階段の危険と、3年スパンの感得
2012/05/20(日) 23:15:40 [自分で病気を治す意味の変容とプラシーボ効果について]
朝、ある新聞配りのお手伝いをしている。
配るのは25部程度で、30分はかからない。
その新聞の具体は明かさないが、
最近はテレビCMでも見かけるようになり
正直、隔世の感がある。
今朝何気に、その新聞社からもらった
「交通安全のために」のパンフをみると、、
階段は危険!
としてマリナーズのイチローの話が出ていた。
クラブハウスからグラウンドに通じる
通路にも、階段とスロープがあるが、
イチローは必ずスロープで上り下りする。
階段は足を滑らせる可能性があるからと
警戒するのだ、という。
その通り、
たしかに階段は危険だった!
2009年1月23日の日曜の朝
雨は降っていなかったが、
ひどく寒い日だった。
その新聞配りをして、
マンションの2階から1階に降りようとして、
その半分の踊り場まで勢いよくおりて、
折り返した最初の階段の角、
その金属性の滑り止めの凹部分に、
左の靴のかかと部分がはさまり、
あれよと間もなく勢い尾てい骨を
次の下の階段の角に、ドスンッとぶつけた。
55年生きてきたなかで、
手術やケガで様々な傷の痛みを味わってきたが、
これはベストワンの痛みだった。
頭のてっぺんまで激痛が走り、
チラチラ火花が見えたような、、
耳も聞こえなくなっていた。
事態がわからず、茫然として
階段の下のところにうずくまっていた。
よりにもよって
この新聞?配りしていて
なんで味わなきゃいけないんだ、
そりゃないよ、、と
誰に対してかわからないが訴えたくなり、、
激しい怒りが込み上げてきたのを
覚えている。
意味なんかあるものか、、と
その後痛みはますばかり
家に戻り、寝込む。。
発熱しはじめ、、
なんじゃ、こりゃ、、
1週間は歩行が困難になってしまった。
次の日曜日、
2009年2月1日のこと、
母校の恩師の生前葬を西新宿で行った。
漢文の伝説の教師で、
150人近く集まった。
そこで恩師は、こう言われた
がんは2人に1人はなるし、
3人に1人は5年以内に死ぬ病気だ、
ぼくは末期の胃がんであり、
余命1年もないが、抗がん剤はやらず、
半身浴で体を温めて、グライダー飛行のように
生きてみるから、最期を見ていてください、、
と朗らかに授業してくださった。
私は、尾てい骨が痛く自由がきかない身だった
ので、その最後の授業を一心に聞いていた。。
そのときだ、、
自分もガンになるかもしれない、、という
最初の気づきが、どこからともなく
知らせてきた、瞬間があった。。
お尻の痛みは半年たっても
いっこうにひかず、
というより、奥深い所が疼くような痛みが
残り続け、、
2009年の暮に、友人の兄が
直腸ガン末期だと聞き、
「もしかしたら、おれもガンかも」と
友人に告げ、
2010年3月に調べたら、やはりがんと
判明したのだ、、
何が言いたいかというと、、
階段からの転倒は、、
虫の知らせ、恩寵、、とか
適切な言葉は出てこないが、、
意味のある出来事だった、と思えてならない。
転倒がなかったなら、
がんはズルズルと進行していき、、
気づいたときは後祭りだったに違いないからだ。。
私を担当した外科医は
この物語を全く意に解さなかったが、、
転倒から3年を過ぎ、
がんの転移はない状況を思いめぐらすと、
3年のスパンにおよぶ、
尻もち物語の大団円を感じ得る次第だ、、
尻もちの「意味の変容」ともいえる。
前にも書いたが
この先もまた同じようなことを
編集しなおしてきっと書くと思う。
それほどに自分の命の器に刻んでおきたい物語なので、、
また書いているなと、お赦し願いたい。
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