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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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心に残る話

今朝、長女に話したものがサイトにあったので、長いがコピペする。ずいぶん前に読んだが、文字通り、あやしく心に残っていて、先々検索しやすくするために。

『夢の国の妻』 森島健友著
 (心に残るとっておきの話第一集から)
 昭和二十年生(大阪府) 
元新聞記者 ライター

 「なぜ、こんなことになってしまったのだろうか」――わたしは自問する。もう幾度、「なぜ、なぜ…」と心のなかで、呟(つぶや)いたことだろう。当時、わたしは三十代の半ばだった。なにがきっかけで瞑想に興味を抱くようになったのかは、思いだせないが毎夜、嬉々として瞑想に耽(ふ)けったものだった。
 
 ところが、そんなある日、夜ごと夢で訪れる世界と、実際に暮らす現実の世界との境界線が、わたしのなかで突然、消滅してしまった。夢の世界――その地にわたしは妻を娶(めと)り、三人の子供をもうけて楽しい家庭を築いていた。妻の名はさやか・四十二歳、長女 理香・二十二歳 会社員、長男 慶太・二十一歳 大学生。そして次女かんな・十四歳 中学生。主人のわたしは四十八歳、業界新聞の編集記者だった。
 
 妻とわたしは、ひとつの床で若い恋人たちのように手を握りあって眠る。すぐに妻はかすかな寝息をたてる。その寝息にいざなわれ、わたしも深い別世界へ沈んでいく。

 そして――朝。眼が覚める。現実の世界の妻、香り・三十一歳は、すでに床をぬけだし、小学生の長女と、長男の弁当をこしらえている。次女のうららは、まだわたしのそばで眠っている。夢の世界が現実なのか、いまいるこの世界が夢なのか……。朝の、ぼんやりとした意識のなかで、わたしの思考は、あてどもなく、さまよい続ける。

 夢の世界が現実感をともなって押し寄せてきたのは、いつのころからだったろうか。瞑想中、急に尾てい骨の辺(あた)りからビー玉のような大きさの、熱い固まりが湧きだし、脊柱を頭頂に向かって上昇していった。火の玉は腰椎をゆるやかに昇り、肩胛骨のあたりで再び下降しはじめた。と、その時、両眼を射る凄じい閃光にさらされた。その日から、わたしの奇妙な二重生活が始まったのだった。

 夢の世界に住む妻とは、子供じみた些細なことが原因で、常に口ゲンカばかりしていた。でもわたしは、少々頑固でも、純真で涙もろい妻が好きだった。

 長女の理香は妻と正反対、理性的で時にはわたしたち夫婦のつまらぬ諍(いさか)いの仲介を買ってでるなど、なにかと頼りになる娘だった。

 長男の慶太はいささか気むずかしい性格の持ち主だが、これまた理香に劣らず、しっかりしている。次女かんなは落ちこぼれ。学業に関心を向けさせようと、妻がつきっきりで尻をたたくが、いっこうにエンジンがかからない。妻の唯一の頭痛の種が、このかんなだった。

 夢の世界でもわたしは、金に縁のない男だったが、妻のやりくり上手のおかげで、家族はつつがなく日々を送ることができた。妻さやかの口ぐせ――「お金も物も、なるべく持たないほうがいいのよ。執着もいけないわ」

 いっぽう現実の世界の妻、香りは理智的で従順だった。夢の世界の妻は、わたしがどんなに読書や瞑想をすすめても、乗ってこなかったが、香りは違った。読書はもともと好きだったし、瞑想に対しても早くから胸襟(きょうきん)を開き、今では彼女の日課の一部に組み込まれているほどである。

 ところで、夢の世界の家族の大黒柱でありながら、
 <自分はいつどこで生まれ、どのようにして彼女と知りあい、結婚したのか。理香や慶太、かんなはいつ生まれたのか?>といった、いわゆる家族の“足跡”について、疑問を抱いたことがなかったのは不思議だった。ただその日、その日を泣き、笑い、怒り、喜び、嘆き悲しみながら過ごしていたのだった。

 そのくせわたしは夢の世界の妻さやかの、幸薄かった少女時代や、三人の子供のそれぞれの成長の過程で起こった、ちょっとした出来事などは、ちゃんとわかっているのだった。
 ――夢の世界の家族たち。わたしたちは、どんなに肌を寄せ合い愛し合って暮らしたことだろう。家のなかでは、お互いに憎まれ口をたたき合ってはいても、みんな一日たりとも離れては過ごせない。生活能力に乏しく、吹けば飛ぶような風体の上がらぬ男でも、彼らにとっては頼れる、いや頼らざるをえない「お父さん」なのだった。

 妻は、わたし以上に生き方が下手だった。良くいえば正直すぎる、欲がない。悪くいえば単純、ピジョンがない。
「きょうを楽しく生きれば、いいじゃないの。あすのことは何とかなるわよ」
 と妻はいう。

 家計がピンチに陥ったことは幾度もあったが、なるほど、いつも何とかなるようになってきた。夢の世界の妻は欠点だらけの人間だが、魂の進歩のレベルは、どうやらわたしをはるかに凌駕(りょうが)しているように思える。

 現実の世界の夜が明けると、夢の世界は急速にしぼんでいく。妻、香りの子供たちをせきたてる声が耳朶(じだ)に押し入ってくるころには、あんなにいきいきとした躍動感と光芒に包まれていた夢の世界だったのに、もはやそのかけらさえも見あたらない。

 現実の世界の妻、香り。両親に愛され恵まれた家庭に育った彼女の性格は、どこまでもたおやかで、地平線に向かって一直線に伸びたハイウェイのようだった。

 時計の針が午前零時をさすと、わたしたちは肩を並べ瞑想を始める。瞑想が終了すると静かに床に横たわり、次女うららをはさんで眠りにつく。

 すぐにわたしはドームのような暗闇に、ぐんぐん吸い込まれていく。多分、その過程で意識を喪失するに違いない。再び意識を取り戻した時――そこはもう通いなれた夢の世界なのだった。

 時にわたしは、暗いドームに落下していく途中、意識を失うまでの短い時間に、ふと錯覚にとらわれることがある。

 じつは毎夜いく夢の世界こそが現実で、肉体がある現実の世界はほんとうは、夢まぼろしに過ぎないのではないのだろうか――と。

 だがそのような懐疑にひたっているひまはない。すぐに思考をマヒさせる震動が襲ってきて、ふたつの世界のうちの一方の記憶を、どこかへ持ち去ってしまう。

 だからわたしは夢の世界にいるとき、現実の世界の存在を知らないし、また思いだせない。反対に現実の世界にいるとき、夢の世界の記憶は、わたしのどこを捜してもない、と書けば、きっと反論されるだろう。

「しかしおまえは、いま夢の世界のことを書いているじゃないか」――と。

 正にそのとおりだと思う。わたしだって、もし立場が違ったら同じような疑問をもつだろう。じつをいうと、ある日突然、夢の世界での記憶が現実の世界に舞い戻ってからも、消去されなくなってしまった。当人にとってこの異変は、驚天動地、地震にたとえるならマグニチュード「7」の激震だった。

 だれだってそうだろう。現在の家族以外に、急に血肉を分けた、もう一組の愛しい妻子が天から降ってきたとしたら――。

 しかも彼らは得体の知れぬ遠い国に住んでいる。思慕の念が募って当然ではないだろうか。

 幸い夢の世界にいるときに、現実の世界の記憶が甦(よみがえ)ってきたことはない。仮にそこでも、現実の世界の記憶をひきずっていたとしたら、わたしは今度は現実の世界の家族たちに対する思慕の念に苦しめられていたはずだから……。

 ところが間もなく、また強烈なアクシデントに見舞われ、決定的なダメージを受けてしまったのだった。夢の世界へいくことができなくなってしまったのである。ドームを回転しながら下降していくのも、下降の途中でブーン、ブーンという奇妙な音をともなう震動に遭遇するのも、以前と何も変わっていない。

 それなのに朝、目覚めたとき、わたしの頭のなかはまったく空白である。夢の世界の家族の姿を必死で思いだそうとするのだが、新たなページは、どうもがいても開いてはくれない。 

 夢の世界で過ごす日々の記憶が、現実の世界に戻っても、なお色褪(あ)せることなく生き続けるほうが、そもそも不自然なのだ――と、事態の変化に順応しようと努力はするのだが、一度でも別世界に通じる記憶装置のふたが開き、内部をのぞいてしまった人間にとって、再びふたが閉じられるのは、形容しがたい苦しみである。

 ふたが開いたときもショックだったが、閉じられたときのショックは、その数倍も大きかった。

 霊能者の今泉天心師(今は故人)を訪ねたのは、木枯しが音を立てて吹く、ある冬の一日だった。師は八十歳近くになっておられたが、白く太い眉と、少年のようにいきいきと輝く瞳が印象的だった。

「苦悩の原因が原因だけに妻にも打ちあけることができず、毎日が地獄の苦しみです」と、すがるような思いで師に訴えた。
師は孫のような年齢のわたしに、いたく憐憫(れんびん)の情を催(もよお)されたようだ。

「あすのあさ、もう一度きなさい。今夜にもわたし一流の方法で解決の糸口を見つけておきましょう」
 と自信に満ちた表情でほほえまれるのだった。翌朝、気もそぞろに再訪したわたしに師は告げられた。その言葉はわたしを驚愕(きょうがく)させた。

 師は柔和な瞳をいっそう細め、静かに話された。
「昨夜わたしは、あなたのファミリーに会ってきましたよ。奥さまは色白で背が高く美しい。童女のように純心な心の持ち主ですね。三人の子供さんも、みんな素直でけがれがない。すこぶるできのよい子供たちです」

 わたしは思わず身を乗りだしていた。
 師の言葉が続く。
「あなたは、蒸発したことになっています。奥さまはその原因を作った、自分の頑固な性格を悔いておられました。心配のあまり一時、身体を損(そこ)なわれたようですが、今ではお子さんたちに励まされ回復、友人の紹介で小さな会社に勤め、事務をとっておられます」 

 師の一語、一語がわたしの胸を裂いた。
 そのころ、朝の目覚めはもちろん、昼間のうたたねから覚めると、いつも決まって原因不明の深い哀しみに襲われた。睡眠中に夢を見る。他愛のない、どちらかといえば喜劇的な内容なのに、覚めてなお涙がとめどなく頬を伝ったりした。夢の世界の家族の嘆きが、わたしの魂を直撃していたとしか考えられない。
「どうすれば彼らに再会できるでしょうか」
 師はわたしの問いには答えず、再び瞳を閉じられた。
「もう一度妻に会って、ぜひこれだけは伝えたいのです。“きみがいやになって戻らないのじゃない。戻れないのだ”――と。このひとことをどうしても伝えたい……」
「わかりました。ただし……」
 と師は言葉を区切り、それから諭(さと)すように、こうおっしゃった。

「行って別離を告げてきなさい。その後は、もう夢の世界へ行くことはなりません。いいですか。時間と空間の制約を受けた三次元世界に住みながら、次元の異なった世界に居を構えるのは宇宙の法則に反しているのです。いつか破綻がきます。もし、あなたが夢の世界への訪問をやめなければ、遅かれ早かれ、かならず発狂するか、もっと不都合なことが生じてくるでしょう」

 師は、瞑想中に人体のある回路が誤まって開いたため、このような異なった世界へ通じてしまったのだと説明してくださった。

 わたしはたずねる。
「わたしが知った夢の世界は、わたしの想像の産物でしょうか。それとも実際に存在する世界なのでしょうか」

「実在しています。いろんな世界が複合し重なり合って存在するのが、この宇宙なのです。四次元、五次元……の世界といっても、遠くはなれたところに存在するのではない。われわれのすぐそばに在るのです。次元が異なるため、人間の眼には見えないだけなのです」

「そういえば……」とわたしは古い話を思い出し、師に語った。
「中学時代の友人に聞いたのですが、彼が夕方、物干し台ですずんでいたら、ふいに中空からおびただしい人間のざわめきが聴こえてきたというのです。彼は直感的に宇宙には、地球のような世界が無数に重なり合って存在していると感じたそうです」

「そのとおり。地球のような三次元世界は無数に存在する。また次元も無限に続く。各々の次元は、無数の低い次元を内包し、さらに俗にいう霊界、幽界など、さまざまな世界が縦横無尽に綾(あや)なしているのです」

 短い沈黙が流れたあと、師はやおら座り直し威儀を正しておっしゃった。

「じつは昨晩、わたしは夢の国へ行ったと申しましたが、そのときに奥さまにあなたと手を切るよう引導を渡してきたのです」

 わたしは絶句した.
「あなたが行った夢の世界は確かに実在の世界ですが、そこに住む住人たちは魑魅魍魎(ちみもうりょう…(「魑魅」は山林の気から生じるばけもの、「魍魎」は山川や木石の精霊)いろいろな妖怪変化。種々のばけもの)。これは言葉ではちょっと説明できませんが、簡単にいえば化生の世界。わたしたちのように母胎から生まれてきた者は一人もいない。宇宙にはこのような世界も在るのです」

 最愛の女性さやかへの追慕の念に、わたしの心は千千(ちぢ)に乱れていた。師はわたしの手を取り、励ますようにおっしゃった。

「さあ、瞑想をしましょう。今から夢の世界の家族に会わせてあげます。別れの言葉を告げてきなさい。そして、そのようすをノートに書きとめておきなさい。その後、夢の世界の記録をいっさい消してあげましょう。そうすれば、もうあなたは苦しまなくてすむ」

 思えば数奇な体験だった。師に救われなければ、わたしはきっと廃人になっていただろう。この小記をしたためるにあたって、十数年ぶりにノートを開いてみた。妻さやかとの永遠の別離の日は、次のようにしるされていた。

 八ヵ月ぶりの帰宅。妻もわたしも言葉をもたなかった。ただなすすべもなく茫然と見つめ合っていた。

 ふたりとも滂沱(ぼうだ)と流れ落ちる涙を、拭うことさえ忘れていた。妻は少しやつれて見えたが元気そうだった。

「さようなら」
 わたしはやっと、心の底から声をしぼりだしていった。
「さようなら。別れるって、こんなにもあっけないことなのね」
 と妻は手の甲で涙を拭(ぬぐ)い、それから顔をおおって子供のように声を上げて泣いた。

 この愛(いと)しい彼女が、魑魅魍魎とは……。宇宙は真実、神秘、複雑、怪奇である。

老子のこと、丿貫(へちかん)のこと

老子『道徳経』81断章

01 本当の道は固定したものではない。
02 価値は相対的なもの
03 政治は人びとに干渉しないのがいい。
04 和光同塵 道は万物の根源
05 無心 空っぽの心を守る
06 玄牝 万物を生む深遠なる母性
07 無私の人は自分を貫ける。
08 上善は水のごとし
09 成功し偉そうな顔をしていると、
  いずれ身を滅ぼす。
10 玄徳 自然な生き方がいい。
11 無用には大きな働きがある。
12 ぜいたく、刺激を求めると
  おかしくなる。
13 欲望より、自分の身体が一番大切
14 道紀 道が今も私たちを支えている。
15 満ちていっぱいにならないから、
  どんどん新しく生まれてくる。
16 道と一体になれば、人間の王者である。
17 上の者は、余計な口出しはしない。
18 道と一体になれば、徳はいらない。
19 さかしらな知恵才能は要らない。
20 道に従うと、田舎者のように見える。
21 昔から今まで道は存在し続けている。
22 少なければ得られ、多ければ迷う。
23 道と徳に生きれば、言葉は要らない。
24 自らの才能を誇り、自慢する人は、
  長続きしない。
25 道にしたがって生きる人は、
  偉大な存在となる。
26 軽率で騒がしい行動をすると、
  多くを失う。
27 すべての者に存在意義がある。
28 人がもともと持っている
  本質的な価値を知る。
29 過度なこと、ぜいたく、
  驕ったことはしない。
30 道に従う人は、目的を果たすだけだ。
31 戦争は、やむをえない場合だけに。
  決して賛美するものではない。
32 道は、いつも名がない。
33 足るを知る者は、富む。
34 大道の人物は自らを大人物としない。
35 道を守れば、平穏無事で落ち着く。
36 微明、柔弱は剛強に勝つ。
  利器はむやみに人に示さない。
37 道は常に無為、すべてを
  見事に成し遂げる。
38 本物の徳がある人は、
  徳を施したことを意識しない。
39 一は唯一の根源、道と一体である。
40 根源にかえろうとする道の働き方。
41 大器晩成
42 人を倒し力ずくで進む者は、
  不幸になる。
43 不言の教え、無為の益
44 足るを知れば、辱められず。
45 本当にうまくいっているわざは
  拙く、欠けているように見える。
46 「足るを知る」の足るは、常に足る。
47 家を出なくても天下がわかり、遠くに
  行くほど本当の知は、少なくなる。
48 道を修めていくと、
  余計な知識は減って無為の境地に。
49 道と一体となっている聖人の心は、
  一般の人々を自分の心としている。
50 道に従い、生に執着せず、
  柔らかく生きる。
51 万物はすべて道を尊び、
  徳を貴ぶ。常に自らそうなのだ。
52 道を把握したなら、万物もわかる。
  欲望の入口を閉じれば疲れない。
53 多すぎる蓄財、贅沢すぎる暮らしは
  道にはずれている。
54 道を修めると、その徳は本物になり、
  その功徳は計り知れない。
55 赤ん坊のように柔軟であれば、
  道に近くなる。
56 知ったかぶりする人は、
  本当の知者ではない。
57 便利な道具が多く出てくると、
  世の中に変なことがよく起きる。
58 政治がきめ細かく行き届くと、
  人びとはずる賢くなる。
59 人や国を治めるには、慎ましく
  ひかえるに勝るものはない。
60 大国を治めるのは、小魚を煮る
  ようにするとよい。
61 大国は静かでへりくだることが
  大切である。
62 道は善人もそうでない者も、すべてを
  守っている。道は天下で最も貴い。
63 怨みには、徳でもって報いる。
64 千里の行も、足下より始まる。
65 道を理解し実践した者は、人々を
  多くの知恵で聡明にするのではなく、
  むしろ愚直にしようとした。玄徳
66 人の上に立つ人間は、へりくだれる。
67 慈愛、節倹などを三宝を保つ本当に
  立派な人間は、愚か者に見える。
68 道を身につけた人は、決して怒らず、
  相手にへりくだっている。不争の徳
69 戦いを悲しむ方が勝つ。
70 粗末な服を着ていても、心の中には
  宝を抱いていたい。
71 知っていることでも、まだわかって
  いないことがあると自覚する。
72 人々を圧迫する、そのような政治を
  してはいけない。
73 天網恢恢 疎にして漏らさず。それは
  勇気を出して、戒めていくこと。
74 圧政を行えば、悪い結果ばかり
  起きてしまう。
75 税を多く取りすぎてはいけない。
76 強くて大きいものは下位にある。
77 本当の賢者は、賢さを人前で
  示さない。
78 本当に正しい言葉は、常識とは
  反対のように聞こえるものだ。
79 天は常に善人の味方である。
80 自分たちの衣食住と暮らしを
  最高に思う。
81 本当に実のある言葉は華美ではなく、
  本当の善人は、口上手ではない。


丿貫(へちかん)
山科での、世捨て人同然の暮らしの中で茶の湯をたしなんだ、稀有な茶人。利休が招かれた折、露地に落とし穴があることに気づきながらあえて落ちてみせると、丿貫は風呂を用意しており、清々しい気分で茶を楽しませたと伝わるほか、北野大茶会では朱塗りの傘を立てて秀吉を感心させるなど、利休も一目置くユニークな存在でした。

脂肪肝と分かった

最近、お笑い、過去のM-1グランプリを観るようになった。基本、あまり面白さがわからないが、、2017年優勝の「とろサーモン」は笑えた。毒気の昇華、、二人の苦節16年が報われた瞬間は感動した。

21日、市川の国府台病院の肝臓病教室に行った。ベンチマーク、CAP321がどの程度の脂肪肝なのか、質問したかったのだ。

是永先生の回答は「多少バラツキはあったとしても、CAP300以上は脂肪肝です」と明解な答えで、納得できた。行ってよかった。わたしは脂肪肝を患っていると分かったことは、ありがたい。

それにしても、最新の薬アヴィ?は8週の服用で、済むらしい。C型肝炎治療の進歩は著しく、見まごうことなく完治の時代に入った。

なので、教室にはC型肝炎を病んでいる人々はもういない感じがして、、終了後、お会いできたのはクニクニさんだけだった。群馬に戻られた飯野さんはみえていなかった。

教室は満員だった。ただC型肝炎患者がいないない感じがした。それは喜ばしいことなのだが、妙に、一種の無常感がよぎった。かつての高揚感はなく、受講者風景は様変わりしていたからだ。

けれど、わたしの場合、脂肪肝は決して他人事ではない。あらためて肝臓を大切にする動的平衡の基本にかえろう。脂肪肝がテーマとなるときは出席しよう。そうだ、千葉県の住民ではないが、千葉県の肝炎コーディネーターを担っていこう、胸にバッチをつけ(サラリーマン時代一度も胸にバッチを付けなかったが)、あえてフラッグを立て、属性をもつのだ。

さて、年齢と肝機能データをもとにしたFIB-4 INDEX計算によると、

現在、年齢65歳、AST19、ALT16、血小板19.7のわたしは、FIB-4は1.57とわかった。
それぞれ数値を変えて試算したが、どうも
年齢の変数が一番影響するようだ。加齢による代謝力の衰え、劣化は侮れない。

ちなみにわたしのコリンエステラーゼが222と低いこと、、その意味がわからない。
C型肝炎の25年間の長患いにより肝臓全体の働きが悪いからとは思うが、、脂肪肝ならばコリンエステラーゼは上昇するはずなのに、低値のままが続いている、からだ。

是永先生のレジュメはいい。参考になる。
例えば、全く知らなかったFIB-4のこと
(1)1.3以下は低値。90%繊維化なし、
(2)1.30~2.67は中間値、詳細があるが不明点が多いので、省く。
(3)2.67以上は高値、要肝生検。
2.65以上は高度繊維化症例がある。

なので、わたしの1.53は中間値の低い方だろう。

決めた、、これから1年かけて、肝臓を内観するナラティブ思考(脱エビデンス思考)を前提に、プチ不食と運動療法で、脂肪肝から正常な肝臓に戻すことに注力する。CAP250以下にする。

そのナラティブ思考ために、

是永先生のレジュメにあった「肝臓からみた糖と脂肪の流れ」の6つの肝臓図を常に鮮明にイメージできるようにしよう。その肝臓図のタイトルや言葉は、こうだ。

1.解糖とは、つまり食事をするとき=エネルギー産生やエネルギー源貯蓄とは、

グリコーゲンや脂質(中性脂肪)として貯蔵されること。

糖質は消化管からグルコース(短糖類)の形で、門脈を介して肝臓へ送られる。動脈中からグルコースを取り込むことはない。

エネルギー源貯蓄はグリコーゲンという合成酵素である。

2.過剰なグルコースはグリコーゲンや糖質として貯蔵される。中性脂肪は脂肪酸とグルコースからなる。

3.肝臓に貯められない中性脂肪は、内蔵脂肪へまわる。

糖分(炭水化物)の取りすぎは脂肪肝になる。

4.グリコーゲンは絶食一日で消費される。グリコーゲン→脂質→タンパク質(糖新生)

骨格筋(骨格を動かす筋肉)のグリコーゲンはグルコースにならない。

5.肝臓のグリコーゲンが少なくなると、中性脂肪が遊離脂肪酸となり、消費される。

睡眠時に脂肪は燃える。但しグルコースにはなれない。

そうか、やはり週のプロトコルで、プチ断食は大事だな。2010年の大腸がん手術前から術後にかけて不食になったが、うまく言えないが肝臓にはいいな、、という感覚は記憶にある。空腹の恒常感がカラダにいい
という感覚だ。

6.さらに飢餓が継続すると、糖分が欲しくなる。筋肉から糖原性アミノ酸を使用して、ピルビン酸を作ります。それから糖新生が。

重要なのは、筋肉は「第二の肝臓」であることだ。筋肉がないと脂は燃えないことと心しよう。安静はダメ、運動が必要。

7.脂肪肝になると肝臓中では勝手に脂肪を合成する。ダイエットすると、脂肪吸収、産生が亢進する場合もある。

中性脂肪スパイラルが始まるということのようで、肥満細胞の増勢。グリセロールの登場。

食べすぎは脂肪肝の原因になる。なるべく朝方に食べる。

わたしの場合は、当分、朝食2:昼食1:夕食1のイメージで、食事を意識しよう。そしてお酒は機会飲酒のみにしよう。

気になるのは、サントリーセサミンとDHCのDHA(血中の中性脂肪値を低下させると能書きあり)を飲み続けているので、その影響がどうなるかだ。

ちなみに、セサミン効果は体温の維持で実感している。以上だ。


あっ、今、肝硬変で亡くなった叔父の言葉がよぎった。『もっと身体のことを考え、筋肉をつけておけばよかった』と。

CAPを脂肪肝マーカーに立てる

師走に入った。

伝教大師 最澄曰く、
家に讃教の勤めあれば、
(正法を褒めたたえる勤めあれば)
七難必ず退散せん


必ず、とはさすが最澄、強い言葉だ。
日常言語で「必ず」と言える人はそうそういない。

さて、
1.国府台病院の診察メニューに昨年から
「Lookin Body Health care System」を
入れている。それは
体成分分析
筋肉・脂肪
肥満指標
部位別筋肉量
部位別水分量
という5項目からなる。
主な数値は、体重71.7Kg、BMI26.1
体脂肪量19.3Kg
内蔵脂肪面積78cm2だ。

あぁ、こうして書き込むと、
少し腹に落ちるから不思議だ。
やはり書くことは、学びの足がかりだな。

2.実は、この1年で5Kg以上肥ってしまった。が、深刻にとらえておらず、意識すれば65Kgくらいに戻れると信じている。

そうだ、そう自分を信じているから、
どうにも不思議だ。

3.血液検査の結果は、12/3の場合も
AST19,ALT16,γ-GTP18と基準値内に留まっている。C型ウィルスが除去された後、ずっとこうして基準値内にいる。ありがたい。

4.ただ、主治医青木先生は、脂肪肝の傾向にあるから要注意と言われた。その根拠は、血液検査結果でなく、CAP数値が昨年304dB/mから今回321dB/mへと増加傾向を踏まえての指摘だった。

追記、わたしの肝臓はもしかしたら、「まだら脂肪肝」なのかもしれない。

CAPとは、Controlled Attenuation Parameterの略称。それは、肝硬度測定法であるtransient elastography施行の際に使用される超音波情報を用いて,超音波の減衰から肝脂肪の蓄積度を定量化する手法である、、と。

5.決めた!これからは血液検査結果で安心せず、フィブロスキャン重視で、臨もう。2020年は11月17日に国府台病院に行く。

6.『CAP肝脂肪量測定による非アルコール性脂肪性肝疾患の非侵襲的診断法の有用性について』という論文がある。筑波大学の研究者たちのCAPの有用性が論じられている。素人には読みづらいが、フィブロスキャン被験者の自分にうってつけの論文だ。
要旨は、
イ.CAPはNAFLD(非アルコール性脂肪性肝疾患)診断と治療の効果測定に有用なモダリティである。

ロ.NAFLDの一部はNASH(非アルコール性脂肪性肝疾患)に移行し、肝硬変、肝がんへ進行する。したがってNAFLDの存在を早期に発見し、適切な食事療法や運動療法などのNAFLDの進展抑止に向けた生活指導やちを行うことが重要である。

ひとまず以上だ。

7.国府台病院の肝臓病教室が12月21日(土曜日)14時から開催される。テーマと講師は
(1)脂肪肝の食事療法 
  栄養管理室長 岡部司 氏

(2)なぜ痩せないの?本当は怖い脂肪肝
肝炎情報センター 肝疾患研究室長 是永先生

私にとってタイムリーなテーマなので、受講するつもり。

さらに、再び、毎日体重測定し、万歩計の記録することに。わが無意識に働きかけるのだ。

映画「ストーン」のあらすじ

前回の仮説の下敷き、インスパイアになった映画「ストーン」のあらすじをコピペしておきたい。

名優エドワード ノートンがストーン役に。

①もうすぐ定年の釈放管理官・ジャックはストーンという男性の担当に。放火の罪で投獄されたストーンはジャックを懐柔するために妻・ルセッタに、ジャックを誘惑するよう指示。ところが直後から、ストーンは宗教にはまる。

②宗教により心の安寧を得たストーンは真人間になった。ジャックはルセッタと関係を持ち、自分の尺度が正しいのか揺らぐ。釈放されたストーンは常識的な人間になるが、ジャックは対照的に自分に自信が持てなくなった。

【起】- ストーン(2010年)のあらすじ1
アメリカ・ミシガン州デトロイト。
ジャック・メイブリーは結婚43年をかぞえる釈放管理官です。刑務所に収監されている罪人と会い、保釈の審理を提出するかを決める人です。
ジャックには妻・マデリンがいました。
マデリンはジャックとの結婚初期、まだ幼い娘・キャンディスを連れて家を出ようとしたことがありましたが、その時ジャックは「出て行くならキャンディスを2階から落とす」と脅された過去があります。
以後マデリンは夫・ジャックと一緒に暮らしていますが、その結婚生活は必ずしも幸福なものとは限りませんでした。

とはいうものの、ジャックの仕事ぶりは真面目なものです。
そんなジャックも、もうすぐ定年を迎えるところでした。
ジャックの元に、ジャニスという女性釈放管理官が派遣されます。ジャックの定年退職後、引き継ぎを行なう予定です。

ジャックが最後に担当したのは、ジェラルド・クリーソンという中年男性です。ジェラルドは本名が好きではないらしく、「ストーンと呼んでほしい」と言います。
ストーンは放火犯で、11年の服役を言い渡されていました。現在は服役8年目で、獄中生活はもう耐えられないと言っています。
ストーンには美人の妻・ルセッタがいましたが、新婚1年目にしてストーンが捕まったので、ほとんど一緒に暮らしていませんでした。

ストーンの罪は共謀と放火です。
従兄弟のティーチが祖父母を殺してしまい、ストーンはその家を焼いたのでした。

ジャックはストーンと面接しますが、ストーンは饒舌な男です。聞いてもいないのに、べらべらとよくしゃべります。
ストーンはドレッド・ヘアに口ひげ、あごひげを蓄えた男で、ちゃらちゃらした印象を受けました。ジャックは注意して観察します。
ストーンは、ジャック相手には一筋縄ではいかないと考え、面会の折に妻・ルセッタにジャックを誘惑するよう言いました。自分の釈放を早めるためです。
ルセッタは夫の言葉にOKし、その日からジャックの家に何度も電話をかけました。

【承】- ストーン(2010年)のあらすじ2
妻のマデリンが電話を受けて伝言してもジャックは無視します。
あまりにも電話がかかるので、留守番電話にしておくよう言います。

同じ頃、ストーンは獄中の図書館で聖書に目を留めます。
今まで興味のなかった分野だったのですが、別の黒人囚人が読んでいるのを見て初めて興味を持ったストーンは、他の宗教書にも目を通します。
ストーンが一番しっくりきたのは、カルト教『ズーカンゴールの力(ちから)』というものでした。その教祖・アーノルドは「音がすべての命につながっている」と説いており、ストーンはその日から、音を探し始めます。

“真の音を聞くことは恐ろしくも心洗われる体験である。真の音に抱擁された時、人は俗世を超え神の響きを帯びた音叉となる。”


夫・ストーンにジャックを誘惑するよう頼まれた妻・ルセッタは、何度ジャックの自宅に電話をかけても出ないので、ジャックの仕事場に押し掛けました。仕事場とはすなわち、刑務所です。
当初ジャックは「家族が釈放管理官に接触するのはよろしくない」と断りますが、ルセッタが押しかけ、電話もかけてくるので、会うことにしました。
ルセッタは保育士をしており、夜は時々(いつもではない)客をとっています。
ルセッタと食事をしたジャックは、気まずくてべらべらしゃべって場を取り繕おうとしました。
腰痛が持病と聞いたルセッタは、身体にたまった毒を抜く石というものがあると言います。
興味を持ったジャックはルセッタの家を訪れました。その石は一種の磁石で、靴の底に敷き詰めると身体に効くそうです。
若くて魅力的な女性・ルセッタに誘惑されたジャックは、関係を持ちました。ジャックはルッタに口止めをし、その替わりに審査を見直すと言います。
そしてそれ以来、ジャックは何度もルセッタと関係を持ちました。どんどん若い女性・ルセッタにのめりこみます。
家では、妻のマデリンが、すでに結婚してデトロイト北部に家庭を持っている娘・キャンディスが離婚して、3歳の孫・ケイティを抱えて大変なことになりそうだと話をしますが、ジャックは娘のことも、うわのそらでした。


【転】- ストーン(2010年)のあらすじ2
ストーンの身にある日、衝撃的なことが起こります。
囚人同士が喧嘩をし、ひとりの黒人を殺しました。殺した男は看守に取り押さえられます。
他の囚人はみんな喧嘩をけしかけますが、ストーンだけは静かにじっと殺された男性を見ているだけでした。
その時ストーンには、『ズーカンゴールの力』の教えのように、音が聞こえ始めたのです。
これは啓示だと思ったストーンは、以後すっかり信心深くなりました。ドレッド・ヘアもやめ、穏やかに静かに獄中生活を送り始めます。
別人のようになったストーンですが、ジャックはそれを信じていませんでした。ストーンには何か魂胆があり、仮釈放のために穏やかになったような振りをしているのだと勘ぐりました。
ジャックはストーンに揺さぶりをかけますが、ストーンは神の存在について説くだけです。
ストーンの妻・ルセッタも「お芝居だ」と思います。

ジャックは仮釈放の審査を提出しますが、まだストーンを怪しいと思っていました。問い詰めますが、今や信心深くなったストーンは何も臆することがなく、むしろジャックが動揺します。
ジャックは司祭に会い、質問してみました。それでも理解できません。
ジャックは結婚後、毎週教会に通う人間でしたが、根本のところでは神様の存在など信じていない人間だったのです。それがストーンと接することで、否が応でも徐々に自分でも分かるようになります。
ジャックはストーンの妻・ルセッタに質問してみました。ルセッタも神様の存在を信じていません。
自分の妻・マデリンに質問すると、マデリンはストーンがはまっている宗教『ズーカンゴールの力』について知っていました。すべての始まりは石や鉱石なのだという教えに基づき、音によって命を感じるのだとジャックに説明します。

結】- ストーン(2010年)のあらすじ4
囚人のストーンの方が罪人でありながら神様という存在を得て、なんだか立派な人間だとジャックには思えてきました。そう感じるジャックは、結婚以来毎週の教会通いをしながら、全く神様の存在を信用できません。

ストーンが仮釈放になりました。釈放されるストーンはジャックに「あんたは(神様どころか)自分さえ信じていないんだろう」と言われ、ショックを受けます。
さらに「妻と寝たろ。聞いた。立派な違法行為だよな」と立ち去り際に言われました。
ストーンの妻・ルセッタからも「これからもいい友だちでいましょう」と、意味深長な言葉を投げかけられます。

ジャックはその日から、釈放されたストーンが仕返しに来るのではないかと怯えます。
ある夜、ジャックの家が火事になりました。
妻のマデリンを呼んで外へ出たジャックは、火事はストーンの仕業だと怒りに燃えます。
しかし妻のマデリンは「台所の壁の配線がバラバラなせい」「地下に古いぼろきれがたくさんあったから」と、誰かのせいにせず自分が悪かったと思いました。
マデリンは「私にはまだ信仰に意味があるの」と言います。マデリンもストーン同様、神様の存在を信じる人間でした。

結局、火事はストーンの仕業ではなさそうでした。
退職祝いが開かれた日、ジャックは後任の女性・ジャニスにセクハラまがいの発言をし、やんわりと断られます。
ストーンのせいで自分がおかしくなったと考えたジャックは(完璧な逆恨み)、ストーンの家に行ってストーンを待ち伏せし、銃口を向けますが「撃てないんだろ」と言われ、撃てずに終わります。
ストーンが宗教に目覚めたのは本当のようでした。

退職の日。
自分の私物を片付けたジャックは、囚人ではなかったものの、この数十年、刑務所という牢獄に、ずっと閉じ込められていたのと同然だと思いました。

以上だが、このあらすじ、女性が書かれた感じがして、微妙に違うなというものが
ズーカンゴールという名の宗教は実在しないようだが、、何かささってくるものがあり、、3回以上この映画を観ている。

ストーン役、エドワード ノートンの表情がだんだん変容していく様子は、みごとだ。この映画、もっと評価されていい。

「暇と退屈の倫理学」を読んで

だいぶ前に、100分で名著で「スピノザ」が取り上げられた。話の進行役は國分功一郎という東工大の教授だった。

おぉ、いよいよスピノザが俎上にか、と思いながら、國分氏の話を聴いていたが、、
彼の声はやや高く、薄っぺらい感じがして、なんだかな、、とその100分を眺めていた。

ただ、スピノザの「エチカ」は後半から読むといい、という指摘は、なるほどそうかもしれない。それで、岩波文庫で下巻を購入した。が、積ん読で、いまだ読んではいない。

過去の哲学者のそれぞれが、わたしたち一人ひとりの、「思考のOSなのだ」と指摘された。そう、その通りだと深くうなずいた次第。

つまり國分功一郎さんの第一印象はかんばしくなかったが、、

今は、ハマっている。なんというか、思考の回路がいい。一人悦にひたってなんかないところや、自分が関心をもっていることの近くを歩いている感じがして、いいのだ。

國分さんは「スピノザの方法」や「中動態の世界」とか出されていて、いつも通り図書館借り、かつ中途の読書だが、これまた二つともいい。ヒントが横溢している。たが、みすず書房の本なので、高くて買えない。

近頃の、哲学者を標榜する若い学者には、単純な自前の、言葉のレッテル貼りすぎないのに、哲学していると悦にひたっている学者が、数人おられる。そう人が自己を「哲学者」と呼んでいる。恥ずかしくないのかな、例えば「無痛文明」の某氏とかは無痛文明というレッテル貼りに悦んでいるにすぎない。

ところが、國分功一郎さんは、痛みを伴いながら、ご自分が考えてきた足跡をしめしてくれている。

ちなみに、だが、思考そのものは、言葉によるけれど、肝心なところを文に表すにはかなり難しいものではないか、文は思考の外側をかろうじて表すにとどまるのでは、と思っている。

もとより私なんぞは、思考するなんてものはなく、さまざま連想しているだけだが、

あえていうと、明け方に目覚めた「無所属の時間」(山本七平)は、みな、いい感じで哲学しているのではないか。それを書き表せないところが、まさに哲学している現象を示している。


さて、さきほど國分功一郎「暇と退屈の倫理学」を読了したが、、これがまた、思いあたることが多く、いいのだ。




肝臓の定期検査

6月12日(火)市川の国府台病院へ11時すぎに到着。やっぱ練馬からでは遠く感じた。検査は半年ぶりだ。

1.採血室で管6本をとったあと、1階の検査室で超音波、フィブロスキャンを行った。

今回は医師ではなく、2009年から勤務されている女性の検査技師だった。検査の仕方は手慣れていて、見落としはない感じがした。

前回と同じように「すい臓をよく診てください」とお願いしたら、その前に、麦茶を飲ませていただいた。画像がみやすくなることをわかっているのだ。ありがたい。ただ、技師さんは「すい臓のむかって右端の方は、ぼやけていて見えずらかった」といわれた。が、問題ないようだ。

検査表で、肝臓の辺縁は「鋭」にチェックが入っているのが、うれしかった。それだけでなく、検査表は肝臓、胆のう、胆道、すい臓、腎臓、脾臓といずれも「異状なし」チェックが入っていた。半生を振り返ると「オール異常なし」になったのは、たぶん、発病以来初めてではないかな?

肝機能データはAST18,ALT15,γ‐GTP16、コリンエステラーゼ215L(基準値より25低い)、血小板19.0などで、肝機能はほぼ問題ない。かつてミゾオチあたりが、ふいに差し込む痛みが走ったものだが、今はそう感じることはない。

ハーボニ―治療後2年経過したが、もう「C型肝炎は治った」と言えるだろう。

ただ、やや注意すべきことは、フィブロスキャンの肝硬度は5.3kPaだったが、、
CAPが268dB/mとあった。その基準値は150dB/mであり、それより118dB/m高いと知った。放っておくと脂肪肝になるらしい。青木先生の指摘はやや動揺した。それでも、前回12月は315dB/mもあったわけなので、それと比べれば減少傾向にあるのだから、さらに減らすように、意識付けよう。注意していけば、きっと、基準値におさまるだろう。

2.続いて、栄養管理室で「Lookin'Body」ろいう装置で筋肉量などの検査をし、管理栄養士のかたに食生活の指導をいただいた。「筋肉・脂肪」「肥満指標」「部位別筋肉量」「部位別水分量」といずれも標準値の範囲におさまっていた。

また基礎代謝量は1587Kcalとのこと。したがって毎日2000Kcalほど摂取しても、大丈夫だと栄養士の指摘。大事なのは食べ物の量の目安、たとえば「ごはん一杯の量」とかなのだが、具体的にサンプルを見せてくれたので、納得できた。

わたしの問題は、三食より間食に、しかも甘いもののとり過ぎにある。糖分はとり過ぎると脂肪に代わるという話は、新鮮だった。なのでこれからは週三日の甘いもの摂取とか、リズムを作ることにしよう。決めた!ひとまず火、木、土は甘いものを遠ざけることにする、、と。

3.青木先生の診察は13時すぎで、初めて、院内アナウンスで呼び出された。デイリーヤマザキで食事を終えたところだった。診察に入ると、前回もそうだったが、互いに笑顔だった。青木先生ははっきりこう言われた。「あなたが肝臓がんになる、そうなることないのではないか」と。わたしも、そう感じていた。

肝臓病の「終わった感」があった。完治とはこういう感覚なのだな、なぜだろう、嬉しさというより寂寞に近い無常観がある。失われた二十数年。。。

そこで、定期検査を終了し、C肝卒業の話題にもなったが、、CAPが268dB/mがどれだけ下がるか確認したいので、半年後の12月の検査をお願いした。12月、CAPが基準値に入いるようになったら、国府台病院を卒業しよう。

年内は、この病院に青木先生もおられるといわれていたが、さて来年はどうなるかと、、ほほ笑まれていた。

そうだ、この日、溝上先生とすれちがった。その際、心から感謝を申し上げた次第。本当に、溝上先生の存在は大きかった。偉大だった。決して、忘れない。

診療明細書は入手した方が、いい。

諸事をつらつらと。今朝から発熱と頭痛。久しぶりに風邪をひいたようだ。PLを飲んだら沈静化した。

1.だいぶアンドロイドスマホに慣れてきた。とりわけ、アマゾンプライムの映画が見放題になったのがいい。前の、iPhoneのときは、制限がかかってスマホでは見れなかったのだ。最もチープな契約だったからだろう。その点、アンドロイドはフリーなのがその違いなっているのかもしれない。

2.昔仲間である陽一氏の、脳溢血で寝たきりの奥さんが障害年金が1級で認められた由。年間98万円程受給される。オムツなどは消耗品はこれで賄われるだろう、、ひとまずは、よかったねと返信した。わたしが気付き、陽一氏に手続きすることを強く促したのだ。これで、少し資金繰りが楽になるのではないか。

3.10月3日に国府台病院の診察を受けた。11時半に入り、採決のみ、エコーはしなかった。診察は13:30過ぎだった。青木先生は、どこにも問題はないと言われた。その主なデータはこうだ。

と思ったら、データの紙がみつからない。覚えているコリンエステラーゼがまだ基準値以下だが、徐々に増加傾向にあり、次回はもっとよくなっているだろう。

4.なんだか、もう今後の経過観察をうっちゃりたくなって来ている。肝がんができる感じがしない。これが油断というやつかな。

5.さて本題、国府台病院の診察を終え、会計の段になって7640円とあり、なんか高いなと感じながらも、精算をすませた。いつも領収書だけでなく診療明細書も、もらうようにしていた。それで、さっき明細書を見たら、肝硬度測定として200点ついていた。フィブロスキャンのことだが、やってなんかない。いつもエコーとともにフィブロスキャンは行っている。なので誤計上は明らかだ。忘れないうちに、電話して、ただすことにしよう。

みなさん、診療明細書は捨てずに前のものと見比べた方がいいですよ。。

追記、診療明細書のことを病院に確認したところ、
血液検査で肝硬度を測定したのだ、そういうオーダーが青木先生から出されいたと。血液検査で肝硬度がわかるなんて、新鮮だった。次回、その検査結果を確認しよう。

 
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「持続する志」はいつまでも
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