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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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今上天皇のこと

昨日の武道館、令和に改元され最初の「全国戦没者追悼式」のお言葉は、上皇ではなく、今上天皇であった。短いお言葉だったが、上皇の思い、平成の平和を堅持、持続させるという意志(意思ではない)を感じさせた。特に次の言葉

多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります

過去を顧み、深い反省の上に立って

と言われた。ご本人の言葉であろう。

実は、皇太子のときに、数メートル近くで2時間近く、今上天皇を見つめる機会があった。2006年7月9日のことだった。

学習院大学 学内ホール(呼び名不明)
指揮 福田一雄
桜友会創立85周年記念(岩城宏之追悼演奏会)今上天皇陛下はビオラ
ワーグナー/歌劇「タンホイザー」序曲
ベートーヴェン/交響曲第9番「合唱付き」 (ソプラノ:大島洋子、アルト:寺谷千枝子、テノール:井ノ上了吏、バリトン:黒木純、学習院OB合唱団)


以上のコンサートに行ったのだ。
どうやってチケットを手に入れたのかは覚えていない。

ただ、岩城宏之指揮に関心があって手に入れた気がする。そして、会場に入ると岩城宏之氏の遺影が指揮台の近くに置かれていた。わたしのチケットは最前列で指揮台に向かって左側だった。

小澤征爾氏の指揮のコンサートは3回くらい見ていたが、岩城さんの指揮、その生演奏?は観たことがなかったので、、とても残念だった。

それから気づいたのた。皇太子がごく自然にステージに現れる楽団員の流れにのって、普通の一人のビオラ奏者として最前列にすわられ、隣の奏者に微笑まれていた。

ナルホドここはそうか、とその時気づいた次第だったが、そこからは、ずっと皇太子の立ち居振る舞いを、観ていた。

皇太子は、指揮者を他の奏者よりも多く注視し、周りの音を落ち着いた表情ながらよく聴き、さらに配慮しながら、楽しんでおられてた。

たぶん、日頃から怒ったり、嫌な表情を微塵を表さない人ではないか、、と感じた。華厳経に「心はさながら絵師のごとく」とあるが、皇太子は感情をうまく淘汰されていて、内面の機微を統御できる人なのだなと感じた。

それにしても、またなぜ、ビオラを選んだのだろうとか、この人の内面を知りたくなったのだ。

ビオラが主旋律を奏でることは少ないが、
アンサンブル、調和の鍵をにぎるパートにある。指揮者と同じように全体を俯瞰して、聴こえ、心地よいのだ。

わたしには、あの演奏会の中で、そうしたビオラのポジショニングが、令和の天皇のあり方、和をもって令(いい空気感)とする、といようなポスト象徴天皇制を、自ら選ばれていくように思えた。

検索すると、今上天皇のご学友がこう語っていた。

白石都志雄氏
「ビオラというポジションはオーケストラの中でいくとバイオリンの下にあって、チェロとコントラバスの上にあるという、ちょうど真ん中、中間部の音域を作る楽器になります。
全体のハーモニーの中心に当然いますし、オーケストラの中でもほぼセンターの方で弾くわけで、上を見ながら、逆に下にも気を配りながら弾くポジションでもありますので、本当に全体を俯瞰(ふかん)するような位置の楽器を自ら選ばれたのかな、という印象を持ちます」


わたしも、あの時感じていたのも、そういうことだ。

引き続き日本は、良い君主に恵まれたのだ。今上天皇は、一段と、この国の人々の中に入ってきて、国民を深く広く、寿ぐだろう。

エアコンが効いていて、やや肌寒かったが、いいコンサートだった。

伊庭靖子展を観る前に、鰻屋へ

8日、上野の東京都美術館で開催中の伊庭靖子展に、中2の長女を連れて、観に行った。

大江戸線の上野御徒町駅から不忍池をめざして歩くと、

いつもだが、ここに来ると、わたしはどうも、たった一日の出来事、明治維新の官軍の薩摩藩と彰義隊の激突を想像してしまう。
南から攻める官軍の大将は、大村益次郎の采配で、西郷隆盛が担った。西郷さんの銅像がその場所から近い公園の一角にあるのも、むべなるかな。

結局は、大村益次郎が用意したアームストロング砲が、東大病院の辺りから数発はなたれ、彰義隊はあっけなく壊滅、敗走する。

その不忍池の前に、老舗、鰻屋伊豆栄がある。遠い昔に入った気がする。先週、長女が鰻が食べたいというので、入ることにした。

職人さんは見えない、焼きは奥で、なのだろう。和服の、女将さんと目が会い7階に。
蓮の葉の緑におおわれた不忍池の池が見渡せ、心地良かった。

鰻重の「竹」を2つ、注文したのだが、20分、30分待てども、鰻重が来ない。どうして、、と和服姿の仲居さんに尋ねたら、まだ注文が通ってなく、静かに、切れた。
なら、はやくできるのが「松」ならば、それをはやく、、と告げた。
けれど、怒りが次第たかまり、たまたま隣のテーブルの片付けに来た、さっきの女将さんに、ことの次第を伝え、「詫びの気持ちを示して」と伝えた。

甘さ控えめの鰻重を食べ終え、会計の際、鰻重のお代を女将さんは「いただかない」と言われた。いささか恐縮したが、「また来ます」と伝えて、、美術館へ。

そうだ、見ため、女将は和服姿の「湯ばあば」のようだった。ただし、女将は優しかった。さすが、老舗の女将だった。

伊庭靖子展は次回に。

参議院選挙の雑感

今回の参議院選挙は、あえて一括でいえば
SNSによる百花繚乱の、その始まりの選挙、だったとおもう。

地上波テレビや新聞などオールド マスメディアは、その跡おいをするだけで、かつてのような世論形成力は、もはや、ない。劣化の一途だ。

いや、多少、あるかも知れない。
投票日直前の金曜日に朝イチに出た久米宏は「NHKから国民を守る会」への投票行動に、図らずも、数万票は働きかけたと思うからだ。

それほど彼の批判は、正鵠を射ていた。
JRと同じように、NHKを解体すべきだと主張していたのだ。

ただし、N国の狙いは、それではなく、スクランブル放送にある。国民が選択しなければ砂あらし画像になること。わたしは賛成だ。そう思いたくなるほど受信料はバカ高い。先進国にこんな高い公共料金は、、ない。

また、れいわ新選組の山本太郎は、創価学会票を数万票をすくい上げた。何しろ、公明党は、たぶん五十万票減らしたのだから。

SNSの画像には学会を象徴する三色旗か見えたし、公明党本部の前で、れいわ陣営としてスピーチする創価大の在校生がいたし、東京では沖縄の壮年部を自認する男性がれいわから出ていたし、、なんと言っても、こうした動きに、ジャーナリストの須田慎一郎氏から質問されても、公明党の斉藤幹事長は、対応するコトバを失っていた。

幹事長は何の回答もできなかったことは、、何たる脇の甘さか、全く、創価学会に全面依存してるからそうした立ち往生になるわけで、、、散々なありさまだ。

今後、この現象を甘く見てはいけない。
アメリカの哲人 エリック・ホッファー「大衆運動」という本に書かれている大衆の熱量を現実に見ることになる、、かもしれない。

公明党とは関係なく「中道保守」が妥当と思うわたしとしては、山本太郎を見て、こう思う。

1.自分たちをアイコンと位置づけ、支持者を主語に、主役しようとしている。新たな共同幻想の台頭か、、賢い。

2.メディア対策がうまい。

3.安全保障政策は語らない。国家観は語らない。虎ノ門メディアとはガチンコにならないように、している。

おそらく「国民」でなく「市民」が主語になるいわゆるリベラル側を統べる可能性がある。

繰り返しなるが、、
70年代の新自由クラブや
90年代の日本新党のときとは違う、
新しい政治熱を醸成させていくかも。

4.次回衆議院議員総選挙で、山本太郎は東京
12区か東京比例区から出るだろう。で堂々、当選する。

2025までは持続するかもしれない。
ただ、山本太郎一人だけの言論戦では、10年続けるのは、厳しい。それと、もう少し、ゆっくり話した方がいい。賢く速い頭の中の回転を、やや遅らせる方がよい。彼のたたみかける論調には、苛立ちを感じる。

関係ないが、、

You Tubeで日本史、世界史を眺めている。中でも茂木誠さんや倉山満さんを最近知り、新鮮で、楽しかった。
俯瞰する目が、いい。

膵臓がんサバイバーとの対話

1ヶ月ブランクができるとスポンサー広告が出ててしまう。腹立たしい。

それが心のキックになって、鈍重ながら、今書き込んでいる。ひたすら散文で

2週間前の土曜日の午後、東陽町で、膵臓がんサバイバーのM先生と2時間、お茶した。

Mさんは術後3年経過し、再発し、抗がん剤をやりながら、仕事を続けておられた。すでにガンマーカーは桁違いに高い。医者は余命宣告はしてこないと。そうだろう、その時間の針は飛んでいても不思議ではない、、からだ。

ビックリした。重篤なのに、関西に出張されているようで、わたしには耐えられないだろうな、、と感慨しきり。

その声は変わらなかったが、体重は50キロくらいなられていて、変貌ぶりは、痛々しかったが、一期一会で、励ましたかった。

65歳のMさんは、ただただ、やり遂げたい仕事があると云われ、できるだけ生きていたいと云われた。黒澤明監督の「生きる」を目の前にしている感じがした。

ひたすら聞いた。わたしの大腸ガンの体験知なんか、遠く及ばないからだ。

偉そうなことは言えなかったが、わたしの場合との違いで、Mさんには、何でもありでやってみたりすることなさそうで、外科医の判断に委ねているな、、と感じた。受動態で生きている。そういうがん患者は多いかも。

気功も、太陽凝視も、題目三唱も、実験と決めてやってみては、何度か、やんわりすすめてきたが、あらためて話題ならなかったので、心のキックにいたらなかったんだな、と判断した。

信心したら治るのか、という素朴な問がある。

たしかに、死はさけられない病気もあるかもしれない。が、、誰でも、やっていれば、、

あるとき忽然と、ははぁ、そうだったかと

にわかに病気の意味を、体感するようになる、、と今の自分は思っている。

別れ際、握手をした。まだ大丈夫と感じ、そのまま、そう伝えると、暮にご子息の結婚があるから、頑張るわと言われた。

フェルメール展を観た

12日の土曜日、上野の森美術館で、フェルメールを観たが、、感動はしなかった。

小説だが、その主役ハンニバルが、世界中に点在するフェルメールを見てまわるという話で終わる。それが十点近く集まって見れるわけだから、フェルメールのファンにはたまらないだろうが、、わたしには響くものがなかった。

フェルメールがスピノザと同時代で親交があったかも、そのことに関心があり、、
スピノザがモデルかも、という天文学者という作品があれば、と思ったが、なかった。残念だ。

キリスト教絵画は少なく市民の生活絵画と静物画は、ホッとするが、だから何、、という感慨ばかりで、、期待以下だった。

わたしが一生観続けて飽きないのは、ボッテチェリと長谷川等伯の松林図屏風、、そしてたいへん僭越だが、日蓮図顕の御本尊だろう。

実際、私たちは、その御本尊という文字図像を一生かけて見て、祈り、題目を唱えるという不思議な行いを、素直にくりかえす。

「一心欲見仏」は法華経寿量品の中のコトバだが、これがわたしの一生のキーワードになっていて、常に考え、飽きることがない。戒名は不要だが、もし墓石に刻む言葉を選ぶとしたら、『一心欲見仏在此』としたい。

米国の太陽天文台が閉鎖

今、日本のテレビでは、一切、ニュースになっていないことを以下に。

米ニューメキシコ州サンスポットにある国立太陽天文台が、FBI(連邦捜査局)によって唐突に封鎖されたとのニュースが世界中を駆け巡っている。

米ニュース「ABC」の報道(9月10日付)によると、今月6日から、FBIが国立太陽天文台を封鎖、地元の郵便局員も近隣地域に異動させられたという。ずいぶんと物騒な話だが、FBIは封鎖理由を公開していないというからなお恐ろしい。

ここのところ太陽では巨大なコロナホールが形成されており、今月11日には、その影響でG2レベルの磁気嵐が地球に降り注ぐと「アメリカ海洋気象庁」(NOAA)が発表している。しかし、G2レベルの磁気嵐は11年間で600回ほど起こっており、緊急事態には程遠い……。

UFO研究家のなかには、同天文台が撮影した太陽の写真に写ってはいけないUFOが写り込んでしまったのではないかと推測する者もいる。

太陽に接近するUFOの画像や映像はインターネット上に溢れており、UFOが撮影されてしまったところで天文台を緊急封鎖する理由になるとは思えない。決して世間に知られたくないものが写ってしまったとしても、その場合は画像・映像編集をしてしまえば済む話であり、それは現にこれまで行われてきたことだろう。

真相は闇に包まれている。胸が高鳴る事件だけに、凡庸な結末にはなって欲しくない。今後の有力情報に期待しよう。



以上。私見だが、
編集する前の、なんらかの太陽にかかわる重要な情報が出てしまうことを抑えたのだろう。

その天文台関係者にエドワード・ジョセフ・スノーデン氏みたいな人がいるのかもしれない。

YouTubeで告知されたSINGENさんによると、もしかしたら、公にされたくない生命体が逃げているのではないか、と言われた。
映画のETの逃走シーンを彷彿とさせる話に聞こえた、、

いよいよ『未知との遭遇』の時代に入っているようだ。地球上はもとより、宇宙においても、こうした目に見える世界の話に「情報の格差」はあってはならない。

1938年10月の、オーソン·ウエルズのときのようなラジオドラマによるパニック騒動にはならず、わたしたちは、事態を淡々と受けとめることができるのではないか。

この動き、ヒラリー・クリントンが大統領になっていたなら、どう対応しただろうか。

告知しないという立場はありか??

赤ちゃんを取り違えの始末、、
なんとも順天堂病院の方針が解せない。

50年前のことだからしょうがないでしょ、なし崩しの論理。

かりに5年前の取り違えだったとしても、双方に知らせない対応をとるのではないか。

今は管理体制はできているから大丈夫というが、震災のような不測の事態が重なったら、どうだろう。

暖房器具などの不具合がわかったときは、メーカーは長い期間をかけてリコールをやる。

取り違えは二人の子どもだけではないかもしれないと推測し、過去の全件をアンケート調査とか、DNA 検査をするとかが、本来のあり方だろうし、テレビでリコールを呼びかけてもいいはずだ。反響は尋常ではないだろうが、世間はその真面目さを評価するだろう。

文章の中の専門家ってどんな職種の人?

これは臭いものにふたをする行為だ。

そもそも順天堂に告知しないというカタチで、その人の人生を裁くことができる立ち位置にいるのだろうか。

昔、病院が本人にがん告知しなかったのと、なんだか発想が似てないか、、

情報の非対称性、情報の格差を解消させる気はない。主語が「当院」と「本学」と二つあることも、情報格差が二段構えになっているように、みえる。


これこそ第三者機関を設けて、順天堂はかやの外にいて、ひたすら詫びるという立ち位置にいるべきではないか。なんか頭が高い。


学校法人順天堂
順天堂NEWS
Juntendo News
2018.04.06 (FRI)
法人サイト
順天堂医院での新生児取り違え事案についてのお知らせ
学校法人 順天堂

 一部週刊誌にて順天堂大学医学部附属順天堂医院(以下「当院」という。)において、約50年ほど前に、出生した新生児を取り違えた事案が発生していたという記事が掲載されました。
 本事案発生の概要、その後の当院での調査結果及び対応等を下記の如くご説明申し上げます。

■本事案発生の概要
 今から約50年ほど前に当院で出生されたお子様について、最近になって当事者の方及び当事者のお母様のご協力によりDNA検査を実施し、当事者の方とお母様との間に親子関係が存在しないことが判明しました。
 当院を退院された後に取り違えが発生することは考えにくいものと思われます。従って、当院にて取り違えが発生した可能性は極めて高いと判断致しました。
 当時の新生児確認は、分娩後、臍帯は医師が切断し、助産師が新生児を沐浴室に連れていき、沐浴後に新生児の足裏に母親の名前を記すという方法が採られていました。取り違えが発生したとすれば、新生児の足裏に母親の名前を記す前に起きたことなどが想定されます。
 しかしながら、当時出産された方々のカルテを確認いたしましたが、そこには取り違えを疑わせる記載は認められませんでした。

■当事者ご本人様及びお母様へのお詫びと協議の経緯
 当事者ご本人様及びお母様からは、ご相談を頂いて以降、出生時の状況等をお伺いしました。それらの内容と、当院での確認調査から、当院で取り違いがあった可能性が極めて高いと判断して、お詫びをし、解決に向けて、弁護士等の意見を踏まえ話し合いを行ない、ご了解して頂くことに至りました。

■取り違えの相手方当事者様の調査
 取り違えの相手方当事者様は、当院に保存してあった過去のカルテにより、確定ではありませんが、ある程度絞られました。しかしながら、退院後約50年に亘り親子関係や社会関係を築いておられると推測されることから、さらに調査し、ご本人様やその親である方にお知らせすることが適切かどうかについて、慎重に検討を行いました。この問題については、さまざまな考え方がありうるものと思料いたしますが、専門家の意見を基に、50年以上経過後にお知らせすることによって、現在の平穏な生活を乱し、取り返しのつかないことになるのではないかと考え、お知らせしないことといたしました。
 また、この事態を公表すること自体も、相手方当事者様にとって望まない結果になりうることを懸念して、当院からその時点での公表を差し控えることといたしました。
 しかしながら、本事案が週刊誌に掲載されたことを受けて、当のご本人様あるいはご家族からお問い合わせがある場合には、誠意をもって適切に対応する所存です。

■関係者の皆様へのお詫びと今後の対応
 当院において本事案を生じさせたことにつきまして、当事者ご本人様をはじめとする関係者の皆様に対し心よりお詫び申し上げます。
 本学では既にこうした取り返しのつかない事態が発生することのない体制を整備しておりますが、あらためて万全の態勢により細心の注意を払って参る所存です。

◆なお、当事者の方及びご家族に関する情報、当事者ご本人様とお母様との協議の詳細及び相手方当事者の方に関する一切の情報の開示は、本学としては控えさせていただきますことを何卒ご容赦下さいますよう、お願い申し上げます。

申し開きだけで、解決策はなく、穏便にやり過ごす狙いなのだろう。

順天堂病院が「取り返しがつかないことになる」かを思料することは余計なこと。順天堂病院は、本質的に、当事者の関係には、、ないはずだ。
順天堂はそういう状況を作った側であって、当事者である二つの家族の人生をおもんばかるのは、、おかど違いだ。なんで分かんないんだろう。。

是枝監督の映画を踏まえれば、二つ家族が緩やかな大家族になる可能性もあるわけで、順天堂病院がそれを疎外していいのだろうか。。

やっぱ、順天堂病院は、頭が高い。偉そうだな、、27年前のお茶の水の順天堂病院に入院の時のことを思いだした。微妙に上から目線だったなと。

8月は過去を想起するとき

3月21日から、のどに痰がたまりやすくなり、一向にぬけない。電話中でも、のどがつまり、苦しくなったりする。

睡眠中、のどが腫れてくる感じも、ある。

さて、どうしよう。ひとまず、水分補給を徹底させよう、、だが、それ以外に何かないかと、あれこれ思案した。

前に龍角散を一缶空けるまで飲んだが、
二缶目はどこにやっちまっただろう。見つからない。

そうこう探しあぐね、気づいた。

(いやまて、また竹炭の粉末を水に混ぜて飲もう)と。

そこで8月12日から始めた。竹炭は、だいぶ前のものだが、構いはしない。

解体会社の社長が中元の残りもの、ボトル入りの無糖のブラックコーヒー数本をくれたが、それに竹炭の粉末を混ぜて、飲むことにした。

あぁ、想い出した。
そもそも、西池袋の形成外科医の小坂先生は、このやり方で飲まれていて、竹炭を強くすすめてくださったことを。
小坂先生のすすめがなければ、やらなかった。感謝。

今日で3日目だが、のどの調子はいい。

掲題のこと。このところ
1980年代のコカ・コーラのCMをYouTubeで見ているが、、いい。

完成度が高い。昭和のCMのベストテンに入るだろう。CM の奥に、一瞬だが、物語が垣間見える。

1980年代後半の、I feel Coke のCM、、
その監督は誰なのだろう。

それまではCoke is it、
ミュージカルのようなもので、
ディズニーのようで、
ありきたりで、チャラい。

それが、I feel Cokeで変容する。
あの切れのある、リズミカルなテンポは独自で、これ以前もこれ以後も、こんなCMは、ない。クオリティーが高いのだ。検索すると、

作曲は井上大輔、「ブルーシャトー」の大ヒット曲、グループサウンドの先駆け、ブルーコメッツのサックス奏者、ボーカルの人だった。2000年か、58歳で、自死していた。奥さんの看病などで、心身がやられててしまったようだ。その奥さんも、後追いのように首吊りで亡くなられたとも。痛ましい。

戻る。
I feel Cokeは、一貫して、松本孝美さんとハーフのケン・ブレニス氏が出ている。

二人ともモデルとして、CM だけで、俳優などに転身しなかった。その区切り付け方、いさぎよさはミゴトだと思う。

I feel Cokeはやがて、日本の日常の風景、風情をうちだすようになる。銭湯の出待ち、ふるさとに帰って来た家族をプラットホームで待ち受ける老夫婦、ヒットが打てない野球少年とか、普通の人々が登場してくる。

モデル系でない人の光景 が次第に増えていく。ただ、みな背が高く健康的だ。。たぶんオーディションを通った人たちだろうが、ほぼ素人と同じだろう。

その笑顔の連鎖は、絶妙であり、撮る側は大変だったろう。ゲートボールの人、旅館のお婆さん、中年のラグビーの人たち、、鬼籍の方も、かなりおられるだろう。

I feel Cokeの歌は、ハイ・ファイ・セットが一番いい。その次はブルースの上田正樹かな、、

生涯、さわやかな笑顔を失わないこと、、その尊さ、、I feel Cokeはそれを教えてくれている。

ちなみに、わたしはコカ・コーラを全く飲まない。つくられた甘さだし、歯がやられるし。

それでも自販機がなかった遠い昔、、
池袋とか、駅売りで、大きなボックスに冷たい水にひたされたファンタとか、よく買って飲んだ記憶がある。懐かしい。
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