FC2ブログ

わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る

生命力という言霊

昨日17時すぎ、膵臓がんステージ4の女性Mさんのお見舞いに、都心の真新しいA病院へ行った。

4人部屋の窓側のブースにAさんはおられた。
ちなみに、私の入院体験では、窓側ブースは落ち着いて居られる。入り口側だと閉所パニック症がしのびよるからだ。

Mさんと目があったとき、凛としていて、まだまだ大丈夫、と感じた。声のトーンもしっかりしていた。負けない、負けてない心を感じとった。

Mさんは創価学会員ではない。
が、知り合いに何人か学会員がいるようで、距離を保ちながら話は聞いていく、という人だった。
わたしは、もとより励ますだけで、説教くさいことは謹んだ。ただ、大腸がんサバイバーの体験から、しみじみ感じることは口にした。こんな感じのことを

1.「もういいや」と口にしたり、思ったり、
しないでください。
2.負けない心、負けじ魂が大事。
3.仕事を全部ひとに任せていけない。コミットしていってください。
4.糖鎖の話、サバイバルのヒントになるかもしれない。
5.これから、せん妄が現れるかもしれないので、転倒に気をつけて。

だいたいそんなことだが、コトバでは尽くせないので、横たわっているAさんの両足を
掛けものの上から、上下にマッサージをした。

すでに肝臓に多数の転移がんがあり、腹膜播種もある、、という。なので代謝がままならず、相当腹水があるし、足も膨らんいるなと、掛けもの上からでも、感触で分かった。

雑談をはさんで、二度マッサージした。
二度目は心の中で、題目を唱え、しみ込むようにと、祈った。

そうして、わかったこと。
Mさんは気づいてないかもしれないが、、

帰る際、握手をしたとき、
励まされているのは、実はわたしの方で、力づけてもらっていると、、そう感じたのだ。

落日の光芒のように、沈んで行きながらも、それでもなお、生きて生きて生ききるぞという命の強さを感じていた。

生命力というコトバは、昔のヤクルトのCMに渡辺謙が出て「生命力を強化する」というのがあったが、Mさんの生き様こそ、そうなのだ。

追記、渡辺謙のツィッターにこういうのがあった。無論、彼の宗教は別である。
渡辺謙
@harryken311·2015年5月31日
ヤクルトのCM秘話。10数年前まだ病気から復帰のイメージが強くCMは声がかかりませんでした。当時の宣伝部長が同じ病を克服され、「あの生命力が必要なんだ」と、僕を推薦して下さいました。以来お世話になっています。宗教上の理由から大阪の球団を応援することも、黙認して下さる懐の深さです。

ジャストタイミングと

一昨日、ふと気になり、このブログに前に書いた膵臓がんステージ4の女性Mさんにメールした。わたしより一歳上の人だ。円満で、ひたすら、よく仕事をする人だ。

3月に、東陽町でお会いして以来4ヶ月がすぎ、大丈夫か、気になっていた。

もとより、大丈夫なわけはないのだから、メールするのは、一瞬躊躇したが、、メールした。
すると、きのう返信があり、しぶとく生きている。わたしのメールをジャストタイミングといわれた。

内容はこうだ。

ジャストタイミングですよ、ありがとう。私はいま、A病院の1101に、入院中で、次の日曜日に1ヶ月ぶりに退院のつもりです。

先月20日、あまりの苦しさで通院の日まで待てなくて、 病院に来ました。レントゲンの結果、肺が真っ白で、みずが7リットルはたまっているから、緊急入院しました。

翌週ライブにいく予定があるので、絶対行きたい❗️って話したら、水抜を二段回に分けてくれて、まず、三リットル。

ライブから帰った翌々日にゆっくり残りを抜きました。私としては、腹水を抜いた人で、その後長く生きた人を知らないので、嫌だなと思ったけど、私の仕事のサポートしてもらっている空手の先生は、肺の水抜して、🦉が、水付いてしゅっとつぼんだようになったけど、お父さんの仕事を手伝って元気になったと聞き、水抜の決心出来ました。今はその言葉を頼りに、頑張っています。

でも、採血の結果、血液にバイ菌が、見つかったというので、抗生物質の強いやつを日に三回点滴してもらっています。

でも、今日は、息子の送迎で、一時外出して家に戻りました。

しかし、 体力がなくなり、すっかり、車椅子の人になってしまいました。社会復帰に向けて、先週半ばから、リハビリ室に通い、歩行練習です。

A病院は 5月から新病院の方に全部移転し、私はいま新しいキレイな病院に入院しました。場所は、今までの病院の敷地の直ぐ先です。いま、選挙運動で忙しいと思いますが、良かったら見学がてら、顔見せて下さい。会って元気を貰いたいな。手ぶらで、顔だけ見せてね。11階の01室です。セキュリティ厳しいけど、至れり尽くせりで本当にありがたいです。長くなってごめんね、メールありがとうございます。


そこで、こう返信した。

Mさんのメールの文体は、これまでと同じように、明るさがあり、安心しました。

前に、エッセイストの玉村豊男の「病気自慢」というのを読みました。私と同じで、長いことC型肝炎を患っていました。が、新薬で完治したのですが、その後、1年くらいたって、肝臓がんがみつかり、モグラたたきのように、ラジオ波で除去手術をしているという話でした。たんたんと闘病と仕事や画業をやっていて、敬服するばかり。

あなたと同じだなと思いました。いずれわたしも、再びなにがしか病気になるかと思いますが、ビクビク恐れず、立ち向かおうと決めています。普段とは違う、病気を俯瞰するもう一つ別の自我が、忽然と、たち現れると信じています。誰にでも現れると。


と書いた。
さて、どうするか、考えたが、Mさんの病院に行くことにする。第4コーナーをすぎ、直線距離に入ったなと感じたからだ。

「あさってお見舞いにうががいます」とメールすると、ふたたびMさんの次のメールが届いた。

ありがとうございます‼️
先週から、社会復帰のために、リハ室に通って、2-30分足や歩行訓練をしています。心肺機能が、上がり大きな元気な声が出て来ました。電話で話す人は病人とは思えないって。12月19日の誕生日をクリアしたい、あわよくば、オリンピックもね😃何しろ、11月3日に、息子が挙式なのょ。


ただただ敬服する。本当に、強い人だ。

Mさんの医療関係者は驚くばかり、、ではないかな。

追記、上記のライブは、小田和正のライブだった。

宮本輝と俳人・塚本裕樹の対話

もう一つ、備忘のため 以下のコピペをご容赦あれ、

宮本輝「流転の海」完結記念インタビュー 大きな人間の、大きなドラマを書きたかった。 
聞き手/堀本裕樹

[文] 新潮社

執筆開始から37年、宮本輝「流転の海」ついに完結

自らの父をモデルにした松坂熊吾とその家族の波瀾万丈の人生を、戦後の時代を背景に描く自伝的大河小説「流転の海」。執筆開始から三十七年、第九部『野の春』の刊行で、ついに完結を迎えます。三十七年間を振り返っての感慨、そして作品に込められた想いを、長年宮本作品を愛読してきた俳人の堀本裕樹氏が伺いました。

 ***

──三十七年もの間、「流転の海」という大長編を書き続けられて、このたび完結を迎えられました。読者の一人として、本当にありがとうございました。そして、本当にお疲れ様でした。僕は最終巻を読み終えて、しばらく放心した状態でした。今風に言うと「流転の海ロス」みたいな状態で、充足感と共に、終わってしまったんだなあ、という喪失感が自分の中に渦巻いています。今はどのような心境でしょうか?

 人生何が起こるかわかりませんから、途中で私が倒れたりしたら、どうにもなりません。最後の数行は頭の中に出来ていましたけど、ノートにも付けてないし、とにかく未完で終わらせられないという思いでしたので、今は責任を果たせたという感じです。第一部の単行本が出た時に八十代の読者から、生きているうちに最後まで読みたいというお手紙を頂いたのですが、あれから三十五年ですから……。なんとかもう少し早く書けなかったか、申し訳なかったなあ、という気持ちもあります。

 ロスという言い方をするなら、私の中で一番ロスが起きなきゃいけないですが、三十七年間僕の中に住み続けた松坂一家とやっと別れられた、ちょっとつき合いも疲れたかな、というのもあります。

 しかし最後まで書けたのは、第一に自分が健康であり続けられたからですから、そのことに感謝したい。何か守られたなあ、という気持ちの後に、だんだん自分を褒め称える気持ちが湧いて高揚してきました。お前はえらい、よくやった、と。その時期が過ぎると、長い小説くらい誰でも書く、問題は中味だ、それはどうかな、と少し内省的になっているのが今の時期です。

──大長編だからこそ、作者の心境も波のように変わっていったんですね。

 書いている途中も常にそういう状態がありました。

「親父、仇を討ったで」

──『ひとたびはポプラに臥す』の中で、印象に残っているくだりがあります。【「お父ちゃん、俺が仇を討ったるで」父が死んだとき、二十一歳の私が胸のなかでつぶやいた言葉】ですけれど、僕は『野の春』を滂沱の涙で読み終えた時、「ああ、宮本先生はこの小説を完結させて、父君の仇を見事に討ちはった」と思いました。

 最後の三巻くらいは、親父の仇を討つという気持ちはなくなっていました。書いている間に自分も年齢を経て、内面的に変わったのを感じましたし、この小説に登場する全ての登場人物の、戦後の時代を懸命に生きてきた、それぞれの宿命というものをねぎらいたい、という気持ちに変わってきました。そして僕が生きてこうして小説家になり、この小説を完結させたということが、つまり父の仇を討ったということになりますよね。だから最後には、「親父、仇を討ったで」という心境になりましたね。

──いま「流転の海」を完結させて、父君に伝えたい言葉はありますか?

 伸仁のことを、「うまくいけば、偉大な芸術家になる」と言った易者の言葉がありましたが、「うまくいったやろ? 小説家になって、松坂熊吾という名前に託して、宮本熊市という男を俺は顕彰したぞ、これ以上の親孝行があろうか」と親父に言いたいです。親父には書かれたくないこともあるだろうから、いや、あそこが気に入らん、とか言われるかもしれませんが(笑)。

──お母様にお伝えしたい言葉はありますか。

 「流転の海」は前半は熊吾の物語ですが、『花の回廊』あたりからだんだんと房江の物語になっていきました。物陰で寂しそうに泣いていた母親が、自殺未遂事件を契機に一気に変わります。奇跡的に命を取り留め、人生の不思議というのを強く感じ、自分は生きなければならない人間なのだ、という考え方になったんだと思います。

──父君のたくさんの言葉や教えてくれた箴言などで、「流転の海」を書くにあたって、また人生において、励みになった言葉はございますか?

 それはもう、「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」という言葉です。小説にはあえて書かなかったんですが、僕が、「でもお父ちゃん、明日死ぬって言われたら、それはたいしたことやろ?」と聞いたら、「それは死ぬだけじゃ」と答えたんです。死もたいしたことじゃない、と。死は永遠の終わりではなく、もう少し違うような気がすると言うんですね。「それは何で?」と聞いたら、「お前も戦場に行ったらわかる」と答えました。

──『野の春』の最後の方で熊吾が戦争の場面を妄想するところもありますね。そして房江が熊吾の最期にやはり、「なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん」と熊吾に語りかけられている気がした、という一文にも僕はぐっと涙を堪えました。

 もう一つはやはり、「自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん」ですね。だけどある時、「わしほど、自尊心のために生きてきた人間はおらん」と言ってました(笑)、書きませんでしたけどね。でもやっぱり一番忘れられないのは、『野の春』で書いた、寒い夜に屋台で言われた言葉ですね。あの言葉はこたえて、五十歳位になるまで消えなかったです。父への憎しみというより、申し訳なさです。あの時の寒さと、早く父から去りたいという気持ちも覚えています。だから絶対、小説に書こうと決めていました。

──たとえば第一部で柳田元雄の未来を見通す熊吾の言葉があります。「やがて巨大な城の主となるかもしれない。そのとき、自分はどうなっているだろう」。また海老原に対しても、「お前の臨終の顔は、目ェそむけるくらいに、歪んで汚ならしいことじゃろう」と。九部からなる大長編にもかかわらず、その第一部で既にこんな布石を打っている宮本先生の手腕に改めて驚きました。そもそもこの「流転の海」全体の構想は、どのように組み立てていかれたのですか?

 まったく組み立てずに書き始めました、こんなに長くなると思いませんでしたから。最初は長くて五年、全三巻と考えていましたけど、三巻書いても終わらない。全五巻に延ばさなければしょうがない、と思ったのに五巻でも終わらず、次は七巻にしようと決めたんですが、ついに九巻まで来てしまいました。しかし柳田と海老原、この二人は小説の終わり頃には必ず出てくるだろうな、という予感はあったんです。でも、これは小説ですから、実際に起こったことは三分の一くらい、あとは僕の創作です。虚実混じり抜いた全九巻です。

──『野の春』を読み終えたあと、すぐに第一部に帰って読み始めて感じたことは、この物語は永遠に終わらないのだということでした。永久に循環している。第九部で死んだ熊吾が、第一部に戻ると、バッと立ち上がって生き生きと闇市の中を歩いて、蘇っているんですね。これはすごい小説やぞ、と改めて思いました。

 いち早く読み終えた人からもそういう感想をいただきました。第一部「流転の海」の冒頭の大阪駅のシーンへと、また続いているようだというんですね。

──終わったけれど終わっていない、ずっと続いていて、まさに物語全体が流転している。こんな小説を読んだことはないなあ、と思いました。この小説の凄みを改めて感じたのですが、例えば『五千回の生死』でも、「死んでも死んでも生まれてくる」ことを一つのテーマに書かれていますが、それはなぜですか?

 生死というものほど、人間にとって大問題はない。それが僕の小説の大きなテーマなんです。生という一文字の中に生老病死ということが含まれていて、生きるということは楽しいことでもあるし、苦しくもあるし、様々なことが起きて、長い人生では病と戦う時期もある。僕自身、作家になった頃に結核で倒れましたし、その前のサラリーマンの時代にはパニック障害で会社へ行けなくなるし、子供の頃は体が弱くて二十歳まで生きられないだろう、と言われ、常に死というものが自分の中に大きな恐怖としてあったんです。でもある時から、死はそんなに怖いものではないんじゃないか、と思えるようになった。太平洋のど真ん中に万年筆のインクの一滴をポトンと落としたら、その色は一瞬で広がって元の海の色になるけれど、インクは消滅したわけじゃない。大海原の中に溶け込んでいった。死というものはそういうものだ、とその話を聞いた時、腑に落ちたんです。

──それは「流転の海」の「海」にもその意味合いはかかっているんでしょうか。

 そうです。「流転の海」という全体のタイトルをつけた時に、そういう大きな構想はあったんです。つけてしまってから、エライことになったな、そんなことをどう小説として表現していくんだ、と思いましたけどね。


星廻りと喧嘩していた頃

──「流転の海」を読み終えていろんな感慨に浸りましたが、一つの感慨として、「人間」というものは全く一筋縄ではいかない、生きるということは甘いものではない、ということでした。例えば最終巻でも、愚かな関係があったり、長年の約束を反故にしたりという裏切りを、読者として突きつけられて、改めて人間の複雑さ、恐ろしさを感じました。「流転の海」で人間の明るい部分だけではなく、暗部を痛烈にお書きになる理由は何でしょうか?

 人間というのは千変万化に心のありようが変わり続けている、そういう生き物であり、命というのは刻々と変わっていくものなんです。だから絶対に裏切らない男だと見極めるには、どうしたら良いのか、僕もいまだにわかりません。
 昔ある方から、「機を知れば心自ずから閑たり」という言葉を聞いたことがあります。人生において何が最も大切かということをわかってさえいれば、色んな悩みや厄介な問題があろうとも、心は閑かである、ということなのですが、人生で最も大切なものは何か、と言うと、それは人間は死んだらどうなるか、ということを知っているということ。それさえわかっていれば、何が起ころうが、心は閑かである、というふうにとるべきだと聞いたんです。その時にやっと、死というものをそれまでとは違うように受け取れるようになった。「機」とは何かということを、自分の中でしっかりと定めること、それが僕という小説家を何があろうと屹立させていくだろう、それだけが、僕の作家としての支えになるだろう、と思ったんです。だから、常にそういう目で人物を見る。そうすると、この人は機を知らないな、知っているな、というところで人物判断をするようになってきました。きっと、小説の登場人物にも自然に反映しているでしょうね。

──第一部で熊吾が辻堂に、「星廻りとケンカをしてこそ、ほんまの人生やとは言えんかのお」と言う場面がありますが、ご自身は星廻りとケンカしたことはございますか?

 やはり重症の結核とパニック障害との戦いですね。これらは自分の中に持って生まれたものですし、勝負つけてしまわなければ早死にしてしまうと思ったから、命懸けで療養しました。病気に勝とうという闘魂の気持ちを養っていくことを数年間経験したことが、自然に自己鍛錬になっていたと思います。
 医者がもう薬を飲まなくていい、と言ったのが三十四歳の時でした。やった、宿命を乗り越えた、と思ったらパニック障害が悪化しました。白いものと先が尖ったものがイヤで、原稿が書けなくなった。しかし良い医者と出会い、「これは天才がかかる病気です」なんて励ましてくれまして、何とか病と付き合いながら、取りかかっていた『錦繡』を書き終えました。その後『ドナウの旅人』のための海外取材にも行って、体力的にも精神的にも自信が出来てきた頃、「流転の海」に取り掛かったんです。ですから、自分の星廻りと喧嘩していたのは、「流転の海」を書き始めた三十四歳の頃です。

──熊吾は「人間はしあわせになるために生まれて来たんじゃ」と言っていますが、「流転の海」では「しあわせ」を、房江始め、何人かの登場人物が感じる場面があります。宮本先生にとって、または宮本文学にとって「幸せ」とは何でしょうか?

 まあそこそこ食べていけるだけのものがあって、家族がいて、ちょっと夜更かしして一杯飲んで、布団に入って、「ああ、幸せだなあ」と思う時もあります。人によってみんな違う、それぞれですね。何なんでしょうね、幸せって。言葉にできるなら、文学なんて必要ないですね。

──読むたび自分にとって幸せとは何か、と考えさせられる小説ですよね。


宇宙の闇と秩序とはいったい何か

──芭蕉の言葉に「高くこころをさとりて俗に帰るべし」というのがありますが、「流転の海」を読み終え、宮本先生はその言葉を体現されていると思いました。平易な言葉を以て俗世間を描きながら、宇宙のような壮大で深遠な物語を完成させられているのを読んで、この言葉が浮かびました。僕もこの言葉のような俳句を作りたいんですが、なかなかそうはいかない。「流転の海」はまさにこの言葉を表しています。

 それは僕のものすごく好きな言葉で、実に至言だと思っています。作家としてそういうふうにありたい、と思っているので、今、図らずも堀本さんの口からお聞きして、本当にうれしいです。

──かつて福武書店版の『流転の海』の「あとがき」に、「自分の父をだしにして、宇宙の闇と秩序をすべての人間の内部から掘り起こそうともくろみ始めたのです」と記されていましたが、完結されてそのもくろみは達成されたと思います。ご自身ではいかがですか?

 宇宙の闇と秩序って一体何なのだ、ということを考えてきて、『野の春』の「あとがき」で、「ひとりひとりの無名の人間のなかの壮大な生老病死の劇」であると書きました。だから最初に書いたあとがきを、僕はきちんと自分への誓いとして守ったということですね。

──僕も一読者として、最後に本当にそう思いました。

 自分でこんなこと言うと傲慢に聞こえるでしょうけれど、今は自分でどんなに褒めても褒めたりないので(笑)。

──僕のように、松坂家を自分の親戚のように見守りながら、読み続けてきた読者がたくさんいると思います。最後に読者へのメッセージをお願いいたします。

 長い間、松坂熊吾一家に寄り添って生きてきた読者がたくさんいらっしゃると思います。いつまでたっても終わらないので、宮本輝はちゃんと仕事しているんかいな、とおりのお手紙もいただきましたが、こうやって無事に書き終えることが出来ました。こんなに長く、まあ地味な小説ですが、そんな小説を三十七年間待ち続けて読み続けて下さり、本当にありがとうございました。おかげで、書き終えることが出来ました。どんなに御礼を言っても言い足りない、そんな心境です。

(2018年8月21日、軽井沢にて)

「流転の海」第一部の読後感

今しがた、宮本輝さんのサイトに、以下の書き込みをした。

輝先生、みなさま、こんにちは、久しぶりに、書き込みます。
先週「流転の海」第一部を読了し、今、第二部「地の星」を読んでおりま
す。10月5日までに第九部まで読み終えよう、、と決めました。

第一部で、文庫156頁にある柳田元雄に対する熊吾の思い、、
「それどころか、柳田を偉い男だと思った」に始まる一文が、とても心に響
響きました。熊吾は人の心を、一瞬にして、きちんととらえる鏡のような心
心を持たれていると感じ入った次第です。

あと、50年のひらきがある親子関係は、わたしの場合、切実であり、さま
ざまな思いが去来してきて、たびたび頁がとまってしまいます。
なので、予定通りに読み終えるかどうか、、


で、上記の一文を、あらためて以下に書き移しておきたい。

それどころか、柳田を偉い男だと思った。
17本の欠陥タイヤの値引きは絶対にしてもらいますと、
体を震わせながらも再議まで譲らなかった柳田という人間の来し方を
思いやり、自分とは性格も商売のやり方もまったく異なっている柳田に
何か不思議な魅力を感じた。立派だと思った。

自分よりはるかに多くの血涙にまみれた人生の修羅場をくぐって来た
小心な男があるいはやがて巨大な城の主となるかもしれない。


おそらくこれは布石、やがてきっと、そのとおりになっていくのだろう。

宮本輝と児玉清の対話

以下ネットからのコピペ。わが備忘のため、ご容赦あれ、、

『天の夜曲』が奏でる調べ

児玉清、宮本輝
『波』2002年7月号/新潮社

Copyright© 2006 Shinchosha Co. All Rights Reserved.


児玉 : 今日は、宮本さんと『天の夜曲』のお話ができるというので、『流転の海』シリーズを最初から読み返してきたんです。

宮本 : ありがとうございます。第一部が出たのが随分前ですからね。

児玉 : この『流転の海』は、最初は五部作というお考えだったんですね。ところが今度のあとがきを拝見しますと、六部と。

宮本 : どうも六部になりそうなんですね。

児玉 : でも、六部で終わるんですか。

宮本 : それが、頭抱えてるところなんです。

児玉 : どうしてですか、頭を抱えるというのは。

宮本 : これを書き出したころ、一応五部になると書いたものですから、二部はまだかって、それも年配の読者の方々、八十何歳の方から手紙をいただきましてね。私はもう残り時間がないので、何とか早く五部を終わらせてくれと。まだ一部書き終えたばっかりなのに(笑)。何とか長生きしてくださいってお返事出したんですけど、第三部を書き終えたころから、詐欺だと言われるようになってね。いやもう一巻ふえて七巻になりますなんて、確かに読者に対して申しわけないという気持ちがありましてね。

児玉 : 僕も正直言って最初のうちは先が読みたいですから、苛立ちみたいなのがありましてね、確かに。ですけれども、ここまでくると、事ここに至ったら、もうこれは終わらないでもらいたいと(笑)。いや、正直な読者の感想だと思うんですけどね。

宮本 : これは千万人の味方を得たような気持ちです。

児玉 : ここまで読んでこられた読者にとっては、松坂熊吾なる人物、それに妻の房江さん、息子の伸仁にしても、みんな自分の親戚みたいなものになっているんですよ。生活の一体というか(笑)。

宮本 : 僕のホームページがあるんですが、そこでも、もうここまできたら終わらせないでくれと言う人がいるんですよ。この親子三人、いつまでもウロウロさせておいてくれ、と(笑)。

児玉 : 作者御自身はどうなんですか。やめたら大変な反動が来るんじゃないですか。

宮本 : どうでしょうね。終わってみないとわかりませんけど。ただ四巻書き終えて、まだ伸仁って子が九歳なんですよ。松坂熊吾は実は伸仁が二十一のときに死ぬんですけど、今もう四巻でしょう。僕は『天の夜曲』で富山の一年間を書く予定だったんですが、これでも半年分しか書いてないんです。それでも、原稿用紙で言うと、八百枚以上。一冊の分厚さとしてこれは限界ですね。
  それに今から思うと「流転の海」は、早く書き出し過ぎたと思っているんです。三十五歳のときに、この父、五十歳の男を書くというのは、余りにも僭越だったんじゃないか、なめてかかったんじゃないかと。

児玉 : そうかなあ。僕は、三十五歳の年で「流転の海」の第一部を書いたという、そのことが読者に与えた至福と衝撃というものは、大変なものだったと思いますよ。

宮本 : ありがとうございます。これは短編でも長編でも言えることなんですけれども、小説の種なんて、まあ、あっちゃこっちゃに転がっていましてね。それは私の両目が見なくても僕のどこかについているレンズがシャッターを切って、どこかに蓄積されているわけです。そのフラグメントを、そのまま張り合わせていったって、小説はできるんです。でも、そのたくさんのスライドになっているものを寝かさないと、別のものに変わらないんですね。

児玉 : 生なものがそのまま生で伝わっても何もならないわけですね。

宮本 : それは小説かもしれない。

児玉 : かもしれない、か。そうですね。

宮本 : 小説にはなるだろうけれども、それはやっぱり血ではないですね。

児玉 : すごいいいお話だなあ。

宮本 : それを我慢して待たなければいけない。待っているうちに、例えば松坂熊吾がこういうようなことを言い、このような行動をしたという、僕の中のメモが違うものに変わるときが来るんですね。それには、やっぱり時間が必要です。この時間というものだけは、早めることができないんです。

児玉 : 宮本さんは、今……。

宮本 : 五十五です。

児玉 : そうすると、今の松坂熊吾に大分近づいてきてますね。宮本さん御自身がやっぱり五十過ぎてなければ感じられないことが次第に盛り込まれてくる。

宮本 : 精神的にも生理的にも、いろんな意味でもね。

児玉 : そこで変ってくるものがあるでしょう。

宮本 : 調べがね。

児玉 : そう、調べというものが変ってくる。でもそれは、熊吾の人生と奇妙に合体していると思えてならないんです。最初の『流転の海』で、熱い、燃えるような衝撃を感じた人はたくさんいるんですけど、それがしみじみとした色濃いものに移り変わっていくさまというのは、素晴らしいことだと思うんです。

宮本 : 三十五歳のときから二十年たって、私自身の文体が変化することは当然ありますしね。

児玉 : 向こうの作家で二十五年ぶりに続編出した人がいるんですよ。ジャック・フィニイという人。たしか「タイム・アゲイン」というのと「タイム・トゥ・タイム」という題ですけどね。

宮本 : 題もまたすごいですね(笑)。

児玉 : それから、リオン・ユーリスという作家も、十八年たってから続編を書いてます。向こうが別にいいとは言わないですけど、作家が一つのものをつくられて、それがある程度機が熟して十何年たってから、新たにそれに対する思いというのが出てくるということは、あると思うんですよ。

宮本 : 『流転の海』で、熊吾は五十歳でしたが、今はもう還暦を迎える年になっています。その十年の間には、やっぱり大きなものが人間に変化を与えますね。

児玉 : そういう意味では、実にうまいところでスタートなさったんじゃないかという気がしますね。
  宮本さん御自身おっしゃっているでしょう、熊吾を裏切ってきた人たちに対して、小説の中で思い知らせてやると。これはどういう形で出てくるのか。今はまだやられっぱなしでしょう。ボクサーで言えば、めった打ちになって。

宮本 : あの熊吾が、黙っているはずがないと(笑)。今ちょっと静かにさせているんです。次の巻ぐらいから、ちょっと噴火させようという気持ちがあるんですね。

児玉 : 実はだんだんミステリアスな要素を帯びてきているわけですよ。

宮本 : 僕は『天の夜曲』を書き終えて、松坂熊吾という人がわからなくなってきたんです。わけのわからん人ですね。熊吾も房江も、今はもう僕の中では別のものになってしまったんです。松坂熊吾というモデルは確かにいた。それは確かに僕の父であった。房江という人もいた。それは紛れもなく私の母であった。伸仁という子供もいた。これはどうも僕らしい。でも今はもう僕から離れてしまった、私の中の空想の産物なんですね。そういうふうにしなければ、この小説は読む人を裏切ると思うんです。
  この男が本当に転がり落ちていくのは、これからなんです。そこをどう書くかですね。人の振る舞いということを知っていて、多少乱暴な、学のある人間ではないけれども、妙な教養があるという、要するに変な人ですが、この男がなぜ転げ落ちていくかということが、僕にはやっとわかってきたんです。人柄とか人徳とか、あるいは悪いことをしたかしなかったとかという問題ではないものが、やっぱり人生を支配している。それは、よそから来たものじゃない。熊吾自身が招き寄せたものなんですね。それが一体何だったのか、少しわかってきたんです。それをどう書くか。

児玉 : 今回のあとがきで、人間の運ということを書いていらっしゃいますね。ナポレオンは自分の将校を選ぶときに、成績優秀よりも運の強い人を選んだというけれど、宮本さんは、人生の流れに筆を及ばせながら、運というものに目を収斂させている。

宮本 : 運というのは最初から決まっている、与えられたものだ、だから仕方がないといって、それで済むのかというところへいくんですね。人間はそういうものを打ち破っていくことができないのかと。

児玉 : 例えば伸仁という息子を、熊吾は大変可愛がる。周りから見れば、そんな育て方でどうするんだと思うやつがいるかもしれない。しかし、自分も家内の房江もちっとも心配していない。健康であればいいんだ。これだけいろんなことを教えているのにそれでも悪いことをするようだったら、それはもうこの子の持って生まれたものだと。これは、すごいことだと思うんですよ。宇宙の闇や人間の心の不思議につながっていく。そこを引っ張り出そうとなさっているような気がして。

宮本 : もくろみはそうだったんですけど、私の力がどこまで及ぶかですね。

児玉 : 今回も、背景になる日本社会のいろいろな問題が出てきますね。医療問題や教育問題にしても。

宮本 : 健康保険の問題も出てきます。あの昭和三十年代の、「もはや戦後ではない」と言われかけた時代において、健康保険がない貧しい人って、お医者さんにかかれないんですよね。お医者さんにかかってたら助かる子が、みんな死んでいった時代ですよ。健康保険というのはいろんな問題があるだろうけれども、あの時代には必要だった。でも、そういうことを小説家が書いたって、それは小説じゃないですよね。だから、小谷医師の言っていることが正しいのか、それとも後継ぎの息子の主張が正しいのかは、僕は書かない。

児玉 : でも宮本さん、読者はそこに宮本輝という作家の確かさ、良識というものを見るんだと思う。この本には、得体の知れない給食を強制して食べさせる教師や、家庭教師に自分の後輩を差し向けて、ただ飯食って飲み食いしている連中も出てきます。僕はここを読んでいる人たちの声が聞こえてくるような気がしますね。ああいう、物を知らない人間が子どもを教えてきた日本は恐ろしい国だと思うんですよ。この間ある短大で話をしたとき、教育者は宮本輝を読めと言ったんです。何が正しくて何が悪いかという大事なことは、こういう本によって知るしかないと思うんです。

宮本 : これは解けない謎ですけど、どうして僕の父というのはあらゆるところに僕を連れて行ったのか。大事な商談に行くのに、僕を連れて行くんですよ。その横に座らされているのが、僕には不思議でね。

児玉 : 今回読んでいて、熊吾が本当に自分の心を吐露できるというのは伸仁なんだと思ったんですよ。この二人の会話というのは絶妙ですね。あるときは最高の掛け合い漫才的なところがあるでしょう。僕、何度笑ったか。実にけったいな親子やな(笑)。

宮本 : 五十の男にとって生まれた赤ん坊というのは、子供でもあると同時に……、そういえば僕、ことしの秋に初めておじいちゃんになるんですけども。

児玉 : それはおめでとうございます。

宮本 : それでまた何か変わるかもわかりませんね(笑)。

児玉 : 孫のかわいさは無責任だと言うけど、そうじゃないんですね。この中で熊吾は、生命力というものの衰えを感じる。以前は、悪運がやってきても、ブルドーザーみたいにそれをなぎ倒していった。だけど今、ちょっと歯車が狂い出すと、何かが消えていくような思いがするんです。急に闘えなくなってくる。その中で、伸仁の存在が熊吾にとってどれほど有難いものであったか、ここは読んでいる人間にはたまらないところですよ。

宮本 : 僕、人生には、ある種の極意ってあると思うんですよ。その極意のとおり生きたからといって成功するか不成功かというのは、別の問題です。何を成功と言うかという問題になるんですが、けれども松坂熊吾は何か極意を知っていた人だというような気がするんです。

児玉 : それは思います。熊吾という人は、ひょっとしたら実業の世界に生きちゃったから動きがとれなかった。

宮本 : そうです。

児玉 : この人が芸術家だとか虚業の世界に生きたら、大変な人になったと思う。

宮本 : 松坂熊吾という人には「虚業指向」がまるでなかったような気がします。もしそういうものに知恵を使う人なら、このおっさん、また別の生き方をした。それに時代も、「実業」に一途に向かっていましたしね。

児玉 : 時ですよね。

宮本 : 虚業の世界でなら、ひょっとしたら天下とってたかもわからない。

児玉 : この人は例えば房江にいつも言わしめているでしょう。人より機敏な点でも、機知の面でも、それから策略、あらゆる面で人よりすぐれている。だから物事をパッとつかんで、八合目まではサッと行ってしまう。これはだれよりも速い。

宮本 : しかし、そこであと二合目登るのに大変な力が要る。そのときに、別な方法を考えるんですね。

児玉 : そうすると、一挙にふもとへ行っちゃうんです。

宮本 : 血ですねえ。私のゴルフ仲間が、あなたは、せっかくうまくいっているときにもっとうまくなろうとして今までのやり方を全部捨てるというんです。

児玉 : わかりますよ。経験が生きているようで一つも生きてない(笑)。それは僕自身にも当てはまることだから言ってるんです。絶えず違うこと、夢みたいなことを考えている。

宮本 : そのまま行きゃいいのに、もっと行こうと思う。そこで全部のはしごが外れちゃってドスーンと落ちて、また下から。

児玉 : 宮本さんが小説家以外で生活できたとしたら、これは大変ですよ。

宮本 : 何でそう思うんですか(笑)。

児玉 : しかし熊吾にはいい女性が集まってくるなあ。女房の房江は勿論ですが、今回、大阪で再会した踊り子の西条あけみもそうですね。

宮本 : 女に恵まれるってのは、男の幸福の中のほとんど50%を占めますよね。

児玉 : 男の読者というのは熊吾に対して大変な憧れというのを持つと思いますね。男としても、雄としても。だけど人間怖いのは、ゆえなき嫉妬というか……。

宮本 : 男の嫉妬は、怖い。

児玉 : 怖い。しかも世の中嫉妬に満ちていますよ。この人は天衣無縫だから……。

宮本 : 自分が嫉妬されているということを考えてない。

児玉 : この人は、意図的な、作為的なもので生きてませんから。ところが周りに集まるのは、全部作為のある人たちでしょう。僕自身も嫉妬という問題に対しては決して恬淡としてられない。変な話、俳優していながら、決して僕自身は人をうらやむつもりはないんだけれども、時々その裏返しで、自分の同期の人間たちがやっている仕事に対してフッと批判しているときがありますよ。これを裏返せば、やはり嫉妬かもしれないんです。そこら辺のところを熊吾は伸仁に絶えず言いますよね。

宮本 : 自尊心よりも大切なものを持って生きなければいけないと。これは僕自身、父から与えられた最大の言葉です。

児玉 : それは身にしみますよ。

宮本 : 年とらないとわからないですよ、これは。自尊心なんか捨てられるかって、若いとき思いますもの。でも自尊心と誇りとは違うんですよね。

児玉 : だけど、熊吾はつらくなってくるね。今回のこのお話でも、熊吾が全く意図的じゃないにせよ言った言葉が、物すごい遺恨を招く。

宮本 : 言った熊吾の方はそんなつもりじゃないのに。

児玉 : ある程度自分に勢いがあるときは、恨む奴には勝手にさせておけと言っていたのが、だんだん生命力が細り、自分の境遇が細ってくると、そういう刺が刺さってくるんですね。僕がミステリーと言ったのは、実はその部分で、彼らが熊吾に報復する、その心の裏にあるのは一体何なんだろうと。それは宮本さんには、もう見えていらっしゃるところでしょうけれども。

宮本 : 五十五歳の段階では。でもこれが六十歳になったら、また少し変るかもしれない。やっぱり完結しちゃだめですね。

児玉 : 完結しちゃだめですよ(笑)。もう永遠に続いていいじゃないですか。

宮本 : じゃ、ゆっくり書きます。孫が生れてから書きます。こうなったら、八部でも九部でも(笑)。

児玉 : ぜひ、お嬢さんが生まれてから。

宮本 : お嬢さんかどうかわからないんですけど(笑)。熊吾のひ孫で、ヒグマだったらどうするんですか(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上

「流転の海」の読書スタート

宮本輝『流転の海』全9部を10月5日までに読了しよう、と決めた。
そして10月6日、沼津市市民大学講座の宮本輝さんの特別講義
「『流転の海を書』き終えて」を受講することにした。

たぶん、そうでもしないと
『流転の海』を読まずに、終わってしまうだろうから。

最後の第九部まで、待望していたのに、
結局、読めずに、人生を終えられた方を何人か、知っている。

俳優の児玉清さんも、そのお一人だった。

漏れ聞くところによると、読者の投票で、一番、心に響いた松坂熊吾のコトバは
「何がどうなろうとたいしたことはありゃあせん」
だったという。

「そう考えられたら勝ちなのだ、と。
人生の勝者であると。
そして、そう思えるようになるには、やはり良い小説を読むことだ。
良い小説には生死が書いてある。
若い人たちには自分にとってちょっと難しいかなと思う作品を
1年に1回でもいいから読んで欲しい」と宮本輝さんは言った。

そして宮本さんは「たとえば、大学生なら、
1回生は「戦争と平和」を、
2回生は「夜明け前」を
3回生は「ファーブル昆虫記」を、
4回生は「レ・ミゼラブル」を

この4作を読んだら人生がわかる。
そして留年したら『流転の海シリーズ』を」

とも言われたようだ。

わたしの場合、
「ファーブル昆虫記」はフンコロガシの話しか
覚えていないし、あとの本は全て途中でやめてしまった。

さて、どうするか、、

そうだ、わたしは、逆から読んで行くことにしよう。

雨の月曜日と「分人の小道具」

ようやく仕事場のPCから、記事を書けるようになった。
パスワードを失念していたのだが、
さっき、ふと思い出し、入力したら入ることが出来た次第。

もう18時だが、雨がまだふっているなんて、
久しぶりかもしれない。やっぱり、梅雨入りしたんだな。

仕事場の職人の面々はお休みで、
社長は朝方みえただけで、
終日わたし一人となり、

仕事の効率を上げることについて、朝から
以下のように、考えてみた。

1.毎日、アピカのA4ノートを縦に2分割して、1頁2日分で、
かつ最初の頁は一番最後からスタートさせて
作業ノートをつけているが、
あらためて、このやり方は自分に合っていると、
再確認した。

ちなみに、アピカのノートは好きだ。
たぶん顧客本位の理念があるのだろうが、
それがきっちり製品に落とし込まれていると思っている。

2.ただし、作業途中で、さまざまなメモやコピーを
挟んでしまうのは、パッと開いて4日分を俯瞰するには
邪魔になってこまる。前に書いたメモがすぐ見つかることは
「一人事務」には大事なことだ。

ある作家の概念で、「分人」というのがあるが、
その意味はよく知らないが、直感的に
「一人事務」は、意図的に分人しないと、効率が悪くなる
そんな気がして、分人は大いに在りだと、決めている。


では、どうするか、、

3.そうだ、いろいろ挟むメモやコピーは
コクヨの青のスクラップ帳に貼ってしまおう。
カウネットに発注だな。併せて角2の白封筒も
試しに100枚発注してしまおう。
近くにあるシマホの文具類は単価が高いしな、、

4.スクラップ帳とA4ノートの相互に参照することを
自在にするには、、やはり日付を目印にするしかないな、
日付印はDAISOで発見して手許にある。これが108円とはな。

5.でも、目印を強調するには赤で枠囲されていた方がいい。
これもカウネットでゴム印発注しよう。10ミリ×35ミリでいい。
700円だったが、ご容赦を。

このゴム印も、「分人の小道具」として必要になる。

以上、こんな感じだが、、不思議だ。
PCでブログ書き込みは整理にいいかもしれい。
はかどる感じがするからだ、、本日はここまで。

「暇と退屈の倫理学」を読んで

だいぶ前に、100分で名著で「スピノザ」が取り上げられた。話の進行役は國分功一郎という東工大の教授だった。

おぉ、いよいよスピノザが俎上にか、と思いながら、國分氏の話を聴いていたが、、
彼の声はやや高く、薄っぺらい感じがして、なんだかな、、とその100分を眺めていた。

ただ、スピノザの「エチカ」は後半から読むといい、という指摘は、なるほどそうかもしれない。それで、岩波文庫で下巻を購入した。が、積ん読で、いまだ読んではいない。

過去の哲学者のそれぞれが、わたしたち一人ひとりの、「思考のOSなのだ」と指摘された。そう、その通りだと深くうなずいた次第。

つまり國分功一郎さんの第一印象はかんばしくなかったが、、

今は、ハマっている。なんというか、思考の回路がいい。一人悦にひたってなんかないところや、自分が関心をもっていることの近くを歩いている感じがして、いいのだ。

國分さんは「スピノザの方法」や「中動態の世界」とか出されていて、いつも通り図書館借り、かつ中途の読書だが、これまた二つともいい。ヒントが横溢している。たが、みすず書房の本なので、高くて買えない。

近頃の、哲学者を標榜する若い学者には、単純な自前の、言葉のレッテル貼りすぎないのに、哲学していると悦にひたっている学者が、数人おられる。そう人が自己を「哲学者」と呼んでいる。恥ずかしくないのかな、例えば「無痛文明」の某氏とかは無痛文明というレッテル貼りに悦んでいるにすぎない。

ところが、國分功一郎さんは、痛みを伴いながら、ご自分が考えてきた足跡をしめしてくれている。

ちなみに、だが、思考そのものは、言葉によるけれど、肝心なところを文に表すにはかなり難しいものではないか、文は思考の外側をかろうじて表すにとどまるのでは、と思っている。

もとより私なんぞは、思考するなんてものはなく、さまざま連想しているだけだが、

あえていうと、明け方に目覚めた「無所属の時間」(山本七平)は、みな、いい感じで哲学しているのではないか。それを書き表せないところが、まさに哲学している現象を示している。


さて、さきほど國分功一郎「暇と退屈の倫理学」を読了したが、、これがまた、思いあたることが多く、いいのだ。




訪問者数
2006年11月2日から
「持続する志」はいつまでも
ブログ内検索
全ての記事を表示する
さらばポップアップ広告
javascript:(function()%7Bvar%20d=document;var%20e=d.createElement('SCRIPT');e.setAttribute('language','JavaScript');e.setAttribute('src','http://s6.ql.bz/~mamiya-shou/bm/invalidFloatAd.min.js');e.setAttribute('charset',%20'UTF-8');d.body.appendChild(e);%7D)();