わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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肝臓病教室に行った、、

1.24日14時、考藤先生が講義すると知り、1年ぶりに国府台病院の肝臓病教室に行った。受講者は30名程度と少なく、あらためてその空気は、2015年9月の白熱教室とは程遠く、C型肝炎の終焉が近づいた感じがした。

慶事であり、とてもいいことなのだが、目的の達成は、その喪失でもあり、さびしい感じが、した。

2.考藤先生の前の、古田先生は食事について、レジュメにある「まとめ」は

「肝炎ウィルス治療後の肝がん予防には、食事管理が大切」として、
①C型肝炎のSVRになった者は一旦、鉄制限はやめていい。

②ウィルス排除前に肝組織が受けた傷害は、ウィルス排除で帳消しにはならず、加えて、加齢や飲酒、食行動などの要因によって発がんリスクが高まります。

③食行動の「ずれ」と「くせ」について、、
「自分の食べた量はそれほどでもない」と感じる摂食量に対するずれ
「自分は滅多にお菓子は食べてはいない」と感じる認識のずれ
「目の前の食べ物につい手がでる」というクセ
「いらいらすると食べる」というクセ
「何もしていないとつい食べてしまう」というクセ

④主食、主菜、副菜をそろえたバランスの良い食事をする。

⑤食べすぎないで、糖や脂肪の摂取は、量や種類を選ぶこと。

以上だった。

3.終了後、古田先生に質問した。
「ショートニングやマーガリンなどが、例えば最大手のパンメーカーのものには、ほとんど入っているが、どう思われるか?」と。

「米国ではショートニングは全面的に禁止になったが、厚労省は5年ごとの審議会で禁止に至ってはいない。パンや菓子の取りすぎに注意した方がよい」と古田先生は応えられた。

4.つづいて考藤先生の講義では、「薬剤耐性HCVの存在と出現」と「次世代治療によるSalvage治療の対象は」が一番気になった。とりわけINFフリー(DCV+ASV)での治療不成功例では、多重耐性変異が60〜70パーセント存在する。当面は治療待機になる、と。

5.迂闊だった、、ここしばらくお会いしていなかったHさんが見えていて、ご挨拶し、笑顔で握手をしたのだが、、Hさんはsalvage治験で一旦はウィルスは消えたが、また再燃されていた、、私はその波乱の経過を知らないでいたのだ。さぞかし、憤りを感じたことだろう。

あらためて、つくづく思った「これは明らかに医源病である」と。中でもT門病院のK先生らが誘導した治療薬が悪すぎた。彼らは訴えられるべきなのだ。

6.終了後、考藤先生にこう質問をした。
「C型肝炎のSVRになった者は、他の健常者と比べ、新たにC型肝炎ウィルスに感染しやすいのではないか?
というのは、昨年の肝臓病教室で考藤先生は、C型肝炎のSVRになった人が肝がんを発病し、そのとき同時にC型肝炎ウィルスが見つかったという症例を話されていたからです。いかがでしょうか?」

これに対して考藤先生は「ふたたび感染するリスクは、違法な薬物注射や受刑者とか、特異な社会状況でなければ、通常はありえない。昨年の話した症例、よく覚えていましたね、その原因は不明であり、ウィルス量も少なかった。今後の研究としたい。」といわれた。主治医の青木先生の話と重なった。自分に向けて「安心宣言」しよう。

講義が終わり、教室を離れながら、最新の肝炎治療の細かいことが、よくわからなくなってる自分がいた。

Hさんに申し訳ないなぁと感じつつ、
最新の治療法に関心を持てなくなっているとは、、なんともゲンキンなものだ。

今回が、最後の肝臓病教室の参加になるかもしれない。

ふたたびウォーキングをはじめた。

1.最近の体重は、69.0Kgと1年前より5Kg増えた。
スーツのズボンがキツい。これはショック。油断した。

2.油断のもとは、体重計の記録を、半年以上前から怠ってきたことにある、と見ている。記録をつけることで、深層意識に働きかけ、体重をコントロールするスイッチがはいる、、そんな気がするのだ。

3.そこで、おとといから、水を毎日、ペットボトル2リットルを、飲むことにした。他の飲料と併せれば、1日の摂取量は3リットル近いのではないか、、

4.乾癬治療法としても、水をできるだけ多くとることは、治癒を早める効果があるのではないか。3週間は試してみよう。

検査データのこととモモ散歩

1.かつてC型肝炎だったお仲間、akioさんがブログで、ハーボニー著効率は98.7%である旨、エビデンスを紹介してくださった。あらためて、すごい事実だ、、真ことに、ハーボニーは革命的な薬に違いない、、と思った次第。

2.検査データで、コリンエステラーゼが直近の検査値では219と、国府台病院の基準値(240〜486)より約20低い。これまでも194〜220の間を行き来する値だった。
そこで一往、気に留めておきたいので、コリンエステラーゼについて以下に掲げておこう。

<健常時>
コリンエステラーゼとは、肝細胞でのみつくられる酵素で、血液中へ放出され、からだ中に存在しています。
神経伝達物質の一種を分解する働きをします。

<異常時>
低値の場合
何らかの異常で肝機能が低下すると、肝臓のコリンエステラーゼをつくる能力が低下するため数値が下がります。
肝硬変が進行すると減少します。
高値の場合
脂質代謝にも関連するため、栄養過多による脂肪肝などでは多くつくられ、数値が上がります。


3.前立腺炎などのチェックに、「血清PSA測定」があると知った。今度受診の時に、検査項目に入れてもらえるか?相談しよう。立花隆さんのように、加齢に伴うリスクの一つだと思うからだ。

4.コーギーのモモは、午前中から、ワタナベさんという方の自転車に乗り、光が丘公園に散歩に出かけた。わが家では、わたししか面倒をみていないので、疎外感があるかもしれない。それに、わたしの接し方は、正直、優しくはない。

ありがたく、ワタナベさんに散歩をお願いした。ただ、
13時近くにモモは帰ってきたが、だいぶ緊張したようで、公園に着いても動こうとしなかったようだ。たしかに目はショボンとしていたかも。モモは15歳4ヶ月になった。やっぱ歳をとったな、、

4.次女が「タノシイの、やりたい」と言ってきたので、14時すぎ、わたしの自転車のチャイルドシートに乗せ、ロケット公園とタコ公園に行った。すべり台はそれぞれ1回だけで、すぐ「カエル」と言い出した。タノシイ自転車に乗っていたいだけなのだ、とわかった。

C型肝炎SVR1年後の経過観察

1.この半年のうちに、体重が68kgになっていて、5kgは増えた。だが、炭水化物ダイエットや一日一食とか、無理なことは、もうしない。贅肉が筋肉に変わるならば、痩せなくていい。痩せていると、縮みだすのがはやまるのではないか。

2.昨日、3ヶ月ぶり、市川の国府台病院に行った。保育園の送りとか、何だかんだで9:05に出て10:40到着。今迄ずっとエコーをやっていただいていた女性の是永先生はおられず、大澤先生という方だった。4月から代わったのだと。

村田先生もおられないし、あらためて、C型肝炎治療の歯車が回った感じがした。

今まで指摘されていた胆のうポリープは「今回は確認できない」と大澤先生はコメントされた。

すい臓がクリアに見えるらしいので、前回と同様に、エコーの前にミルク紅茶を飲んでいたが、それがかえって、胆のうを縮めることになり、よく見れなくなるようだ。次回は、何も飲まないようにして、検査に臨む。

エコーの結果は問題はなかった。フィブロスキャンは6程度、問題なし。

3.12時ころ、青木先生の診察。採血結果は、問題なし。「もともと、あなたは軽かったから」と言われた。そうだな、と思いつつ、かつての全身倦怠感を思い浮かべ、(あのダルさは決して軽くはなかったのに、)と、遠くを見つめる感じになった。次回は10月3日で、エコーはやらないで済む。コスパは、ありがたい。

アルブミン 4.7
AST 18
ALT 13
γGTP 13


このところ毎日 、青ラベルの金麦220mlを1缶飲んでいるのに、まぁ、何という正常値なのか、、少し驚く。

ハーボニーを飲み終えてから1年4ヶ月がたち、あらためて、わたしのC型肝炎はこれでひとまず、治癒した!と「安全宣言」しよう。

4.そこで、青木先生にこう尋ねた。
「C型肝炎患者がSVRになったあと、再び感染する割合は?」と。

すると、「かれこれ、肝臓専門医として15年やっているが、再発した症例は二人だけで、、二人とも」と言いながら、左腕に自分で注射する仕草をされた。

「その、、注射って、何ですか?」

「シャブ注、です。なので、普通の生活をされてる人は、まず、、再び感染することは、ないと思いますよ」と言われた。

こころ強いお言葉で、この日一番の収穫だった。

5.昼ごはんを初めて千葉商科大学の学食で食べた。床も天井も、ウッド調で洒落ていて、学生の皆さんは満足そうに見えた。1996年以降に生まれてきた人たちばかり、なんだか幼い感じがして、、当たり前か、わたしが老いているだけなのだから。

テーブルに置いていたKindleで正宗白鳥「入江のほとり」を、食べながら読み終えた。戦前の瀬戸内の家族、一人愚直に独学で英語の勉強する男の話だったが、尻切れトンボで終わり、だから何?という感じだった。小林秀雄は正宗白鳥をリスペクトしていた。

学食のメニューは、セットで450円のものと550円のものと二通りあったが、前者は終了してたので、後者を頼んだ。鳥肉系、美味しかった。次回も来よう。

6.千葉商科大学のキャンパスは思いのほか広いが、道路をはさんで、となりにそびえ立つ和洋女子大の学舎から見下ろされているのは、関係者でないものの、愉快な気がしない。

和洋女子大は、看護学部の設置を申請しているようだ。市川駅プラットフォームの広告看板で知った。看護師不足といわれている。需要がある看護学部の創設はブームかもしれない。

7.何気に、市川から飯田橋経由で有楽町線で帰った。ふと、飯田橋て寄り道したが、そこでもまた、いい情報が取れた。

自分に向けての断想
おもしろいもんだ、、うまく言い表せないが、、
何かいいことがあったら、そう感じたのなら、上げ潮と見切って、それに上乗せする行動をとること、一気呵成、これが人生のアヤというか、、一瞬の意思というか、紙一重の選択というか、人生の機微になる、というのが現実なのでは、、と思う。華厳経に「心はさながら、匠なる絵師の如く」とあるが、そんな大仰なものではなく、普通に起きる一瞬の意思が、、そういう心の連鎖が、人生なのだろう。常に、自分の心を、上中下、左中右、と吟味しよう。

6月16日追記、飯田橋マターは「お断り」の通知が来たが、、負け惜しみでなく、これでよいと、今、思っている。他の行動に向けて、思考の整理になったし、足がかり、踏み台になったからだ。


8.おととい、山口果林「安部公房とわたし」をパラパラ読みで、読了した。思い出したこと、1991年だった、前職にいた頃のことだが、山口果林さんが自宅マンションのリフォームした。そのときの、室内写真を見たことがあったのだ。モノトーンのような感じがした。安部公房のために、リフォームしたんだな、、

安部公房は前立腺がんで睾丸摘出していたが、心不全で亡くなられた。


ボロボロになるまでに着古した綿のシャツが、いま、穴があいた、、もう限界、捨てよう。

ひとまず最後の診察を

1.先週19日の木曜日は、国府台病院でハーボニー投与終了から48周目の検査だった。朝食ぬきで、10時半に病院に到着した。この日は、採血→骨密度検査→エコー→診察の手順であり、何ら体の不安はなかった。

2.まず、いつものとおり採血室へ、看護師の吉田さんがおられたので、すぐ挨拶した。3月末で退職されることを知っていたからだ。私の次回検診は4月以降とわかっていたから、今日がお別れという思いがあった。吉田さんは八戸の出身の方で、、知り合いに何人か八戸や青森の人がいるので、顔の表情とか、なんとなく共通したものを感じていたし、、

3.なんといっても2015年7月初めて国府台病院に行ったとき、驚きの体験が印象に残っている。昭和っぽい古い病棟で、精神疾患の人々がいるとも聞いていたし、なんだかおどろおどろしい病院だった。医療事務の人々は、書類の山の中で、てんてこ舞いしていた。新しい病棟への引越し前夜だったから、そういう光景だったのかもしれないが、黒澤明監督の映画「生きる」の舞台、戦後の市役所のような光景と重なって見えた。なんじゃ、ここは、滅入るな。

4.それでも、溝上先生の診察は新しい病棟だったのは、救いだった。しかし、採血室はまだ古い病棟にあった。私の精密な血液検査を、こんな採血室でやるのかと、正直思った。そこにおられたのが吉田看護師さんだった。トラブル、、採血の試験管に貼るラベルの装置が故障していて30分近く待たされた。その装置は新しい装置だと言っておられたが、私には古く見えた。例えばNTT病院では、こんな装置は使っていないと思ったのだ。新しい病棟になって、今もその装置はあるが、不信感は拭えないな、、

5.ともあれ、吉田看護師さんとは、これが最後だなと思い、握手した。ホントは感謝の気持ちでハグしたいところだったが、、

6.エコーのとき、是永先生に「ミルク紅茶を飲むと、膵臓の画像が鮮明になると、NHKテレビでやっていたので、今から飲んでいいですか」とたずねたら「田中幸子先生の研究ですね」と言われ了解していただけた。その画像を見たが、どれほど鮮明になったのかは、素人にはわからなかった。けれど、次回もミルク紅茶を飲むつもりだ。

「ミルク紅茶 膵臓エコー」で、検索すると、大阪府立成人病センター検診部 田中幸子部長の説明として、こうあった。
膵臓は超音波検査では観察し難いとされている。また、通常の10分程度の腹部超音波検査では、肝臓、胆嚢、総胆管、膵臓、脾臓、腎臓など多くの臓器の病変を検査するため、たとえ膵臓の一部が見えなくとも検査が終了となる場合もある。そのため、開発したプロトコールでは、検査技師は一定の時間をかけて膵臓のみの検査をすることとなっている。また、膵臓を膵頭部、体部、体尾部、尾部の4つの部位に分けて精査し、あらかじめ撮る画像も決めている。そのため、撮りこぼしのリスクがないという。超音波検査の際はデンタルチェアのような椅子に深く腰掛けさせる。そのことにより、肝臓が下がり、また腹部の筋肉が弛緩され、膵臓の観察もしやすくなるという。また、特に超音波で検査が難しい胃の裏側にある膵尾部については、検査中、検診受診者にミルクティーを飲んでもらい、胃内のガスによる干渉をなくして描出するなどの工夫も行っている。 

7.12時すぎ、村田先生の診察で、骨密度は同年齢の平均値より上に位置してると知らされた。定点観測、これから毎年1回はやっていこう。あとはなんの問題もない検査結果だった。

8.大切なこと、再び、新たなC型ウィルスが身体に入ると、たちまち肝臓に寄宿し肝炎化することが、チンパンジーの実験によって確認されていると、村田先生は言われた。

昔、飯野四郎先生の講演で「C型肝炎ウィルスは比較的感染しやすいウィルスであり、すぐに排除できる人と肝臓に棲息しやすい人に分かれる」という話をされていた。だとしたら、SVRになった私たちは、再び侵入されないように、これからは感染症全般にわたって十分、注意しなければならないだろう。私見では、歯と口腔ケアは大事ではないか、と思っている。

9.ともあれ、SVRは確実.だな、と感じた。すると村田先生は「C型肝炎治療の研究は終焉した、これから、わたしはB型肝炎にフォーカスする」という話をされた。3月末で国府台病院を辞めて、次の道に転身されることを知らされた。4月から那須にある総合病院に、毎日東京から新幹線で通われることになる。「C型肝炎とともに去りぬか、、」という言葉が浮かんだ。

うがった見方だが、溝上先生の後任はK先生になったわけで、村田先生はその後塵をはいすることになったのでは、、心を揺らす複雑な思いがあったのではないか、、つぶやくように「いつまでもペイペイのままでは、、」と言われた。心にささった。大小を問わず、組織にいれば、思い浮かぶ言葉だからだ。

この病院は優秀な肝臓病専門医が集まっているメッカなのだから、ポストにつくのは大変なものがあるのではないか、、だが、こうした先生がたが参集していたからこそ、現実に、わたしたちはC型肝炎を克服できたのだ、とつくづく思う。

次回6月6日の診察は、お若い青木先生にしていただく予定だ。レスポンスの速い先生で、2015年10月、わたしのハーボニー助成の診断書を書いてくださった医師だった。もしかすると、溝上先生の秘蔵っ子といったポジショニングなのかもしれない。、

診察室を出る際、去年SVR達成したときに継ぎ、今ひとたび、村田先生に力強く握手していただいた。一期一会の余韻を感じながら、、

ハーボニーのニセモノ

1.ハーボニーのニセモノが出回っいるようだ。検索すると

奈良県内の薬局チェーンでニセのC型肝炎治療薬が見つかり、厚生労働省などが、注意を呼びかけている。

 見つかったのはギリアド・サイエンシズ社が販売するC型肝炎治療薬「ハーボニー」の偽造品。厚労省などによると、今月、奈良県内の薬局に、異変を感じた患者から相談があり、発覚。県内3か所から5つの偽造品が見つかったという。正規品は、だいだい色のひし形だが、偽造品は色や形が異なっていたという。

 これまでのところ健康被害はないということだが、厚労省などは、偽造が疑われる場合は服用せず、医療機関などに相談するよう呼びかけるとともに他にも出回っていないか調べている。


2.わたしの場合、ハーボニー治療は国府台病院で、院内処方であり、かつ分包で出された。ニセモノが混ざる余地はなかった。これ以上の安全、安心はない。飲み忘れのリスクがあるだけだった。

3.平成28年末までに、ハーボニー治療を76,000人が終えたようだが、またまだこれからが本番になる。だから必然的にニセモノも、これからは外見から見分けがつかない、巧妙なものになるだろう。お気を付け願いたい。

4.以前、クスリとしての製造方法は、他と比べそれほど難しいものではない、と聞いた記憶がある。ジェネリックは作りやすいのだ。けれど、正規のギリアド薬かどうか、、私たちは確認した方がいい。

このような注意喚起は、バンバンさんがよく発信されていたが、、及ばずながら、気になったので記事にした次第。

肝臓友の会のこと。

1,髪を切りに行ったあと、太宰治が心中した三鷹市牟礼4丁目あたりの玉川上水に行ってみた。明星学園の高校の近くらしいが、碑のようなものはなかった。武蔵境の方ではないかとイメージしていたが、実際は、普通の家家が川沿いの道に面していて、記念碑など訝られるだろう、と感じた。

2,ある方が、肝臓友の会を退会される方が増えていて、会の運営がきびしくなっているとコメントをくださった。
「要は2点です。
その1.ウイルス排除、と喜んでばかりいないで肝炎友の会の 活動を支援すること。 
その2 世界でも最も優れた健康保険制度を守るために 不必要な医者通いをしないこと、の2点です。 」
と、

投げかけられた。新鮮に驚き、悩ましい気持ちになった。

3.わたしの場合、友の会には入らなかったせいもあり、支援する意識は希薄だったからだ。
ただ、友の会が主催する講演会に3回ほど、参加したことがある。とりわけ2015年7月の八橋先生の講演後の質疑は、誠に、ありがたかった。八橋先生の回答を聞き、治癒を確信したからだ。

4.講演会で、いつも感じたことがある。B型肝炎とC型肝炎は似て非なるもので、B型肝炎の話になると外国語を聞いているような気分になることだった。核ウィルスとレトロウィルスの違いなのだろうが、違和感は如何ともしがたかった。正直言って、B型肝炎は眼中になかったし、今も、さして関心はない。

5.支援の仕方に、賛助会員みたいな工夫があれば、いいかもしれない。また、友の会をNPO法人化して、国や都道府県から大幅な助成金を受けられるような働きかけがあっても、いいのではないか?、もうやっているのかもしれないが、、

6.想像だが、結核の患者会があったとしたら、歴史的に、その伸張と退縮があったと思う。
支援を継続される方々を賞賛したい。けれど、うまくいえないが、退会される方々をとやかくいうのはいかがなものか?、と思う。それぞれの置かれた状況が、たとえば新たな病とかが、立ち上がってくることもあるわけで、、と。

訃報、ジョージ・マイケルが、2016年12月25日午後、イングランド南部オックスフォードシャー州の自宅で死去した。死因は心不全。ベッドに横たわったまま亡くなっているのが見つかった、と。53歳没。本当に、きのうが「ラストクリスマス」になった。

追記、、今、件(クダン)の方が新たにコメントをくださった。
SVRを喜ぶだけでなく、その治療情報の恩に報いることは、人として大事だろうし、その方の仰られることは、ごもっともだと感じつつ、こう思う、、
大掛かりな組織にしても、一つの集まりにしても、加わるなり、離れるなりは、個々の選択の自由でないと、いけないと。目的が達成されたなら、あるいは目的と違えていたならば、やめていい。念頭にあるのは、友の会ではない、全く別の組織なのだが、、

わたしの、選択の自由へのこだわりは、
病気はマクロに基づくエビデンス志向ではなく、ミクロというか、パーソナルなナラティブ志向であるべきと考えることと通底している。

今、もっとも心配している「他者」は、膵臓がん予後のMさんのことであり、具体的なやりとりができる方だ。また、肝炎のお仲間では自然耐性が二つある女性がどうなったか、が気になっているだけで、いずれもリアルに、フェイストゥフェイスの人だ。マクロ的なC型肝炎の母集団を思い馳せることは、苦手なのだ。わたしは、リアルな立ち位置で、十分。。

肝臓病教室の素描

先週の土曜日、国府台病院の肝臓病教室に行った。参加者は60人弱だった。後半の講師は溝上先生がなされることから、昨年9月のように、同じ教室は満席になっていてもおかしくないなと思っていたが、あにはからんや、今回は席に十分ゆとりがあった。

ハーボニー治療がはじまって1年4ヶ月がすぎ、ウィルスが消えた方々は、もうすっかり安心されてしまい、フォローアップの意識が薄らいでいるのかもしれない。けれど、本当は、ここからが大事になるのではないか。

全体レビューはどなたか書いてくださるだろうから、、私にとって収穫となった情報を2つ。

1.ウィルスが消えた人は、食べ物の鉄制限は中止して、普通の人々と同じ食生活でよい。

2..M2BPGiの数値が1.0以下の人は、5年以内に肝がんになるリスクはほとんどない、ということ。

早速、家に戻ると、検査表を見てみた。私の数値は直近が0.60であり、治療中の最高値でも0.80にとどまっていた。

ひとまず、肝がんのリスクは遠のいたと、見切ることにしよう。ただし半年の定期健診は怠らずにやろう。少なくとも65歳までは。とりわけ、すい臓と胆管に注意したい。「試してガッテン」でやっていたが、エコーの前に、市販のミルクティーを飲むと、すい臓の画像が鮮明になるようだ。1月、エコーを診ていただいている是永先生に相談してみよう。

溝上先生は、サウジアラビアからの帰国直後でお疲れのご様子、お酒が飲める国ではないのでお辛かったに違いない。講講演が終わるとすぐ退出されてしまい、、個人面談は村田先生が引き受けられておられた。

ひとこと、溝上先生に、SVRのお礼申し上げたかったが、それはまたの機会となった。。

帰りしな、お仲間の、造船スペシャリストのHさんの言葉が響いた。
「去年2月、品川で川西先生の講演会で、みんさんと知りあっていなかったなら、
このようにウィルスが消えることがなっかただろう」と言われたのだ。

わたしも、、全くそのとおり、と感じた次第。あの品川の出会いは、一つの大きな縁起だった。

その日お仲間の有志は屋形船の宴に向かわれたが、わたしは94歳の母親のもとへ。途中お茶の水で、毎年お決まりの日本能率協会№C229の卓上カレンダーと、初めての生産性出版№527「B6月間ブロック薄型・日曜始まり」手帳を買った。わたしの場合、手帳はB6サイズが一番馴染むようだ。
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