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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る

宮本輝、本懐の大作

1週間ぶりに書く。

金曜日、仕事で軽自動車に乗り与野の法務局にいった。運転は数年ぶりのこと。高速の料金所の手前で、事故りそうになった。
あっこれETC車じゃないと直前に気づき、ハンドルを左にきったからだ。後続車とぶつかってもおかしくなかった。
が、無事だった。守られたのだと思う。

作家宮本輝さんの公式サイトを久しぶりに閲覧できた。ログインのパスワードとか、忘れてしまっていて、長いこと見ていなかったのだ。

昨年、宮本輝さんは「流転の海」を完結された。あしかけ三十七年、原稿用紙7000枚を越える偉業。。

ただ、わたしはその1作目の途中で中断して読んでいない。宮本作品を最後まで読み切ることができないで、放ってしまう。たぶん中断するのは、こころの奥底におなじものが流れていて響き合うせいだろう。

まっ、そういう中途半端な読者なので、感想など語れる資格はない。

なのに公式サイトに長いこと書き込みしたりして、、大病を克服したときには、輝先生からありがたい言葉もいただいたりした。感謝。

2018年12月「流転の海」を完結された宮本輝さんは聖教新聞に次の談話をのこされた。その中で池田大作という人を、師と仰いでいると、あらためて表明されていた。そのコトバは謙虚で丁寧だ。その原文を以下に、、

「流転の海」を書き終えて

「宮本輝の父と子を書く時が、きっと来る。いつか書いてほしい」。福武書店の文芸誌「海燕」の編集者にそう言われたことがきっかけで第一部「流転の海」を書き始めたのは34歳の時でした。

第二部「地の星」から文芸誌「新潮」に連載の場が移り、書き終わってみれば全9巻、400字詰め原稿用紙に換算して約7000枚。

「37年間、よくぞ書き続けた。見事にやり遂げた。お前は偉いやつや」と胸の内で自分を褒めました。

37年間、健康でいることができ、本当に守られたて実感しています。

病気で倒れて未完になることがあったら読者に申し訳ない。何があっても書き終えなければという責任と重圧を常に感じていました。

最も身近な伴走者である妻、支えてくださった全ての方に感謝は尽きません。

名も無き代弁者
「何がどうなろうと、たいしたことありゃあせん」

「自分の自尊心より大切なものを持って生きにゃいけん」

最も印象深かった熊吾の言葉を出版社が読者から募りました。中でも多かったのが、この二つだったそうです。

「流転の海」には歴史上の人物が一人も出てきません。何も昭和の歴史を書こうと思ったわけではないからです。それでも、最後は歴史小説を書いているような気持ちでした。「庶民の歴史」です。

戦争は終わったけれども、先も見えない激動の時代。その中で、子どもを育て、学校に行かせ、家族を養うため、懸命に働く人々がいました。

満足に教育を受ける機会もなく、地面を這うような暮らしの中でも、人間としての誇りを手放さず、愛情をもって精一杯生きた。そんな庶民たちの姿、人生の営みを書きたいと思ったのです。

調べてくれた方がいて、全9巻を通じた登場人物は1200人以上になるそうですが、熊吾や房江をはじめ全員が無名の民の代表であり、代弁者です。そういう大きな構想をもって書き始めました。

「生老病死」の劇(ドラマ)


創価学会の断想

久々に書く。
まず、自分本位に書いているにもかかわらず、ここに来てくださる、ほんのわずかの方々に、心から感謝。ありがとうございます。

創価学会の話。2月の座談会は全国的にブロックという最小単位の座談会で、その長、本陣長を仰せつかっているわたしが、座の中心にいなければならない。

正直言って、悩ましいが、これも人生と見切り、地でいこうと決めて、今回も挑んだ。

いつもそうだが、この日も参加者は少なかった。。が、婦人部の方と幹部指導エノモトさんに助けていただき、どうにか終えることができた。

御書は、生死一大事血脈抄のわたしの、好きな断簡だったので、、その肝心な言葉である、臨終正念とは実は自分の臨終ではなく師の臨終なのだと、大白蓮華という機関紙の解説をこえ、踏み込んだ言動をあえて、、した。

わが大学の創立者、創価学会名誉会長である池田大作という人は2019年1月2日で91歳になられた。

日本人の寿命が伸びているとはいえ、疾風怒濤の人生をおくられた池田大作という、わたしたちの師の臨終はそう遠くない出来事になる。もう100歳まで9年しかないのだから。

座談会で私は、先生と同時代に生きている意義を強調したのだ。千載一遇、、

座談会はエノモトさんの指導により、わたしの逸脱も、体裁を留めることができた。

エノモトさんはかつて本部職員の方だったが、偉ぶることは微塵もなく、フラットな目線を持たれている方で、、

町内会の交通安全運動で街角に立たれていて、よく挨拶を交わし、わたしはすきだった。

座談会の幹部指導をお願いした際も、即快諾してくださり、安堵した。

実は、私は創価学会の組織のヒエラルキーに疎く、かつそれでいいと思って、やっているので、エノモトさんの役職もよく知らず、さんづけでお呼びしている。けれど、心からリスペクトしている。身近におられる、一生成仏のお手本ととらえている。エノモトさんの健康長寿を日々祈っている。

追記。
座談会を終えたあと、47年前、エノモトさんが池田先生から託された話をしてくださった。

池田先生は、1973年、創価大学の学生の日常生活をとても心配され、エノモトさんに毎週末、八王子の学生が生活している場所をたずねて、一人一人を励ましに行って欲しい、と託された。

指導をしてはいけない、励ましに徹して欲しい。八王子駅から創立して間もない大学まで、一山越えて、徒歩で向かう学生を見ていると、学会の草創のころを髣髴とさせる、学生たちがかわいそうでたまらない、、と。

そう言われたあと、ポケットマネーから一万円を、交通費としてエノモトさんにわたされ、このことはないしょだよ、、

と言われたそうだ。その励ましは一年近く続いたようだ。

話を聞いていて、一気に1973年の大学の思い出が蘇ってきて、不肖な学生だったなぁ、と万感胸がつまることしきり、、

コーギー死す、そして鳩の知らせ

久々に書く。
昨年、2018年12月28日23時に、わが家のコーギー、モモが死んだ。16歳10ヶ月と2日の生涯だった。

直に2ヶ月になるが、わが家は誰一人、ペットロスはない。ゲンキンなものだ。

モモは長く生きたと思う。お疲れさまでした。

最期の半年間は、排泄に悩まされた。ゾンザイに扱ったかもしれない。ごめんなさい。

12月の初め、寒い日だった。夕方、近くの公園散歩で排泄をしてから、自転車に乗せ、駅北口の電気屋さんの谷島さんのところにうかがった。一期一会と思ったからだ。

自転車から下ろすと、いつもそうだったがその日も、モモはにわかに元気になり、シャンとして歩きだした。

谷島さんがくださるバームクーヘンが大好きで、店の中にどんどん入っていく。

あいにく、谷島さんのご主人は福島に行っていて不在だったが、奥さまが出てこられ、いつもどおり、バームクーヘンをふた切れわモモに食べさせてくださった。モモには至福の時間だったろう。


1月14日だったか、ピンポンとなり、谷島さんのご主人が我が家に来られた。

モモちゃん、どう?

暮に亡くなりました。

あっ、やっぱそうか、、
いえね、先週のことだけど、
白い鳩が二日続けて、家に来てね。
それも1羽でね、同じ鳩だった、
そしたらモモと同じように、バームクーヘンをふた切れペロリと食べていき、、

その食欲に驚いたけど、待てよ、こりゃもしかして、とモモのことが浮かび、確かめに来たんだけど、やっぱ、そうだったか、、と。

事実は以上だが、それを様々に考えた。

虫の知らせに似た、鳩の知らせかと、いったんはケリをつけたが、、

今はこう思っている。

つまり、もう一度バームクーヘンを食べたいと思ったモモの残存思念が、一つの情報となって発信され、それを鳩が感じ取ったのではないかと、言ってみれば、残存思念の一期一会ではないか?と。

フェルメール展を観た

12日の土曜日、上野の森美術館で、フェルメールを観たが、、感動はしなかった。

小説だが、その主役ハンニバルが、世界中に点在するフェルメールを見てまわるという話で終わる。それが十点近く集まって見れるわけだから、フェルメールのファンにはたまらないだろうが、、わたしには響くものがなかった。

フェルメールがスピノザと同時代で親交があったかも、そのことに関心があり、、
スピノザがモデルかも、という天文学者という作品があれば、と思ったが、なかった。残念だ。

キリスト教絵画は少なく市民の生活絵画と静物画は、ホッとするが、だから何、、という感慨ばかりで、、期待以下だった。

わたしが一生観続けて飽きないのは、ボッテチェリと長谷川等伯の松林図屏風、、そしてたいへん僭越だが、日蓮図顕の御本尊だろう。

実際、私たちは、その御本尊という文字図像を一生かけて見て、祈り、題目を唱えるという不思議な行いを、素直にくりかえす。

「一心欲見仏」は法華経寿量品の中のコトバだが、これがわたしの一生のキーワードになっていて、常に考え、飽きることがない。戒名は不要だが、もし墓石に刻む言葉を選ぶとしたら、『一心欲見仏在此』としたい。

ベトナム青年の日本語教師になる

10月からフルタイムで働いている建築塗装会社には4人のベトナム青年がいる。いや、いたのだが、11月1日を最後に、その内の一人が失踪し、来なくなった。

ベトナム研修生の失踪は毎年7千人出るとラジオのニュースで聞いていたが、まさにその一人が会社から出たわけで、ニュースの現場にいる感じが、そのとき痛烈にした。

この会社はたしかにキツい作業もあるだろうが、給与は最低賃金の1.1から1.4倍だし、時間外も休日出勤手当も割増しで、付けている。当然だが。

おまけに年に一回は旅費を、会社負担で帰らせてもしていた。なのに、、と社長の落胆ぶりは著しく、、痛々しかった。

残っているベトナム青年の気持ちも、揺らいでいるのでは、、と心配するようになった。

会社として何か欠けているのではと思いはじめ、年末になって、その一端が分かり始めた。それは、

日本語のフリガナ、漢字が分からない。研修生の送り手の会社も、受入の邦人団体も満足な日本語教育をしていないことが、あらためて、分かった。

仕事上の話は、わかるようだが、日本語の表現がたどたどしい。ましてや、日本語を読むことはできない、ようだ。さぞかし、もどかしいことだろう。

おまけに、ベトナムの中等教育で、英語は学んでないようで、こちらが何か伝える上で思いついた英単語を言っても、彼らの頭の中のフックにかけられないと分かった。

そんなこともあってか、社長は次は英語がわかるフィリピン人がいいと言い出す始末で、、問題解決から遠のいてしまう。

暮れに、納会でカラオケに行ったが、ベトナム青年3人は、歌いたくても日本語がわからない、、そんな光景をみていて、、、

彼らには、日本語の田んぼも、日本人の平均レベルの、英語の田んぼも、頭の中には無いんだな、、と。これはミゼラブルな話だ、、

決めた。
わたしがベトナム青年3人に、無償で、日本語を教えようと。すると、プランが湧き始めた。

1.「V3日本語必要学会」と名付け、モットーは、「日本語を武器に人生に勝つ」、、にしよう。

2.今年7月に行われる日本語能力試験N5を合格させる。12月のN4も受験させる。そして漢検10級も、合格させる。

3.肝心なのは、楽しくやることだ。幼児教育の花まる学習会のように。学びは楽しく。

大晦日に、那須に住む高校の友人、国岡にこの話をしたら、それは本多先生の意志を継ぐ、いい話だと励ましてくれた。

人間がボケないために一番よい方法は、人のために動くことだ、とも教えてくれた。

年末調整の不行き届き

建設塗装会社の12月の出来事を。

1.社長より3才年上のベテラン職人のMさんは朝霞市より何故か、多額の延滞金を要求されていた。働いても働いても、なんでこんなにむしり取られるのか、よく分らん、と慨嘆しておられた。

2.事務の前任者が会社を去り、Mさん給与を遡って調べていて、、会社の話にならない落ち度が分かった。ありえない、Mさんの慨嘆は当然だった。

3.その延滞金とは、朝霞市の国民健康保険税とその延滞金だったのだが、過去四年間年末調整時に社会保険料として算入していなかったのだ。Mさんの社会保険料は雇用保険料だけで、、会社も朝霞市も放置しっぱなしだったのだ。ありえない。

もしかすると前任者や会計事務所の担当者は国民健康保険税は税だから社会保険料とみなさなかったのかもしれない。会計事務所にそんな誤謬はないはずだが、、

4.今年、Mさんが納付した国民健康保険税は86万円と多額、全部年末調整に織り込んだ。

もしかしたら、、
前年の国民健康保険税を所得控除してないわけだから、いわば負のスパイラルが5年間続いていたわけで、、Mさんの無知をいいことに朝霞市の搾取じゃないか、となかば呆れてしまった。

5.朝霞市の石黒さんという担当者にたずねてみた。すると毎年の国民健康保険税の所得控除は織り込んで当年の国民健康保険税を算出しているとの回答。

6.いったん納得したが、、待てよ、住民税は所得控除してくれていると思いきや全く無視。朝霞市の組織は全く知らないが、同じ部門だったとしたら、、やはり搾取じゃないか、、と呆れた。

7.4年間の所得税の還付申告することにしたので、住民税も戻るわけで、総額20万円近くが、振り込まれるか、相殺されるだろう。

Mさんは最近少し微笑むようになり、すこしは気分は明るくなったかもしれない。

さらに、ベトナム青年の送金証明の不備で、年末調整は未済となった。

12月の建設塗装会社の風景

元旦に映画ボヘミアンラプソディを長女を連れて、観た。

が、その前に、近況を綴る。
1.建設塗装会社は、やめずに3ヶ月が過ぎた。12月給与は何だかんだで40万円近く頂戴した。64歳には過分だと、ありがたく感じている。あえて書くが、今後、この会社の給与は月マックス34万円に留めようと思っている。でないと職人さんとのバランスが悪いからだ。社長自体の役員報酬も高くはないし。

ボーナスはない。しかし残業代は100%申告通り、いただけたから、その給与になった。おかげで、腰痛になったが、社長に感謝!

2.何で残業が増えたかと言うと、顧客へのカレンダー配りを210部、やったからだ。

3.さらに、なぜ郵送にしなかったかというと、郵便局の郵送料がカレンダー1本あたり、去年までは160円くらいだったが、今年一気に、500円と3倍になり、社長が自社で郵送すると決めたからだ。私も、宜なるかな、と賛成し、練馬区の東半分を自転車で配達することを決断したのだ。

4.お客様に手渡しすると半分近く、感謝される。社長に対する評価も高い。なので、心地よさを感じることができた。2019年は全部、自分一人で八割はやろうと、決めた。在籍していれば、だが。


暮の忘年会

大晦日の前日、練馬で恒例の忘年会に参加した。

いやいや、みんな老いたなという印象。

1.役者の山本は少し痩せ、背も縮んだかもしれない。NHKのドラマ「シエラザード」の中で、悪役を演じたと広沢に話していた。広沢の父親は、その実話の生き残りで取材を受けたことがあったたと応えていた。

2.鈴木陽ちゃんには、年金支給の減額が、どうしてそうなったかを尋ねた。今もタクシー会社に勤務していて、社会保険の被保険者になっているからだと思うと。

3.三宅一生の会社で役員をしていた内城には、白洲次郎、白洲正子夫妻のことをたずねてみた。白洲次郎は晩年三宅一生のファッションショーに出ていたことを思いだしたからで、内城が何かやり取りしたのでは、、と思ったからだ。応えは、白洲次郎に直接は会ってはいないが、上司は懇意にしていて、さまざま話は聞いていて、リスペクトしていたと。正子さんも素敵な人だったとも。

4.川上公も、今回来ていて、「ボヘミアンラプソディー」はいいぞ、エンドロールで泣いたと。なんじゃい、それと気になりたずねると、ロックバンドのクイーンの話だという。

ボーカルのフレディはHIV感染で肺炎て亡くなったらしく、そこから内城の会社では、その病で亡くなられた方が何人かいたと。

C型肝炎の治療薬ハーボニーは、HIV治療薬の開発の努力がなかったら、たぶん生まれなかったわけで、感謝と痛みがないまぜになって、話を聞いていた。

そうか、じゃ、元旦にでも、長女を連れて見ることにしようと決めた。

クィーンは「伝説のチャンピオン」しか知らない。
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2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
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