折れない心=レジリエンス日記「これからが今までを決める」1991年から25年にわたるC型肝炎と乾癬の闘病を、そして2010年の直腸がんをと、その三病を完治させた楽観主義者の自立ノート

身体「毎日1兆が生滅する60兆の細胞」の司令塔こそ、究極の主治医と見なして、アッパレ!100歳をめざし三病息災・健康長寿をもくろむ、具体の内部生命論です★
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乾癬、貞永式目その他雑感

1.今年はまだ四分の一を過ぎただけだが、今年の流行語大賞に「忖度(そんたく)」がノミネートされるのではないかな。もしかすると、民間もそうだが、中央官庁のような権力の集中する環境においては一段と、安倍首相をはじめ上司に気に入られたいと、忖度すること、そのことこそが、犯罪や逸脱に走らせる大きな原因なのではないか?と素朴に思えた。

それにしても100万円の寄付行為の有無がこれほど真っ向から対立することなんて、あるのだろうか、安倍さんの選挙区外であり、刑事訴追になるわけないわけで、「藪の中」には何もない。野党が安倍さんの道義的責任の追及に、躍起になっているだけだ。

2.ハーボニーを飲み終えたのが2016年2月8日で、1年以上経過したが、ここに来て体重が67kgと3kgくらい重くなっている。原因はまず、肝臓の正常化によると考えているが、歩かなくなっているから運動不足にも、あるだろう。。

胴回りにぜい肉ついている。還暦をすぎ、やたら体重が減ることは好ましいことではないとわかっている。65kgくらいがいい。

年をあけた頃から、やや乾癬が目立つ。体重の増加と少し関係があるのでは、と思っている。ヘパリン類似物質というクリームは、やはり塗らないといけないな。

3.長女は小学5年が終業し、4月から最終学年になる。担任の田代先生も、どうやら代わる感じがする。たぶん当初採用された品川区か、戻るのではないかと思う。その方がご自宅から近くなるだろうし、ご自分の子どもの、保育園の送り迎えがラクになるにちがいないと推察。

4.2歳の次女は、ずいぶん言葉を覚えてきた。「なんだこれ~」「じぶん、じぶん」「アンパンマン、書く~」「はんぶんこ」「あーさいよ(うるさいよ)」、、、今家でのお気に入りは、勉強用の椅子に乗り、回転させることだ。目が回るのがおもしろいらしい。

5.今、本は鎌倉時代の華厳宗の明恵という僧侶について、読んでいる。心理学者の河合隼雄が書いた「明恵、夢を生きる」が、おもしろいのだ。

明恵は清僧だった。それは死に際でわかる。その立ち居振る舞いが美しい。こうだ、、
「今ハ臥シヤスムベシ、ソノ期近ヅキタリト覚ユ、カキオコスベカラズ」と言い、右脇臥に臥した。

弟子の定真が「ソノ期スデニ近ヅキ給ヘリト見ユ」と告げると、目を見開いて 「其ノ事ミナ存知スルナリ、又年来習学シテ 思惟観察セシトコロノ法門 コトゴトクミナ心ニ浮ビテ 一事モワスレザルナリ」と言って目を閉じた。

弟子の喜海が枕元近くによってくると、かすかな声で明恵は「我、戒ヲ護る中ヨリ来ル」と告げた。これが最期の言葉だった。そうして

「其ノ後ソノ形チ 歓喜ヲヨソヲイ タチマチニ顕ハレ、 微咲ヲ含メルガゴトクシテ エンゼントシテ寂滅ス、春秋六十埃 、同廿一日夜、禅堂院ノ後ニ葬斂(そうれん)ス、ソノ間 形色 アヘテアラタマラズ、眠レルヨソヲヒニ コトナラズ、又十八日の夕方ヨリ異香恒ニ匂フ、諸人多ク嗅グ、葬斂ノ後両三日の間、異香猶ヲウセズ」


明恵は命懸けで、多くの人、とりわけ多くの女性たちをを助けた。法華経の行者でなくても、現象として、成仏相は疑いないだろう。陰徳あれば陽報ありの人生。

新鮮だったこと、貞永式目をつくった執権、北条泰時は明恵を、人格的に、心服していたことだ。貞永式目は「ただただ道理をあらわしたのだ」と北条泰時は、北条重時宛への手紙に書いている。くわしくはこうだ、、

多くの裁判事件で同じような訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし、身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目である。京都辺りでは『ものも知らぬあずまえびすどもが何を言うか』と笑う人があるかも知れないし、またその規準としてはすでに立派な律令があるではないかと反問されるかもしれない。しかし、田舎では律令の法に通じている者など万人に一人もいないのが実情である。こんな状態なのに律令の規定を適用して処罰したりするのは、まるで獣を罠にかけるようなものだ。この『式目』は漢字も知らぬこうした地方武士のために作られた法律であり、従者は主人に忠を尽くし、子は親に孝をつくすように、人の心の正直を尊び、曲がったのを捨てて、土民が安心して暮らせるように、というごく平凡な『道理』に基づいたものなのだ。

山本七平は貞永式目は日本的革命のエッセンスなのだと指摘している。世界的に見ても希な法制だったとし、思想的バックボーンに明恵がいたと山本七平は見切っている。実に新鮮。

明恵は、日蓮が10歳になったときに亡くなったが、二人には通底するものがあったと、わたしはみている。明恵が親鸞のように90歳まで生きていたなら、二人はきっと対面していたはず、、華厳は深淵であり、日蓮はさまざま引用されておられる。もし対面していたたら、にぎやかに、華厳対法華の、深くかつ真剣な宗論を交わしていたと思う。

これはわたしの勝手な史観だが、道理の一端である貞永式目が日蓮を法難から守ったのだとみる。
竜ノ口で、日蓮が首をはねられる法的根拠なぞ、貞永式目にはなっかったのだ。弟子の四条金吾に書いた「仏法は道理」という日蓮の言葉と、北条泰時の「道理」は響きあうものがある。明恵と北条泰時と日蓮という系譜はあるように、感じる次第。

25年の節目、雑感

1.先週火曜日、新宿歌舞伎町の「車屋」でランチを食べた。前の会社の同僚、川瀬氏と15時すぎまで、そこで話した。しゃべり足らず、新宿プリンスホテルのB1で、16時半まで話した。

歌舞伎町のコマ劇場の北側に「車屋」はあるが、お客は年配層の男女で、席はほぼ満席になっていて、いささか驚いた。料理は少量ずつ様々に出てきて、楽しませてくれる。人気がある理由がなんとなくわかる。

「車屋」のロビーで何度か話したことがあるミナト氏は、「車屋」の常務になっていて、新宿にはいなかった。なぜか、ミナトという名前をオボロゲに記憶していて、たずねたのだ。やぁ、立派になったんだなと感慨深いものがあった。

2.わたしの場合、1991年8月21日の夕方、かかりつけ医に電話し、C型肝炎とわかった。「倦怠感の原因がわかって良かったじゃないか」と医者に言われたが、、なんでオレが不治の病いに、、と奈落の底をみた感じがした。
その夜は、川瀬氏と「車屋」で宴する約束をしていて、、しかも私のおごりだった。返礼だったと思う。二人とも、気分は暗かった。それから25年がたち、C型肝炎ウィルスは消えた。川瀬氏はとうに忘れていたが、今日のランチは、私には大団円の宴だった。

3.川瀬氏は父親の遺産相続で、兄弟間の確執が尋常でなく、郷里に対する愛着は稀薄になってしまったようだ。母親の言動が「恩きさがましい」と言っていたことが、心にささった。母親はかなり前から徐々に認知症になっていたらしいが、様々な文書を大事に保存していて、それが兄の目にとまり、確執が始まったのだろう、、と想像した。

4.訃報を聞いた。同年代で、私たちがいた会社を1992年、早々に退職して、霞ヶ関ビルの中に会社を立ち上げた渡辺一三(私の記憶の中の名で実名かどうか不明)さんが、癌で亡くなっていたのだ。が、会社は存続した。後任の社長は知らない。渡辺さんの四半世紀は、満足した人生だったろうか?ペコペコと、よく頭をさげる光景が浮かんできた。そのストレスが癌を呼び寄せたのではないか、、

5.分かってはいたが、、C型肝炎治癒の大団円を喝采してくれる他者は、、いないのだと感じた。同じ患いをしたものでないと、共感をもとめても仕方がない。

だが、、それでいいのだ。

カチ歩きの会報

11月13日に新宿から青梅まで43kmのカチ歩きの会報が届いた。参加者875人、完歩者785人と、雨天でもないのに参加者は減少傾向になっている。

86歳の男性が最高齢で、80歳だいのひとが9人おられた。その86歳の人は、わたしより1時間くらい前にゴールされていた。さらに、過去2回の会報を照らし合わせるると、ずっと参加されている感じががした。常連とみた、、90歳までやっていただけたら、励みになる。毎日、相当歩かれているに違いない。どんな方だろう。次回は、3月はパスして11月だろうが、参加者を注意深く見つめてみたい。

また、70歳だいのご夫婦が、毎回一緒にゴールしていることも分かった。

以上の3人は、探し出そう。そうだ、80歳以上と思わしき人がおられたら、了解のもと、写メを撮らせもらおう。

景色より人がおもしろい。

天皇退位と四権分立

1.毎週金曜の昼間にやっているアンパンマンを録画し、次女がすっかりはまり、見ている。
そこで、先週の2題、ロールケーキちゃん、アンコラ・コアンコラは10年前にも、長女といっしょに見た記憶があった。やっぱり再放送しているんだな、と思い、長女に「覚えてる?」とたずねると、「全然覚えていない」と返してきた。本人はとっくに忘れ、つきあって見ていただけのわたしの方が覚えているとは、、なんだか悲しい感じがした。

2.平成天皇が退位をおもとめになられているが、、どうやら審議は賛成反対に二分されているようだ。審議する側の資質もなんだか心もとない。みなさん自説に頑ななようだが、天皇機関説を説いた美濃部達吉のような、命がけの学者は、もはや、いない感じがする。

3.素朴に、天皇制は象徴の名のもと、モンテスキューの三権分立とはレベルが違うが、強制力を伴わないというか、力を根こそぎ奪ってしまった祭祀、祈りを核とした4つ目の国家権力なのではないか?と思う。

3-1.九条も大事だろうが、むしろ象徴天皇制こそ、人権条項を加えた憲法を再考すべきだし、近代法と二千年スパンの伝統的な日本法?をうまく折衷して、、四権分立を明確にした方がいいのては?と思うのだ。殿上人だからといって、逆に、基本的人権が不十分な象徴天皇制は、制度疲労に陥っている。100年後、皇位継承する方はおられなくなる、、かもしれない。

4.30年におよぶ平成天皇の終身のお働きは、その心労たるや、、想像だにできない大変なものにちがいない。8月、前代未聞の抑制のきいた悲鳴のビデオ、そのお言葉を宣明する前に、学習院の幼なじみに電話で相談されていた、とラジオで聴いた。国民によりそうことを自らかされた今上天皇にとって、侍従や宮内庁(内閣府の所管)以外にも、きちんとお気持ちを受けとめる三権の長がいない、基本的人権にかかわる意思伝達の「パイプがない」という仕組みは、人間社会の制度として、いかがなものか、、国民は天皇に甘える仕組みから少し切り替えないといけないと思う。また、皇族の裾野を拡げることも、ありではないか、、

5.右翼のような国体思想でもなく、左翼のような天皇制否定でもなく、中道の国家観が醸成されること、それが望ましい。「のような」とか「みたいな」とか所詮、底の浅い、雑駁な話しかできない。が、平成天皇にご納得いただける制度になることを、、心から願う次第。

ちなみに、巨大な中国には、こうした日本の天皇制は、マネしたくてもできない羨望にちがいない。。


「第95回かち歩き大会」に参加

1年ぶりに「かち歩き大会」に参加した。当日の天気が気になり、締め切りギリギリまで申し込みをしなかった。1ヶ月前の予報は雨だったのだ。前回雨で低体温症になって参ってしまった。雨はもう懲り懲り、雨ならばやめようと決めていたからだ。でも、どうやら晴れは間違いない分かって、、参加を申し込んだ次第。

朝、犬の散歩は長女に頼み、8:15に新宿中央公園に到着。大会の説明は従前と同じだが、2017年から一年間に2000km歩いたら、この主催団体が表彰してくださるようだ。励みになっていいかも。

私は、最後尾でスタートした。先頭とは4分差があった。結果は43kmを9時間1分で、前回と全く同じタイムにいささか驚いた。もうちょっと30分くらい速いのではと思っていたので、意外だった。その他、種々、思ったことは、、

1.靴はMBTで、あるいた。なので、歩く人たちの靴に目がいった。NB、ニューバランスが目にとまったが、MBTはいない気がする。MBTは重い、、いささか無謀だった。

2.久米川を過ぎ、23kmまではラクで、風景を見る余裕もあった。小平の墓園を左側に見て、通りの反対側に寺泊港直送の魚市場が現れる。すると、いつも頭の中で、日蓮の寺泊御書が浮かぶ。久米川を通過すると、744年の時空を超え、日蓮が通った道と交差したんだなと感じる。

3.ただ23kmを過ぎてから、苦しみがはじまり、無意識の世界がおとずれる。ベートーベンの第九の第3楽章が断片的に流れる。やはり、いい曲だ、、

3-1.今回も、千日回峰の修業者のことが思い浮かぶ。毎日50kmを峰々を歩く。何日間もやり、何年間もかける。失敗すると短剣で自死する。全く、想像を超える。それでも、たぶんだが、修行者は毎日が無意識の世界に突入する。意識と無意識が逆転する。本然が浮かび上がり、根をはるのではないか、、ただしそうした修行は、大乗ではなく小乗仏教にすぎないし、すべての人々の救済には、決して、至らない。

3-2.ご夫婦、仲間同士で歩く人たちの話し声が気になりだす。ひとのショルダーバッグに付けられた鈴の音も煩わしい。そういうときは先に行かせてしまう。また、イヤホーンをつけながら歩く人も見受けるが、そうすると無意識を整えられない。23km過ぎは、座禅やマインドフルネスの状態と似てくるのかもしれない。
わたしの場合、かち歩きは一人で参加した方がいいようだ。

3-3.注意、青信号が点滅したら立ち止まること。1回だけ無理して駆けたが、右足首のくるぶしの下、捻挫のような痛みがし始めた。モートン病の痛みよりもきつかった。走ると、その後の歩速は遅くなってしまうぞよ、、

4.消防署のトイレ。最初に参加した93回かち歩きのときに利用したトイレだったが、前回は探しても見つからず、通り過ぎた。尾籠な話だが、ここでの脱糞がいいのだ。腸内がさんざん蠕動した大腸から、さぁっと出ていく。そうだ、これが参加の目的の一つだったのだ、、大腸がんは克服したことを実感した。

前回第94回に入ったトイレは、38km地点のセブンイレブンだった。雨で低体温になっていて、20分近く座っていた感じだった。

5.かち歩き大会は、主催者は「飲まず食べず」を標榜するが、私は守らない。
還暦を過ぎた高齢者は、脳梗塞を起こすリスクがあるからだ。水を飲まない怖さを分かっている。
サウナ好きのイメージがあったし、その影響だと思うが、脳梗塞になった西城秀樹氏にはなりたくない。西條氏はラクナ梗塞であり、再発リスクは払拭できない。一病息災で生きるしかない。

5-1.また、糖分をとることにより、肝臓の代謝を実感できる。つどキャラメルのようなサイズの「兵六餅」一箱を食べた。丁度いい甘さだった。23kmすぎから、自分本位の健康チェックがはじまる。肝臓の状態を意識した。その痛みはない。そうだ、これも目的の一つだった。

6.何しろ23kmを過ぎると、異界に入る感じなる。亡霊のように歩く。「青梅まで、、夜になっちゃうな」という通行人の声が聞こえてくる。

7.第二チェックポイントの31kmの順位は426位、それが43kmのゴールでは483位と、57人に追い越されたことに。

8.定かでないが、38kmの交差点の信号待ちしていて、82歳の男性に遭遇。お元気なのだ。10回以上参加しているという。思わず柏手をうって拝礼した。素晴らしい、、うまく言えないが、尊崇の思い。。信号が青になると、韋駄天のように、またたく間に先を行ってしまわれた。すごい、今日の醍醐味はこの遭遇だったかもしれない。誰かに似ている。

そうだ、、ジブリ映画「もののけ姫」のジコ坊に似ていた。一本刃のゲタで飛び歩く老いた僧兵。

「人はいずれ死ぬ。遅いか早いかだけだ」とジコ坊は言っていたが、たしかに、還暦をすぎた私に、残された時間はそう長くはない。

追記、①帰りのときにダウンジャケットを羽織る判断は正しい。②23km以降の地名はストリートビューで確認しておくこと。断崖絶壁を登るときの橋頭堡だか、、なんか前回のときも調べておこうとしたが、、③それと次回は、できれば23kmまではMBTシューズを履き、そこから先はNBに履き替えることにしようかな、、そうすればレコードは前進する、と見切ろう。手荷物なっても、、いいじゃない

10:39 井荻八幡
11:26 東伏見
11:40 田無 15kmチェック
12:06 田無タワー
12:30 ガス資料館 22kmの旗
13:39 清水五丁目 ラーメン青葉

この辺から地理感が鈍くなっていく。
14:16 立野町


叔父の一周忌に思う

1.今朝、長女が忘れ物をした。自分でアイロンをかけておきながら、給食の白い割烹着を忘れたのだ。しょうがない、10時すぎに、小学校まで届けに行った。

2.久々、温泉銭湯の久松湯に行った。が、11時は初めてだ。驚いた、混んでいる。若い人は少なく、団塊世代から上の人々が多く、、今の日本の縮図だと感じた。皮肉ではない。この光景には何か意味がある。高度経済成長からバブル景気まで、さんざん働いて来た人たちだ。お腹がでた人、胸のあたりペースメーカーが浮き出ている人。刺青の人は見なかった。きっと、この中には午後から仕事に出る人もいることだろう。無言の銭湯なのにさまざまなことを感じさせる。

ふと思った、、病気が治った私は、なにがしかこの社会に返していかなければならない。還暦を過ぎても、資本ではなく、労働を通じて、、この際、仏人経済学者 ピケティはウッチャッてしまおう、、そもそも、資本なんて、ない。

3.昨日の昼、蒲田の円頓寺で、昨年亡くなった叔父の法事にでる。円頓寺は日蓮宗で、北条早雲家の家臣団の寺だったようで、新規に檀家にはなれないらしい。そんなんで成り立つのかな?

4.この日、集まったのは親族12人で、儀式は1時間ほどで終わり、そのあとJR蒲田駅近くで、しゃぶしゃぶをご馳走になる。つらつら語られたことを以下に。従兄弟の4人だが、主に長男の医者から聴いたことを以下に、、

①長男、三男は武蔵の出だが、そのまま武蔵大学に上がった同級生はいるの?と尋ねたら、二人とも「一人いた」と応えた。長男は「自分の同期は、蕎麦屋の家で、継ぐことになるから、モラトリアムの遊学、武蔵大で遊んだようだ」と応えた。わたしは、全くいないのでは、、と思っていた。

②「やっぱ、すい臓がんは厳しい?」とたずねたら、「すい臓がんは手術できただけ、不確かな光明と見ないといけない」と。すい臓がんの専門医は患者よりも悲観的になっている、エビデンスがそう示すのだろう。それだけ亡くなられた人を多くみてきているのだろう。

③私「酒は百薬の長っていうけど、、」すると「それは酒飲みの言い訳、今、酒はタバコと同じように禁忌のカテゴリーに近づいている。明らかなのは、アルコール度数の高い酒類の常飲は、発がんリスクを高める」と長男は応えた。

④叔父の話になった。叔父は高度経済成長期の国鉄の、橋梁、トンネル、交通計画となんでもやっていて、それも如何にコストをかけずにやるかに苦心した。そんなオールマイティの実務兼学者は、もういないと、親族の一人、長岡技術科学大学名誉教授の方が言われていた。その方は72歳、日比谷から東大の土木と、叔父の仕事と重なるものが多かっただろうから、その賞賛は、ホントなのだろう。大深度地下トンネル、阪神大震災や御徒町の地盤沈下事故の調査委員会?のトップに、叔父はなっていた。

⑤叔父は、昔、三陸鉄道の一つの橋を設計したそうだ。3.11ではなく、三陸沖地震があったとき、ニュースを見て「マズイ!」と言って、すぐ確認に行ったそうだ。気が気でなかったのだろう。コンクリートで、自分の家の庭に小さな池を作ったが、失敗した話を思い出した。

⑥叔父の退官の最終講義は、三男が生物系の院生でいて、聴講したという。ビデオ撮りしてDVDにしたそうだ。私の母が見たいようなら、借りることにしよう。

⑦長男は、素人向けの、大腸内視鏡系の本を出版していた。患者さんに出版社の人がいて勧められたようだ。
Amazonで検索すると、、あった。

内視鏡(胃カメラ)は怖くない!

自覚症状のない早期がんも苦しまずに発見・治療
飛躍的な進歩をとげる内視鏡医療をトップ医師が図解

近年の内視鏡診療の発達は、目覚ましいものがあります。発達というより「進化」といったほうがよいかもしれません。 私は、臨床現場で内視鏡を活用している医師の一人として、常日頃から、日進月歩の内視鏡診療の現状と内視鏡診療のすぐれたところを正しく知ってもらえたら、もっと多くの患者さんの病気を治すことができるのに、と考えてきました。
内視鏡診療がもっとも得意とするのが病気の「早期発見・早期治療」です。自覚症状のない早期がんの発見などには、バリウムによるエックス線検査より、内視鏡検査のほうが精度が高いからです。 (「はじめに」より)
【 PART1 】 内視鏡で見つかる食道・胃・十二指腸の病気
【 PART2 】 内視鏡とはどういうものか
【 PART3 】 内視鏡検査を受ける前にこれだけは知っておこう
【 PART4 】 世界の最先端をいく内視鏡治療
【 PART5 】 病気にならない生活習慣
【 PART6 】 内視鏡についての素朴な疑問


◆ 著者名は、私と苗字が同じだから、載せずにおく。
レビュアーは1人だけだが、星5つ、次の通り、
病気に対する不安や疑問を、患者の立場に立って判りやすく説明しています。きっと著者先生は、「行列のできる」ドクターなのでしょう。

5..蔵書の話、、
長男が、父親の蔵書をどうするかと、兄弟たちに投げかけたが、誰も欲しいとは言わなかった。結局、廃棄になるのかな、、この現象は、今朝、イヌの散歩をしたときにも感じた。自費出版された詩集が束になっていて、回収業者のトラックに積まれたところに遭遇したのだ。山田さんというお宅だった。随分前から、数回にわたり、廃棄図書を家の前に出されていたので、また廃棄かと思ったのだ。御主人がなくなり、奥さんが廃棄しているのだろう。

これは、他人事ではないな。わたしの田中美知太郎全集も、わたしが死んだら、ゴミとして廃棄してしまうのだろう。

紙の本の価値って、そんなものか、、釈然としない。

こころの常套句

1.フィリピンの大統領の舌禍事件、、英語のスピーチの中で、オバマ大統領を罵倒?した言葉は、タガログ語で言ったという。たぶん彼の常套句なのだろう。

2.人には、だれでも心の中で自然につぶやく常套句があり、次第に声に出すようになる、、と思う。たとえば、
*1歳9ヶ月の次女は、バイバイとシュッパーツをよく口にする。
*8歳になる甥っ子はさかんに、ヤバイ、ヤバイを連発する。
*10歳の長女は、ウザイ、ウザイと盛んに言うな、、

3.さて私の常套句は、何かな、、ウルセイナかな。そういえば、亡くなった叔父は、遠い昔、いとこに「カタシナサイ」て年中、言っていた記憶がある。






ゴンチチのギターは、わたしにとって、サティと同じ、だな。

ブログのタイトルを変えた

当面、私から、がんは遠ざかったと確信した。なので、「がんパラダイムシフト」はやめて、「レジリエンス日記、逆境に立ち向かう力」に変えた。その方が、今の自分にしっくり来るからだ。

レジリエンス(resilience)とは、「精神的回復力」「抵抗力」「復元力」「耐久力」などとも訳される心理学用語である。心理学、精神医学の分野では訳語を用いず、そのままレジリエンスと使うことが多い。「脆弱性 (vulnerability) 」の反対の概念であり、自発的治癒力の意味である。

さらに、レジリエンスには、思考の柔軟性が必要な事が分かってきた。つまり、厳しい状況でもネガティブな面だけではなくポジティブな面を見いだす事ができる人が、逆境を乗り越える事ができる。また、レジリエンスには、状況に一喜一憂しない感情をコントロールする力や、自分の力を過小評価しない自尊感情が大きく関係する事が分かってきた。
一方、挑戦を諦めなかった人たちからも、一定の傾向が明らかになった。課題の失敗を繰り返す中でも、少しずつ成長していると感じている人や、いつかできるだろうという気持ちを持つ人が多くいた。自分が成長前進していると感じる事ができる、自己効力感という要素。そして失敗の中でもいつかできると考える楽観性も、レジリエンスには重要な要素である事が分かってた、、
とあった。

2.レジリエンスという言葉は、渡辺謙さんと山中伸弥さんとの対談番組で知った。アメリカでは、よく使われているらしいが、あてはまる日本語はないと、お二人は話していた。白血病という大病を克服し、さらにハリウッド進出とジャンプアップされて行った渡辺謙さんの生き方をみて、レジリエンスが高いと山中先生は評されていたのだ。その通りだ

3.その言葉は妙に引っかかった。なんとなく、、逆境の中で折れない、弓のような、しなやかな心みたいなイメージがある。

ともあれ、大腸がんとC型肝炎を克服した自分にも、多少、レジリエンスの力はあると思うが、さらに、その逆境力を高めていきたい。

今月中に、ブログ村のカテゴリーは肝炎から退場して、ただの日記のカテゴリーに、変えたいと思う。



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