わが動的平衡とレジリエンスの思索日記

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る
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創価学会を定義する大切さ

昨日、解体工事会社で事務作業をしていて、夕方、ふだん来ることのない社長が現れて、暫く雑談していると、、

すると、いきなり「公明党とは何か」そして「創価学会とは何か」とたずねて来られた。私の学歴を覚えていて、問いを発したのだ。あっけらかんとした、白い画用紙を差し出されたような問いかけだった。

いやー、迂闊だった。面食らった。

社長は40歳。なんでたずねるのかと思いが先立ち、自分の言葉で、即答できる力がなかったのだ。「折伏」という基本的行為に、如何に無縁でいる自分かと、慚愧の念が徐々に。

全く持って、すぐ切り返せないとは、おはずかしい。

今のままでは、わが人生は「声聞」の次元で終わってしまう。どんな場でも、尋ねられたら、しゃべらないと、日蓮大聖人そして池田先生に申し訳ない。

創価学会とは、、世間的に、ダークなイメージで十分に流布されているのではないか、、という先入観が、実は私にあって壁を自ら作っているのかも、、とあらためて気づかせていただいた。

とりあえず、1930年にできた日蓮系の宗教団体とか、と言ったが、これじゃ、なんの説明にもなってない。200字くらいで、近日中に自分なりのキャッチコピー、「わたしの中の創価学会とは」という定義を、長いのはダメ、短文で3つくらい、用意しておこう。

また、説明するときは、しなやかに、法華経の常不軽菩薩を範としよう。

訃報
元広島の衣笠祥雄氏が23日に死去した。
死因は上行結腸がん(大腸がん)、71歳だった。   

早期発見ができてれば、「鉄人」の人生がまだまだ持続しただろうに、、

今月の「100分で名著」は法華経だった

今しがた、宮本輝公式サイトに、以下の書き込みをした。

今月のEテレ「100分で名著」は法華経と、たまたま知り、
誰が案内をするのだろうか、と気にしながら、再放送で見ると、、

オーッ、懐かしい、、植木雅俊さんだと分かり、
「あぁ、ようやく、出るべき人が出て来られたなぁ」と
感慨深いものがありました。植木さんにお会いしたことはないのですが、
メールでのやりとりは、何度かさせていただいた方だったのです。

サンスクリット語の法華経原典を日本語の現代文に翻訳され、
岩波書店から出版されたのは10年くらい前のことでした。

それまでの、たとえば岩本裕氏の岩波文庫『法華経』が
とてもわかりにくいものだっただけに、
ストーンと腹におちるものがあり、
植木さんの訳文にいたく感動したものでした。

さて今回、植木さんの語り口、表情をみることが
できたわけで、想像していた通り、
その法華経を体系的な整理が行き届いていて、、

芝居「錦繡」の、女優の余貴美子さんの朗読も
声の抑制がきいていて、すばらしい。

MCの伊集院さんの表情もそうでしたが、
聞き手の側がスカッと晴れ渡るような
そんな心地よさをもたらせてくれました。

まだ1回しか見ていませんが、おススメいたします。

追伸、
昨夜、銀座の観世能楽堂で、金春禅竹が作った
家元や学者の話す「芭蕉」の解説を、初めて聞きました。

能の「芭蕉」は草木成仏が主題と知り、
謡のなかに「諸法実相」というコトバが出て来たりして、
能の奥深さを感じました。

言葉では言い表せないから、能を舞うのだと家元がいわれたとき、
たしか、輝先生も、同じようなことを小説を書く意味として
言われていたなぁ、、と記憶が蘇った次第です。


以上、私の書き込みは、ほかの方々と違って、全くの散文で
毎回恐縮するのだが、その公式サイトの空気感が好きなのだ。

植木雅俊さんに戻る。
植木さんは、鳩摩羅什の漢文訳も誤りがあるとするくらい、
法華経に対する言説は、畢竟、「植木思想」といえるものだと見定めている。

法華経の理解は抜きんでているが、これから先、
その思想を敷衍する人々が出てきているならば、よいのだが、と懸念する。

わが五行歌その1

先日、三期の石戸氏と二人宴をしていて、彼から出た言葉をヒントに
五行歌を書いてみることにした。
批評家 若松英輔氏の示唆を踏まえ、書く練習をするのだ。
これからまだ、添削するだろうが、、まずは、はじめてみよう。


「無上道の眼」

おさな子の 天真爛漫な眼でもなく

悩む青年の 悲しみの眼でもない

まして 老いた怒りの眼でもない

ただただ能忍  負けない心で鍛えつづけた

その眼には 無上道の現証が立ち現れている

地球一周、題目が轟く

今日で、東北大震災から7年がたった。

創価学会は世界192カ国のメンバーが、
それも若い青年男女が中心になって、
日本時間14時40分を基準に、いっせいに勤行と唱題を行った。
その数、70万人だったと、聞いた。

同日、「世界青年部総会」という名称だっだかな、開催された。

宇宙から見て地球全体から題目がとどろくという時間があったわけだ。
まったくニュースにはならないが、これこそ
エポックメーキングな世界史的事件でなくして、なんであろう。

1253年(建長5年)4月 日蓮(尊称はひかえる)が立宗宣言をしてから
765年目の慶事である。世界の平和に向けて、ギア転換が始まったのだ。

UFOが私たちに関心をもっていないかと、しきりに空を眺めてみたが、
これといった変化は、なかった。
まぁ、これからもきっと行うだろうから、、いつか気づいて欲しいな、、

篠田三郎の声

3日の土曜日、14時から練馬文化センターで藤沢周平「山桜」の朗読を聴いた。朗読した人は役者、篠田三郎さんだった。

半年前かな、篠田三郎さんは何か演じているんだらろうかと気になっていたときに、散歩の町内会掲示板で、朗読会を知り、申し込みしたのだ。

事前に「山桜」も読んでおいたが、関心は篠田さんの人となりを感じてみたかった次第。

篠田さんの朗読は落ちつきと奥行きがあり、柔らかさがあった。いい役者人生を歩まれてきたのではないかな、声はカンサンジュンに似ていて、女性受けするだろう。

朗読を聞いて、やはり、人生は普通の目線が一番、、それが感想だった。

いい朗読を聞くことができた。

わたしの中の「吉田松陰」は篠田三郎さんが演じた松陰で形成されている。NHK 大河の「花神」だったか、主役ではなかったのだが、強烈に伝わるまのがあった。一本筋が通った生き方が松陰と篠田さんには共にあり、響きあっていたのかもしれない。

コーヒーに麦焼酎

2010年5月に大腸がん手術をして、その秋から酒かす豆乳を頻繁に飲んだ。大腸に染み入るようにうまく、常習化していった。

今も、一日に一回は酒かす豆乳に、ココアを混ぜて飲んでいる。冬にはこれがいいし、夏はゴーヤがいい。

だが、今のメインの飲み物は、ドリップコーヒーのブラックだ。肝臓がん予防になると知ってから拍車がかかってきて、1日に3杯くらい飲んでいる。

最近、ふとコーヒーに麦焼酎を混ぜたら、どうなるか試してみたくなった。すると、かなり旨いのだ。

たぶん自分以外にも、そういう飲み方をされている人がいるに違いない。で、検索してみると、かなりおられることを知り、深くうなづいた。

芋焼酎よりも麦焼酎の方がうまいよ、と教えてくれる記事があったが、なんとなく分かる気がした。

わたしはワインより焼酎の方が、体にしっくりくる。

続、街並みの変容

ひと月ブログをしないと、広告が冒頭に現れることは、ひとのブログを見て知っていたが、、何だかその光景は自分が死んだみたいに見えてしまい、まだまだ、という気に。

今さらだが、本地を名乗り上げることに、、しよう。二つの大病を克服した63歳の今が、「まことの時、」と見定めた次第。

本題。仕事から自転車で帰ってくるとき、長女が通う小学校の前の道路をはしり、左にカーブすると、4本の高い杉木が見えていた。300坪はある林邸の杉の遠景が目に入るのだが、それが昨年暮れに、消えた。所有者の林さんはそこを売却されたのだ。

林邸はこの地域の創価学会の座談会場として、半世紀以上の長きに渡って、提供してくださっていたご夫婦の家だった。草創の学会人。 

ともあれ、創価とは価値創造の意味で、なんだか不思議な名称の、第二次大戦前、1930年11月18日に始まる在野仏教の団体のことだ。もうじき90年になる。

林さんのご主人は、大手百貨店に衣類系の納品を代行する仕組みを構築し、事業化して高度成長の波に乗った人だった。

去年8月、仕事のお客さんで、林さんの会社に勤務していた人と会食をした。知らなかったことが多々あった。

栄枯盛衰、どうやら会社は大手の運輸系の会社に吸収されたらしく、、おそらく自宅の売却も、それと関連性があるのだろうが、、地域の方たちにたずねたりはしていない。それは、無礼だろう。

ただ、思い返せば、林さんの表情を何度かお見かけしたときに、たそがれた感じがしていた。お話しをしたことはないが、何度か目があい、その境涯を感じとっていた。

一瞬のアイコンタクトが、無言の対話を形成する場合も、時にはあるものなのだ。いずれにせよ、人生の始末は、難儀なこっちゃな、、

わたしの、学会の中での立ち位置は、うまくいえないが、「無冠のシンガリでいく」と決めている。

政治へのコミットメントは好きではないし、学会歌も正直言って、苦手だ。ただしこれは批判ではない。

よく言えば高揚感、揶揄すればお花畑のような論調とはいささか距離のある語りかたしか、できない。それが、わたしの本地なのだ。

さらに言えば、大勢を前に話したりするようなマス志向ではなく、目の前の人とのパーソナル志向でいくと決めている。まぁ、妙な人間なのだが、こうした態度であっても、その地が変容していけるものと信じている。

そのうちに「内から見た創価学会」というカテゴリーを置くことにしよう、、

種々雑感

2018年はじめての記事になる。

1.今朝は、3歳になる次女が、発熱があり、一日私が看ることに。1月下旬にインフルエンザA型に罹患したので、今度はインフルエンザB型かもしれない。よく指しゃぶりをするので、かかりやすいのでは、と思っている。

(追記)2月13日、次女はやはりインフルエンザB型にかかっていた。

二人だけになっても、私は、ほとんど感情をあらげたりしないので、次女は安心しているようだ。

溺愛で向かいあっている。次女にとって安心感は大事だと見切る。ただし、長女のときと同じように、大人と変わらない話しかけ方を、意識している。

2.先月21日の日曜日、多摩川で自死した西部邁(すすむ)氏のことが気になっている。影響力ある知識人?として、1970年11月25日の三島由紀夫の割腹自殺以来の出来事と思っている。

半年くらい前から、何気なく、土曜日朝の西部さんの番組の録画を、ときおり漠然と眺めていたので、、ある種の感慨がおしよせてくるのかもしれない。

左から右へのシフトしていった人、日本の核保有を当然のこととしていた人として、くくっていたが、同じように左から右に旋回した清水幾太郎のようなアジテーターではなかったと思う。とりわけ対話を大切にされていたことに共感していた。さらけ出す人で、語るにあたいする人だ。対話しながら若い言論人を育ているんだなとも、感じていた。

3.西部さんは、もうこんな国はイヤだ、じきに自裁する、と幾度となく発言していた。なので、有言実行したんだな、と。

第二のふるさとは奥さんとも、言っていた。4、5年前に、その奥さんが先立つことがなければ、生き続けておられたかもしれない。すでに何がしかのがんで、病んでおられ、病院で死ぬことを忌避されていたので、たぶん、その自死は公憤ではなかったのだとも、感じている。

4.その出来事の少し前に、山本七平のすい臓がんの最後が綴られた家族と共著の本を読了していたので、宗教的なものの有無、家族とのことなど、対称的な感じがしてならなかった。やはり、自死は、尋常でないし、、幸いなことではない。

宗教そのものを「一秒たりとも」信じたことはないと、西部さんは繰り返し言っていたが、、人体60憶の細胞が流転する量子力学的な視座からみると、サムシンググレートを信じない理性はなんと表層的な捉え方なのだろう。がんを内部から知ろうとすれば、また違う人生観があらわれてきたのにな、、
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2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
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