消えになり、その映画監督も既になくなられている。

離婚した男女が10年後に偶然再会し・・・14通の手紙のやりとりで話が展開されていきます。

おいそれと映像にするのは難しい小説だと作家自身も語っています。

ところが、一ヵ月後の東京で、演出家ジョン・ケアードにより舞台化されることになるのを、今日知りました。

宮本輝公式サイトに「錦繍」のバナーが立ち上げられています。

クリックすると、

生きていることと 死んでいることとは
もしかしたら同じことかもしれない


という美しい言葉が表れます。

さて、一肝炎患者が「錦繍」から何を感じ取ったのか、というと、
それは次回にいたします。

心のギア

2007/05/18(金) 18:04:56 [死を哲学する]

C型肝炎の感染をどうとらえたらよいか。悶々とした日々を過ごすと・・・

運命、あるいは因果応報とか、目に見えないもの
例えば、神や法則に回帰させようという意志が、どうしても働きます。

ひらたく言えば、何か悪いことしたから罰として、思い病気になったのだ、という認識です。


1999年2月20日に、一人の女性、50代後半のガン患者Fさんと対話いたしました。

Fさんは、かなり進行していた大腸ガンを、1998年に発見、直ちに手術をされ、再発するかどうか懸念されるなか、いかんせん転移を免れず、結局2005年7月に亡くなられました。
ガン発見から7年の命を延ばされたことになります。

その姿は最後まで命を燃焼され、病気と闘っておられ、自分の病気に意気消沈などせず、最後まで周りの人々を激励されていました。

初めてお会いし、私の病気の話をしたとき、Fさんはご自身の病気を踏まえ、親身に相談に応じていただき、励ましてくださった。

曰く、表層では病気の快癒はないかもしれない、けれども心のギアによって命の奥底で根源的に病気に勝つことができるのよ!という趣旨の言葉でした。

一見、矛盾した回答です。

でも私は、そうかもしれない、という思いが心をよぎりました。
リインカネーション、生死の連続性を前提とすれば、です。

そう私に思わせたのは、ほかでもないFさんの声の響きでした。
その声が心の奥に響き入り、腹に落ちるものがありました。
言葉の内容というより、その声の響きに、不思議となつかしい思いがしたのです。

Fさんは無名の一庶民でした。が、人間として心より尊敬できました。

葬儀のとき、今まで見たことない程の多くの方々が焼香に訪れ、自分と同じように励まされた人たちに違いない、と思いました。


話は飛躍します。
ここで何が言いたいか、というと・・・

『これからが今までを決める』という断想に集約されます。

感染の記憶

2007/05/14(月) 21:46:31 [死を哲学する]

C型肝炎にいつ感染したのか?感染ルートは?

いつも心の中で反芻する問いです。

連休中に会った還暦になった実姉が同じことを問いかけてきました。

それが分かるなら、とっくに言っている!言い返そうとしましたが・・・

「やはり、使い回しの注射針だと思っている。
それもボクの場合何回か遭遇してしまったのだ。
でなければこんな超難治性にはなりえない・・・」と応えました。

周知のとおり、C型肝炎では性的な感染はほとんどありえません。断言。

私の場合、小さい頃から
風邪をこじらせたりすると、よく安易に注射していたなぁ。

歯も悪かったので、よく歯医者に通い、麻酔や何かで注射を打たれたなぁ・・・

注射に対するリスクを全く感じていない私でしたし・・・

というか、当時、自分の親の注射に対するリスク感覚はほとんど皆無だったと思います。面と向かってそう責めたてたりはしませんが、それがどうしようもない現実でしょう。

薬害で訴えることができない、多くの罹患者の方々も、おそらく私と似たようなケースなのでは、と想像します。

厚生労働省に無過失責任を訴求できるかどうか、、、
何の記録もなく、おぼろげな記憶だけでは、どうにもこうにも・・・難しい

肝炎患者の暗黙知

2007/04/11(水) 20:01:05 [死を哲学する]

今日は、また一段と整理ができていません。

雑談から・・・

ずいぶん前から「知識」の本質について考えています。

私は日ごろからインプット過多で、アウトプットができていない傾向があり、とても辟易しています。

つまり「お勉強好き」というタイプなのです。

かといって、ノウハウコレクターを自認したくはありません。

Web上で、節操のない情報起業家のセールスレターに遭遇すると、
「無知の無知」を感じます。

ちなみに、ソクラテスが言ったのは「無知の知」
「私は何も知らないということを分っている」ということです。

ソクラテスの弟子プラトンは「テアイテトス」を通じて、「知識とは何か」を展開しています。

「知識は知覚である」
    ↓
「知識は真なる判断である」
    ↓
「知識は真なる判断に説明が加わったもの」

という論点の展開に対して、ソクラテスは全て否定の結論をもたらし、「無知の知」となるのです。


で先を急ぐと、
私は「知識は暗黙知である」ことに納得しています。

暗黙知はマイケル・ポランニーが見出した言葉です。

彼は「人間には、言語の背後にあって言語化されない知がある」ことを発見、証明したのです。

暗黙知の反対語は「形式知」です。

職人芸のような技能は暗黙知を前提としている、と考えるのです。

彼は「私たちは言葉にできるよりも多くのことを知ることができる」とも言い、

さらに「知はすべて、問題に関する知と、同種である」とも、言っております。


さて、暗黙知によるメカニズムは
1.問題が妥当に認識され
2.その問題解決へせまりつつあることを感知する自らの感覚に依拠して
3.最後に到達される発見について、いまだ定かならぬ暗示=含意を妥当に予期(虫のしらせ)する。

ソクラテス風に言い換えれば「知の無知」とでもなるのでしょうか。

勝手に、言葉遊びしただけですので、世間にこんな言葉はありません。

でも、あえて定義すると、それは・・・
ホントは知っているのに、言葉で表そうとしない知、
いや言葉にできない知

という意味です。

要は、冷静沈着な思い込みを支持することかな、と思っています。

そうすると私たち肝炎患者は肝臓病を知っていることになります。

つまり、医者の知識が形式知なら、私たちの知識は暗黙知であり、問題を解決する切り口は私たち肝炎患者が握っているいる、ということ。

切り口とは、肝炎の本質に迫る「問い」持ち続ける、ことです。
医者には、そのような問いができないのです。

今回の結論は、前回に続き、
安易な医者任せはやめましょう
インフォームドコンセントによる解は患者が握っている

という次第。

感想「命を見つめて」

2007/03/13(火) 22:53:05 [死を哲学する]

さて、猿渡瞳さんの「命を見つめて」について、超難治性C型肝炎患者の私が感じたこと。

瞳さんにおける客観的な事実を列挙すると
・小学校6年から中学生までの2年の闘病生活であること。
・骨肉種で、右足の手術を受けられたこと。
・同病のお仲間15人が次々と亡くなられていったこと。
・作文を書かれた2ヵ月後に、亡くなられたこと。

一方、瞳さんの心象を列挙すると
・右足手術に際し「必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘い」右足切断は免れたこと。。
・「生き続けるために必死に闘って」おられ、「生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされ」たこと。
・「私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。」
・「命さえあれば必ず前に進んで行ける」を「世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。」
・ 命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。
・病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今では心から病気に感謝しています。

さて感想です。

「闘う」と「心から病気に感謝」そして「私の使命」という言葉に目がとまります。

実は、私の知人にも骨肉腫で亡くなられた方がおりました。39歳でした。ご家族の判断で、本人は告知されませんでした。
お見舞いにうかがった際、病室内重苦しさが漂い、一瞬にして「これが最後かもしれない」と直感しました。

そうした経験を踏まえると、瞳さんのあり様は、屹立しています。

作文を読まれた方々は、病気に打ち勝とうする瞳さんの「生命力」に、賞賛の声を惜しまないことでしょう。読み手が逆に励まされからです。

が、中段の「悪に対する無関心」への怒りが、なんとなく奇異に感じられる方もいるのではないでしょうか。

現に、その段落を省略して紹介されているサイトがありました。
がそれは、瞳さんに失礼なだけではなく、作文の本質を見落としていると言い切ります。

私は、瞳さんの病魔に闘う生命力と「悪」への怒りは表裏一体と思えてなりません。

唐突ですが、感想は以上です。

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