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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る

新たな仕事場

新たな仕事場となる外国人技能実習の監理組合に、前倒しで金曜日から働いている。

技能実習生はここでの一ヶ月研修を終えると、実習する会社に配属される。その送り出し、実習生を車で連れて行くのが、最初の仕事だった。

久々の車の運転、しかも軽自動車ではなく、HONDAのステップワゴンだったので、川崎市多磨区までの往復を、かなり緊張した面持ちで運転することに。

緊張のせいで、帰り道、アクセルとブレーキを踏む疲れからか、右足のスネがつって痛み出し、いささか、まいった。

そうした痛みのなか、武蔵境あたりで黄色信号の左折を思い留まったのは、正解だった。反対車線に白バイいたからだ。ささやかな僥倖。

研修生はベトナムからの二人の青年、24歳と23歳で、それぞれ家族が5,6人いるとのことで、遠い昔、地方から東京に出稼ぎにきた中学卒の若者たちに近いかもしれない。

日本人の若者は、ガテン系の仕事を忌避する現状から、その穴を埋めるために外国人実習生の名のもとに、労働力を確保する、そういう現実を、あらためて感じさせた。

わたしの方針は、
1.如実知見、あるがままを見る。
2.フラットな目線を保つこと。
3.研修生一人ひとりの望みがかなうように、できるかぎりのアドバイスをする。

という3点とした。

昨日は、30人近い実習生に自己紹介をすることになった。わたしを実年齢より10歳くらい若く見てくれていて、ほんの少し、嬉しかった。

ひとまず、ここに68歳まで、3年は在席したいものだ。驕らずに、サバイバルしよう。

すい臓がんのMさんが

昨夜、ある方からショートメールをもらい、先月お見舞いに行ったすい臓がん末期の女性、Mさんが、亡くなられたと、知らせてくれた。享年65歳か、66歳だろう。

すい臓がん末期なのだから、今の医学では、どうにも厳しい現実が待ち受けていたわけで、、Mさんはどう受け入れて、いかれただろうか、、

先月お見舞いのとき、
ここを退院したら、
高校野球を見まくる。
時代劇小説(作家の名前は忘れた)を読むとか
言われていたが、、

ずっと仕事をしていたい、
が本音だったろう。

果たして、
その最期の思いがどうだったかが、
気になる。

たぶん、せん妄の症状はなかったろう。

遅かれ早かれ、
いずれみな、死ぬのだから、、
とMさんは言われた。

そうです。わたしもまた、今までとは違う、
死に至る病いがやって来ると、思っています、、と応えた。

Mさんの病いは、決して他人事ではない、のだと。

満64歳10か月で次の就業が決定

今日は、わたしがC型肝炎に罹患していると判明した日から、丁度満28年になった。既に完治してから3年になるが、めでたしめでたしということで、忘れないように、わが記念日としている。

昨日、口頭だけだが、外国人技能実習監理団体の採用が決まった。じき65歳になるわたしだが、理事長は採用を即決してくださった。拍子抜けするくらいの決定だった。間に入っていただいた加藤さんのおかげた。ありがたい、、感謝。

安心せず、見習いとして来年3月までわが態勢、カタチを整えることにしよう。土休をやめて、出勤するのだ。ハードになるのは確かだ。

おまけに昨日はバタバタと予定がピッタリはまり、その出来すぎ観に、いささか驚いた。

こんな具合。
8/20にハローワークに行き、雇用保険受給資格決定日がその日となった。

待機期間が8/20から8/26までの7日間。

それを過ぎて、8月最終週に就業にくるように勤務予定先から要請があった。金曜日から就業することに。

なので、3日分の失業給付と再就職手当がもらえる見込み。8/28(水)には金額も確定し、おそらく9/5頃に支給される。

解雇なので、3か月の給付制限は、、ない。

当初、厚生年金の報酬比例部分の額が不支給になるらしいので、慎重に比較考量しようと思っていたが、報酬比例部分の5倍くらい失業給付等が多いことが分かり、あらためて雇用保険のありがたさを感じた。雇用保険料は毎月千円前後のわずかな金額だったのに。

おまけに、わたしは11月には満65歳になり、失業給付の恩恵は一気に激減してしまうことも、「雇用保険受給資格者のしおり」を読み、わかった。

10か月の間、さまざまな理不尽を感じてきた塗装会社だったが、ジワジワと、報われた感が湧き上がってきた。この国の労働保険制度に助けられたのだと。

ともあれ、
なんというタイミングで解雇されたことか、塗装工事会社の社長に、深甚なる感謝をする、、次第だ。

今上天皇のこと

昨日の武道館、令和に改元され最初の「全国戦没者追悼式」のお言葉は、上皇ではなく、今上天皇であった。短いお言葉だったが、上皇の思い、平成の平和を堅持、持続させるという意志(意思ではない)を感じさせた。特に次の言葉

多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります

過去を顧み、深い反省の上に立って

と言われた。ご本人の言葉であろう。

実は、皇太子のときに、数メートル近くで2時間近く、今上天皇を見つめる機会があった。2006年7月9日のことだった。

学習院大学 学内ホール(呼び名不明)
指揮 福田一雄
桜友会創立85周年記念(岩城宏之追悼演奏会)今上天皇陛下はビオラ
ワーグナー/歌劇「タンホイザー」序曲
ベートーヴェン/交響曲第9番「合唱付き」 (ソプラノ:大島洋子、アルト:寺谷千枝子、テノール:井ノ上了吏、バリトン:黒木純、学習院OB合唱団)


以上のコンサートに行ったのだ。
どうやってチケットを手に入れたのかは覚えていない。

ただ、岩城宏之指揮に関心があって手に入れた気がする。そして、会場に入ると岩城宏之氏の遺影が指揮台の近くに置かれていた。わたしのチケットは最前列で指揮台に向かって左側だった。

小澤征爾氏の指揮のコンサートは3回くらい見ていたが、岩城さんの指揮、その生演奏?は観たことがなかったので、、とても残念だった。

それから気づいたのた。皇太子がごく自然にステージに現れる楽団員の流れにのって、普通の一人のビオラ奏者として最前列にすわられ、隣の奏者に微笑まれていた。

ナルホドここはそうか、とその時気づいた次第だったが、そこからは、ずっと皇太子の立ち居振る舞いを、観ていた。

皇太子は、指揮者を他の奏者よりも多く注視し、周りの音を落ち着いた表情ながらよく聴き、さらに配慮しながら、楽しんでおられてた。

たぶん、日頃から怒ったり、嫌な表情を微塵を表さない人ではないか、、と感じた。華厳経に「心はさながら絵師のごとく」とあるが、皇太子は感情をうまく淘汰されていて、内面の機微を統御できる人なのだなと感じた。

それにしても、またなぜ、ビオラを選んだのだろうとか、この人の内面を知りたくなったのだ。

ビオラが主旋律を奏でることは少ないが、
アンサンブル、調和の鍵をにぎるパートにある。指揮者と同じように全体を俯瞰して、聴こえ、心地よいのだ。

わたしには、あの演奏会の中で、そうしたビオラのポジショニングが、令和の天皇のあり方、和をもって令(いい空気感)とする、といようなポスト象徴天皇制を、自ら選ばれていくように思えた。

検索すると、今上天皇のご学友がこう語っていた。

白石都志雄氏
「ビオラというポジションはオーケストラの中でいくとバイオリンの下にあって、チェロとコントラバスの上にあるという、ちょうど真ん中、中間部の音域を作る楽器になります。
全体のハーモニーの中心に当然いますし、オーケストラの中でもほぼセンターの方で弾くわけで、上を見ながら、逆に下にも気を配りながら弾くポジションでもありますので、本当に全体を俯瞰(ふかん)するような位置の楽器を自ら選ばれたのかな、という印象を持ちます」


わたしも、あの時感じていたのも、そういうことだ。

引き続き日本は、良い君主に恵まれたのだ。今上天皇は、一段と、この国の人々の中に入ってきて、国民を深く広く、寿ぐだろう。

エアコンが効いていて、やや肌寒かったが、いいコンサートだった。

NHK受信料の解約

今月のクレジットの引き落としの中に、NHK受信料13990円があり、違和感があった。ある事情で、テレビを全く見てなかったからだ。ただ、テレビ自体は今もある。

けれどテレビは、わたしが買ったものではなかった。その具体は避けるが、そうした「特段の事情」をNHKに相談したところ、解約の手続きをする旨、回答をもらった。

なんだ、結構、話は分かるじゃないか、と。

また、
受信契約と受信料支払いとは、別のことのようだと、N国党の主張から知った。

そもそも、テレビがあったら金をとるという法理は、動産税ではあるまいし、、
土台、無理があるのだ。

スクランブル放送にすべし、、

追記、、
8/30、わたしの指定口座に、
11,470円が振込まれていた。

思いの外、対応は柔軟だった。

伊庭靖子展は発見だった

不忍池の池から東京都美術館まで、サントリー プレミアム モルツを飲みながら、長女は鰻重だけではもの足りず、菓子パンを食べながら、歩いた。

西洋美術館は常設の松方コレクション展で、やはり混雑していた。それはこれからでも、見れる。

東京都美術館は、長女が夏休みの宿題のために行くことにしたのだ。検索し、伊庭靖子さんは存命の画家と知り、現代絵画の方が、長女になにがしか、インスパイアがあるかも、と思っだけで、掲示版をポスターを観ても、さてさて、どうしたものか、と思いながら入った。大人800円、中学生以下無料とあり、ならいいか、、と。

まなざしのあわい 伊庭靖子展

最初の大きな壁紙のような絵画、ソファの絵画を見て、、すごい!じわじわくるものがあった。静物ばかりだが、これはフェルメールを超えている。

サイトの検索からは、こうあった。

画家の眼とモティーフのあわいにある世界に魅せられた伊庭靖子(1967-)は、触れたくなるようなモティーフの質感やそれがまとう光を描くことで、その景色を表現し続けてきました。

自ら撮影した写真をもとに制作するスタイルは変わりませんが、近年、それまで接近していたモティーフとの距離が少しずつ広がってきました。

空間や風景といったものへの関心が高まり、まわりの風景が広がることで、伊庭の絵画は新たな展開を見せています。


さらに、案内のレジュメにこうあった。

伊庭は、物の表面には「質感」が現れる場があると言います。
クッションの模様は、カンヴァスに貼りついた装飾のように見えてくると、画面から浮かび上がってきます。
見る人の視覚を揺さぶる模様の描写によって、クッションに反射する光やその周囲を
漂う空気といった、目に見えない「質感」が際立たされています。


私見だが、描かれた物に質感がある、はその通りだと思う。

「質感」を「空気感」「気」と置き換えると鮮明になる。
2Dから3Dへの変容が、観る側の内部に起きる。だまし絵とは違うのは、そうした錯覚ねらいではなく、質感を感じさせる力が、その絵画には、あるのだ。触らないのに、視覚だけで、その気を感じた。

そして多分、その気は、絵画にあるのではなく、わたしの内部にあるものが呼び起こされ、現れる。

ともあれ、カンヴァスの油彩画なのに、そう感じさせた質感は、いささか驚いた次第。

ただし、その質感には「風の流体」はなかった。写真がベースにあるからかも知れない。

流体力学を感じさせたのは長谷川等伯の「少林図屏風」だけだ。図屏風は動いていた。

伊庭靖子展を観る前に、鰻屋へ

8日、上野の東京都美術館で開催中の伊庭靖子展に、中2の長女を連れて、観に行った。

大江戸線の上野御徒町駅から不忍池をめざして歩くと、

いつもだが、ここに来ると、わたしはどうも、たった一日の出来事、明治維新の官軍の薩摩藩と彰義隊の激突を想像してしまう。
南から攻める官軍の大将は、大村益次郎の采配で、西郷隆盛が担った。西郷さんの銅像がその場所から近い公園の一角にあるのも、むべなるかな。

結局は、大村益次郎が用意したアームストロング砲が、東大病院の辺りから数発はなたれ、彰義隊はあっけなく壊滅、敗走する。

その不忍池の前に、老舗、鰻屋伊豆栄がある。遠い昔に入った気がする。先週、長女が鰻が食べたいというので、入ることにした。

職人さんは見えない、焼きは奥で、なのだろう。和服の、女将さんと目が会い7階に。
蓮の葉の緑におおわれた不忍池の池が見渡せ、心地良かった。

鰻重の「竹」を2つ、注文したのだが、20分、30分待てども、鰻重が来ない。どうして、、と和服姿の仲居さんに尋ねたら、まだ注文が通ってなく、静かに、切れた。
なら、はやくできるのが「松」ならば、それをはやく、、と告げた。
けれど、怒りが次第たかまり、たまたま隣のテーブルの片付けに来た、さっきの女将さんに、ことの次第を伝え、「詫びの気持ちを示して」と伝えた。

甘さ控えめの鰻重を食べ終え、会計の際、鰻重のお代を女将さんは「いただかない」と言われた。いささか恐縮したが、「また来ます」と伝えて、、美術館へ。

そうだ、見ため、女将は和服姿の「湯ばあば」のようだった。ただし、女将は優しかった。さすが、老舗の女将だった。

伊庭靖子展は次回に。

真夏の断想、場所から思い出すこと

今朝、広島の平和記念式典で原爆ドームのレンガが映し出され、安倍総理のスピーチが流れていた。ほんの数秒見て、テレビをOFFにした。見入ることはもうない、すっかり、脱テレビ人間になっている。

日本の夏は、不思議と昔の、ふとした言葉や光景がよみがえる。ささやかな回帰、、

一つ目、、
安倍さんの声を聴いていて、彼の父、安倍晋太郎外務大臣の婚外子のことを思い出した。

大学の同じクラスに内城という男が、どういうわけか、八王子から遠く離れた駒込の古い木造アパートの2階に住んていた。

なぜ会いに行ったのかは、覚えていない。男は、文学青年で同人誌のようなものに加わっていた気がする。

雑談する中で、向かいの部屋に、誰か入っていく音がした。
「あっ、帰ってきたな。向かいの奴は安倍晋太郎の子さ、、愛人との間にうまれた、近くの大学に通っているようだ。会ってみるか?」と言われたが、
「別に、、いいよ」と応えた。

二つ目、、
荻窪駅の北口近く、杉並公会堂に向かう方に映画館があった。1972年頃か、「幸せパリで」という、カトリーヌ・ドヌーヴとジャック レモンの映画やっていて、バート バカラックの「エイプリルフール」という名曲が流れていた。

そうなのだ、わたしの高校時代は映画に目覚めた頃で、、「卒業」「明日に向かって撃て」とか見たものだが、、その音楽はサイモンとガーファンクルであり、バカラックだっだ。チェ・ゲバラと同じ1928年生まれ、91歳になっている。

そして、その時思った。映画は、見終わってすぐ、感想など、いわなくていい。「面白かった」は、要らない。にわか感想など、けっとばせ!
そうでなく、寝かせるのだ、、澱がたまるのを淡々と待てばいい、、そう決めたのだ。

三つ目は、
板橋区大山の母子寮があったところ。
今は、駐車場になっているが、その正門前の四つ角は、さまざまなことを考えた所だった。もう一つは大山保育園の滑り台の下で仰向けになったときのこと。

5歳か、6歳だった。理解しがたいだろうが、こう考えた、、

1.また、、この、人生を、やるのか、、

2.ここは、ほんとの居場所じゃ、ない、、
母親も、本当の母ではなく、という妄想。

3.すごく、まわりの出来事が、冴えざえとした青の世界で、みえて来る感覚。コトバはわからないが、わかるという感覚。

4.こう、考えていることを、心のどこかに入れてフタをして、そっとしておき、いつか、あけることにしよう、、

このブログを始めたころから、そのフタは開けていることに。
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「持続する志」はいつまでも
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