先々週のNHK深夜番組
「爆笑問題のニッポンの教養」で、分子生物学者である福岡伸一教授との対談がありました。
そこで再度、講談社現代新書「生物と無生物の間」を肝炎患者の視点で、ノートをつづります。
視点1.ウイルスは生物であるか、無生物であるか。
福岡教授の答えは
「ウィルスは生物ではなく、限りなく物質に近い存在である」
生物を自己増殖能力ととらえると、ウィルスは細胞に寄生するすことによってのみ増殖するエイリアンさながらの存在だという。
但し、ウィルスは
・栄養を摂取しない。
・呼吸もしない。
・二酸化炭素を出すことも、老廃物を排泄することもない。
・一切の代謝は行なっていないのであり、
ウィルスは鉱物に似て、結晶化できる。結晶は同じ構造を持つ単位が規則正しく充填されて初めて生成する現象である。
ということは、ウィルスの場合、生命の定義ではなく、物理の法則が働くと考えることが自然ということでしょう。
私たちウィルス肝炎患者は肝臓に多量の鉱物を貯蔵していることになります。
視点2.ウィルス増殖を支配しているのは「エントロピー最大」という物理の法則である。
1933年にノーベル物理学賞をとったシュレーディンガーが、
「生命とは何か」(岩波新書)の中で、
展開する言葉がエントロピーという言葉です。
エントロピーとは乱雑さを表す尺度。
すべてのの物理学的プロセスは、物質の拡散が均一な乱雑さの状態に達するように、エントロピー最大の方向に動き、そこに達して終わる。
これをエントロピー最大の法則と呼ぶ。
意味がイマイチ不明ですが、
私が抱えるウィルス量5000超KIUに置き換えれば、
限りなく乱雑に向かってウィルスは増殖を続ける物理行動であり、
されど生命活動そのものではない、
といえるのではないか、と思います。
視点3.では、生命の定義は何か。
この本では、自己複製するものとする定義は過去のものであり、
「生命とは、自己複製システムではなく、動的平衡にある流れ」と定義することが正しいとし、さまざまな分子生物学の研究成果を展開しております。
生命とは、テレビのような機械ではなく、受精卵が成立したその瞬間から行進が開始される。それは
時間軸に沿って流れる、後戻りできない一方向のプロセスである。
生命を空間軸ではく、時間軸でみるべきということです。
その上で、
生命もまた、絶えずエントロピーを増大させつつある。
つまり、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいていく傾向がある。
そうして生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生きていくための唯一の方法は、周囲の環境から「負のエントロピー=秩序」を受け入れることである。
実際、生物は常に負のエントロピーを「食べる」ことによって生きている。
これを受けて、さらにシェーンハイマーという人物が言う。
「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。」
つまり、エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。
流れこそが、生物のの内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになる。昔、人間の細胞レベルだった思いますが、「7年」で全て代わると聞いたことがあります。
ところが分子レベルでは、歯であれ、背骨であり、「1年」で全く別のもになる、と書かれてありました。
また、食べたものの分子の半分は、そのまま私たち体のの分子と、日々入れ替わるのだ、という現象も、新鮮な驚きを感じます。
爆笑問題の太田氏は「ニッポンの教養」番組収録後に、こんなことを言っています。
太田:生物の本質が「分子の流れ」だとすると、じゃ、人間はただの媒体でしかないのかなって思っちゃうんですよね。地球のすべては、限られた分子の循環の中にある・・・ということでしたけれども、僕が思うに、宇宙全部が常に繰り返しなんだと思うんですよ。
以上、とりとめのないノートですが、
あらためて
食べることの重要性を感じました。
さて、ここからが勝手な思い込み、です。
食べる以外にも、ウィルスのエントロピーに抗う方法がきっとあるような気がしているのです。
インターフェロンだけでなく、
死に至る増殖を均衡させる方法、負のエントロピーは、きっとあるのでは、と。
あえて、妙なことを言います。
エントロピーの量に対抗できるのは、時間軸の典型である「音」「声」の量による対抗も有効だという、いささか東洋的な?発想です。
『声、仏事をなす』〜仏事とは「生命」の異名ととらえています〜
自分の肝臓に巣食うウィルスをイメージして、
朝でも夜でも、ふと気づいたときに、
「ウィルス消えろ!」とか、自分がピッタリくる言葉を、
ある種マントラでも唱えるかのような感じで、
数限りなく、流れるように唱え、かつ、もぐらたたきのような思念をおくってみる、
右手で肝臓のあたりをさすりながら・・・
ということです。
コイツ何言ってだろう!
怪しい!アホラシイ
と思われても構いません。
自分の体のことですから、量対声で、やってみることにします。
ちなみに、「負のエントロピー」に気づいたシュレーディンガーには、
インドの古代思想リグ・ヴェーダや、梵我一如の影響があったことを付言しておきます。