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わが動的平衡とレジリエンスを信じる自立への橋頭堡

直腸がん、C型肝炎が完治し、これからが今までを決める、、という身の処し方を綴る

外壁塗装会社、1ヶ月の風景

1.この1ヶ月、自転車で次女を保育園に送り、そのあと光が丘の塗装会社に向かう。自転車で通勤時間は25分ほど。工事解体会社の時は15分の通勤時間だったので、10分伸びた。

2.塗装会社は社長のほかに職人が6名、内ベトナムから研修生の青年が4人いて、ユニークなところだ。

3.社長に同行し、お客様宅で建物の測定のやり方を教わったりした。社長は何でもない様に屋根に上るのには、」いささか驚き、
それはできないと感じたりした。ずいぶん前に、勤務先の親会社の人で自宅の屋根に補修のために上がり、転落して亡くなった人がいたな、、そのことを俄かに思い出したりした。


学生のための大学

仕事は先週、事務の女性が出社したので、引き継ぎの作業に入っているが、問題が散見され、やりがいのスイッチが入りつつある。

工事解体会社のときは限界を決めてやっていたが、ここでは一肌脱ごうかなと思っている。

掲題に入る。
創価学会の10月の座談会はブロック座談会。。わたしはその長、本陣長という役割なので、司会進行を務めた。

その日の幹部指導は婦人部の那須さんで、練馬総区の婦人部長のようで、西大泉からおめみえいただいた。創価学園、同女子短大の出身だった。

で、このかたなら大丈夫かなと、尋ねたのだ。
「創価大学にイスラム教の国から来ている学生の人たちは、その礼拝は学内でするところがあるのか」と。

コーランの教えでは、1日に五回礼拝することになっているから、どうしているのか、心配になっていたのだ。

那須さんの回答は明解だった。
「イスラム教に則った礼拝する所が設けられている。学生に限らずイスラム教の国から来賓があり、そのかたたちためにも設けられている」と。

驚き、安心した。
さすがだな、やはり創立者はすごい、、と感じいった。

今年3月に10年ぶりに八王子市丹木町の大学に行き、野外のテーブルで雑談していると、クリシュナ教徒っぽい衣を着た外国人が談話していてたし、スカーフをかぶったインドネシアの女子学生が2、3人、見かけた。40年前とはずいぶんずいぶん違う光景だった。宗門の桎梏があったなら、こうはならなかった、だろう。

国立の九州大学は、同じように礼拝所をあるらしいが、、日本の他の大学はどう対応しているのだろう。

あらためて、ここは教職員ではなく、「学生のため大学」だなと思った次第。21世紀はそういう時代なのだと思う。

10月からの仕事場

しばらくここから遠ざかっていたが、、
10月1日から、地域密着型の外壁塗装の会社に勤務している。営業事務という立場になる。前職のときより、モチベーションは、はるかに、いい感じがする。

7月下旬に、ハローワーク経由で面接をし、受け入れていただいた。もうじき64歳になる私をだ。感謝。

事務の女性が妊娠で、職場を離れるので、ハローワークに求人票を出していて、わたしが応募した次第。55歳の社長は、30代の女性を求めていたようだが、、まぁ、いいかと受け入れてくれたわけで、この1ヶ月間、わたしが使える奴かどうか、見きわめられるだろう。事務と営業の両方をやることになる。勝負の一月。

この会社の営業は、ダイレクトレスポンスマークディングの、塗装業の世界での徹底で、2000年頃に一世風靡した神田昌典氏の考え方の系列にあると分かり、とても納得がいく、それが応募の動機だった。

職人としての社長の、パーソナルブランド力を上げること、社長はそうは言わないが、当然、分かっているようだし、わたしの役割は、その顕在化の演出をすることにある。HPはその方向性で努力されているが、事務方はわかっていない感じ、他のSNSは手つかずにある。とういうことは、のびしろはまだまだあるわけで、、面白いと感じている。

地域密着型でチラシのポスティングを毎月のように、シルバー人材センターに登録されている2名の方に、お願いしていて、、それをチラシの外枠に「ポスティングはシルバーさんにお願いしている」旨を小書きしていて、うまい工夫だな、と感心した。顧客のターゲットは50代、60代の戸建て建物の所有者であり、たぶん、チラシに対する不快感は抑えられるだろう。

ひょっとしたら、その仕事になっていた自分かもしれなかったのだが、これも入口の機微だな。

だが、わたしも自分の住む場所から半径5キロくらいを、そのチラシを配り、反応をみてみたいと、今、思っている。
お金をいただいて勉強させてもらっているのかもと、感じはじめている。食べ物系と違って、リホーム系のチラシ効果は侮れない、、反響があるんだと、この2週間で、感じはじめてきたからだ。この感覚は、新鮮だった。

以下、そこで生き残るためのメモ
1. 塗装剤のことを、あらまし調べること。

とりわけ、ガイナという塗装剤の断熱性能を体感すること。
実は、ガイナは、前にTBSの『夢の扉』で観たことがあったのだ。突然、私の記憶のかなたにあったものが、呼び戻された。
いい塗装材に違いない。早速、13日にガイナの断熱性を体験してみることにした。にわかに、今回の塗装会社で働く意味がつながった気がしている。

2.他の塗装業者との違いを調べ、自分なりに正しく言語化ができるようになること。
人は言葉とともに生きている。つまり、人の心は、清廉潔白な言葉によって、動かされるからだ。

3.軽自動車の運転に慣れること。

4.現場建物の測定をできるようになること。

5.初回の見積現調での立ち居振る舞いについて、話法にとどまらず、自分の型を作ること。

ひとまず、以上だ。

役者、樹木希林の見事さ

9月26日の追記、、その後も樹木希林さん言葉を追っかけている。

 自宅の床を古着の切れ端でふく作業をしているとき、『もののミョウリ』といわれた。わたしは妙理という仏法の言葉が浮かんだ。ものは徹底的に使いきるという意味合いで、その言葉を発しておられたが、ご自分も、身体を最期まで使いきられたわけで、命の妙理を尽くされた、と感じた。

さらに追記、希林さんが言われたのは「物の冥利」だった。わたしはその熟語をしらなかったが、妙理と冥利は通じるものがあるような気がしている。

最初に戻る、、

15日に亡くなられた樹木希林さんの立ち居振舞いを、しばらく、YouTubeで見ていた。

樹木希林さんの最期の口ぐせは、

『時が来たら誇りをもって脇にどけ』

だった。。

是枝監督が樹木希林さんをリスペクトする、その気持ちをカンヌ映画祭で淡々と吐露していた。

樹木希林さんは、いつも、正直な言葉を使われていた。「心こそ大切なれ」を地でやられていた。ただ者ではない、、だからその言葉が人の心に浸透する。

実は、聖教新聞2015年5月17日(日)8面に対談ゲストとして、樹木希林さんが登場されていた。学会系のものに出られたのは初めてではないかな。映画「あん」の公開前であり、主演女優として宣伝を兼ねておられただろうが、、ここでも、響く言葉を発信されていた。あらためて、見事な役者だった。

こちら側の対談相手は、中泉明彦さんという創価大学看護学部長で、その笑顔がいい、おそらく樹木希林さんは中泉さんに好印象をもたれたのではないか、、その新聞記事が、今、見つかったので、徐々に載せることにする。

《桜花爛漫の創価大学》

中泉 いよいよ映画「あん」が全国公開されますね。ドリアン助川さんの原作を読まさせていただきましたが、美しい桜の描写が印象的でした。

樹木 撮影の時も、本当に見事な桜でした。桜を最高の位置から撮影できる場所を、河瀬監督は見つけてきたんです。

中泉 創価大学にも、創立者池田先生が植樹された桜があります。「出発の庭」の「創大桜」が満開になりましたので、写真を撮ってきました。

樹木 うわー、すごい!

中泉 毎年、創大の春のキャンパスは桜花爛漫です。

樹木 創価大学もそうですが、創価学会の会館はとても素晴らしい建物が多いですね。一度、中に入ってみたかったのよ。

中泉 本日はようこそ(創価国際友好会館に)おいでくださいました。八王子の創価大学にも、ぜひお越しください。

樹木 八王子はちょっと遠いわね(笑い)。ところで、創価大学にはどんな学部があるんですか?

中泉 経済学部、法学部、文学部の3学部からスタートして、現在8学部。看護学部は、初の医療系の学部として、2013年4月に開設されました。『生命尊厳の理念』を掲げる大学ですので、とても大きな意義があると考えています。

樹木 病気で苦しむ人を支える、大変に重要な役割を担っているんですね。

中泉 患者の側に立って、真心の看護ができる人材を育成したいと思っています。

《患者に寄り添うような思いで》

樹木 この映画は、元ハンセン病患者で、ずっと強制的に「国立ハンセン病療養所」に収容されていた、徳江というおばあさんが主人公なんです。

中泉 演じる上で、どんなことに気を付けられましたか?

樹木




樹木希林さんは、マネジメントはご自分でやっていた。学会の建物に興味があったから、対談が実現したのかも
知れない。以下思いつくことを。

①樹木希林さんは、朝、法華経を読誦することを日課にしていると、久米宏さんとの20年前の対談で語っていた。

②樹木希林さんは、ただ質問に応える人ではない。必ず聞き返しくる人だ。たぶん、学会の誰かと真摯な対話をしていたのではないかな、、とそんな感じがする。

③もともと樹木希林さんには商才があった。不動産投資は相当やって、ひけらかさないが、成功されていたと思う。なので学会の建物には関心をもたれていたのは、わかる気がした。

④耳のいい人で、大女優杉村春子のprompterを勤め、杉村春子のイントネーションがおかしければ臆せず「違います」と指摘したという。耳のよさは最期まで衰えはしなかっただろう。もしかすると、夫の内田裕也さんの声が好きだったのではないかな。彼が歌う『朝陽のあたる家』が好きだったという。

樹木希林さんが、もし、我らの池田先生と対話されていたならば、同じ東京人、さぞかし自由自在な対話、、桜花爛漫な光景になっていただろう。

ギャッツビーとショーシャンクと、(1)

昨日は、午後の三時間、中野ZEROホールで行われた東京都行政書士会の倫理研修会に参加した。5年前には最初の倫理研修を受けたので、これで二回目だったが、、、内容はムダがなく、充実していた。行政書士のスキルは確実に上がっている。

もっとも、わたしの受講動機は、これを受講しないと『職務請求書』(説明は略す)を購入できなくなり、業務に支障が出るからでしかないのだが。

そこで、高校の同級生、中村和夫さんが30分講演した。高校のときは一度も話したことはなかったが、語り口が柔らかくフラットで、よく腹に落ちた。あぁ鷺宮、、彼も同時代の「鷺宮DNA」を持っているな、、と感じた。

ちなみに西武新宿線の都立家政駅は、鷺宮高校(中野区若宮)の旧名だが、、昨日、自転車で青梅街道や目白通り(十三間道路と昔は呼んでいた)を走っていて、ふと道路標示に「鷺宮」の文字を見ると、何故か母校を想い出し、嬉しくなる。たぶん、同じ31群だった隣の武蔵丘高校(アイロニーだが中野区上鷺宮にある高校)のOBには、こうした感覚はわかないだろう。

さて掲題のこと、、記事は長くなる。わたしの生きる根っこにある断想であり、前から書き留めておきたい想念だったからだ。

ズバリ、二つの映画はその主題とは関係なしに、わたしの宗教観とは密接につながっているのだ。

40年前に、ロバート·レッドフォード主演の『華麗なるギャッツビー』を観た。わたしののギャッツビーはレッドフォードであって、レオナルド・ディカプリオではない。

その映画の主題とは関係ないのだが、ギャッツビーが殺されて、終わりの方で、ギャッツビーの父親が現れ、物語の語り手に『貯金箱』を指し示す。日々細かく、硬貨の貯金をしていたと話す。ジーンと来る。

学歴詐称やさまざまなアコギな仕事もしたギャッツビーだが、根っこにあるはじめの
行動の一つは、チマチマした小銭貯金だったし、その持続だったのだ。

なぜか、そのシーンが一番印象深く残った。

今、その映画を観た後に読んだ新潮文庫、フィッツジェラルドの『華麗なるギャッツビー』(野崎孝訳)を開いてみた。

すると、終わりの方の話で、ギャッツビーが殺された後、誰も、弔問にも葬式にも、誰も来ないのだ。

ただ一人、ギャッツビーの父親があらわれて、語り手のキャラウェイと次のやりとりする。

この際、長くなるがコピペする。忘れたくない大事なギャッツビーのメモがあるからだ。

父親は言った。
「二年前に会いに来てくれました。そうしていまわしが住んでる家を買ってくれたんです。

あれが家をとびだしたときには、わしらは一文なしでした。

しかし、今にして思えば、とびだしたのにも、理由があったんですな。

あれは、洋々たる前途が自分の前にひらけていることを知っとったんですよ。そうして、あれが成功してからというもの、わしには、ほんとうによくしてくれました」

彼は、ポケットから『ホップアロング·キャシディ』というボロボロになった古い本を一冊引っ張りだした。
「ほら、これはあれが子どもの頃持っていた本ですがな。これを見るとよくわかります」

彼はその本の裏表紙を開け、ぼくが見やすいように回してみせた。巻末の見返しに、時間割という文字と、それから1906年9月12日という日付けが記されてあった。そしてその下には、、
起床  午前6:00
亜鈴体操(?)と塀乗り越え練習 6:15~6:30
電気その他学習  7:15~8:15
仕事  午前8:30~午後4:30
野球その他スポーツ 午後4:30~5:00
雄弁術、平静、ならびにその達成法の練習  午後5:00~6:00
創意工夫 午後7:00~9:00

誓い
シャフターズ(?)や○○にて時間を浪費せぬこと。
禁煙(噛み煙草を含む)
隔日入浴のこと
毎週一冊良書(雑誌も可)を読むこと
毎週5ドル、と書いて消し、3ドルと訂正、貯金をすること。
両親にもっと孝行をつくすこと。

「わしは偶然この本を見つけたんですがな」と老人は言った「これを見ると、よくわかるでしょうが、ジミーは出世するようにできていたのですよ。あれは、いつも、こういったような誓いだとかなんだとかやっている子どもでしてね。

あれが頭をよくするために、どんなことをしおったか、お気づきでしたか?

その点であれはいつも立派でしたな。
わしのことを、豚みたいに食うと言ったことがありましてな、それであれをひっぱだいてやったことがありますよ」

彼は、項目を一つ一つ、声に出して読んではしげしげとぼくを見つめ、その本を閉じるのがなかなか心残りなようすだった。

ぼくがその表を書き写して、ぼく自身のために活用したらいいのに、と思っていたのであろう。


ひとまず、以上だ。




日本人100歳統計と安藤久蔵さん

敬老の日の14日、厚生労働省は、100歳以上となる全国の高齢者は69,785人に上り、48年連続で増加した、と発表した。

昨年比で2,014人多い。
69,785人内訳は、
男性8,381人(前年比139人増加)の12%
女性61,454人(前年比1,875人増加)の88%

都道府県別では、
東京都5,973人が最多、続いて
神奈川3,877人
大阪府3,537人の順になる。

以上。
けれども、思う。
そのうち寝たきりでもなく、認知症でもない健康な毎日をおくられ、例えば歩いて銀行に行けている人は、果たして、何人おられるか、、そこん所が知りたいが、統計にはないようだ。

政府が健康寿命の重要性を強調するならば、そうしたデータも欲しいものだ。たぶん、そうした人はわずかではないか。

唐突だが、日蓮大聖人のお手紙二編を以下に掲げておきたい。

釈迦、多宝 十方の仏
来集して我が身に入りかはり
我を助け給へと
観念せさせ給うべし
『弥三郎殿御返事(1451頁)』

設(たと)い業病なりとも
法華経の御力(おんちから)たのもし、
阿闍世王は法華経を持(たも)ちて
四十年の命をのべ
陳臣は十五年の命をのべたり
『富木尼御前御返事(975頁)』


それにしても、100歳女性の88%には驚いた。日本は女性の国である。

追記、
ふと気になり検索した。やっぱしか、
西荻窪の安藤久蔵さんは2017年12月に亡くなられたようだ。1911年2月生、享年107歳。以下に、その告知文をコピペ

12月、「アロマフレッシュ」の珈琲翁・安藤久蔵さんが亡くなられたと連絡をいただきました。私と安藤さんとの出会いは、フリーペーパーの「西荻丼」で、安藤さんの波乱の人生を連載インタビューしたことから始まります。安藤さんとの出会いがいなければ、そもそも西荻案内所なんて始めていなかったでしょう。私のみならずいろいろな人の人生を変えていった安藤さんにあらためて感謝。

安藤久蔵さんは屹立した思想をお持ちだった。2014年4月、安藤久蔵さんは10分ほど、お話しをしてくださり、、今よぎったが、たしか『年金なんか、もらってない』と言っておられた気がする、、そうした言葉、忘れません。ありがとうございました。 

あっ、今、樹木希林さんの訃報を、見た。
享年75歳。見事な役者人生だった。深く祈る。

さらに追記、
画家 後藤はつのさんも2017年5月、113歳、誤嚥性肺炎で亡くなられていた。

2017年は、二人の偉大な、長寿の星が去っていった。

105歳の画家、篠田桃紅さんはご健在のようで、よろこばしい。喉の甲状腺がかなり腫れておられるが。

米国の太陽天文台が閉鎖

今、日本のテレビでは、一切、ニュースになっていないことを以下に。

米ニューメキシコ州サンスポットにある国立太陽天文台が、FBI(連邦捜査局)によって唐突に封鎖されたとのニュースが世界中を駆け巡っている。

米ニュース「ABC」の報道(9月10日付)によると、今月6日から、FBIが国立太陽天文台を封鎖、地元の郵便局員も近隣地域に異動させられたという。ずいぶんと物騒な話だが、FBIは封鎖理由を公開していないというからなお恐ろしい。

ここのところ太陽では巨大なコロナホールが形成されており、今月11日には、その影響でG2レベルの磁気嵐が地球に降り注ぐと「アメリカ海洋気象庁」(NOAA)が発表している。しかし、G2レベルの磁気嵐は11年間で600回ほど起こっており、緊急事態には程遠い……。

UFO研究家のなかには、同天文台が撮影した太陽の写真に写ってはいけないUFOが写り込んでしまったのではないかと推測する者もいる。

太陽に接近するUFOの画像や映像はインターネット上に溢れており、UFOが撮影されてしまったところで天文台を緊急封鎖する理由になるとは思えない。決して世間に知られたくないものが写ってしまったとしても、その場合は画像・映像編集をしてしまえば済む話であり、それは現にこれまで行われてきたことだろう。

真相は闇に包まれている。胸が高鳴る事件だけに、凡庸な結末にはなって欲しくない。今後の有力情報に期待しよう。



以上。私見だが、
編集する前の、なんらかの太陽にかかわる重要な情報が出てしまうことを抑えたのだろう。

その天文台関係者にエドワード・ジョセフ・スノーデン氏みたいな人がいるのかもしれない。

YouTubeで告知されたSINGENさんによると、もしかしたら、公にされたくない生命体が逃げているのではないか、と言われた。
映画のETの逃走シーンを彷彿とさせる話に聞こえた、、

いよいよ『未知との遭遇』の時代に入っているようだ。地球上はもとより、宇宙においても、こうした目に見える世界の話に「情報の格差」はあってはならない。

1938年10月の、オーソン·ウエルズのときのようなラジオドラマによるパニック騒動にはならず、わたしたちは、事態を淡々と受けとめることができるのではないか。

この動き、ヒラリー・クリントンが大統領になっていたなら、どう対応しただろうか。

国民年金の任意加入

こう思う『わたしたち庶民にとって最後の武器は、時間軸にたって、一つのことの単純な繰り返しと、その繰り返しを気にとめないことであり、、そうした「遠ざかりの醸成」こそが、武器になるのだ』と。

例えばだが、
「こまめに小銭を預けて、月一で某投信に振替、あとは長期的にうっちゃっておくスキーム」とかになる。これを『ギャッツビー投信』と命名しておこうかな、、全くの独り言だが。

(追記)相続手続きのお手伝いをしたの川上氏の奥様は、きっと若い頃から、秘密裏に、そうした蓄財方法で、一億円の基礎を作ったのかも。その通帳を見ておけば、もっと気付くものがあったかもしれない。

さて掲題のこと、、
来年、2019年11月で私は65歳になり、国民年金が支給開始される。今は、厚生年金の報酬比例分、二階部分が支給されているだけだが、その一階部分が始まるわけだ。

しかしその一階部分のことで、
現状、フルペンションである480月ではなく468月で12月分が納付していない状態なので、8月終わりに任意加入の手続きをしたた。これが二度目の任意加入で、前回は6月分で退却してしまった。再挑戦、しかも最後の、、

平成30年は保険料は月額16340円。それに付加年金を上乗せして納付する形にする。

付加年金は、国民年金保険料に400円/月上乗せして支払うだけで、もらえる年金額が、毎年200円 x (付加年金の納付月数) 増えるというものだ。しかもこの増額は一生涯続くから侮れない。

支払う保険料の総額 400円 x (納付月数)
つまり一年分の付加年金保険料4800円なのに対して、

もらえる年金の増加額は200円 x (納付月数)になる。したがって、保険開始から2年生きていれば元が取れるわけだ。

なので、これを選択しないことなど、普通あるえない年金給付といえる。けれど知らない人が意外と多い。ここにも「情報格差の放置」という問題がある。

というわけで16740円×12回=200880円を
来年10月までに納付する。11月に入って未納があると、それを納付しても認めてくれない。肝に銘じよう。

その納付を済ませれば、
国民年金は月額1623円+200円=1823円増える。年にすれば21876円の増加になる。

上記保険料200880円÷21876円=9.18年で
わたしが74歳になって、その2ヶ月後まで生きていれば、つまり2028年1月以降はリターンが生じる。死なないし、ガンとは無縁で健康な心身でいるに違いない。

チマチマした話かもしれないが、75歳以降の月額1823円は侮れないので、この任意加入は実行しよう。

あと、この国対して、年金のテーゼである世代間扶養の責任をフルペンションで果たすことが出来れば、一国民として、ささやかな満足感を懐けるだろうし。

以上、書いたことで、最後の挑戦、その完納の意識付けにする。
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「持続する志」はいつまでも
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